研究


「二日前に泣いた跡があるね、C-1097。何があった」

 グレーの棺のようなものに入れられ、胸部と頭蓋、四肢にチューブをつながれる。天井には眩しいほどの白い光が溢れ、僕は目を閉じる。光が遮られたかと思うと、長い黒髪が頬を撫でた。薄眼を開き、女性の顔を眺める。ゾッとするほど均等の取れた顔だ。人でありながら、感情のない機械のようだ。

「始める。用意はいいね」

 厚いメガネをした女性は、白衣の裾を翻し、デスクへ向かった。

「私は誰」

 脳にメッセージが送り込まれるというのは、こういう感覚なのだろうか。聞こえているわけではないのに、頭の中で声が響く。

 声を出して返す必要はない。僕の考えたことは全て、女性の元へ流れる。

__教授。僕を作った人。

 次々と質問が詰め寄せてくる。僕の日課から、昨夜最後に動かした体の部分まで。どうでもいいような質問に、どうでもいい答えを返す。ただのメンテナンスに、真意などいらない。どんなことを聞かれようが、どんなことをされようが、僕はただの従順な機械でいればいい。

「何故泣いたの?」

__友人の余命を聞いたら、涙が流れた。

「その涙の意味を、理解している?」

__同情。大切な人を失うことに対する恐れ。

 ピ、ピ、という機械音が僕の体温、脈、感情の起伏を計り、目の前のモニターに映し出される。

「最後に、お前は何?」

__機械。教授の実験物。自由は許されない物。

 教授は軽く頷き、僕の体からチューブを抜いた。

「服を着なさい。裸にされることに対する羞恥はある?」

 17歳の男子をモデルにした僕は、その年頃の男子が考えることをコピーされている。欠けていた場合は微調整をしなければいけないらしい。知能数は、平均をかなり上回り、普通には無い能力が組み込まれていても、考えることと体は、あくまで17歳の男子校生なのだ。

「恥ずかしい、といえばそうなのかもしれないですが、怒り、の方が近い気もします」

「正しい。理不尽に全裸にされるのは羞恥だけじゃない。この実験が始まって三年。お前は目覚ましい結果を見せてくれている」

 軽く頷き、教授が頷き返してくるのを見てからカバンを肩に放り上げる。

 どういう反応をするのが正解か。

 僕は常にそれを問われているだけであって、自分、というものは存在させておく必要はない。

 僕はYシャツのボタンを留め、袖を引っ張る。去年買ったものなのだが、だいぶ短くなっている。

「何故僕は年々大きくなっているんですか?いちいち解体して組み立てるのは大変だと思うのですが」

 唐突に尋ねると、教授はくす、と笑って、四角い殺風景な灰色の空間をくるりと一周歩いて回った。

「成長することが、大切なの。例え毎年その歳なりのプログラムを書き換えなきゃいけないとしてもね。お前の感情は最初に比べて、激しくなった。成長とともにあるべき姿になっていってくれている。息子と同じように思う」

「そうですか」

 教授は研究のために、なんでも費やしてしまう人だと誰かに聞いたことがある。

 家族だろうが、愛だろうが、幸せだろうが、惜しげも無く捨て去ってしまう人だと。二年前、教授は家族を捨て、子供に対する愛情も捨てた。非行に走った子供を、あっけなく切り捨てた。又聞きの又聞きでそれを聞いた僕は、どこの誰とも知らない教授の子供に同情した。

 きっと僕のことは、もっと簡単に捨てるだろう。使い捨てなのだ。この人にとっては何もかもが。夫であろうが友人であろうが、どこかの国の大統領であろうが、丸まっているゴミであろうが、教授にとってはどれも同じにすぎない。実験の結果が全てだが、それに感情はない。

「僕は後、どのくらい必要ですか」

 初期の頃の抑揚のない声が出たことに、自分で驚く。気持ちの悪い合成音。教授は無表情で僕を振り返った。そして笑った。冷たい笑い方だった。

「一年と十一ヶ月だね」

 ちょうどいい。なんという偶然だ。

「わかりました」

 教授はパソコンに向き合い、しっしっと僕に向かって手を振った。 

「今日はもういい。家と称している場所へ帰りなさい」

 僕はぺこりと頭を下げ、部屋を出た。

 白く無機質な廊下に、足音が響く。誰もいない。ただ広い。自動ドアを出て、外気の気温に触れると、肌がほんの少し冷たくなった。梅雨のじと、とした空気が、体にまとわりついてくる。空は雲がかかっていて妙に白っぽく、アスファルトの敷き詰められた道路は、昨日の雨で濡れていた。

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