第31話:理想の世界のために

 あの時の風景は今でも夢に出てくる。

 夢に出てくる時は決まって私が倒れている所から始まる。


 私は倒れている自分の近くに立っていて、あの事件の一部始終を見るのだ。

 あの光景は何度も見て来たが未だに慣れない。


 真っ赤に染まったバンパーと、少し離れた所に倒れている親友の姿。

 今となっては親友――葵の元気だった姿の方が印象が薄くなってしまった。

 あの太陽の様だった笑顔は、今や思い出すことが出来ない。


「ねぇ、私のこと忘れちゃったの? 酷いね」


 轢かれたはずの葵が立ち上がってこちらへ歩いてくる。


 所々破れた服は血で真っ赤に染まっており、あちこちの骨が折れてしまっているのか、足は引きずっている。

 片目は髪で隠れてしまっているが、恐らく眼球は事故の衝撃で飛び出てしまっているのだろう。

 チラチラと空洞が見て取れる。


「忘れるはずないでしょう? 葵」


 目の前で立ち止まった葵に向かって精一杯の笑顔で答える。


「そんなはず無いわ。だってあなた最近恋人? ができたみたいで随分楽しそうじゃない」


 葵は隠れていない目で、詩織を睨んでいる。

 その目からは抑えきれない憎しみが溢れ出る様に血が流れだしている。

 

「やめて。彼はそんなのじゃないわ。それに安心して、もう少しだから」

「もう少し?」


 葵は変わらず詩織を睨みつけながら言った。


「ええ、もう少し」


 詩織は葵の横を通り過ぎ、公園の出口へ向かう。

 中学生の詩織は泣き叫び、発狂していた。


「あとちょっとであるべき道へ戻せるから」


 ボソッと呟いて公園を出る。

 公園を出る事が夢から覚める合図。

 心の奥底にしまい込んでしまってもう思い出せないけれど。


 葵――あなたの眩しい笑顔は必ず私が取り戻すから。

 たとえどんな犠牲を払っても構わない。

 私の選んだ結果が彼を不幸にしてしまうとしても、これが私の選んだ道なのだから。


「愛する人をその手にかける。その時あなたはどんな顔を見せてくれるのかな?」


 後ろから葵の声が聞こえてくる。

 詩織の苦しむ顔を想像しているのか、その声はとても楽しそうだった。

 その声をもろともせず、詩織は振り返り言った。


「だから待ってて、葵。あなたは絶対救ってみせるから。私の命に代えてね」


 まるで自分に言い聞かせる様に。

 詩織はいつもの仮面を被る。

 これを被るといつもの詩織に戻ることができる。


 事故なんて知らない、幸せな少女でしかない詩織だ。

 普通に学校へ行って、普通に恋をして。そんな幸せな詩織。


 だけどそんな幸せな時間はもう終わり。

 やっと贖罪をすることができる。

 これはその為に始めた戦いなのだから。





 あっさりとデートの予定が決まった。

 元々詩織は決戦の日取りを確認しようとしたのだ。

 だが電話をかけようとしたその時、ソウが部屋にやってきて言った。


「詩織、この前お母様と買い物に出かけた時に福引がありまして。物は試しだと引いてみたらお見事一等賞、という訳でプレゼントです」


 ソウがこう言って遊園地のペアチケットを置いていったのだ。

 あの時の、言わなくても分かるよねと言わんばかりの笑顔は今思い出しても殴り付けたくなるが、今はそんな場合ではないだろう。


 このチケットをどうしようか、誘うべきか否か。

 こんな事を考えているそんな時に海翔から電話が来てしまった。

 

 当たって砕けろ。

 そんな精神で誘ってみた所なんと返事はオッケー。

 とここまでがこれまでのあらすじである。


「デート……よね?」


 思いのほかあっさりと決まってしまって、実は違うのでは? と会話を再び思い出してみたがやっぱりそうだ。

 遊園地に男女二人きりで向かう。

 これはいわゆる……。


「デート……よね!」


 海翔とのデート。

 顔がニヤついて仕方ない。

 さっきソウを殴りつけてやろうなんて言ったが、今やそんな事はどうでも良い。


 なんせ明日はデートなのだから。

 服はなにを着ていこう、どんな事を話そう、どんなアトラクションに乗ろう。

 彼は絶叫系は得意だろうか。様々な考えが浮かんでは消えていく。


「ふふふ」


 特に意味もなく、部屋をくるくる回ってみる。

 そうでもしないと、この興奮は抑えきれなかったのだ。

 この時、詩織はそれだけ興奮していた。

 ソウがこっそりと、この状況を見ていたという事を気づかないくらいには。

 

「普段は何見てるのよ」と罵声を浴びせられるソウだったが今日は、ばれずに退散する事ができた。

 ソウもハッピー、詩織もハッピー。そんな休日の朝であった。




 翌日、デート初日の朝。

 心配された天候であったが雲一つない見事な快晴。

 だが晴れた日は気温も低い。

 今朝の澄み切った空気の中を冷たい風が吹いている。


 本日は休日の為、町は静かな雰囲気で満たされていた。

 爽やかな朝の空気を楽しみながら犬の散歩をする老人、ランニングをする女性。

 みんな形は違えど、静かな朝を楽しんでいた。


 ただ一人、詩織を除いては。

 朝の遠藤家、詩織の部屋。

 今ここは、戦場と化していた。


 詩織は前日に今日着ていく服を決めていた。

 詩織が1日考えたコーデである。


「うん、これで完璧ね」と様々な雑誌やインターネットの情報を参考にした組み合わせである。


 自信はあった。

 なのでその日はそのまま満足感に包まれながら就寝する事ができた。

 問題は翌朝起こった。


 さぁそろそろ着替えようか。

 詩織がそう思っていた頃である。

 偶然通りがかったソウが言った。


「あれ、今日はデートなのにスカートじゃないんですか?」


 この何気ない一言が引き金となった。

 そこから家は大騒ぎ。


 どっちがいい、こっちがいい、やっぱりこっちがいい? 


 結果、納得いく服を選び直し詩織が出発するまでの一時間は壮絶なものだった。

 ソウを倒れさせたのはクロウ、そしてこの時の詩織、この二人だけであった。

 この時の光景をソウはこう言う。


「私を倒れさせる事は敗北を意味します、騎士なので。この後も先も、私を倒れさせたのはクロウと詩織だけでしたね……」


 お茶の間の平和を守る騎士は、死んだ目でこう語った。



『ワールドランド』は十年前、この町に出来た遊園地だ。

 建設が決定した時には環境に悪いだとか経済効果は本当にあるのかとか周辺住民と色々あったらしいが今となってはこの地域には欠かせないアミューズメントパークとなっている。


 なんせこの近くで若者が行くところと言ったら反対側のショッピングセンターか、ここしかない。

 少なくとも詩織達のような若者にとっては欠かせない場所である。



 全部は制覇はできなかったけれども、詩織達はかなりのアトラクションを回った。

 一日中パーク内を歩き回った二人はもうヘトヘトだった。


 疲れたねなんて話をしながら手近にあったベンチに腰掛ける。

 家を出た時あんなに高い場所に位置していた太陽は、もう少しで沈んでしまいそうだ。


「詩織の叶えたい願いって何なの?」


 海翔が真っすぐ詩織を見つめて言った。

 適当な事を言って誤魔化す事も出来ただろう。

 だけどそれは絶対にしてはいけない事だ。


 明日は決戦の日。

 どちらかの願いが叶う日だ。

 しかしそれは、どちらかの願いは踏みにじられるという事だ。

 明日はそんな大切な日なのだ。

 そんな日を詩織は仮面を被ったまま迎えたくはなかった。


 詩織は高校に入ってからは出来るだけいい子を演じて来た。

 親友を見殺しにした悪い子という素顔の上に、良い子という仮面を被ることによって。


 当然海翔には嫌われてしまうだろう。

 だけど願いが叶ったら詩織はこの世から消える。


 だから海翔にどう思われてもいい。

 半分自暴自棄だったのかもしれない。

 


 全てを語って、海翔の顔を見る。

 他人の前で仮面を外したのはこれが初めてだった。

 この時の詩織は大層酷い顔をしていただろう。


「これが私の願い。ごめんね、長々話して」


 だから笑った。今詩織が出来うる精一杯の笑顔を浮かべて。


 海翔は何かを考えている様な難しい表情を浮かべている。

 海翔は優しいから詩織を慰める言葉を探しているのかもしれない。


 そんないらぬ気を使わせているという事に、詩織はさらに自分が嫌いになった。

 こんな苦しみを味わうなら話さなければよかったとまで思った。


「詩織は強いね」

「え?」


 予想外の一言だった。

 なぜなら詩織は想像しうる限りの罵詈雑言を受ける覚悟をしていた。

 いや、むしろ汚らしいと、罪深い自分をけなして欲しいとさえ思った。


 そんな時彼から飛び出してきた言葉は詩織をけなすどころか褒める言葉だった。

 だから始め海翔が誰を褒めているのか分からなかった。


 少し考えて、その言葉が自分に向けられていたと理解して更に困惑した。

 呆けた顔をしていたことだろう。


「だってさ、詩織はずっと一人きりで戦ってきたんだろ? 自責の念と。自分が死ねばよかったのにって思ったんだろ? 僕だったらそうは思えない。だから強いなって」


 そんな事は有り得ない。

 詩織はずっと逃げ続けて来たのだ。

 詩織は仮面を被ることによりずっと葵から逃げてきた。


「買い被りすぎだよ……。私は戦ってなんかいない。逃げていただけ。必死にあの事件を忘れようと、許されようと……」


 突然視界がかすむ。

 少しでも気を抜けば涙があふれ出してしまうだろう。


「過去をやり直す。それって詩織が親友の代わりに死ぬって事だろう? そんな事のためにふつう命は、張れないよ」

「だってそうでもしないと! そうでもしないと彼女は、葵は助からないんだもの……!」


 詩織は諦めていた。

 私は一生この罪を背負って生きていかないといけないんだ。

 これが私の罪なら喜んで受け入れよう。そう思った。

 

 そんな時ソウと出会った。

 ああ、これが私があの時生かされた理由なのだと、詩織は理解した。

 だからソウを助けた。


「でもそれじゃあ何も解決しないよ。その葵さんがまた詩織と同じ事をするかもしれないだろ」

「じゃあ……。じゃあどうすればいいの!? 私は本来死ぬべきだったの。だからあの日に戻って葵の身代わりになる、それだけが今、私の生かされている意味なんだから!」


 詩織は突然湧き上がってきた怒りから思わず海翔の胸倉を掴んだ。

 これは八つ当たりだ。

 海翔に当たったって何も変わらない。


 そんな事はわざわざ言われなくたって分かる。

 しかし、これまで自分を突き動かしてきた原動力を否定されて詩織は海翔に八つ当たりをしてしまった。

 そんな弱い自分を詩織は更に嫌いになった。


「だからそれじゃ何も解決しない!」


 海翔がこれまで大声を上げた事なんてなかったのでとても驚いた。

 詩織の手を海翔は「ごめんね」と優しくはずす。


 海翔は言った。

 詩織が葵の身代わりになっても何も変わらない。

 もしかしたら葵も詩織と同じ事を繰り返してしまうかもしれない。

 だから詩織はこう願うべきだ、と。


「詩織。折角天使、いや神様に願うんだ。あの時、葵さんが死なない様にしてくれ。ぐらい言ってもいいんじゃない?」


 彼は満面の笑みでとんでもない事を言い放った。

 こんな傲慢で、我がままな願いは無いだろう。


 だがこれまで詩織はこんな事考えた事もなかった。

 詩織の前提条件として、自分は裁かれるべきだ、そしてこれは贖罪の戦いだと思っていたからだ。


「いままで辛かったね。よく頑張ったね。詩織、君も幸せになっていいんだ。君だけが不幸を背負わなくてもいいんだ。君はもう十分すぎる程に苦しんだ。それでもまだ苦しいっていうならその苦しみごと僕が引き受けるよ」


 海翔が泣きじゃくる詩織を優しく抱きしめる。

 その暖かく大きな胸はこれまでの詩織の全てを許してくれる天使様だ、そんな気さえした。


「弱くたっていい。もう自分は強いと偽らなくてもいいんだ」


 海翔は詩織が泣き止むまでずっと優しく抱きしめていてくれた。

 詩織はずっと自分の事が許せなった。


 あの時生き残ってしまった自分が。

 親友を見殺しにしてしまったのに周囲の人たちに優しくされる自分が。


 仮面を被ることによって葵を忘れようとした自分が。

 そんな自分の事を海翔は許すと言った。

 僕が君の罪を引き受ける。

 これ程まで詩織に響いた言葉は無かった。

 詩織はずっと自分を偽ってきた。

 自分は強いんだと、自分は許されざる存在なのだと。


 詩織はずっと見ないふりをしてきた。弱い自分を、許されたい自分を。

 だけどもう許されてもいいんだ。そう思う事ができた。


「ねぇ葵。私達、また笑いあえるかな」 




 海翔と二人で並んで家へと帰る。

 あんなに人の前で泣いたのは初めてだったから恥ずかしくて海翔とは一言も話せなかったけれど、二人を繋ぐ固く結ばれた手。

 詩織にはこれだけで十分だった。


 あっという間に家の前まで着いてしまう。

 だが今日はいつもの様なもう別れてしまうんだという悲壮感はなかった。

 

 海翔は私を救ってくれた。


 だけど詩織の願いはより強いものとなった。

 詩織の願いは変わった。

 あの事件を無かった事にして葵、そして私自身を救う。


「だからそれまで待っていて、葵。あなたは必ず私が救って見せるから」


 海翔と分かれた後、詩織は空へ向かって呟く。

 願いを叶える為の戦いはもうじき終わる。

 少年少女どちらかの願いを踏みにじるという形で。



「また……」


 詩織はまたあの事件現場に来ていた。

 いつものように詩織は倒れている自分の近くに立っている。


「また私を忘れるんだね。そうやって自分を偽って」


 倒れている葵がおもむろに立ち上がり、詩織の方へ歩いてくる。


「ええ、そう。私は自分を偽り続けてずっとあなたを忘れようとしていた」


 詩織は胸に手を当てて、これまでの自分を振り返りながら言った。

 詩織は仮面を被り、ずっと葵を隠してきた。


「忘れようとしてきた? 今だってそうじゃない。この世界がその証拠よ」


 今までこの世界は葵が作った悪夢だと思っていた。だけどそれは違った。


「この世界は私が作り出した虚構の世界。仮面を被った私があなたを忘れない様に作った世界」


 弱い詩織は葵を事故の記憶と共に消してしまおうと思った。

 その結果生まれたのが仮面を被った詩織。


 しかし何と皮肉なものか。

 事故を隠そうと作ったその仮面こそが葵を事故の時から引き留めていたのだ。


「ねぇ葵。私進むよ。許してなんて今更言う気はない」


 いつもの通り葵の横を通り過ぎ出口へ向かう。


「だけど思っちゃったんだ。またあなたと会いたい。あなたと笑いあいたい。あなたと成長したい。だから……」


 公園の出口の前で立ち止まる。

 そして振り返り言った。


「だから待ってて! 命に代えて、なんてもう言わない。私があなたを救って見せるから!」


 葵は驚いた様な表情をしていたが、クスッと笑った。

 久しぶりに見たが遠い記憶と同じ、昔通りの葵の笑い方だ。


「そう。詩織、それくらい無茶苦茶な方があなたらしいよ!」


 事故に遭っていない、中学生の頃の葵が笑う。

 凄惨な事故現場が真っ白な世界へ移り変わっていく。


 もう仮面を被るのはやめだ。

 そのままの、むき出しの自分で生きていく。


 もう私は逃げない。

 葵を救うため、そして自分が救われるため。


 私は真正面から戦う。

 そしてたどり着いて見せる。

 私の理想とする世界へ。

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