1-52 譲れぬもの
――何で。
剣を振るフィリアの頭の中を、その一言が埋め尽くしていた。
剣の達人でさえ舌を巻く剣の絶技が、力任せに薙ぎ払われる。
――何で何で何で。
無骨に振り下ろされた薙刀を受け流そうとしても、あまりの力の大きさ故に受け流し切れず、刀身が限界間近だと悲鳴を上げた。
――何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何でッ!?
「どうして、その役割がキミ達なんだ!?」
悲鳴紛いの糾弾も、純白の光が宿った一撃に全て掻き消される。
その光は、まさしく『奇跡』だった。
今のフィリアは、密かに右腕のリアクターを仲介して結界からマナの供給を受けており、通常時よりも高い戦闘力を身に付けている。アリサやライトとなどのバケモノ級の法術士と連戦しても、未だ激しい消耗を見せていないのもそのためだ。
フィリアとジンの素体としての力量は同値。ジンがそうであるように、フィリアの膂力も並の法術士の数倍以上を誇る桁外れのもの。
法術が使えないという欠点はお互い様。
故に、結界の支援を受けている分、確実にフィリアの方に軍配が上がる筈なのだ。
だがそんな小細工、あの極光を前には無力だった。
増した膂力が真正面から叩き伏せられ、極めた技の何もかもが、あの光を纏った異次元な力に呑み込まれる。
それ相応の代償を払っている筈だというのに、彼の目に宿る炎は決して衰えない。敵を屠るまで、燃え盛ることを止めようとしない。
「もうやめてよ。もう、いいじゃないか……!」
フィリアは最善を尽くした。これ以上はないと言える最善を。
ベルダと形だけの共闘関係を結び、そのパイプと『スカルホーン』を利用して結界装置を含めた様々な武器を調達した。
結界に唯一干渉可能なライト・ニーグは直前に始末し、標的を閉じ込める檻をより完璧なものにした。
この作戦の最大の障害のアーク・レンは、ベルダの用意した怪物を帝城にも無数に送り込むことで帝城に封じ込めた。
これ以上はない完璧な計画。
予定通り進んでいれば、今頃は創星樹の巫女を殺し、目的を達成し終えていた筈なのだ。
その何もかもを、ジンによってひっくり返された。
「もういい加減、止まってくれてもいいじゃないか!」
ジンに笑って生きて欲しかった。
アリサを救われた未来に導いてあげたかった。
もし緋の血脈を討つ役割がジンでなければ、アリサを守ることに躊躇はしなかった。
もし世界を滅ぼす罪を背負わされたのがアリサでなければ、ジンを手助けすることを迷いはしなかった。
アリサを殺したジンが、世界を救ったという優越感に浸れると思うか?
ジンごと世界を滅したアリサが、自分を迫害してきた世界に復讐を果たしたと高らかに笑えると思うか?
「そんなわけが、ないだろ!」
右腕を介して、限界を超えた量のマナを取り込み、怒りのままに刃を突き出す。
ジンの膂力には及ばなかったものの、それでも今までより数段威力の増したその一撃によって、ジンの体勢に僅かに隙が生じる。
「食らえ!」
その隙を逃すことなく、フィリアは全力の猛攻を繰り出した。
片方しか救えない。ジンとアリサ、どちらか一人しか助けられないというのなら。
ならば答えは一つだ。
フィリアは、ジンを選んだ。
ジンがその科を背負わなくていいように。フィリアがその罪を背負う。
本来であれば二人が出逢ってしまう前に成し遂げたかったが、まだ遅くない。
ジンにとってアリサが大切なナニカになってしまう前に、アリサをこの手で殺す。
せめて苦痛のないよう、安らかな死を与える。
ジンに怨まれてもいい。どんなことをしても、ジンに笑って生きて欲しい。
だから、だから、
「お願いだから、そこを退いてよ。ジン!」
◆◆◆
薙刀を振るう度に、全身の骨が悲鳴を上げる。
足を蹴り上げる度に、何処かの筋肉が断裂する。
呼吸をする度に肺が焼け、瞬きする度に目を開けるのが億劫になる。
(痛ったいな、くそ!)
余裕ぶってはいたものの、ジンの胸の傷は治り切ってはいない上に、何より『擬似永久機関』のエネルギーそのものに自分の体が耐え切れていない。
胸の傷は更に広がり、腕と脚の筋肉は既に断裂し、無茶な動きを繰り返したせいで反動は内臓にまで及び、口から溢れる血を気合いで何とか押し留めている。
既に擬似永久機関の短過ぎる発動許容時間は過ぎ去っている。これ以上進めば、間違いなくジンの肉体は崩壊する。
だというのに、フィリアは動きを緩めない。寧ろ今まで以上に速くなっている。
「あ、らあああああああああああああああッッ!!」
痛みを誤魔化すために喉を震わせ、『擬似永久機関』の出力を上げて神速の刺突を弾き返す。
反動で腕の骨に皹が入り、身体全体が悲鳴を上げる。体勢が僅かに崩れ、殆どないと言っていい程の些細な隙間が生じた。
だがその決定的な機会を、彼女が逃す筈がなかった。
「食らえ!」
繰り出される決死の猛攻。それらを受け、弾き返す度に、肉体が内側から軋みを上げる。
それでも、ジンが力を弱めることはなかった。
前に出た。無意識に後ろに下がる足に喝を入れ、無理矢理前に出した。
痛みのせいで精巧な技なんて出せる筈もない。出来るのはただがむしゃらに得物を振り回すことだけだ。
「お願いだから、そこを退いてよ。ジン!」
「そのお願いだけは、聞けないな!」
得物同士が激しくぶつかり合い、空気を切り裂くような轟音が響く。
(フィリア。一体何が、お前をそこまで駆り立てる……?)
擬似永久機関の齎す膂力は、人のそれとは比べものにならない。
幾ら結界の支援を受けようが、それでも為す術なく倒されるのが道理なのだ。
だというのに、目の前の少女は持ち得る技の全てを費やし、剣を振るい、今のジンと競り合っている。
一体何が、彼女をここまで必死にさせるというのか。
「その執念は尊敬する。けど、オレも負けられない!」
「そんなに、そんなにあの子が大事か! なら――」
「ああそうだ。それもある。そして、お前を縛るその馬鹿げた使命からも解放する。もうしたくないことをしなくてもいいんだ。帰ってこい、フィリアッ!」
「ッ――!」
ジンの一撃がフィリアの銀剣を弾くのと同時に、険しいフィリアの貌が揺らぎ始める。
「何を、言ってるんだ、ジン。あの子を殺すのはボクの本懐だぞ? あの子を殺せば、全て終わる! 終わるんだッ! これが望まないことなわけがあるか!」
「そんな嘘がオレに通じるとでも思ってるのか!? とっくにお見通しだ。お前がアリサを殺したくないってことはな!」
剣を握る鈍色の義腕を左手で掴み、彼女に怒りの咆哮を浴びせる。
フィリアが本当はアリサを殺したくないことなど、ジンはとっくに見抜いていた。
本気でフィリアがアリサを屠らんとしていたならば、ジンがここに駆け付けるよりも早く、彼女はあの紅い少女に止めを刺していた筈だ。
幾らでも機会はあった。それだけ大きな実力差が、二人の間には確かにあったのだ。
だがそれでも、結局フィリアがアリサを手に掛けることはなかった。
「本当は、誰かに止めて欲しかったんじゃないのか!?」
「――ッ、黙れ!」
ジンが掴んでいた義腕から強烈な鈍色の光が放出され、周囲の空間を染め上げる。
マナの伝達を阻害するだけの、人体そのものへの影響は殆どない光の放出だが、その存在を知らなかったジンは不意を突かれる。
そして、ただでさえ弱っていた左手の握力が更に弱まり、その拘束をフィリアに無理矢理振り解かれてしまった。
即座に体勢を立て直し、助走出来る最低距離まで下がったフィリアが一気に突貫してくる。
勝てる見込みや、勝機を見出したわけではない。
防がれると分かっていても、阻まれると知っていても、彼女はその走りを止めるわけにはいかないのだ。
そして、その少女の覚悟に、ジンも全力で応えた。
「はぁあああああああ――ッ!」
「あぁあああああああ――ッ!」
薙刀の刃と、銀閃の最後の衝突。
限界を迎えたフィリアの銀剣の刃身が真ん中から折れ、だがジンの手からも薙刀がすっぽ抜けていく。
薙刀が遠く離れた地面に突き刺さり、刃が半分になった銀剣をフィリアが鞘にしまう。
「もういい加減にしろ! ボクは絶対にあの子を殺さないといけない。そこにボク自身が望む望まないは関係ない!」
「だったら尚更引けない! これ以上お前の手を汚させてたまるか!」
「ボクの手がいくら汚れようが構うものか! 手を汚すだけで残った大切なものが守れるなら、ボクは幾らでも手を汚してやる!」
「それでも、オレはお前を止めるよ」
「……ッ! 話にならない……!」
揺れた心を無理矢理元に戻すように声を張り上げ、フィリアは大きく飛びしさると、懐から取り出したスイッチを押した。
すると、今までジン達を街ごと覆っていた巨大な結界が崩れ、そこに費やされていたマナが全て、フィリアの右腕を通して彼女の肉体に集められていくではないか。
「ッ!? フィリアよせ! そんなことをしたらお前の身体は――!」
「そんなこと知るか! ボクは絶対に、負けられないんだ!」
旋風と共に、フィリアの姿がその場から掻き消える。
空間転移の類ではない。これは、今のジンの動体視力でも捉えきれない超加そ――
「ゴハッ!?」
ジンが胴体を両断せんばかりの衝撃を腹部に感じた途端、その身体が豪速で宙を舞った。
ドゥンッ! と、これまでにない爆音が、遅れてその場にいた全員の鼓膜を揺らす。
吹き飛ばされたジンは三棟の建物を巻き込んで倒壊させ、一瞬で巨大な瓦礫の山を築いた。
大規模結界一つ分のマナの過剰摂取。このときのフィリアの膂力は、擬似永久機関を起動したジンのものすらも確実に凌駕していた。
(……痛いな……)
もう、このまま倒れてしまいたいと、心の片隅で誰かが弱音を吐く。
十分頑張ったじゃないかと、別の誰かがそう肯定してくる。
死の一歩手前まで、ジンの肉体は追い詰められている。先程のフィリアの一撃が、致命傷に限りなく近い損傷を与えていた。
このまま目を閉じてしまえば、楽になれる。この苦痛から、解放される。
「……なんて、思うわけがあるか!」
それでもジンは立ち上がる。
純白の光で自身を埋め尽くす瓦礫を吹き飛ばし、精神を振り絞り、四肢に喝を入れ、五体に鞭打って立ち上がった。
「フィリアァアアアアア――――ッ!」
拳を握り、全てをそこへ。
後先など考えない。己の中に残った全てを、その一撃に集約する。
そしてジンは、大地を蹴った。
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