05「銃声」

「見えてきた。どうやら店はまだ健在らしいじゃん」


 フォークロアが示す先には、古ぼけた木造の建物があった。

 店先に看板が下がっており、店名を示すのであろう名前が大きな文字で書かれているが、異世界語に疎いロータローにはそれが何なのか理解できない。しかし、店先に並ぶ瓶や樽から漂うアルコールの香りを嗅げば、そこが酒屋であることはたちまちの内に分かった。店の裏手に目を向けると、別の建物と繋がっており、そこから更に強い酒の匂いがする。工房か何かだろうか。


「ここの酒は格別に美味いんだ。飲めばお前も虜になること間違いなしよ」


「未成年に飲酒を勧めんなよ……いや、この世界にそんな法律はないだろうし、飲んでも大丈夫なのか?」


 酒って苦いイメージがあるけど口に合うのかね。

 そんなことを考えながら、ワンダーたちの後に続いて店内に這入ろうとしたロータローの腕を、背後から何者かが掴んだ。


「あれ? 店に這入るのは俺が一番最後の筈じゃ……」


 見ると、そこには見知らぬ男が居た。

 年齢は三十代後半くらいだろうか。頬はこけて、目には隈がくっきりと刻まれている。身長が高い割に肉は少ないため、冬の枯れ木みたいな外見だ。医者や研究者が着る白衣のような服装も、そのような体つきで着ていれば、着ているというよりも体にたまたま引っかかっているようにしか見えない。

 不健康や不吉という概念が人の形を取ったみたいな男だ。


「あの、ええと、なにか用すか?」


「あなた、混ざりものの臭いがしますなア」


「はい?」


 混ざりもの?

 どういうことだ。

 ロータローはハーフでもなければ、クォーターでもない。日本人の父と日本人の母から生まれた典型的な日本人だ。もしかしたら自分でも知らない出生の秘密があるという可能性はあるかもしれないが、両親の特徴をしっかり受け継いだ自分の顔を思い出す限りでは、そのような昼ドラめいたドロドロな秘密がある可能性は限りなくゼロに近い。

 ロータローが困惑してる間に、枯れ木の男は顔を近づけて、臭いを嗅いだ。


「クンクン……これは何の匂いですかな。あなたという人間がことまでは分かるのですが、具体的にそれが何かというと……なぜか懐かしさを感じますな? こんな酒気が濃い場所ではなく、別の場所で嗅げば、もっとはっきりと分かるかもしれませぬ」


 男はそう言うと、ロータローの腕をグイと引っ張り、どこかに連れ去ろうとした。思いのほか力が強い。今にも自重で折れそうなくらいに頼りない細さをしているというのに、何処にそんな力があるというのだろう。


「ちょ、え、なんて⁉ もしかしてこれ誘拐⁉ こうやって連れ去られたら、行き先は人身売買のオークション会場でしたってオチか⁉ ぎゃー!」


「ウチの新入りに何してんだ!」


 悲鳴を聞きつけたのか、それとも中々店に這入ってこないことを不審に思って戻って来たのかは分からないが、ワンダーが怒鳴り声を上げながら割り込んできた。

 彼の悍ましい風貌はローブで隠れているが、その語気だけで並のチンピラならビビって逃げ出しそうな気迫がある。


「ああ、そう言えばお連れの方がおられたのですな。いやあ、すみませぬ。つい学術的興味が暴走してしまいましてな」


 だが、怒鳴られた方である枯れ木の男に臆する様子は微塵もなく、先ほどと変わらない態度を見せていた。


「わたくし、なにもこの少年に危害を加えるつもりはこれっぽっちもありませぬ。ただ、彼から香る何か別のものの臭いが気になっただけでしてな。ひょっとすればわたくしの研究に役立つかもしれないので」


「多分そりゃアンデッドの臭いさ。こいつは色々あって、アンデッドと身近な生活をしているからな。臭いが体に染みついてんだよ」


「おや、そうなのですかな」


「あー、それか!」


 ワンダーの説明を聞いて、ロータローも成程と納得した。

 しかし枯れ木の男は完全には納得がいっていないらしく、「しかしこの臭いは」「それとは違う気も」とブツブツと呟いていたが、やがて観念したらしく、ロータローから手を離した。


「残念ですが、この少年の臭いの正体について、私自身が明確な答えを持っていない以上、ここは諦めるしかないでしょうな。それに……」


 枯れ木の男はそこで、視線を動かした。

 その先には海上憲兵の基地がある。


「今この場で荒事を起こすと、何かと面倒なことになりそうですしな。仕方ありませぬ。ここは退くとしましょうかな」


 そう言って去って行った。

 彼の姿が町の群衆に紛れて見えなくなった所で、ようやくロータローの体から緊張が抜ける。


「び、びっくりしたぁ~……」


「ったく、困るぜ新入りよぉ。あんなヒョロヒョロした野郎に連れて行かれたとあっちゃ、笑い話にもならねえぞ」


「ごめんごめん。これからは気を付けるって……」


 詫びながら、ワンダーと一緒に店内に這入る。

 店先の様子から分かっていたが、結構な数の酒が並んでいた。

 ロータローには酒の味も価値も分からないが、酒豪がこの光景を見れば、涎を垂らして大喜びするだろう。

 店内には先に行ったツールとスリルとフォークロアが待っており、更にもうひとりの姿も見られた。この店の店主だ。

 『彷徨えるシットローズ号』がこの島に着くといつも使っている店、という評判から薄々察してはいたが、店主はワンダー達がアンデッドだということを理解しているらしく、その上で普通の人間を相手にするような態度で接客している。商人の鑑だ。労働から最も遠い位置に立つ引きこもりのロータローには眩しい存在である。

 買い物の交渉をしているワンダーたちを横目で見つつ、荷物運びの仕事が未だに来ないロータローは酒瓶が並ぶ棚の前に立った。


「それにしても、なんだよあの枯れ木野郎。俺の臭いがどうこうって……そんなに匂うのか?」


 幽霊船で暮らしてたからそんなに気にしなかったが、ゾンビは腐敗で臭いが凄そうだ。案外、自分では気づいていないだけで、今のロータローは結構匂うのかもしれない。船の上では、現代日本のようなバスタブ風呂に入る機会は全くなかったし。


「………うわあ、マジかよ」


 ひょっとしたら、昨晩キロリッターから吸血された時に『こいつクサッ!』と思われていたかもしれない。そう考えると、ロータローの中の紳士的な部分がアラートを鳴らした。


「この島に銭湯ってあるのかね。あったとしても入れるかどうかはわからねえけど」


 酒の入ったガラス瓶が、ロータローの不安げな表情を反射していた。



 その後も何軒か買い物に回って分かったことだが、どうやらこの島全体に漂う陰鬱な空気の理由のひとつとして、海上憲兵の存在があるらしい。

 住民たちははっきりとした明言を避けていたが、話題が海上憲兵のことになると誰もが元から良くなかった顔色を更に曇らせていた。

 ようやく事情を話してくれたのは、保存食を買うために寄った店の主人だった。

 彼は周囲に声が漏れないようにこっそりと、いかにも『ここだけの話ですよ』といった感じで、


「あの基地は数年前に森の一部を切り拓いて作られたものなんですが、そこに着任した大佐が酷い人でしてね。我々に高い税を要求してきたんですよ」


「なんじゃそりゃ。海上憲兵ってのは、そんなめちゃくちゃな組織だったわけ?」


 呆れたような声で言うフォークロア。


「もちろん、最初は島民が総出で反対しましたよ。しかし、大佐のを目にした途端、士気が弱まってしまいまして……。それからはもう、恐怖の毎日です。税を納められなかった者が、あるいは反逆を企てていたものが、あるいは何もしていなかったはずの者まで、ある日急にいなくなっているのですから。おそらく基地に連れ去られたのでしょう」


 びっくりするぐらいの独裁政治だ。横で話を聞いていたロータローは驚いた。

 店主は「それに」と話を続けた。


「最近は南の森でゴブリンが大量発生しているんです」


 ゴブリン。

 別世界出身のロータローでも知っている単語だ。たしか、ゲームの雑魚キャラでよく見かけるやつだっけ。

 人間の子どもくらいの身長をしたモンスターで、知能は低く、群れで行動するというのが、ロータローのファンタジー知識にあるゴブリンである。もっとも、この世界で言われるゴブリンが、ロータローの世界と同じものを示すかは分からないが。


「元々この季節は奴らの繁殖期なのですが、今年は例年より数が多く、突然変異でも起きたのか、新種のゴブリンまで目撃されています。先日、青年団が狩りに出ましたが、未だに戻っておりません。団には私の息子も所属していますので、心配で心配でなりませんよ。かと言って、ここで海上憲兵に助けを求めて借りを作れば、見返りとしてこれまで以上に理不尽な要求をされることは分かり切っています。……どうすれば良いことやら」


 ずっと誰かに愚痴りたくてたまらなかったのだろう。店主は一気に吐き出すようにして語ると、最後に重い溜息を吐いた。

 なるほど。海上憲兵の大佐に森のゴブリン。この島の人間の悩みの種は理解できた。どちらか片方だけでも厄介だろうに、ふたつが同時に問題になるとは、弱り目に祟り目である。


 店主の話を聞き、買い物を終えた帰り道。


「なあ、こういうのって助けるのがお約束の展開じゃないのか? 水戸黄門みたいな感じでさあ」


 荷物を抱えたロータローはポツリと呟いた。彼は決して正義感が強いタイプではないが、先ほどの店主の姿を見て心になにも感じるところが無いほど不能ではない。

 それに、困っている住民を外からやってきた自分たちが助けるというのは、いかにも異世界ファンタジーっぽくて心躍るではないか。……もっとも、今のところロータローに戦闘で役立ちそうな要素は全く見当たらないのだけど。

 ロータローの発言に最初に反応したのは、彼の七倍の荷物を軽々と運んでいたワンダーだった。


「ミトコーモンが何かは分からねえが、新入りがなに偉そうなこと言ってんだ。それに、俺たちが任された仕事はあくまで買い出しだ。島の悩みの解決役じゃあねえ」


「とはいえ、この島は『彷徨えるシットローズ号』のお気に入りだからね。新入り君が言う通り、このまま放っておくってわけにもいかない」


 そう口を挟んだのはツールだった。彼もワンダーほどではないが、ロータローより遥かに多くの荷物を運んでいる。骨だけの体には筋肉がついていないはずなのに、どこから力が湧いているのだろうか。不思議だ。


「海上憲兵の圧政やゴブリン害でこの島が滅んだら、僕たちだって困る。キャプテンだって、そんなことは望んじゃいないだろう。この仕事を終えて船に戻ったら、相談してみよう。きっといい返事がもらえるさ」


「元々ワタシたちは海上憲兵と仲がいいとは言えない幽霊船だもんね! 今更やつらと敵対するようなことをしても、きっと問題ないわ!」


 スリルが声を上げると、フォークロアも同意するように頷いた。


「それに、その大佐やゴブリンがどのくらい強いかは知らないけど、少なくともウチの戦闘班ほどではないでしょ。大丈夫大丈夫」


 つまりは『とりあえず今は買った荷物をさっさと船に届けろ』ということらしい。


 と、その時である。


 ロータローたちは、目の前に立ちふさがる存在に気が付いた。

 それは軍服を着た集団である。背に長銃を背負っている。町の往来を歩いていた民衆は、彼らを恐れているのか、道を開け、逃げるように身を潜めていた。

 集団の先頭にはひとりの美しい女が立っていた。だが、女の全身から放たれている悍ましい気配が、その印象を打ち消していた。

 例えるなら、触れるもの全てを傷つけるどす黒い刃。

 相対するだけで肌が粟立つ。ロータローの生物としての本能的な部分が『この女は危険だ』と告げていた。


「はぁ~い、どうもどうもオ。初めまして。私は海上憲兵所属のメェケン大佐だよん」


 メェケンは挨拶を告げると、にこやかな笑顔を作り、頭の横で両手をひらひらと横に振った。


「いやあ、不審な船を捕まえるべく、正義感を胸に港へと向かっていたら、途中で見慣れない集団を見つけて興味が湧いたんだよね。もしかしてオマエたちって、今日港に現れた船の船員だったりするぅ? 今は買い出しの途中だったりする感じ?」


「だとしたら、どうするってんだよ」


 ワンダーがズイ、とロータローの前に一歩踏み出しながら問うた。その口調に警戒心は微塵も隠されていない。


「いやア、別に大したことはないよ……ただ、ちょっとね」


 メェケンは片手を上げる。それを合図に、彼女の背後に控えていた憲兵たちが、一斉に銃を構えた。


「メインディッシュの前に、オマエたちを軽ぅ~く殺しておこうかなって思ってね」


 次の瞬間、銃声が鳴り響いた。

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