・・・
数ヶ月ぶりに彼女のラインを開く。
もしかしたらブロックされているかもしれない。こっちの都合で勝手に振ってしまったのだ。恨まれていても仕方がない。
でも、最後はきちんと謝りたかった。
次の彼氏がいるかもしれない。今だってそいつといるかもしれない。寝てるかもしれない。
ただの自己満足だ。
久々に見たラインは、彼女からの返信で終わっていた。
最低。
その言葉ほど痛いものはないだろう。
罵るでもなく、ただ一言だけの言葉に、彼女の思いがすべて込められているように思えた。
もともと女の方が未練は引きずらないというから、もう俺のことなんてすっかり忘れているかもしれない。初めてを奪ってしまったことだって、もしかしたらもうどうでもいいと割り切っているかもしれない。
通話ボタンを押すのに、数分を要した。
3コールで出なかったら諦めようと思い、うるさいほど胸を打つ心臓を抑える。
相変わらずきっかり3コールで出た彼女は、前と寸分違わぬ声色で俺の名前を呼んだ。
『今更電話とか、何の用?あんた、私のこと振ったじゃん』
恐ろしくトゲのある声で、彼女は俺を責めた。
「ごめん。でも、話したいことがあるんだ」
『話したいことって、なに。より戻そうとかいうなら聞きたくない。傷つけに来たなら、この場で切る』
「違う。今更そんな勝手なことは言わない。恨んでくれていいから、お願いします」
一言一言が震える。申し訳なさと、愛おしさでいっぱいになる。
『馬鹿野郎。私がどんだけ傷ついたと思ってんの。今更電話とかして来ないでよ』
「ごめん」
彼女の言葉は涙で濡れていた。
『私ばっかり好きだったんでしょ?飽きたんでしょ?ラインも無視して、勝手にいなくなって。なのに引きずってる私最悪だ。あんたとなんて付き合わなければよかった』
一息にそう言い切った彼女は、鼻をすすって俺の名前を呼んだ。
『でもあんたさ、私のこと本当に嫌いではなかったのに振ったでしょ?』
鼻にかかった穏やかな声で、グサグサと真実を射止めてくる彼女が苦手だった。荒々しくとも彼女の言葉遣いは、常に裏に優しさと気遣いを秘めていて、嫌だった。
でも、どうしようもなく好きだ・・・た。
「ごめんなさい」
『話して。あんたが連絡してきた理由と、あんたがなんで私を振ったのかを』
もう別れているというのに、不謹慎だ。俺は彼女と話せることに喜びを感じている。耳元で彼女の声が響くたび、口元がにやけているのがわかる。
俺は深呼吸をして、話す決意を固めた。
「俺、さ、結構めんどくさい病気に罹ってるんだよね。今の所、治療法はなくてさ」
間を開けずに話すつもりだったのに、彼女が息を飲んだので、俺はそこで言葉を止めた。これは言い訳かもしれない。俺のことで多少なりとも傷ついて欲しいと思い、口を止めたのかもしれない。そういう気持ちがなかったかと聞かれれば嘘になる。
俺は自分のクズさを隠すように微笑んだ。
『え。嘘。は、そんな小説みたいな展開、ある訳・・・』
「こんな嘘つくために、わざわざ電話しないよ」
『でも・・・は・』
「あと数年、生きられるかどうかわからないって言われてる」
俺は落ち着いて話ができるうちに話してしまおうと思い、細く息を吐いて、事実だけを告げていった。
「君に、これ以上傷を残したくなかった。君の泣いた顔を見たくなかった。本当はさ、君と二度と関わらないつもりだったんだ。俺のことなんて忘れてくれていればいいと思ったし、恨んで、二度と会いたくないと思ってくれればよかった。だって俺はいつか死ぬから」
声が震えた。
目が霞んだ。
なんて自分勝手なのだろう。相手の気持ちなんてほとんど考えもせず、自分が最善だと思う道を突っ走った挙句、彼女の元に戻ってきてしまっている。
『・・・なんで、言ってくれなかったの』
「ごめん」
彼女の話を聞こうと思って黙る。罵倒でも、罵りでも、軽蔑でも、俺は聞かなくてはいけない。
『・・・言って欲しかった。唐突にいなくならないで、きちんと言って欲しかった。そうしたら私は、新しく彼氏なんて・・・っ』
予想していたことではあった。
俺にはもったいないくらいの美人だったし、人当たりも良くて笑みを絶やさない人だったから、当然好意を寄せる奴はいくらでもいただろう。
いまさら嫌だと言えた事ではないし、口を出せる事でもない。けれど俺は、腹のなかが黒くじっとりとしたもので塗りつぶされていくのを感じていた。彼女への独占欲と、嫉妬が渦巻き、横にはいない彼女を押し倒したい衝動に駆られていた。
「ごめんなさい。でも、君には最後に伝えておきたいと思ったんだ」
『なんで私に』
彼女は一言だけそう言った。
「それは」
俺は一瞬、その次に言おうと思っていた言葉の意味を考えた。
きっとこの言葉は、彼女を傷つけるだけだろう。
酷い振り方をして尚も、俺のことを許してくれてしまう彼女の未来に、ずっと深い傷を残すことになるだろう。
『嘘はつかなくていい。私は目立つのが嫌いじゃない。それに今、学校で少し浮いてるから、同情でもしてくれる内容があればそれは助かる』
嘘だ。
彼女は強気な言葉からは考えられないほど弱いし、浮くようなタイプじゃない。おおよそ俺がためらっている内容を察して、先回りしてくれたのだろう。
そういうところが、どうしようもなく好きだ。
吹っ切れているなんて大嘘だ。本当に吹っ切れているならば、元カノのラインをとって置いたり、友人に未練がましく愚痴ったりはしない。
「でも君が傷つくのは・・・」
『もうこれ以上何に傷つくの?最後くらい、正直になってくれた方が嬉しい』
「ごめん」
『謝らないで。今更謝罪の言葉なんて聞きたくない』
心残りは全て無くしていった方がいい。
どこかの本で、俺と同じく余命僅かだった少女が自分の友達(男)に向かっていったセリフだ。
でも現実ってのは、そう小説の中のストーリーみたいに上手くはいかない。将来特に死ぬ予定のない奴が考えたら、余命僅かなんていう状況になればなんでも言えると思うのかもしれないし、俺だって事実そうだった。
どうせ死ぬんだから、少しくらいの悪さは許されるだろうと思っていたし、友達にもなんでも言えるようになれると盲信していた。
実際には、病気になる前となんら変わりはない。ただ自分のせいで家族が崩れていくのを、目の当たりにしたくらいだ。
映画の中で起こりえる涙ながらの打ち明け話も、告白も、気まずくてできたものではないのだ。それでもいい。
一瞬だけ、俺を漫画に出てくる悲劇のヒーローにしてください。
「好きだ、ったから」
彼女は全てを察した様子でくすりと笑った。
『だった、ね。ねえ、一回だけ顔を見せて』
その声に、もう涙は混じっていなかった。
俺はカメラをオンにして、スマホの画面を見つめた。
数秒して、画面に彼女の顔が映った。
一年ぶりに見た彼女の顔は、想像以上に変わっていた。
黒いストレートだった髪の毛は、うっすらと茶色く、ウェーブがかけられ、きちんとメイクが施されていた。
透き通るような色白の肌に、ほんのりと赤くなった目元、潤んだ瞳、口角の上がった唇。冷ややかに、けれど根底に優しさを持っている視線。
なんら変わりはない。
「綺麗になったね」
考えもせずに口を突いた言葉に自分でも驚く。付き合っていた頃の俺は、気恥ずかしくて決してそんなことは言えなかった。
『あんたも、ずっと男の人らしくなった。声も低くなったし、彫りも深くなった。かっこいいよ』
俺はふざけて、そう?と喉仏を突き出して見せた。彼女は玉を転がすように笑い、俺を叩く真似をした。
俺たちはお互いを見て、もう一度笑った。
「嫌なことばっかり経験させてごめん。彼氏と幸せになってください」
『できることならよりを戻したい。抱きたい。他の男と付き合って欲しくない。でも俺にはそんな資格はないから。好きだ。好きだった、じゃない。好きだ。・・・ねぇ、泣きそうな顔をしてるよ、陽一』
「俺はそんなに性格が悪いか?」
『素直になりなって。陽一ほど綺麗事が似合わない人っていないから』
深くため息をつく。本当に、彼女にはかなわない。
「よりを戻したかった。もう一度抱きたかった。他に男なんて作って欲しくなかった。傷つけてごめん。でも恨まないでほしい。好きだった。本当に、好きだった。・・・幸せに、なってほしい」
『死なないで』
掠れた声が耳を撫でた。
素直な感情が、まっすぐに響いて来た。
程なくして、通話が切れた。
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