第6話

 イベントの前日。いつもはなんでもないことでも連絡してくる彼女から、なんの音沙汰もないので気になり、「ちゃんと準備してますか?」とメッセージを送った。

 夜半を過ぎても返信がないので心配になってきた頃、彼女から短い動画が送られてきた。

 彼女は、夜の丘のような場所に立っていた。どこかの公園だろうか。手元がブレブレの状態で自撮りをしている。フレーム外だが、スマートフォンを持った手と反対の手で懐中電灯を持ち、顔の下から光を当てているようだ。

 彼女は画面に向かってわたしの名前を呼んだ。

「見てるか? きみには報告しないといけないと思ってな」

 光のせいで真っ白に見える顔。少し緊張しているようだ。

「きみはいつもわたしのことを思いやってくれている。うちの推しに対する思いも理解してくれている。だから、きみが会えと言うからにはきっと、大事な理由があるんだと思った。だから考えたんだ。きみにはどんな未来が見えたんだろうって」

 彼女は息を吸い込む。

「うちの推しは死ぬんだろう? だから、今のうちに会っておけみたいなことを言ったんだろう。信じがたいけど、それしか考えられない。きみはわたしが自分のストーカー気質を忌み嫌っていることも、それを認めて乗り越えるのにどれだけ苦しんだかも知っている。それなのに、接触を拒むわたしにイベント参加を勧める理由。考えればおのずとわかることだった。若くて健康な人だって、突然死ぬことはある。なにが起こるかなんてわからないってきみは言ったよな。未来が見えるきみがそう言うんだから間違いないよ」

 わたしは今すぐ彼女に電話しようかとも思ったが、まだ動画は続いた。

「でも、そのことを知ったからといって、うちの推しを助けることができるわけじゃない。未来を変えられるんだったら、きみは苦しんでこなかっただろう。きみは未来を変えようとして何度も失敗したから、もう誰の未来も見ないって決めたんだろう。わたしも悪あがきをするほど馬鹿じゃない。でも、うちの推しが死ぬなんて、耐えがたいことだ。しかも、わたしの知らないところで。そう考えていると、頭が沸騰しそうになって」

 アングルが下がり、顔がフレームアウトして、懐中電灯を握った彼女の手が映った。その手は、赤っぽい液体にまみれていた。白いカットソーの腹にも、べったりとついている。

「彼の事務所の前に張り込んで、彼が来るのを待った。そして」

 懐中電灯を持った手でカットソーをめくりあげると見えたのは、ベルトに差した血まみれの包丁だった。

「これで彼を刺した。どうせ死ぬなら、わたしの手で殺そうと思って。ちゃんと殺したよ。包丁を握った手に心臓の鼓動が伝わってきたからな。後悔はしてない。一応逃げてはきたが、すぐにつかまるだろう。その前に、きみに説明しておきたかった。そして言いたかった。ありがとう。わたしはわたしがやりたいようにやった。きみのおかげだ。突然の訃報に泣き濡れるより、今の気分のほうがよほどマシだ」

 そこで動画は終わった。

 わたしはすぐに彼女に電話をかけた。そんな、まさか、わたしはなんてことを。

 呼び出し音が鳴って数秒した時、わたしのアパートのドアの呼び出し鈴が鳴った。

 スマートフォンで呼び出しを続けながら玄関の外を確認すると、動画と同じ服装をした彼女が立っていた。スマートフォンを放り投げ、慌ててドアを開ける。やはり、彼女の服にはかなりの量の血が。

 わたしは彼女に抱きついた。

「会えなくなるなんて嫌です」

「え?」

 彼女はわたしをもぎ離した。

「これを見ろ!」

 彼女の手には、大きなケチャップの容器が握られていた。その時、ケチャップの塩っぽいにおいがしていることに気がついた。わたしは彼女の赤く染まった白いカットソーを凝視する。

「……ケチャップ、ですか」

「ケチャップですよ。きみ、本当にわたしがうちの推しを殺したのかと思ったのか?」

 わたしは衝撃と安堵と申し訳なさで言葉を発することができなかった。

「ショックだな。きみがわたしを人を殺すような人間だと思ってたなんて」

「違うんです」

 涙があふれてきてしまう。

「ちょっと、ほんのちょっとだけ、本当かもって。だって、人って、本当に心の底からわかり合うことなんてできないじゃないですか。だから、だから、そういうことも、もしかしたら、あるかもって。それに、演技があんまり上手かったから。」

「わかった、わかった。もういい」

 彼女はわたしの泣きっ面にひいているようだったけれど、わたしは話し続けるしかなかった。

「すみません。わたし、馬鹿で。本当に殺すはずなんてないのに。わたし、昔からほかの人のことが全然わからなくて、信じられなくて、大好きな人のことも、全然わからなくて。本当に本当に大好きなのに。あなたのこと、大好きなのに」

「わかったから」

 彼女は一瞬、わたしに抱きつこうとするそぶりを見せたが、汚れた服を見下してやめた。

「悪いのはわたしだ。はっきり言うと、なにかを隠してるきみに腹を立ててたんだ。だから刺激強めないたずらをしてやろうと。きみの純粋さをなめてたよ。きみは馬鹿じゃない。ひとのことがわからないと思うのは、わかったフリをしないからだ。わかり合えないと思うのは、正直で真面目だからだよ」

 わたしの最後の涙が流れた。彼女の優しさも、わたしが彼女を尊敬している理由のひとつだ。

「ありがとうございます」

「で……わたしはなにを言おうとしてたんだっけ?」

「えっと、わたしが隠してたことなんですけど」

「あ、そうそう、それを訊こうとしてたんだ」

「彼は死ぬんじゃなくて、グループを卒業します」

「え?」


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