第6話

「やっぱり図ったんだな。おまえまさか、竹中とグルなのか?」

 などと川和田が悪態をつく間に、巨大な二つの手は液体のごとく溶け合い、一つの巨大な膜へと変じた。

「おい、かなえ、答えろよ」川和田の声は泣き声に近くなっていた。「おれがおまえに何をしたっていうんだ」

「これまでに捧げられた人たちだって、あたしに何もしていなかった。ようちゃん、あなたにもね」

 かなえは答えた。

「そうじゃなくて、なんでおれを供物にするのか、それを訊いているんだ」

 じれったそうに口を引きつらせ、川和田はかなえを睨んだ。もっとも、睨む目には涙が浮かんでいる。

「もうこんなことは終わりにしたかったからよ」

「まだ横丁の活気は戻っていないんだぞ。一時はよくなったけど、結局、以前よりも悪くなってしまったじゃないか。供物が……生け贄が足りないんだよ。だからまだ続けないと……」

「気づかないの?」

「え――」

 全身を拘束されたまま、川和田は呆けたように声を切った。

「一時の活気がなくなってしまったあのときから、あたしたちの供物は拒否されているのよ。それなのに、もうやめよう、と言ったあたしを、あなたはお金で引き止めた。あたしが借金の返済で困窮しているのを知って、半ば強引に引き止めたのよね」

「でも最初に誘ったのは、おまえのほうだろう。神様の力を借りてこの横丁に活気を取り戻そう……そう言ったのはおまえだぞ。そして実際にうまくいった」

「効果がでなくなった時点でやめるべきだったの。おかげで神の使いを居着かせることになったわ。下水のような悪臭は常にあるし、昼間の光も乏しくなった。加えて横丁のお客の何人かを供物にしたものだから、ダイコク横丁に行くと神隠しに遭う、なんて噂を立てられた。これではお客なんて寄りつかなくなるわ。借金の残りの返済は自分でどうにかする。あなたからいただいたお小遣いも有効に使わせていただくけどね」

 かなえの言葉は嘲笑を含蓄するものだったが、その表情は憤怒を呈していた。

「ずるいぞ」

 涙目の川和田も怒りをあらわにした。

「これで、横丁で営業を続けるのはうちだけになるわ。活気は戻らないかもしれないけど、ライバルはいなくなる。さあ、最後の供物を、神様に受け取ってもらいましょう」

 そしてようやく、かなえはうっすらと笑みを浮かべた。

「お客が減ってはまずいからって、客足が再び遠のいたときから、横丁の関係者を供物にしたんだ。おまえも賛成してくれたよな。おれはおまえを信じたからこそ、おまえとだけはこの先もずっと一緒にやっていくつもりだったんだ。裕美を供物に出したのも、おまえに対しての気持ちの表れだったんだ」

「はた迷惑ね。裕美さんや鈴菜ちゃんまで供物にするなんて、そこまでするとは思わなかったわ」

 呆れたように、かなえは肩をすくめた。

「あのときだって、儀式を執りおこなったのはおまえだったじゃないか。おまえはおれと一緒になりたかったはずだ。裕美と鈴菜を供物にしたのは、当然の成り行きだったんだ」

「貴様らしいな」

 思わず言葉にしてから、徹は自分の口に力が戻っていることを知った。

 川和田が徹を見下ろした。

「竹中」

「おまえはおれから裕美を奪った」川和田を見上げながら、徹は言った。「結婚して間もない新妻だ。おまえはそれを寝取ったんだ」

「裕美にもその気があったということじゃないか。あのときのおまえはな、結婚したばかりで妻に愛想を尽かされたんだ」

 いまいましそうに川和田は返した。

「ああ、そうだろうとも。裕美にはすまないと思ったよ。川和田のようなどうしようもないクソ野郎の妻にさせてしまってな」

 これを言いたかったのだ。これを川和田に聞かせたのだから、もう悔いはない。とはいえ、徹が裕美に裏切られたのも事実である。裕美に対する罪の意識は複雑だ。川和田の意向で裕美を二人目の供物として捧げた、と打ち明けたかなえに、徹は言葉を返せなかったのだ。

「竹中あああ!」

 川和田が叫んだ直後に、漆黒の膜が彼の頭部を覆った。

 黒い何か――神の使いは、身を低くすると先ほどと同じように次々と腕を伸ばしては吸収しつつ、祠のほうへと這っていった。その背部の膨らみが小刻みに震えるのは、供物のあらがいに相違ない。

 正面に目を向けると、どす黒い闇が広がっており、祠は一部さえ窺えなかった。黒い霧のようでもあるその闇に、まるで同化するかのごとく、神の使いが入ってしまう。そして砂浜で波が引くかのごとく、闇が素早く後退した。

 沈黙する祠がそこに残った。

 悪臭も残っているが、ずいぶんと弱くなっていた。

 静寂を背に、かなえが徹を見下ろす。

「終わったわ」

「ああ」

 答えた徹は、手足に感覚が戻っていることを確かめると、おもむろに立ち上がった。

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