第一章 旅の始まりと共に歩む者

プロローグ




 二ギロの入り口に一台の荷馬車が止まっている。その手綱を握って静かな笑顔で座っているのは、二ギロの村長ヘンリーだ。

 荷馬車の後ろには大勢の人がいた。今日村を出発する一人の少年を見送るため。それぞれが少年に向けて言葉を紡ぐため。少年の無事を祈るため。そして少年の出発を祝うために、彼らは集まっている。


「ソラちゃん。気をつけて行ってくるんだよ?」

「大丈夫だよ、おばあちゃん。ボクももう子供じゃないんだから」

「土産話期待してっから、たまには帰って来いよ?」

「うん。おじさんも元気でね」

「おじ!? お兄さんだろ!」


 この場に悲しむ者はおらず、皆笑顔でソラを見送ると決めていた。

 ソラもまたそれに応えて、眩しいほどの笑顔を見せている。


「ソラちゃん。無茶はしないでね? 自分が出来ることだけを頑張るのよ?」


 ただ一人、ソラの旅路の行く末を心配しているクリンベルは笑顔を曇らせている。


「大丈夫だよベルさん。六年間、アウルスさんのところで色々と学んだから」

「そうだけど……でも、なにかあったらすぐ私を頼ってくれていいからね?」


 いつも明るく振る舞っている彼女がここまで表情を硬くしているのは珍しい。思わずソラはくすりと笑うと、クリンベルの両手を優しく取る。


「うん。いつもありがとう、ベルさん。でもボク、ベルさんには特に笑っててほしいな。ベルさんの笑顔、ボク好きだからさ」


 すると、周囲から歓声が巻き起こった。


「おい、ソラのやつベルさんに告白したぞ!」

「えっ、あ、いや違うから! ボクそういうつもりで言ったわけじゃないから!」

「あらあら、顔を真っ赤にしちゃって。ベルさんよかったねぇ?」

「違うってば!」


 慌てるソラに対して、村の人々は笑い声を上げる。

 釣られて、クリンベルもまた笑みを溢していた。


「ベルさんやっと笑った」

「うぇ? あっ……」


 ソラの指摘に、恥ずかしさから紅潮して視線を逸らすクリンベル。その仕草を見た村の男たちは皆揃って心の中でこう言っていた。「ソラ、美味しいところを有難う」と。


「みんなの笑顔見ながら行きたいからさ。ね?」

「そうだぜベルさん。これが今生の別れじゃないんだ。それに案外、泣いて帰ってくるかもしれないぜ?」

「そんなことないよおじさん。ボクはもう子供じゃないんだから」

「あ、お前またおじさんって言ったな!?」

「言ってないよーだ。おじさん」

「てめえ、そういうところ子供だって言ってんだぞ!?」

「あなた。その反応も十分子供よ」

「ほら、奥さんにこう言われてるよ?」

「俺に味方はいないのかよ!」


 男の叫びにまたひとつ笑い声が上がる。

 その光景を見てクリンベルは思い直す。そう、これは彼にとって晴れやかな旅の始まりなのだ。ならば自分こそが、彼を満面の笑顔でいなければならないのだと。


(エイネちゃん……あなたが愛する人はこんなにも大きくなったわよ……)


 クリンベルの脳裏に、一人の少女が浮かぶ。彼を最初に育て、愛した少女の姿が。


「そうよね。うん。ごめんなさい、みんな」


 クリンベルはひとつ深呼吸する。そして満面に花を咲かせて、いつもの雰囲気で言ってやった。


「よし! じゃあ、次帰ってきたら今度は私がもっと沢山のことを教えてあげるわ! それこそもう手取り足取り裸の付き合いだって――」

「いやあのベルさん。さすがにそこまでしてって言ってないですよ?」

「いやよぉ! 可愛いソラちゃんを愛でたいの! ちなみにあの本はどこまで読んだのかしら?」

「よ、読んでない! 読んでないから!」


 クリンベルの言う本とは、ある恋愛ものの物語を書いた本である。顔を真っ赤にして否定しているソラだが、その様子では説得力が無いのは言うまでも無い。

 またひとつ、笑い声が上がる。なお。


「おいソラ羨ましいぞ! 俺を差し置いてベルさんから裸の付き合いを迫られるなんて!」

「ええ? おじさん、そこで話盛り返すの?」

「ちょっとあなた……私という妻がいるのに、その発言は聞き捨てならないのだけど?」

「あいや冗談だ、冗談。だからお前、その鬼のような形相はやめてくれぇ!」


 一組の夫婦に僅かばかりの亀裂が走った気がしなくもないのだが。

 ソラは苦笑して、村の人々を一瞥する。すると一瞬だけ、見送る者たちの中に白銀の髪をした少女が混じっていたが、その姿はすぐに消えた。


「さてと。いつまでも話してたら日が暮れちゃうから、もう出発するね」

「うん。気をつけるのよ、ソラちゃん」

「ベルさんも元気で。時間がある時に手紙送るから」

「ふふふ、ありがとう。これ、持っていって」


 ソラの言葉に微笑むと、クリンベルは持っていた物を差し伸べる。


「これは……」


 手にあったのは、ソラの好物であるリンゴだった。


「うん、ありがとうベルさん」


 ソラも微笑むと、リンゴを受け取る。

 二人の一連の様子を、村の人々は静かに見守っていた。

 振り返り、馬車に乗り込むソラ。もう一度、村の人々を眺める。

 笑顔で立つ少女の姿がまた、一瞬だけ見えた。


(いってきます。エイネ……)


 そしてソラは村人ひとりひとりの顔を頭に焼き付けていく。何があっても忘れないように。


「それじゃあ、お願いします」

「はいよ。出発じゃ」


 鞭を打つ音、馬の嘶きとともに馬車は動き出す。


「いってきまーす!」


 声を張り上げて、ソラは大きく手を振る。


「いってらっしゃい!」


 村の人々も同じようにして、手を振る。お互い、姿が見えなくなるまで振り続けていた。

 馬車は森の中を駆けていく。木々の隙間から光が漏れ、幻想的な風景を生み出している。

 ソラは人の姿が見えなくなっても、手を振り続けていた。森の動物たちが通り過ぎた道に現れ、見送るようにして馬車が走っていくのを見ていたからだ。


「みんなも、またねー!」


 ソラの声に答えるように、動物たちは各々の鳴き声を上げた。

 動物たちに混じってアウルスの姿もある。


「いってきます。師匠」


 手を振りながら、ソラは微笑んだ。

 森を抜け、馬車はドゥエセの街を走る。

 六年前の魔物騒動が嘘のように、街は活気を取り戻している。当時子供だった者たちも成長し、親の手伝いをして生活していた。店の品物を運ぶ者。店で売り子をする者。木材を加工する者など様々だ。

 彼らはふと、馬車の方を向いた。中にソラがいることに気がつくと、微笑んで軽く手を振っている。皆、当時のことを鮮明に覚えていた。誰もが恐怖していた中、たった一人脅威に立ち向かった少年を。

 ソラは彼らに軽く手を振った。

 ふと、ある夫婦の姿を見つけた。あの日、救えなかった子供の母親だ。二人もまた、ソラに軽く手を振っていた。妻の腹部には子供がいるようで、膨らんでいる。

 ソラは二人に対し、表情を曇らせながらも軽く会釈した。

 ドゥエセの街を抜けると、その先に広がっていたのは高原だった。舗装された道の周囲には、草が生い茂っている。この道を進むことで、昼頃には王都ブリアンテスにたどり着くだろう。

 着くまでの持て余した時間を潰そうと、ソラは鞄の中を漁った。

 最初に出したのは、クリンベルに渡されたリンゴ。

 一口、また一口と齧っていく。口に広がる甘みに顔を綻ばせながら食べ進め、残った芯は魔法で粉末状にし、これを流し込むようにして飲み込んだ。

 それでも時間は余っている。ソラは再び鞄を漁り、一冊の本を取り出した。

 ソラにとって思い出の一冊。毎晩のように読み聞かせてもらっていた、この世界の御伽噺が書かれた本。

 彼が開いたのはその第一章のページ――人類誕生に関する話だ。







 世界が最初に生み出した人間は八人と言われています。それぞれ男四人と女四人。みな姿形が整った美男美女だったそうです。私たちは最初に生み出された彼らを〝原初の八賢者〟と呼んでいます。


 彼らは世界から知識を与えられ、この星で生活する権利を得ました。

 しかし彼らには初め、知識はあれど今の私たちが当たり前に持っているあるものが欠けていました。それが感情――人間が人間であるために必要不可欠な要素です。

 感情を持たなかった彼らは、世界に言われるがままの生活を送りました。獣を狩れと言われれば狩り。火を起こせと言われれば火を起こし。狩った獣を食えと言われれば食う。そんな、操り人形のように生活を送っていたのです。


 世界は次第に憤りました。ただ言われるがままに生きる彼らを欠陥した存在として、見放しました。

 八人の賢者たちは最初は何もせず、一切動くことをしませんでした。当然です。彼らはただ言われるがままに動いていただけなのですから。


 そんな日々が何日も続いたある日のことです。


 一人の男がふと動きました。彼は空腹に耐えられず、食事をするため獲物を捕りにいったのです。この男は後に、グルトンと名付けられます。


 一人の女が突然泣き出しました。女はなんでもいいから沢山の物が欲しいと強請ったのです。後にこの女は、デシルと名付けられます。


 デシルの隣にいた女が怒り出しました。デシルが泣く声があまりに五月蝿く、またあまりに下らないと思ったからです。後にこの女はルエグナと名付けられます。

 デシルとルエグナは終いに、喧嘩を始めてしまいました。


 一人の女が、喧嘩しているの二人の間に割って入るようにして突然抱きつきました。この女は美しいものが何より好きでした。そのため、美しい彼女たちが傷つけ合うのを嫌ったのです。後にこの女はヴェルナーデと名付けられます。


 そんな三人の様子を、一人の男は興味がなさそうに眺めていました。というのも、この男は自分が誰よりも力が強いと思っており、他のものを蔑んで見ていたのです。後にこの男はアルガンセと名付けられます。


 またある男は、アルガンセに対して明らかな敵意を示すようになっていました。この男はアルガンセの強さを誰よりも理解しており、そしてその強さに嫉妬していたのです。後にこの男はネイドと名付けられます。


 ある男は突然立ち上がると、行きたいところへと走り出しました。彼は自由を求めて、自分のやりたいことを好きにやるようになったのです。後にこの男はファルティアと名付けられます。


 各々が思うように行動し始める中、ただ一人だけ、ある女は何一つ動こうとしませんでした。きっとこの話の読者である皆様は、この女には感情が芽生えなかったと思うことでしょう。しかしそうではありません。彼女は八人の中でただ一人、世界を愛したのです。そのため世界の指示を待ち続けました。後にこの女は、イヴェルテーラと名付けられます。


 世界は彼らの行動を面白がりました。そこで彼はあることを考えたのです。彼らが他の人間を導いたらどうなるだろうかと。その好奇心から世界は八人以外にも、大勢の人間を生み出しました。

 人々を導くことを任された彼らは、自分たちが考えるままに導き始めました。


 グルトンは自分の空腹が簡単に満たされるよう、土地を耕して作物を作らせました。また狩りの仕方を教え、食の大切さを説きました。


 デシルは自分の周囲を物で満たそうと、グルトンに協力して人々に物の作り方を教えました。住むための家屋、狩りに必要な武器、土地を耕すための道具の作り方などです。


 ルエグナはというと、自分が選んだ人間だけを集めて、八人の輪の中から去って行きました。彼女は自分が好んだものたちと静かに暮らすことを選んだのです。その際彼女は、海のど真ん中にある小さな孤島に選んだ人々を導いたと言います。


 ヴェルナーデもまた、ルエグナと同じように八人の輪の中から外れました。生まれた人間の中で自分が美しいと思った女だけを連れて、遠く離れた土地へと向かったのです。後に彼女は、女だけが住む国を生み出すことになります。


 アルガンセは弱きものに興味がありませんでした。そのため、人々を導こうとはせず、ただ一人だけどこかへと姿を消したのです。次の章でもお話しすることにはなりますが、彼は近い未来、グルトンとデシルが生み出した国を守護するための唯一無二にして最強の騎士となります。


 ネイドはアルガンセに対抗して、自分も同等の力を得るため、何より誰よりも強い存在になるため、生まれた人間の中でも特に屈強な者たちを集めて旅に出ました。後に彼らはひとつの国を作り、世に戦乱を招く存在となりますが、詳しい話はまた次の章でお話ししましょう。


 そしてイヴェルテーラはと言いますと、愛する世界のためにそれぞれの陣営を監視することを選びました。この時彼女だけは、世に争いが起きることを予期していたと言われています。そのため彼女は一部の人間を集めて、同じ役割を担う組織を生み出しました。別の章でも詳しく話しますが、後にそれが、今の私たちの時代でも世界を股に掛けて活動する〝ギルド〟と名付けられるのです。


――「世界のおはなし」 第一章 人類誕生のお話 より







「ソラちゃんや。見えてきたぞ」


 ソラが本を読み進めていると、ふとヘンリーが中の方に呼びかけた。

 言われて本を閉じ、前からひょっこりと顔を出す。すると、彼の視界に、巨大な壁が見えてきた。


「すごい……あれが……王都……」


 今まで見たことのない巨大なそれに、ソラは思わず感嘆を漏らす。


「村長は結構行ったことあるんだよね?」


 ソラの問いに、ヘンリーは笑う。


「そうじゃのう。村から王都に引っ越す者のために何度も来ておるよ」

「やっぱり、すごいの?」

「うむ。ドゥエセの街とは比較にならないくらいの賑わいじゃよ」

「そっか……」


 ソラの瞳は好奇心で満ち満ちている。これから待っているであろう、新たな出会いに胸を躍らせる。この場所から、自分の夢を叶えるための第一歩が始まるのだと。

 そんなソラの顔を見て、ヘンリーは微笑んだ。これまで孫のように思っていた一人の少年の旅立ちを、心から喜んでいる。何より、きっと多くの人を笑顔にするのだろうという確信があった。


「ありがとう、ヘンリーお爺ちゃん。送ってくれて」

「なに、孫の頼みじゃ。当然のことじゃよ。それに王都に入るには、わしの手続きが必要だからの」


 馬車は壁の前に差し掛かった。壁に設けられた大きな門の前には二人の兵士が立っており、その傍らに関所の建物がある。


「ソラちゃん、馬を頼めるかの?」

「うん。任せて」


 ヘンリーは馬車を兵士たちの前で止めると、下りて関所へと入っていく。

 関所に入り彼が懐から出したのは、木の板に紋様が書かれているものだ。板に彫られた紋様はどこの集落あるいは国に属しているかを指している。王都に入るためのいわゆる許可証で、誰か一人が必ず携帯していなければならない。二ギロではこれを村長であるヘンリーと、クリンベルしか持っていない。

 これと同時に、王都に入る者の身分や出生を示す証明書の提示が求められる。これらの審査が通れば、漸く王都に入れるというのが、この国のルールである。

 ヘンリーが手続きを済ませている間、ソラは荷車を引いていた馬を撫でていた。


「ご苦労様。乗せてくれてありがとうね」


 ソラがそう言うと、馬がひとつ答えるように鳴く。その様子を、門番の兵士は不思議そうに眺めていた。


「ソラちゃんや、手続き終わったよ。これで中に入れるよ」


 ヘンリーは手続きを終えて帰ってくると、そう微笑んだ。

 それを聞き、ソラは必要な荷物を荷車から下ろす。


「はい、ソラちゃんの身分の書類。ギルド加入の手続きに必要じゃから」

「ありがとう。いよいよ……だね」

「うん。頑張るんじゃぞ」

「はい、いってきます」


 別れの挨拶をして、ソラは少し緊張した面持ちになる。いよいよここまでやってきた。もう後戻りはできない。これからどんな苦難があろうと、自分の力で乗り越えていかなければならない。

 ひとつ深呼吸して、門の前に立つ。高くそびえる威圧感に少し圧倒されながらも、堂々と胸を張った。首から下げたペンダントに自然と手を添えて、握りしめる。


「開門!」


 兵士の号令とともに、巨大な扉が開いていく。ゆっくりと、大きな音を立てて。

 この扉が開いた瞬間、ソラの旅が本当に始まる。そしてそれは同時に、この世界に新たな歴史が刻まれていくことを意味していた。


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