第二話 キラキラ王子様、現る


 就職初日の夕方、私は足取りも軽く帰宅しました。


 我が家は王都中心部のごみごみした住宅街の狭くて古い借家です。こんな私も実は男爵家の娘で、貴族の血だけは引いています。しかし、私の父の代になると領地経営が上手くいかなくなり、土地も屋敷も手放してしまいました。


 母は父に愛想をつかし、私と妹を連れて王都に越して来ました。まだ幼かった私や妹は知らなかったのですが、父は他所のあちこちで愛人を作っていたのです。そのために散財して領地の経営もおろそかになって一気に我が家の家計が傾いたのでした。


 私は幼い頃の記憶は少しばかりはあったものの、自分たち一家は王都に住む貧乏な庶民だと思って育ちました。父はそのままジルベール家に僅かだけ残された領地の土地にしがみついて住んでいました。


 私が中等科に上がった年、酒飲みだった父は長年の不摂生がたたって亡くなりました。私たちには借金だけが残されたのです。私や妹にとっては優しい父でしたが、領地の経営管理や夫業には向いていなかったのです。


 私は侍臣養成学院に上がった頃から休みの日や夕方は近所のよろず屋で働いていました。少しでも家計を助けるためです。王宮に就職してからも続けるつもりでした。収入は多いに越したことはないですし、就職前に署名した書類にも副業禁止とは書かれていなかったからです。


 母は私たちの前で父のことを悪く言うことはありません。けれど私たち姉妹の目には父親は頼りなくてろくでもない人間だったと映っていました。


「お母さまはどうしてお父さまと結婚されたのですか?」


「若い頃の私は男を見る目がまるでなかったのね。お父さまは美男子で優しくて、私のような平凡な女の子は彼に言い寄られて求婚されて有頂天になってしまったの。貴女やダフネが生まれた頃まではまだ良かったわ」


 私も小さかったので、領地で貴族の娘として裕福に暮らしていたことはあまり覚えていないのです。だから男爵令嬢クロエ・ジルベールは私の妄想の中に存在するだけなのだと思っていました。


 母は私たち姉妹に男を見る目を養いなさい、一人でも生きていけるように手に職を付けなさい、と事ある毎に口を酸っぱくして言います。母も男爵家出身の貴族ですが、ジルベール家が落ちぶれてからは王都でお針子として私と妹を育ててくれました。


「男なんてまず口先だけの生き物です。浪費癖、女癖、手癖は不治の病で、私が治してあげるなんて思ってもまず無理なのです。それから嘘つきは男でも女でも一生嘘をつき続けるものなのですよ」


 私は学院でも学業一筋で真面目な生徒でした。そのせいで少々世間慣れしていないところがあるのは認めます。私の周りには母を始め、人生の教訓を説いてくれる人が大勢います。一つ下の妹のダフネはませていて、私は世間知らずで素直すぎるから心配だといつも言われています。近所に住む親友のエレインも妹とほぼ同意見なのです。


「クロエはね、ろくでなしの男に惚れこんで簡単に騙されそうだから、気を付けなさいね。学生の頃はまだいいわよ、私の目の届くところに居るのだもの。魑魅魍魎が跋扈ばっこする王宮に勤めるようになってからが気懸かりでしょうがないわ」


「チミモウリョウだなんて難しい言葉を知っているなんて流石ね、エレイン」


「貴女が教えてくれたのよ!」


 私より二つ上のエレインは仕立屋の娘で、社交的で友人も知り合いも多いのです。仕立屋の手伝いのかたわら、王都新聞社で働く新聞記者で、主な担当は人生相談コラム『マダム・サジェスに聞く』です。マダム・知恵サジェスの担当は何人も居て、エレインは同年代の若者の悩みを専門に答えています。


 エレインは元々文章を書くことが好きで、学生時代は国語の成績がとても良かったのです。勉強嫌いで不真面目で遊んでいるように見える彼女も実は陰で猛勉強をしていることを私は知っています。




 就職して初めての休みの日、私はよろず屋で店番をしていました。そこへエレインが顔を出しました。


「まあ、高級文官のクロエ・ジルベールさまによろず屋で小銭勘定をさせるなんて気が引けるわね」


「私は有名なマダム・サジェスをお客さまとしてお迎え出来るなんて光栄よ」


 私は人が居ない所ではエレインを担当コラム名から『マダム・サジェス』と呼ぶことがあります。


「今日はお客として来たのではないの、貴女の家に布地を持って寄ったらここに居るって言われたから。副業もしばらくの間は続けるのね?」


 エレインの仕立屋は時々お針子の母に仕事をくれるのです。


「ええ。最低ダフネが就職するまでは、と思っているわ」


「で、どう? 天下の王宮でのお仕事は?」


「まだ数日だけだから分からないけれど、私の部屋は私も入れて六人だけで皆さんとても親切な方よ」


「良かったじゃない。貴女には大勢の人間を相手にするよりも、そんな小ぢんまりとした環境が合うわよね。周りは皆貴族のエリートなの?」


「私の部屋は一人私と同じ学院出身の平民の女の人が居るわ。他は皆貴族ね」


「まあ、貴女もこう見えて実はお貴族さまなのだけれどね」


 エレインの言葉に私は笑みをこぼします。彼女とはお互い歯に衣着せずに話せるのです。


「他の部屋にもちらほら平民の普通文官なら居るみたいだけれど、一人一人の出身や身分はまだ把握していないし、あまり興味もないわ」


「貴女だって粗末な服を着ていても、時々ふとしたことから品の良さが漂ってくるものね。それに、人は見かけによらぬものだし、王族も乞食も服を脱いですっぽんぽんになったら同じ人間よねぇ」


「ふふふ、マダム・サジェスはいつも正論をおっしゃいますわね」


「それで、クロエ、どう? 天下の王宮本宮は?」


 彼女には先ほども同じ質問をされました。けれどエレインの笑みは何だか意味を含んでいます。


「何が聞きたいの、エレイン?」


「とぼけないでよ、イイ男いる?」


 私は瞬きを繰り返しました。エレインのはやる気持ちも分かりますが、彼女の好奇心を満たせるような返事は出来ません。


「まだ数日だけだし、紹介された人も多すぎるし、分からないわよ」


 同じ部屋のニコラさんはエレインの言う良い男の範疇には入らないような気がします。私より幾つか年上のニコラさんは数日一緒に仕事をしただけなのですが、何だかまるで弟のような感じなのです。


 私の部屋の両隣はもっと人数も多くて、一度に皆を紹介された私は一通り名前と顔は一致しているものの、素敵な男性が居るかと言われても……私もそんなに同僚をジロジロ観察しているわけでもありません。


「まあ、そうよね。貴女みたいに飛び級で平民の学院からいきなり職場に飛び込んで、肉食動物のギラギラ目で男を物色していたら絶対反感買うわね。そもそも貴女はそんなキャラではなくて、奥手でお堅い処……」


「エレイン! 他にお客さんはいらっしゃらないけれど、そんなこと大声で言わないでよ……」


 いつものことなので、話の先が読めた私でした。


 彼女の言う通りお堅い処女の私でしたが、財政院で紹介された同僚の中で一人だけ私がその容姿と立ち振る舞いに思わず見とれてしまった人が居ました。隣の部屋で働く、高級文官フランソワのことです。テネーブル公爵家の長男で、彼のお姉さまは王国随一の大魔力を覚醒したという黒魔術師、ガブリエルさまです。


 フランソワに紹介された時、私は仕事中の彼に少し頭を下げただけでした。ところが彼は優雅な動作でわざわざ席から立って私に微笑んで握手の手を差し出してくれたのです。女にしては背の高い私よりも更に頭一つ高く、短い金髪に青緑色の瞳で、その笑顔はあまりにもまぶしすぎました。


「貴女は優秀な成績で入って来られたと聞いています。よろしくお願いします」


 言葉遣いも美しく、話し方だけでも高貴な身分の人と分かります。貴族の同僚は他にも沢山居ますが、彼の立ち居振る舞いはその中でも一段と高みにいる人のものです。


 握手に応えるために恐る恐る差し出した私の手はしっかりと握り返されました。温かくて大きな手でした。




***ひとこと***

男主人公フランソワ君登場です。クロエの彼に対する第一印象は、超セレブといったところでしょうか。

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