観客は固唾を飲む。一体なにが起こったのか、大半が目で捉えることが出来なかった。

 それはトゥネリも同様で、言葉を失う。幾度かユースと戦ったことのある彼女でさえ、先の一撃は捉えることが出来なかったのだ。


「お、おい……見えたかよ今の……?」


 そして何より、ユースが人前であれだけの攻撃を繰り出したことは無かった。

 次第に会場が騒つく。中にはソラの安否を心配する者もいる。


「なによ……あんなの……わたしにはしなかったじゃないの……」


 トゥネリが動揺の声を発する。

 すると隣にいたヴェラドーネが微笑した。


「そりゃそうだ。ユースは相手に合わせて実力を出すからな。あれでも全力じゃない」


 人を超えた化け物――それがユースという男に相応しいとトゥネリは思った。常々感じてはいたが、今回のそれは確信に変わる。


「だからほら、あいつちゃんと防いでたろ?」

「え……?」


 言われて、トゥネリは気付く。

 ソラが立った。体に傷一つ無く、痛みを感じている様子もない。


「ふむ……思ったより硬いな……」


 ユースは攻撃した際の感触を分析していた。

 ソラは咄嗟に一撃を腕で防いでいた。その際腕にありったけの魔力を集中することで、腕の周りに防御壁を展開していたのだ。結果衝撃を和らげることに成功。普通であれば骨が砕けていてもおかしくはない一撃を、無傷で防いだのである。

 一方ソラはユースの動きに驚いていた。想定していた以上の速度であった。目で追うのがやっとと言うべきか。また力も凄まじい。防ぎはしたものの、衝撃に腕が痺れている。体を支えることもできず、壁にも激突した。一瞬でも防御が遅れていれば、その時点で意識を刈り取られていただろう。


(これは……全力を出しても通じるかどうか……)


 決定的な差があると理解する。それでもやるしかない。ソラは再び構える。


「今まで俺が試験で出した中で一番の速さだった。それを防いだのはまあ、及第点ってところか」


 表情を変えずに、ユースは言う。


「で、なぜ向かってこない?」

「ボクの戦い方は、相手の動きに合わせるやり方だからね……」


 答えると、ソラは微かに笑う。

 対しユースは「ふむ」と呟くと、地を蹴ってソラに近づいた。先程と同様の速度だ。

 であれば同じように、また躱すことが出来ない。そう周囲の誰もが思った。

 だがソラは躱す。素早く姿勢を低くし、横薙ぎの攻撃が当たるすんでのところで。そしてユースの持つ木剣に軽く触れて、続けて繰り出された蹴りを避けるために距離を取る。

 直後、ユースの手元の木剣は砕けた。

 周囲がまた騒つく。一瞬の攻防であるため、やはり理解が追いつかない。


「すごい……」


 トゥネリも思わず感嘆を漏らす。

 ソラは木剣に触れた時、魔力を流した。

 武装破壊の魔法――対象に魔力負荷を掛ける魔法だ。負荷が対象の許容範囲を超えた瞬間、破裂するという仕組みになっている。

 木剣に限らず、あらゆる武器に対して有効なものだが、対象に触れなければならないというリスクがあるため、進んで使う者は少ない。


(やっぱりあいつは……わたしなんかよりずっと……)


 トゥネリは唇を噛む。

 一方、ユースは破壊された木剣を眺めて嘆息する。


「これがお前のやり方か?」


 問いにソラは軽く頷く。


「そうか……だが武装を破壊した程度じゃこの戦いは終わらないぞ」


 ユースはまた地を蹴り、飛ぶように駆けた。踏んだ瞬間の衝撃に耐えられず、地面が抉れる。

 速度が上がった。そう感じたソラは目を凝らし、攻撃の瞬間を見極める。顔面に飛んできた右拳をまたギリギリのところで躱す。


「くっ……!?」


 拳が鋭く、掠めた頬に傷が出来る。直撃すれば一溜りもないだろう。

 だがユースの攻撃はこれだけでは終わらなかった。今度は左拳が腹部目掛けて飛んでくる。

 ソラはすぐさま両手のひらでそれを受け止める。

 凄まじい衝撃を堪えて、しっかりと地面に足を付ける。

 が、それが仇となったのか隙が出来てしまい、ユースは続けざまに腕を掴むとそのまま放り投げた。

 このままではまた壁に激突する。しかも先程とは比べ物にならない衝撃が来るはずだ。

 ソラは咄嗟に体を回転させて、足に魔力を集中させた。

 壁に足がついた途端、衝撃を受けて壁に窪みが出来る。


「痛っ……!」


 衝撃が足に響く。身体強化で負荷を軽減してはいるものの、痛みが走った。

 休む間も無く、ユースが突っ込んでくる。

 ソラはすぐさま壁を足場にして高く飛んだ。直後ユースの拳が、ソラがいた壁に激突する。


「おいおい、いくらなんでもやり過ぎだろあいつ」


 瓦礫と化した壁を見て、ヴェラドーネは苦笑した。

 着地して、ソラは土煙の中を見据える。何かを感じ、すぐに腕を顔の前で交差した。


「ぐっ……!」


 ユースの拳が、交差した腕を直撃する。これも衝撃を軽減しているとは言え凄まじく、痛みにソラは顔を顰める。

 その隙に飛んできた膝蹴りが、ソラの腹部に直撃する。


「がはっ……!?」


 よろめいて咳き込むソラ。すぐさま体勢を整えて、頭部に飛んできた回し蹴りを左腕で受け止める。


「どうした? 防ぐばかりじゃ一向に終わらないぞ?」


 呟くように言うと、ユースは体を捻るようにして宙を舞い、左脚を振り下ろす。

 ソラはすぐさまその場から飛び退くと、振り下ろされた脚が地面を直撃。これもまた威力が高く、地面を抉った。

 一連の攻防に、見ていた者はただただ驚くばかり。息を呑み、見守っている。

 ユースにここまで食い下がる者を見たことがなかったのだから当然の反応と言えよう。彼がこれまで試験した者の全てが、初撃の時点でダウンしていた。それはトゥネリも例外ではない。

 お互い息が上がっている様子もなく、睨み合っている。

 しかし全員が疑問を感じていた。ソラは攻撃を防ぐばかりで、反撃を一切しない。ユースの言う通り、彼からは闘志が感じられないのだ。

 訝しむ観客を他所に、ソラは思考する。

 一瞬の隙、それさえ現れればすぐにでも反撃に移れる。だがユースの佇まい、動きからは一切の隙がない。このままでは何れ猛撃に耐えられないだろう。


(こうなったら取れる手段は一つしかない……!)


 ソラは遂に自ら地を蹴った。その行動にユースは眉を潜める。

 ソラは確かに駆け出した。だが彼はユースに向かう素振りを見せず、闘技場内外周を走り回るだけだ。


「なにするつもりかわからんが……まあ乗ってやるか」


 ユースは嘆息気味に呟くと、拳を叩きつけようと突進する。

 ソラはそれに反応し、高く飛び上がった。

 拳はそのまま壁を直撃し、またも瓦礫と化した。

 このまま空中にいては格好の的。そう判断しソラは宙に氷の塊を生み出すと、それを足場にして素早く地面に着地する。

 直後、土煙の中から壁の残骸が無数飛んできた。

 ソラが地面を払うように手のひらを出すと、氷の柱が生成され、残骸を阻む。

 そして危険を察知し、すぐさまその場から飛び退いた。

 氷の柱が砕け、破片が地面に突き刺さる。

 ソラはこれを縫うようにして回避すると、今度はユースに向かって力強く踏み込んだ。

 ユースもこれに対応し、ソラ目掛けて突っ込む。

 両者の距離は一瞬にして縮まった。

 だが二人が組み合うことはなく、ぶつかり合う直前でソラの姿が消える。


「……まやかしか」


 ユースはこれがソラによる魔法だとすぐに判断する。気配からソラの位置を判断し、そこに向けて動こうとした。


「これは……?」


 しかしユースは動きを止めた。否、止めざるを得なかった。


「なんだ? どうしたんだ?」


 急にユースが動きを止めたことで、見ていた者が騒つく。

 ソラは息を切らし、彼から離れたところで片膝を突いていた。


「ほう……面白い戦い方をするじゃないか」


 何が起こっているのか理解しているヴェラドーネは、口元に笑みを浮かべる。


「あれは……何?」


 トゥネリは目を凝らす。何か薄らと光るものが見える。あれは一体なんなのか。


「あれは……糸……?」

「正解だ、トゥネリ」


 トゥネリの疑問に、ヴェラドーネは答える。

 そう、ユースの体に無数の糸が巻きついているのだ。氷の残骸を縫うようにして張っており、その中心にユースがいる形になっている。

 ヴェラドーネは得意げな表情で解説を始めた。


「あれは魔力を練って編み出された糸だ。普通魔力ってのは魔法の作用のために使われる。例えばさっきみたいに氷を生み出したり、肉体を強化したり、魔力を使って結果を生み出すのが魔法の基本だ」


 だが、とヴェラドーネは笑う。


「中には魔力そのものを形とし、それを現界させる手法もある。あれはその中でも結構な難易度で――魔力糸と呼ばれている」

「魔力糸……?」

「ああ。全ての属性魔法を操る大魔法使いでさえ、扱える者は片手で数える程しかいない。なんせ魔力糸を途中で切れないように編み出すには相当な魔力消費が必至だからな。使えたとしても燃費が悪すぎて、普段使いしてるやつはいない。ましてや人を捕らえるほどの魔力糸なんてどれだけの魔力が必要か」


 ヴェラドーネが説明している間に、場内から歓声が巻き起こった。


「す、すげぇ! あいつユースを捕らえやがった!」

「幾らユースが手加減しているとは言え、やるじゃないかあいつ」

「期待の新人ってやつか?」


 皆口々に称賛の声を上げる。巻き上がる歓声は大きくなり、中には拍手を送る者もいた。

 説明しながら、ヴェラドーネはあることに気がついた。そして苦笑して、額に手を当てて項垂れる。


「ただまあ……相手が悪かったなとしか……」


 肩で息をしながら、ソラはユースを見据える。魔力糸による捕縛を最初から狙っていたとはいえ、想定以上の魔力消費を余儀なくされていた。

 幾ら無尽蔵な魔力を持っていると言っても、一度に消費すれば相応の負荷が掛かる。ましてやユース程の実力者を捕らえるとなれば、相当強固な作りにしなければならなかった。

 額から汗が流れ、荒れた息が整わない。


「おい……」


 ふと、ユースが口を開く。

 それとほぼ同時に、ヴェラドーネも口を開いた。


「光の加護よ。その光であらゆる災厄から身を守るための障壁を生み出せ」


 光の壁が詠唱とともに、闘技場の壁面を境にしてドーム状にゆっくりと展開されていく。

 その間、隣にいるトゥネリは体を震わせる。巻き起こっていた歓声も、嵐の前触れのように静まり返る。全員の視線が、ユースに向けられていた。


(なによ……なんなのよこれ……!)


 悪寒が走り、トゥネリの額から冷や汗が滲み出る。

 それは周囲にいる者も同様で、肩で息をしているソラも例外ではなかった。

 光の壁が闘技場を包んだ直後、ユースから爆発したように渦巻く炎柱が巻き上がった。炎は周囲の氷を溶かし、魔力糸を焼いていく。


「今のはどういうつもりだ……?」

「ぁ……」


 ソラはユースの問いに答えられなかった。恐怖に心を支配され、ただ目の前の存在に平伏している。

 殺気。悍しい程の殺気が、ソラを突き刺す。


「いいか、よく聞け。こういうのはな、格下のやつにしか通じねえんだよ」


 炎の中から、ユースが歩み寄ってくる。


「お前……なんのためにギルドに入るつもりだ?」


 目の前に立ち、顔を覗き込むようにしてソラを見るユース。吸い込まれるような鋭い眼光が、戸惑うソラの目を見据えている。


「ボクは……ボクはただ誰かの笑顔を守りたくて……」

「じゃあ聞くが、相手が殺すつもりで襲ってきたらお前はどうするつもりだ? もしお前より強いやつが、お前が守ろうとしているものを壊そうとしたらどうするつもりだ?」


 ユースの問答に、ソラの脳内にかつての記憶が呼び起こされる。大切な人を守れなかったあの日のことを。

 あんな思いはもう二度としたくない。そのために、アウルスから戦う術を学んだのだ。ソラの瞳が戸惑いから決意に変わる。


「絶対にそんなことさせない。なにがなんでも守り通す。そのためにボクは戦う力を求めたんだから」

「じゃあ、今のはなんだ?」

「あれがボクの戦い方だよ。極力、ボクは相手のことも傷つけたくない。その人もきっと、誰かに大切に思われているって信じてるから」


 ソラの言葉は、トゥネリの耳にも届いていた。


(それが……ソラの……あいつの思い……)


 トゥネリは胸に手を押し当てる。彼女もまた、同じ思いを抱えている。何より彼女は、あの時ソラの力になれなかったことを後悔しているのだ。そのために戦う術を得て、今ここにいる。

 拳を強く握り、トゥネリはソラを見る。


(だったら……わたしは……)


「ここから立ち去れ。お前にこの場所は相応しくない」

「けどボクは!」

「お前は不合格だ」


 吐き捨てるように言うと、ユースは踵を返して離れていく。その瞳は冷たい。

 ソラは肩を落とした。ただ彼なりの思いでこの場所に来ていた。それは間違いではない。この思いは間違いであるはずがないのだと。


「なにもあそこまで言わなくてもいいのにな?」


 落胆するソラを見て、周囲から同情する声が聞こえ始める。

 彼らは皆、ソラの思いを否定する気はない。むしろ立派な考えではないかと思っている者もいる。まだよく知らなくても、きっと彼は心優しい人間なのだろうとひしひしと感じていた。


「なにが気に食わなかったんだろうな?」

「さあな。案外全力出してて負けたとか?」

「なわけないだろ。少なくとも確実に手加減はしていたぞ、あいつ」


 彼らがソラに対して感じているのは、あくまで上辺だけを見てのものだ。

 だがユースは戦いの中で、しっかりとソラの心の奥に潜むものを捉えていた。故に彼はそれを否定し、立ち去れと言ったのである。そうしなければいずれ、ソラは身を滅ぼすと。

 歩きながら、ユースは背中越しに一つ呟く。


だけでやっていけるほど、この世界は甘くないんだよ」


 ユースが掛けたその言葉は、ソラの心を深く抉るのだった。







 ルージュヴェリアは受付で書類を眺めていた。

 シェルヴィアが押しつけられた仕事を手伝う彼女だが、ソラのことが心配で集中出来ずにいる。目を通しても内容が頭に入らず、その処理の手が一向に進まない。時には「んー、うーん」と唸ることもあった。

 その様子を隣でちらちらと見るシェルヴィア。これでは一人でやっているも同然であるため、嘆息を漏らす。


「ルー、そんなに心配なら見てきたら?」

「え、いいんですか!?」


 食いつきが早い。シェルヴィアは苦笑する。


「そのかわり、終わったらすぐこれ手伝ってよね?」

「はい! ありがとうございます!」


 嬉々として立ち上がると、ルージュヴェリアは書類を卓上に放り投げる。一応は重要書類なのだが、そんなことも気にせず一目散に駆け出した。

 闘技場に入ると、観客席はこの上ないほど静まり返っていた。観客の視線の先では、ソラが肩を落として立ち尽くしている。


「怪我はしていないみたいだけど……」


 あの様子から察するに、不合格であったのだろうか。そうルージュヴェリアが考えていると、ふとすれ違う者がいた。

 思わず振り返ると、黒いフード付きのマントを身に纏っており、なんとも怪しい雰囲気がある。

 ルージュヴェリアはフードの影から覗く顔を、一瞬ではあるが見ていた。


「今の人……どこかソラさんに似ていたような……」


 背中を見つめるルージュヴェリアを他所に、マントの人物は静かに歩いていく。フードの中にあるのは、輝くような銀髪。深く被っているため、口元以外は上手く判別できない。

 歩きながら、不意に口元が微かに動いた。


「そう……それがあなたの答えなのね、ユース……」


 その呟きは、誰の耳にも入らずに虚空へと消えた。


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