七、騎士レティアの勤め

 するっと、影のようにディディは歩いていた。

 

 黒髪とその派手な羽織をはためかせて、悠々とハヌディヤー通りを歩いて行く。

 片手に持った瓢箪を、ディディは一度ぐいっと煽った。

 

 追われる立場のはずの彼が、なんとも堂々とした態度だ。

 あれでは捜索にあたっている騎士団カルキジャーチも彼が噂の天鵞絨外套ビロードマントだと見抜けないだろう。

 そもそもの命令の出所があのポルパ百人長バッタだ(彼は部下に対する横柄な態度で騎士カルキの評判がすこぶる悪いのだ)。

 慣れないハヌディヤー通りの調査からとっとと引き上げてしまいたいという本音も騎士カルキたちの間にはあるだろう。


 ここでは見渡す限り違反というものが看板を掲げて我が物顔で闊歩しているようなものだ。

 天鵞絨外套ビロードマントの男よりもよっぽど注意を引く人物が洪水を起こしていて、捜索どころではない。

 それがあのアムカマンダラへと続くモザイク模様の道、ハヌディヤー通りだ。

 

 けれど、私は彼らと一緒に右往左往してばかりいることはできない。

 

 ディディは、ハヌディヤー通りが二又に分かれる三叉路を、北側に抜けていく。

 その足振りはどこか急いでいるようにも見える。

 

 ディディの向かう方向を確認すると、私は移動を始めた。

 北通りと東通りの間を網目のように広がる裏手の小路を通って、上官と合流し、先回りする必要がある。

 あまり時間はなさそうだ。

 

 ハヌディヤー通りの裏路地は掃き溜めという言葉が相応しい。

 虫の集る正体の分からないの泥の山をすり抜け、それが飛び散った地べたに足を滑らせないように注意して進む。

 人ひとりがやっと通れる路地を、私は駆けた。

 くねくねと居住棟インスラ居住棟インスラの背中の間をゆき、小さな階段を上がり、異臭を放つ小さな水路を二つほど越える。

 

 怪しげな会合をする男たちの間を押し退けるように通り抜けた。

 すりぬけた一瞬、男たちの一様に焦点の定まらない目、肌に浮かぶ斑点、それから手にした巾着袋からのつんとする花の匂いが目立つ。

 

 大方、禁忌薬物である藤黄の花薬かやくのやり取りだろう。

 魔族アスラに流通していたその毒は、近頃歌舞伎者ダリルの手にも渡るようになったようだ。

 由々しき事態だ。

 が、今の私はそのことにかまけていることはできない。

 

 ハヌディヤー通りの大光玉が、弱々しい光明を差し込ませる東通りの路地で、街道の影となるようにその人物は立っていた。

 足音に気づいてこちらを向くと、赤茶色の騎士外套カルキマント頭巾フードの下で、短い髭を蓄えた口が動いた。

 

 

「どうだった?」

 

「発見しました、ゼバド隊長ジャー。黒風のディディです」

 

 

 彼の口がにいっと白い歯を見せた。唸るような声が、その喉から発せられた。

 

 

「でかした、レティア。それで場所は?」

 


 ゼバド隊長ジャーと私は再び小路を抜けていた。

 体をすっぽりと覆う外套マントをはためかせて、素早く移動する。

 

 ディディには、こちらが接近していることを悟られたくない。

 彼は悪魔的な勘の良さで騎士団カルキジャーチを感知し、そして一度気づかれてしまえば、韋駄天のごとき逃げ足に追いつくことは敵わない。

 

 我々は騎士団カルキジャーチの特務部隊犀利騎士小隊ヴァルガヴァ

 その天敵。

 ディディはそういう男だ。

 

 ポルパ百人長バッタのもたらした黒い天鵞絨外套ビロードマントの特徴のひとつに、「灰色の瞳」というのがあった。

 灰色の瞳の男が巻き起こした騒動。

 ゼバド隊長ジャーとわたしには、すぐに剣を取った。

 

 

「にしてもおまえは、黒風の捜索に関しちゃこと鼻が効くな。レティア」

 

 

 前をゆく隊長ジャーが、こちらを振り向いた。

 その目にちらりと鋭い光が宿っている。

 まったく恐い上官だ。

 私は勤めて平静を装って惚けた声を返した。

 

 

「そうでありますか?」

 

「ああ。奴に惚れでもしたか?」

 

 

 隊長ジャーの思いがけない一言に、私は苦笑した。

 なるほど。

 そういう解釈もできる。

 

 今まで黒風のディディを捕縛する好機を幾度か我々は得ているが、その足掛かりを掴んだのはいつだって女騎士セトカルキレティアだった。

 そんな功績も合間って、女だてらにゼバド隊長ジャーの評価を勝ち取った私は、犀利騎士小隊ヴァルガヴァの副長に起用されて間もない。

 

 私がディディに惚れていて、それ故の執着心で捜索の糸口を開いている……というのは中々面白い話だと思った。

 けれどその質問は騎士カルキとして従事する私にはやや不徳義な質問である。

 私はそのまま笑顔を称えて、無言を押し通した。

 

 

「まあいい」

 

 

 私の反応にさして興味も無さそうにゼバド隊長ジャーはいった。

 

 

「その女の勘が必要となるのも今日までだ」

 

 

 隊長ジャーの言葉尻が揺れた。

 

 この人は今、さぞ恐ろしい顔で笑っているのだろう。

 騎士カルキにして悪鬼のごとき隊長ジャーの笑みを、わたしはよく知っていた。

 ディディを追い詰めている時の隊長ジャーは特に楽しげだ。

 楽しげであればあるほど、見ているものが慄然する笑い方を、ゼバド隊長ジャーはする。

 

 

「年貢の納め時だ、黒風」

 

 

 暗い裏路地に低く響く声を聞きながら、わたしはその笑みを正面でみる羽目にならずに済んだことをありがたく思った。

 騎士剣の紋様が入った外套マントを風に靡かせる背中は、すでに殺意に溢れていた。


 ディディはすぐに見つかった。

 

 彼は大通りをアムカマンダラに向かってそよ風のように寛歩していた。

 ほかの歌舞伎者ダリルに紛れて、その黒い羽織の菫色の花に特別目を止める者はわたしたち以外にはいない。

 

 ディディを確認したわたしたちは二手に別れた。

 ゼバド隊長ジャーがそのまま路地を通って先へ回り込む。

 わたしは少し離れて後ろからディディを尾けた。

 

 ディディが騎士団カルキジャーチを嗅ぎ付けるのが得意とするなら、わたしはその匂い完全に断ち切ることをお株とする。

 ディディは私の尾行に気づいたことがない。

 いや、正確にいえば少なくとも反応を示したことはない。

 もしかすると彼は気づいているのかもしれない。

 そういう疑念はこうしているといつもついて回る。

 事実、彼はわたしたちの包囲を何度も突破している。

 

 わたしは深く息をつくと、掌を見つめる。

 去り際にゼバド隊長ジャーから渡されたものが、ちらと揺れた。

 

 赤縄の蝶結。

 

 犀利騎士小隊ヴァルガヴァにおいて、急迫した事態に際して使われる合図だ。

 問題が起きた際に身につけたり道しるべにして厳戒を伝える。

 

 未知の領域を多く残す地底で特務に当たる私たち犀利騎士小隊ヴァルガヴァには、こうした信号の有無は時として生死に関わる。

 が、その蝶結を手渡しして寄越すのはゼバド隊長ジャーぐらいのものだ。

 その言わんとするところは、「無茶をするからなんとか補佐しろ」といった所か。

 

 わたしはハヌディヤー北通りに視線を戻し、隊長ジャーがディディに対して取る攻撃行動を予測する。

 往来の人にも構わず、路地から抜刀しつつ飛び出すか。

 通りに並ぶ店の中に潜み、突然斬りかかるかもしれない。


 けれどあのゼバド隊長ジャーが、騎士カルキレティアの想像の範疇でことを起こすとも思えない。

 とにかくわたしは、隊長ジャーから逃れようとするディディを挟み込む形で動く必要がある。

 

 わたしは外套マントの下で、剣の柄に手をかけつつ、大通りへ合流しようとする。

 その時だった。

 

 私の目の前を、一人の男が猛然と駆けていった。

 

 

「見つけたぜ、旦那!」

 

 

 男はそういいながら、ディディに向かって駆け寄った。

 誰だ?

 ディディの知り合いか?

 わたしは目を凝らす。

 

 男は体の左右で柄の違う服や奇抜な頭巾を被っていて、背にか細い人形のような少女を背負っている。

 少女は、この地底街で傘を持っていた。

 

 

「ひでぇよ。置いていくなんて」

 

「誰が旦那だよ。ものの分からない野郎だな。追いかけてきたって無駄足だぜ」

 

 

 どうやら、あれは道化だ。

 わたしは踏みとどまった物陰から、道の只中で押し問答を始めた彼らを観察する。

 

 

「そういうなって。な。おいらにだって意地ってもんがあるんだよ。あんたにもあるだろ、旦那」

 

「金の足しに売り払ったよ、そんなもん」

 

「張る意地もないなら、なおのこと話してくれたっていいはずじゃないか」

 

 

 金髪の少女を背負った道化は息を切らしながらディディに言い募っていて、それを無視して歩き去ろうとしたディディの前に回り込んで、立ち塞がったりしている。


 あの道化は、ディディの所縁の者か?

 漠然とした意識の摩擦を感じる。

 わたしはあの男を知っていると思った。

 しかしどうにも、ディディという男とその意識が結びつかなかった。

 なにかがちぐはぐだ。

 

 違和感の輪郭を拾い上げようとしつつも、わたしは目の前の職務についても考えねばならなかった。

 こういう流れは想定外だ。

 ただの町人という可能性もある。

 今斬りかかっては無関係な民衆に危険が──。

 

 そこまで考えた時、視界の隅で赤茶色の外套マントが揺れた。

 

 ディディらの立つ場所のすぐ隣の建物、その二階の窓。

 いつの間に、いやどうやって入り込んだのか、ゼバド隊長ジャーが抜き身の剣を構えていた。

 そこは誰かの住まいのはずで、とか、そのまま狙えば往来を巻き込むのでは、とか、煩わしいことに一切耳を貸す気のない横顔をゼバド隊長ジャーはしていた。

 

 わたしが路地から躍り出たのと、隊長ジャーが窓辺を蹴って跳び上がったのはほぼ同時だった。

 頭巾フードが跳ね上がって覗いた鷲のようにするどい顔つきは、すでにディディを仕留めるためだけの装置となっている。

 

 隊長ジャーの剣は真っ直ぐディディの上に打ち降ろされるだろう。

 ディディは逃れようもない。

 瞬間、そう思った。

 

 ──刹那、ディディの瞳がわたしを捉えた。

 

 なんとなく目を向けた、ではなく、明らかな意識を持って、私を捉えた。

 なぜ?

 

 私が驚きに目を見開いた時には、ディディは身を翻していた。

 同時に突き飛ばすように道化を蹴りつける。

 上空から迫る殺意から道化共々逃れるための咄嗟の判断だ。

 

 しかし、道化を逃すために伸ばしたその脚は僅かにその場を離れるのが遅れ、それを目掛けて、隊長ジャーの曲剣が振り下ろされた。

 

 ぱっと鮮血が地面に飛んだ。

 

 ディディの瓢箪が放り出されて地面に弾み、酒を撒き散らした。

 ディディは弾け飛ぶようにその場から転げて、近くに通りかかった荷車を引く二人連れの男のところへ正面から突っ込んだ。


 突然の事態に男達は驚嘆の声と共に倒れ込んで行く。

 荷台が倒れ、ばらばらと転がり出たのは男たちが売り歩いていた突っ掛けチャッパルだ。

 

 剣を振り抜いた姿勢の隊長ジャーは間も開けず地面を蹴り、無駄のない動きで曲剣を振り上げると、倒れた男たちの只中へ躊躇することなく刃を鋭く振り下ろした。

 

 かんっ、と甲高い音が鳴った。

 なにかに突っ張られたようにゼバド隊長ジャーの剣が止まる。

 

 砂煙の中から伸びて隊長の剣を受け止めているのは、ディディの足だった。

 隊長ジャーの曲剣の腹を足裏でぐいと押し戻す。

 

 鉄仕掛けの突っ掛けチャッパル

 そう、 足が真っ二つにならないのはディディの履き物に仕込みがあるからだ。

 

 わたしは騒動の渦中へ駆け寄りながら、一見皮で編み上げられたような見た目の突っ掛けチャッパルを注視する。

 あれは曲剣の切っ先すら弾き返すような硬質の素材が仕込まれた暗器だ。

 道端にばら蒔かれた突っ掛けチャッパルとはほとんど別物で、それこそが歩くたびに鳴らされるからころという音の正体だ。

 

 ディディの本領はあの仕込みた突っ掛けチャッパルを自在に操る体術だ。

 わたしとて、何度も痛い目を見た。

 が、しかしあの体制からでは得意の足技もなりを潜めるか。

 

 

「来るな、レティア」

 

 

 ぎりぎりと剣を押し込めながら、ゼバド隊長ジャーが怒鳴った。

 


「こいつはこのまま、おれがやる」

 

 

 しゃがれた怒号はわたしだけでなく、周囲の人足を遠ざけるに充分な圧力があった。

 突如巻き起こった流血沙汰に、道行く人々は悲鳴と驚きの声を上げながら、隊長ジャーから離れた。

 

 

「またあんたか、ゼバドのおっさん」

 

 

 ディディは苦渋の表情を浮かべながら、唸るように声を漏らした。

 寝そべるような姿勢のまま、片足を震わせながら迫り来る刃どうにか押し止めている。

 もう片方の足は、先の一刀が掠めたようだ。

 ふくらはぎから血が滴っていた。

 

 

「久しぶりだな、黒風。会いたかったろう。このおれに!」

 

 

 声を返す隊長ジャーの顔は、満面の笑みだ。

 短い髭に包まれた口は、耳まで裂けているようで、ナイフで切ったような眼は瞳孔が開いていた。

 

 

「嬉しく、ねぇな!」

 

 

 声とともに、ディディが剣をぐいと押し返した。

 ぎゃりっと、刃と靴底がこすれる。

 

 と、ディディが倒れたままの姿勢で反動をつけ、ぐるんと体を回転させた。

 刃と競り合う部分を軸にするように体が回転し、隊長ジャーの剣を横にいなす。

 まるで鍔迫り合いを制する剣士の力の使い方だ。

 

 思わずよろけた隊長ジャーが一歩まごついた、その一瞬の隙を縫ってディディは体を捻る。

 回転した勢いを利用して、ディディは通りに立ち上がった。

 

 直ぐ様その胴に向かって隊長ジャーの横一閃が鋭く振り払われる。

 ディディはその軌道をぐにゃりと体を曲げたばく転でかわすと、背後に足を運んで隊長から距離を取った。

 それを逃すまいと、隊長は剣先をディディに向けて数歩前進する。

 

 二人の戦場が激しく動き、それに呼応して人々はさざ波のようにそこから逃げ惑った。

 悲鳴のなかを、ゼバド隊長ジャーとディディは向かい合う。

 

 

「器用な野郎だぜ」

 

 

 剣先を真っ直ぐディディに突きつけたまま、隊長ジャーは方頬に笑みを浮かべた。

 ディディもつられたようににやっとしながら、その額にはびっしりと汗が浮かんでいる。

 

 

「勘弁してくれよ、おっさん。痛ぇじゃねえかよ」

 

「その足でこのおれから逃げ切れる自信があるか? ぇえ、黒風よ」

 

「そりゃ、あんまりないけど……」

 

 

 いいながら、ディディは油断なく隊長ジャーの隙を探して目を走らせる。

 ディディの気持ちはわかるが、剣を真っ直ぐ構えるゼバド隊長ジャーからは洗練された闘気が練り上がっていて、逃げ道は見つけられそうにない。

 

 

「レティア!」

 

 

 諦めたのか、ディディが声だけをこちらに飛ばしてきた。わたしは隊長に接近を禁じられていたので、やや遠巻きに二人を眺めつつ、右手を剣の柄にかけたままだった。

 

 

「なんですか、ディディ」

 

「今度はなんでおれ、殺されかけてんの?」

 

「あなたには騎士団百人長カルキジャーチ・バッタポルパに窃盗を働いた疑いがかけられています」

 

 

 わたしは努めて簡潔な答えをディディに返した。

 

 

 「黒い天鵞絨ビロード、と言えば分かりやすいでしょうか。まあ、元々は仕立て屋の所有物ですが」

 

 

 ディディは片時も緊張を解かないままにこちらに大声を返してきた。

 

 

「そこまでわかってんなら、相手を見逃すって手はないのかい。後ろめたさのひとつやふたつ、持ち合わせてるだろ!」

 

「どんな事情があろうが、窃盗は窃盗。それを許すなんて法はねぇ」

 

 

 ぜバド隊長ジャーが低い声を発した。

 

 

「それともてめぇに義賊みたいな心意気があったとでもいうつもりか?」

 

 

 ディディはおどけたように肩を竦めた。

 

 

「あったら許してくれんの?」

 

「まさか」

 

 

 隊長ジャーは笑みを深くする。

 

 

「どちらにせよ、正義はおれにある」

 

 

 ディディがやれやれと息をつき、わたしもそれに続きたい気持ちはあったものの、後が怖いので止めておくことにする。

 我が上司ながら、その台詞を道の真ん中で言い放つ度胸はよっぽどだ。

 どうにかしろ、と束の間ディディがわたしに視線を寄越す。

 

 

「仕事なので」

 

 

 わたしは最も適当な答えを、簡潔に答えた。

 わたしは女騎士セトカルキであり、黒い天鵞絨外套ビロードマントの男を捉えるよう指令を受けて出動していて、だからディディに助け舟など出すべくもないのである。

 

 

「参ったね。酒の勘定がまだ済んでないんだが」

 

 

 ディディはそれでもおどけた笑みを湛えて、足元に転がる瓢箪をぽん、と蹴った。

 あれは、斬りつけられた拍子にディディが手放したものだ。

 

 

「おれへのツケを払うのが先だ」

 

 

 溢れ出す殺意をそのままに、隊長ジャーがそういって笑った。

 

 通りは打って変わって不気味な静けさに包まれていた。

 騎士カルキを見たらさっさと逃げ出せというのが、ハヌディヤー通りの住人の賢いやり方なのだろう。

 いまだに残っている町人も、固唾を飲んで見守るに留まっている。

 下手に野次でも飛ばそうものなら、次はこちらの番だ。

 隊長ジャーの横顔には、そう思わせるものがある。

 

 不届き者たちがこぞって静まり返る通りの片隅で、ごそごそと動く影があった。

 私は、その影を見て思わず目を止める。

 

 

「レティアは気づいたみたいだが」

 


 ディディがいった。

 その顔にはやや面白がるような色が浮かんでいる。

 

 

「その窃盗ってのが、濡れ衣だった場合は、どうなるの?」

 

「なに?」

 

 

 眉を潜めながら、隊長ジャーは構えを解かない。

 お得意のハッタリである可能性はおおいにある。

 

 しかし、目の前の状況はまごうことなき事実だった。

 こういう場合、状況を伝えるべきだろう。

 わたしはそう判断した。

 

 

「ゼバド隊長ジャー

 

 

 わたしは努めて簡潔に目の前の事柄を報告した。

 

 

「──黒い天鵞絨外套ビロードマントが、後ろに」

 

「なんだと?」

 

 

 隊長ジャーはわたしの言葉に、思わず振り向いた。

 

 天鵞絨ビロードの艶やかな輝きを纏う小柄な影が、ひょこひょこと人混みに消え入ろうとしている。

 嘘のような現実が、わたしと隊長ジャーの目に映り込んだ。

 

 

「馬鹿な──」

 

 

 隊長ジャーがそう口にした、次の瞬間だった。

 ディディは懐から取り出した何かをその場に放り投げた。

 

 瓶が炸裂する耳障りな音が響いた。

 ぱっと、白煙が広がる。

 急激に煙は膨らんで、辺りを包み込み始めた。

 

 

「しまった」

 

 

 隊長ジャーの姿は既にわたしからは見えなくなっていて、漏れたような苛立ちの声だけが聞こえてくる。

 しかしそれは、すぐに統制力のある怒号へ変わった。

 

 

「レティア! おまえはあっちの黒外套マントだ!」

 

 

 わたしは隊長ジャーの声が終わるより早く駆け出していた。

 

 悲鳴が、いたるところから上がっていた。

 煙は、噴出地点から離れたわたしの視界すら奪いつつある。

 藤黄の煙を使った瓶詰めの煙幕か。

 用意のいいことだ。

 それに、ディディが追い詰められた状況で折よく現れた天鵞絨外套ビロードマント

 全ては計算の内か?

 

 わたしはほぞを噛みながら、先ほどの外套マントの男の背中を追って駆けた。

 しかし、あの後ろ姿。

 あれをわたしは見たことがある。

 再び不快な記憶のもやを感じたものの、そいつはすぐに晴れることとなった。

 

 ふと、すれ違い様にわたしを見上げる視線を感じる。

 振り向いたわたしの視界に、人形のように端正な少女の顔が映り込んだ。

 

 見たことのある影。

 美しい少女。

 ──道化。

 

 わたしの頭のなかで、何かが一本に繋がっていくのを感じた。

 そうしながら、同時に思う。

 

 ああ、またしても私たちは、ディディにしてやられたのだ、と。

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