進退


 一方で、清正も今度のスキャンダルは監督不行き届きとメディアやTwitterで叩かれていた。


 そうした中で清正は満月の写真を添えて、


「かくばかりめでたく見ゆる世の中をうらやましくやのぞく月影」


 とだけ書いたコメントを出した。


 これは少し解説が要る。


 もともとの典拠は三十六歌仙絵巻にある藤原高光の「かくばかり経がたく見ゆる世の中にうらやましくも澄める月かな」という和歌をもじった大田南畝の狂歌で、


「みながめでたく暮らしている世の中を羨ましそうに月も眺めている」


 という意味と、


「このようにおめでたい人がいる世の中を、うらやましいフリをして見ている月であることよ」


 と、ふたつの解釈がある。


 もしかすると、清正の解釈は世間に対し、アンチテーゼ的な意味合いのこもったメッセージであったのでは…とも思われる。


 とにかく。


 この意外な方向からの発言にバッシングは止まり、


「まぁかわしただけやけどね」


 清正は泰然たるものであった。


「ひまりみたいのが出たら、真面目にやっとるのが浮かばれへん」


 翔子からは不満も出たが、


「そうやって自由にものが言える部活動やから、うちのアイドル部を目指す子たちがおる」


 強みと弱みは紙一重、と清正は翔子を諭した。



 明くる日。


 前に部室をうかがうように見ていた例の生徒と、優子は再会した。


「あのときの…」


「…はい」


 消えそうな返事である。


「…おぼえとってくれたんじゃね。ありがと」


 優子は満面のスマイルと柔らかい広島弁で、彼女の手を握り、


「うち、アイドル部の副部長で郷原優子。みんなからは優ちゃん言われとるんよ」


 彼女は小さな声で、


「…こ、ここ小清水こしみず萌々香ももかです」


 緊張でかなりどもりながら、自己紹介をした。


「萌々香ちゃん言うんか…ほいじゃ、愛称はももちゃんじゃね」


 優子は田舎育ちだけに、人に垣根を作らない。


「いきなり入部いうのも、なかなか勇気の要る話じゃけぇ、まずは見学だけでもして行ってみんさいや」


 はい、と萌々香は素直に答えた。


 優子が鍵を開け、誰もいない部室へ案内すると、


「うちらアイドル部は普段みんなでここに来て、ミーティングしたり振り付け見たりしよるんよ」


 ダンスの練習は図書室の脇の階段を上がった先の屋上であること、みんなで走り込んだりダンスを練習したりして、年間で学童保育やらグループホームやら、または地域のイベントなども含めて、数十公演こなしていることを優子は説明し、


「やってみたくなったら、うちにいつでも言いんさい。体験レッスンも見られるけぇ」


 パンフレットと用紙を一先ず渡しておいた。



 優子は萌々香の件は、体験レッスンに来たら話そうと考えていたらしい。


「まずあのブートキャンプをどう見るかやったし」


 優子は美波のレッスンをブートキャンプと名付けていた。


「そんなにきつい?!」


「うん、ホンマ言うたらブチたいぎい(しんどい)」


 美波に本音をぶつけて、返事に窮させてしまう。


 もっとも、そうやって面と向かって言うから優子は頼もしがられてもいた。


「あの美波先輩にあそこまで言えるのは優ちゃんぐらいよね」


 小心な面のあるひかるには言えない。


「別に、たいぎいけぇたいぎぃ言うただけじゃし」


 嘘はついとらんよ、と優子はシレッとした顔で言った。



 週末、萌々香が体験レッスンの見学に来た。


 相変わらずの厳しい腕立て伏せやら腹筋やらで、萌々香にやらせてみたが数回も保たない。


「これじゃあ、ねぇ…」


 美波はかぶりを振った。


「…萌々香ちゃん、無理じゃったら無理せんでえぇんよ」


 優子が寄り添う。


「…大丈夫です」


 目を回しながらも続けようとする。


 倒れた。


「…萌々香ちゃん!?」


「…まだまだ」


 フラフラになりながらも、いかにもか弱そうな細い手足を動かして、まだ腕立て伏せをしようとする。


 再びピクリとも動かなくなった。


「萌々香ちゃん、…萌々香ちゃん!!」


 さすがにたまらず、優子が美波をビンタした。


「…こげなスパルタ式の軍隊みたいな拷問までして、あんたぁいったい何処ば目指しよる!!」


 それまで温厚そのもので、誰も聞いたことも見たこともなかった優子の形相に、美波は頬を押さえたまま呆然としている。


「これで萌々香ちゃんに何ぞ遭ったら、美波先輩の責任じゃけ…あんたぁ首洗うて待っちょれや!!」


 任侠映画の啖呵のような優子のド迫力の台詞に、その場にいたメンバー全員が固まった。


 幸い萌々香には何事もなかったが、何日かして美波は清正に呼び出されて、始末書を書かされた。



 体育祭を直前に控えた八月末の月曜日、英美里は部員全員を放課後の部室に集めた。


「私ね、部長を辞めることにした」


 その代わり、と英美里は、


「この場で新しい部長を決めて、そのまま次の代へ引き継ごうと思う訳ね」


 要は代替わりの前倒しである。


「私には背負わなきゃならないものがある。それを新しい部長に背負わさないためにも、今決める」


 英美里なりに考え抜いて、決断したことらしい。


 早速一年生三人と二年生五人分、計八本のくじを作って、部長を選ぶくじ引きが始まった。


 まず二年生は、ジャンケンで決まった薫から引き始めた。


「ハズレ」


 その後は翔子、だりあ、さくら、ひかるとハズレを引いた。


「次は一年生ね」


 菜穂子、由梨香とハズレを引いた。


「…里菜、一応引いて」


 残り一本で当たりしかないはずだが、念のために里菜が当たりを引いて、里菜が鮎貝あゆかいみな穂以来の一年生部長となった。


 副部長は、由梨香が引いた。





 部長が決まって引き継ぎが済んだあと、英美里は正式に退部届を出した。


 英美里なりの、ケジメのつけ方であったらしい。


「年末の国立、出ないの?」


 翔子が問い詰めてきた。


「私はひまりを怒りたくないし、なじりたくも罵りたくもない。でも翔子みたいに情熱的になることも出来ない」


 翔子に一年生コンビを支えて欲しい、と言う。


「英美里…それって」


「ひまりをいちばん認めていたのは、翔子だったよね?」


「でも英美里は逃げるん?」


「逃げる…?」


 瞬間、英美里は翔子を平手打ちした。


「…翔子は何も分かってない!」


 翔子は頬に手を当てた。


 ヒリヒリと、心にまで傷を負うたように痛みがある。



 英美里は堰を切ったように、ひまりと理一郎の件の経緯を語り始めた。


「あの子が辞めるときに、ひまりから手紙が来たの」


 そこには馴れ初めから付き合うまでのいきさつ、更には退部の際の覚悟が綴られてあって、


「翔子はさ、このあと誰ともひまりと同じように恋に落ちたりしないって言い切れる? 私は…悪いけど言い切れない」


 ひまりの覚悟を知ったとき、英美里はすでに国立を諦めるつもりでいたようで、


「ひまりだって、本心は辞めたくなかったはず。けどあの子は、自分で自分を裏切り者だって責めてた。…それでも翔子は、ひまりを悪く言える?」


 翔子は、目に涙を浮かべていた。


 泣くまいと、歯を食いしばっているようにも思われた。


「…そうやったんや」


 翔子はその場に、ぺたんと座り込んだ。


「あれは誰が悪い訳でもない。ひまりが自分の人生を決めたの。それを、誰も責めたり悪く言ったりなんかは出来ない」


 もしかしたら、ひまりは強がっていたのかも知れないと翔子は感じたらしかった。


 体育祭の日、翔子は記録係のテントで陸上のタイムを書いていた。


「ショコタン!」


 声がしたので向くと、ひまりがいる。


「今日はね、ショコタンにサヨナラを言いに来た」


「えっ?」


「…あのね、実は」


 今月いっぱいで退学し、理一郎と挙式するのだと言う。


「英美里からいろいろ聞いた。ショコタンがいちばん怒ってたって…ごめんなさい」


 入籍は八月に済ませたこと、来月には理一郎の転勤で福岡に引っ越すこと、さらに、


「今ちょっと生理止まってて…多分妊娠してるかも」


 翔子は苦笑いした。


「展開めっちゃ早過ぎるわ」


「だから国立には見に行けないかも」


 ひまりは翔子に握手を求めた。


 翔子は戸惑いながらも、それを受け入れた。


「翔子ありがと。でもね、ショコタンやみんなと過ごせて私はしあわせだったよ」


 翔子は無言で、ひまりの手をたまらず引っ張ると、ひまりの肩を借りて人目も憚らず号泣した。


「ちょっと…まるで私が戦争に出征でもするみたいじゃない」


 翔子ったらよく笑うしよく怒るけど、よく泣くよね…とひまりは翔子の髪を撫でてから、


「もう、泣かないでね」


 それから少し話して、二人は別れた。




 

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