06「半端なヴァンパイア」

 ロータローは生で初めて聞いた発砲音に腰を抜かした。その拍子に抱えていた荷物を落としてしまうが、そんなことに気を回す余裕はない。


「うあああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 その場で転がりながら悲痛な叫び声を上げる。


「ひいいいいい、クッソ! 撃たれた! ヤベエ! せっかく助かったばかりだっていうのに、こんな所で死ぬなんて嫌だあああああああああああっ!」


「落ち着きなよ新人君。ワンダ-のおかげで、弾丸はひとつたりとも君に届いていないだろ」


「え」


 ツールの冷静な指摘を受け、悲鳴をピタリと止める。そう言えば、体のどこにも痛みはないし、弾痕と思しき傷も見られなかった。

 ああそうだ、とロータローは気付く。直前にワンダーが自分を庇う位置に立つように動いていたんだった。あの行動はこの事態を予見してのことだったのか。


「そうだったのか……すまねえ」


「まったく、世話が焼けるぜ」


 やれやれと溜息を吐くワンダー。……いや、待てよ? 

 ということは、自分を庇ったワンダー、そしてツール、スリル、フォークロアたちはモロに銃弾を浴びたはずなのでは……?

 慌てて顔を上げる。そこには彼ら四人が何も変わらぬ様子で立っていた。損害らしい損害といえば、抱えていた荷物の一部が銃弾でダメになっていることくらいである。

 弾丸を受けても平気な彼らの姿を見て、メェケンは怪訝な面持をしていたが、やがて納得がいったらしく、手を打った。


「ああ、そういえば『彷徨えるシットローズ号』はゾンビやゴーストといったアンデッドで構成されている幽霊船だったっけエ?」


「その通り!」


 ワンダーの声に合わせて、四人はローブをもう不要とばかりに勢いよく脱ぎ捨てた。死に浸りきった悍ましい肉体が露わになった。

 ワンダーたちの正体を目撃したメェケンは、目を細めて舌を突き出し、


「うっげえ。気ぃ~持ち悪い顔!」


 と言って、げろげろーと吐く真似をした。ロータローは彼女と出会ってまだ数分も経ってないが、道化じみたふざけた言動が目立つ女だという印象を抱きつつあった。


「とはいえ、なるほどなるほどなるほど。アンデッドなら、銃弾を何発か食らったくらいじゃ倒れないよね」


「分かったなら、さっさと道を開けな。俺たち相手にドンパチ起こしても、時間と弾の無」 「銃弾は効かない。それは分かったよん。で、も、さア~……」


 ワンダーの強気な口調を遮るように、メェケンは不愉快な声を奏でる。

 彼女は己の眼前で両手の指をくっつけるポーズを取り、台詞を続けた。 


使ならどうだろうね?」


 瞬間、メェケンの体から発せられていた刃の如き気迫が鋭さを増す。元々ロータローの中で高かった彼女の危険度が、更に数段上昇した。

 なんだこれは? 

 メェケンは『天使の力』と言ったが、まさにその形容が相応しい力だ。

 人間の身では絶対に手が届かない何かが目の前に存在していることを、本能的な部分で強制的に理解させられる。ロータローは熱心な宗教家ではないが、今この場で『神や天使は存在するか』と問われたら、迷わず首を縦に振ってしまいそうだ。次元の違う力がそこにはあった。

 メェケンの背後に控える憲兵たちも、ロータローと同じような恐れを抱いているのか、ざわめきが広がっていた。


「出るぞ……大佐殿が契約を結んだ『躰天使グーフエル』の寵愛が!」


 ある者は力の予兆に体を震わせ。


「こっ、こんな町中で使用するつもりなのですか⁉」


 ある者は正気を疑うように問いかける。


 彼ら全員に一致していることがあるとすれば、ひとり残らずメェケンの動向を見つめることしかできていないことである。それはメェケンというたったひとりの女が銃を装備した軍団よりも遥かに上の武力を保有していることを、これ以上なく雄弁に物語っていた。


躰天使グーフエルだって? オイオイ、マズいな……ここは逃げるぞ!」


 ワンダーは慌てた様子で撤退の号令をかけた。それを切欠に、買い出し班は一斉にメェケンとは逆方向の道に走り出す。

 ロータローは慌ててワンダー達の後に続こうとした。……が、不幸なことに、先ほど腰を抜かした拍子に辺りに転がしていた荷物の内のひとつである酒瓶に足を取られ、ずるっとバランスを崩してしまう。

 異世界に来て二度目の転倒だった。


「嘘だろ⁉ よりにもよってこのタイミングで⁉ 最悪だーっ!」


「「「「なにやってんだーっ!」」」」


 前方を走るワンダー達が心配する声も虚しく、ロータローの崩れたバランスは、最早自力で元に戻せる段階を通り過ぎていた。

 そのまま後方に倒れるかと思われたが、直前で何者かが背後から受け止めた。その衝撃で喉奥から「ぐえ」と音が鳴る。

 視線を上げる。転びかけたロータローを支えてくれたのは、否、捕まえたのは、銀髪の麗人、メェケンだった。


「ひっ!」


「礼の言葉なんていらないよオ。代わりにいい破裂音を響かせて頂戴。そういえば、見た所アンデッドでもない普通の人間っぽいオマエがどうして『彷徨えるシットローズ号』の一員になっているのかについては、ちょぉ~っとだけ気にならなくもないけど……まあいっか。どうせ殺すし」


 瞬間、メェケンの手からロータローの体に何かが流れ込む。

 荒れ狂う台風のようなエネルギーを感じさせるそれは、ロータローの体内で暴れ回り。

 それまで秩序立って機能していた組織を、器官を、臓器を渾沌とさせ。

 中肉中背だったはずの肉体は、見る見るうちに空気を送り込んだ風船のように膨らんで行き。

 そして、最終的に。 


「んじゃ、バイバーイ!」


 メェケンのふざけた別れの挨拶と同時に。

 ロータローの体は木っ端微塵に弾け飛んだ。

















 ………が、次の瞬間には綺麗さっぱり元通りになっていた。


「「「「「「え?」」」」」」


 その場にいた全員が異口同音に困惑を表現する。

 弾け飛んだ張本人であるロータローですら、今しがた自分の身に起きた現象を理解できていない。

 中でも一番激しく困惑しているのはメェケンである。


「グーフエルの寵愛が無効化された? ……いや、ほんの一瞬ではあったけど、たしかにこいつは吹き飛んだはずだよね? なのに、どうして……」


「なにがなんだかさっぱり分からねえけど、はっきり言って今がチャンス!」


 メェケンの狼狽の隙をついて逃げ出そうとしたロータローだったが、あともう少しの所で再度首根っこを掴まれた。


「ぐえ!」


「いいや、そんなはずはナイナイ! 今のは多分、見間違いだよね。もう一回爆散させてみよう」


 そう言って先ほどの再現を行おうとするメェケン。

 そんな彼女の顔面目掛けて、いつの間にかロータローたちの傍にまで戻ってきていた買い出し班四人の攻撃が放たれた。

 己の力を否定されたショックで注意が散漫になっていたメェケンは防御も出来ず、四つの攻撃をモロに受けてしまい、その衝撃で後ろに飛んで行った。


「ったく、俺は何回おまえを助けりゃいいんだよ、新入りよぉ……今の内に逃げるぞ!」


「お、おうっ!」


 情けない気持ちで一杯になりながら、メェケンが倒れている間に走り出した。

 それにしても、さっき自分の身に起きた現象は何だったのだろうか、とロータローは疑問に思う。

 まさかこれこそが自分が異世界転移の特典で手にした特殊能力だったりするのだろうか? ただ死がキャンセルされるだけなんて、あまり強そうには思えないが……いや、初めて発動したタイミングが死んだ瞬間だっただけで、能力の本領は範囲が自分限定の時間逆行だった、という可能性もありえるかも。


「名前を付けるなら『計時砂ノックアップ・サンド』か? 決め台詞は『そして時は巻き戻る』とかどうだろう」


「さっきの出来事がショックで、まだ頭の中が整理できていないのは分かるけどさ、新入り君。走りながら喋ると舌を噛むぜ」ツールのツッコミが入る。


「オマエらぁぁあああーっ!」


 背後から怒鳴り声がした。恐る恐る背後に目を向けると、端正な顔から鼻血を垂らしたメェケンがふらふらとした足取りで立ち上がりつつあった。

 さっきまでのおちゃらけた雰囲気は何処に行ったのやら。今となっては鬼の形相を浮かべて、こちらを睨みつけている。


「よくも! よくも私の力を否定したな! それどころか私の美貌に傷をつけやがって! 許さない! 絶ぇ~っ対に殺してやる! ぶっ殺してやる!」


 どうやらメェケンのメインターゲットは自分たちになってしまったらしい。恐怖心から走る速度が上がる。

 ロータローたちが走る先には、島の南の森が広がっていた。


 ◆


「新入り君が死ななかった、というより、死んでから復活したのは、キロリッターの姉さんの影響があるんじゃないかな」


 ツールがそう言ったのは、森に逃げ込んだ後のことだった。

 辺りを見渡せばロータローが住んでいた日本でもよく見られたタイプの木々が所狭しと並んでおり、時折吹く風がそれらの枝葉を揺らしている。追手から隠れるには都合のいいフィールドだ。

 

「キロリッターのおかげ?」


 ロータローは素っ頓狂な声を上げる。自分の命を救ってくれたのがあの憎たらしい美少女であることを信じられないようだ。


「オイオイ、冗談はよせよ。キロリッターが俺にどんな影響を与えたって言うんだ。アイツが俺にやったことなんて、アホみたいに血を吸ったくらいだぜ? そう。吸血鬼が、人間の、血を……」


 瞬間、ロータローは思い出す。

『吸血鬼に血を吸われた人間も吸血鬼になる』という伝説を。


「同族を増やすための吸血ってより、完全に餌扱いの吸血だったから、今の今まで全然考えていなかった……いや、でもさ? ひょっとしたら、さっきの復活は俺が何かの拍子に目覚めた、吸血鬼とは全然関係ないスーパーパワーだったって可能性もあるんじゃ……?」


「自分では気づいてないのかもしれないけどさ。よく見たらあんた、牙が生えてるじゃん」


「わっ、確かに! キロリッターさんみたい!」


 フォークロアとスリルの指摘を受け、ロータローはすぐさま自分の口内に指を突っ込んだ。指先が何か鋭いものに触れる。それは人間離れした牙だった。こんなものは前まで生えていなかったはずだ。


「で、でもさあ、でもでも」 なおも必死で否定材料を探そうとするロータロー。 「俺が吸血鬼になっているなら、こうして太陽の下を歩いているのっておかしくねえか? 吸血鬼の弱点といえば日光だろ?」


 思い返せば、キロリッターだって部屋に日光が入ってこないようにカーテンを閉め切っていたのだ。つまり、ロータローが言った吸血鬼の弱点は、この世界でも変わらないはずである。

 どころか、何故か太陽が二個も浮いているこの世界では、吸血鬼が受ける日光ダメージもきっと地球の二倍になることだろう。


「それについては……多分、新入り君が完璧な吸血鬼になってないからじゃないかな」


「未熟な吸血鬼が肉体を爆発四散させられた状態から一瞬で復活できるのかよ」


「キロリッターの姉さんほどの吸血鬼に血を吸われたのなら、未熟な吸血鬼でもあのくらいの不死性があっておかしくないさ」


 ツールがそう言うと、他の三人が同意するように頷いた。彼らの中のキロリッターはどれだけ化物じみているのだろう。

 とはいえ、なるほど。こうして考えてみると、思い当たる節がないわけではない。

 

『なに言ってんの。首の吸血痕はとっくに塞がってるし、血を吸われてから大分時間が経ってるはずでしょ』


 この島に強制的に上陸させられる前にフォークロアから言われたことを思い出す。

 彼女が指摘した通り、あの時点でロータローの首の傷は完治していた。吸われたのは昨晩なのに、随分と早すぎる気がする。今思えば、アレはだんだんと吸血鬼に近づきつつある体が見せた、人外の治癒力だったのかもしれない。

 こうしてロータローは自分が吸血鬼になったことを受け入れざるを得なくなった。時間逆行の異能『計時砂ノックアップ・サンド』は黒歴史として心の奥底に仕舞っておこう。


「もともと社会的に半端者の引きこもりだったけど、まさか人間としても半端な存在になっちまうとはな。まあ、そのおかげでさっきは死なずにすんだんだけど」


 なんだか、キロリッターには借りばかり作っている気がする。

 とはいえ、自分でも気付かぬ間に化物にされていたことには腹が立つので、後で一言文句を言ってやろう、と決意を固めるロータローだった……そのためにも。

 そのためにも、だ。

 メェケンから追われているという状況をなんとかして、船に戻らなくてはならない。

 さっきの怒りぶりから考えるに、メェケンはまずロータローたちを先に潰そうとするだろう。触れるだけで人ひとりを粉々に吹き飛ばす力を宿した手によって。

 たしか、他の憲兵が『躰天使グーフエル』の寵愛と言ってたか?

 その脅威は、先ほどロータローが身をもって体験したばかりだ。


「やっぱアンデッドでも、さっきの俺みたいに体を粉々にされたらマズいのか?」


不死アンデッドと言っても、僕たちみたいなゾンビやスケルトンは死体に魂を定着させているだけだからね。吸血鬼ヴァンパイアみたいな再生能力までは身につけていない。だから銃撃や刺突みたいに普通の人間なら致命傷になる程度の傷なら、そのまま放っておいても平気だけど、たとえば爆弾とかで死体そのものを木っ端微塵に吹き飛ばされたら、そのまま御陀仏になっちゃうのさ。だから、躰天使グーフエル、肉体を司る天使の力で粉々にされるのは非常にマズい」


「なるほど、そういやゾンビ映画でも爆弾でまとめて吹っ飛ばすってのは、よくある対処法だよな」


「ゾンビえーが? というのはよく分からないけど、メェケンの力がアンデッドにとってどれだけの脅威になるかは理解してもらえたようだね」


 ツールは「というわけで」と話を続けた。


「このままメェケンを『シットローズ号』に近づけないでおきたい。いくら戦闘班がいるからって、あんな力を持つ奴が『シットローズ号』と接触すれば、被害がゼロで済むはずがないからね」


 とはいえ、このまま自分たちが囮になり続ければ、こちらに待ち受けているのはどん詰まりだ。

 森を迂回して港を目指し、メェケンと接触しないまま船に戻るという手があるかもしれないが、この島の地理において、ロータローと海上憲兵たちでは向こうの方に軍配が上がるため、現実的な策とは言い難い。


 向こうのカードである多数の軍人と天使の力に比べて、こちらのカードは貧弱だ。

 アンデッド四人と、吸血鬼もどきがひとり。

 このままカチ合えば、アンデッドたちは躰天使グーフエルの力で風船のように破裂させられて肉体を失い、ちょっと死ににくいだけでそれ以外は引きこもり性能な吸血鬼もどきは大した抵抗も出来ないまま取り押さえられてしまうだろう。

 「せめて武器のようなものがあればいいんだが」と考えて、ロータローはワンダーたちの装備を見る。

 ただの買い出し班が戦闘を想定した物騒な格好なんてしているはずもなく、彼らの手元にあるのは、買い出しで得た荷物だけだった。

 酒瓶あたりを鈍器として扱えば、戦えなくもないのか? 全然役に立たなそうだ。振りかぶった段階で憲兵の銃弾で酒瓶を粉々に砕かれて、手ぶらになった所をメェケンに粉々にされてしまう……と、そこまで考えて。

 

「あれ?」


 その時、ロータローは思いついた。

 思いついてしまった。

 この状況を打破できるかもしれない策を。

 しかし、それは躊躇われる作戦である。

 それに仮に実行できたところで、成功するとは限らないのだ。

 だが他に手があるわけでもない。


 ……。


 …………。


 ……………………。


 たっぷり悩んだ後、ロータローは苦々しい口調で言った。


「俺ならメェケンを倒せるかもしれねえ」

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ゴーゴーストーリー 女良 息子 @Son_of_Kanade

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