エピローグ




 朝の食事を済ませ、ソラは一度家に戻ってきていた。

 家に入った瞬間、エイネの姿が一瞬だけ映る。がすぐに消え、静寂が漂う。


「ただい……ま……」


 溢れてくる涙を拭って呟くと、ソラは唇を固く結んで家の中を歩いた。

 向かったのは自分の寝室だった。

 着替えるために服を脱ぐ。

 ソラの首には、エイネが身に付けていた魔力結晶のペンダントが下がっていた。その紐には、エイネが髪を結うために付けていた白いリボンが括り付けられている。

 着替え終わると、次に婦人に渡された鞄に荷物をまとめ始めた。これからしばらく、家を留守にするためだ。

 支度を終え、鞄を手に部屋を後にする。

 階段を下りたソラは、そのまま玄関に向かい、出ようと扉に手を掛けた。


 ふと、机の上にある花冠に目が行った。

 荷物を置き、テーブルに近づく。 

 花冠を手に取ると、花たちがぼろぼろと落ちる。冠は完全に枯れていた。

 ソラは目を閉じると、花冠に魔力を送った。すると元の鮮やかな姿に戻っていく。新たな生命が、宿っていく。

 ソラが目を開けたときには、花冠は元通りになっていた。

 元に戻った花冠を持ったまま、ソラは再び二階へと向かう。

 そしてエイネの寝室に入ると、花冠をベッドの上の壁に飾った。


「エイネ……いってきます」


 飾られた冠は、窓から射し込む太陽の光に照らされて輝いていた。





 家を出て、クリンベルに連れられてやってきたのは森の中だった。

 ソラはこの場所を知っている。一度だけ森で迷った時に来たことがあった。

 そう、案内されたのは大男の住む小屋だった。


「アウルス、来たわよ」


 婦人が声をかけると、小屋の戸が開いた。


「来たか。坊主、久しぶりだな」

「あのときは、お世話になりました」


 ソラの返答に、アウルスは微かに笑みを浮かべる。


「あのときは? ふん、これからすぐにお世話になるんだろうが。来い」


 アウルスの後について、ソラは歩く。

 その背中を、クリンベルは悲しげな表情で見送った。


「これからお前を鍛えてやる」


 なぜアウルスの下に来たのか、それは特訓するためだった。

 アウルスは過去にとある国の闘技場で剣闘士をやっていたのだという。その勝利は数知れず。どんな挑戦者をも滅多打ちにし、名を轟かせていた。

 ソラの強くなりたいという思いに、これだけの適役は他にはいないだろう。


「いいか。返事は、はいしか聞かん」

「はい!」

「ちなみに今は聞いていない」

「理不尽だ……!」


 斯くして、アウルスによるソラの特訓は始まった。

 時には汗を流し、時には傷だらけになり、時には血反吐を吐きながら、それでもソラはアウルスの特訓に付いていった。ただ一心に、強くなりたいという思いで。

 アウルスもその思いに答えた。自分が身につけた技をすべてソラに叩き込んだ。

 中には〝ソラ自身が考えた戦い方〟を確実なものにするための特訓もした。


 そして、特訓を始めてから六年の月日が流れた。


「ふぅ……参った」


 ソラはアウルスを打ち負かすほどに成長していた。


「まったく。筋肉がろくに付いてないくせして、どこにそんな力がありやがる」

「何言ってるんですか師匠。身体強化ですよ、身体強化」


 ソラの身長は六年前よりも大きくなっていた。


「まったく。歳には敵わんな」

「おかげでボクでも勝てるようになりましたしね」


 髪の毛も伸びていた。伸びた空色の髪は、白のリボンを使い頭の後ろで一纏めにしている。


「生意気言いやがる。言っておくが、殺し合いじゃねぇから手加減してるだけだぞ」

「わかってます。師匠の本気にはまだまだついて行けそうにないですよ」


 そして顔立ちはというと。


「お前さんが来て丁度六年か。その憎たらしい顔は母親にそっくりだ」


 美少女と見間違うほどの美人顔になっていた。


「そっくりって、どういう風に?」

「若い頃のまんまだ」

「ええ? ボクそんなに似てるんですか?」


 なお、本人にあまり自覚は無かった。

 アウルスは思わず大きなため息を吐く。


「さて、この六年間お前は俺を通じて多くの経験を得た。だからその経験を武器に、お前にはこれからある場所に向かってもらう」

「ある場所?」


 ソラは小首を傾げた。

 対してアウルスは口元ににやりと笑みを浮かべると告げる。


「王都ブリアンテス。そこでお前には世界を股に掛けて活動する――ギルドに入ってもらう」


 それはソラにとっての旅が始まる宣言でもあった。





 ソラが魔物と戦い、エイネが消えた夜の日のこと。

 打ち付ける雨の中、ソラの母親ヴェルティナは一人森の中にいた。


「がはっ……!?」


 木に肘を突き、胸を押さえつけて口から大量の血を吐き出す。

 これを何度か繰り返しているため、地面には血だまりが出来ていた。


……さすがの私でも体が耐えきれないか……」


 呟き、また血を吐き出す。


「けど……もう立ち止まるわけにはいかないのよ」


 荒れた息を整えて、ヴェルティナは覚束ない足で歩き始めた。

 彼女の足音を、雨がかき消していた。

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