第19話 肇君のその顔、なんか好きかも
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昔からよくテキトーな性格とか、ちゃらんぽらんとか、そんな風に言われることが多いけど、失礼しちゃうよね。
私だってちゃんと考えてるし、真面目に努力したことだってあるのに。
まあ、確かに普段の言動の八割ぐらいはテキトーだけどさ。ん? それじゃあ、ちゃらんぽらんって言われてもしょうがないのかな。どっちでもいいか。
細かいことを気にしない。それが私──槻木春海のいいところなんだから。
「そういうところだと思いますよ。槻木さんがちゃらんぽらんって言われる理由は」
「む、失礼だなぁ、阿澄君は。出会ったばかりの年上のお姉さんにちゃらんぽらんなんて言っちゃうなんて」
コーヒーを飲みながらそう言うと、エプロンを着けた少年は可笑しそうに笑みを漏らす。
彼の名前は阿澄肇。
どうやら私は昨夜、この少年のベッドで一晩を過ごしたらしい。
「人の家の玄関先で倒れてた人の方が失礼だと思います」
「はっきり言うね、君」
「それが俺のいいところらしいですから」
「そして生意気だ」
「槻木さんも十分失礼ですよ」
言いつつ彼が食卓に並べてくれるのは、とても男子高校生が作ったとは思えないほどに美味しそうな朝食の数々。
いや、本当にすごい。正直、私が自分で作るよりずっとまともな朝食だ。
いつ以来だろう。トーストにマーガリンを塗るなんて。
「また今度泊りに来ようかな」
「人の家をホテル扱いしないでください」
「だって、朝起きてシャワーを浴びてたら美味しい朝食が並んでるんだよ? ホテルじゃん、こんなの」
「そう言うなら、宿泊代を置いて行ってください」
「いいよー。いくら?」
「十万円」
「一ヶ月でそれなら、うちの家賃より安いよ」
「なんで一か月単位なんですか」
「なんとなく」
心地いいやりとりに気分よくなりながらスクランブルエッグを口にする。んー、いい塩加減。お醤油を垂らす前に一口食べてよかったー!
「いっつもこんな朝食なの?」
「まさか。普段はもっと簡単ですよ」
「じゃあ、私のために作ってくれたんだ」
「は?」
わ、素で返された。何言ってんだこいつって目で見られた。
「槻木さんって羞恥心とかないんですか?」
「どういう意味?」
「や、さらっとそんなこと言うから」
「んー? 思ったことを言っただけだよ」
「正直すぎるってのも考えものですね。物言いがストレートだ」
それは君もでしょうってよっぽど言いたくなったけど、口の中でふわトロの卵が躍ってるから無理だった。残念。
「ところで阿澄君」
「呼び方はそっちにしたんですね」
「はい?」
「昨夜は『肇君』って呼んでたので。俺のこと」
「うーーーん?」
そうだっけか。昨夜はだいぶ酔ってたから覚えていない。
「覚えてないならいいです」
「肇君」
「……なんですか、いきなり」
「阿澄君」
「なぜ名前と苗字を交互に」
「肇君? 阿澄君? うーん、どうしよう」
「会話の途中でいきなりひとりで悩みださないでください」
肇君か、阿澄君。呼びやすいのは肇君かな。
「うん。君は肇君だ」
「はい。両親が名付けてくれた時からそうです」
「違う違う。私の呼び方。肇君に決めたから。ご両親とも間違わないしね」
「はあ、そうですか」
ふふん。興味なさそうにしてるけど、私は気づいてるよ。名前呼びの方が嬉しそうだよね。
って、そう言えば。
「ご両親は?」
「出張中」
「じゃあ、肇君ひとりなの?」
「ですね。来週いっぱいまではふたりとも帰ってこない予定です」
さらっと言うなぁ。それとも普通こんなものなかな。
「さみしくないの?」
「全然。自由でいいですよ」
「…………。確かに。ひとりっていいよねー」
「意外っすね」
「何が?」
「俺にさみしくないか聞く人って、大体が『かわいそう』とか『大変そう』とかそういうこと言いますから。そんな風に納得されるとは思いませんでした」
そして肇君は本当に意外そうな顔でこちらを見る。
私としてはそんなに不思議なことを言ったつもりはないんだけどな。だって肇君の言い方的に、本気でそう思ってそうだったし。
「私も一人暮らししてるんだけどさ」
「はい」
「楽なんだよねー、家にひとりって。だからわかるなーって思った」
「変わってますね、槻木さんって」
あ、また可笑しそうに笑った。
肇君のその顔、なんか好きかも。
「変わり者なのは肇君もじゃない?」
「そんなことないですよ。俺は普通に常識人です」
「常識人は私みたいな人を家に泊めないと思うよ」
「常識人だから泊めたんです。困ってる人は助けるものだって道徳の授業で習いましたし」
「全然そんなこと思ってないでしょ?」
「……わかりました?」
「そりゃあねー」
言い方が完全に冗談めかしてたし。
『それが悪いとは思ってないけど、俺の考えは別にある』って感じの言い方。それは私もたまにやる。
人の考えを否定するつもりはないけど、それを私に押し付けられるのは窮屈だから嫌いって感覚。きっと肇君もそういう感覚を持っている。
「あ、だから泊めてくれたのか」
「ひとりで納得しないでくれますか?」
「似た者同士って思ったんでしょ」
「よくわかりましたね」
「私、人の考えが読み取れる超能力者だから」
「すぐ茶化しますね」
「肇君はすぐツッコんでくれるよね」
「コンビ芸人にでもなりますか?」
そう言われた瞬間、理解した。
この居心地のよさは美味しい朝食が食べられるからだけじゃない。
肇君がいるから、こんなにも気楽で馴染んでしまうんだ。まるで何年も前からここが私の居場所だったみたいに。
「十万円、払ってもいいかもなぁ」
「あんな冗談を本気にされても困るんですけど」
「私は本気だよ」
「朝飯ぐらいで大げさすぎます」
「? 私は肇君と一緒に過ごす時間だから、それもいいなぁって思ったんだよ?」
「……だから、正直すぎるのも考えものですって。よくそんな照れ臭いこと言えますね」
◇
「ていうのが、私と肇君の初めての朝。一発で気に入っちゃったんだよね」
そう言って楽しそうに笑う春海を見て、正直なところ千沙は嫉妬した。
朝起きたら肇がいて、彼の作った朝食を食べながら楽しくおしゃべりをする。そんなこと、千沙はしたことがない。
肇の作った料理なら、家庭科の授業や学校のイベントの時に食べたことはあるが、肇が自分のために作ってくれた料理なんて、そんなのは一度も食べたことがない。
ズルい。素直にそう思った。
「めちゃくちゃですね、槻木さんって」
「そう?」
「そうじゃないですか。酔って人の家の前で倒れて、そのまま泊まり込むなんて、普通そんなことしないですよ」
「そうだよねぇ。でも、肇君はそれを許してくれたんだよね」
む。
なんだその言い方は。
千沙は自分でも気づかぬうちに春海に対して険しい視線を向けていた。
そんなの。そんなのは、
「肇の優しさにつけ込んだだけじゃないですか」
「お」
「あ」
スパッとした一言に、春海と美由紀がこちらを見る。
千沙は羨ましさを噛みしめながら、言葉が出てくるのを抑えきれずにいる。
「肇は優しいから。だから許しちゃうんです。それだけなのに、そんな言い方──ッ」
「千沙……」
「千沙ちゃんには肇君は優しい人なんだ」
「槻木さんは、違うんですか?」
「うん。肇君は別に優しくないよ。思ってることは言うし、こうだって思ったことは曲げないし、多分だけど私に優しくしてるって感覚じゃないんじゃないかな」
「嘘です。だって、こんな旅行にだって付き合ってるじゃないですか」
「うん。だけどそれは優しいからじゃないよ。肇君は許してくれるだけ。私が『これをしたい』って言ったことを許してくれるの。それは優しさじゃないよ。ただ、私のことを認めてくれてるだけ。その距離感が、私にはとっても心地いいの」
春海が何を言いたいのかが、千沙にはいまいちピンとこなかった。
でも、はっきりと理解できることはあった。
「やっぱり好きなんじゃないですか。肇のこと」
「千沙」
美由紀が何かを言いたそうに名前を呼んで来るが、千沙は応じない。
今は目の前にいる卑怯な大人のことで手一杯だ。
春海が肇のことを好きなのは一目瞭然。肇も春海のことを好きだと言っている。告白もしたらしい。
でも、だというのに、目の前にいるすかした女は、それに応えようとしない。
ズルくて、卑怯だ。
「のぼせちゃったかな、千沙ちゃん。そろそろ上がろうか」
そう言って春海は湯船に浸かっていた体を持ち上げる。
やっぱり卑怯だ。逃げようとするなんて。ズルい大人だ。
「肇がかわいそう」
「千沙……」
「負けない」
あんな卑怯な大人には負けない。
千沙はそう決心すると、湯船から出ていく。
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