第四話 本気の恋に落ちる五日前


 その当時は自分でも気付いていなかったのですが、実は完璧ではないフランソワ王子様に職場で会えるのが楽しみになっていました。そして彼の意外な一面を発見する度に、少しずつ身近に感じられてきたのです。


 ある時、休憩室でフランソワが美女にコーヒーを手渡されているところに私はばったり出くわしました。


「はい、どうぞ、フランソワ」


「ああ、ありがとう」


 恋愛沙汰には非常に疎い私でも、彼女がフランソワに気がありありなのが分かります。


 私はおやつを食べようとして休憩室に足を運んだのです。先客が居るとは知らずにそこに行って大後悔しました。別に職場なのですから私が遠慮する必要はないのですが、二人の距離感と言うか、微妙な雰囲気に気まずくなりました。


「あっ、失礼致しました」


 私はそこでくるりと向きを変えて立ち去ろうとしたところ、フランソワに呼び止められました。


「クロエ、君もコーヒー飲みに来たのでしょう、どうして出て行くの?」


 彼が私を名前で呼んだことに私の体はビクッとしました。私の苗字だけでなく名前までも彼は覚えていたのです。そっと消えようとしたのに、私は逃げるわけにもいきません。


 どこの部署の人か知りませんが、美人のお姉さんのにらみをビシバシと感じてしまいます。彼女は今流行りの大きく開いた袖口に沢山レースがあしらわれたドレスを着ています。インクで汚れて非常に仕事がしにくそうな恰好ですし、職場に着て来るにはあまりにも派手過ぎる赤色でした。


「えっと、お邪魔でないのでしたら……」


 私は自分のコーヒーを入れ、休憩室の一番隅の席に座り、美男美女のカップルから目をらし、一人でひっそりとおやつの時間にするつもりでした。持ってきたクッキーを取り出して、コーヒーを一口飲んだところ、私の正面にフランソワが座ったのです。


「美味しそうだね、僕も貰っていい?」


 妹が焼いたこのクッキーは確かに美味しいのですが、形も揃っていなくて少々焦げています。昨晩妹のダフネは急いでいたためか、少し失敗したと言っていました。お世辞にも美味しそうには見えません。


「はい、もちろんです。お口に合えばいいですけれど。あの、よろしかったらそちらの方もどうぞ」


「いただきまーす」


 フランソワはニコニコしながら私の向かいでクッキーを頬張り始めました。美女を無視するわけにもいきませんから、一応声を掛けました。もうゆっくりおやつを楽しむことは諦めます。


「私は結構ですわ。じゃ、フランソワまた今度ね」


 私の乱入により明らかに気分を害された様子の彼女はそのまま休憩室を出て行ってしまいました。華やかで綺麗な人は不機嫌な顔でも美しいことには変わりありません。私も彼女のように美しくて胸も大きかったら自信を持ってフランソワにしなを作ってコーヒーを手渡すことが出来るのかな、などと愚かなことを一瞬考えました。


 さて、そのフランソワはクッキーを頬張っていて、美女が居なくなったことを意に介しているようではありません。


「本当に美味しいね、このクッキー」


「見た目を裏切る美味しさでしょう、少し焦げてしまったのです。よろしかったらもっとどうぞ」


「手作りのお菓子かぁ……じゃあ遠慮なく」


 そしてフランソワはコーヒーに口をつけるも、熱いっと言って一口も飲みませんでした。実は猫舌なんだ、とペロッと舌を出す彼は無邪気な子供のようで、私は微笑まずにはいられませんでした。


 そこで何故か彼は大きく目を見開いていました。すぐにその顔は満面の笑顔に変わり、それはあまりにも眩しくて私は直視できません。同時に私の胸の鼓動は速まっていました。


「そろそろ行かなくっちゃ。また室長にサボっているって言われるからね。まあ実際サボっているのだけど。君のクッキーほとんど食べてしまってゴメンね、クロエ」


「いいえ、とんでもございませんわ、テネーブルさま」


 何故か分かりませんが、彼はもう私のことを名前で呼ぶことにしたようです。そこまで親しい仲ではありませんから、もちろん私の方はテネーブルさまと呼んでいます。




 その次にエレインに会った時のことでした。エレインは仕立屋の娘ですから当然流行りのドレスを着ていて、髪型も垢ぬけているし、お化粧も上手です。手先の器用な彼女は、訳ありの品を自分で手直ししたり、アクセサリーも手作りしたりできるのです。エレインはお金をあまり掛けずにお洒落をする達人です。


「ねえ、私も貴女みたいに目の周りにきちんとお化粧をしたらこのキツい顔が少しは柔らかな表情になるかしら?」


 私は思わず彼女に尋ねていました。


「へぇーえ」


 エレインはニヤニヤ笑いを隠そうともしません。こんな顔に生まれてきたのはしょうがありません。けれど、この不愛想な天然怒り顔は私の劣等感をあおるのに十分です。


「それとも余計コワい顔になると思う?」


「クロエはお化粧しなくても、十分綺麗よ。でもどうしてもって言うなら化粧の仕方を教えるわ。確かによりキツい顔になってしまうかもしれないから気を付けないとね。それと、鏡の前で笑う練習もしてみたら? 常に笑っていろとは言わないけれど、普段感情をあまり表に出さない貴女だから、勝負笑顔、キメ笑顔を上手く使ったらいいのよ」


 エレインはいつも私に適切なアドバイスをくれます。


「笑顔の練習ね、なるほど」


「で、貴女が好きになった人は貴族、それとも平民?」


「えっ? 好きな人って……そんなのじゃなくって……」


 私はフランソワの笑顔を思い出して真っ赤になってしまいました。


「じゃあ気になる人?」


「気になるだなんて、そんな恐れ多いわ……」


「貴族なのね、それも余程高位の。侯爵?」


 エレインには敵いません。それでも彼女は何か誤解しています。


「だから違うって言っています!」


「マダム・サジェスに隠し事なんて出来ないわよー!」


 エレインにお化粧の仕方も習いましたが、職場へは今まで通り薄く紅を引くだけで行くことにしました。自意識過剰かもしれませんが、私がいきなり化粧をしても変に思われるでしょう。それとも何の変化にも気付いてもらえないかでしょう。




 先日のクッキーが意外と好評だったので、私は将来調理師志望のダフネに再び焼いてもらいました。私は料理があまり得意でない上に、文官の仕事とよろず屋の副業でとてもではありませんが時間がないのです。


 もちろん、クッキーは別に個人的にフランソワに渡すわけではありません。そんな大胆なことは出来ないので休憩室に持って行って『どうぞご自由にお召し上がりください』とメモを残しておきました。好評であっという間になくなっていました。貴族でも素朴な甘いお菓子に目がない人は多いという事が分かりました。


 その後、エレインは妹ダフネと組んで二人して私の様子を逐一観察していたようでした。もちろんクッキーのこともエレインには報告が上がっていたようです。




***ひとこと***

ところでフランソワ君、クッキーはクロエの手作りだと絶対誤解していますよね。

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