1-16 お前を殺しに来た。
「お。これは随分と派手にやったな」
地下に降り立ったジンがまず見たのは、もう崩壊寸前までボロボロになった地下室の光景。
部屋を覆っていた結界は力任せに引き千切られており、頑丈な石造りの壁は穴だらけで、炭化した木材が吐き気を催すような臭いを発し続けている。
その破壊っぷりは、十人の大男が一時間暴れてもここまではならないだろうと言えるまでに徹底的だった。
その部屋の中央では、金茶髪の男が大の字で寝そべっており、ジンの姿を確認した途端嫌そうな顔になって、
「上で待ってろって言わなかったか?」
「いつまで経っても上がってこないから、心配して見に来ただけだ」
見たところ、ライトに目立った外傷はない。少し右腕に痣が出来ている程度だ。
戦闘が終わったのはついさっきなのだろう。ジンがライトの傍に近寄ろうと足を踏み出すと、床の熱で靴底のゴムが少し溶けた。
「戦闘はすぐに終わったんだが、排熱が中々終わらなくてな。しばらくここで身体を冷やしてた」
「お前がそこまで電気を使う程の相手だったのか、ここの奴らは」
ライトの力量をよく知るジンが不思議そうに尋ねると、ライトは黙って部屋の隅を指差した。
そこには、グズグズになるまで焼き尽くされた巨大な灰の塊があった。
床に焼き付いたシルエットは、一応人のものにも見えなくないのだが、何か尺度がおかしい。
これではライトは、体長四mはある巨人を相手取ったことになる。
大陸中を探せば数人は見つかるかも知れないが、あの大きさで地下室のドアを通れるのだろうか。
「最初はミルドっていうちょっとだけデカいおっさんだったんだが、変な注射を打ったら一気に巨大化してバケモノなりやがった。変身後は結構面倒かった」
「……注射、か」
ライトの語ったその単語に反応したのか、ジンが無意識に首筋を掻く。
寝そべるライトは、ジンのその挙動をじっと見つめていた。
「で、テメエは地上で何してたんだ」
「ここの奴らに絡まれて、落ち着けって言ったのに襲って来たから、取り敢えず全員ノックアウトした」
「何だ、ただの雑魚処理かよ。アリサもいたんだから随分と楽な作業で……」
そう皮肉を言いかけて、ライトはようやくそのことに気が付いた。
あれ程二人で行動しろと言い含めておいたアリサの姿が、何処にも見当たらないことに。
「おい、アリサはどうした」
◆ ◆ ◆
「ハァ……ハァ……!」
アリサは、一心不乱にスラムの中を駆け抜けていった。
人と人との間を風のように通り抜け、ひたすらに走り続けていた。
行き先なんてない。ただ逃げたい。ただ離れたい。
あの場所から、兎に角遠くへ。誰も居ない、静かな場所へ。
「何で……」
あの顔が忘れられない。
フードが外れた瞬間に見せた、あの取り巻きの男の狼狽を。
あのチンピラが見せた、恐怖に染まった怯えた目を。
「何で……!」
何がいけないと言うのか。何が悪いと言うのか。
自分は何もしていないのに、本当に何もしていないのに。
ただ素顔を晒しただけなのに。
それなのに。
「なんでぇ……!?」
問わずにはいられない。理由を尋ねずにはいられない。
何度も問うた。幼き頃から何度も何度も問い続けた。
それでも、誰に聞いても返ってくる言葉はどれも同じで。
そしてその答えで納得することなど、到底出来はしなかった。
ねえ、何で? 何で? 何で?
どうして皆、そんな目をするの!?
「ハァ……ハァ……」
気付けば周りには、もう誰も居なかった。
いくら見渡しても、人影はおろか気配すら感じられない。
「ここは……封鎖区域……?」
ギャングの抗争や大規模な人身事故などの理由で、関係者以外立ち入り禁止に指定された危険区域。
どうやら無我夢中で走り回っている内に、こんな場所に迷い込んでしまったらしい。
荒れる息を落ち着かせながら、アリサは近くにあった廃材に腰掛けた。
「…………」
もう一度周りに誰も居ないことを確認すると、アリサはゆっくりとフードを外した。
はらりと、窮屈なフードの中から解放された長い紅髪が下に垂れる。
アリサはその真っ赤な髪を見て、物憂げに溜息を吐い――
「どうしたんだ? そんな溜息を吐いて」
すぐ傍から、声が聞こえた。
「っ!?」
バッと、ほぼ反射に等しい反応速度でアリサは地面を蹴って、その声の主から距離を取った。
見られた? 見られた!?
(いや、違う! いつの間に!?)
急いでフードを被り直しながら、アリサは驚愕と怯えの眼差しをその人物に向ける。
アリサとて法術士だ。しかも素質だけなら超一流とも呼べる逸材。
そんな彼女がいつも以上に周囲を警戒し、注意を張り巡らせていたというのに。
あの人影の存在を、声を掛けられるまで察知することが出来なかった。
「おいおい、そんな怯えるな。こんな場所で奇妙な格好した奴が居たから、気になって声をかけただけだ」
「それ、あなたにだけは言われたくない」
その人物が身にまとっていたのは、ボロボロの黒ポンチョ。
フードを深々と被っている上に、顔を奇妙な白い猫のお面で隠している。
更に機械で加工したようまな声のせいで、その人物が男か女かの区別すらつかなかった。
「……で、何の用」
「だから言っただろう。こんな場所に居るお前が気になって、軽く声をかけただけだと――」
「じゃあ、その右手に隠した物騒なもの仕舞えば?」
黄金弓を構えて、一切の油断なく警戒するアリサに対し、猫面の人物は「ヤレヤレ」と首を振って右手に掴んでいたソレを投げ捨てた。
カランカランッと金属音を立てて地面を転がったのは、抜身の漆黒の短剣。
猫面の人物は観念したかのように両手を挙げ、降参のポーズを取る。
「バレてないと思ったのだが、勘がいいな」
「御託はいい。目的を吐け」
吐かなければ射つと、アリサの氷のように冷たい眼差しが言外に告げる。
猫面の人物は「参ったな」と、微塵もそう思っていないであろう言葉を口にすると、
「簡単に言うと、お前を殺しに来た」
「え――」
声は、背後から聞こえた。
アリサが反応して振り向くのと同時に、振り抜かれた銀閃が煌めき、
そして、鮮血が舞った。
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