六日目

 相談の結果、逃避行は今日の深夜に決まった。

 化学によると、あの男達はやはり組織の関係者らしい。確かに目つきの鋭さが尋常じゃなかった。化学にショッピングモールで向けられた、人殺しみたいな目つきによく似ていた。まだ一週間も経っていないのに、あの日のことが随分と昔のように思えた。


「こんな時間にどうしたんだ?」


 電気の消えたリビングから兄さんの声が聞こえた。


「詳しい事情は説明できないけど、家を出ることにした」

「そうか」

「止めないの?」

「どうせ、止まらないんだろ?」

「うん」

「だったら、ここでお別れだ」

「うん。さようなら。母さんに謝っておいて。父さんは……もう、いいよね」


 オレはこの世でたった一人の兄弟に別れを告げた。

 リビングから安酒のタブを引く音が漏れてきた。あの人は本当に実在する人間なんだろうか? 不意にそんな考えが泡のように浮かんで、消えた。


 部屋のノートパソコンに書き置きを残した。多分、母さんが読んでくれるだろう。

 ツイッターにも何か投稿しておくか。友人の誰かが読んでくれることを期待して。


 オレと化学の断片をいろいろな場所に残しておこう。もしかすると、それらを結びつけて何かしらの意味を読み取ってくれる酔狂なやつが現れるかもしれない。

 もっとも、最初から意味なんてなかったのかもしれないけれど。


 約束した集合場所に着く。

 四つ辻の真ん中にあるコンビニの前だ。化学の姿が見えた。こんな日まで学ランを着ていた。そういえば、こいつはいつも先にきてオレのことを待っていてくれたな。


 いつも、か。小さくつぶやく。オレは何かを思い出しかけていた。


「さっさと行くぞ。もたもたしていたらヤツらに追いつかれる」

「なぁ、今更だけど、組織の追手なんて本当に存在するのか? そいつらも、組織の存在も、実は全部お前の妄想じゃないのか?」


 オレは自分の中で燻る疑問をぶつけてみた。

 化学はふんと鼻を鳴らして言った。


「だったら、オレがお前に観せた過去の爆破動画や、実際に会った協力者達の存在はどう説明する?」


 オレは何も言い返すことができなかった。確かにそれらのモノは実在していたからだ。


「……震えてるのか?」


 化学が心配するような表情で聞いてくる。


「化学は怖くないのか?」

「問題ない。全部ぶっ壊せば怖いモノなんてなくなる」


 そうだな。お前はそうゆうヤツだった。今も、昔も。今も、昔も……?


「オレは、オリンピックを爆破したかった! スタジアムを競技者を観客を……オレの作ったドローン爆弾で皆殺しにしてやりたかった!!」


 化学が大声で叫んだ。忍び寄る影を追い払うように。内なる恐怖をかき消すように。


「代替開催する国に高飛びするか? パスポートがないから密入国になるけど」

「お前にしては面白い提案だな。ちなみに俺はパスポートを持っている。もっとも、組織が用意した偽造パスポートだが」


 化学が小さく笑った。


「二度目の東京五輪は幻に終わり、平成もまだ続いている。この世界はどうしてこんなことになってしまったんだろうな」

「どこかでボタンをかけ違えたんだよ。きっと」


 化学の問いかけに、オレは答える。


「ここじゃないどこかでは、きっと平成は綺麗に終わって、東京五輪も開催されて、中途半端な成功経験をみんなで共有するんだろうな。そして、大きな負の遺産を背負って、経済的な成長もそこで止まる。そんなしみったれた世界を、オレのドローンで派手に吹き飛ばせたら、きっと爽快だろうな」

「化学は本当に破壊が好きだな。どうして、そんなふうになっちまったんだ」

「理由か。馬鹿なヤツほど理由や意味を求めたがるな。それを知ってどうするつもりだ? 理由があれば俺の破壊活動は肯定されるのか?」

「いや、無理だろ」

「分かっているなら聞くな。時間の無駄だ。まったく、徹幸はいつまでたってもアホだな」


 失礼なヤツめ。オレは肘で化学のことつつく。化学が笑いながらつつき返してくる。


 その時だ――。


 街灯の中に見覚えのある男達の姿が浮かび上がった。

 オレの家にやって来た自称・警官コンビだ。隣で化学が舌打ちをする。


 パン、乾いた音がした。太った中年男の手に何かが握られている。オレはそれを確認して我が目を疑った。

 男が手にしているのは拳銃だった。オレ達は発砲されたのだ。


 おいおい、日本は法治国家なんだぞ。

 しかし、この言葉に何の意味もないことはもう理解していた。何しろ、オレと化学はドローン爆弾を使って破壊の限りを尽くしてきたのだから。


 二回目の発砲音が聞こえた。化学が隣でうめき声を上げる。弾が命中したのだ。

 倒れかけた化学に肩を貸して、何とか逃げようとするが、後ろから撃たれたらそれで終わりだ。万事休すか……。オレがあきらめかけたとき、暗がりの向こうから男達に何かが飛んでいき……爆発した。その衝撃で倒れそうになったが、必死でこらえた。


 オレは爆弾の飛んできた方に目を向ける。闇の中から擦り切れた衣服を身にまとった老人が現れた。手にはスマホを持っている。彼がドローン爆弾で助けてくれたのだ。


 どこかで見たような風体だった。駅前で紙袋を渡してきた老人に似ているような気がした。この人はオレ達の敵じゃないのか……?


 老人が手招きする。誘いに乗るべきか。化学の息が苦しそうだ。休ませてやりたい。オレは誘いに乗ることにした。


 ★★★


 路地の裏に廃屋があった。老人がその中に入っていく。オレもそれに続く。男達は老人のドローン爆弾でバラバラに吹き飛んだ。組織は次の追っ手を差し向けてくるのだろうか? いや、その前に本物の警察を心配した方がいいか……。いっそ、これまでのことを洗いざらい打ち明けて保護を求めるべきなんだろうか。


 オレは廃屋の床に化学を寝かせた。顔色が悪い。脇腹に空いた穴から血が流れている。


「医者を……」

「必要ない。俺はここで死ぬ。本当は……本当は、もっと前に死ぬはずだった」

「……何だよ、それ」

「徹幸。よく聞け。俺は、お前と一緒に死ぬつもりだったんだ」


 ああ――。


 その言葉が最後のピースだった。その言葉をきっかけに、オレはようやく全てを思い出した。


 そうか。そうだったな。


 あの日。オレと化学は組織からの指示で、地元から離れた場所にあるショッピングモールに向かった。


 あれが、オレと化学にとって最後のテロになるはずだった。あそこで、一緒に死ぬ約束をしたから。それは、忘れちゃいけない大切な約束だった。オレがずっと思い出そうとして、思い出せずにいた『何か』だった。


 死ぬ理由は大したことじゃなかった。組織の歯車として生きるのに飽きたとか、二人で見上げた空がびっくりするぐらい綺麗だったからとか、そんなつまらない理由だ。


 死ぬ理由よりも、二人で死ねることの方が大事だった。


 だけど、それは失敗に終わった。

 ドローンに積む火薬の量の調整を間違えたのか、爆破のタイミングが悪かったのか、原因はもう分からないけど。


 爆破のショックで記憶の一部を失ったオレに化学が投げかけた「どうして死んでない」という言葉は、化学自身にも向けられた言葉でもあったのだ。


 記憶に綻びが生まれたとはいえ、化学との繋がりを心のどこかで憶えていた。

 だから、アイツのことを拒めなかった。本当は、人質なんて関係なかったんだ。


 化学が破壊の記録を送り続けてきたのも、オレのことを連れ回したのも、過去にやってきたことを思い出させるためだったのだろう。


 ツイッターをハックして相互フォローになったと化学は言ったが、何のことはない。もともと、そうだったというだけの話だ。アイツは嘘をついたのだ。多分、全てを理解したうえで様子をみることにしたのだろう。


 化学は、時々、昔からオレのことを知っているような素振りをみせていた。

 オレも、昔から化学のことを知っているような気分になることがあった。


 化学の言葉を思い出す。共犯関係が一番深い関係性だ、と。

 オレはずっとその関係性で化学と結ばれていたのだ。


「俺は、大きなモノを、壊したかった。オレたちを取り囲む、大きなモノを。実体の見えない、けれども、存在を感じる大きな、大きな何かを。それは、神様と呼ぶべきモノなのかもしれないし、悪魔と呼ぶべきモノなのかもしれない。オレたちの、言葉では、到底、言い表せないモノ、オレたちの認知を、遥かに、越えたモノ、俺は、それを殺したかった……」


 途切れ途切れに言葉を紡ぐ化学の表情は苦しげだった。


「そんなの、全部、お前の妄想だろ……」

「でも、組織も、協力者も、あの男達も、確かに存在する。存在するんだ。俺は、それが、恐ろしい……。結局、壊そうとしたモノに、それと気づかず、絡め取られていた……」


 化学が怯えている。何かの影に怯えている。


「俺は、恐ろしい」


 化学が震えている。

 オレは目の前で震える化学に何かをしてやりたくて、身体を強く抱きしめた。それでも体温はどんどん下がっていく。


「徹幸」

「なんだよ」

「さようなら」


 その言葉を最期に化学はぴくりとも動かなくなった。

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