七日目

 黙って化学の亡骸を抱きしめていたオレは、それほど遠くない場所から鳴り響く爆発音で我に返った。どれぐらいの時間が経ったのだろう。夜はもう明けたのか。


 爆発音を聞いた老人の表情が恐怖で引きつった。老人が慌てて廃屋から飛び出そうとする。そこで、また爆発が起きる。耳が痛くなるほどの大きな音がした。


 老人が絶叫し、吹き飛ばされる。そのままゴロゴロと転がり、頭を壁にしたたかに打ち付けて苦悶の声を上げる。


 どこかで火の手が上がったのか、煙が部屋に立ち籠めてきた。


 オレはうまくまわらない頭でツイッターのメッセージ欄を確認した。

 そこには、記憶を失う以前の履歴が並んでいた。今なら分かる。オレの脳はずっとこれの認識を拒んできた。


 過去のやり取りをなかったことにすれば、失敗そのものを無効化できるとでも思ったのだろう。都合のいい話だった。


 オレには、もともと、そうゆうところがあった。化学の林檎製ノートを言われるまで気づかないふりしたこともあったしな。


 そういえば、死んだ父さんはあの会社でエンジニアをしていたっけ。


 ああ、そうだ。思い出した。父さんは死んでいたのだ。ちょうど、オレが化学と出会ったあの年に。一年前の冬に。


 通勤途中の不幸な事故に巻き込まれたのだ。オレはそのことが受け入れられず、父さんを思い出させる林檎製品を忌避し続けた……。


 何度もフラフラと事故現場に足を運んだ。心にぽっかりと穴が空いたようだった。そこで偶然、化学と出会った。オレはオレから父親を奪った理不尽な世界に嫌気がさしていた。アイツはそれを見抜いて、オレを組織に誘った。 


 そして、二人で、破壊の限りを尽くした――。

 そうすれば、自分の中に生まれた穴を埋めることができると信じて。

 そうすれば、自分を取り囲む得体のしれない『何か』を殺せると信じて。


 オレと化学は内側に大きな欠落を抱えていた。それゆえに、出会い、惹かれ合い、互いを求め、繋がり、一緒に死のうとした。


 その末路が、この有様だ。結局、オレ達はやりすぎたのだろう。結局、オレ達は馬鹿だったのだろう。こうやって、組織に見放される程度には。


「よう、不良中学生」


 煙の中に影が見えた。

 は、聞き覚えのある声でオレに話しかけてきた。影は煙の中で一瞬だけ大きく揺らめくと、見覚えのある姿になった。


「どうして兄さんがここにいるんだよ」


 なんだこれは。けれど、その戸惑いも一瞬。短い困惑の後に訪れたのは、自分でも驚くような冷めた感情だった。まったく、とんだ茶番もあったもんだ。


 今ならオレにも化学が恐れていたモノの正体が理解できる。そんな気がした。アイツが壊したかったモノ。アイツが殺したかったモノ。アイツの人生を影のようにつきまとったモノ。この世界の不条理さそのものを。


 が懐から何かを引き出す。拳銃だった。そんな、四次元ポケットじゃないんだから、都合のいい道具をホイホイ引き出さないでくれ。


「なぁ、教えてくれ。アンタがオレの死神なのか?」

「まぁ、そうなるのかね」


 引き金にかけた指が動く。乾いた発砲音が耳を打つ。それとほぼ同時。オレの右肩に熱が生まれた。


 銃弾の穿った穴から、トクトクと赤い命が溢れ出す。

 全身から力が抜け落ちる感覚。オレはその場によろよろと膝を着き、そのまま床に突っ伏した。


 オレは床に寝転がったまま、廃屋が燃え上がる様を黙って眺めている。目の前で繰り広げられる全ての光景が、スマホで観る動画のように感じられた。


 炎と煙、そして、また一つ、それほど離れていない場所で爆発音が響いた。世界中をドローン爆弾が飛び回っているようだった。


 老人が悲鳴を上げすすり泣く。誰かに命乞いをしている。あたりに音が満ちていた。ギャーギャーワーワードカンドカン。それぞれの音。それぞれの言葉。気がつくと廃屋はバベルの塔になっていた。


 オレは塔の頂上で磔になっていた。ここはバベルであると同時にゴルゴタの丘だった。オレは朦朧とした意識の中で、自分の魂が頭てっぺんから抜け出していく感覚を覚えた。鳥のように飛翔するオレの魂は、あらゆる世界の中で一番高い場所から、そこより低い場所で重なり合う無数の世界の姿を視る。


 平成が引き延ばされことなく終わり、二回目の東京五輪が実現した世界。


 七日前にオレと化学がショッピングモールで爆死した世界。


 父さんが交通事故で死なず、オレと化学の人生がついぞ交わることのなかった世界。


 繰り返されるテロの果てに、化学だけが生き残った世界。あるいは、オレだけが生き残った世界。そして、考え得るありとあらゆる世界。


 その全てがモザイク状に重なり合う複雑な模様として存在していた。それは、幾多の世界が織りなすタペストリーのようだった。


 なぁ、化学。

 オレは、今、どの世界のいるのかな。どの編み目の上に立っているのかな。そこに、お前はいるのかな。


「何をしているんだ。さっさと逃げるぞ、うすのろめ」


 懐かしい罵声が耳に届く。オレは力なく微笑みを浮かべる。化学の幻影が微動だにしないオレの手を取る。


 兄さんがニヤニヤ笑いを浮かべてオレのことを見つめている。

 火だるまになった老人が無様なダンスを踊っている。


 オレもダンスを踊っている。化学もつられて踊りだす。兄さんも一緒だ。吹き飛ばされた男達もいる。みんな踊っている。クルクルと輪になって互いの影を追いかける。誰も彼もがダンスに夢中だ。


 このダンスパーティーの主催者に貌はない。

 首から上は霧がかかったようにおぼろげで実像を結ぶことはない。決して、ない。それは最後まで曖昧なままだ。


「まったく、何だって俺達はこんなところでダンスに興じているんだ? どいつもこいつもアホばっかりだ」


 オレの手を取る共犯者パートナーの呆れ顔がひどく愛しく思えた。煙が目にしみて涙が止まらなかった。こんなに息苦しいのはステップが激しいからなのか。


 七日目。すべての世界のすべての炎がいっせいに爆ぜ、あらゆる赤がこの場所に殺到し、混ざり合い、蠢く影の群をまるごと呑み込んだ。


 消えゆく意識の中でオレは微笑む。

 

 ああ――。


「ここでも、会えたんだな」

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すべての世界のすべての炎 砂山鉄史 @sygntu

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