第18話 すっごいね、千沙ちゃん


赤崎千沙にとって、阿澄肇との関係は戸惑いから始まった。

高校入学直後の学外オリエンテーション。苗字がア行だからという理由だけで同じ班になった男子は、千沙に何もしてくれなかった。

料理なんてしたことないのに料理班に入れられて立ち尽くす千沙のことなど構う様子もなく、ひとりで手際よくカレー作りを進めていく肇に、一番最初に覚えた感情が「どうして……?」という戸惑いだった。

どうしてこの人は私に構わないんだろう。どうしてこの人は私を放っておくんだろう。

テキパキと動く肇を見て、千沙はそんな風に思った。

試しにジャガイモを手に持ってみても、肇は何も言わない。これが中学の友達なら途端に、『千沙はそんなことしなくていいから』と言って構ってくれた。そして適当に会話をしていれば、千沙が何もしなくとも望む結果が得られたのだ。

そこにいればうまくいく。

これまでの15年間をそうして生きてきた千沙にとって、放っておかれるなんてシチュエーションは経験にないものだった。


「……」


ジャガイモを見つめていても、答えが返ってくることもない。

だってこれはジャガイモだから。

かと言って視線を目の前の男子に向けて見ても、彼が振り返ることはない。

まるで千沙がそこにいないのかのように振る舞っている。


「……っ」


モヤッとした。

もしかしたらイラッかもしれない。

そして不安にもなった。周りのグループでは同級生がぎこちないながらも会話をしているのに、千沙の周りにはそれがない。

なんだか取り残されたような気分で落ち着かない。

今から火起こし班に合流しようか、そう思った心のままにつま先が向きを変えようとした瞬間だった。


「皮の剥き方、わからないのか?」


これまでずっと自分に構ってこなかった肇が、声をかけてきたのだ。


「? 皮の剥き方」

「あ、ぅん」


びっくりして反応が遅れた。そんな千沙を訝しむように、肇は首を傾げる。

なんだか恥ずかしくなって、声が小さくなった。それがまた恥ずかしい。


「悪い、勝手に進めて」

「……ううん」

「料理はしたことないのか?」

「ぅん」


見ればわかるのにわざわざ聞いてくるなんて、……いじわるだ。

抱いた恥ずかしさを持て余して、そんな風に思ってしまった。


「そっか。じゃあ、ジャガイモじゃなくて人参の皮を剥いて」

「え、なんで」

「簡単だから、こっちの方が。はい、ピーラー」

「なにこれ」


差し出されたものは変な形をしたものだった。アルファベットのY字に似た形をした道具。こんなものを渡されたところで、千沙には使い方なんてわからない。


「皮むきの道具。こうすんだ」


千沙の目の前で肇は慣れた手つきで人参の皮を剥いていく。

彼がスルスルと手を動かせば、あっという間に人参は丸裸だ。


「ジャガイモは俺がやるから、人参をよろしく」

「なんでジャガイモはダメなの」


肇の言う通りになるのが癪で、ちょっとつっかかってみた。

後で思い返せば幼過ぎて悶えるしかない言動。でも、この時の肇とのやりとりは、千沙にとってとても嬉しいものだったから、悶えると分かっていても千沙は何度もこの時を思い返す。


「人参が出来たら、次はジャガイモな」

「……」

「赤崎さん?」

「……わかった」

「うん。よろしく」


この時はなんで嬉しかったのかわからない。人参の皮を剥きながら、なんだかドキドキしたのをとてもよく覚えている。

だから帰りのバスの中や帰宅したベッドの上で、何度も何度も思い返した。

そしてわかった。

肇は千沙に『やっていい』と言ってくれたのだ。それが千沙にとっては嬉しかったのだ。

家族や友達など、千沙の周りにいる多くの人が『千沙はそんなことしなくて大丈夫』と言う中、肇は『やっていい』と言ってくれた。それが新鮮だったし、一生懸命人参の皮を剥いた千沙を、肇は褒めてくれたのだ。


「お、出来てる」

「うん。出来た」

「いいね」

「うん」


お世辞にも格好がいいとは言えない。ところどころに剥き切らなかった皮が残っている。

そんな不格好な人参を見て、肇は『出来てる』と言ってくれた。そして、


「じゃあ、ジャガイモな」

「うん」


約束通りジャガイモの皮も剥かせてくれた。確かに肇が言った通り、人参に比べれば難しかった。皮と一緒に実も剥いてしまった。デコボコしてるしツルツル滑るしで、剥きにくくてしょうがなかった。

それでも、さっきはどうすればいいかわからずに視線を落とすことしか出来なかったジャガイモの皮を剥くことが出来た。

そして肇は、それに対しても『出来たな』と言ってくれた。

なんだか、初めて人に褒められた気がした。だから千沙は笑ったのだ。照れ臭いけど、でも誇らしさもあったから、笑った。


「えへへ」


その笑みは、友達の前で何となく笑っていたのとは違い、とっても素直に浮かべたものだった。

そしてこの時、千沙は肇のことを好きになったのだ。



「う~わ~……」

「やっぱりそういう反応になりますよね」

「どういうこと」


釈然としない表情をしている千沙ちゃんには悪いけれど、美由紀ちゃんに共感。

今の話を聞いたら誰だってこういう反応になるし、今顔が熱いのは決して温泉のせいだけじゃないって言いきれる。


「すっごいね、千沙ちゃん。少女漫画みたい」

「なんですか、それ」

「素直な感想」


だって、ピュア過ぎるよ。

すっごいなぁ、女子高生。なんか輝いてるよ。


「今の話を阿澄にすればいいのにって、ずっと言ってるんですよ」

「恥ずかしいから、やだ」

「うん。それはやめて」


だってそんな話をされたら、普通の男の子ならコロッといっちゃうし。

しかも千沙ちゃんみたいな可愛い子から言われるんでしょ? 絶対に好きになっちゃうって。


「……してみようかな」

「え、何を?」

「今の話。肇に」

「急にどうしたの。恥ずかしいって言ってたのに」

「槻木さんがやめてって言ったから」


思わず口を突いて出た一言が藪蛇だった。

いやいや、ダメだってば。今でこそ肇君は私のことを好きだって言ってくれてるけど、こんな話をされたら千沙ちゃんに揺らいじゃうから。


「ついでにその後の話もすれば~?」

「え、まだあるの? 千沙ちゃんのピュアストーリー」

「そりゃいくらでもありますよ。ことあるたびに阿澄のことを考えてますし」

「美由紀。恥ずかしいからやめて」


そういう千沙ちゃんの顔を見ていれば、美由紀ちゃんの言葉が嘘ではないことがよくわかる。

ていうかズルいな、この娘。やることなすことナチュラルに可愛くなる。今だって照れ隠しなのか、お湯の中でブクブクやってるけど、当たり前のように可愛い。


「もったいないって言ってるのに。千沙の話を聞けば、阿澄程度すぐに落ちるよ」

「う~ん」


なんかもう、そのままずっと悩んでてほしい。

千沙ちゃんがどれだけ一途か知ったら、肇君がなんて言うか考えたくない。


「せっかく大阪まで会いに来たんだから、行動あるのみでしょ!」

「でも……」

「さっき告白した勢いはどうしたのよ」

「……恥ずかしい」

「大丈夫だって、千沙なら」


うん。美由紀ちゃんが大阪に来てまで応援しようとしてる理由がよくわかる。

これだけ一途に、これだけ可愛らしく誰かを好きになってるって知ったら、それは応援したくなる。

ただなぁ、その相手が肇君っていうのがなぁ。


「さっきフラれた……」

「だからこれから阿澄に好きになって貰うんでしょ? さっき千沙もそう言ってたじゃん」

「……ぅん」


あー、これはマズいかもなぁ。

千沙ちゃんがしり込みしても美由紀ちゃんが焚きつけちゃう。

困るんだよね、それは。

私は肇君との今の関係が気に入ってるんだから、それを奪わないで欲しいなぁ。


「じゃあ、今度は私の番ね」

「え」

「はい?」

「千沙ちゃんが話してくれたから、今度は私の番ってこと」


これはちょっと牽制しとかないとね。


「話してあげる。私と肇君のこと」

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