第12話 あきらと美華

「だからさ、そういう平凡な未来予想図が、窒息しそうなくらい嫌なときがあるの。」とあきらが言う。


「美華」「あきら」と下の名前を呼び捨てし合う仲になるのに、あまり時間はかからなかった。私のアパートの床で、あきらは缶チューハイ、私は安い白ワインを飲んでいる。


 ローテーブルの上には、狭いアパートのキッチンであきらが手際よく作ってくれた、美味しくて体に良いおつまみの数々が並んでいる。


 数ヶ月前、あきらは、私の普段の食生活を知ってショックを受け、私の家事能力のなさを発見して驚愕きょうがくした。母が置いていってくれたまま、一度も使ったことのなかった掃除道具一式を掘り起こし、スーパーで食料品を買い込み、私にげきを飛ばしながら掃除と洗濯を済ませ、私でも作れそうな簡単な料理を叩き込み、私にはちょっと無理めの煮物などを作り置きしていってくれた。


 それ以来、あきらは時々私のアパートを訪れ、掃除洗濯を手伝い、ご飯を作り置きしていってくれるようになった。大学で「おかん」とあだ名がついたゆえんである。


「私はさ、結局、十把一絡げにできちゃうどうでもいい人間なわけ。適当に就職して結婚して子ども生んで、死ぬんでしょ。それで終わり。絵だけは上手だって言われてきて、頑張ってきたけど、現実的にそれで食べていけるとは思ってないし。」


 あきらはそこでいったん、言葉を切って、はぁ、と息を吐いた。あきらは酔っ払うと哲学や人生論を語り始める。「おかん」のくせにオヤジである。


藤坂一星ふじさかいっせいとかさ。あういう人に会うと、もう『あ〜あ』て思う。」


 藤坂一星は同級生だ。一年生なのにプロでも通用するような絵を描いて、先生たちの度肝どぎもを抜いていた。


 私は藤坂一星に好意を持っている。淡い恋心といってもいいかもしれない。小さくてひょろりとした体躯たいくにメガネをかけていて、独特の雰囲気がある。私に対しても、他の人と全く同じように振る舞ってくれ、どんな人の言葉もニコニコとちゃんと興味深そうに聞いている。


「美華、藤坂くんのこと好きでしょ。」とあきらがなんでもないことのように言う。


「え?」と私が驚くと、あきらはあきれ顔になる。


「バレバレだよ。」とあきらに言われ、私がうろたえると、「あ、大丈夫。気づいてるのは私だけだよ。」と手をパタパタさせて言う。


「ガチで不気味なんですけど。」と私は顔をしかめる。「あきらって人の心が読めるのかと思うよ、ときどき。」と私が言うと、あきらがふふと笑う。


「美華がわかりやすすぎるんだよ。ありえないくらい真っ直ぐだから。」


 あきらの言うことは、ときどき分からない。「私は実は腹黒いのだ。」と言っても取り合ってくれない。「他の女の腹黒さを知らないからだ。」と言われる。


「藤坂くんって、なんか殿上人てんじょうびとみたいだと思わない?」とあきらに言われて、私は首をかしげる。


「雰囲気あるよね。もう、別格だもの。藤坂くんと美華、結構お似合いだと思う。殿上人どうし。」


そうあきらに言われて、私は今度こそ本気で顔をしかめる。


「私は容姿が派手なだけで、藤坂くんみたいな天才じゃないよ。」と私はあきらをにらむ。あきらは首を振る。


「違うよ。美華が特別なのは外側だけじゃないよ。きっと成功すると思う。私の勘はあたるんだよ。」あきらは、そこで言うか言うまいか迷ったような顔を、ほんの数秒見せて続けた。


「私、美華の平凡で幸せな未来予想図なんて思い浮かばないもの。」その言葉に私は思いの外、傷付いた。そのことに、あきらはきっと気づいている。


「ねえ、美華に『めでたし、めでたし。』なんて似合わないんだよ。でも、それは不幸なことじゃないと思う。『めでたし、めでたし。』の向こう側は、死ぬほど退屈かもしれないんだよ? 美華は、世界で一番幸せになればいいんだよ。誰もがうらやむような特別な人生を送れるかもしれないんだから。」


 そう言われて、「私、そんなの望んでない。」と私は口を尖らせる。


「しょうがないじゃん。」あっさりとあきらに言われる。


「私だって、望んでこんな平凡な人に生まれたわけじゃないし。私は、死ぬほど努力すれば、もしかしたら特別なことができるかもしれないけど、美華みたいに特別に生まれちゃった人は、平凡な人生なんて送れないよ。」


 あきらは缶チューハイを飲み干し、白ワインをコップに注ぐ。ついでに、私のコップにも継ぎ足してくれる。ワイングラスを買いに行かなきゃなぁとぼんやり思う。


「美華もあきらめて腹をくくればいいんだよ、藤坂くんみたいに。」


「藤坂くん?」白ワインをちびちび飲み始めたあきらに私は聞く。だいぶ酔っ払っている顔だ。


「藤坂くんってさぁ、自分をよく知ってるところに魅力がある気がするんだよね。珍しいじゃない? 私たちぐらいの年で『自分っていう容れ物』をあれだけ快適そうに乗りこなしてる人。藤坂くんくらい特殊な容れ物だと、なおさら大変だと思う。すごいよね。」


 私は、だいぶポエミーに仕上がってきたあきらに、さりげなく水の入ったコップを渡し、あきらの手から白ワインの入ったコップを回収する。


「うー、眠くなってきた。今日泊まってってもいい?」とあきらが床に寝転がる。


「もともとそのつもりだったでしょ?」と私はあきらの手からコップを取り上げる。床にぶちまけられると面倒だ。


「藤坂くん、気をつけたほうがいいよ。たくさん女と付き合ってそう。美華にかなう女なんていないと思うけど。」そう言ってあきらは寝てしまった。


 あきらが平凡な人間だなんて。私には、あきらのほうが魔法使いに思える。

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