第三話 人は見かけによらぬもの


 それからフランソワを見かける度に私は心の中でほぅっとため息をついていました。


 彼は特別なオーラをまとっていて、周りには特別に照明がついているかのようで、常にキラキラと輝いて見えました。生まれも高貴な上に、高級文官として就職していて、その上見た目も美しいし、フランソワはイイ男とかそんな低俗なレベルではなく、もっと高みにいる王子様です。


 それに彼のお姉さまは百年に一度現れるかどうかという大魔術師なのです。もちろん私のような者でも、庶民でも知っている人は知っている有名人です。


 王都の街は南西から北東に流れるラシーヌ川により分断されていて、王宮の西側でラシーヌ川の北にあたる王都北西部はカルティエ オ・ラシーヌと呼ばれています。ラシーヌ川の上部、北側に位置する地区という意味です。


 その高級貴族の豪邸が建ち並ぶオ・ラシーヌでも一番の高台に、小高い丘を背にして建っているのがテネーブル公爵家のお屋敷です。


 逆に川の南側、港に近い王都南東部はバ・ラシーヌと呼ばれています。ラシーヌ川の下部という意味です。我が家はバ・ラシーヌでも一番ごみごみした王都中央に位置しています。とにかく、川を挟んでこちら側と反対側では天と地の差なのです。




 私は段々と仕事にも慣れてきました。高級文官として職に就いていますが、本来は私の仕事ではない雑用も何も言わずに引き受けるようにしています。


 私に仕事を教えてくれる普通文官のポリーヌさんは先輩ですし、私の指導のために時間を取られて彼女の本来の仕事が出来ないこともままあるのです。


 部屋の皆とは良好な関係を築けていました。特にすぐ上の先輩のニコラさんにはとてもお世話になっています。


「クロエさん、ありがとう。計算手伝ってくれて。ついでにこっちの書類も間違いないか見てくれると嬉しいなぁ」


「はい。分かりました」


「ニコラ君、どうして貴方は新人のクロエさんに頼っているのよ!」


 既にこんなやり取りばかりで、ポリーヌさんによると私の方がニコラさんの世話をしていると言う方が正しいそうです。私はそれについては否定しませんが、日々出来ることをしているだけでした。


 私は時々ポリーヌさんのやり残した仕事を引き受けて残業をするようになりました。家庭があるポリーヌさんですから、私が代わりに残ることで少しでも彼女の負担を減らそうと思ったのです。


 そもそも彼女の仕事が山積みなのは私の指導をしているからなのです。帰宅が少々遅くなっても私は構いませんし、残業は苦になりませんでした。




 そろそろ日も短くなってきたある秋の夕方でした。私は部屋で一人だけ残って書類の仕分けをしていました。


「精が出るね、ジルベールさん」


 書類の山に埋もれていて、人が背後に立っていたことにも気付きませんでした。


「キャッ!」


 驚いて振り向くとなんとそれはフランソワでした。彼のような人が隣の部屋の、一度紹介されただけの取るに足らない新人の名前を覚えて居たことに二重にびっくりでした。


「驚かせてしまってごめんね」


「あ、いえ、とんでもございません……」


「えっと、僕も明日朝一番に提出の書類があって残業中なのだよね。忙しいところ申し訳ないのだけど、一通り目を通してもらえるとありがたいんだ。間違いや誤字、何でも良いから気付いたことを言ってくれるかな?」


 私は耳を疑いました。フランソワが私に書類の手直しを頼んでいるようです。


「はい、もちろんです、私でよろしければ……」


「期限の前日まで手をつけなかった僕の責任だよね、いつもの悪い癖なのだけど。うちの部屋にはもう誰も残っていなくて」


 仕事の締め切り直前に一夜漬けをして、しかも就職間もない新人に手伝いを頼むだなんて、私の中の王子様像から大きく外れています。しかも彼は照れ隠しに頭を掻いています。


「では、拝見いたします」


 書類を受け取った私の手と彼の指が触れ合いました。


「いきなり無理を頼んでいるのだから、君の仕事が終わってからでいいよ。それまで待つから。もしかして新人だからって仕事押し付けられているの?」


 そんなことを言われても、王子であろうがなかろうが、職場の先輩を待たせる訳にはいきません。


「とんでもございませんわ。今すぐ目を通して持って参ります。私の仕事は急ぎではありませんし、それに押し付けられたわけでもないのです」


「なるほどね。ジルベールさんみたいに鳴り物入りで入って来ると周囲に気を遣って苦労するね」


 意外なことに王子様にねぎらわれています。


「そんな、苦労でもありませんわ。就職前は不安でしたけれど、部屋の皆さまも優しい方ばかりで楽しく仕事をさせてもらっています。早速テネーブルさまの書類に取り掛かりますね」


「じゃあここで待っていてもいい?」


 フランソワの輝くような人懐っこい笑顔にドキッとしてしまいます。彼の顔が直視できなくて何も言えず頷く私でした。私の隣、ニコラさんの席に座った彼の視線をビシバシと感じてしまいます。


 けれど、私は書類に集中するようにしました。それにしても意外です、彼の字は汚いわけではないのですが、癖があって読みにくいったらありません。私はさっと目を通した後、二回目はメモを取りながら本格的に書類の一語一句を読み砕いていきました。王子様に見つめられていることが気になってしょうがありませんでした。


「遠慮なく気付いたことは何でも言ってね」


 王子様の書いた文にダメ出しをするのは躊躇ためらわれました。それでも、仕事は仕事と割り切ります。


「あの、生意気とお思いでしょうけれど、公式文書ですしこちらの言い回しは不適切かと……それから、第二頁のこちら、句読点を付け足した方がよろしいと思います」


 他にも色々と訂正や改善点を提案しました。


「ありがとう、ジルベールさん。流石、適切な分析だね。今晩早速直すよ。これで明日の朝室長にこっぴどく怒られなくて済む、助かったぁ」


 フランソワは私の意見にも気を悪くすることなく、きちんと聞いてくれるのです。

それにしても、本当に次期公爵に対して怒鳴れるとしたら、隣の部屋の室長を改めて尊敬します。


「お役に立てたようで何よりですわ」


 私は座ったまま軽く頭を下げて自分の仕事に戻ろうとしました。フランソワはまだそこに居ます。


「えっと、お礼に今晩食事にでも、と言いたいところなのだけど……僕はこの書類を仕上げないといけないし、僕のせいで君もまだ仕事が残っているだろうから、また今度改めて、と言うことで。じゃあね」


 また自分の耳を疑いました。今、彼は私を食事に誘おうとしたのでしょうか、まさか信じられません。


「い、いえ、そんなお気遣い無用ですので……」


 そして王子様は爽やかな笑顔を残して退室しました。残された私は瞬きを繰り返さずにはいられませんでした。完璧フランソワ王子様の印象が大きく変わった、あまりにも驚きが続いたその日の夕方でした。


 それから書類を届けにフランソワの部屋に行った時などに目撃したことや、職場の他の人達の話を合わせると、意外な王子様像が浮かび上がってきました。隣の部屋の室長は本当に度々フランソワを怒鳴っていて、彼は苦手な仕事は後回しにして締め切り直前まで手をつけないことや、彼の字は読みにくいという定評があることなどを知りました。


 王子様も実は人間っぽい面が多い人だったのです。




***ひとこと***

おや、クロエちゃんの第一印象が段々と……

前作「子守唄」ではフランソワ君の仕事ぶりには触れていませんでした。というのも彼自身が語り手でしたから。『成績は中の上くらいで、高級文官にギリギリなれた』と自分で白状していました(子守唄第四話より)

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