噴水広場に設置されたベンチに腰掛けると、ソラは深いため息を吐いた。

 結局あの後、ヴェラドーネがやってきて、苦笑混じりにこう言ったのだ。


「試験官が不合格を出した以上、ギルドに入れないのが慣しでな。私はお前を迎え入れてやってもいいんんだが、例外が無い以上すまないが」


 つまりは、ギルドへの加入が出来なかったということである。

 肩を落とし、ユースに言われた事を思い出す。


〝――誰かに与えられた思いだけでやっていける程甘くねえんだよ〟


 それはソラにとって、胸を抉るに足る一言だ。

 俯くソラ。そんな彼に近づく姿があった。


「なにシケた顔してんのよ、あんた」


 顔を上げて、ソラは声を掛けてきた人物を見る。トゥネリだ。


「トゥネリ……?」

「隣……座ってもいいかしら?」


 無言で頷くのを見て、トゥネリは隣に腰掛ける。

 腰掛けて、トゥネリは天を見上げた。青く澄み渡っていた空は、日が暮れ始めているためオレンジ色になっている。


「あいつの言葉、あまり気にしない方がいいわよ」


 呟いて、トゥネリは身につけていた鞄から二つの小包を出して片方をソラに差し出した。


「はい、これ上げるわ。美味い物でも食べて忘れなさい」


 包みを受け取り、ソラは中身を開いてみる。


「あ……これ……」


 包みの中は、今朝方購入したリンゴのジャムが入ったパンだった。


「それ、わたしのお気に入り。まあ店主がやたら安い値段で買わせようとするから、なんでかいつも適正価格で買うための交渉をするハメになるんだけど」

「ボク、これ二つ150ヘルツェで買った」

「あ、そうなの? ちなみに材料費を考えたら、普通は二つ200ヘルツェかそれ以上よ。ちなみにわたしには常連だからって、最初二つで70とか言ってきたわ。まあ結局同じ150に落ち着いたんだけど」


 値段を聞き、ソラは苦笑する。もしかすると、薄々男だと気づいていたのかもしれないとも思いながら。


「なんでこんなことするのかって、あの店主に聞いたのよ」

「そしたらなんて?」

「そうしたいからそうしてるだっけって、しれっと言ったわ」


 トゥネリは笑うと、ソラの顔を見つめる。


「あんたもさ、自分がこうしたいって思ったから、ああいう戦い方したんでしょ?」

「うん……」

「だったら胸を張って貫きなさいよ。周りがなんと言おうともね」


 トゥネリの言葉は、ソラの傷ついた心を癒していた。

 同じ言葉を心の中で反復し、小さく頷く。そうだ。確かにきっかけはあの日、エイネに言われた事かもしれない。それでも自分がしたいと思ったのは、紛れもない自分自身が出した答えなのだと。


「ありがとう、トゥネリ。少し気が楽になったよ」

「そう? それなら良かったわ」


 ソラの笑う顔を見て、トゥネリは安堵する。そして小さな声で呟いた。


「やっぱりあんたに渋い顔は似合わないわよ」

「ん?」

「なんでもないわよ。それよりほら、食べなさいよ」

「いやでもボクもこれ持ってるし」

「はぁ? あんた昼に食べたんじゃないの?」

「いやあの……最初に会った時にタダで貰ったからそれで」


 ソラの言葉に、トゥネリは大きく項垂れる。この男もこの男でお人好しすぎるのではないかと。気持ちは分からなくもないのだが。


「じゃあいらないわよねって、なんで食べてるのよ」

「いあ、ふぉくおふぉほうはんひようほほほっへ」

「食べながら喋るな」

「いやだから、ボクが買ったのと交換しようと思って」

「ごめん、意味わかんない」


 呆れた表情で返して、堪らずトゥネリは吹き出す。そのまま腹を抱えて笑い始めた。

 突然の行動にソラは小首を傾げるが、すぐに釣られて笑い出す。そして思っていた。ああ、彼女は優しいままなのだと。それが分かり、嬉しくもあった。


「まあいいわ。交換しなくて」

「え、でもそれじゃ悪いよ」

「いいのよ。わたしが上げたいから上げるんだから」

「じゃあボクは交換したいから交換する」

「それじゃあ話が一向に終わらないじゃないのよ」


 言いながら、トゥネリは内心思った。お互いがやりたいことを押し付け合うのも考えものだなと。

 二人のやり取りはしばらく続くかに思われた。


「あ! お姉ちゃん!」


 そう呼んで、二人に近づく者がいた。

 声に気づき見てみると、一人の銀髪の少年がいた。


「あ、君は……」


 それはソラが怪我を治した少年だった。


「ほらお母さん! この人に怪我を治してもらったの!」


 少年をソラを指差すと、はしゃいだ様子で母親を呼ぶ。すると一人の女性が歩み寄ってきた。


「もう、セシル。失礼でしょ?」

「わかってる! ねえねえお姉ちゃん!」

「もう……本当にわかっているのかしらこの子……」


 女性はため息を吐くと、二人に軽くお辞儀をして話し始める。


「その、うちの子がご迷惑をお掛けしたようで」

「そんなことないですよ。転んだのをたまたま見掛けて治してあげただけですから」

「ありがとうございます」


 母親は深々と頭を下げた。

 一方セシルはさらに近寄って、ソラの右手を取った。


「ねえねえ、お姉ちゃん名前なんて言うの?」

「ん? ボクはソラっていうんだよ」

「ソラお姉ちゃん!」


 お姉ちゃんと呼ばれているのを見て、トゥネリは笑いを堪える。が、ソラとセシルが笑っているのを見て、ふと表情が曇り始めた。

 それには気づかず、ソラはセシルの手を握り、その頭を優しく撫でる。なんとなく、小さい頃の自分と重ねていた。


「僕、セシルっていうの!」

「そっか、いい名前だね」

「お姉ちゃんも素敵な名前だと思うの!」


 笑い合う姿を見て、母親も微笑む。


「セシル。あまり邪魔しちゃダメでしょ?」


 母親の言葉に、ソラは微笑んで返す。


「大丈夫ですよ。ね? トゥネリ」


 そして隣にいるトゥネリの方に顔を向けた。が、そこに彼女の姿は無く、辺りを見渡しても見当たらない。


「あれ?」

「ん? どうしたの?」


 小首を傾げるソラ。釣られてセシルも同じ方向に顔を向けた。


「あれ? 一緒にいたお姉ちゃんがいないね」


 セシルが首を傾げるのを見て、ソラは笑って答える。


「なにか用事でも思い出したのかな? 彼女、忙しいみたいだから」

「ふーん。あ、ところでお姉ちゃんはここでなにしてるの? 街であまり見掛けない人だなぁって思ってたの」


 セシルの唐突な問いに、ソラはどう答えたものかと頭を悩ませる。が、隠す必要も思い当たらないため、ありのまま話した。


「うん。実はギルドに入ろうと思ってこの街に来たんだ」

「ギルド! ねえねえ、ギルドだってお母さん! カッコいい!」

「え、ええそうね……」


 声を掛けられた母親が、少し青ざめた表情で答えた。心なしか、唇が微かに震えている。

 子供とは対照的な反応に、ソラは疑問符を浮かべる。が、そこで詮索はせず、セシルの頭を優しく撫でた。


「そうかな?」

「うん! だって沢山の人を助けてるんでしょ? すごくカッコいいことだよ!」

「そっか。でも入れなかったんだよねー」

「え!? なんで!?」

「うん。まあ色々とあって」


 表情が暗くなったのを見て、セシルが少し考えるように俯く。が、すぐに顔を上げると、満面に笑顔を咲かせて言った。


「ねえお姉ちゃん! 僕の家に遊びに来てよ!」

「え? 今から? でも急には悪いよ」

「大丈夫。ね? お母さん? お世話になったんだから、恩返ししてあげなくちゃ!」


 セシルの言葉を聞き、母親は彼の顔を見つめる。満面の笑顔からは純粋な想いが伝わってくる。

 すると母親も微笑んで答えた。


「ええ、そうね。良かったらうちに来てください。あまり豪勢なおもてなしは出来ませんけど」

「いや、でもさすがに……」


 断ろうとすると、セシルがあからさまに沈んだ表情をする。瞳が潤み、今にも泣きそうだ。


「えと、その……じゃあお邪魔します……」


 居た堪れなさに、ソラは苦笑しながらも承諾の意を示す。

 するとまたセシルの表情がパッと明るくなり、ソラの手を引いた。


「じゃあ行こ! こっちだよ!」

「あ、もう待って。そんなに急がなくても逃げないから!」


 走っていくソラとセシルの背中を、母親は呆然と眺める。手を繋ぎながら駆けて行く姿は、微笑ましくもある。


「なんだか……みたいね……」


 母親は呟くと、後を追って歩み出した。


 一方、ソラたちから離れたトゥネリは、ギルドへと続く道を一人歩いていた。唇を固く結び、苦悶の表情を浮かべている。

 ソラとあの少年が一緒にいる姿を見た時、トゥネリの脳裏にはある光景と重ねていた。一人の少女が、一人の空色の髪をした小さな少年の頭を撫でている様子だ。一度も見たことがないがはっきりと想像できた光景。その中で二人は満面の笑顔を浮かべている。

 拳を握り、トゥネリは立ち止まる。歯を食い縛り、天を仰ぐ。


「わたしにはやっぱり……あいつと一緒にいる資格なんか……」


 トゥネリが独り呟いた言葉は、暗がり掛かる空へと静かに消えていった。







 ヴェラドーネとユースはギルドの支部長室にいた。

 ヴェラドーネがにこやかに笑っている一方で、ユースは険しい表情をしている。


「一体彼のなにが気に食わなかったんだユース?」


 椅子に座りながら、ヴェラドーネの問い掛ける。対しユースは腕を組んで壁にもたれ掛かった。


「彼は実力も素養も十分だっただろう?」


 返事がないため、ヴェラドーネは続け様に問いかける。

 するとユースは嘆息混じりに答えた。


「確かに、あいつはギルドに入るのに十分な力を持っている」

「じゃあなんでダメなんだ?」

「戦い方だ。あんな戦い方は、命が幾つあっても足りない。それに時にはどうしようもない悪とぶち当たることだってある」

「その時、彼の戦い方では危険だと」

「ああ、そうだ」


 ユースはソラの力を認めていないのではない。戦ったからこそ分かる。彼はこの先も大きく成長していくことだろう。だが持っている思想は、ただの理想にしかならないことも分かっている。故に認めなかったのだ。認めるわけにはいかなかった。


「まあそうだよな。お前とは対照的なやり方だしな」

「そういう意味じゃねえよ」

「いいや。そういう意味だ。お前は自分が諦めた道を歩ませまいとしているだけに過ぎないよ」


 ユースは顔を反らすと舌打ちする。


「けどもしかしたら、ということもあるだろう?」

「いいや、無い。どうしようもない悪はその場で滅ぼすべきだ」

「それはお前の価値観に過ぎない。彼はただ救えるものを全て救おうとしているだけじゃないか」

「それが理想に過ぎないって言ってんだよ」


 話は平行線のまま、一向に終わりが見えない。

 ヴェラドーネとしては、ソラをギルドに入れたいと考えている。が、試験官が不合格を出して入ったという事例は一度もない。例外を作らないためにも、ユースに決定を取り消させようとしている。

 対してユースはその意思に反する考えだ。何よりは彼は、ヴェラドーネとの付き合いが長い。


「お前はあいつを利用してなにをしようとしている」

「おや、人聞きの悪いことを言う。私はただ、新たに入りたいという人間を歓迎したいだけだよ」


 にこやかに笑うヴェラドーネを、ユースは睨み付ける。


はいつもそうだ。影でコソコソとなにかを企んでいやがる。そんな臭いが隠せてねぇんだよ」

「おや、私はそんな臭いを出してるつもりはないのだが」


 ヴェラドーネはわざとらしく、自分の体を嗅ぐようにして右腕を鼻に近づける。

 その様子にユースは眉を寄せながら、ヴェラドーネの目の前に歩み寄って見下ろす。


「とにかく、お前がなんと言おうと俺はあいつを認める気はない。あいつはこっちの世界に来るべき人間じゃないからな」


 吐き捨てるように言うと、ユースは部屋を出ていった。

 ユースの背中を見送り、ヴェラドーネはくすりと笑う。そして立ち上がると、窓から外を眺める。

 眼下では人が行き交う姿が見受けられる。その中には独り歩くトゥネリの姿もあった。

 見下ろしながら、ヴェラドーネは不敵な笑みを浮かべながら一つ呟く。


「別にお前がどうしようが、彼はこっちの世界に来るなんだよ」


 ヴェラドーネの言葉は誰の耳にも届くことはない。太陽はゆっくりと沈んでいく。


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