1-21 問い詰め

『僕もいつか、二人のようになりたい』


 昔、誰かがこう言った。


 そいつはオレよりも■■■■よりも後に造られたモルモットの一人だった。

 その言葉を憶えていたのは、そいつがオレ達よりも少しだけ姿が変わっていたからか、それともそいつの見当違いな羨望が、とても滑稽だったからなのか。


『■■■■みたいに、明るくて、見ているだけで元気を貰えるような人になりたい。ジンみたいに、強くて賢い人になりたいんだ』


 ああ、きっと後者だ。


 そいつは何も見えていなかった。ただオレ達が一番の年長者だというだけで、身勝手に憧れて、身勝手に憧憬を押し付けてきた。

 名前は確か、――――だったか。


 オレが強くて賢い?

 

 馬鹿馬鹿しい。

 オレが本当に強いのなら、あんな無様は晒さない。あんな失態は犯さない。

 オレが本当に賢いのなら、■■■■の苦しみを放置して、何の救いにもならない言葉を掛けるだけの無能に陥るわけがない。


 ■■■■は、いつも怯えていた。いつ死ぬかも分からない毎日に、家族がどんどん死んでいくことへの喪失感に。

 心が錆び付いていくのを誤魔化すために、彼女は笑った。

 周りが泣いていたらそのことに気付いてしまうから、無理矢理陽気な仮面を被って、傷付いた家族を励ましていた。


 笑顔の中にいられたら、きっと心が軽くなると信じて。


 お前に分かる筈がないだろうな。■■■■の笑顔の違和感に気付く程度に繋がりを作るより早く、その名をあの墓石に刻むことになったんだから。


 無力が憎い。無知が憎い。


 もしオレに力があって、智恵があって、あの日を予見することが出来たのなら。


『……ごめんよ』


 あの日の結末は、果たして変わってくれるだろうか。


 ――ああ、でももう、どうでもいい。


 何せ、オレには、もう――


 ◆◆◆


「……嫌な、夢だ」


 目を開けたら、そこは見知らぬ天井だった。

 白一色で統一された壁紙に囲まれた部屋。しかしジンがさっきまで夢で見ていた無機質なだけの空間とは違い、清潔さだけでなく何処か温かみを感じる配色。

 あとから目に入った家具や洗面台、鑑賞植物で、ここがあの場所ではなく病室なのだと思い至った。


「おや、目が覚めましたか。コーヒーを注ぎましたのでどうぞ」

「あ、どうも……」


 差し出されたカップを受け取り、中の黒い液体をすする。

 コーヒーは熱過ぎず、かと言ってぬる過ぎない最適な温度で、飲んだ瞬間豆の香ばしい香りが口の中いっぱいに広がる。


「うまい……」


 ジンもたまにコーヒーを注ぐことはあったが、ここまで香りを引き立たせれたことは偶然の産物で数える程度。

 だがこれは偶々生まれたものではない。

 長き研鑽の果てに生まれた、あるべき姿としてのコーヒー。店で出そうものなら、これ欲しさにコーヒーマニア達の行列が築かれることだろう。


「お口に合ったようで何よりです。お代わりはいりますか?」

「あ、じゃあお願いします」


 にっこりと営業スマイルを浮かべている眼鏡を掛けた男に、ジンは空になったカップを手渡す。

 再び注がれたコーヒー。今度は一気に飲み干すような真似はせず、その奥ゆかしい香りに舌鼓を……


「いやアンタ誰」

「私が言うのも何ですが、気付くの遅すぎませんか?」


 ようやく気付いたかと、青髪の眼鏡男はコーヒーを注ぎながら苦笑する。

 ジンの頭が寝起きで回っていなかったというのもあるが、この男のあまりの自然体に、違和感もなく接してしまっていた。


「私がその気になれば、一回くらいは殺せていましたよ。本拠地だと言って油断なさらぬように」

「寝てる間に幾らでも殺せたんじゃないのか?」

「いえいえ。君の身体は硬すぎます。攻撃したら気付かれますから、一撃死させないと勝ち目はありません。ただの教師にそのような技量はありませんよ」


 「あはははは」と穏やかに男は微笑むが、その動作の一つ一つや立ち振る舞いに隙がないというか、恐らく今すぐジンが襲い掛かっても普通に対応出来る技量は持ち合わせているだろう。


「教師、やってるのか。失礼だけど、暗殺者の方がしっくりくる」

「ええ、元はそうでしたし」

「…………」


 あるじゃん。人を殺す技量。

 ジンが唖然としていると、男がコーヒーを飲み終え、「そういえば自己紹介がまだでしたね」と椅子から立ち上がって、


「帝国軍独立支援部隊兼皇室警護“竜撃隊”所属、アレン・ヴィングです。本業ではヨルムン士官学院の一教師を務めています。よろしくお願いしますね、新人君」

「これは、どうも。まさか先輩だとは知らずに馴れ馴れしい口を」

「いえいえ、遠慮は無用です。私自身、エミリアの同期でたった三年前に所属したばかりで、この前までは下っ端でした。お互い敬語は無しでいきましょう」

「いえ、エミリア先輩にも敬語を使ってますし、そうはいきません。嫌でしたらやめますが」

「嫌です。日頃子供達と喋っているせいか、慣れない堅っ苦しい言葉遣いが本当に苦手です」


 それ、同じ教師同士だとどうしてるんだ? とジンは声に出そうなところをギリギリ抑え込む。


「……分かった。じゃあライトに接するように話そう。よろしく、アレン先輩」

「はい。同じ人殺し同士、仲良くしましょう」


 皮肉か、それとも本当に親愛を込めたものなのかは分からないが、ジンは握手に応じて固く手を握る。


「って、アークから聞いたのか? オレの過去」

「いいえ、元から存じていましたよ。権力の大小関係なく、無作為に接点も共通点もない貴族を殺して回る凶悪な殺人鬼。被害者貴族の唯一の共通点は、悪政を敷いていたという一点のみ。巷では“貴族殺し”と恐れられていたとか。伝説に会えて光栄ですよ」

「勘弁してくれ。今では無実と引き換えに強制労働させられてる、無様な罪人だ」


 そう。自分がそんな大それたものではないことを、ジンは骨身に染みて知っていた。

 ただ人を殺しただけ。人が犯してはならない最大のタブーをひたすらに犯し続けた、ただの屑。

 偶然、殺した奴が全員悪政を敷いていただけで、それが善政を敷いていようがお構いなく殺していた。


「ところで、ここは病室なのか? 何でこんなところに……」


 ここで、ジンの脳裡をあの猫の仮面が掠る。

 一気に沸騰する怒り。

 気付けばジンはベッドから蹴り上がり、病衣姿のまま外に出ようと――


「こらこら。患者が何処に行こうというのですか。しっかり休まなければ」


 しかし、目的を悟ったアレンがドアに回り込み、その行く手を塞ぐ。


「……退いてくれ、アレン先輩。今すぐあの猫仮面を追わないといけないんだ。それともライトにでも頼まれたのか? オレをここから出すなと」

「いえ。私はただ、急に呼び出されて君の治療を任されただけです。まあ、勝手に回復したのでそんなもの必要なかったのですが。ですので、私に別に君を止める義務はない」

「じゃあ」

「故に、これは私の個人的な判断です。君と一対一でいる今が最大の好機。私の知的好奇心を満たすために質問に答えてくれるならば、ここから出してあげましょう」

「……力づくで突破することも出来るんだぞ」

「それなら、先程殺さないであげた借りを返すという形で構いません。今の内に返しておいた方が後々楽ですよ?」

「……分かった。早く済ませてくれ」


 その図々しさに返って感心しながらも、アレンを睨むジンの目の鋭さが何割か増す。

 しかし、アレンはその眼光を真正面から見返して、


「まずは謝罪させて下さい。君が寝ている間に、その肉体を軽くですが調べさせて貰いました」

「軽く、ねえ」

「ええ、軽くです。それについて言いたいことは山程ありますが、まずは質問その一」


 アレンは懐から一枚の紙――ジンの肉体に関するカルテ取り出した。

 そこに記された表記を見せつけるように、紙をジンに眼前に突き出し、そして、


「君、人間じゃありませんね」


 その事実しつもんを、口にした。



 

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