第2話 仕合②


 薄暗い牢獄。

 そこにはいくつかの牢屋があり、僕とスミスはその中の一つに収まっていた。

 中には錆び付いた二段ベッド、簡易トイレのみ。

 

 そして何故か排水溝がこの牢にだけあるので、夜中にはドブネズミの通り道として勝手に有効活用されている。


 不便この上ない設計だが、慣れというのは恐ろしい。

 目覚めて数日経った今、既に快適に思い始めていた。


 「お前は勇者だった。それは間違いない」


 牢屋にスミスの声が響く。

 それは僕が目覚めてから再三言われ続けていた事だ。

 

 「ふーん。そんな勇者様がどうしてこんなばっちい所で寝っ転がってると思う?」

 「それは、お前も不衛生だから」


 スミスだってその汚い床に座ってるくせに。

 僕は不貞腐れてそっぽを向こうとしたが、彼に頭を掴まれる。


 「まあ聞けよ。俺はここに捕まる前、お前の顔を見たことがある。そん時には立派に勇者をやってたよ」


 彼の語った勇者の冒険譚の数々。

 それは僕を熱狂させるには十分だった。

 だが記憶喪失で全く身に覚えがない僕としては、そう簡単には信じられない。


 ここで気が付いた。

 そう言えばスミスがしきりに勇者だの何だのと言い出したのは、僕の仕合が決まった日からだった事に。


 彼なりに勇気づけているのだ。

 その想いを無下にするのは幾ら何でも忍びない。

 僕は自身の振る舞いを少しだけ恥じた。


 スミスの浅黒い顔を汚い地面から見上げ、認めた。


 「……分かったよ、スミスを信じる。もしそうなら、僕にも戦える。そして勝てる。そうだよね!」

 「ああ、お前なら出来るさ。今は何も覚えてなくても、戦いの中で何か思い出すかもだしな!」

 「何それ、凄い熱い!」


 これは昨夜の記憶。

 今もスミスは暗い牢獄で心配してるのだろう。

 

 ごめん、スミス。

 やっぱり僕は勇者じゃないよ。

 

 大層な魔法も、能力も、そんなものなかったんだ。



 僕の体は、闘技場の分厚い壁に叩きつけられていた。

 

 仕合開始の鐘が鳴った直後、ローグの戦斧による一撃が脇腹を穿った。


 その人間離れした膂力は、僕の体を軽々と吹き飛ばし、壁面に激突させたのだ。

 僕はそのままゆるりと崩れ落ち、地面に額を擦り付けた。


 「なんだぁ? もう終わりじゃないよなぁ!?」

 「えほっ……!」


 腹から咳き込むと、口から血が溢れた。

 斬られてはいない。


 ローグの初撃は戦斧の柄による打撃。

 その気になれば僕を両断できたはず。


 遊ばれている事は、彼の薄ら笑いを見ればすぐ分かった。

 

 だが、この威力。

 果たして戦いになるだろうか?


 目前に迫る死の足音を、僕はハッキリと自覚した。


 「立てよ。こんなので終わっちまったら観客がガッカリするだろうが。立てよ……立てよ、オラ!!」

 

 這いつくばる僕の脇腹に蹴りが入る。

 そして横転しながら苦悶の声を上げた。


 このまま殺される。間違いない。


 こういう時、走馬灯ってのは過去の記憶が観れるらしいが。

 そこはほら、記憶喪失。


 残念ながら脳裏に浮かぶのはスミスの顔ばかりだ。


 「……むさ苦しいったら、ないね……全く……」


 地面を握り締める。


 思い出した。

 牢を出る時にもらった、彼の激励を。



 ーーパン!


 「痛!」


 僕の背中にスミスの手。

 思いきり叩かれたその場所から、じわじわと熱さを感じる。


 「勝ってこい! そんで、またここに帰ってこい! 俺は待っててやるからな!」

 「スミス……」


 牢屋の扉が開かれている。

 

 仕合前日、緊張で一睡も出来なかった僕は、一晩中スミスと話していた。

 彼は文句も言わず、付き合ってくれた。


 意識を取り戻してからの数週間。彼と笑い合った日々は、楽しい物ばかりではなかった。


 スミスも僕と同じ奴隷剣闘士。

 傷だらけで牢屋に帰ってきた事もあった。


 負傷の痛みで眠れない彼と、朝まで語り合うなんて事はよくあった。

 それこそ、僕の空いた記憶の穴なんて埋まりきってしまう程、沢山の話を聞いた。


 彼が同房だった事は、幸運な事だと思う。


 だからこそ、今度は僕が語らなくては。

 語るものはまだ少ないけれど、これから増やしていけば良い。

 

 「勝てないかもだけど、必ず帰ってくるよ!」

 「おう! 俺は寝ながら待ってるさ!」


 ◇

 砂塵舞う闘技場。


 スミスに叩かれた背中が、熱を帯びる。

 

 そして僕は、折れそうな心を奮い起こした。

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