1-38 迫害の実態

「……寝てた」

《深夜に叩き起こされましたからね。もう少し休んでいては?》

「嫌味か? 誰かさんの説教はもう聞き飽きた」


 ジンはベッド代わりに使っていたベンチから立ち上がり、その扉の前に立つ。

 その上に設置されたランプには、「手術中」の文字が今も点灯していた。


「……大馬鹿野郎。先走ってやられるとか、格好悪いにも程があるだろ」


 まだ夜と呼べる時間帯。ジンはエミリアから渡された竜撃隊専用の端末の緊急アラームによって叩き起こされた。


 安眠を妨害され、苛立ちながら端末を起動させると、そこに表示されていたのは眠気を一発で吹き飛ばす驚愕の内容。


 なんとあのライトが重傷を負い、病院に緊急搬送されたというのだ。

 最初は趣味の悪い冗談だと思ったのだが、その病院に電話を掛けると一時間前にライトの特徴と合致する患者が運ばれて来たという。


 急いでジンは病院に駆けつけ、そして今に至る。


《ライトのことです。誘い込まれていることを承知で勝負に挑んだのではないかと。ライトは一人で闘う方が真価を発揮し易いので――》

「気遣うな。お前も理由は察してるだろ」


 項垂れながら告げるジンの声は、暗い。


「他の先輩方は、奴の脅威を直に感じていないせいで油断する可能性があった。かと言って、奴の標的であるアリサを連れるなんて論外。簡単に心を揺さぶられ、暴走するようなお荷物も使えない。――だからあいつは、一人で闘うしかなかったんだ」

《それは、あくまでただの推測です》

「あの馬鹿とは何年もの付き合いだ。全部理解出来るなんて気持ち悪いことは言わないが、考えることなら多少は読める。『野暮用を済ませる』と言ってた時点で、気付くべきだったんだ」


 後悔しても何も解決しないと言うが、そう割り切れる程人の心は強くない。

 あのときライトを追いかけようとしなかった自分が、とても恨めしい。


『最善を尽くしますが、あの傷の深さだと法術を併用した手術でも助かる可能性は限りなく薄いです。最悪の場合は、ご覚悟を』


 手術衣に身を包んだ主治医の重々しい台詞が脳内を反芻する。

 ライトの負った傷は、右下腹部と胸部の二箇所。鋭利な刃物で貫かれたもので、内臓は酷い損傷を受けており、多量の出血と激しいマナの消耗も合わさって非常に危険な状態なのだという。


 普通なら病院に辿り着く前に事切れる重傷だが、ライトが高位の法術士であったお陰で、今も何とかギリギリのところで死なずに済んでいる。


「……頼む。死なないでくれ。これ以上は、もう誰も……!」


 その切実な想いを胸に、ジンは懇願するように祈りを込める。


《…………》


 いつもは何かにつけて空気を読まずに喋り出すトワだったが、今は居た堪れないように口をつぐみ、無言を貫いていた。


 ――ピリリリリリリリッ


 その空間に満ちていた重苦しい沈黙を破ったのは、無防備にベンチの上に放置してあった支給品の通信端末。


 ジンが手に取って開くと、そこには『皆大好きエミリアちゃん』の表示が。

 何か、イラッときた。


「……もしも――」

『もしもしー! 新人君ちょっといいかーい!? そっちにアリサ来てないよねー!?』


 通話ボタンを押した瞬間、ジンの右耳が突如耳鳴りに襲われる。

 あまりにも膨大な声量に耳を押さえながら、ジンは急いで音量を最弱に設定する。


「うるさいですよ先輩。一応ここ病院です」

『それどころじゃないんだってー! アリサが、アリサがー! 今朝からゆ・く・え・ふ・め・いなのー!!』

「……ナンデスト」


 ライトの件は国内外問わず竜撃隊のメンバー全員に通知されたが、唯一アリサにだけは伝えられていない。


 心的ショックが大き過ぎることと、もう一つの理由から、アリサに伝えない方がいいという結論に至ったからだ。後でアリサが猛烈に怒ることになるとしてもだ。


『――! ――――!』

『――――! ――――!』


 耳を澄ませてみると、病院のホール辺りの方向から微かに喧騒が聴こえてくる。


「……なあトワ。オレ今凄く嫌な予感がする」

《奇遇ですね。私もです》


 アリサにライトが重傷を負ったことを伝えなかったもう一つの理由。

 それはライトが搬送された病院が、ユグル教が運営する帝都最大級の病院だからだ。


 そこに連中が目の敵にするアリサが訪れればどうなるのか、予想するまでもない。

 ジンはこのときばかりはライトのことを忘れ、ホールまで一気に走り出した。


  ◆  ◆  ◆


『悪魔め! 神聖な病院から今すぐ立ち去れ!』

『俺達を呪い殺す気か⁉ この忌々しい『緋』め!』

『違……私は……!』


 その空間を、醜い感情の嵐が吹き荒れていた。

 その場に居た医師や職員達がこぞって罵詈雑言を口にし、それに賛同するかのように患者達が『そうだ!』と叫び散らしていたのだ。


 それも、たった一人の少女に向けて。


《……これは酷い。この場にはユグル教徒でない者も居るでしょうに。人間の集団心理とは、これほどまでに常軌を逸したものだったのですね》


 トワは慄き半分、感心半分の呟きを溢すが、ジンは何も言わずに人混みに近付いていく。


 甘く見ていた、のかもしれない。

 ジンが緋髪を見た者の反応を実際に目にしたのは、スカルホーンでのチンピラと、その取り巻きのもののみ。ベルダ? アレは除外。


 故に理解し切れていなかった。ユグル教徒がアリサに向ける感情を。

 恐怖も畏怖も勿論含まれてはいるが、その大半は侮蔑と嫌悪であるという実態を。


「……鬱陶しい」


 ドンッ! と何かが砕け散った轟音が響き渡る。

 その場に集まっていた人間全てが、その音の発生源へと振り返る。アリサを罵倒していた連中も、誰一人の例外なく。


 何処からともなく取り出した薙刀で床を粉々に砕いた、白髪の青年の姿を。


 しぃんと、さっきまでの喧騒が嘘のように掻き消える。

 その中をコツコツと足音を立てながら、ジンはその人混みへ前進した。


 凶悪な凶器を携えた男が近付いてくるのを見て、恐怖に駆られた人々が我先へと逃げ出していく。医師も患者も関係ないとばかりに、お互いを押しのけ合いながら。


「ジン……」


 囲っていた人混みが消えたことで、ようやくアリサの姿が露わになる。

 酷いものだった。アリサの足元には夥しいほどのゴミや小道具が散乱しており、そのどれもが敵意を持って投げつけられたものだとわかる。


 触れるのも穢らわしいと思われていたのがせめてもの幸いか、直接殴られたような痕は見つからなかった。


「ジン、ごめん。バレないようにフード被ってたんだけど、そこで転んじゃって……」


 申し訳なさそうに俯きながら、アリサが謝る。悪いことがバレた子供が親にするように、ごめんなさいと。


「……何で、謝るんだ?」

「え……」


 アリサが何を言われたのか分からないといった顔で、初めてジンを見上げる。

 罪悪感に満ちた、ジンの双眸を。


「病院に運ばれた仲間の安否が心配で病院に走って来た。お前がしたのはこれだけだ。これの何処に、お前が頭を下げる要素がある。寧ろ、お前に知らせなかったオレや先輩方に非がある。――本当にごめん」


 アリサの緋い頭を躊躇することなく撫でて、それからジンは謝罪と共に頭を下ろした。

 周囲からどよめきが起こるが、そんな雑音はジンの耳には届かない。


「アリサ、今日は帰ろう。大丈夫だ。あの馬鹿の生命力はお前もよく知ってるだろ?」

「……だけど」

「信じて待つ。これも大事だ。だから今日は、な?」

「…………うん」


 ジンの言葉にアリサは納得したようにコクリと頷く。

 そしてその華奢な手を取って、ジンは病院を後にしていった。


 隠れてこちらの様子を伺う者が大勢居たが、ジンは結局彼らとは一切目を合わせなかった。

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