花火

「うまぁ」

 陽一がキラキラした目で僕を振り返る。ワックスで七三分けにしているせいで、髪もテカテカ光っている。


 できるだけ大人っぽい格好で、と言った僕の言葉に従おうと頑張ったのか、陽一は仕事帰りのサラリーマンのような格好をしていた。父親のものなのだろう。微妙に横幅がぶかぶかしているように見える。


 かく言う僕もスーツにオールバックでメガネ、という身の丈に合わないかっこうをしているのだが。

「それは良かったね」

 一番安い卵とガリをのろのろと食べながら僕が応じると、陽一は激しく頷いて甘エビを頬張った。

「久成も食べればいいのに」

「いや、僕が食べる分陽一にあげるよ」

「まじ?じゃぁもらう」

 追加で中とろを頼む陽一を不安になりながら見つめていると、陽一はそんな視線に気がついたのか「足りなかったら俺も出すから。」と少し不快になるようなことを言ってきた。


「予想はしてたけど、僕に全部出させる気?」

「だめ?」

 先ほどの苦々しさが嘘のように晴れやかに笑う陽一に、僕は頷くことができなかった。

「まぁ、いいよ」

 陽一はやった、と握りこぶしを作る。

 僕はそれを見て知らず知らずのうちにに笑っていた。微笑んだまま、結構なスピードで寿司を頬張っている陽一から目をそらす。

 あとどのくらい好きなものを食べることができるのか。

 こんな風に話すことができるのか。

 歩けるのか。

 笑えるのか。

「本当に、良かったよ」

 陽一がキョトンとした顔で振り向いた。

「なんでもない。次はフレンチ行こっか」

「行く。」

「お姉さんも誘う?」

「え、姉貴はバカ舌だからお金の無駄だよ」

「でも知ったら怒らない?」

「激怒りするわ。うげ、絶対バレてる。久成、うち泊まっていかない?」

「いや、今日彼女が泊まりにくるから・・・」

「嘘つけ」

 僕はため息をついて箸をおいた。

「僕を巻き添えにするのやめてくれる?何も悪くないのに怒られたくないし」

「大丈夫。久成がいれば姉貴に殴られない済むから」

「殴られないけど蹴られるとかいうでしょ」

「いう」

  自信たっぷりに頷く陽一を見ていると、なにかいう気も失せてくる。

「で、作戦はどうなってるの」

 試しに話を変えてみると、陽一は案外単純でこちらの話題に食いついてきた。

「久成が確かめた後に、俺が入る。で、手術」

「ちょっと待って。そんな穴だらけの作戦で忍び込めるとでも思ってるの?あっちは最新の技術をある研究所だよ。監視カメラとかついてるって」

「よし、行こう」

 カバンをを持って立ち上がった陽一に何を言っても無駄だと気がついた僕は、素直についていき、会計をすませた。(信じられないくらい高かった。一週間分の食費が一回で飛んで行った。)陽一は僕の財布が空っぽになりかけているのを見て、すまなそうな顔をせずに笑ったので、僕は陽一の頭を結構強く小突いた。謝罪とお礼の言葉を聞いて溜飲を下げた後、どこへ行くのかと聞いたら夜景を見に行くのだと言われた。


 男子高生が二人で夜景を見るのはいかがなものかと思ったが、極めて普通の性格である陽一が平気なのだから、なんてことはないのだろうと判断してついて行くことにした。途中で浴衣を着ている人を見かけ、僕は今日が花火大会だったということを知った。


「ちょっと待って陽一、まさかとは思うけど僕たち二人で花火大会行くの??」

 しばらくしてお祭り特有の熱気が僕たちの周りにもまとわりつき出した頃、現実に気がついた僕は前を行く陽一に向かって聞いた。


「まさか。花火は見たいけど近くで見るなんて一言も言ってない」

「っていうかまず、花火が見たいとも聞いてない・・・」

「今決めたから」

「僕帰って着替えたいんだけど。髪ベタベタするし」

 陽一は振り返って首を傾げた。

「俺、これが花火見るの最後になるかもしれないからさ、付き合ってよ」

「・・・そういえばなんでもしてくれるって思ってるよね?」

「違うのか?」


 無邪気そうに問い返してきた陽一に、僕は何を言い返そうか考えを巡らせる。そんな様子の僕を見て、陽一は唇を上げ、眉をハの字にして笑みを作った。

「案外嘘じゃないかもしれないしさ」


 ぼそりと呟き、先立って歩き出す。いつものまばらな人通りからは考えられないくらい賑わった通りに、陽一はあっという間に紛れて見えなくなった。慌てて追いかける。幸せそうに手を繋いでる高校生のカップルの横を、子供連れの賑やかな家族の真ん中を、ゆっくりと幸せそうに歩いている老夫婦の後ろを、人混みに揉まれながら時々見える陽一の頭を追いかける。


 やっと人混みから外れて暗い丘の上に出る。陽一はそこでいつ買ったのか、ラムネを二つ持って座っていた。広い丘で、あまり手入れされていないのかかなり雑草が伸びていた。ただ眺めはよく、星空を足元に見ているような錯覚に陥る。異世界に紛れ込んだような眺めだ。さっき通ってきた人混みがオレンジ色に点々と光って、真っ暗な空に薄明かりを灯していた。


「お疲れ」


 そう言って渡されたラムネのビー玉を外し、甘くて妙な刺激のあるラムネを一気に喉へ流し込んだ。


「この間買ったばっかなのに、もうしわくちゃだよ」

 皮肉っぽくいう僕に陽一は自分のスーツをつまんで見せた。


「俺なんて中学生のバスケ部連中にコーラぶっかけられてさ、そのお詫びにラムネだぞ」

「クリーニング代出してもらえば良かったのに」

「中学生の金欠舐めんな。俺も同じくらいんときは良くやってたし」


 機嫌良さげにラムネの瓶を左右に揺らす。中の炭酸がしゅわしゅわと弾けて、波打ち際の音を連想させる。こんなに小さい瓶の中に広い大海原が広がっているのかと思うと不思議な気分だ。からっぽの自分の瓶を揺すると、ビー玉がカランコロンと小気味好い音を立てた。綺麗で、誰が聞いても何と無く好きで、でも空っぽな、そんな音だった。


 なんだか自分と陽一の内面を表されているような気がした。


「陽一。教授の話は」

 僕はきっと、本当に自由が欲しいわけではない。誰かに支配されてしか存在しなかったから、自由、というものがわからない。

 

 そんな知りもしないものを追い求めるようにプログラムされているわけではない。ただ空洞なのだ。空っぽなのだ。それが嫌で、僕は知らない自由を求める。


 自分が自分というもの以外の入れ物で、単なる容器で、それを毎度毎度確認させられることが苦痛なのだ。お前は空っぽなのだと。実験以外に価値のない容器だと。そんな気持ちを味わうようにプログラムされたものは、もうこれ以上いらない。



 陽一はああ、と頷いてUSBをポケットから取り出し、指先で弄んだ。

「これ施設内の資料のUSBな。どこに監視カメラがあって、どこに侵入者よけの警備があって、人がいて、実験室があるか。監視カメラを操作しているのはここ。人は大抵中年のおばさん一人。でもこの人は俺たちが何をしようとするかなんて気がつかない。ただ教授の知り合いが遊びにきたといえば、簡単に通してくれる。実験済みだ」


 陽一は淡々とこなしてきた仕事を述べ、USBを僕に押し付けた。こういうとき、陽一はけして鼻高々になることがない。


「どうやって?」

「その辺は必要ない話だろ」

 触れて欲しく無さそうだったので、深入りはしないことにした。

「完璧だね。すごいよ」


「俺がしたことなんて大したことじゃない。久成にかかってる。久成がうまくやってくれなかったら、この資料もゴミ同然だ」

「プレッシャーかけないでくれるかな・・・」

「うまくやってくれなきゃ困るんだよ。俺、割とマジの方で人生かけてるから」

 陽一はあまりマジとは思えない、ふざけた声で呟き、喉を鳴らしてラムネを飲み干した。コロン、とビー玉が風鈴のような音を立てた。

「人生って・・・」

「例えばさ、あの中で自分はもう花火を見れないってわかってるやつ、どんくらいいると思う?」


 屋台がずらりと並んで賑わった通りを指差して、陽一が尋ねてきた。ここから見える範囲のおよその人口をもとめて、全国の余命宣告された患者を出せばおよその数は出そうだったけれど、陽一はそんな答えを求めているわけではない気がした。だからぼ僕は、何も言わなかった。陽一も、答えを催促して来るようなことはなかった。

 遠くで花火の種類が放送されているのが、ぼんやりと聞こえた。

 ヒュ〜とくぐもった高い音が響き渡り、腹の底から震わすような衝撃音とともに花火が空いっぱいに広がる。赤い火の粉が地上に落ちる寸前で消えていく。

 去年は彼女と行くと言って歓喜の叫び声をあげ、はしゃいでいた陽一は、いま、口元に柔らかな笑みを浮かべて静かに空を眺めていた。


 きっと陽一が余命宣告されず、死ぬ、ということが頭の片隅になければ僕と花火を見に来るなんてことはなかっただろう。


 僕とはただの中学のクラスメイト、それだけの関係だっただろう。

 普通に青春して、就職して、結婚して、歳をとって、僕はその何処かにいた成績のいい静かなクラスメイト。


 きっと、その方が陽一には幸せだった。

 なれる事なら、きっと陽一もそれを望んでいただろう。



「なぁ、ちょっと辛気臭いこと言ってもいいか?」

 陽一は打ち上がる花火を見上げたまま、わざとらしく高い声で言った。

 少しだけ、嫌な予感がした。

「・・・泣くかもしれないけど、どうぞ」

 陽一は含み笑いをして僕を振り仰いだ。



「俺、生きてる意味、あったのかな」



 陽一の笑顔は、一部の隙もなかった。弱みのかけらも見せず、ただ問いかけて来ていた。

 視界が滲み出し、ポタポタとズボンの上に丸いシミができる。

 僕の涙は、いつも冷たい。

 体に取り込まれた少しの塩分と、水分で構成されているからだ。


「あるよ」


 現在進行形に直し、震える声できっぱりと断言する。


「80歳まで生きれた人も、20歳までしか生きられなかった人も、その人生には同等の価値があるんだよ」


 赤い花火が連続で上がって、その煙で空が白く光りだす。きっと20年の花火も80年の花火も同じ数で、上がるスピードが違うだけなのだろう。連続で上がって消えるか、一つ一つの間を開けて上がるか。

 そして数は、同等の価値に値する。


「・・・間違ってない、よな」

 独り言のようだった。

 淡々と何かを受け入れるような、そんな声だった。

 陽一は立ち上がってズボンをはたき、僕を見下ろした。


「俺、最終チェックのために帰るわ。久成はもう少し花火見ていけよ」

「え、僕も帰るよ」

「あと五分でいいからさ。じゃあまた」

 陽一はひらりと手を振ってきた道を戻っていってしまった。



 仕方なく一人で花火を見ていると、僕の名前を呼ぶ声がした。その声を聞いた途端、僕は逃げたい、という衝動に駆られた。

「久成、こんばんは。」

 彼女は体のラインの出たシャツにだぼっとしたズボンを合わせていた。高めのヒールを履いているせいか、僕と目線が変わらない。

「はめられた・・・」

 つい口をついていた言葉に、彼女の顔が不気味な笑みにかわる。

「計画犯ですよね?」

「陽一のね。私今日合コンだったのにさ、突然呼び出されて」

「合コン、って、モテない人たちが相手求めていくやつでしたっけ?」

 怒らせるようなことを言ったつもりはないのに、彼女は結構な力で僕を殴った。

「何その偏見。私こう見えても結構モテるんだからね?」

「知ってます。家の前でよく待っているオタクっぽい人いますもんね」


「お寿司奢ったんだってね?」

 彼女は僕の言葉を思いっきり無視して、殺気を含んだ目で僕を見た。同じ目線から睨まれると、人を殺しそうな迫力があって怖い。僕は今まで彼女がくぐり抜けてきた世界を垣間見た気がした。

「陽一に頼まれたので・・・」

「よし。あいつは一週間味噌汁とご飯のみだ」


 僕はとばっちりもいいところなのだが、彼女は見逃してくれそうになかった。

「で、君は私に懐石料理をおごりなさい」

「ふざけないでください。破産します。それにあなたは、まだ食べる機会があるでしょう」


 僕は突き放すように言う。

「あぁ・・・そういうこと」

 彼女はストンと草の上に腰を下ろし、膝に肘をおいて、手のひらを顎に当てた。


「ありがとう」


 一瞬姉の顔つきになった彼女は、僕を見上げて陽一と同じ笑みを浮かべた。

「どうしたんですか?花火ならもっと違う場所で・・・」

「陽一とね、初めて見た花火がここでだったの。多分最初で最後、家族で揃った場所」

「家族」

 慣れないその単語を口にすると、彼女は次々と打ち上がる花火を見上げ、僕の手を引っ張った。


「そう。だからかな。陽一は何かを大切なものを渡す時、いつも私をここに呼ぶ。誕生日プレゼントだとか、検査の結果だとか。」 


 彼女の手に引かれて地面に座り、空を見上げる。花火の煙で白っぽくなった夜空は、妙に明るい。多すぎる煙で半分くらいしか見えなくなった花火の音が、耳に反響する。

「今日は、久成かな」

 冗談めかして笑う彼女に、僕は怪訝に思って視線を投げかける。

「僕は、陽一からのプレゼントですか?」

「そういう意味じゃないよ」

 ぎゅ、っと手を握ってくる彼女の手は柔らかくて、暖かかった。振りほどく理由がなかったので、僕は彼女と手を繋いだまま花火が打ち上がるのを眺め続けた。


「ちょっと恋人っぽい」

 彼女は薄く笑って僕の方にもたれかかった。

「何かありましたか」

 僕は眉を寄せて彼女を見下ろす。

「どうして?」

「いつも距離が近いとは思いますけど、甘えるようなことをしてきたことはないので」


 妙な間があった。彼女は試すような表情を浮かべて何かを言いかけ、その言葉を飲み込んで口をつぐむ。

「何も。ただ最近彼氏いないからさ、ちょっと寂しくなってきただけ」

「・・・それならいいんですが。あ、僕にそういう期待はしないでくださいね」

「別に何の期待もしないって」


 彼女はベー、と舌を出して芝生の上に寝転ぶ。足を放り出し、片腕を目の上に乗せる。長い黒髪がさらりと頰に纏わって、草の上に流れた。僕は体育座りを崩さずに片手を預けたまま、彼女から目を背けた。


 何もない、と彼女は強がった。人の感情がうまく読めない僕もわかるくらい、無理して笑っていた。


 とことん、陽一のお姉さんだな、と思う。強がって笑う時の顔も、少し高くなる声も。

「ほんと、何であいつはここに呼び出すかなぁ。これからここ来れなくなっちゃうじゃん・・・」


 独り言のように呟く彼女の声はわずかに湿っていて、か細かった。僕は小刻みに震える手を包むように握りしめる。

「ここにいましょうか」


 彼女は片腕を顔に当てたまま、こくりと頷いた。僕は彼女と反対の方向を向いて、手に軽く力を込めた。平常に保とうとして、深呼吸を繰り返す彼女の息は時折乱れ、僕はその度につないだ手を引っ張り上げるように強く握りしめた。

 一時間ほどそうしていただろうか。最後の花火の名前が読み上げられるのがかすかに聞こえてきた。落ち着いてきたらしい彼女は起き上がって空を見上げた。


「来年、私とまたここにきてくれる?」


 僕は肩にもたれかかってくる彼女の頭を撫で、微笑を浮かべる。


「約束しますよ」


 最後の火の種が空へと上っていく。

「ありがとう」

 空いっぱいに咲いた金色の花は、火の粉のくすぶる音を立てながら水面へ散っていった。


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