第15話 ふぅん。そこで揺らいじゃうんだ

なんか可愛い子がいるな。

それが高校の入学初日、教室で初めて赤崎千沙を目にした感想だった。

小さな顔に収まった整った目鼻立ちの中でも、特にくりくりとした大きな目に強く引かれたのを覚えている。

制服であるブレザーの襟に触れようかという長さの髪を揺らし、近くの席に座った女子生徒と挨拶をしている姿を見たとき、素直にこのクラスでよかったと思った。

高校初日なんて緊張感の高い日に、教室に目を引くほど可愛い子がいれば、それだけで進学先に間違いはなかったと思い、これからの高校生活に前向きになるのが、男子高校生というものだ。単純と言いたければ言うがいい。

何しろ入学初日のHRでやった自己紹介でも、他のクラスメイトなんか無視して一番に名前を覚えたのは千沙だったからな。

そんな感じで、向こうは全く知らないが、俺だけが一方的に知っている。それが俺と千沙の始まりの関係だった。


それから割とすぐだった。千沙が俺の存在を認識したのは。

4月の学外オリエンテーション。言ってしまえばただの日帰り遠足だが、そこで俺と千沙は苗字がア行なおかげで同じ班になった。

入学したから二週間という、それとなくクラス内の人間関係も出来上がりつつあるけど、まだまだ浮き間っているその時期に行われたオリエンテーションで、千沙は料理をする俺の横で手持ち無沙汰に立ち尽くしていた。


「だって料理したことなかったし」

「じゃあ何で料理班になったんだよ」

「皆が火起こしは危ないって言うから」

「なんだそりゃ」

「あー、あの頃は女子も千沙をチヤホヤしてたのよね。入学したてで性格もわからなかったし。とにかく可愛かったから」

「そしてそんなとびきり可愛い千沙ちゃんに、肇君は一目ぼれしてたわけだ」

「なんでそうなるんですか!?」


千沙からの唐突な告白から場所は変わって、道頓堀近辺の某ファミレスに俺たちはいた。

春海さん、千沙、美由紀、そして俺。

席の近くを通る人たちがチラチラとこちらを見てくるのは、きっと他の3人のせいなんだろうなぁ、と他人事のように考えています。

何でかって? そりゃ3人とも美人だし美少女だから。

千沙ほどじゃないにしても、美由紀だって男子の間で『誰がいいか』なんて話になれば、普通に名前が上がる程度には人気なのだ。

むしろ気さくな分、千沙よりも身近な存在として男ウケがいい。


「ていうか、なんで俺は千沙との出会いを話させられてるんですか?」

「うん? なんでって、気になるからに決まってるでしょ。あと、おもしろそうだから」

「絶対に後者が本音ですよね」

「うん」


だよね。それが春海さんだ。

ていうか、展開がわけわかんない!

千沙に告白されたと思ったら、春海さんがいきなり『大阪まで追いかけてきて告白なんて青春だ~。ちょっと話聞きたいから場所を移そう』なんて言い出して、あれよあれよと俺の手を引きファミレスまで連行してきた。

そして注文もそこそこに、いきなり『で、2人の出会いはどうだったの?』なんて聞き始めるんだから、もうわけがわからない! そしてどうして俺は、こんな公開処刑に律義に付き合ってるんだ!?


「千沙ちゃんはその時のこと、覚えてるの?」

「もちろん」

「一生懸命じゃがいもとにらめっこしてたしな」

「阿澄、それはないわー。空気読もうよ」

「肇のバカ」

「むしろこの空気をさっさとぶち壊したいんだよな。俺としては」


だって普通なのって言葉の上だけなんだぜ!?

千沙も美由紀も全然笑わないし、春海さんはにこやかにしてるけど、なんか迫力がすごいし!!

席に着くときも問答無用で俺を自分の隣に押し込むし、なんなら今俺の手は春海さんに握られている。怖い。


「肇君はああ言ってるけど、千沙ちゃんが肇君を意識しだしたのっていつなの?」

「その前に、まずはそっちじゃないんですか?」

「うん? どういうこと、美由紀ちゃん?」

「こっちの話ばかりじゃ不公平じゃないですか。槻木さんの話も聞かせてくださいよ。千沙だって聞きたいでしょ?」

「もちろん」

「だってさ、肇君」

「そこで俺に振るんですか!?」


鬼かこの人! マジで公開処刑じゃねぇか!!


「阿澄。まさか言わないなんてことはないでしょ?」

「なんで美由紀にそんなこと言われなきゃいけないんだよ」

「いいじゃない。聞かせなさいよ」

「嫌だ」


俺は一刻も早く話を切り上げてこの場を脱したいんだ。

話なら女子同士でやってくれ。


「肇。私も聞きたい」

「だから嫌だって。なんで──、」

「お願い」

「っ、う」


真っ直ぐに見つめてくる千沙の言葉に、思わず言葉が止まる。

あー、くっそ。こいつの顔の良さはズルいだろ。

千沙からこんな風に言われたら、うちの男子だったら真冬の河にだって飛び込むぞ。


「ふぅん。そこで揺らいじゃうんだ」


痛いッ!?

ちょ、春海さん!? なんでそんな強く手を握ってくるんですか!?


「その人には話すのに、私にはダメなの……?」


あー……。

これってどう感情の整理を付ければいいんでしょうか?

俺が好きなのは春海さんなのは間違いない。これは絶対に間違いない。でも、だけど、それとは別に、千沙を可愛いと思ってしまうのはダメなんでしょうか!?


「可愛ければ誰でもいいんだ」

「言いがかりはやめてくれません!?」

「だってそうじゃん」

「違うから!」


ああもう、なんか春海さんがめんどくさい!

なんで? いつもはもっとさっぱりしてるじゃん!!


「あのさぁ、阿澄。はっきりしない男ってどうかと思うよ」

「美由紀。お前はちょっと黙ってろ」

「あ、ひど。なにそれ」

「これ以上この場をややかしくしないでくれ!」

「ややこしくなってるのは、阿澄がはっきりしないせいじゃん」

「オーケー。それじゃあ、はっきり言ってやろう」


売り言葉に買い言葉、ではないな。

単純にこのやりとりがめんどくさくなってきただけ。はっきりと言えばこの場が収まるなら、それはそれで万々歳だ。


「俺が好きなのは春海さんだ」


だからそう言った。

それに対する反応は三者三様で、


「わ」


と嬉しそうな声を上げつつ、強く握りしめてた俺の手を優しく包み込むように握り直したのが、春海さん。


「へぇ」


と感心したような声を上げつつ、心配そうにツーっと視線を自分の横に座る千沙へと移したのが美由紀。


「……っ」


と無言のまま表情を引き締めたのが千沙。そしてその視線はなぜか挑むように春海さんの方へと向けられていた。


「……」

「……」

「……」


いや、なぜに無言?

俺、結構がんばってちゃんと言葉にしたよ?

自分の気持ちをはっきりと言ったよ?

無言になるのはやめようよ……。


「……」

「……」

「……」


しかし、そんな俺の願いも虚しく、それから数分は無言の時間が続いた。

春海さんが握った手をやわらかく撫でてくれてなかったら、耐えられなかったかもしれない。


「付き合ってるの?」


この空気を貫くように口を開いたのは千沙だった。


「肇はこの人と付き合ってるの?」


視線は春海さんに向いたまま、それでもその言葉は俺に投げかけられいた。


「いや。昨日告白はしたけど、まだ返事は貰ってない」


『夏休み中には決める』なんて曖昧な言葉は貰ったけど、それだけだ。

あれは返事じゃない。


「そう」

「ああ」

「……千沙」


心配そうに名前を呼ぶ美由紀には答えず、千沙は春海さんを見たまま言葉をつなぐ。


「私も肇と一緒にいるから」

「え」

「夏休み。私も肇と一緒にいる」

「いや、それは──、!?」


言いかけた俺を制するように千沙はこちらを見やる。

可愛い顔立ちには似つかわしくない、強く真っ直ぐな眼差し。

挑むようなその視線は、高校入学初日に教室で見た千沙からは想像出来ないほどに勇ましい。


「私は肇が好き。だから、夏休み中に肇にも私のことを好きになってもらう」


後になって思えば、この夜だったのだ。高校2年の夏休みがあらぬ方向へと転がり始めたのは。

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