第7話

「それにしても、竹中さん」かなえはわずかに眉を寄せた。「来るなら、来る、って前もって連絡してよ。いずれはこうするつもりだったからどうにかなったけど、お膳立てが必要でしょう。いきなりでは失敗することも考えられるわ」

「おれがうかつだった。気づいたら、川和田に声をかけられていた」

「でもまあ、済んだことだし、よしとしましょう」

 かなえは肩をすくめた。

「いや、気を抜いたら斉藤さいとうのようになっていたかもしれない。これ以降だって、油断は禁物じゃないのか? 何せ、相手は化け物――」

「そんな言い方はやめなさい」かなえは徹の言葉を遮った。「それこそ斉藤さんの二の舞になるわよ」

 とたんに背中に冷たいものを感じ、徹は周囲に目を走らせた。ここに至って舌禍を招くなど、あってはならない。

「そうだな、気をつけよう」

「ええ。斉藤さんは、不注意とはいえ、予備の神像を落として壊してしまった。片方の耳の先端を欠いただけなのに、たったそれだけで、神の怒りを買ったのよ」

「最初に忠告しておくべきだったんだ」徹は言った。「アメリカ先住民がン・カイの神の力を借りる際に使う呪物……未知なる力を秘めた神像だということを」

 自ら口にしたものの、「ン・カイ」という言葉が何を意味するのかはわからない。知らなくてよいのだ、とかなえには告げられている。無論、徹はその神に対する崇敬の念など持ち合わせていない。

「忠告したからって、信じてくれたかしらね」

 かなえは首を傾げた。

「そうだよな」頷いて、徹はかなえを見た。「おれだって最初は信じられなかった。それどころか、その神っていうのがどういった存在なんだか、未だにわからない」

「そうね、神がどういった存在なのかは、知らないほうがいい。だから竹中さんにも、あえて教えなかったのよ。ようちゃんだって知らなかったわ。恐ろしい神様だ、っていうことくらいしかね」

「だけど斉藤は、何も知らないまま……この神像が何に使われるかも知らないまま、車とともに木っ端微塵になった」

「こういった取引が禁止されている品を手に入れるには、斉藤さんのような、融通の利く輸入代行業者が必要だわ。しかも裏の世界に通じている業者だった。こんな人、なかなか見つからないわ。斉藤さんが竹中さんの大学時代の後輩だったというのは奇跡だったのよ。残念でたまらない。あたしもうかつだった」

 奇跡――というのは欺瞞に思えたが、いずれにしても、裏の世界に通じている後輩とはいえ結果的に死なせてしまったのだ。そんな罪悪感があるからこそ、徹は尋ねずにはいられない。

「また何か、こんな恐ろしいことをするつもりなのか?」

「どうかしら」かなえは笑みを浮かべた。「せっかくの技能だもの、使わなければもったいないじゃない?」

「君の不思議な力は、まあ、認めるけど……」

 自信に満ちた顔を見る限り、彼女の望みに歯止めをかけるのは無理なようだ。徹の復讐は、川和田から事情を聞きつけたかなえが持ちかけてきたものだが、今後もなんらかのはかりごとに誘われる、という可能性は否めない。

 こんな危険な女といつどこで知り合ったのか。出退勤の途中か散歩のときか、街中で彼女のほうから声をかけてきた――ような気がした。もっとも、記憶は定かでない。記憶が定かでないのは彼女の仕業である、とわかってはいるが、知り合った状況など、思い出しても意味がないばかりか、それを尋ねれば彼女の機嫌を損ねる恐れがある。無論、彼女とはもうかかわりたくない――かかわりたくないのだが、逃げきれないのは承知している。彼女の次なる企てがあったとして、誘われた場合は引き受けざるをえないだろう。

「それにしても」かなえはわずかに目を細めた。「竹中さんは吹っ切れたのかしら? 元の奥さんのこと」

「二度目の儀式というか……裕美を供物にしたことをおれに報告してくれたあのときの村井さんは、珍しく動揺していたもんな」

 とはいえ、一度目の儀式の成功を報告したときのかなえは、意気揚々としていた。供物とされたのはかなえの店に一人で飲みに来ていたサラリーマンらしき三十歳前後の男ということだったが、そんな彼にかなえは哀れみのかけらさえ抱かなかった様子だった。

「当然でしょう。裕美さんは竹中さんの奥さんだった人なのよ。それにこのあたしとは、同じ横丁で働く間柄でもあった。いくら川和田さんに逆らえなかったとはいえ、自責の念にかられたわ」

 加えて、かなえの愛人の妻でもあったのだ。はたして自責の念にかられるものなのか、訝しいばかりである。ゆえに徹にとってのかなえは、「魔女」なのだ。

「もう吹っ切れたよ。気にしないでくれ」

 偽りである。川和田と行き会うことはあっても裕美と顔を合わせたことは、別れてから一度もなかった。一度でも話ができたなら、未練は断ち切れたかもしれない。

「わかったわ」

 答えたかなえは、祠のほうへと歩き出した。そして祠の前で立ち止まると、観音開きの格子扉に両手をかけた。

「何が始まるんだ?」と尋ねつつ、徹も祠の前へと向かった。

「もうこの儀式はやらないから、神像をうちに持って帰るのよ。こんなところに置きっぱなしにしていたら、誰に何をされるかわからないもの。儀式をすることになってから、自分たちに不都合だという理由で、横丁の防犯カメラはようちゃんと二人でわざと壊したのよ。それを直す費用なんて捻出できないし。もう関係者はあたしだけだから、物騒と言えば物騒なのよね」

 そう告げ、かなえは観音扉を左右に開いた。

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