作戦

「A 35問題なし。X10問題なし。電気回路繋いでくれ。」


 今日は教授一人ではなく、ほかの研究員もいる。いたところで普段なら大して変わらないメンテナンスを受けるだけなのだが、エラーが出たために大掛かりな点検となっていた。


「はい。」

「H6、7は問題なし。」

「はい。」

 いつもの倍の音量で機械音が鳴り、冷たい足音がせわしなく動き回る。彩色の施されていない声が、部屋の端から端へと飛び交う。


「感情面と圧縮に異常あり。点検、終了します。」


 僕の胸部に突き刺されていたチューブをぶちぶちと抜き、研究員の人たちはグリップボードを持って教授のパソコンの前に集まった。僕は机に置いてあったバスタオルを取ってオイルや水でびしょびしょになった体を拭いた。内臓の部分まで切り開かれるとは予想もしていなかった。


「すみません、服、返してもらえますか。」


 そばにいた若い女性の研究員に声をかけると、研究員の女性は無造作にパジャマのようなものを渡してきた。

「まだ点検終わってないから、これ着ておいて。」

 耳の遠い人に話しかけるような口調でそう告げられる。


 多分この人たちにとっては、僕はずっと実験の成果で、結果だ。


 首を縦に振り、手早く渡された服をまとう。

「C- 1097。エラーが何箇所かでてはいるが、実験に支障をきたすことはないと判断された。今後はメンテナンスの期間を狭めることにする。わかったか?」


 教授が隣の部屋からガラス越しに言った。僕は何も考えずに立ち上がり、部屋を横切り、教授の顔を窓越しに見下ろした。

 教授も僕を見つめた。実験者と実験物の見つめ合いはなんの感情も間に挟まず、ただただ無機質だった。どちらも目をそらさず、時間だけがすぎて行った。


 先にしびれを切らしたらしい教授が舌打ちして立ち上がった。

「時間の無駄だ。何だ?」


 僕はマイクを通して部屋中に響き渡る教授の声を聞き、近くにあったグリップボードをとって文字を書き込んだ。向こうの部屋からの声は聞こえるが、こちらからの声は伝わらない。疑問も反論も、耳を貸してもらえることはない。

 全てにおいて僕は、一方的に操作されている。どんなことを聞こうが、どんなことを叫ぼうが、教授の耳に届きはしない。だったらもういい。


 実験の目的を教えてください。


 教授の前にグリップボードをかざす。教授は顔をしかめた後、席を立った。

「なぜ実験物に実験の目的を教える必要がある?お前はラットになんの薬を試したか話すのか?なんの毒を飲ませたか話すのか?」


 嘲笑うような口調で教授は告げた。

「お前の声は私には届かない。一方的に操作され続けていろ。」

 何かがプツリと途切れ、目の前が真っ白になった。

「声が聞こえるか?私はお前の視力を奪うことも、聴力を奪うことも可能だ。」


 手の中で、戯れていろということか。

 怒りがこみ上げてくる。ただその感情すらも教授の意のままとなっている。


「怒っているのか?はは、私の実験結果はなんて素晴らしいのだろうな。」

 視力が奪われているせいで、むやみに動くことができない。教授の声を、聞くことしかできない。弄ばれていることしかできない。


「約束通り、2日後にこい。」

 視界がひらけ、意見を書こうとグリップボードを手にした僕を尻目に、教授はひらりと手を振って部屋を出て行った。

 完全に遊ばれている。面白がられている。ごちゃごちゃと頭を支配していたものが、一瞬で冷める。 


 僕は研究員が手にしていた私服をひったくり、シャツに袖を通しながらグリップボードに書き置きを残す。


「僕帰ります。」

 ぺこりと頭を下げて、ドアノブに手をかけると、外側からドアが開いて教授が部屋に入ってきた。

「どこへ行こうとしている?」

 僕はグリップボードを押し付け、教授の脇をくぐって部屋の外に出た。


 廊下を走っていると、突然電気が消えた。窓一つない廊下は、どっちが床かもわからなくなるくらい真っ暗になった。僕が逃げ出した時に教授が打つ手の一つだ。こんなもの、慣れれば痛くもかゆくもない。スマホを出して足元を照らし、そのまま出口に向かう。バタバタと何人かの足音が聞こえて来たので、僕は小走りに外へ出た。


 横断歩道の信号を待っている間に、僕は陽一の携帯に電話をかける。陽一はきっちり3コールで出た。


「馬鹿、今授業中。トイレいくっつってごまかしたけどさ、こんな時にかけてくんな。」

 僕は慌てて陽一の時間割を頭に浮かべる。この時間は空いていたはずだ。

「授業ないよね?」

「補習だよ。ほ、しゅ、う。世界史が27点。」

「それ、僕が教えたところじゃ・・・」

「もともと苦手だから気にしなくていーぞ。」


 ケラケラと笑う陽一に、僕はきちんと訂正をしておくことにする。


「僕が驚いているのは、教えたのにそんなに壊滅的な点数を取ったってことだよ。」

「だと思った。てか久成、今どこいんの。」

「教授に呼び出しされた帰り。あ、何か欲しいものある?お詫びに一つ。」

「じゃぁ、自転車。」

「それはお詫びのレベルじゃない。」


「なんか甘いもん。そろそろ要件いいか?あんまり長いとばっくれたのかと思われる。」

「ごめん。今日会社、これる?」

 陽一から了承の言葉を受け取った後、僕は通話を切った。たまたま目の前に少し高級なチョコレートの店があったので、チョコレートを買っていくことにした。

 

「うまぁー。」

 一粒500円くらいするチョコをばくばくと頬張る陽一を見て、僕は食べ盛りの男子には高いものを与えてはいけないと学習した。


「喜んでくれるのは嬉しいんだけど、もう少しゆっくり食べてよ。」

「他のやつに取られたら嫌じゃん?」

「僕しかいないんだけど。」


 僕はコンビニで買った板チョコをかじりながらぼやく。別に食べる必要性はないのだけれど、板チョコのパキパキとした食感がお気に入りになっているらしく、気がつくと買っていることが多々ある。


「でも普通に食べたいって思えるの幸せ」

 陽一の病気について、僕はほとんど知らない。致死率が非常に高く、徐々に物が食べられなくなっていくらしいのだが、今の所陽一その影はない。激しい運動は控えているものの、さして中学の時と生活の変化は見られない。


「そう」

「授業でれんのも、そう考えれば幸せ」

「補習でも?」


 僕は軽口を叩く。辛気臭いことを聞いていると、暗い気持ちになる。陽一はそれはどーかな、と顔をしかめる。


「今回の補習組がさ、うちの学校の不良生徒で、先生にもガン飛ばしてんの。バイクで通ってくるし、授業中ふつーに携帯出してるし、机蹴り上げるし、怖すぎる。」

「陽一はついに不良とおんなじところまで落ちたんだね。」

「・・・そう言われると親近感湧いてくるわ。」


「次会ったら金髪バイク、とかになってないといいけど。」

「さすがにそんな度胸も元気もないわ。」


 陽一はため息をついて僕が買った板チョコにかじりつき、うえ、と顔をしかめた。

「あ”っま。舌ベタベタする。」

「高級チョコと100円の板チョコを比べないでよ。」

「うえ〜せっかく後味良かったのに。」

「なら紅茶淹れるよ。味は保証しないよ。お茶の淹れ方っていつまでたってもよくわからないんだ。」


 僕はキーボードから手を離し、ポットのある共同の机に向かった。

「そういえば、教授の所行かなきゃいけなかったの、なんで?話したかった内容ってそれだろ?」

 陽一が椅子をぐるぐる回しながら僕の方に流れてきた。僕は紙コップにお湯を注ぎ、ティーパックを入れた。


「うん。圧縮がちょっとおかしくなってたらしくて、このままだと・・・」

 陽一があ、と両手で口を覆う。

「どうしたの?」

 勢いよく自分のデスクに戻った陽一がカタカタと猛スピードでキーボードを叩く。きょとんとする僕に、振り向いて頭を下げ、「俺のせいだわ。」と言った。


「この前泊まりに行った時、久成の服取りに行ったら圧縮用の機会があって、ちょっと気になっていじっちゃった。多分俺がミスってなければ、久成は圧縮された内容を全部きちんと覚えてると思うよ。」

「圧縮意味ないってこと?」

「まぁ・・・ってかまずいな。これ分かられちまう。元に戻されるか・・・最悪俺のやろうとしてることバレて止められるか。教授んとこに情報全部いってんだろ?しゃーねぇ、今日行って止めてくるか。」


 ブツブツ言いながらパソコンを操作している陽一に、僕は紅茶を持って行った。

「でも陽一、教授のこと知らないよね?止めてくるっていったって・・・」

 紅茶を飲んでいた陽一の肩が、不自然にピクリと動く。

「この間姉貴から聞いてさ、多分・・・その人知り合い。」

「え?あの人、研究以外で人と知り合うようには思えないけど。」

 陽一はくるりと振り向いて僕を見た。


「その息子と友達でさ、遊びに行ったとき居たんだよ。少し話してさ、だから。」

 僕はいつもよりずっと早口で、まくしたてるように話す陽一に首を傾げて見せる。


「矛盾が生じるな。教授は離婚してるはずだよ。しかも、友達の母親なんかに君のお姉さんが会って君に話すのか?教授は息子の友達にあいそよく話しかけるような人とは思えないし、自分の子供を子供と思ってない気がするんだけど。」


 ものすごい音を立てて陽一が机に手を叩きつけた。積み上げてあった資料が床に落ち、散らばった。


 びっくりした僕が椅子ごと壁際に避難すると、陽一は「ごめん。」と呟いて椅子に身体を投げ出し、片手で額を押さえた。


「休憩してくる?」


 陽一はこくりとうなずいてオフィスを出て行った。

 あんなに歪んだ顔をした陽一は今まで見たことがなかった。怒りや悲しみなどを通り越して、憎しみ、と言い表される感情が溢れ出していた。愛想笑いや人々から笑いをとる以外に、陽一は表情を作らないと思っていた。僕と違って人間なのだからそんなことがあるはずはないのだが、そう錯覚させられていたばかりに驚き、という感情が大きかった。


 陽一にとって教授が何なのか、僕は聞いたことがなかった。


 気になったが、そんな時間は与えられず、電話がなり出す。

 散らばっていた書類を拾い集めて陽一のデスクにおき、かかってきた取引先との電話に応じる。


 一つのことにうだうだ悩まないで済むのは楽だ。スイッチを切り替えるだけで、陽一のことはどこかに追いやれる。

 機会だろうがなんだろうが、僕だって他の人のことを考えている余裕はない。高校生でゲームプログラムの会社を起業。高校生とは思えないプログラミング能力と、知識量。おまけとして、顔面偏差値の高い天才、という僕の肩書を守るのに必死だ。


 起業なんて反対されるかと思ったのだが、以外にも教授はそれを受け入れ、援助もしてくれた。実験にはなんの差し障りもないらしい。

 けれどどんなに言われたことに背こうとしても、やはり僕はAndroidで、人とは違う。実験が終われば僕がしたことも全て回収されて、どこか誰かの手柄になっている。


 それが陽一なら、と思ってしまうのは僕の買いかぶりだろうか・・・


 キュ、キュ、とスニーカが床を歩く音がして、陽一が貼り付けたような笑みを浮かべたまま戻ってきた。

「ごめん」

 僕はちょうど取引先のデーターの場所がわからなくて、陽一に連絡しようとスマホを出したところだった。

「落ち着いた?」

 コクリと幼児みたいに頷いて、陽一は僕の前にどさどさと資料を落とした。

「これ、コピーしてきた」

「・・・抜かりない優秀さだね。給料上げようか」

「よろしく。ついでにボーナスつけてよ。海外旅行でも行ってくるからさ」


 どこかぎこちない声で軽口を叩き、自分のデスクに戻ってパソコンを起動する。本当に優秀で冷静な同僚だ。取り乱していようが何だろうが仕事は完璧にこなしてくれる。もしかしたら機械のようなところがあるのかもしれない。激情に狂っていようが、暴れていようが、一歩引いて見ている自分がいるのかもしれない。


「この会社、アカウンタビリティを果たしてもらわないと、これ以上の投資は無理だよな」

 ボソリと尋ねきた陽一に向き直り、僕はにっこりと首をかしげる。


「このタイミングで申し訳ないんだけど、一つ聞いてもいい?」

 陽一はこわばった笑顔で僕を見、ゆっくり頷いた。


「教授と君は、本当にただの知り合い?」

 絶対に違う。ただの知り合いの名が出ただけで、こんなに動揺するだろうか。

「久成には関係ない」


 陽一はふいっとそっぽを向いてしまい、答えてはくれなかった。僕は陽一の経歴と教授の過去を照らし合わせる。教授の過去は、切れ切れにしか知らない。けれどその断片でも繋いでいけば、たどり着く可能性はないでもない。


「知り合いって・・・友達ってこともないし・・・教授ってバスケやってたっけ?」


 ブツブツ言い続ける僕を面倒だと思ったのか、陽一はパソコンに向かったまま「推理力はないんだな。」と呟いた。聞き返しても答えてくれそうになかったので、一度陽一と教授に関する膨大なデーターを書き出して見ることにした。途中で席を立ってから戻ると、打ち込んだデーターが全て消えていた。苛立ちを覚えて陽一をみると、陽一は何食わぬ顔で自分のパソコンに向かっていた。


「なんで消したの。」

 陽一は振り向かずにマウスをクリックした。

「必要ないだろ。そんなことやってなんになるんだよ。」

「陽一の記憶を移し替える時、そこの部分がごっそり抜けおちてもいいの?」


「その方がいいわ。」

 乾いた笑い声を立てて、陽一はキーボードの上に突っ伏した。

 何か言葉を発したら崩れ落ちてしまいそうな陽一に、僕は何もいうことができなかった。

 

 自身の無力さが嫌になる。きっと僕は、陽一が全てを吐き出せるほど強くなく、頼りにならないのだろう。


 僕が機械だから。


 パソコンの電源を落とし、机の横に置いてあったコーヒーを一気に流し込む。紙コップを捨てて、恐る恐る陽一を見ると、陽一は机の引き出しに入っていたAndroidのパーツを取り出し、照らし合わせるようにパソコンに数字を打ち込んでいた。


「なあ久成、時間が足りなくて失敗しても、許してくれるか?」


 気のせいか、陽一の目に狂気が宿ったように思えた。苦々しげな表情でパソコンに向き合い、歯型がつくくらいきつく唇を噛み締めている。

「あと2年あるよ?」


 陽一はくるりと振り向いて、にっこりと笑った。

「・・・だけど、早いに越したことはないだろ?俺がいつまで元気でいられるのかわからないし。」

「いつやるの?」

 大胆不敵な表情になった陽一は、顔の前に指を二本立てた。


「二日後。教授はたぶん久成の圧縮を点検するだろ、そのあとすぐに。自由になったら俺らでデーター全部消す。」


 陽一の言葉に、僕は言葉を失った。


 薄いベニヤ板のようなもので区切られた隣の自営コンサルタントが、イライラと取引先であろう会社との電話に応じている声が聞こえる。

 開け放した窓から下の通りを走る車の音が、定時に帰るサラリーマンの声が、部活帰りに寄り道している高校生の自転車のブレーキの音が、やけに大きく響く。


「でも、ここにはない道具が大量に必要だから、点検が終わった後に俺が教授の研究所に忍び込む。久成は内側から手引きして」

「・・・そんな簡単に言われても。」

「え、なんかスパイみたいでワクワクしねぇ?」


「ひやひやしすぎてそれどころじゃない。何時間必要なの?」

 陽一は指を二本足して左右に振った。僕は諦めてパソコンのシステムを終了させる。


「ちょっと話そうか。今日は終わりにしよう。何か食べたいものある?」

「寿司かフレンチ。」

「チョコといい寿司といい君は僕を破産させたいの?」

 陽一は学生鞄に資料やノートパソコンを詰め、肩に放り上げた。そして僕の背中を強く叩いた。


「いやいや。ただみんなが大人になってから食べるものを、今の内に食べておきたいだけだよ。」

 わざとだろうがなんだろうが、感傷を纏ってそう言うのはやめて欲しい。反論しているこちらが悪いことをしている気がしてくる。


 結果として、僕は陽一に押し切られる形で寿司屋に行くことになった。そこで僕はまたもや男子高校生に高いところへ連れて行ってはいけないと言うことを痛感した。今回は不可抗力だが、真面目にこんなことが続いたら、いくら普通の高校生よりお金があるとはいえ、破産する。

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