希望
体に取り込まれている歩数計で、千歩くらい歩いて、僕は駅についた。教授の実験室とは比べものにもならないくらい賑やかで、活気にあふれている駅のホームを見て、僕はほっと息を吐き出す。
一七歳の外見の僕は、あまり遅くなりすぎると、警察に補導されてしまう。
改札を通って、ギリギリいつも乗っている特急の閉まる扉に体をねじ込み、つり革に捕まる。この時間は残業帰りの会社員で一杯なので、座らない方がいいと判断したのだ。チラチラと遠くで光るビルのあかりを眺めていると、自分の顔が窓に映っていることに気がついた。
ぽっかりと何かが抜け落ちたような顔をしている。脱力感とは違う。虚無のようなものだ。何が抜け落ちているのかはわからない。いつも教授の元へ行った後は、ただ、虚しくなる。目をそらしている事実を改めて突きつけられるからだろうか。さっきまではあった感情のようなものや、思考が、なくなる。自分は機械だと強く実感する。
ポケットに入れているスマホがラインの着信を知らせた。ラインはなんてことはない、陽一からのものだった。
>あとどのくらいで家に帰ってくる?
三時間前に別れて、陽一は病院に行ったはずだ。本来なら帰宅していないはずで、連絡してくることもない。
<十分くらい。どうして?
<鍵忘れた。泊めてくれ。
土下座のスタンプが送られてきたのをみて、僕は笑い声をこぼしてしまった。こういうときに、笑うものなのだろう。ものすごくブサイクな顔のクマを見て、僕は納得した。
<いいよ。電車の中だから、このくらいで。
隣にいた身長の高い男性が僕を見て舌打ちをしたので、僕は陽一にそう返して再びつり革に捕まった。「整形顔気持ち悪りぃ」という声が聞こえたような気がした。
心臓のあたりがちくりと肉体的な痛みを発した。
それは否めない。作られた顔だ。教授の趣味かなんだか知らないが、僕は韓国のアイドルグループにいる人のような顔をしている。色白で、黒目がちの二重。ちょっと癖っ毛で、薄めの唇。別に自惚れでもなんでもなく、綺麗な顔をしていると思う。街を歩けばスカウトの声がかかるし、逆ナンもしょっちゅうだ。靴箱には毎朝のように告白の手紙が入っていた。一度見たことは決して忘れることない僕ですら、知らない顔の人からのこともあり、どういうことなのかわからなくなったりもしていた。
陽一曰くむかつくレベルに達したイケメン、なのだが、作られている顔にはムカつくも何もないと思っている。多分、顔に自信のある人はそう思うのだろう。自分より綺麗な顔の人を快く思わないのだ。
僕の家がある駅名が放送されたので、電車を降り、改札を通って大通りに出る。信号を渡り、まっすぐ道沿いに行くと、最近改築されたマンションが見えてくる。階段を上がると、ドアの前に大きな物体が座り込んでいた。
よく隣の部屋の人に通報されなかったものだと感心しながら声をかける。
「今日はお姉さんもお父さんも帰ってこないの?」
陽一はのろのろと顔を上げ、こくりと頷いた。
「親父は出張。姉貴は、海外にいる」
「そりゃまたどうして?」
「海外だったら直せるんじゃないかって。もういいって言ってんのに。この間に死んじまったらどうすんだろうな」
ひょいっと立ち上がり、僕の後から部屋に上がり込んでくる。
「それはないって信じてるんだよ。頑張ってくれてるんだろう?あのお姉さんが陽一のために代わってくれているんだろう?」
「確かに。あ、でも今だにへそピアスは変わってない。」
「おしゃれの範疇。タバコと夜遊びやめたならいいじゃないか。」
陽一はくっくっと笑って、茶色がかった髪をかき上げた。
「じゃ、俺もピアスしよっかな。せっかく姉貴に開けてもらった穴があるし。」
「皮肉はやめなよ。本人も申し訳なく思ってると思うよ。それに塞がってきてるんだろう?」
「はい、すんません。塞がりかけてます。いやでもさぁ、マジで痛いんだぞあれ。しかも外せるようになるまで毎回呼び出しだし。つーかさ、何かない?腹減って死にそう。」
勝手に冷蔵庫をガサガサやり出す陽一に、僕はため息をついて見せた。
「突然こられても、大したものはないよ」
「せんべいとかでもいいから」
せんべい、と口の中で硬い単語を飲み込んだ僕は、冷蔵庫を開いて中を漁る。基本的にまともに食事をとる必要のない僕の家に、食材が置かれていることはほとんどない。
「うどんとかでもいいの?」
陽一が頷くのを確認した後、鍋一杯に水を張り、火をつける。沸騰するのを待つ間にネギを切り、少量の豚肉をめんつゆで炒める。ちょうどお湯が沸騰したので、うどんを入れ、少しかき混ぜてから、ざるにあけてざっと水で洗い、水気を切って丼に盛り付けてその上から炒めた豚肉とネギ、すりおろした生姜を乗せ、めんつゆをぐるっと一周かける。
「箸持ってってくれる?」
大葉を細く切っていた陽一は、こくりと頷いて包丁をおき、箸を持ってリビングへ消えていった。陽一が細切りにした大葉を乗せて、リビングへと運び、勉強机として使っている白い卓袱台に丼を並べ、陽一と向かい合わせに座る。
「いただきます!」
パチンと音を立てて手を合わせ、同時に箸をとり、陽一が先に食べ始める。ツルツルとうどんを頬張る姿は、見ていて清しいものだった。
「めっちゃうまい。料理もできるようになってんの?」
僕は慎重にうどんを掬い、口に運ぶ。
「一応。普通の人ができるような家庭料理はできる。今までチャーハンとか作ってたの、僕だし」
生暖かい。コシがあり、噛むともっちりしている。しょっぱい。それになんというか、適度に甘い。
「すげ〜。ほんとうまい。ってあれ、久成って、味覚感じないんだっけ?」
ハフハフと肉の熱を口から逃がしながら、そんなことを聞いてくる。僕は美味しいんだかまずいんだかわからないうどんをすすり、首を縦にふる。
「なんていうのかな、食感とかは判別できるんだけど、味は、しょっぱい、とか、甘いとか。そういうのしかわからない。だから、レシピに従わないで作ると、結構悲惨みたい」
「えーそれおろそかにするとか酷いなぁ。食べ物に関してはもっと深めてもいいと思う」
「わざわざ食べる必要性ないから、こうやって人がこないと作らないよ。内部構造が単純だから消化とかできるわけでもないし」
陽一は神妙な顔をして頷いた。いかにも真面目な風を装っている様子だが、頭の中でなにを考えているか容易に想像がつくため、大分滑稽な姿だ。
「確かにな。でも食べることの楽しみは必要だろ。って、俺、お前のこと分解しかけてんのに、何も知らねぇわ。色々聞いておきたい」
陽一はずるーっとうどんを啜り、空っぽになった丼を机の真ん中において、居住まいを正した。
「いいよ。でも、その前にこの食器片付けなきゃ。先にお風呂入ってきたら?」
「俺片付けやる。人様の家に上がり込んで食わせてもらって何もしないとか、最低だろ」
「大丈夫。僕いくつか用意しなくちゃ行けないものもあるし・・・ほら、布団とか」
渋る陽一を風呂場まで連れて行き、タオルを押し付ける。
「着替え持ってくるから、入っちゃってて。」
ドアを閉め、キッチンへ向かう。背後で陽一が風呂場の扉を開く音が聞こえた。
洗い物を終え、布団をリビングに敷いた後、着替えを持って風呂場へ行くと、陽一が小さく鼻歌を歌っているのがわかった。
洗面台の下に落ちていた陽一のパーカーを拾ったとき、バラバラと小さいものがポケットから落ちたので、僕はそれを拾い集めようと思って屈み込んだ。
何の気なしに見下ろしたそれに、目を奪われた。
薬だった。
大量の錠剤に、注射器。陽一が改めて病人であることが再認識させられるものだった。もう長くはないという事実と、きちんと生のある人間だという淡々とした理由があった。
落としてしまったことを謝ろうと思って口を開いたが、声は音としての形をなさなかった。
こういう時、人は声が出なくなるんだな、と、どこかで冷静な僕は思った。
薬を拾い集め、元の場所において、僕は風呂場を出た。
死ぬというのはどういうものなのだろうか。何もかもなくなって、無限という空間に放り出されて、自分というものも失うのだろうか。
僕がスイッチ一つで消えるのと同じようなことなのかもしれない。どうせ消えるなら、スイッチ一つで消されたくないというのは、おかしいことなのだろうか。
モヤモヤした気分のまま食器を拭いて棚に戻したあと、机に僕に関しての資料を並べていると、陽一がつんつるてんの僕の服を着て出て来た。
「ごめん、だいぶ小さかったよね。」
正確に言うと、成人男性の平均あるはずの僕が小さいわけではなく、陽一が高すぎるのだ。それをよく承知しているのか、陽一は嫌々と首を横に振った。
「君って何センチあるの?」
「180きっかり。バスケ辞めてから全く伸びなくなった。」
僕は簡単に相槌を打ち、6センチ差あるんじゃあつんつるてんなわけだと納得していた。
並べておいた資料を差し示す。
「これ、一応僕に関する資料。」
「すげー量。俺文字読むの苦手だからさ、要約して教えてよ。」
資料をざっと眺め、僕に突き返してくる陽一に、しかめっ面を作ってみせる。
「それじゃ心配。僕が気がついたら人と話せなくなっちゃってたら嫌だし。」
陽一はしかたねーなー、というように資料を手に取り、布団にうつ伏せに寝転んで枕を顎に当て、ノロノロ読み始めた。いや、もしかしたらこれが普通の人のスピードなのかもしれない。僕には速読のプログラムが施されているので、このくらいの資料なら、一分で読める。
「久成って視力あんま良くないんだな。0.8とかって。」
「なかなか難しいんだって。普通の人が捉えてるものを同じように捉えるのは」
「目にカメラ入ってんだ」
ぶつくさ言いながらも、かなり楽しそうに資料を読んでいる陽一に「お風呂に入ってくる」と告げ、僕は自分の着替えを持って風呂場へ行った。
適度に温くしたシャワーを頭からかぶり、お風呂に浸かる。あまり気持ちいいとは思わないけれど、体が妙にふわふわする。このままずっと湯船に沈んでいたい気がしないでもない。長湯は水分を多く摂取しすぎることになるので控えたほうが良いのだろうが、僕は結構その約束を破っている。
好きなわけでも、気持ちがいいわけでもないのだけれど、出るのが億劫になって、1時間位浸かっていることがままあるのだ。結果、僕の体は妙にプニプニする。水を含みすぎたスライムみたいになる。
外見は普通の男子校生の僕がスライムになってしまっては陽一が困るだろう。というかそれ以前に、きっとめちゃくちゃキモいことになる。全裸の男子がふにゃふにゃと溶けていたら、誰だって気持ち悪いと思うだろう。
ザバァッと音を立ててお風呂から出る。髪の毛からぼたぼたと水を滴らせながら風呂場を出ると、鏡の前で突っ立っていた陽一が勢い良く振り向き、歯ブラシを口に突っ込んだまま目を丸くしているのが視界に移った。
僕が着替え終わってもそのまま動かないので、何かの発作だろうかと思った僕は、陽一の肩を軽く叩き「大丈夫?」と声をかけた。
「あぁ。いや。ちょっと驚いただけ。めちゃくちゃリアルに男子なんだ。」
鏡に映った自分の顔が、微妙に引き攣っている気がしたが、きっと気のせいだろう。普通の人はそんなことを言われるはずがないのだから、どんな反応かなんて誰も知らない。
「いや、普通に中学行ってたよ?修学旅行とかで思いっきり変な体だったら困る」
「女子にすりゃあ良かったのにな。なんかほら、言い訳聞くだろ。体の構造も楽そうだし」
「君の願望なんじゃないの。もし女子だったら、君は僕の家に泊まりに来れないよ」
不純、と顔をしかめると、陽一はようやく笑った。
「付き合ってることにすればいいじゃん。そうしたら今と同じだ。」
「周りからの目線が違うよ。こんな頻繁に女子の家に通っている高校生なんて、白い目で見られるし、君の高校じゃ見つかったら内申ガタガタだよ」
「内申、ね。」
陽一の顔から一瞬表情が消えた。僕が間違ったことを認識し、学習プログラムを起動して謝ろうとすると、陽一はケラケラと笑って僕の背中を強く叩いた。
「確かにな。でも見て見たいわー。久成の女子版。多分超美人でスタイル良くて笑顔が可愛くて、定番の無地の白いスカートで髪さらっさらロングだろうなぁ・・・」
「男版で僕をそんな風に捉えているのかと思うとドン引きだね」
「いや、現実の久成はうざいくらいイケメンで、寝癖ついてて青白くてなんの飾り気もないTシャツにジーンズだよ」
「男子の僕はなんかすごく酷い言われ方をしている気がするのだけれど」
「男だから」
「そんな差別的な。男尊女卑って言うけど、男尊男卑もあるんんだね。新しい発見だ」
「アンドロイドにツッコミできる能力とかいらねーな。消そう。ボケでいい」
軽口を叩く陽一は、なんだか痛々しくて、僕は見てはいけないものを見てしまったような気がした。
「そうしたら、ボケが二人になってしまうじゃないか」
軽口には軽口で返す。僕のプログラムはそうなっているらしかった。
「俺もう流石にボケやだよお」
「はいはい。というか歯を磨き終わったなら出て行って?僕にも人並みの羞恥心はあることになってるから、ずっと見られていると囲碁ごちが悪いんだけど」
陽一はリビングに戻ると、僕に関する資料を最終確認のようにパラパラとめくって、僕に突き返してきた。
「読み終わったぞ。確かめておきたいことあるから、ここに寝っ転がって服脱いで」
「確かめたいことって何?」
「心臓の役目をしている機能とか、そう言うものがどこにあるかをね。おら、早く脱げ」
僕がその言葉に素直に従ってTシャツを脱いで横になると、陽一は露骨に嫌そうな顔をしながら、僕の心臓らしきものの位置を探し始めた。
「あーあー何が悲しくて男の裸見てなきゃいけないんだ。よし、これは心臓マッサージ。心臓マッサージ」
あろうことか文句までついてきた。心外だ。
「女子だったら、こんなことしてる君のこと殴るから。って、さっき僕が女子だったらいいのに、って言ってた理由これ?動機が不純すぎるよ。」
「だってさー俺の周りにいるのは俺を友達としか思ってないスポーツ系と、金髪空手有段者のやつなんだもん。女子とは言えない」
「いいお姉さんだと思うけど。君のために医学部受けたんでしょ?」
「医学部生が金髪ピアスとか軽く終わってるよな。しかも俺、姉貴が卒業して国家試験受けた時には・・・ま、あんなんで卒業できるんだか。」
もういない。その言葉の後につく単語を、僕は口の上で転がす。
きっと陽一は、それでもなお自分を思い、血を吐くような努力をして医学部に入ったお姉さんを、なんだかんだ言って慕っているのだろう。
僕は受験勉強を教えるために、何度か陽一のお姉さんに会っている。確かに強気で、恐ろしく凶暴な人ではあったけれども、普通の大学ですら怪しかったところから、一年で国立の医学部へ行ったと聞いたときはただただ驚いた。頭もよかったのだろうが、並大抵のことではない。最近の偏差値爆上げのノリで、本が一冊書けそうなレベルだ。
「あった。ここか。あのさ、一回圧縮作業見せて。あと、充電も」
ブツブツ言いながらも心臓の位置を探していた陽一が、水性マジックで僕の胸に丸を描いた。
「圧縮作業はここでできるけど、充電は教授のところでやるから・・・」
僕はもし消えなかったら陽一の顔にピンクの油性ペンでハートマークを描くことを決め、服を着た。
「へぇ、ならいいや。連動しないと意味ないから。でもそんなんじゃ、自由になったとしても充電切れて動けなくなるんじゃねぇの?」
「それは大丈夫。太陽光でも充電できるようになってるから。事実、僕は今まで最初の起動の時の一度しか充電したことないよ」
「歩く太陽光パネル・・・」
「言い方に気をつけてよ。僕だって傷つくようにできてるんだから」
驚いた顔をする陽一に舌を出して見せ、机においてあったゲーム機を取ってクッションを腕に抱え込む。
「悪いことばっかり言ってくる陽一に決闘を申し込みます」
陽一は勝手に僕の棚からもう一台ゲーム機を出し、電源を入れた。
「受けて立つ。最近負けてばっかりだからな」
「いつものでいいよね」
こくりと頷く陽一を尻目に、僕はキャラクターを設定して車に乗せた。
「一番難しいので行こう」
スタートボタンを押す。聞きなれた機会音とともにゲームミュージックが流れだし、僕は右手と左手を無駄なく使いながら画面を睨む。最短距離と敵の距離を測りつつ、アイテムを使う。
「ふわぎゃ?!」
僕が投げた爆弾は陽一にヒットしたらしい。奇怪な声を発して物理的に僕を蹴る陽一に、腹いせとしてアイテムのバナナを投げつける。
「クソッ」
真っ黒になった自分の画面を指で弾き、陽一が床をジタバタとのたうちまわる。
「機械が機械強いとかうざいぃぃ!死ねえええ」
ゲームをするとやかましくなる人と無口になる人がいる。陽一が前者で僕が後者だから、僕たち二人でゲームしていると大抵陽一が二人分話す。バランスはいいけれど、流石にうるさい。
僕は一位の表示を一見して、そのままゴールに突っ込んだ。数秒後に陽一がかなり際どいカーブでゴールインし、ゲーム機を放り出して床に転がってジタバタしだした。
「もーやだ。自己最高記録更新でも勝てねぇ」
「下の階の人に迷惑がかかるからやめて」
「俺久成以外に負けたことないんだぞ?!」
陽一が勢いよく上体を起こして、噛み付いてくる。
「僕だって陽一以外に負けたことないよ?これで88勝8敗だね」
「クソうざい」
「陽一への仕返しだったから、ちょうどよかった」
「こんな性格悪いアンドロイド作ったやつ呪う。俺、久成を女子にしてなんでもいうこと聞くやつに作り変える」
「その考え方自体、性格がひん曲がってるとは思わないの?」
陽一は恨めしそうな目で僕を見、投げ出したゲーム機を拾って指を突きつけてきた。
「もう一回勝負だ。次はレースじゃなくてバトルで行こう」
「構わないけど、君バトルで僕に勝てたことないよね?」
「だから次は勝つ!」
負けず嫌いで、根性のあるこの性格は、もともと体育会だからだろうか。
「さすが元バスケ部のキャプテン」
小声で呟く。中学の最後の大会で全国までいけたのは、専ら陽一のおかげだと聞いたことがある。実力、部長としての役目ともに完璧で、全国大会では惨敗だったものの、強豪校からスカウトされていたらしい。
推薦で行くこともできただろうに、陽一は中学の友達が一番たくさんいる公立高校を選択した。バスケを続ける気はないから、と卒業式では笑っていたけれど、その前日にもらった検査の結果を、放課後の体育館でバスケットボールを片手にぐしゃぐしゃに踏みにじる姿を見ていた僕は、複雑な気持ちだった。
「ねぇ陽一」
投げつけられた爆弾を器用にかわしながら尋ねる。
「んな?」
僕がお返しにはなったビームを避け損なった陽一が、周りながら転落する。陽一が暴言を吐き散らすのがひと段落した頃、僕は質問を切り出した。
「もし君が普通の人生を歩めていたとしたら、バスケ続けてた?」
画面が暗くなり、僕の方に勝利の旗が上がる。陽一は大きくため息をついた後に、僕に向き直った。
「そんなん言ったところでどうにもならんだろ。どうにかできるもんでもないし。叶わないことを希望として口にするほど、俺はガキじゃない」
呆れたような、軽蔑したような口調だった。
「でも、ほら、例えばスポーツに強くするとか・・・」
「機械が公式のとこでプレーしたら違反だろ」
「でももし・・・」
陽一は珍しく苛立ったそぶりを見せた。わしゃわしゃと前髪をかきあげ、僕を睨む。そして開き直ったように肩をすくめた。
「続けてたかもな。強豪校行って、プロになって。小さいときの夢なんて、叶うかどうか知らんけど、自惚れとかじゃなく俺はなれたと思う。時間さえあればな」
何を口にしてもトゲになってしまいそうで口を開けないでいると、陽一はもう一回だ、と言ってゲームの試合を申し込んで来た。
グダグダ悩んだってどうしようもないのなら、いまやるべきことをこなしていくべきだ。そう言われたような気がした。
結局、陽一が勝ったのは一回で、112勝9敗と差が開いただけだった。
流石にこれ以上は心が折れそうだという陽一の言葉を尊重して、僕はゲームの電源を落とした。負けすぎて悔しくなくなったと言っている割に、陽一はだいぶ不機嫌になって電気を消して布団にごろりと横になった。
「自由気ままな生活だね・・・」
突然暗くなったために、ちゃぶ台に足を取られてこけた僕は恨みがましくいう。
「いいじゃん、自由。あるだけ使っといて損はないって」
「自由、欲しいなぁ」
何気なく呟くと、陽一が上体を起こして腕を組むのが見えた。
「お前はさぁ、どうして自由になりたい?今となんも変わらんと思うぞ」
「話してなかった?」
「ほら俺、記憶力悪いから。聞いたかもしれないけど、忘れた。」
僕はソファに膝を抱えて座り、窓から見える遠くの高層ビルの光を眺める。高台にあるせいか、三階でも夜景が綺麗だ。目を合わせられない。こういう時、人は気まずくて目を合わせずに話すのだろうか。僕は、外の景色を眺めたまま、口を開いた。
予想していた声とは違う、失敗作のロボットのような、高くて、抑揚のない声が口をついた。
「僕はいろんな人の人格とか、体とか、頭脳とかを用いられて作られた実験物なんだ。いわば研究用ラットみたいなね。GPSつけられて、教授に支配されて、いらなくなったら捨てられる。僕も君と同じで、あと2年したら終わりだ。研究の目的は僕も聞かされてないから知らないけど、利用されるだけされて捨てられたくない。」
ソファに寝そべり、外からチラチラと入って来る街灯の光が、真っ白な天井を泳ぐのを追う。青い海の中に沈んでいるように、呼吸が苦しくなる。陽一が体を起こすのを横目で捉え、僕は陽一の方に寝返りを打った。陽一はかすかに震えていた。
「そんな理由か?悔しいから、自由になりたいのか?」
憤慨したように声を荒げる陽一に、僕はニコッと笑いかけた。暗くて見えなかったかもしれないが。
「違うよ。」
またいつもより高い合成音が口をついた。
「じゃぁ・・・」
「間違ったものは、これ以上作るべきじゃない。」
声が震えた。自分でもこれがなんの感情を表すのか分からない。視界が滲み、表情が歪む。
「僕以外に、アンドロイドなんてなくていい。教授に僕を渡しちゃいけないんだ。人間は計算式で成り立たないものであるべきだ」陽一の手が僕を掴み、僕を体ごと振り向かせた。
「じゃぁ、俺は?」
寂しそうな声色で陽一は笑った。
わからない。
わからなかった。
一瞬、それも間違いかもしれないという考えが頭をよぎった。慌ててその考えを消去し、笑みを作る。
「陽一はもともと人間だ。とてもじゃないけど、数式で表せるものじゃない」
気のせいだったかもしれない。けれど、僕は陽一の表情が崩れ落ちるようにもろくなったのを見た気がした。
「久成は、自由になって、何がしたいんだよ」
けれど聞こえた声は、全くいつもと変わらず明るく、能天気な響きを含んでいた。
「僕に関するデーターを片っ端から消す。全部だ。教授の実験室で、僕は自由に動けない。だから、油断している。そこをつく。もしそれが終わって壊されてなかったら、医療用ロボットにでもなるよ」
馬鹿げた映画の復讐劇みたいだ、と思う。唇の端をあげ、手の甲で目頭を抑える。僕は悲しいんだろうか。苦しいんだろうか。嬉しいのだろうか。いつもどこかで冷静な自分が感情を分析し、データーとして教授に持って行っている。けれど時々、自分の感情が何を意味するのか分からなくなる。
指先がわずかな水滴で湿った。
「・・・辛いか?」
陽一の声は低くて、静かで、穏やかだった。自分自身の感情を理解し、様々な激情を通り抜けてきた人の声だった。僕は首を傾げ、額を押さえた。
陽一は僕の頭を軽く撫で、大丈夫、と幼い子供をあやすような声で言った。
「ほんと、久成が女の子だったら良かったのに」
「・・・こういう場面で、そういうこというものなの?」
「さぁ。まぁでも、久成は実際年齢五歳だから割り切れる。弟みたい」
「そうだけど、僕としては変な教育を受けている気が・・・同い年くらいの見た目の男子の頭って、撫でるもの?」
陽一はぽかんとした表情の後、満面の笑みで頷いた。
「撫でるもの。ついでに言うと抱きしめたり手ェ繋いだりするもの。」
「そうなんだ。教授に聞いておくね。」
「ん〜そう言うのは人によって価値観が違うものだから・・・」
「そう言うことすると、多分色々誤解されると思う」
「知ってんのかよ。つまんねーなー」
「五歳の弟にそう言うの教えるの、よくないことだと思うよ」
僕がきちんと十二年上の友達に向かって教えてあげると、陽一はいつものように茶々を入れてはくれず、ハハ、と笑いながら立ち上がって窓際に歩いて行ってしまった。すらりと高い身長が、外の光に照らし出されて影になり、癖っ毛で、跳ねた髪の隙間から光が漏れていて、映画のワンシーンのようになっていた。
「ここから見える景色、こんな綺麗なのな」
知らんかった、と窓に張り付くようにして立っていた陽一が、急に振り向いて言った。僕は壁にかかっている時計を見て、日にちが変わっていることを確認し、目をキラキラさせている陽一に声をかけた。
「寝ないの?明日学校だよね?」
僕は寝ないで過ごすことも可能だ。無駄にエネルギーを消費するだけであって、寝不足ということはない。(最も寝ると言っても思考回路を停止させ、エネルギーの消費をゆっくりにするだけなのだが。)だが、陽一はそう言うわけにはいかないだろう。
「そうなんだけどさ。寝たくないんだよ。一日って、めちゃくちゃ短い。その時間無駄になる。」
陽一は振り返らずに、軽い口調で言った。
「・・・そう。僕は先に寝るね。おやすみ。」
リビングを出て、寝室へ行く。僕のプログラムには、もうすぐ死んでしまう高校生が何を考えるかなんてものは含まれていない。故に、時々陽一がどうしたいのかが、わからなくなる。
スマホの電話帳を開き、二番目に登録されていた人の名前に触れる。スリーコールで出たその人は、ぐずぐずになった声で僕の名前を呼んだ。
「どうしました?」
穏やかに聞くと、その人は笑い声を漏らした。
『大丈夫。それより、何か用?』
「今、アメリカですよね。時差計算したつもりなんですけれど、大丈夫ですか?」
『平気だよ。』
僕は壁に立てかけてあったヘルメット型の圧縮機を電源を入れずに被り、ベッドに腰をおろした。
「陽一がうちに泊まりにきてます。しばらくいてもらったほうがいいですか?」
『ありがとう。そうしてくれると助かる。用事終わったらすぐ帰国するから。』
僕はくすりと笑う。相変わらず早急な人だ。
「少しは観光を楽しんできたらいかがですか?」
『そんな時間ないよ。短すぎるんだよ。一日は。』
さっきも同じことを聞いたな、と思いつつ、別れの挨拶をして通話を切った。圧縮機を外し、放り出すように床におく。辛い情報も、嬉しい情報も、全て同等の価値がある。だとしたら、僕はすべてを同じように捉えて、贔屓無しに、どちらも大切にして過ごしたい。
「一日は、短いか。」
僕は四年だった余命が二年縮まったら、何を思うのだろうか。
きっと、ああそうか。とその境遇を飲み込むのだろう。僕は、機械だから。でも、陽一にとっての四年は、大学に行って、また多くの人に出会って、いや、もしかしたら就職して、お姉さんの学費を出してあげるつもりだったのかもしれない。
僕のような機械じゃない限り、人は10代で死ぬと聞かされたら、絶望のどん底に立つのだろう。やり残したことも、取り掛かる事すらできなかった物も、きっと沢山あるまま、いなくなる。陽一がどうやってその絶望から這い上がってきたかはわからない。もしかしたら、未だ絶望の底に立ちすくみ、先のない暗闇に閉ざされているのかもしれない。
僅かな光でも、見せられたら・・・
ベッドに横になり、目を閉じる。徐々に思考が止まり、意識が薄れて行った。
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