第46話 抱っこ
昆虫博……凄く楽しかった。
弥生は帰りの電車の中で、今日一日のことを振り返っていた。
ギューギューまではいかないけれどそこそこ混雑した電車では、否応なしに賢人とは0距離になる。身長差があるから顔を付き合わせることはないが、目の前には賢人の硬い胸板がある。肺いっぱいに賢人の匂いが広がる。
香水? トワレ?
お洒落には全く興味のない弥生には、賢人のつけている匂いが何であるかなどわからない。でも、さりげなく香る人工的な香りと賢人の匂いが混ざりあって妙に落ち着く。
電車が揺れて弥生がよろけそうになると、賢人は自然な動きで弥生の腰に手を回して支えてくれた。より距離が近くなったが、電車が揺れるのだからしょうがないことだと、弥生は踏ん張ることを諦めて賢人に身を委ねた。
すると、立っているのに睡魔に襲われる。
「眠い? 」
「少し……」
賢人の腕に力が入り、しっかり腰を支えてくれた。
「いいぞ、もっと寄りかかって」
「寝ない……寝ないけど」
すでに弥生の上瞼は落ちてきている。
何せ、通常は大学とアパートの往復しかしない。たまに休みの日に出かけることがあっても、花梨と少しお茶をしたり、麗の買い物に付き合うくらい。生まれてからこのかたインドアライフを満喫してきた。子供の時だって走り回って遊ぶよりは、じっくりしゃがんで虫の観察ばかりしていたのだ。
こんなに歩き回ったのは小学生の時の遠足以来かもしれない。
博物館も公園も楽しかったけれども、弥生の体力は限界を越えていたらしく、泥沼にはまるような睡魔に抗えない。
あと一駅でつくのに……。
一駅前のアナウンスを聞いたところで弥生の意識は事切れた。
★★★
いつもならそこまで混んでないはずの電車が、今日は何かイベントがあるのか、オタク臭漂う若者達で混んでいた。
彼らは彼らの世界観の中で生きているからか、いつもなら煩わしい女子の視線も、ごく少数しか感じられない。
まあ、どんな肉欲的な視線を送られたとしても、今の自分にはなんら響くところはない。
腕の中に囲い混んでも、さりげなく頭の臭いを嗅いでもなんら不自然じゃない状況!!
まじで天国!
こんな幸せな時間、他人の煩わしい視線になんか邪魔されたくない。
あと一時間……いや、何時間だってこのラッシュにもまれても構わない!
賢人は電車の揺れを利用してさりげなく弥生の腰を抱き寄せ、さらに密着度をあげる。
ハグはマストになった。弥生から抱きしめ返されることはないが、大分緊張は溶けてきたと思う。たまにデコチューや頬チュー、鼻チューくらいは隙をみて繰り出している。いつも真っ赤になってすぐに逃げられてしまうが。
そのおかげか、今の弥生は混んだ電車の中でも賢人の腕の中でリラックスできているのか、それともただ単に疲労困憊なのか、かなり眠そうにしている。
ってか、寝た?
あと一駅ってとこで、器用に立ったまま寝てしまった。
支えてはいるし、賢人の胸にもたれかかってはいるものの、いきなりの爆睡だ。
眼鏡、ずり落ちそうだし。
賢人は弥生の眼鏡を外すと、自分の頭にかけた。
最寄り駅につき、なんとか弥生を抱えてホームに降りる。
少ししゃがんで弥生の顔を肩にもたれかからせて、太腿を抱えて抱き上げる。いわゆるお子さま抱っこだ。これなら一瞬なら片手使えるし、弥生くらいの軽さならアパートまでくらいなら楽勝だ。
イケテない男性が寝落ちした美少女を抱えて歩いていたら警察案件かもしれないが、賢人が弥生を抱えて交番の前で信号待ちしていても、誰も何も言わない。
職質されても、寝てしまった彼女を抱いて帰るだけだから何ら問題ない筈だが、起きていたら触れないような太腿の内側や尻などをじっくり堪能しながら歩いていたのだから、実際はイケメンの仮面をかぶったただの痴漢野郎だったりする。
役得ってやつだよな。
けっこう際どい所を触っているのだが、弥生の寝息が乱れることはなく、それどころか肩に涎まで垂たして爆睡している様子だ。
とりあえずアパートに戻り、自分の部屋に連れて帰った。
もう少し触って……いや抱えていたい気もするが、いくら軽くてもそれなりに腕がヤバくなってきたので、弥生を賢人のベッドに下ろした。
靴を脱がせて玄関に放る。スカートが捲れて太腿まで見えてしまっているが、あえてなおすようなことはしない。
「おーい、パンツ見えちまうぞ」
弥生の隣に横たわり、片肘をついて上体だけ起こした状態で弥生の耳元で囁くが、弥生は可愛らしくムニャムニャ言うだけで、全く起きる気配がない。
「腹減った、飯。おーい、飯作れって」
鼻をつまんでみたが、わずかに眉を寄せただけで口を開けて呼吸しているようだ。そのポテッとした唇を見ていると、ついつい引き寄せられそうになる。
弥生と再度付き合うとなってから、当たり前だが女断ちをしている。こんなに長い間女を抱いていないのは、以前弥生と付き合った時ぶりだ。
かなりたまっている。
それは半端ないくらい爆発寸前だ。
前は付き合っていても、弥生の拒絶っぷりは明らかで、とても手が出せる状態じゃなかった。もし手を出したら、永久に嫌われることは間違いなかった。
だから我慢した。
前回は、我慢して何もできないうちに破局してしまった訳だが、だがしかし、今回は何かが違う。
「腹減ったっつうの。食っちまうぞ。いいんだな。っつうかいいよな。よし、食うからな! 後でグダグダ言うなよ」
賢人は弥生の顔の脇に肘をつくと、ゆっくりと顔を近づけていった。
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