第10話 敬語の理由

 弥生は珍しく険しい表情でフライパンをふるっていた。


 今日は始業式だったから、学校にいたのはほんの一時間ほど。部活もない為、みなが午前中に下校となった。

 いつもなら、賢人は取り巻きハーレムの肉食女子の誰か、もしくは複数と遊びに行っている筈で、弥生は安穏な一人の時間を満喫できている筈だった。


「腹へった」


 弥生の頭に重みを感じ、弥生はピシリと固まる。


「もうすぐできるから、あっちでテレビでも観ててよ」

「待てない」

「すぐですから」


 冷凍ご飯を利用したチャーハンと、冷凍の餃子、ワカメの中華スープと、三つ口コンロは大活躍だ。

 いくら冷房が効いているとはいえ、キッチンはかなり暑い。そのうえ賢人がベッタリしてきたら暑さは半端なくなる。


「汗……かいてる」

「暑いの! だから近寄らないで……ください」

「おまえさ、何で時々敬語になる訳? 」

「意味なんかない……です」


 本当はある。ありまくりだ。

 別に賢人を敬っている訳ではない。そりゃ賢人はカースト上位だし、イケメンだし、高校高身長だし、頭良いし、スポーツできまくりだけど……。

 そこまで考えて、賢人のハイスペックぶりに、これは敬わなければならないのだろうか? と弥生は一瞬思案する。


 イヤイヤ、それを上回る俺様っぷりだし、来る者拒まずなオープンな下半身事情は敬う必要を微塵も感じさせない。


 そうだ、できる限り接触したくない相手。それが有栖川賢人だ。そんな賢人の戯れに彼女枠に引きずり込まれた弥生ではあったが、昔から賢人との距離を取りたい時、距離があると知らしめたい時に敬語になる習慣があった。

 それは今でも変わらない。


「敬語禁止」

「エエッ?! 」

「あと、昔みたいに名前で呼べ」

「無理! 」

「即答かよ」


 賢人の両腕が弥生のおなかに回る。


「ヒエッ!! 」


 頭の上で意地悪く笑う声がする。後ろから抱き締められ、頭の上に顎を乗せられるって、見た目だけでいったらどんなに甘々なシチュエーションだろう。弥生は嫌がらせ以外の何物も感じてはいなかったけれど。


「色気ねぇな」

「私に色気を求めないでください! 」

「また敬語。確かに小学生スタイルだけど、一応高校生だろが」


 そう言う賢人の手はヤワヤワとおなかをさすり出す。


「べ……便秘じゃないから、おなかさすさすは必要ありません」

「おまえ、全体的に肉ついてなさすぎ。抱き心地良くないぞ」

「そんなの良くなくて結構です!というか、餃子焦げる! は~な~れ~て~! 」


 ベシベシと賢人の手を叩くと、賢人は片手だけ離してコンロの火を止めてしまう。


 イヤイヤ、余熱でも焦げるから!


「名前呼んだら離してやる。」

「ムリムリムリムリ」

「なら触る」


 賢人の手がスルリと弥生のシャツの中に入ってきた。相変わらず撫でさすっているのはおなかだが、洋服の上からと直に素肌だとムズムズ感が激上がりだ。


「賢人君! 」


 弥生はすぐに降参した。


「け・ん・と」

「……賢人」


 脇腹を擽られるように触られ、弥生は身体を捩らせるようにして真っ赤な顔をしているのは、キッチンが暑いせいだけではないだろう。

 息をのむような雰囲気が頭上でして、ゆっくりと囲い込まれた腕は外された。


「……飯。早くしろよ」


 邪魔したのはあなただよね?


 弥生は自由になった身体から力を抜き、リビングに戻る賢人を確認してから料理を盛り付けた。

 どうせなら運べばいいのに! と思いながら、とりあえず賢人の大盛チャーハンから運ぶ。


 今日の朝の出来事(賢人が弥生の腕を掴んだ事件)は、明日には学校中に広まっているかもしれない。

 しかも今日の帰りも、有無を言わさず腕を掴まれての下校だった。帰りの挨拶をしてすぐの強行に、クラスの人もほとんど気がつかなかったかもしれない。周りの数人のクラスメイトには見られたとは思うけど。


 第一、学校では今まで通りって約束はどうした?!

 若葉と楓にも挨拶すらできなかったし、スマホの番号を聞こうと思っていたのにできなかった。

 賢人はハーレム肉食女子達と遊ぶんではなかったのか? 何で当たり前のようにうちに上がり込み、昼食を要求するのか?


 家政婦なの?

 召し使いなの?

 まさかの奴隷?!


 チマチマとチャーハンを口に運びながら、弥生はほとんど食べ終わっている賢人にチラチラ視線を送った。


 食べ終わったなら帰ればいいのに。


「飯食い終わったら、何する? 」

「はい? 」

「半日だしな、遠出はできないし、買い物? 何か買いたい物あるか? 」

「ない……けど」

「意味なくぶらつくの好きじゃないしな。まだ暑いし……カラオケ? おまえ音痴だったよな。ゲーセン? おまえには金の無駄遣いか。ゲーム下手くそだし」


 何の話しかわからないけれど、何やらディスられてる気がする。


「何もするつもりもないし、どこに行くつもりもないけど」


 できれば、この間区立図書館で借りた小説が読みたい。なので、早く帰ってもらえないだろうか?


「家でまったりか……、まぁそれもいいか」


 最後の一口を食べ終え、賢人の皿と重ねてキッチンに運ぶ。

 やはり手伝う気のない賢人は、手ぶらで弥生の後についてきた。


「ビデオでも観る? おまえんとこなんかある? 」

「プライムビデオ入ってるけど。でも私は本を読みたい」


 賢人は弥生の後ろに佇んで洗い物が終わるのを待ち、弥生がリビングに戻ると後ろからついてくる。


 何でこんなにつきまとうんだ?


 弥生がリビングのソファーに座って本を開くと、賢人はその隣に座ってテレビをいじり見たいビデオを探して観る。

 お互いに違うことをしているのに、同じスペースにいて居心地がいい。そこまで親しい訳ではないが、赤ん坊の時から一緒に過ごしているせいだろうか。

 喋らなくても居心地が良かった。


 本を読んでいる弥生の腰に、賢人の腕が回る。

 チラリと賢人を見るが、賢人は無意識なのかテレビの画面から視線を動かさない。

 弥生も、何も声をかけることなく本に視線を戻した。





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