1-39 崩れる壁

「……おい神官。ターゲットの二人が、そろそろこっちに来る」


 高層ビルの屋上から、帝都を見下ろす二人組の姿があった。

 白い法衣を着た男と、黒い外套に身を包んだ人物。対照的な姿の二人が並んで佇むその光景は、見るからに異様だった。


「ああ。では奴らが基点の中に入れば、即座に結界を発動させよ。アーク・レンや他の邪魔者の足止めは私に任せたまえ」

「いいのか? この作戦は最も人的被害の多いものだ。この街にはお前と同類のユグル教徒が何万人も居るんだぞ」

「尊い犠牲というものだよ。彼らも神器を取り戻す聖戦を成し遂げるためならば、喜んでその命を捧げるだろう。そう、これは聖戦なのだから」

「そうか。だが、わざわざ『一番』まで巻き込む必要があったのか?」


 その言葉に、ベルダは鼻息を荒くし、


「フンッ、当然だろう! 奴は被造物の分際で、我らが神を侮辱したのだぞ⁉ ただ殺すだけなぞ生温い。この世のありとあらゆる苦しみを味合わせた末に、その魂まで滅してやるのだ!」


 その最後を想像したのか、ベルダは高笑いを轟かせながら猫仮面に背を向け、建物の上からその身を投げ出した。


「……図星を突かれて逆上し、犠牲も厭わず殺しにくる。まさしく狂信者の鑑だ、お前は。見ているだけで酷く不快だ」


 残された猫仮面が呆れ果てながら見下ろす先には、フードで紅髪を隠した少女と、その手を引く白髪の青年の姿があった。


「ライト・ニーグに破壊された法位陣も既に修復した。アーク・レンも今は帝城の中。癪ではあるが、あの馬鹿の言う通り仕掛けるなら今しかない」


 ポチッと、猫仮面が懐から取り出したスイッチを押した。

 すると「ツゥ――――」と、機械音らしき耳障りなノイズが帝都中に鳴り響いた。


 その後に起こった変化は、劇的だった。

 猫仮面の立つ場所を中心とした、半径一kmの円周上――埋め込まれた十六の法位陣から爆発的にマナが噴き出し、組み込まれた術式に従いその形を変え始める。


 時間にして僅か二秒。

 その一瞬の間に、猫仮面を中心に半球状の実体のないドーム状の結界が出来上がった。


 そしてその直後、ノイズが途切れ、帝都のあちこちで巨大な爆発音が轟いた。


「行こうか。誰が何と言おうとも、私は世界のために、あの子を殺す」


  ◆  ◆  ◆


 手を、引っ張られていた。

 誰も自分から触れてこようとしない手を握られ、こっちへ来いと引っ張られる。


 握られる力はまるで脆いものに触るように優しくて、振り解くのは簡単な筈なのに、まるで力が入らない。


「ジ、ジン……?」

「ああ、悪い。痛かったか?」

「ううん。痛くは、なかったけど……」


 握られる力から、右手が解放される。

 一瞬だけ、何故かは分からないが、アリサの胸に冷たい風が吹き抜けた。


「……ねえ、何であんなことをしたの?」

「あんなことって、何のことだ?」

「巫山戯ないで!」


 紡いだ言葉に惚けるように首を傾げるジンに、意味の分からない怒りが込み上げる。


「あんなことをしたら、ジンも私の仲間だって思われる! そんな危険を冒してまで助けようとしないで! 私に、誰かに助けて貰う資格なんてない!」

「資格って、そんなもの必要ないだろ。ただ髪が紅いっていうだけで――」

「だって私は、ジンが人間じゃないって知って、とても怖くなった!」

「っ……」


 ジンが息を呑む音が聞こえる。驚愕に染まった視線が、鋭く深く突き刺さる。

 それでもやめない。それだけは絶対に、誤魔化してはいけないことだと、アリサは分かっていたから。


「ジンのことを何も知らないのに、命を助けられたのに、それを他人の口から聞かされただけで、ジンのことが怖くなった! ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……! ……それで分かった。私はあいつらと変わらないんだって。私に石を投げてくる奴らと、何も変わらないんだって!」


 アリサは想像する。無数の群衆の中に混ざって、意味もなく叫び、石を投げる自分の姿を。

 酷く滑稽だった。そして、何よりもその姿がよく似合っていた。


 今まで違うと思っていた。私はあいつらとは違うと。

 だが同じだった。ただ立場が違っていただけだった。自分とあいつらは、根本的に同じだったのだ。


 いっそ笑えるくらいに愚かしかった。その事実に昨日まで気付けないでいた。そんな自分の愚鈍さが、何処までも嗤え――


「ばーか」


 その思考を砕くように、アリサの頭に軽い拳骨が落とされた。

 拳骨の持ち主は、呆れ半分、嬉しさ半分といった表情でアリサの瞳を見つめている。


「へ……?」

「怖がって当然だろ? オレとアリサじゃ勝手が違う。髪が紅いだけの女の子と、人間に擬態した人外で大量殺人鬼だ。誰がどう判断しても、後者の方が明らかにやばい奴だろ」

「……ちがう、よ」


 ――違う。そうじゃない。そうじゃないんだよ、ジン。

 ――ただ人間じゃないってだけで、それだけで、私はあなたのことが怖くなった。


「違わない。それに、仮にそうなんだとしても、アリサは正直に言ってくれた。謝ってくれた。とても勇気のいることだ。それだけで、あいつらとは全然違う」


 それなのに、どうしてあなたは、私を責めないの。


「人間、誰だって間違えるし、失敗するんだ。それを正直に認めて、謝って、反省して、それでも前を見ようとする人を、オレは尊敬する」

「…………っ」


 胸に重いものが突き刺さる。よく分からない感情が溢れて、激情のあまりに泣きたくなる。

 気にしてない振りをしているが、きっと自分の言葉はジンを傷付けた。


 慣れる筈がない。平気な筈がない。その事実をアリサ自身よく知っている。


「何で、ジンは怒らないの? 普通怒るよ。悲しむよ。私のこと、もっと嫌いになる筈でしょ……? 何でそんな、私に優しくしようとするの!?」


 その言葉を聞いて、ジンが少し驚いたようにアリサを見る。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐに穏やかな笑みを浮かべて、


「理由、必要か?」

「え……」

「オレにとって、アリサが大切な仲間だから。これじゃダメか? 何か他に、特別な理由がないと、お前に優しくしちゃいけないのか?」


 意味が分からなかった。

 目の前の男が告げたその言葉の意味を、全く呑み込むことが出来なかった。


「……巫山戯、ないで」

「巫山戯てない」

「嘘吐かないで。騙そうとしないで。そんな甘い言葉で、惑わそうとしないで!」


 質の悪い冗談にも程があった。

 だって、今まであの人以外、誰もそんなこと言ってくれはしなかった。


 父と母は、悪魔だと罵り、愛を与えてくれることはなかった。

 生まれ育った村の皆は、腫れ物のように毛嫌いし、誰も力になってくれなかった。

 外の世界に出ても、誰も人として見てくれることはなかった。


 唯一の例外は竜撃隊の皆だけだった。しかし彼らはあくまで、迫害しなかったというだけ。臭いものに蓋をするように、この髪への干渉を避けた。

 触れなければそこに問題は存在しないかのように、紅い髪を無視し続けた。結局誰も、真正面から向き合ってはくれなかった。


 この世界に、私の居場所なんて何処にも――


「辛かったんだろうな」


 そっと、真っ赤な頭に、ごつごつした手が乗せられる。

 誰も自分から触ろうとしなかった頭に、他人の身体の一部が触れた。

 たったそれだけのことで、アリサの内側で渦を巻いていた思考が一瞬で霧散した。


「オレは、お前にとっては所詮、会って数日の他人でしかない」


 どう反応すればいいのか分からずにいたアリサを放って、ジンが口を開いてそう語り始める。


「お前の事情を聞かされて、そういう出来事があったんだと、知っているだけの赤の他人だ。だから、お前の過去について言及する資格はない」


 だけど、とジンは続ける。


「それでも、受け止めることは出来る」

「…………ッ」


 その言葉で、呼吸が止まった。

 アリサの中で遥か高くに聳えていたナニカに、巨大な亀裂が走る。


「お前が今までため込んできたソレを、心が限界になるまで吐き出さずに抱え込み続けていたソレを、全てとはいかなくても、少しだけ受け止めてあげることは出来る」


 亀裂の拡大は止まらない。一度動き出してしまったその侵食を止めることは出来ない。

 アリサの内側で、ソレを今まで押さえ付けていた壁が崩壊する。塞ぎ込んでいたダムが決壊する。


「……ねえ、一つだけ、訊いていい?」


 そして、中にあったものが、今まで封じ込めていたソレが、


「私の髪って、そんなに変かな……?」


 アリサの『弱さ』が、溢れ出した。


「みんな、言うの。汚いって。穢れてるって。お父さんも、お母さんも、村のみんなも、髪を見ただけで、そう言うの……」


 言葉が止まらない。口の動きを、そこから紡がれていく感情を、抑え込むことが出来ない。

 吐露される言葉に、ジンは何も言い返さない。ただひたすらに、溢された全てを余すことなく受け止めている。


「ねえ、何で髪を隠さないといけないの? フードを外すのって、そんな許されないこと? わたし、汚くないよ……? 穢れてなんか、ないよ……? わたし、何も悪いことなんかしてない。悪魔なんかじゃない。だから、もうやめてよ。これ、ただの髪だよ? だから、目を逸らさないで。ちゃんと見て。そして、そして……普通だって、言ってよぉ……!」


 それからアリサは、心の中に溜め込んでいたものをひたすらに吐き出し続けた。


 何分そうし続けていたか、アリサにはわからなかった。途中からは何を言っていたのかさえも思い出せない。


 一つだけ確かなことは、その間ジンは私から目を逸らさずに、吐き出されたもの全てを受け止めてくれていたということだけ。


 それだけでよかった。

 たった一言でも慰めの言葉を掛けられてしまったら、きっとずっと甘え続けて、いつまでも吐き出すことを止めなかっただろうから。


「……ありがとう。おかげでちょっとだけ、楽になった」


 気持ちに区切りがつくまで吐き出し終えると、アリサは掠れた声でお礼を言った。


 顔は、伏せたままだった。

 とてもじゃないが、今の顔を誰かに見せようとは思えなかった。

 ジンのふっと微笑む息の音と共に、頭をポンポンッと優しく叩かれる。


「分かった。じゃあ、帰るか。エミリア先輩も心配してるだろうし、たっぷり絞られに――」


 ツゥ――――――――


 少女の心の平穏が壊されたのは、一瞬だった。


 突如ノイズが鳴り響き、爆音が世界を揺らした。

 景色が炎に包まれ、ジンの言葉も含めたあらゆる音が掻き消される。


 突然発現した超大規模の結界。直後に生じた連鎖的な大爆発によって、炎と硝煙がいつも通りの日常を埋め尽くした。

 あちこちで悲鳴が上がり、爆発によって激しく燃える建造物から、人々が我先にと逃げ出していく。


「何だ、何が……!?」


 突然の出来事に動揺し、ジンが状況確認のために辺りを見渡し始める。

 そしてその背中がアリサに向けられ、ジンの視界から彼女の姿が完全に消えた途端、


「――――昨日振りだな、巫女」


 アリサの背筋が、凍った。

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