異種結合のジュニオン

@evolutionrevolution

異種降臨のクリーチャー



 生命宿りし青い星、地球。


 其処には地獄があった。ある一つの世界は地獄と化していた。建物は崩れ瓦礫は蔓延り橙色の炎が彼方此方に灯っており、灰は上がり空は黒く染まっている。

 血に染まった死体は何処にでもあり足を動かずともグチョグチョに壊れた肉塊が視界に映る。歩を進めれば進める程、人では無い何かの感触が神経を逆撫でた。


 死が充満している光景は、正しく地獄と言って差し支えないだろう。息をしている人間は居らず、星すらも生きている様子は見られない。噎せ返りそうになる位溢れた死の匂いは生存を決して赦してはくれない。


「──────。」


 そしてその地獄には一人の人間が歩いていた。見るからにボロボロの服装で所々焼け焦げ黒く染まっている部分や切られたような跡がある。顔はフードで覆われており暗く視認出来ない。

 煙があちこちで上がる中ゆっくりと体をふらつかせ歩いていた。何処へ行っても見える物は変わらず同じ場所を何度も何度も回っている感覚に襲われる。終に自身が見る景色には飽きてふと立ち止まってしまう。意識の何もかもが朧気な中少しだけ考えた。


 何を思って生きていた生物達はこの地獄を造ったのだろうか。この光景の前ではそんな疑問も数秒で形を無くした。こんな状況では文字通り何にも残らない。

 生きたいという渇望と死にたいという願望も起きる事は無かった。それでも歩く。地獄を歩く。星を歩み続ける。

 命を育むべき大地は死に絶え、生を産むべき光の象徴は姿を現さない。あるのは小さな無数の死、死が再び大地を生み出すけれども産まれてくるのは生ではなく死、のみだった。


 目の前の世界からは色彩が消えた。己には色を識別できるのに識別されるべき者はとうにその色を失くしている。美しい緑溢れる自然という宝石は燃え、焼け灰となり輝かしい青き海という秘宝は黒く染まり以前の姿は見られない。本来あるべき筈の天上の光は未だその輝きを顕してはくれなかった。

 

 生を踏み歩く。


 死を踏み歩く。

 

 命を踏み潰す。


 闇を踏み抜く。


「───ははは。こんな地獄を創ったのは『何』なんだろうな?」


 乾いた笑い声が響き渡る。些細な疑問だ。同じ疑問を何度も何度も呟いた。脳裏でどれだけ考えても、口に出しても返してくれる存在は何一つ無かった。一緒に居た奴は残らず消え去り、あるのは『死体』だけ。残骸を背負って歩くのも結構辛いものだ。

 

 でも、残骸だけと言ってもまだ成り立っている物は一つだけ残っていた。姿形はボロボロでも多分まだ使えるかもしれない様に見える。人間は懐から取り出し赤色の四角い長方形の物体を取り出した。暫くの間懐かしそうにそれを見つめ撫でる様に手を動かす。


「どんな物にも生まれた意味ってゆーのは本当に『あった』んだな」


 どうしようもない絶望の中で何か希望は無いかと、どうしても縋ってしまうのは仕方の無い事だろうか?

 まぁきっと意味の無い事だ。


「──精々頑張れよ」


 ああ、でも、ほんの一筋の頑張りでもきっと返ってくるだろう。


 一つの呟きを最後に終わらない地獄の中を進んでいく。



2084年地球───


 その星に住み種を繁栄させる人類は彼等が持つ科学技術を大きく進歩し2000年代の人類が夢見ていた未来都市へ一部の国は一歩進んでいた。


 一人の男によって人工知能、遺伝子技術、科学技術が主に発展した。その男の名前は『善男 英生』。彼がその名を世界に轟かせる様になってからは人々の目に写る日常は姿を変えていった。先ずスマートフォンと並ぶ電子機器が最初に登場した。


 フューチャー・デバイス。頭部に装着することで機器越しにホログラムを展開し、人工知能のサポート等が受けられる便利な道具だ。最初はあまり広まっていなかったが時間が流れると普及し始め評価されていった。

 いつの日か全ての人間がそのデバイスを持つ様に成り誰もが人工知能と共に生活する世界に成り代わった。種類は片眼鏡型からゴーグル型等多種多様。

 人工知能は学校でも利用され多くの学生にとってお馴染みの存在だ。勉強や運動もAIのサポートを受ける事によってどの能力も飛躍的に上がる様になった。


 そして政府や裁判、人が推し量る事例は人工知能によって運営される事になった。何故なら正当かつ正確な判断を下す事が出来るから。人工知能は汚職もする事は無く人々の為に高度な知能を振るう。設置された衛星によって監視され、罪を犯す人々も人工知能を恐怖しその数を減らした。

 国どうしの戦争も終には姿を消し平和が齎されたのだ。何処の国も人工知能を政府とし武器は不必要となり人々は笑顔で満ち溢れていたのだ。


 町は多くのビルが立ち上がり汚れ一つ無いその様相で太陽の光を反射していた。銀色に輝く町並みはとても美しい。ホログラムが映るのは当たり前。道路を走る自転車、バイク、車は人工知能によって自動運転となり事故は無くなった。空には監視用鳥型ロボットが羽を広げている。人が連れているペットは人工知能搭載のロボットが全てだ。費用もあまり掛からないし恐竜等様々な動物がペットに出来るという点が魅力だった。それが一つ目の発展だった。


 次に発展したのは細胞技術。細胞技術は医療に使われ、何処の国でも平均寿命が大幅に伸びた。ガン等の病で死ぬ人間は徐々にその数を減らし続けた。老化も抑えられるように成り元気溌剌な老人がちらほら見受けられる。今では曾祖父や曾祖母と暮らすのは当たり前になったのだ。

 飛躍した細胞技術は次に食糧難を解決した。なんと人工食物じんこうしょくもつが開発され、様々な動物の遺伝子構造が解析され単純な肉や野菜だけの存在が認められる。この人工食物が大量に作られ人々は家畜を必要としなくなったのだ。


 更に発展を重ねた結果、人のクローンが大衆受けする事となった。クローンも発展を遂げ思考の無い愛玩用の物が誕生した。それに意志はは無く命令された通りの行動しか出来ない存在。一時期は多くの批判が成されていった。けれども多くの問題はこの愛玩用クローンは解決していった。何故なら性犯罪は殆ど消えた。男も女も理想の姿をした人形に自身の欲を押し付ける事で誰も他人へと欲情出来なかった。人間と同じ生活を与えるだけで何して構われない。思考が存在しない上にクローンは人より下という考えが強いからだ。結果クローンと結婚する人間が増加した。

 次に登場したのは人工知能を搭載した人型クローン。通称ヒューマノイドだ。ヒューマノイドは愛玩用クローンとは比べると数が少ないがしっかりと自身の意志を持ち、仕事等に活用されている事が多い。けれど脳内に人工知能を搭載している以外は人間とあまり変わらず食事も睡眠も取る為、あまり需要は無い。


 人々はそれに満足し星が持つ問題は消えた。結果彼等は暴走してしまったのだ。何時しか人類は他の動物を必要とはしなくなった。


 家畜、食料?人工食物があれば良い。ペット?人工知能を搭載したロボットの方が遥かに良い。


 そんな考えが大きくなっていく。人工は増加し土地はビルで溢れ住む場所も足りなくなってしまった。そして始まったのは他生物の追い出し、駆除だった。


 綺麗な町に糞を散らす動物、旧時代のペットは殆どが愛らしい姿を血に染めた。土地を開拓した事によって町に出て来た猿も熊も毛皮を剥ぎ取られるだけ取られて死んだ。


 動物園も触れるホログラムの動物、恐竜、旧時代の絶滅危惧種によって活発化していき本格的に生物は絶滅の危機に瀕していた。


 一度保護団体が訴えた事がある。けれども直ぐに取り下げられた。どういう事かと言うと大多数の人間が、人工知能が、口を揃えてこう言ったからだ。


「人類の為だから仕方が無い」と。


 事実これ以上人類が他の生物を必要とする理由は無かったのだ。現存する生物も絶滅した生物もホログラムで十分過ぎた。


 こうして人類は正真正銘、地球の支配者になった。嘗て恐竜が地球を支配し思うがままに生きていたのと同じ様に人類は掌握したのだ。けれど太古の支配者である恐竜達が突然姿を消した様にどんな事柄にも終わりがある。


 世界が回る様に時は進み生物もまた、『廻る』。


 2084年7月6日、日本のある首都となった町、光ケ丘での昼の時間帯。始まりは一人の人間の悲鳴だった。


 空から何かが落ちてきた。それと一緒に何か丸い物が転がった。


「キャァァァァァ!!!!」


 それは人間の首だった。


 その人間が見たのは滅多に視界に映る事は無い赤い液体。どくどくと流れていく液体は何だろうか?輝いていた町を汚す液体は何だろうか?

 賑やかに過ごしていた人間は全員が静粛に包まれた。本来見る筈の無い「血」に視線を集めながら。


「ニャァァオ?」


 次に耳にしたのは街中でペットが発する機械音の様なものだった。流れる様に緩やかな『鳴き声』だった。ホログラムの猫が発する声だ。しかしそこ声の元は決して猫では無かった。


 形は人間と同じく二足歩行だった。けれどもその姿は猫の様な物。子供位の身長で全身に茶色の毛が伸びており尻尾の様に太く長い物が腰から生えていた。顔は正に猫をそのまま大きくしたと言える。縦長の黄色い瞳孔。三本ずつある長い髭。口の中には短くも鋭い牙。

 その手には触れただけで切られてしまいそうな赤く染まった爪。


 長さ凡そ20cmもあるその爪がいとも容易く人間の首を切り裂いたのだ。その爪に着いている赤色の液体と転がっている切り取られた頭が何よりの証拠だった。


 正に己の種族を駆除してくれた復讐と言わんばかりに化物は凶器を振り上げ光刃を飛ばし街を、人々の形を崩していった。ついさっきまで美しい町並みだった場所はあっという間に地獄に成り代わった。


 周りに居た人間の思考は停止は未知の存在によって停止した。数秒間経った後声を張り上げた。戦争が無くなった時代、今は警察しか存在していない。自衛隊は居らず頼れる人間はそれしか居なかった。直ぐに人々は通報、しかしその警察官達も同じ様に首を切られる。光線銃は弾かれ周りの一般人も巻き込まれて肉体を引き裂かれる。


「うわぁぁぁぁ!」


 人々が化物を前に逃げ惑う。人類は再び思い出したのだ。死への恐怖を。現代技術によって寿命での死が殆どにであり外的要因での死はここ数年無かった事だ。


 首都である光ケ丘では人口が密集しており様々な施設や店がある。中には観光客も大勢いた。それは必然的に大量の犠牲者を生むことになった。化物を目の前にした人間は怪我どころでは済まず老若男女関わらず首と胴体を切り離す。


 地獄とも言える虐殺は一日中続いた。他県から駆けつけた警察官も大多数が殉職。持つ兵器も光線銃しか無かった。誰かが車で突っ込んでも鉄の塊すらも簡単にバラバラにされてしまった。


 文字通り打つ手無し。どれだけ助けを乞うても容赦無く殺され、周りの人間は互いに互いの足を引っ張り合う。中にはクローンやヒューマノイドを盾にして逃げる人間も居た。それでも死んでいく。あらゆる方向に飛ばされた光刃は人間を纏めて斬り殺す。


「あんなの生き物じゃ無い………」


 誰かが呟いた。生気を無くした表情をしている。周りには人間の首と胴体。彼の服はいつの間にか赤く染まっていた。目の前の化物を見ていると視界が歪んだ。首を傾けたみたいに何故か平行では無くなっている。そして地面しか映らない光景を見て納得した。


──ああ、死んでたんだ。


 町中の人間を殺しに殺した後人型の猫は忽然と姿を消した。監視カメラにも映ることなく居なくなってしまったのだ。


 後の時代にまで語られる『未確認人型猫大量殺人事件』。起きた場所の名前から簡略化され『光ケ丘事件』と呼ばれる様になった。多くの人間が死に生存者は僅か数名。その全員は街の中心部から離れた場所に居り怪我程度で済んだが中枢部の人間は数人しか生還することは無かった。この事件は世界中に広まり、再び人間が強力な兵器を持つ事になってしまった理由となる事件。


 人にも町にもどんな形であれ傷跡を着けた。


 そしてこれは唯の始まりでしか無かった。


◆◆◆◆◆


 『光ケ丘事件』から九年が経った。九年間化物は人々の目の前に姿を表す事は無く災害と同じ扱いを受ける様になっている。一度きりと言えばまた来るかもしれない、他にも様々な憶測が出ているが幾ら何でも情報が足りない。確認されたのは猫に似た姿だけで本当にそんな生物が居たのかはたまた人間が化けた姿なのか分からない。


 撮られた映像一つだけでは猫の様な風貌をしている二足歩行の生物と言う事しか分からず、不透明な所が多くあまり人々には信じられずに浸透する事は無かった。しかし国家の人工知能は未知なる物として認知している。

 兎も角、多くの人々が死んだと言う事実に変わる事は無かった。


 当時、ビルは倒壊し町には死体が溢れその色彩を赤一色にしていた光ケ丘。死体は一つ一つ回収され建物は数カ月かけて元に戻った。使っていた材質を以前よりも強化され政府の判断により警察に変わる新たな組織、Guardian of Peace from Monsters.通称GPMが設立された。GPMに所属する人間は使用禁止兵装である現代兵器の使用も許可される事になる。

 日本にのみ現れ国家が公開した映像に映る化物の情報を他国の人工知能と国民は求めた。当然だろう。完全に未知の存在であり、生物の範疇を超えた怪物。たった一日で首都を陥落させたのだ。そんな化物について知らずに国の運営など出来ない。そちらも同じく人工知能の判断により現代兵器の使用を許可された。尤も原則として未確認危険生物に対してだが。しかし日本の様に組織等は設立されていない。


 ともかく町並みは元に戻り人口が少なくなったとは言え首都である事に変わりは無くその活気は以前のままだった。


「行ってきまーす」


 その光ケ丘の『赤火町』にある水色の光が走る白い壁で出来た二階建ての家から一人の少年が自動扉を抜けて出て来る。元気の良い声を発した少年の名前は結種ユイクサ ヒュウト。赤色のパーカーでボサボサの茶髪でゴーグルをください首にかけている。今年高校一年生になったばかりの16歳だ。


 玄関のすぐ側に置いてある電動の自転車のロックをスマートフォンで解除し乗り込む。首に掛けていたゴーグルを装着し、自動運転の変わりである事故防止用のセンサーを起動させる。


「行ってらっしゃいヒュウト君」


 扉が閉まる前に家の中から女性の声が彼の耳に入った。黒い首輪を着けている彼女の名前はクロノ。ヒュウトと同じ身長で長い黒髪と黒い服が特徴のヒューマノイドだ。愛玩用のクローンとヒューマノイドの違いは首輪の色による。クローンは白色の首輪を着けているがヒューマノイドは黒色で区別されている。


「おう!」


 ヒュウトの家に両親は居らずクロノ一人か居ない。何故なら彼が孤児だからであり、クロノ──ヒューマノイドが居る理由である。

 クロノは数あるヒューマノイドの中で教育型である。幾ら技術が発達したからとは言っても全ての問題が解決した訳では無い。

 ヒュウトは五歳の頃まで孤児院に居たのだ。だから両親が居なく、彼の様な孤児は教育型ヒューマノイドを与えられて生活出来る様になっていく。ヒュウトはクロノと生活していたので家族愛に飢える事なく健やかな少年に成長した。


『現在時刻八時十分です。学校のチャイムは八時三十分です。残り時間は二十分。予測時間では五分前に到着します。焦らず安全に登校しましょうヒュウト君』

「オッケー。エーちゃん!」


 ヒュウトが通学路を自転車で走っているとゴーグルから女性の機械音声が聞こえてきた。彼女は枯野デバイスに搭載されている人工知能だ。エーちゃんと言う名前は彼が親しみを込めて読んでいる。


 そのゴーグルも彼が孤児院から出て行く時に貰った物だ。十年経って年々最新型のデバイスが出ているが彼はずっと愛用している。


「〜〜〜♪」


 適当に鼻歌を歌いながら自転車を運転する。こちらにも人工知能が搭載されているので事故は全く起こらない。


 今の時期は夏──燦々と降り注ぐ日光が働く人々、友達と登校している学生、町全体を明るく照らしている。年を追うごとに気温が高くなっているものの然程辛くはなくなってきている。


 ヒュウトが自転車で走っていると多くの人々が視界に映る。歩道で掃除用ロボットがゴミを回収しているのが見られた。他には清掃用ヒューマノイドが草むしりを家の人と一緒にやっていたり、犬型ロボットのペットを散歩している人やランニングしている高齢の方。道路では自動運転の車が皆同じスピードで走っている。まさしく多種多様な姿だ。


『やはり朝は清々しいものですね』

「そーだね」


 十年も一緒に居るお陰か他の人が持っている最新型のデバイスのAIとは違って積極的に話し掛けて来る。彼にとってAIとは生活をサポートしてくれる機械では無くと仲のいい友達と言った感じだ。


『ヒュウト君学校に到着しました』


 彼が通っているのは光ケ丘で最も有名である光ケ丘高等学校。光ケ丘事件の後から出来たばかりの学校である。科学が発達した現代の勉強に適した設備が多くある高校だ。此処に居る教師は科学系統のエキスパートが居り保護者からの評判も良い。

 ヒュウトが制服では無く赤色のパーカーで来ているのは私服が許されているからだ。と言っても本当に着てくるのは一部の人間で殆どは「選ぶのが面倒くさい」との事で制服である。


「はぁ今日も怠いなぁ」

『そう仰らずにこうビシッとしてください』


 周りに聞こえない程度文句を言うヒュウトに対してお母さんの様な言葉を言ってくるエーちゃん。もし実際にエーちゃんが人間だったとすると親子に見えるのかもしれない。


『では今日の予定をお知らせします。授業は──』


 ゴーグル越しに日程が書かれたホログラムが表示される。勿論共有されたホログラムでは無いので見えるのはヒュウトだけだ。


「ん?」


 表示された授業日程の一部分に注目したヒュウト。其処には『体育』と言う彼にとって不吉な二文字があった。


「うげぇ体育かぁ……」


 見た瞬間に変な声が喉からノータイムで出た。周りから見える位には落ち込んだ様子のヒュウトをエーちゃんが慰める。


『そんな落ち込まないでくださいヒュウト君。体育の時間は私一人でフォローして一般人並みに出来る様指導しますから!』


 えっへんと言わんばかりに自信満々なエーちゃん。それを聞いてもヒュウトの落ち込んだ表情は変わらない。

 エーちゃんが「一般人並み」と言ったのは彼が体育の二文字に良い顔をしないのに理由があった。実を言うと結種 彪斗は運動オンチな上能力面でも学年最下位なのである。電動ありきだが自転車を漕いで学校に来られる体力しか元の値が無いのだ。


「取り敢えず頑張ろう」


 考えても意味は無いので言霊が実ると信じて口に出す。今の世の中やりたく無い事もやらなければならない。彼の場合はやりたい、やりたく無い以前の問題だけれども。


「おはよー」


 一年生だから一階かつ一組なので直ぐ教室に入り挨拶をしておく。人気周りからはおはよーと返され窓側の一番後の席に座った。今でこそ違和感無く返されているが入学当初初っ端なから私服で来た事もあってそこそこの注目を浴びた。本人曰く制服は苦しいからなそうな。

 名簿番号が最後な事もあるが席替えをしても変わらずこの席なのだから運とはおかしな物だ。

 背負っていたバッグを電子机の横に掛けてスマートフォンを取り出す。そこから課題を担任のデバイスに向けて提出という名の転送を行う。そうしていると隣から少女の声がかかった。


「おはようヒュー君」

「お、黒崎さん。おはよー」


 隣の席に居るのは黒崎くろさき 聖奈せいな。黒髪のショートヘアで赤色の瞳が特徴の少女。ヒュウトとは中学からの付き合いである。クラスで唯一の友達とも言える存在だ。それに何の因果が隣の席になったのだから確率とは面白い物だ。


「てかずっと前から思ってたけどヒュー君って何でいっつもデバイス着けてるの?」

「? 何でって言われてもなぁ……」


 聖奈に言われてデバイスを外して首に掛けるヒュウト。安易にデバイスの中に居る人工知能を家族として話しているからです、何て事は言えない。言ったら誂われる事間違い無し。本人は分からず?で流すけれど話す理由も無いのだ。


「それにまだスマホ使ってるのも驚きだよ」

「まぁ大事な物だし。結構長い付き合いだぜ」


 彼女がそう言うのは学校の中でスマートフォンを使っているのはヒュウトだけだから、というのが理由だ。何せ今となって学生は全員デバイスを持っているからだ。どんな事をするにしてもそれがあれば事足りてしまうし態々旧時代の電子機器を使う理由が分からない。

 ヒュウトはと言うとこれもデバイスと同じく十年の付き合いがある。思い入れが沢山が有って捨てる気何て絶対に起きないしこれからも使い続けると決意を固めている。


「ふーん。私には分かんないなぁ〜」

「ずっとデバイスだろうし」

「うん受験受かってから個人用の最新型デバイス買ってもらったし。その点だとヒュー君って中学校の頃からずっと一世代前のデバイス使ってるんだよね?」

「まぁ正しくは五歳の時からだけども」


 ヒュウト以外の殆どの生徒は小学校から中学校まで学校用のデバイスを使って居り、高校生になって個人用の物を貰うのがセオリー。だからデバイスは最新で小型の片眼鏡のケースが多い。ヒュウトは一つ世代が前で無駄に大きいゴーグル型で小学校でもこれを使っていた。


「そう聞くと本当に長い付き合いだな〜」


 感慨深そうにデバイスに触れてみるヒュウト。感触はひんやりとしていて金属質な事を思わせる。それなりに年季も入っていて毎日拭いていても少しだけ汚れがある。それだけ使い続けたという事だ。


「そう言えばコレもそうだったけ?」


 ヒュウトは両腕に着けられているそこそこの大きさで赤色のブレスレットを見た。孤児院を出た時から着けていたらしいがその時の事良く覚えておらず『孤児院に居た』という記録しか残っていない。

 ブレスレットは透明なカバーで覆われており中には二つの丸い窪みがあった。後部にはレバーの様な物があるが引っ張る事も出来ず良く分からない物だ。名前は横に刻まれており Geneジーン Unionユニオン reactorリアクターとある。最悪な事にガントレットは今まで腕から外す事が出来ていないのだ。

 これについてクロノに聞いても分からないそうでインターネットで検索しても一件ヒットしなかった。何かデバイス、という訳でもないし誰が造ったのかも不明。


 小、中学校で先生に相談して調べてもらったが何にも分からなかった。そして高校生になって三度目の相談を果たしたが今回も駄目だろうと見切りをつけてしまったヒュウト。何の手掛かりも無いのでお手上げ状態なのだ。


「一体何時になったら外せるんだろコレ?」

「?どうしたのヒュー君」

「いや今日体育あるから凄いダルイなって」

「あっ……」


 中学からの付き合いである聖奈にとってヒュウトの分かりやすい体育の成績は知っている。何せ中学の頃から学年最下位で女子より運動能力が低い。それを思ってか目を流しながらフォローを飛ばす。


「でもでもヒュー君化学と生物学は学年一位じゃん!」

「いやだからって……」


 考えた結果の言葉なのだろうが人の順位を勝手に言うのは頂けない。ヒュウトは体育は一切出来ないし他の教科は普通だが化学と生物学の成績は飛び抜いて良い。覚えるが楽しいからと周りの人間が難色を示している教科を嬉々として学んでいる。けれども本人が最もやりたい事は、


「人間以外の生物についてもっと知りたいなぁー」


 人類がその技術を進歩してからホログラムでしか姿を見せない動物について飢えていた。特に昔の昔に絶滅してしまった恐竜を調べたがっている。

 今の時代、人間の方へと関心が向き過ぎていてそういった古代の生物は疎かになってしまったのだ。だからこそ『人間』に飽きが来てしまい高校生に成って旧時代の子供染みた事を考えている。


「はーい。みんなーホームルーム始めるからー。座ってー」


 ヒュウトがカチャカチャとブレスレットを弄っていると時間になったらしく教室へ先生が入って来た。友達と喋っていた生徒も担任の言葉を聞くなり自身の席に戻っていく。


 やって来た教師の名前は北見 南。喋るときに伸ばし棒を良くつける女教師だ。ポニーテールが象徴で生徒から良く相談を受けていて密かにファンクラブがあるとか無いとかで人気がある先生である。しかし絶望的に体格が幼い。小学六年生の身長であり不老の実験を受けたと思いかねない位である。


 かく言うヒュウトも北見については当初驚いては居たが持っているブレスレットについて相談したりと結構慣れている。因みに相談の返事は来ていない。本人は結果が予想できる、とあまり気にしていないが。


「それじゃー出席とるよー」


 南の声を聞いてもヒュウトは自身の担任の方へと顔を向けずに電子机の方を向いていた。一人一人には聞かず電子机を起動してから体調について入力して教師のデバイスにデータが送り込まれる。

 その後は担任自身の口から今日の日程について連絡される。毎朝各人のデバイスにメッセージとして送り込まれているが中には見ていない人間も居るので口頭で伝えられるのだ!


「─────」


 出席の入力さえ終えてしまえばメッセージもエーちゃんが教えてくれているので先生の話も聞く必要も無い。他の人間と話す訳にはいかないしじっと窓をヒュウトは見つめる。


 窓越しで見える光ケ丘の町はとても綺麗だった。白亜の外壁をしているビルは太陽の光を反射しておりライトアップ等はしていないのにも関わらず輝いている。他のショッピングモールやお店では多くの人が群がっている。

 道路の上で無数の車は駆け巡り駅から繋がっているレールの上ではスタイリッシュな電車が風を突き切って走っている。


 良く五年でこれだけ街が元に戻ったなと感心しているヒュウト。クロノと生活し始めた後から当時の映像を見たのだがその中であった光ケ丘は見るも無惨でどうしようないな、と見た人が全員思うだろう。

 復興には多くの人間やヒューマノイド、かの世紀の大天才─善雄 英生が全面的に関わっているとは言え本当に凄い事だ。現代の技術スゲーーーーの一言である。


「それじゃーホームルームは終わるよー。あ、結種君は隣の空き教室の所に来てねー」

「?あっはい」


 突然自身の名前を呼ばれて困惑して返事をするヒュウト。ただ名前を呼ばれるだけならそこまで驚かないが困惑する理由は他にあった。

 通常教師から連絡がある時はデバイスへメッセージが来る筈。しかしヒュウトのデバイスやスマートフォンにはどちらもメッセージは来ていない。そのせいで要件がよく分からない。北見は飄々としていて表情が何時も同じであり、良い内容か悪い内容なのか判断出来ないのだ!

 これといって何かやらかした記憶は無いのだが彼は北見がどんな性格をしているか良く分からないのだ。相談を真面目に聞いてくれる、という評判を聞いて相談したのだが調べると言って一週間が経つ。


「あっそれか」

「!?……急にどうしたのヒュー君?」


 ヒュウトの中で合点が逝く!ハテナに成っていた頭部に浮かんでいたマークがビックリマークに変わる。突然手をポンッと合わせたヒュウトに驚いたからか聖奈がビクリと体を動かす。


「いや北見先生に相談したんだけどさ返事くれる時ってデバイスに連絡とか暮れないのかなって」

「うーん、私は相談した事無いから分かんないけど前に盗み聞きした時は普通デバイスで相談する、って聞いたからヒュー君みたいに直で相談する生徒は初めてなんじゃない?」

「えっ相談って普通直で行くんじゃないのか?他の人はデバイスで相談してるのかよ!?」


 大きな衝撃が走るヒュウト!ビビッと背後に雷が落ちた様な表情をしていた。

 そう。人間間でのコミュニティが薄れた現代では最も仲の良い友人または親友でしか直接話はしない。それ以外の人間はデバイス等の電子機器の場合が多い。それは教師への相談も例外では無い!寧ろデバイスで気軽に話せるというのも売りなのだ。


「えーでも此方が直で行ったからってメッセージくれない……いやくれなくて当然なのか」

「いつも通り自己完結してるねぇ〜。相変わらず不思議な人だね」


「まぁそんな事は置いといて…………」


 勝手に一人で納得していると聖奈がヒュウトに瞳をキラキラさせながら顔を近づけて来た。 


「それでそれでヒュー君はどんな相談したの!」

「えっ気になる?」

「それはそうだよ!やっぱり体育とか進学とかの事?」

「え〜まぁ、うんそんな感じ?」

「ちぇーつまんない」

「自分で言っておいてそれか……」

「まぁどうせ違う事でしょ。疑問符着いてたし」

「些細な事って言ったら多分些細なんだけども正直俺も良くわからん」

「ふふふ何それ」

「はははは」


 お互い適当な会話をして適当な笑いを溢す。そうしているとヒュウトはそろそろ行かなきゃマズっと言いながら立ち上がり教室を後にした。聖奈は机に突っ伏せて寝始める!


「本当に面白いねぇ〜ヒュー君は〜」


 すやすやと穏やかな寝顔をしてそんな事を呟いた。黒峰 聖奈、遊び相手が居なくなった途端にこの有り様。実を言うと彼女はヒュウトと真逆でありテストの成績がそこそこの変わりに運動能力が抜群に良いのだ!


「俺ってそんな面白いか?」


 無駄に耳が良いヒュウトにはバッチし聞こえていたみたいだ。聖奈の言葉に疑問を覚えジト目で寝ている彼女を見るが時間も無いので隣の空き教室に向かった。


 数秒も待たず隣に在る教室名が書かれていないプレートが目に着く空き部屋に辿り着き、扉へと手を掛けるヒュウト。ただ教室に入るだけなのだが心臓は少しだけバクバクと鳴っていた。今彼の目の前にある空き部屋は普段ロックされており、使われるのは成績不振者の追試が行われる時のみ。だから着いた名前は追試教室だ。

 聖奈との会話で心配事は無くなったものの実際に目にしてみると緊張してしまう。未だ見た事の無い教室への期待と何かやらかしてしまったのか?という不安を抱いてドアを開ける。


「おー来たねー」


 教室の中は普段ヒュウト達が過ごしている物と何ら差し支え無く追試が行われるからと言って何かあった訳では無かった。しかし結構珍しいシーンがあり北見が椅子に座っていた。

 ヒュウトが教室に入ってくるのを見るなり眼鏡型の教師用デバイスを起動させる。何も無い空間に指を画面にタップする様な動きをしている辺りホログラムのパネルを展開しているのだろう。


「?」


 ヒュウトの背後からがチャリとドアのロックが掛かる音が聞こえた。恐らく彼女はデバイスで教師の権限を行使して扉を開けられない様にしたのだろう。

 そうだと増々本当に相談の返答なのか分からなくなってきた。


「あの何で此処に俺を呼び出したんですか北見先生?」

「君が直で相談した来たから私もちゃんと向き合ってやるべきだと思ったからよー」

「あっやっぱりそうなんすね」

「やっぱりって何を考えてたのー?」

「いや此処追試教室に呼ばれたのでてっきりそれ関連かと」

「結種君の成績は十分だからそんな事無いよー。体育はそれに限った話じゃ無いけどー。幾ら何でも酷すぎるからねー。このままだとプラスマイナスゼロになっちゃうかもねー」


 うっ、と痛い所を突かれたように心の中で苦い顔をした。幾らテストでの成績が良くてもそれに引けを取らないレベルでヤバいので反論の仕様が無い。今の成績が良かろうともこれからずっと維持出来るという訳では無いのだから。

 こんな思いをしにきた訳では無いと首を振って切り替える。


「それでこのブレスレット?についてはー………」

「うーん。一週間調べてみたけど何にも分かんないねーそのジーンユニオンリアクターだっけ?教師用のデータベースでも調べても駄目だし、歴代のデバイスとかも調べてみたけどそんな名前や形をした物は何一つ無かったよー」

「や、やっぱり駄目でしたか………」

「ご、ごめんね結種君ー………」


 これ見よがしにガックシと腰を曲がらせる。表情は持っていた五百円玉を落とした子供様なションボリとした顔をしている。それを目の前で見た北見はあはははは………と珍しく伸ばし棒を着けずに苦笑していた。


「本当に小学校、中学校でも何にも分からなかったのー?」

「そーです。その時分かってれば高校生、十五歳になってこれについて聞きませんよ」


 白目の面積を大きくしながら両腕のブレスレットを互いに指指すヒュウト。今や科学技術は発達に発達を重ねた筈なのに見つからないと言う事は本当に謎の物体だ。どれだけ力を入れても取れないし用途も製作者も分からずじまい。

 別に日常生活で何の役にも立たない道具を隠す理由なんて何一つ無い筈。にも関わらず名称以外不明のガントレットは一体何の為に造られヒュウトの腕に取り付けられたのだろうか?


「それって何時頃に嵌められたー?」

「う〜ん?孤児院を出た時から着けていたのでその中で嵌められたんだと思います」

「その時の記憶はもう覚えてないのー?」

「はい。もう脳味噌が忘れちゃってるみたいで………」

「因みにその孤児院って」

「『光ケ丘孤児院』です」

「………じゃあもう手掛かりは何も無いねー」


 彼女が手掛かりは何も無いと言うのは光ケ丘孤児院はもう無くなっているからである。名前に光ケ丘を冠している通りそこは光ケ丘の町に存在していた孤児院だ。しかし十年前の『光ケ丘事件』によって被害範囲に入っていた光ケ丘孤児院は跡形も無く倒壊、中に居た人間は全員死亡したそうだ。

 当時ヒュウトは光ケ丘事件の二日前に出ており教育型ヒューマノイドのクロノが預けられる隣町に出ていた為、犠牲者には成らなかった。そんな訳で彼のガントレットについてはどうしようも無いかと思われた………しかし


「!……手掛かりあるかも知れません!」

「本当ー?」

「はい。十年前の事なのですっかり忘れていたんですけど俺の教育用ヒューマノイドを受け取りに行った時一緒に隣町に行ってくれた人が居たんですよ!」

「って事はー」

「その人が今生きていればこれについて知れるかもしれません!」


 手掛かりは存在した。当時五歳であり子供の中の子供のヒュウト一人では到底隣町へは行けない。彼の記憶の中ではクロノを受け取りに行く時に車に連れて行ってくれた男がいた筈だ。その男も光ケ丘孤児院で働いていたから一緒に行ったから当時のヒュウトの様子やブレスレットについて知っているだろう。

 けれども


「でもその人が何処に居るか分かるのー?」

「あっ………分かりません」

「そーだよねー。取り敢えずその人の性別とか年齢教えてー」

「えっと確か男でオジサン位……だった筈です」

「それだけあれば十分だねー」

「………もしかして先生…」

「うん。その人について調べるよー。結種君みたいな一学生じゃ流石に居場所までは特定出来ないだろーしー」

「本当ですか先生!?ていうか特定って大丈夫なんですか?」

「大丈夫大丈夫ー」


 ヒュウトは目をキラキラさせながら自身の教師を見た。ここまで真摯に対応してくれるとは思っていなかったのだ。彼は北見が人気の先生だと言われファンクラブも設立されていると聞いて納得した。

 生徒の悩みは教師の悩みだからねーと雰囲気的に真面目そうでは無かったのだが人は見かけに寄らないという事だろう。


 俺も将来こんな誠実で真面目な大人に成りたいと北見の在り方に感動した彼は心の中でそう叫んだ。途端彼の視界な居た飄々としていた何時もの担任は居らず其処にはキラキラと輝いているイケメンな北見が居た。


「北見先生カッコいいです!」

「?満足してもらえたなら良かったよー」


「それじゃあ時間だし教室に戻らないとねー」


 再びホログラムを操作してロックされているドアを解錠した。そのまま扉の引っ掛けに手を掛け開けようとする。しかし一旦立ち止まってヒュウトの方へ振り返った。


「……まぁ結種君なら『大丈夫』だよねー」


 北見の何気無い一言はヒュウトに向けられた物だろう。けれどもその言葉の意図が読み取れなかった。基本的にズレた考えをしている彼でも?マークを浮かべている。数秒経って体育の事だろうか?と考えるも目の前に北見の姿は居なかった。


『ヒュウト君もうすぐ授業が始まってしまいますよ』

「やべっ」


 エーちゃんがやれやれとヒュウトに連絡する。それを聞いた彼は慌てて教室を出た。デバイスの勉強用アプリを起動させて授業準備を簡単に済ませる。

 背後には誰も居ない教室があっただけだがガチャリという扉を締める音がヒュウトの背中に冷や汗をかかせた。


◆◆◆◆◆


「よーしデバイス着けて起動させろー!」


 教室にギリギリで戻って机に座るとチャイムが鳴り響き授業開始の合図がされた。既に男の教科担任は中に入って電子黒板を起動させている。教師用デバイスを装着してタッチペンをクルクル回して生徒が黒板の内容の記録が終わるまで暇を潰しているみたいだ。


「────。」


 ヒュウトにとってデバイス操作は簡単な物で電子黒板に書かれている事を記録するのは朝飯前だ。他の生徒が終わるまで教師も先に進めず同じく彼も暇を持て余し窓を見詰めている。


 ホームルームの時もそうだったが彼は暇さえあれば街を見つめている。何故かと聞かれるとすれば一番は復興した光ケ丘の街が綺麗だったから、だろう。しかしそんな物は数分で飽きてしまう。

 にも関わらず何度も眺めるのは彼が光ケ丘に引っ掛かりを覚えているからだ。


 彼は光ケ丘の孤児院に居たが今となっては跡形も無くなっており、残っているのは過去の記録のみ。本人の記憶には当時の事は殆ど残っておらず、其処で過ごした時間も分からない。

 必然的に彼は無意識に頭の何処かに置き去りにしてしまった記憶を取り戻したがっている。だからこそ訳の分からないブレスレットについて長年調べていた。

 三度目の正直と言うべきか漸く目処が立ってきたのだ。何故今更になって思い出したのだろうかと拍子抜けしてしまった。


「おーしじゃあテストに向けてポイント解説していくぞ!」


 元気の良い大きな声をアラームにして窓に向けていた視線を黒板の方に戻す。テストのポイントを何時でも聴けるようにデバイスの録音機能を起動させる。声が録音させる度にホログラムにはテキストが流れていく。ゆったりとした文字列の流れを見ながら電子机のノートに記録していく。

 録音しながら記録をするのは意味あるんですか?とエーちゃんに突っ込まれたことがあるがこう言うのはきっちり完備しておかないと落ち着かないタイプなのだ。


「──?」


『○ ロケッヲ キハチミリ エ カノタシア』


 淡々と授業を受けていると教師の録音テキストとは別の連絡メッセージが流れてきた。送り主の名前は???、となっている。授業中にこんなメッセージを送ってくるのは誰だ?と訝しげにそっと隣に座っている聖奈を見てみる。しかしその姿キチンと授業を受けている生徒そのものであり視線はずっと電子黒板の方に向いていた。


──黒峰さんじゃない?じゃあクラスの誰かか?


 視界をクラスメイトに切り替えても映っているのは寝ているか授業を受けているかの二択でありソワソワしたとか違和感のあるような様子は見受けられなかった。

 そもそもの話ヒュウトのメールアドレスを知らなければメッセージを送れない。クラスの人間で教えているのは聖奈のみ。他のクラスメイトの可能性は薄いが個人情報の流出して誰かがイタズラで送ってきたという線もある。


 人間の俺が考えるよりも人工知能のであるエーちゃんに頼んだ方が速いな。そう思いエーちゃんにメッセージを送ろうとパネルを打ち込もうとする。しかし本人もイタズラメッセージを見ていたらしく送るよりも先に返事がやってきた。


『ヒュウト君、送信元不明のメールが送信されました。しかし文章の意図は読めず内容が何なのかも不明です。固有単語と思われるカノタシアの検索結果は0。曲解して読むとするなら「○=成功? ロケッヲ=ト? キハチミリ=場所名? へ カノタシア=不明」。キハチミリという場所も無くロケットは今何処の国も打ち上げようとはしておりません。』


 一気に分からなくなって来た。エーちゃんからのテキストを読んだヒュウトの思考回路は既にショートし空っぽクリアと成ってしまう。煙を上げたように口を開けてポカンと?が浮かび上がる。そんな中新たにエーちゃんからテキストが表示される。その内容は謎のメールの核心を突いていた。


『様々な解析をしてみた結果、逆から読むとそれらしき文章と成りました。○ ロケッヲ キハチミリ エ カノタシア→アシタノカ エ リミチハキ ヲッケロ○、更に其処から空白部分を消してみてください』


 アシタノカエリミチハキヲッケロ○………。


 この文章をパネルのキーボードに打ちつつ変換先を見てみると…


 明日の帰り道は気を付けろ。


『もう分かりましたねヒュウト君?恐らくですがメッセージの内容は明日の帰り道に気を付けろ、という訳ですが何故こんな子供染みた事をするのか理解出来ません』


 俺もそうだよ、と共感の意を持つもメッセージの送った理由が不可解だ。取り敢えず考えても仕方が無いので意味不明のメールは無視して授業に集中する事にした。


 それ以降は不可解なテキストのメッセージが送られる事は無く無事に授業が終わった。う〜むどうしたもんか、と謎のメッセージについて考えては居るもののイタズラという言葉以外何も浮かばない。


「はぁ」

「どーしたのヒュー君?」


 目を閉じて溜息を吐いているとその様子を見た聖奈が心配そうな目で見てくる。

 相談するか否かを考えた結果、話しておいた方が良いと思ったので共有ホログラムを展開してそのメッセージを表示する。


「何これ?イタズラ?」

「それが何か逆から読むと内容がわかる」

「アシタノカエリミチハキヲッケロまる……明日の帰り道は気をっけろ?」

「付けろね……」

「は、ははは。それで何で明日の帰り道?」

「それが分から無いから黒峰さんに聞いたんだけど……」

「それはこちらとしても変なメールを見せられても困るんですけど。人工知能には聞いたの?」

「うん。だけども分からんって」

「ヒュー君でも人工知能でも分からないんだったら私に分かる訳無いじゃん」


 両頬を膨らませてジト目でヒュウトを見る聖奈。腕を組んでふんぞり返る姿は機嫌が悪い王女様のものだ。それに対して原因の彼はううぅと口を波線に変えて縮こまっていた。

 しかしこの学校において彼にとって知り合い言える人間は聖奈しか居らず他に相談する事も出来ないのだ。人脈が搾りに搾られている彼には一本道しか用意されていない。


「北見先生にまた相談したら?」

「まだ今相談してる件が終わってないのに連続でするのはちょっと……」

「あー……じゃあもうイタズラだって割り切っちゃった方が良いんじゃない?」

「うーん。そうするかー」

「そうした方が良いよ」


 うんうんと大きく頷く彼女の表情を見て自分の中で納得する事にした。と、デバイスの時計を見てみると休み時間は終わりに近い。

 次の授業の準備をしようと聖奈に感謝の言葉を述べつつデバイス内のファイルを整理する。途中でイタズラメッセージを消去するか否かを考えたが結局残しておく事にした。

 あまり気にしはしないだろうが念の為と言う事で本当にファイルの片隅に置いておく。




「ふぅ────」


 午前の授業の残りは体育のみとなった。昼休みになる前に苦手な教科である体育がある事に心の中で不満の声を上げるヒュウト。周りの男子や女子は既に体操着に着替えていた。


『ヒュウト君速く着替えないと授業に遅れちゃいますよ?』

「……………遅れるって言ったって俺一人じゃん」


 男子更衣室まで歩いていく中、エーちゃんから注意を受けるがどうしたもんかと首を傾げるヒュウト。彼が一人だから関係無いと言うのは理由がある。

 この時代の体育の授業は能力別に人数が分けられており彼は最低ランクに位置していた。普通なら侮蔑の視線や言葉を向けられるが交流が聖奈しか居ない事やクラスで一人だけ赤色のパーカーという独特の近寄りがたい雰囲気が勝り、特に関わる事が無い。


 基本的に各授業には必ず人工知能のサポートが付く。それは体育であろうが例外では無い。本人の能力に合わせた授業内容がAIによって決められる。中上位の人間のみ教師の指導が受けられるのだ。中位の人間は教師の目が無くて良いと言って遊ぶ事も屡々ある。光ケ丘高校は科学中心の学校な為伸ばす人は伸ばすとの事。


 エーちゃんもいるし身内とだけで体育をやるのも気楽で良いから底辺で良かった、とお気楽に本人は笑っている。


 事実他の監視等も無く、誰かに文句を言われる事も無い自由時間……の筈だが……


「ぜぇ……ぜぇ……も、もう休み……たい」

『ダメです』


 人工芝が敷かれている校庭で必死に両足を動かし周りを走っているヒュウトが居た。自由の『じ』なんて物は何一つ無くその真逆で寧ろ走らされている、という感じだ。

 息も絶え絶えで汗が体中から流れ落ちる。顔を真っ赤にしている辺り彼の体力は底を尽きている。休憩を彼女に乞うも即答の一刀で叩き切られてしまう。


 着替えも終わり校庭に足を運んでいざ自由時間、だったが彼は気付けば体育をやっていた。注意する教師の変わりにエーちゃんが運動をさせるようにヒュウトを奮い立たせ強制的に走らせている。

 彼女だってヒュウトと共に生きる人工知能、プライドの一つや二つはあるだろう。自身の主人が運動能力が最底辺なのが納得いかないのだ。その無様とも言える様を見ていて心を鬼にして本人にとって辛い事を所望する。


「ぐぉぉお!」


 だからこそその期待とも言える思いをヒュウトは受け入れた。文句を心や声にして出しながらも体に鞭打って食い付く辺り彼もエーちゃんに応えたいのだ。


「何で俺ってこんな体力無いんだよぉ」


 ヨロヨロになって進む方向も滅茶苦茶になってきた時ヒュウトはそんな言葉を溢した。彼がそう言うのも仕方の無い事だろう。

 別に生まれ付き体が弱い訳では無い。普通に生きていく分には困っていない。しかし幾ら何でも体力がなさ過ぎる。

 彼の幼少期は分からないが外で動かず家でデバイスやクロノと遊んでいただけなのが問題だったのだろう。クロノも外で体を動かした方が良いと薦めたがヒュウトはそれを真に受けなかった。

 自転車やセグウェイ等に人工知能が搭載されて自動で動く様になり多くの人間は運動能力が下がりつつあるが彼は突き抜けて低い。


『何時も家で寝ながらデータベースばかり見ているからですよ』

「うぅ……」


 家での大半は勉強をするかデータベースで動物達の生物や恐竜について調べている。それを小学校から今の高校生まで全く同じ生活を続けていた。当然体力はより落ちていく。結果学年最下位という烙印が押されてしまう。


「はぁ……はぁ水…水が飲みてぇ」


 遂にバタリと倒れ込み自身の体を潤す水を欲する。ダラダラと大量の汗を持っていたタオルで拭き取り、仰向けに体制を変えた。


「はぁ……はぁ………」


 白い雲がゆらゆらと広い藍色の空の中で浮かんでいる。聞こえるのは自身の胸の鼓動と何度も途切れる吐息のみ。感覚が圧迫され遥か上空に在る色彩がより鮮明に映る。

 幾ら人類が進歩しようとも絶対に変わる事の無い美しい光景を見ていると疲れが少しずつ消えていく。何時しか心臓の鼓動は収まり呼吸も安定してきた。

 其処に一つの静寂が生まれる。ヒュウトの思考が朧気になり、何も考えたく無いと放棄を始めた。一瞬にして彼の脳内は空白クリアになる。


「…………」

『?』


 虚空の瞳でただただ同じ景色を映し続けた。旗から見ると何時も光っている目で活発に動いている彼とは違うようだ。死んだ様に仰向けの姿は別人の様に成っている。


『■■■■?』

「………」


 一瞬真っ白に漂白された頭に別の光景が差し替えられる。


 全てがズレた様なモザイク掛かった世界があった。有りとあらゆる建物は崩れ去り命をあっという間に踏み潰している光景。猫の様な鳴き声が響けば目の前で人がその形を失くしていた。


 猫も、崩れていく人間も良く見えない。だけどその光景は正しい。何故か分かってしまう。あらゆる色は真紅に染まり世界を汚している。どれだけ見えなくても朧気でも分からなくてもその事だけは知っていた。


 見えない筈なのに地獄の様な光景が目の前にある。その地獄中心に今自身は立っていた。全部が全部幻だけれどもそれはきっと現実だ。


「────」

 

 地獄に立つ少年は悲しそうで怒ったようで泣いていて笑っている風に見えた。曖昧な形をした世界に対して本当の感情は分からない。でもどれにしたってそれは負の感情だ。


「……………。」


 再び光景は差し替えられた。


 先程と同じく何も無い真っ白の世界。それは彼がその光景を拒絶し塞ぎ込んだ結果なのだろう。色々な感情を持っていた思考は一瞬にして空っぽになる。


 けれども指導係の一言によって空っぽになった脳は叩き起こされた。


『少し休憩にしましょうか』


「……ん?あぁ」 


 ワンテンポ遅れてエーちゃんの言葉に返すヒュウト。怠そうに立ち上がって水飲み場までゆっくり歩いていく。虚空の瞳は既に何時も通りに戻り輝きを取り戻していた。


「かぁ〜〜〜!うめぇ!」


 テンションも元に戻って渇きに渇いた喉を冷えた水で蘇らせるヒュウト。透き通った液体を疲れ切った肉体へと流れ込んでいく。

 シナシナだった精神は膨らんだ風船の様に元気になる。体中に行き渡った水を感じて体を伸ばし始める。


「ん〜〜〜〜!」


『少し休んだら直ぐに再開ですからね』

「はいはい」


 適当に返事をしながら近くにあった水色の透明なベンチにだらぁと座り込む。溶けたように面積を埋めつくすヒュウト。その様子をデバイスの外カメラの向けられた位置から理解したエーちゃんは思わず音声で溜息を出してしまう。


『はぁ。そんなんだから何時までも経ってもダメなんですよ。勉強の意欲を体育への意欲に変えられないんですか?』

「えーーー。だって楽しく無いじゃん」

『楽しく無くてもやるんです!』

「めちゃめちゃ嫌なんだけどぉー」

『そうでもしなきゃ社会で生きていけませんよ』

「ぐうの音も出ない正論だ……はぁ」


 そう言われると返す言葉も無く目を閉じて現実から逃げた。視界が真っ暗になっても現実エーちゃんの音が追ってくる。


『目を閉じても現実は変わりませんよ』


 視界が無くなったことで他の五感が強くなり頭により大きく音声が響く。それからもグチグチと文句を言われ瞼を開けてしまう。


『黒峰さんを見習って下さいヒュウト君』

「はいはい分かったよエーちゃんさん」

『むぅ……ちゃんと聞いてるんですかヒュウト君!?』


 にしても本当に黒峰さんって凄いんだなぁ。

心の中で運動能力最高の少女へ感心する。彼女は学年で上位に君臨しており先生から直接指導を受けられている。

 中学からの彼女の体育は数回位、クラスマッチでしか拝む事は無かった。

 しかし流石当時最高峰だった彼女の身体能力を振るう様は今でも彼の記憶に焼き付いている。鳥の様に宙を舞い、道具を自分の一部と言わんばかりに扱う。足を動かせば誰よりも速く駆け抜ける姿は本当に身体能力が抜群だと言う事を思い知らされた。


 エーちゃんはそんな彼女を見習えと宣うがそちらの方が無理難題なのでは無かろうか。

 そもそも努力以前に生まれた時点で地力の差は付く。ゲームの様に平等な『初期値』なんて物は存在しない。0と1がそれぞれ1だけ努力しても結果は1と2であり絶対に差は変わる事は無い。


 まぁそんな言い訳する前に


「俺は基準値に達さなきゃなー」

『そんな事言うなら体力着けてください』


 そう言って彼はベンチから立ち上がるも人工知能からのすかさず突っ込みを受けてしまい足を動かす事にした。その後再び彼は校庭で倒れる事になる。


◆◆◆◆◆


「いっただきま~す!」


 天高く白い光が辺り一面を照らす。太陽は丁度真上に君臨していた。その下にあるのは屋上、其処で箱を取り出した少年だ。

 午前の授業は全て終わりお昼休みとなった。其処で思い過ごす生徒の姿は多種多様であり、友人と喋り、終わっていない課題をやっていたりだ。


 その中でヒュウトは屋上で唯一人昼食を摂っていた。光ケ丘高校は屋上が開放されており自由にしていいが実際に利用する人間は彼以外に居らず教室で過ごしている。


 屋上で隠れて見ている聖奈に気付かず、屋上の中心で弁当箱をありつける彼は美味しそうに箸を進めた。時分以外誰も居ないという孤独感と美しい大空の下をスパイスにして喰う飯は美味いといった訳分からない考えをしながら彼は毎日屋上に来ていた。


「やっぱり屋上は景色が良いんだよなぁ。どうして皆此処にこねーんだろ?」

『他の人はヒュウト君を怖がって来ないんですよ。黒峰さんは……行くのが面倒くさいんじゃ無いんですかね?最上階ですし』

「えっそうなの?!」


 本人が口を開けて驚く。周りの様子なんて全く興味も湧かなかったので自身が原因とは思いにも依らなかった。

 へぇ〜何でだろ。疑問に思いながらも変わらずに口へとブロック状の人工鶏肉を調理した唐揚げを運ぶ。


「いやぁお昼休みが学校で一番楽しい時間だ!」


 そんな調子で通い詰めていた彼に着いた渾名は屋上のベヒモスである。因みにその渾名を本人は一切認知していない。というか周りはヒュウトが居ない所で言っているので知らないのは当然だろう。


「御馳走様でした!」


 自分で作ってきた昼食を瞬く間に食べ終えパチンと手を合わせる。

 最初はクロノにご飯を作ってもらっていた。けれど何時までも用意してもらっては申し訳無いと思い、小学四年生辺りから料理を教えて貰っていた。


「今日の夕飯は何作ろっかな〜」


 今や料理はヒュウトの一つの楽しみと成っている。こうして毎日夕飯のメニューについて考えたりしておりクロノも「あんなに小さかったヒュウト君が料理を出来る様に成って嬉しいです!」とご満悦である。


『昨日は洋食ですから今日は和食か中華か和食か和食ですか?』

「うーん。和食はあんまり得意じゃないからな〜。炒飯でもどーだろ。てか和食はクロノの本分じゃ無いか?」

『ですからクロノ様に負けない程度には和食も頑張ってください、と言っているんです。相変わらず鈍いですねヒュウト君』

「応援は嬉しいけど文句は要らん!それに俺は別に完璧を求めてる訳じゃ無いからねエーちゃん」

『しかしクロノ様はきっとお喜びに成られるでしょう?』

「はいはい。もっと練習してからね」


 エーちゃんが和食を妙に押す様にヒュウトはあまり和食は作らない。クロノは和食も洋食も何でも御座れであり、彼は彼女から洋食中心に教わっていた。そうしてヒュウトはクロノの腕を超える位には上手くなった。


 けれど作れない事は無いが和食はあまりやらないのだ。そうして和食にはクロノに本分が上がった。エーちゃんに勧められているが本人には少ししかやる気が無いので結構後に成るだろう。


「いや〜今日も平和だなぁ〜」


 弁当とデバイスを横に置いて、綺麗に掃除されているアスファルトの上に寝転がる。昼食を腹に詰め込んだ後は時間に成るまでゆったりとしているのが彼の習慣である。


 何時もならぐっすりと眠られる筈が今日は違った。


「………!?」


 目を閉じて青色から暗闇へと切り替わった直後、勢い良く扉が開く音が耳に突き刺さった。

 突然の事に横にしていた体を起こして顔を背後に向ける。座ったままで居たからか最初に写ったのは制服のスカート、其処から視線を上げると


「貴方が『屋上のベヒモス』の結種ヒュウトね!」


 雪の様に銀色の髪を棚引かせ、青く輝いた瞳でヒュウトに指さす見知らぬ少女だった。


「誰?」

『生徒プロフィールによると彼女の名前は1年3組白瀬 雪華、だそうです』

「し、白瀬さん?」


 突如として眼の前に現れ自身の名を叫んだ少女に困惑しているとエーちゃんが彼女のデバイスから読み取ったであろう生徒プロフィールを音声にして答えてくれた。


 見た事も聞いた事も会った事も無いというのにいきなり何なのだろうか?それより『屋上のベヒモス』って何?そっちの方が気になる。


 頭の中で考えを回していると目の前の少女が口を開いた。


「にしても本当に屋上に唯一人なのね」

『一人とは何ですか一人とは!』


 何故エーちゃんがそこで怒るんだ。口には出していないが長年の付き合いからか分かったらしく『私だって生きている人工知能ですしヒュウト君の家族なんですよ!』と彼にだけ聞こえる音量で叫んだ。


「?デバイスのAIでも常時着けてるのかしら?まぁ良いわ!とにかく結種ヒュウト!」

「な、何すか?」


 雪華のあまりの気迫に思わず押されてしまうヒュウト。取り敢えず要件を知るべく下っ端口調で会話を試みる。


「聞いた所によると貴方が生物学のテストで学年一位らしいわね」

「まぁそうだけ……ってそれ誰から聞いたぁ!プライバシー、個人情報!何処行ってんだよ!情報漏洩!」

「いきなり何よ!?」

「だから何で俺の順位知ってるの!?」


 自身のテストの順位を知っている事に驚愕しさっきまでの口調は吹き飛び一気に爆発した。


 今時テストの順位は伏せられており本人自らが情報を発信しない限り分からないのだ。ヒュウトが学校で順位教えている人間は聖奈唯一人。知っている人間は恐らく先生達だが、一個人に教える様な事はしないだろう。


「とにかく白瀬さんって黒峰さんと友達?」

「黒峰?誰それ?」


「────!」


 ビクッとヒュウトの背後から何かが音を立てた聞こえるが雪華は考えているのか気にしていなかった。


「じゃあ誰から聞いたんだよ」

「青木先生」

「何で!?」


 思いの寄らない返答が返ってくる。青木先生は生物学担当でスペシャリストだった筈とヒュウトは記憶していた。


「はぁ……」


 個人の順位は普通庇護されるべきだ。どんなに順位が高かろうともイジメ防止の為に公表はされない。にも関わらず先生が教えたと言うのは何か訳でもあるのだろうか?


「まぁ後で青木先生に問い詰めるとして」

『当然の様に問い詰めるですね』


「それで用件は何?」

「話すのは後!着いてきて!」


 何しに来たのか聞いてみると返ってきた返答は腕を掴まれる事だった。凄いグイグイ来る人だなぁ!と思いながら弁当箱とデバイスを立ち上がりながら手に取る。


 連れられて来た場所は屋上の一つ下の階。普段の授業では使われる事のない特別な教室が並んでいる。人気は何処にも無い、当然昼休みに来る人間は居らず無人状態だ。


 しかし雪華はヒュウトを此処に連れてきた。他の人に聞かれて欲しくない話でもあるのだろうか。ヒュウトは未だ状況を飲み込めておらずエーちゃんも様子見と言ったところだ。


「何処此処?」


 目の前には教室名が書かれている筈のプレートが着けられていない教室の扉。他の教室は家庭科室等書かれているがこの教室の用途が分からない。ヒュウトが?となっているとエーちゃんからの解説が耳に入った。


『どうやら何も使われていない無人の教室のようですね。マップを見ても特に名称は無く、情報は一切有りません』

「何も使われてないって何よ」

「いや、何よって此方の台詞だぞ」

「えっとこの教室はねぇ」


 解説にどうやらご不満の様子の雪華。言葉からして彼女が個人的に使っているか?と少しだけそう思いながら期待せず話を聞いてみることにした。

 フフンと自慢気に両手を腰に宛て雪華の口から無人の教室について語られる。


「私が所属する『特殊現象調査部』の部室よ!」

「………帰っていい?良いよな。うん、良いわ」

「ちょっ、ちょっと待って!」


 雪華の口から出た『特殊現象調査部』とか言う聞いた事も字面も見た事の無い部活名を聞いた瞬間にジト目に成る。


 自己完結した脳死思考でその場から離れようとするヒュウトの腕にしがみつく。変な物を見る様な目で見てくるヒュウトに対して縋り付く様な目で見る彼女。潤々と子ながら掴んだ彼の腕を振るう少女にこれまた困惑するヒュウト。


「いやマジで何よ?」


 ヒュウトに関してどの口でそんな目で見るのだと突っ込みたい所だが彼女も彼女である。

 仕方無く最後まで聞こうと前向きになったヒュウトは目の前の少女に耳を傾ける。


「あのねあのね!」

「うん」

「私この現代で起こる不思議な事について調べたいの!」

「おう」

「それで九年位前に起こった『光ケ丘事件』で現れたとされる人形猫、被害者全員が首を斬られた事について知りたいから先生や先輩に取り合ったけど『実際に見た訳じゃ無いしそんな物信じられない』って相手にされなかったのよ!」

「う、うん」

「だからねだからね!」

「……お、おう」

「一緒に成って調べたり考えたりしてくれる宛がもう貴方以外に誰も居ないのよ!」

「………ご友人は?」

「一人だけ居たけど……」

「じゃあその人で良くない?帰って良い?」

「良くない!!」


 取り敢えず話を耳に入れてはいるものの全て脳を通り過ぎて彼女の言葉が通り去っていく。しかし相槌を打つ度に確実にテンションは下がる。

 下がりに下がったまま上がる事なく再び止めていた足を動かそうとするヒュウト。それを見て声を張り上げる雪華。


 耳に針が刺さった様に雪華の声で立ち止まる。首を後ろに回し、涙目に成っている彼女を見てどうしよ、と悩んでしまう。お互いに目を見たまま止まる二人。エーちゃんも何となく雰囲気に流されて音声を発さない。


 そんな時だった。二人の間に少しの沈黙は叩き起こされる。


「教室の前で何騒いでるのって……雪華ちゃんと……赤パーカー?」


 『特殊現象調査部』の部室と思われる部屋から扉が開かれ一人の少女が出てくる。雪華と同じ制服で赤いショートヘアが特徴の少女。「雪華ちゃん」と言っている辺り、彼女の言う一人の友人が彼女だろう。


 出て来た少女の顔が現れると空気に同調していたエーちゃんが口を開いた。


『彼女は白瀬さんと同じクラスの赤波 鏡花さんですね』

「あっはい私一年三組で雪華ちゃんの友達の赤波 鏡花ですっ!」


「あ、赤パーカー?」


 エーちゃんがヒュウトに解説を挟み本人が自己紹介してくれるがそれよりも今日は色んな名前で呼ばれるな、と出て来た少女よりも自身の渾名?を気になってしまう。


 いや今はそうじゃ無い。顔を横に降って自分についての思考は切り捨て、目の前の白髪の少女をどうするかに切り替える。鏡花に腕へしがみついている雪華を指差しこれをどうにかしてくれと合図を出す。


「ごめんなさい!」


 ヒュウトの意図に気が付いたのか慌てて雪華の背後へと寄り添う。鏡花が腕を引き剥がしてヒュウトに対していそいそと頭を下げてくる。

 引き離された雪華は不満そうに鏡花をジト目で見ていた。大方何故邪魔したのかとでも思っているのだろう。


「もう雪華ちゃん他の人に迷惑掛けちゃ駄目って言ってるでしょもう………」

「だって宛てになる人間がコイツしか居ないのよ?」

「だっても何もありません」


 二人がゴソゴソと話し合っている中ヒュウトはまるで母に叱られている子供みたいだな、と自身のイメージと合致していた。


 俺も母親が居たらこんなのなのかなぁ?クロノはまぁ立場上母親に近いけど姉みたいなものだし今だと同年代っていう感じがするし。


『ヒュウト君巻き込まれるのも面倒ですし二人夢中に成ってる間に退散しちゃいましょう』

「そうしよっか」


 時間的にはもう昼休みも終わる頃合いなのだろう。エーちゃんが忠告してくれた。今の二人はヒュウトの事は視界に入っていないらしいのでそそくさとその場から離れる。今さっきまで他の誰かが居たような気がしたがヒュウトの気のせいだろう。


「ほいっと」


 教室にはあっという間に着き中に入って椅子に座った。結構焦って来たからかヒュウトが何時もの様子とは違う事を察し話し掛けてくる。


「どうしたのヒュー君。何時もならもっと余裕もって帰ってくるのに」

「うーん。部活の勧誘?で時間食われちゃった」

「部活?ヒュー君が誘われる部活って何部!?」

「確か特殊現象調査部だった筈」

「何それ?」

「やっぱり黒峰さんも聞いたことないよなー」


 腕を伸ばして天井をジッと見詰めていると横から机に突っ伏している聖奈が感慨部下そうに声を出す。


「でもヒュー君が部活ってなんだかね~」

「?」

「ほらヒュー君って中学校から部活なんてやってなかったじゃん。初めて見た時は科学部とか入るのかなぁって思ってたけどずっと入んないから帰宅部のイメージが強いからさ」

「まぁ部活なんて興味無かったし家で待ってる人が居るから」


 そう彼は中学校の頃から部活には入っておらず帰宅部一辺倒だった。学校にある部活はどれにも興味は持てず、生物部もあったものの人間についてが殆どだったので見学した後速攻で頭から消した。


 それに何時までもクロノに面倒見て貰う訳にはいかないと自立の意思で家に帰って家事に勤しんでいる。大半はクロノとの共同作業であり回数も多い、というか殆どだ。


「ふ〜んお母さん?」

「違うぞ。あれ?言ってなかったけ?」

「うん」

「えっとね………」

「授業を始めますよ」

「あっ青木先生」


 自身の家庭事情について話そうとした所、変な勧誘を受けた原因である青木先生が中に入ってきた。これは授業終わった後に問い詰めなければと口をムニムニして会話は途切れてしまう。



 午後の授業は変なメッセージが来る事は無く普通に終わった。しかし珍しくヒュウトに尋ね人がやってきた。


「結種さぁちょっとこれ教えてくんない?」

「いいぞ。データ送っとくね」

「サンキュ」


 整えたショートヘアにキチンとした制服を着た男子、天城 幸也。所謂クラスカーストの上位にいる存在であり、クラス委員長を務めている女子から人気のある人間だ。

 文武両道を体現した様に完璧超人だが勉強で分からない時は時々ヒュウトに聞きに行っている。


「じゃまた宜しく頼むわー」

「おう」


「何時から天城君と知り合いなったの?」

「さぁ?ってそれより青木先生を問い詰めなければ!」

「???」


 突然先生を問い詰めるだとかどうとか言い始めたヒュウトに困惑してしまう。彼女は昼休みに具体的に何が起こったのは知らないのだ。


「青木先生〜!」

「ん?あぁ……。結種か……」


 生徒の声に反応して顔を向けるもヒュウトを見るなり嫌そうというか面倒くさそうというか言葉の間が長くなった。

 何故普段質問をして来ないヒュウトが来たのは十中八九、雪華の事なのだろうと察して頭を抑えた。因みに雪華を面倒くさがった青木が「生物学一位の結種なら受けてくれるかもな」と囮にして彼へ火種が飛んだのだ。


「で、どうしたんだ生物学一位の結種?」

「3組の白瀬さんに順位教えたのって青木ですよね?何で教えたんですか?遵守されるものですよね順位って」

「それ位でカッカすんな」


 笑顔ながらも威圧を感じさせる表情に対して青木は溜息吐いて疲れたといった様子。時間は少しだけだから手短にとヒュウトを抑える様に掌を小さく出した後その理由を話し始める。


「そうだな……。白瀬があんな事を言い出したのは一週間前位だったな。本人からもう理由は聞いてるだろう?」

「まぁ」

「光ケ丘事件について調べる学生なんて今まで見た事無かったんだよ。そもそもあの事件自体が政府が隠蔽っていうかあまり公表して無かったしな。当時の人間以降の殆どは信じていない」

「信じてない人って居ないんですか?」

「お?お前は信じてる口か?」

「いえ情報が無いので何とも」

「それだよそれ。情報が足りない、記録が無い、現れたのが一度きり。当時の人間や政府は光ケ丘の復興が優先されて不確定な物に対策も相手をしている暇も無かったんだ」

「へぇそうなんですか~」

「だからな正直何て返答したら良いか分かんなくてな。アイツ他の先生や先輩にも聞きに行ってるらしいし、同年代で白瀬と同類のお前ならピッタリかなって」

「ピッタリかなって、じゃないですよ先生。それで俺に盥回しにしたんですか」

「まぁ白瀬も悪い奴って訳でも無いからな。純粋に知識欲を満たしたいだけだろう」

「はぁ」


 何とも言えない理由と先生の対応に深い溜息を吐いてしまう。彼自身下手に交友がないせいで光ケ丘事件に対する人々の感情をよく知らなかった。ジャンルは違っても知識欲を満たそうというのは絶滅したとされる旧生物について調べている自分と同じか、と彼とエーちゃんは納得した。


 ヒュウトは光ケ丘事件の被害者とは言い辛い。実際に目にした訳では無いし記憶が無い頃の自分が過ごしていた孤児院に特別思い入れがあった訳でもない。

 そう考えると当事者も居なければ関心が薄いのも理解も出来る。それに十年経って大々的に報道されているの最近になって漸くだ。GPMについてだって特集は出来たばかりの頃のみで底からは何一つ聞いたことは無い。


「理由はまぁ何となく理解しましたけど特殊現象調査部って結局何なんですか?」

「あぁその部活は俺が後で申請する予定のもんだ。目的は何しろ好奇心を持って何かに励むのは素晴らしい事だからな。出来れば結種にも」

「無理です」

「……知ってたよ。ま、気が向いたら入って仲良くしてやってくれや」

「は、はぁ」


 時間なのですまなかったと適当に謝りながら教室を出て行く。ヒュウトは肩をガックシと下ろしながらそれを見送った。内心何であの先生はあんないつも適当なのにそう言うのは真面目にするんだろうと文句を言う。

 この後は帰りのホームルームなので青木すれ違いざまに北見がやっほーと軽く教室に入ってくる。


「ハァ………」

「何話してたの?」


 席に戻って変わらず溜息を吐いてしまう。その様子を見た彼女が内容を知りたくてウズウズしている。基本的に学校が怠い、と言う理由以外ではぁと疲れた様になるのは珍しい。

 今日は何時にも増して面白いなぁ。顔をニコニコに歪ませながら両手を頬杖にしている聖奈。今彼女がどんな思考をしているのかが何となく分からないヒュウトは取り敢えず答える。


「さっき部活の勧誘って言ったじゃん」

「うん」

「その部活の部長?で白瀬さんっていう人がいるの」

「その生徒聞いた事あるかも」

「へっ?」

「最近先生やら訪問しに行ってる子でしょ」

「有名なのか……」

「うーん?有名っていうよりちょっと耳に入る位。それでその白瀬さんがヒュー君を部活誘ったんだ」

「そ」

「入学してから聞いた事無いよ特殊現象なんだっけ?」

「調査部ね。これから出来るらしいよ」

「ヒュー君はそれに入るの?」

「いいや」

「そっか。ヒュー君が入んないなら私もいっかな〜」


 そう言って顔を蹲る聖奈。実を言うと彼女もヒュウトと同じ帰宅部だ。聖奈の身体能力は説明した通り他の運動部よりも上。それが分かってからは色んな所から声が掛かった。しかしそれを全て聖奈は断っていた。理由は単純で面倒くさく時間がと、どの部活にも興味が無いからだそうだ。彼女曰くヒュウトを見ている方が楽しいとの事。

 そんな事情を一切知らなかった彼は聖奈の言葉に少し首を傾げた。


「黒峰さんって部活入って無かったんだ。てっきり運動部に入ってるんだと思ってた」

「それはヒュー君が人の話聞いてなかったりパッパと帰っちゃうから知らないんだよ」

「フムフム………」


 ヒュウトは今までの自身の行動を振り返って来た。確かに入学当初知り合いは聖奈唯一人。けれど話すのは何時もエーちゃんで聖奈と話す様になったのは結構経った後だ。それに帰りのホームルームが終わったら直ぐに玄関に出て電動自転車で家へゴー。他の生徒なんかは見た記憶が無い。彼の無駄に敏い思考は直ぐに答えを導き出す。


「なるへそ。黒峰さんは滅茶苦茶勧誘受けてたけど全部断ってたんだな」

「ビンゴ!」

「でも何で俺が入んないと黒峰さんも入んないんだ?」

「だってヒュー君の面白い所が見れないんだったら意味ないじゃん!」

「面白い?」


 今朝も聞いた言葉に改めて分からなくなる。昼休みにも『屋上のベヒモス』や赤パーカーと言われたり他人からの認識がイマイチ理解出来ない。青木からは白瀬と同類、黒峰から面白い、今日は色んな人からの評価、印象を知るなぁ。その考えを予測していたエーちゃんはヒュウトの答えを出した。


『………………ヒュウト君は総じてズレた、面白いもしくは変わった人…というのが他者からの印象なのでしょう。私自身はヒュウト君と生きてきましたから理解出来ませんしそんな印象は一切湧きませんけど』

「そうそうヒュー君ってそんな感じだねー。それに人工知能から愛されてるね。最後にアピールまでしてきたよ」

『アピールって私はそういう意味で言った訳では有りません!』

「アピール?」


「そうゆうのがズレなんだよ」

『そういうのがズレなんですよ』


 二人の言う通り鈍感、ズレているヒュウトは一斉の突っ込みを受けてしまう。聖奈の言っている事は良く理解出来ないがエーちゃんに関しては良く分かっている。彼女は的確な事しか言わないし発せられる音声と言葉は正直な物。まぁ兎も角エーちゃんの言う事は正しいのだから彼女の言う印象も正しいと一人で完結した。


「これで帰りのホームルームは終わるよー」

「お」


 三人がコソコソと会話をしている内にどうやらホームルームは終わってしまったみたいだ。周りの生徒はこれから始まる部活準備をし始めていたりデバイスで何かをしている。北見はとっくに去っている。

 会話に集中していて話を聞いていなかったもののヒュウトの日常習慣が反射的にバッグを背負い込みデバイスを頭部に装着する。


「じゃっ黒峰さんまた明日!」

「あー。うん指摘されても変わらずだね。また明日ヒュー君」

「おう!」


「あーあ。結局こうなっちゃうか」

「?」


 ボソッと言いながら顔を背ける聖奈。その様子を見る事なく既にヒュウトの手はドアに引っ掛かっている。彼女は聞かせないつもりだったのだろうが無駄に聴力が良い彼にはバッチリ聞こえていた。そして残念がる聖奈に桜色の少女が話しかけた。





『はぁ。ヒュー君は相変わらずですね』

「何が?」


 直ぐ様教室を出てから廊下を駆け抜けて玄関を目指すヒュウト。呑気に口笛を吹いている彼へエーちゃんから呆れの声が耳に入る。あー家に居る人について話してなかったなーと考えるも彼女から聞かされた言葉は予想外のものだった。


『最後の黒崎さんの言葉聞こえなかったんですか?それに彼女の精一杯の皮肉は分かりました?』

「聞こえたよ。皮肉やらなんやらは良く分かんなかったけどそれがどうかしたの?」

『黒崎さんはヒュウト君と一緒に帰りたかったんじゃないんでしょうか』

「?」


 先程聞こえた聖奈の言葉の意味も理解出来なかったのにエーちゃんの音声で益々分からなくなって来た。これが多少聖奈と話はすれど主に身内としかあまり会話していなかった弊害。


 他人への興味を、関心を、薄い膜のようでしか貼れなかった。本人もそれで良いと望んでいたし、何より『どうでもいい』のだ。自分にはエーちゃんが、クロノが居る。それだけで本来居る筈の地の繋がった家族も必要とは思わなかった。


 周りとは違う本人の『ズレ』が生んでしまったものでありこうなるべくしてなったのだ。他人のほんの少しの考えも思考も理解出来ない。こうしてエーちゃん等の真直ぐ言ってくれる身内が居なければ知る事は無いのだから。


「そうだったとしても別に俺電チャだから一緒に帰れなくない?」

『その時は牽いて帰るなり何なりすれば良いでしょう』

「ふーん。でもクロノの手伝いだってしなきゃ行けないし速く帰りたいんだけど」

『はぁ。そんな風だと私とクロノ様以外の人はどんどん離れて行きますよ』

「元から離れる程近い人間も居なかったじゃん」



『あぁクロノ様。私達は何処で間違ってしまったのでしょうか…………』


 余りの認識の違いに意識的だが天に向けてしまうエーちゃん。人工知能の演算や予測を以ってしても人を簡単に変えられる訳では無いのだ。十年掛けて構築された人格はそれを越える衝撃が無ければ歪まない。


 友達と言う物が今まで出来なかったヒュウトには他人との距離感が測れない。だから聖奈がヒュウトを『友達』と認識しても彼自身は彼女に対して『知り合い』だ。だから相手が天城であっても対応は同じ。


 エーちゃんはそう言うが彼女達が間違った訳では無い。寧ろ適切な教育プログラムだったのだ。朝速く起きて家事を一人でも出来るようにしていざ自立しても生きていけるようになった。今の時代に欠かせない技術で教わり人並の少し上だって出来る。傍から見れば完璧な教育型ヒューマノイドと人工知能による物。


 彼が絶滅した生物に関心を持たなければだが。


 ヒュウトは一度好きな事にのめり込んだら最後まで突っ走るタイプの人間。いかんせんそれ以外が疎かにある事も多い。その代表的な例が人間関係。


「帰り道つったって変わったものなんて何一つ無いのになぁ〜」


 駐輪場から電動チャリに乗り込み学校の敷地内を出る。エーちゃんの言葉はさて置き頭の隅に置いてあった午前中に来たメッセージについて考える。文章は逆から読む以外意味が分からない。

 自転車を漕ぎながら周りの景色に気を配ってみるも、車が走っていたり買い物帰りの主婦や学生等何時もと変わらない光景が広がっているのみ。別段特別な物がある訳でもないし明日何かお祭が催される予定も無い。しかし……


『そう言えば明日で丁度十年に成りますね』

「あー。光ケ丘事件から?」


 そう。光ケ丘事件が起こってから明日で丁度十年が経つ。毎年少しテレビいるが十年とも成れば大々的に報道されそうだ。それについて口に出してみると違うらしくエーちゃんからは別の事が十年経ったと音声から伝えられる。


『それもそうですがヒュウト君が孤児院から出て光ケ丘に住み始めた事ですよ』

「そうだったな。確かあの時は壊滅状態の光ケ丘の隣町に住んでたんだっけ?」

『はい。あの時は他に行く宛がありませんでしたから。復興が終わってからは光ケ丘の新しい家に引っ越しましたね』

「へー懐かしいなー」


 光ケ丘事件から十年経った、それはヒュウトが記憶を失い、新しい家族との生活を始めて十年間と言う意味でもある。

 いざ思い出してみると工場に連れてきてくれたオジサンの事は良く覚えて無くてもクロノとの出会いは鮮明に記憶の中で刻み込まれていた。




 ある晴れた日の夕暮れ。街は紅く染まり日が墜ちる頃。ヒューマノイドが製造されている工場で彼とクロノは出会った。


『こんにちは。貴方が結種ヒュウト様ですね。私は今日付で彪斗様の専属教育型ヒューマノイドのクロノと申します』


 目の前に居た教育型ヒューマノイドは同じ歳位の少女だった。幼稚園には行けておらず当時の孤児院に同年代の女の子が居たのかは覚えていない。けれど自身と同じ位の身長の子供がヒューマノイドとは少し驚いてしまった。

 少しテンポが遅れて自己紹介をする。いきなり様付で呼ばれてしまったので止めるように言った。


『お!?………こんにちは。知ってるだろうけど俺ユイクサ ヒュウト。後別に様なんて着けなくて良いよ。俺がお世話になる方だし』

『それではヒュウト君と』

『じゃあ俺はクロノって呼ぶよ』


 そう言ってクロノは少しお辞儀をしてヒュウトは照れ臭そうに笑った。簡単な会話を済ませてこれから済む家に行くことになった。エーちゃんと言うもう一人の家族を連れて。

 そこから新しい生活が始まったのだ。まだ余りにも幼かった彼はクロノに家事を任せっきりで特にやる事も無く寝ているかテレビを見たりゲームをするしか無かった。


『はぁーゲームクリアかぁー』

『ヒュウト君、夕飯が出来ましたよ』

『ん、分かったー』


 ヒュウトはクロノとの新しい生活に期待を持っていた。けれども彼が想像した様な物とは少し違った。エーちゃんはまだ頭が軟らかくなくて余り会話をしないでいた。

 クロノに世話をしてもらうままデータベースで知りたい事を知ってゲームをするだけで孤児院と余り生活は変わらなかったのかもしれない。今の状況に不満を持ち何か新しい事がしたいとヒュウトはクロノにこう聞いた。


『クロノはテレビとか見ないの?』

『いえ私はヒュウト君の教育型ヒューマノイド。マニュアルにはそういった行動は必要とされていませんので。ヒュウト君がそう望まれるならその限りではありませんが』

『ま、にゅある?』


 無邪気な子供は目の前の「少女」の言っている事がよく分からなかった。だから自身が知る限りのゲームの事で理解しようとする。


『はい。マニュアルは教育型ヒューマノイド用の子供に対する取り扱い説明書の様な物です』

『うーん?つまりルールとか操作方法って事?』

『少し違いますが大方その通りです。ヒューマノイドは人間の為に作られた生物ですから』

『よくわかんないや』


 そう彼女は人間の為に作られた「クローン道具」であってその感情も、返答も何処までも機械的だった。今の彼女はマニュアル通りにしか生きてはいけない。

 ヒュウトとは決定的にいる場所が違う。互いの認識も、価値観も擦れたまま。その境界線は生身の体と違って、遠い。


『じゃあ、クロノはどうしたいの?』

『特に』

『そっか………』


 躍起になって聞いてしまった。先の言葉の意味は分からなくても何となくとも次の返答は予想出来ていた。ヒュウトにとって「子供」とは自分しか知らない。他に同年代の子供に知り合いなんか居ないから。彼だってやりたい事があればやるし言いたい事があれば口に出す。けれどもクロノはそれをしない。したい事も欲しい物も無いのだから。

 だからヒュウトは益々頭がこんがらがってしまう。何も無い、そう言われた以上彼は肩を落としたまま食事に向かう。

 そこから彼は考える様になった。どうすればクロノは自分みたいに、子供みたいになってくれるんだろう、と。彼女が作った食事を口に運びながら取り敢えず…。


『じゃあクロノ後で一緒にゲームしない?』

『ヒュウト君がそう仰るなら喜んで』

『うん、決まりね』


 クロノと一緒にゲームをしようと誘った。今の彼は家族に少々飢えている。彼女がロボットの様に決められた事しか出来なくともこれから上手くやっていこうと心の中で決めた。


『楽しいクロノ?』

『……分かりません』

『じゃあ他のゲームやろっか』


 きっとこれが彼の人生での決定的な分岐点だ。クロノは自身が楽しいと思える「物」が無く、楽しいと言う感情が無い。だからヒュウトはそれを見つけて、楽しさを共有出来る様に、家族に成れる様に毎日を奮闘していた。


「うん………本当に懐かしいや」


 この時からヒュウトはより積極的にクロノと遊ぶようになったり何かを教えて貰って関わる様にした。結果、今のクロノはより人間らしい性格になりつつあった。そう今までの行動を、毎日を、記憶の中で浸る。身に染みる用にクロノの声と姿が脳裏に浮かび続けた。エーちゃんが居てもクロノが居なければ人間らしい感情は今よりずっと薄れていただろう。


『懐かしいのに忘れてたんですか?』


 思い出に浸っている中釘を刺すように鮮烈な言葉が打たれる。確かに大切な事だが忘れているのは忘れていたので頭の中で必死に言い訳を考えて誤魔化そうと口に出す。


「それはそう、アレだよ!アレ!毎日一緒に暮らしてるから何年とかあんまり考えてなかったんだよホラ!」

『ふーん。そうですか』


 着けているゴーグルから発せられた音声は疑うような声色だった。一応納得?はしたらしくこの件についてはこれ以上口を出さないと思われる。

 あははと苦虫を噛んだまま笑っているヒュウトの顔に一筋の汗が流れる。しかしこんなにも言いたい事を言えるのだから『家族』には多分成れたんだろう、とエーちゃんの声を心の底から喜んでいるヒュウト。そう思うとテンションが上がってきたのか自然と自転車を漕ぐ足も加速していく。


「よーし今夜は我が結種家十周年を記念してパーティー開いてケーキでも食うぞぉ!」

『ふふふ、どうしたんですか急に。まぁパーティーは楽しいですしクロノ様も喜ぶでしょう』


 いきなり大声を出して宣言してヒュウトが可笑しかったのか笑い出すエーちゃん。記念でパーティーと言う事に機嫌を良くしたのかさっきまでの不満気な声色はすっかり消えていた。


「────────。」


 ただそんな彼を黒い狐に似た機械は琥珀色の瞳でじっと見つめていた。


 二人共、何処からかの視線も気付かず、不可思議なメールの事も忘れたまま今日もありふれた、当たり前の日常を刻んでいく。これからもずっと幸せが続いていくだろうと思って。


◆◆◆◆◆


 結種家のリビングにてクロノは机に置かれたホールケーキを食べていた。苺、葡萄、蜜柑、パイン、メロンと様々なフルーツが飾り付けられている全体が白い生クリームで覆われている豪華なケーキ。他にはクリスマス等祝日の日に食卓へと並ぶ品々。

 それらを作ったヒュウトはキッチンで後片付けをしながら自身の大切な家族が作ったケーキを美味しそうに食べている所にを眺めていた。


「このケーキ美味しいですねヒュウト君」

「おっそうか?」


 夕焼けが街を照らす中全速力で自転車を漕いで来た後、記念パーティーの為の材料を近所のスーパーに買いに行った。作り始めているとどうしたんですか?とクロノに聞かれてヒュウトはほら十周年記念だからパーティーと答えると十年は明日ですよと突っ込まれてしまった。それにポカンと口を開けて呆然とするも始めてしまったのは仕方が無い。底からは十年間、教育型ヒューマノイドであるクロノから鍛えられた腕で作り上げた、盛大なホールケーキ。

 腕によりを掛け帰ってから休まずにキッチンへと籠もって制作したものへの満足はヒュウトを幸福感で埋め尽くした。


「いただきます!」


 自身もクロノの向かい合わせに座りケーキを切り取って皿に乗せる。よっこらっせと言いながら座る姿は老人の様。けれども人工チキンやジュースを好きなだけ口の中に放り込んでいる姿は正に年相応だろう。

 一通り食べ終え装っておいたケーキをフォークで綺麗に食べていく。一口食べると生クリーム、ふんだんに使われた果実の甘みが舌に染み込む。


「んん~おいしー」

『羨ましいですね。ぐぬぬ』


 クロノと二人で甘みに浸っていると首に掛かっているエーちゃんから羨みの声が上がった。人工知能と言えど肉体を持てないので仕方無い。ヒューマノイドは人工知能を搭載していると言ってもクローン、身体は人間であって個人の脳が存在し五感があるが、根っからの人工知能であるエーちゃんでは一生分からない物であろう。だからケーキに限らず感情は持っていても五感は無いのでどんな『味』がするのか識りたいのだ。


「エーちゃんが味を感じられる様になるのは数十年後かもしれませんね」

「そーかもね」


 エーちゃんの言葉にクロノは首を傾げてニコリと笑った。それを見たヒュウトも肯定してハハハと口を開けて笑う。

 そうやって談笑して食事を楽しんでいるとフォークを置いたクロノがヒュウトの方へ視線を向けて来る。


「ヒュウト君。今日は学校で何か面白い事でもありましたか?」


 何時も学校がある日は食事の時に何があったか聞いてくる。やはりクロノは教育型ヒューマノイドであってお世話対象であるヒュウトの学校生活は気になるみたいだ。本人も他の思春期真っ盛りの高校生とは違って母的存在である彼女に対して無視する事なんかは一切無く、その真逆でベラベラ喋る。


「えっとね今日結構色んな事あったよ」

「ほうほう。どんな事でしょう?」

『それはですね』

「おーと待て待て俺から言った方が良いだろエーちゃん」


 カチャリとフォークを食器に置いて口の中に入れてた物をゴクリと押し流す。口をティッシュで拭いてから話し出す。


「このブレスレットについて先生に調べてもらったけどやっぱり駄目だった」

「これで三度目ですね」

「でもでも知ってるかもしれない人は出て来たよ……まぁそれは置いておいて」


 ブレスレットについて改めて言われると凹むので今日授業中に送られてきた謎のメールの事を報告する。エーちゃんがそのメールの画像をホログラムとして展開しクロノに見せる。


「授業中に一度だけ変なメールが送られてきたんだよ。送り主は不明、で俺以外にこのメールが送られた様子も無し」

「変なメール……『○ ロケッヲ キハチミリ エ カノタシア』。これは確かに意味がわかりませんね。しかし逆から読めば意味は何となく分かりますが」


 エーちゃんと同じくこの謎のメールこ読み方を把握したのか、明日の帰り道?と首を傾げて考えている。ヒュウトは考えても仕方無いとお昼休み屋上へ突如として現れた少女について説明する。


「昼休み屋上で昼寝してたらいきなり白瀬雪華っていう人が襲来してきた」

『襲来って……まぁ確かにそうかもしれませんが。白瀬雪華さんは一年三組に所属している特殊現象調査部の部長、らしいです』


 クロノに雪華の姿を見せる為ホログラムが表示される。屋上から出て来た所や部室前での涙の姿等様々な映像がクロノの目に映る。銀色の髪が珍しいのかおおー、と口を開けて少し目を見開く。そしてエーちゃんの音声から出た雪華を部長とする部活名に反応した。


「ヒュウト君、その……特殊現象調査部、というのは何ですか?名前からしてそういう部活なのは分かりましたが」

「まぁ名前通り不思議な事象とか調べたいんじゃないの?光ケ丘事件で出たっていう猫の化け物について調べたいって言ってるし」

「成程成程」


 合点がいったようで、ぽんと可愛らしく手を合わせる。そう言えば今日は光ケ丘事件からも十年経ったんですねと顔を頷いた。彼女は心の中で遂にヒュウト君が部活に入るのかと一瞬考えたが先の言葉や様子からそれは無いだろうと切り捨てる。


「しかも青木先生白瀬さんに人の点数バラしたんだよ。誰かは知らんが先生先輩と来て盥回しだよ」

「生物学が学年一位のヒュウト君の見解が聞きたいからその白瀬さんはヒュウト君の所に行ったのですね。教師が生徒の順位を話すのはあまり感心出来ませんが」

『ヒュウト君しか宛が無いと言っていたので先輩方にも相手にされなかったのでしょう』

「そこまでなら一緒やってあげても良いでしょうに」


 彼女は白瀬さんに同情しているが別に友人も居るし部も青木先生が申請してあるから問題無いでしょと言い捨てる。ヒュウトはクロノの言葉を区切りにもう話す事も無いので3切れ目のケーキを切り取って口に運ぶ。しかしクロノの言葉によって再び手を止める。


「ヒュウト君は興味無いのですか?十年前に出たとされる猫の化け物について」


 正直に言うとヒュウトは少しだけ興味があった。けれども今はそれ以上にやりたい事があるのでまだいいやと返す。


 食べている物を完食し、御馳走様を二人で言う。もう誰も食べる人間は居ないので食器を運んで食洗機の中に入れて設定を入力しておく。


「後は風呂に入るだけだな。クロノ先に入っていいよー」

「それではお先に」


 クロノは向かっていったのでヒュウトはソファーへと寝てゴーグルを装着し、デバイス内のデータベースを起動させ何時も通り、8年前にダウンロードした古いソフトを起動する。

 

 意気揚々とヒュウトが起動したソフトの名前は『Animal World』。名前の通り動物が居る世界であり様々な角度からの観察、骨格や遺伝子情報と絶滅してしまった動物の事が知れるゲームだ。


 これもまたヒュウトが愛用している物の一つで当然古いソフトであり彼以外に持っている人間は居ないだろう。それでも時代遅れのソフトを使う理由は唯一つ、収録されている情報量が半端無いのだ。


「今日はこれとこれっと」

『まだまだ先は長いですね………』


 メニューと書かれた部分をタップすると、動物の名称が並び条件を未読に設定する。その情報量の問題というのが彼が八年前から毎日欠かさず見ても未読の欄が殆どだからだ。


「ふむふむ」


 数十分後ヒュウトがエーちゃんと一緒になって観察に勤しんでいると何処からかメールが送られてくる。丁度切りが良かったのでタイトル画面に戻って内容を確認してみる。内容はヒュウトもお風呂な入れとのことなのでデバイスを外して立ち上がる。


「それではごゆっくり」

「おう」

 



「────!」

「──!」

『────……』


 お風呂から上がった後そこから寝る時間になるまでテレビゲームをしていた。時計が11時を示した所でヒュウトとエーちゃんは自室のある二階へと登っていった。同じくクロノも就寝の為にリビングを出ようとする。けれどその足は止まってしまう。


「─────。」


 ヒューマノイド用デバイスである首輪が紅く発光した。それと同時に彼女の視界に、あるメッセージとプログラムが表示された。

 首輪が光る事は起動時以外では滅多に起こらない。何よりもそれについて疑問を持たず、ただ虚空を見ているのが異常だった。

 虚空というのも、メッセージやプログラムの中身は何も無いのだ。


「……?」


 数分後機械の様に無表情だった彼女に光が灯る。先程まで自身が何を考えていただろうかと首を傾げたが早く寝ようと足を運んだ。


 この数分はほんの些細な出来事。けれども何も変わらない日常にある筈の無い事が起こってしまった。この事を誰も気付かない。彼女自身もヒュウトも。




 翌日、今日も夏の太陽が街に光を齎し地を熱する。カーテンの隙間から差し込んだ一筋の光が少年の顔に当たる。真っ黒だった視界が白く染め上げられた事で徐々に意識が覚醒していく。

 開いて閉じてを繰り返していた瞼は完全に見開き白い天井が写り込んだ。見たであろう夢は頭からスッポリと抜けて中身は空っぽ。

 そして空っぽになった器へ『今日』という入れ物がズブズブと埋め込められる。


『おはよう御座いますヒュウト君。今日は2094年7月6日金曜日─』

「おはよエーちゃん」


 ふぁ、と手で喉から出る欠伸を抑え、今日も今日とて長い日付報告を無視して挨拶を交わす。何時の日も起きると感じる倦怠感を押し潰してベッドから出る。枕元に置いてあるデバイスを首に掛ける。

 エーちゃんがゴニョゴニョと今日の予定の詳細を言っている間に5着同じ物がある赤のTシャツと赤いズボンを着る。時計の針が6時を指してるのを確認してへやを出ていく。


「パッパと作ろっと」


 バッグと赤のパーカーを取り出して一階にあるキッチンへと向かう。朝早くに起きるのは彼が朝食の当番だからだ。昔はクロノが毎日作っていたのだがヒュウトが料理をするようになってからは食事を用意すると意気込んでいた。

 彼はクロノばかりに任せっきりに出来ないと言うが彼女の教育型ヒューマノイドのプライドが許せなかったらしく「私はヒュウト君の専属ヒューマノイドです。ヒュウト君がそう思ってくれるのは嬉しいですがそれでは私の立つ瀬がありません!」とプンスカ頬を膨らませてきたので現在の当番制になった。


「おはようございます。ヒュウト君」

「おはよ」


 キッチンの直ぐ側にある洗濯場からクロノが出てきてペコリと頭を下げてくる。どうやら先におきていたみたいだ。

 お互い当番じゃない日はこうして洗濯物だったり別の家事をやっている。


「悪い直ぐ作るよ」


 エプロンを着けたヒュウトが料理を作り始める。これが結草家の一日の始まり、そして光ヶ丘事件から十年が経った日。テレビのチャンネルは何処も同じ事を扱っている。普段ならあり得ない光景だった。これが指し示すのは、当たり前の日常の終わり。


「いただきます」


 意味するのは始まり、告げられるのは誰かにも見えない真実──。


 今を思うがままに生きるヒュウトはこれから起きるであろう厄災にどう足掻くのだろうか?過去すらも不明瞭な己に彼はどう向き合うのだろうか?

 みちを示すのは腕輪、交差するは未知の世界。選ぶのはヒュウト自身だ。




 一週間もある学校生活は今日も変わらずにありヒュウトのやる気を削いでいく。怠そうな顔をして敷地の中へ入っていく。

 毎日毎日がしんどかったが今日は待ちに待った金曜日。この一日さえ乗り越えれば休日がやって来る。それに今日は体育が授業が無い。


 他の日と比べれば幾分もマシな一日を送れる筈、そうエーちゃんが伝えて若干テンションを上げるも早速崩そうとする輩が現れた。


「ちょっと待ちなさい結種ヒュウト!」


 校舎の中へ入ろうとした時、背後から聞き覚えのある声がヒュウトの耳に入る。エーちゃんと二人して「ん?」と振り向くと堂々と仁王立ちをして此方に指を指している白瀬雪華が居た。


 再び「ん?」とヒュウトだけが思い出せずエーちゃんから「ヒュウト君を部活に誘った白瀬雪華さんですよ」とデバイスから音声が鳴った。どうでも良くて忘れてた、と思い出し本人の方へと向かって


「朝から煩いんですけど……」

「えっ……あ、ごめんない。じゃなくて何で昨日何も言わずに去っちゃったの!」


 彼女の声で立ち止まった周りの視線をヒュウトと同じく物ともせず突っかかってくる雪華に対してエーちゃんはあっこの人ヒュウト君と同類だ、と感じヒュウトは欠伸で返答する。それを見た雪華の額に青筋が浮かび上がる。


「ふぁ〜〜〜。えっーおなぁ…。白瀬さんと、あ──赤波が言い争って言う暇が無かったのと昼休みが終わりそうだったから……以上」

「昨日の事に関しては本当にすいません」

「うおぉ…!?」


 それとなく理由を口にしていると赤髪の少女が謝罪の言葉と共にヒュウトの死角から現れた。この状況で声を掛けられるとは思ってもみなかったので驚いてしまう。


「赤波さん!?」「鏡花!?」

「ほら雪華ちゃんまた結種君に迷惑掛けてないでさっさと教室に行くよ。朝早くから校門で待ってたと思ってたらこんな事して……」


「えぇ……朝からか…。ちょっと悪い事したかなぁ〜」


 現在首根っこを押さえられ、引き摺られていく銀髪の少女を見て合掌する。しかしあ~だこ~だと騒いでいる雪華を見ている次第に申し訳無さが失せてきた。


「うん、俺は何も見なかった」

『それでいいんですかヒュウト君……』


 その後教室に入ると今度は北見に呼ばれる。十中八九昨日の事だろうと踏んで同じ教室へと入っていく。そこには変わらずデバイスでホログラムを表示している北見。


「ほい」

「おぉ……。お、大石……さん?」

「そうだよー」


 表示されたホログラムにはヒュウトが忘れていた男、大石おおいしみつるの顔が出てくる。プロフィールと共に表示され、誕生日、血液型、趣味が書かれており、年齢は75歳と少しだけ高齢だ。

 しかし今の基準の75歳とは些か写真と食い違いがあり、そこまで歳を摂った印象が出ない。恐らくは何年な前に撮ったものだと伺える。

 その写真がヒュウトの記憶に引っ掛かりを与えたみたいでうーん?と唸る。


「どー?この人ー?」

「多分この人です。当時の顔まんまです」

「思い出したみたいだねー。大石さんは十年前から光ケ丘病院に居るらしいよー。今も入院してて、面会許可もとってあるから今日行ってきなー」


 それを聞いてありがとう御座います北見先生と一言挟んで部屋を出ていく。教室に戻る中ヒュウトは思考を一つのキーワードを中心に回転させていた。


(最近十年前とか光ケ丘事件とかよく聞くなぁ〜。それにこのガントレットにも進展があったし)


 十年前から入院していると多少不安になるが、ともかくやっと見つかった記憶の切っ掛けだ。これで漸くこの両腕の腕輪についている分かると思うとエーちゃんもテンションが上がってくる。


『小学生になる前のヒュウト君については全く知りませんからね!』 

『そんなに気になる事かなぁ?』

『ふふふ。そう言ってヒュウトが一番気にしてる癖に』


 からかうようにテキストを送り込んで来るエーちゃん。表情があるのなら彼女はきっとニヤニヤと笑っているのだろう。そんな人間らしいAIを見て少しだけ笑みを浮かべるヒュウト。

 横を歩く北見はそんな彼の表情を微笑んだ。


「うーーーん!」


 一週間の授業が終わり開放感を全身に感じて背を伸ばす。入学してから結構経ったので高校生活は流石に慣れたものの、疲れる事に変わりはない。

 今日の昼休みにもまた雪華が襲撃してきたが無事事なきを得た。これから毎日来るかもしれないと言う予測を交えながら。


 兎にも角にも待ちに待った時だ。長年の目的の一つである自身の過去と腕輪について答えが得られるかもしれない。若干の興奮を抑えつつ教室を出ていく。


「えーと光ケ丘病院は、と」


 ヒュウトしか持っていないスマホを取り出してマップを開く。場所は光ケ丘の中枢部にある『新光町』だ。この光ケ丘の中枢部なだけあって多くの人が賑わっており、様々な物が流通している。

 彼の住んでいる赤火町からはそこそこの距離がするので『今日少し送れるね』とクロノにメッセージを送信する。『分かりました』と返信が来たのを確認して学校を出ていく。


『新光町に行くのはなんだかんだ初めてですね』

「そうだね。何時も遠くからの景色でしか見た事が無かったからちょっと楽しみかも」


 吹き抜ける風を全身で感じながら新光町への道を走っていく。多くのビルが並び立つ光ケ丘で一番賑わう場所へとやって来た。何処を見回しても人、ビル、ロボット、人、ビル、ロボットで溢れている。

 光ケ丘に住んでいながらもヒュウトは『新光町』に来た事が無いのには理由がある。元々彼が居たらしい光ケ丘孤児院は復興前、現在の新光町の前身であり善雄 英生の故郷である『光町』だった。しかし光ケ丘事件によって元々あった物は全て見る影が無くこの町を出ていく他無かったのだ。その後は新しい生活に慣れる様にしたり、学校や家事だったりと中々行く機会が出来なかった。だから元々の土地に居ても今の新光町に来た事が無い。

 初めて見る物に目を輝かせるヒュウト。おぉと口を大きく開けていると、とあるニュースのホログラムに目が行く。


『今日7月6日はあの“光ケ丘事件”から十年が経ちインターネット上でも話題になっており───』

「本当に今日は光ケ丘事件って聞くな」

『それはそうでしょう。なんせ町一つが跡形も無く破壊され、生存者は子供含めて僅か数名。50万人もの人口がたった一日でそれだけになった世紀の大事件ですからね。まぁ今はこうして以前の人口よりも増えている事に驚きですが』

「興味無かったからどうでも良かったけど聞くと本当に世紀の大事件だな。それを復興させた善雄英生もまた世紀の大天才だね。とと無駄話してないで行かなきゃ。病院はあっちで……」


 病院への道行きを確認している間に新光町の上空から、“黒い何か”が堕ちて来ていた。急速に落下してくるそれは彗星の様にその身とは正反対に白い尾を引いている。青く広大な空に浮かぶ一つの黒点。ポツリと小さかったそれは一秒経つ毎に大きくなっていき──黒点が降り注いだ。

 大きな轟音を立てて落下した何かはその下に小さなクレーターを作り上げていた。ピキピキと地面は罅割れ今にも悲鳴を上げている。黒い何かは人一人分の大きさで刺々しい球体だった。


「ん?」


 遠くからでも響いた音にヒュウトを含めた周りの人々が視線を落下物に向けていた。一瞬だけ静まった空間は直ぐ様ガヤガヤと騒ぎ始める。

 何だ何だ近くに居た人達がクレーター周りに寄り付きデバイスでインターネットに投稿すべく撮影なり何なりを行っていた。


「隕石か!?」

『……流石に違うと思いますがどうでしょう?』


 突如として町に落ちて来た物体に嬉々として近付こうとするヒュウト。ざわつく民衆を避けつつお目にかけようとするも時既に遅く、謎の物体には数え切れない程の人が囲んでいた。間近で見れないのでしょうがないと、カメラを起動し御尊顔を拡大してデバイス画面に映す。


「黒い金属か」

『凸凹でありながら綺麗に左右対称に尖っていますね。人工物かもしれません』


 黒い物体は全体が尖っており加工された金属の様に鮮やかな光沢を放っている。安っぽい鍍金メッキと言う印象は無く、太陽の光を反射して自身を煌めかせる。鉄でも銀でも無いカメラに映る物体はAIであるエーちゃんであっても分からない。


 ジャリリ──。

 僅かに黒の煌めきはその身を震わせた。石同士が傷付けあう様な音を鳴らし球体はその身を揺らし始める。それを見た人々は再びざわつく。


──何あれ。

───爆弾!?

────そんな訳無いじゃん。

─────何かのイベント?


 様々な憶測、懐疑の声が上がる中、球体はより激しく揺れる。


「何かのショーかな?」

『今日そんな予定は有りません。仮にサプライズだとしてもクレーターは流石に……』

「じゃあ──」


 ヒュウト達が話している中、球体の揺れは益々大きくなっていく。何かが起きる。そんな予感がこの場に居た人間の共通の心境だった。周辺の建物の中にいる人達も突然の騒ぎに足を止め、窓ガラス越しに見ている。


 ジリジリジリジリ───掠れた音は鳴り止まず、金属が擦れ合う音に変化した。球体はその形を段々と歪めていき四肢が見え始める。それは正にタマゴが割れ、中身が出てくるのと良く似ていた。


「生ま……れる……」


 その表現が相応しいと思ったのかヒュウトが小さな言葉を紡いだ。それを皮切りに口々に出していた人々は口を閉じる。ゴクリと誰かが息を飲む。


 グギギギググ──ドクンドクン──。


 物体が完全に球形を崩した。さっきまで聞こえなかった筈の音が、心臓の鼓動の音が耳に入り込む。果たしてそれはヒュウト達の物か、将又……


『イャオ………』


 人型に変形した黒い物体のものか…。


「───────。」


 姿を変えた 謎の物体によって静寂を破られ、周りが驚きざわめき始めた。人々が顔を合わせて変形した物体について話している。

 人型となった物体の姿はまるで鎧を着ているようだった。全体的に刺々しく勇ましい姿。黒よりも黒い漆黒のボディ。頭部と思われる部分には二つの突起があった。正面に三つ連なった長く尖った物が猫の髭の様に着いている。


「何だ……あれ」


 口を開け、絶句した表情をして“何か”を見ていた。彼の瞳に映った物と脳裏に写った者の姿が重なり合う。ヒュウトの頭の中で知りもしない猫に似た人型の化け物が浮かび上がる。幻覚を見ているようで頭に痛みが走り手で抑えた。


「────!?」


 ある映像が流れる強くモザイクが現れ視界が曲がりに曲がって歪んでいく。頭を振って消そうとするも、離れる事は無く逆により強くなる。他の事が考えられなくなり、全てがモザイクに包まれた時見える世界が切り替わる。


『どうしたんですかヒュウト君?』

「ハァ………ハァ」


 見えたのは何時か見た猫の化け物の姿。幻覚に残るそれは嫌と言う程様になって眼の前の光景と重なる。

 幻覚はヒュウトに対してその凶気を振るいあげる。紅く染め上げられた刃は周りの人間と同じ末路を辿わせんと斬り裂いた。


『イャオ………』


 くぐもった声が聞こえる度に、いつかの光景がヒュウトを引き摺り込み、より鮮明に地獄の様を目に焼き付かせる。黒き鎧の双眸が真っ直ぐとヒュウトを見つめている。


 首は転がり、人は死に、紅く染まってみなお終い。


 知らない、知りたくない。そんな言葉が彼の中身を埋め尽くす。グツグツに煮え滾る彼の心はエーちゃんの声で崩された。


『大丈夫ですかヒュウト君?』


 ハッとなって目を見開く。先程と変わらぬ元通りの光景だ。眼の前に有るのは見るも無惨な地獄では無く少し珍妙な物が居るだけだ。

 けれど変な幻覚を見たせいか気分が一気に悪くなったヒュウト。頭を抑えつつ謎の鎧とは反対方向に自転車を走らせる。


『少し変ですよヒュウト君。まるであれから逃げるみた「逃げるんだ」?』


 幻覚を見てからひしひしと身に感じる悪い予感。現実で、自分の前でそんな事が起きるだなんて思っても無い。だけど黒い鎧が声を漏らす度に彼の心は圧迫される。自然と息は荒くなり自転車を漕ぐスピードは次第に上がっていく。それなりにクレーターからの距離は離れた筈…だ。

 嫌な予感は肥大化しとうとう漕ぐ足を止めてしまう。ゆっくりと確かめる様に振り返る。黒い地獄に近付く度に心臓の鼓動は速く、より大きくなっていく。何故アレを見ようすると、呼吸が荒くなるのか、苦しくなるのか分からない。

 恐怖なのか、不安なのか、焦燥なのか。それをヒュウトは確かめる為にも


「────。」


 意を決して奴を見た。けれども双眸に写った物のは別の物だった。大きな衝撃がヒュウトを襲う。表情が固まるには十分過ぎたのだ。

 そして、それは同時だった。


「キャァァァァァ!!!」


 彼が“黒い霧を纏うソレ”を瞳に映すのと、誰かの悲痛な叫び声。誰かが人型の何かの巨大な爪に切り裂かれるのは。


 ヒュウトの元に飛んできたのは見間違えることなく、人間の頭だった。


「あ、……あ、、、。」


 勢い良く飛ばされた人間の頭がヒュウトの眼の前に跳ねて転がる。ドシャリドシャリと道路を離れた日に何かが壊れる音がした。紅い液体は大きく打ち付けられ、綺麗だった道路は汚れていく。

 転がってきた肉塊は長い髪と整った顔つきをしていた。殺されたのは女性だったのだろう。


 丁度ヒュウトと顔が向き合う形で肉塊は止まった。表情は無く光を無くした、焦点の合っていない瞳が彼を射抜く。何も映らない虚空の眼はヒュウトに恐怖の感情を抱かせる。

 殺された、死んでいる、そんな非日常な出来事が目の前で起こっていた。


「あ、あぁ……「アァァァァァァァ!!」


 ヒュウトが悲鳴を上げるよりも速く絶叫が空間を震撼させた。クレーターの周囲の人間はパニックと化し正気を失って、四方八方他人を押し退けながら散らばっている。

 周りに押されて逃げられなかった者は容赦無く斬り殺されていた。

 化物が纏う鎧の隙間から出ている黒色の霧は瞬く間に周辺へと溢れ、人々が持っているデバイスはバチバチと音を立てて壊れ出す。それに合わせて黒い霧を吸った人間はふらつき一斉に倒れだした。抵抗する事も出来ず倒れた人間は一人、また一人と殺されていく。


「─────!」


 霧を吸っていない人でも声にも鳴らない声を上げて助けを求めるが化け物と化した黒い鎧に首を斬られる。非常にも見捨てられた人達を見てヒュウトの叫び喉の奥に留まった。


『ヒュウト君落ち着いて、逃げて下さい!』


 張り詰めたエーちゃんの声がヒュウトの中にあった恐怖心を一度吹き飛ばす。幸いまだ霧はここまで届いていない。頭は空っぽに成り冷静に状況を判断し、考えながら自転車を飛ばす。


(速く何処でもいいからここから逃げないと。後、今こそGPMに頼るべきじゃないか!)


『各公的機関には既に 連絡を入れておきました。 直にGPMが新光町に10分もすれば到着します。あ、後クロノ様に連絡しております。それまでに私の指示に従ってぶっ飛ばしっちゃってください!』

「サンキュー…エーちゃん」


 デバイスにマップが出現し、隣町である明坂街への最短ルートである道順が表示され、追加で自転車に取り付けられている後尾カメラの映像が映される。


「……!」


 そこには夥しい数の死体。壊れた人形の様に崩れている光景は普通の人間に吐き気を催すのは当然の事だった。

 一面真紅に染まった道、嫌でも見えてしまう首の断面。生気の籠もっていない肉塊、中には腹部を斬られ内臓が飛び散っている物もあった。周辺のコンビニや喫茶店等もあっという間に破壊され、血に染まった瓦礫が散らばっている。


 地獄としか言いようの無い光景だ。この地獄を生んだ張本人が歩く度に死体が増え続け、より深くこの町が堕ちていく。誰かが叫ぶ度にその声は凶爪によって掻き消される。


 必死にヒュウトが自転車を加速させているとガッシャーンと何かの硝子が大量に割れた様な音が響いた。


「何だ何だ何だ!?」

『どうやら正体不明の黒い鎧が近くのビルに飛び付いたみたいです。最新式の強化硝子が糸も簡単き破られてる。しかも一気に5階へ跳ぶとは。驚異的な跳躍力ですね………』

「感心してる場合か!」


 エーちゃんの言葉に突っ込みを入れるヒュウト。確かに恐ろしい跳躍力だ。映像からは近くにあった全体が硝子張りである小さめのビルに突撃したらしい。一気に5階へ入って、その時の衝撃が周りの硝子を破壊したみたいだ。奴が動けば動く程霧はより濃く、この街に充満していく。


『安心して下さい。中に居る人達は既に避難しています』

「中に居る人達なんて心配してないよ……。エーちゃんは大丈夫?」

『えぇまだ黒い霧の影響は受けていません。』


 化け物はキョロキョロとビルの中で何かを探す様に見渡している。数秒で見つけたらしく、じっと何処かを見つめていた。しかし別の方向を一瞬だけ見てそちらの方へ向かっていく。

 エーちゃんはそれに疑問を覚えたが今は気にしている状況では無い。


『────────。』


 この町から脱出する為に演算を行なっているとデバイスの思考回路が乱れる。彼女の知能が謎のノイズに包まれる。演算結果がバグの様に混ざり合い謎のデータが入り込む。

 猫と犬が混ざりあった様な町を襲撃した黒い化物に酷似した、紅い何か。その他にも理解出来ないプログラムが打ち込まれた。知らないワードが自身を侵食していき溶けて行く。


『Auto Program:Ge────。』


 何かを発した瞬間に元通りのエーちゃんに戻る。彼女の思考を埋め尽くしていたバグプログラムは消え去り、再び演算を開始する。けれども今の状態がどうしても気になってしまう。何時もはこんな事は無い、いや人工知能である自分が今までこうなった事など一度も無いのだ。妙な悪寒が彼女に染み込む。


「GPMはまだ来ないのぉー!」

『…………』

「エーちゃんどうしたの?」

『っ!?いえ何でも有りません。GPMが来るまで後2分です』


 パニックに成っても可笑しくは無い状況で自身の主人を混乱させる訳にもいかない。別に何事も無かった、そう無かったのだ。変なプログラムも見てないし、私の主人の安全を考えていた。


 そう彼女は自分に言い聞かせる。



 GPMが来るまで後2分。それまでにこの町を出るか、あの怪物から逃げなければならない。しかしあの跳躍力を見る限りそれは現実的では無い。新光町は広く全速力でも十分は掛かる。総じてエーちゃんの言う対処法はGPMを抜いたギリギリのライン。


「ここはまだ大丈夫だけどずっと安全とは言えないし」

『そもそもの話、あの化物の情報が一切無いですからね。他国の最新兵器かもしれませんが政府の人工知能がそれを許す筈がありません』

「何なんだ今日は一体全体……はぁ」


 今日は自分の過去について知れるかと思いきや変な幻覚を見てしまうわ、変な生徒に絡まれるは、命の危機に合ったり不幸に不幸が重なった日で散々だ。溜息を吐くのも仕方が無い…と言った所。


 飄々と風を身に味わいながら絞る事すら出来ない体力を使って漕ぎ続ける。未だ死の恐怖は染み付き心臓の鼓動が鳴り続く。もしこのまま自分町が襲われると思うと身の震えが止まらない。


 そこでヒュウトはある事を思い出す。


──九年位前に起こった『光ケ丘事件』で現れたとされる人形猫。 


──被害者全員が首を斬られた事。


──なんせ町一つが跡形も無く破壊され、生存者は子供含めて僅か数名。50万人もの人口がたった一日でそれだけになった世紀の大事件。


 最近聞いた事があるワードが今になって思い浮かぶ。どれもこれも十年前に起きた光ケ丘事件の話だ。それらの内の二つは既に現実に起こってしまっている。

 猫とは言えないが似た容姿の化物は現に存在し、今も人間の首を簡単に刎ねられてしまった。たった数分で強化された町は壊された。アレは一日もあれば町を落とす事なんぞ容易いだろう。


「光ケ丘事件………。何処まで尾を引いてるんだ」

『確かに光ケ丘事件とは共通している事が多いですね』


 だが今関連性を考えた所で意味は無い。


『………!ヒュウト君現在此方に一つの反応が急速に近付いて来ます!』

「嘘だろ!?」


 背後を見てみれば4足で宙を駆ける黒い鎧が居た。ビルの天井を跳び移り、奴の手足が触れる度に瓦礫を生んでいく。

 最初降ってきたのと同じく、ヒュウトの一本道の奥に激突し小さなクレーターを作った。金色の双眸がヒュウトをただ真っ直ぐと見ている。先程とは違い凶暴性が無かったかのようにその足はゆっくりと、しかし踏み締めるように動いた。


「イャオ……」


 一歩一歩進む度、ヒュウトに近付く度にくぐもった声を上げる。黒く長い爪は刃物の様に尖り太陽の輝きを反射し今にも襲いかからんとしていた。猫背のまま、標的に対して一直線に進む様は完全に狩人だ。

 その様相も相まり『化物』と言う合ってはならない存在を確かめさせられる。


ドクンドクンドクン。


 止まらない。止まらない。止まらない。心臓の『震え』が。ヒュウトは生死を彷徨っているも同然の状況に立たされている。


『逃げて!』


 エーちゃんの必死の声が、彼の足を動かさせる。ただ一点、此方を見ている化物に声が出ないヒュウト。怪物の圧倒的な力、人を簡単に殺せる十本の爪。それらは彼の瞳から光を喪わせるには十分だ。

 怪物は機械の様に、それを当たり前だと言わんばかりに標的を殺す為に自らの武器を構える。


 そんな物が自身に向けられる。即ち死に直結するのと意味は同一だった。必死に自転車を動かす。呼吸が乱れても、疲れても走られる。

 全速力なのに、鼻で笑う様に奴はヒュウトとの距離を縮ませた。


『ヒュウト君、其処を右に!』

「分かっ………!」


 生きる為に、生きて自身を知る為に駆ける。けれどもそんな思いは現実の前に、圧倒的な力の前には無力だった。


「…うわっ!?」


 エーちゃんの指示に従っていたヒュウトの体の軸がブレてしまう。幾ら身体能力が低いと言っても何年も愛用している自転車でバランスを崩す事は無い筈。


「嘘だろっ!?」


 電動自転車の後輪からプシューと空気が出る音が鳴った。此処は整備されている道路の上ヒュウトはメンテナンスを怠っては居ない。

 原因はたった一つ、あの化物以外には有り得なかった。

 バランスが崩れた自転車はそれまでの勢いも相まって左側に転倒してしまう。


「──────っ!!!」


 左半身を強く打ち付けられ、鈍器に殴られた様な痛みが走る。走る速さのせいで地面に擦れながら当たったせいか、打たれた部分は皮が剥げ血が紅く滲んでいた。

 何とか頭までは守れたが傷みは深く、ヒュウトを蝕んでいる。声にもならない悲鳴。染み込んでくる刺激に耐える彼に、化物は無慈悲にも殺さんと一歩一歩近づいてくる。


「ぅっ………!」

『ヒュウト君!』


 涙で歪んだ視界に化物が淡く映り込む。一秒経つ毎にその姿は大きくなり、それと同じく死への時間は寄ってくる。本能が死を直感し、肉体から脳味噌に伝えられる。


『イャオ!』


 黒い凶爪が振り上がった。殺すなら楽にしてくれ、と心の中で涙ながら言っている内に結種ヒュウトは死んだ…筈だった。


「ファイヤァァァァ!」


 ヒュウトの吐息以外の音が無かったこの場に空から声が木霊する。空から落ちて来たのは黄色い大文字だった。

 その声の源は空を飛んでいるジェット機からヒュウトと化物の間に着地した。彗星の如く黄色の光の尾を描いた黄色い人型は着地の衝撃波で化物を吹き飛ばす。


「待たせて悪かったニョ。大丈夫ニョ坊や?」

「次は何だよ……」

『GPM、助けが来たんですよヒュウト君!』


 彼の眼の前に現れたニョを語尾に着ける人型は一言で表すと巨人だった。身長は180センチを優に超えており、下から見上げて見えた巨躯は視界の殆どを締めている。全身の筋肉にピッチリと張り付けられている青い服?はスーツなのだろう。部分部分に機械的な物が取り付けられており、ヘルメットと思われる物は化物の鎧と同じ意匠を感じる。

 何より目を惹くのは全身のスーツに流れる青の閃光。全身の鎧の様な物の金属感のある光沢とは対照的だ。


「あ、貴方がGPMなの……か?」


 涙はすっかり枯れ、戻った視界に映る巨漢に畏怖を覚えながらも疑問を呈する。それに対して彼?は腰をくねらせピースをしながら、いやぁね〜〜と此方を向いた。


「それ以外に何があるって言うニョ?ほら〜貴方達〜速く来いニョ!一人はこの坊やを運ぶニョ〜!」

『了解!』


 GPMの戦闘部隊隊長である巨漢、雨森 真也は耳に手を宛ててジェット機に居るであろう仲間に応援を呼ぶ。ヒュウトはその言葉に安心して強張った力が全身から抜ける。

 ジェット機から大勢の青のスーツ姿の人間が出てくる。大半の人間は被害があったであろう各方面に飛び込んでいき、内5人は雨森の元にやって来た。


『只今参上しましたバスター隊長!』


「大丈夫かい君?」

「はい……」

「佐々木ちゃんその子を頼んだニョ!」


 5人の内4人はバスターと呼ばれた雨森の横に二人ずつ並び立った。最後の一人である佐々木は息も絶え絶えのヒュウトの肩を担いだ。間に合って良かった、と言いながら雨森達から離れていく。


 雨森達は再び跳んで来た化物に相対する。各々が拳を構えながら背中のバックパックから武器を展開した。


WウェポンcodeG08:Mjolnir』

『WcodeE05:Thunder Knuckle』

『Wcode01:Energy Sword』

『Wcode03:Energy Schott』

『Wcode04:Energy Spear』

『Wcode05:Energy Knuckle』

『『『Wcode02:Energy Shield』』』


 雨森は両手に黄色い雷を放つ鉄拳を装着し、白く発光する雷を纏った鉄槌を握り締める。彼の部下もそれぞれ青く透明に輝いた剣、盾、銃、槍、拳を装着する。

 彼等が纏う武装、通称エナジーシリーズ。各々の武器に合わせて急所に叩き込めば一瞬で殺す事が出来る殺傷力を持つエネルギー──ディスラプションエネルギーを少量搭載した兵器。人間が触れれば瞬く間にその身を溶かし、崩壊させる地上において対生物で最も効果を発揮する。ディスラプションエネルギーは様々な物質に変換可能の善雄英生の発明した物であり、バスターが扱う雷神の持つハンマーの名を冠する武器から発せられる雷もそのエネルギーが変換された物だ。


 雷がぶつかり合う激しい音を鳴らしながら雷神の金槌の名を持つハンマーを化物に向けた。


「ふーん、貴方が総隊長や博士の言っていた『クリーチャー』……って奴ニョ?十年前の映像の時とは随分姿が変わってるニョが………」


 雨森の言葉にピクリとヒュウトが反応する。クリーチャー、恐らくあの化物の名称だろうか…。生物を意味する言葉だがあの鎧姿はまるで正反対の機械だ。

 クリーチャーと呼ばれた化け物はGPMに対して驚いた様子も、警戒している様子も無く到底命ある者とは思えない。


(また十年前か…。光ケ丘事件の映像は衛星も撮影出来なかったらしいけどあの人達は識っている風な言い方をしていた。都市伝説と言われている十年前の人型猫、クリーチャー。そいつ等が再び現れたことで初めて出動したGPM、十年前から入院している孤児院の大石さん)


 彼等GPMが発した言葉について考えている内に空白だったパズルに雲がかったピースで埋まっていく。しかし肝心な核となるピースが足りない。解を開く鍵は光ケ丘事件の真相が必要だ。


「君意識は保ててる?」

「大丈夫です」

「バスター隊長生存者1名をこれからシェルターに向かわせます!」

『分かったニョ!佐々木ちゃん…じゃ無くてドクター頼んだニョ!』

「はい!」


「さぁこれで気兼ね無く戦えるのニョね!」


 佐々木、コードネームドクターからの通信を受けこれで周辺に一般人は居ない。クリーチャーは彼等が眼中に無いかの様に突っ立ったまま。


 訪れるのは一抹の静寂。

 両者共に互いを見つめたまま。しかし全力で現代兵装の力を振るえる様になった全員が武器をクリーチャーに向けて発破をかけた。それ対してクリーチャーは打って変わり獲物であるヒュウトを今すぐ殺さんとばかり大地を踏みしめる。


「フン!」


 先ずはリーダーである雨森…バスターが飛び上がり白い閃光を放ちながら列車の如くクリーチャーに対してその鉄槌を打ち付ける。高速で振り降ろされるそれをクリーチャーは咄嗟に爪を交差させ上からの攻撃を受け止める。

 重い金属音が木霊すふと同時に雷撃がクリーチャーに襲い掛かる。鋭い電気がクリーチャーの全身に走るも難無く鎚を弾き飛ばし横腹に全速力での蹴りが叩き込まれ吹き飛ばされた。


「ニョ!?」


「セヤッ!」


 バスターの渾身の一撃が返されるもそれと同時に出来た隙に横から二人が突っ込んでくる。一人は二刀流、片や槍。洗練された武功から放たれるは避けられる事のない必殺の一撃。


 振るわれた二本の青き剣はクリーチャーの胴と腕を切り裂き、槍は首を討つ。ゴォンと重量感のある轟音が鳴り響く。しかしそれすらも弾き終えた両腕で防ぎ切るクリーチャー。


「グホッ!」「ガァ!」


 左右を武器を握り締めたクリーチャーは隊員ごと振り回し蹴りの一撃を喰らわせ瓦礫の元へと弾き出す。直ぐ様背後に回り込んだエナジーナックルの使い手である一人が両手を合わせながら拳を振り下ろした。


『イャオ……』


 けれども面倒くさいと言わんばかりに無駄の無い動きでクリーチャーに避けられ回し蹴りを返され先の二人と同じく外野へ飛ばされてしまう。


 くぐもった声で何かを言っている中そこへ一つの青き閃光が化け物の頭部に撃ち込まれる。しかし顔が傾げられただけでエナジーショットの銃弾は弾かれ効果は一切無い。


「嘘でしょ!最新型のエナジーショットなの……!?」


 一発を撃ったであろう女性隊員は自身の手に持つ銃に対して驚くも、次の瞬間には黒い光沢が映り込んでいた。数メートルはあった距離は一瞬にしてゼロに返った。

 エナジーシールドを展開出来ず、悲鳴を上げる暇も無く、化け物の爪が振り翳される。人の首を触れただけで簡単に斬れる刃は容赦無く、それでいて平等に襲い掛かった。

 現代の科学技術を詰め込んだスーツすらもクリーチャーは切り裂く。肩に掛けて凶爪は彼女の肉体をスーツ毎傷付ける。


「キャァァァァ!」

『イャオ』

「良くも、良くもやってくれたわね!」


 いつの間にか自身を超え抜き隊員を傷付けたクリーチャーに対して怒りを顕にさせる雨森。しかし彼はそれと同じく自身の無力さへの怒りがあった。隊長であるにも関わらず攻撃は弾き返され可愛い部下は容易く蹴散らされた。

 己は守る事も出来無いまま仲間がやられていくのを武器を握って倒れているだけ。

 そんな事は赦されない。一人の『人間』として、隊長としてあってはならないのだ。


「フンッ!」


 持っている武装を最大出力にさせクリーチャーを滅さんと鉄槌から拳、全身へと閃光を、激雷を走らせる。バチバチと今にも破裂しそうな雷を出し、地面を焼き付けた。サンダーナックルは煙が出て身が壊れんとしていても尚雷を放出する。

 腕からニョルニルに伝わった最大の雷をクリーチャーに向けて地面に叩きつける。折り曲がった白い閃光の柱は音を置き去りにしてクリーチャーに襲い掛かった。更にもう一発、絶えることなくバスターはニョルニルを振り回し激雷の一閃を繰り出す。


『イャオ!?』


 流石のクリーチャーは光線の如く何重にも重なり合った雷撃には驚愕し避けようとするも、雷撃の方が圧倒的に速くクリーチャーへと襲い掛かる。

 鎧に電撃が走るもクリーチャーへの決定打とは成らなかった。ビクついた様子は見せず自身を攻撃してきた敵を見つめる。


 バスターは攻撃が効いていない事も気にせず全力でニョルニルを振るう。クリーチャーもまたバスターを無視出来ず爪で弾き返す。弾き返されればまた光速の速さで叩き返す。


「隊長だけに良い格好はさせられないっす!」

「貴方達!」


 バスターが奮闘している中瓦礫の中に吹き飛ばされた面々が息を吹き返しクリーチャーへと攻撃を仕掛ける。槌を、剣を、槍を、拳を、弾を、何度も何度も眼の前の敵に振るう。クリーチャーは難無くそれを交わし、その度にカウンターを御見舞する。


 鉄槌と黒爪の攻防が何度も繰り返される。しかし物事には常に終わりがある。クリーチャーはあるがままなのに対してバスター達GPMのガジェットは機械。先に根を上げたのは、当然バスター達だった。


「嘘だろオイ!?」

「不味いニョ!」


 ガジェットの最大出力を強引に行使し続けた結果、武器はその身を砕かせる。ニョルニルは無事なものの雷撃は使えず唯の鉄槌に成り下がってしまう。頼れるのは応援か、自身の拳のみ。

 現代兵器を以てしても尚押し負けていたのだ。武器が無ければ勝敗は目に見えていた。それでも彼等は立ち向かわなければならない。




「グホッ………」


 バスターのヘルメットから黄色いスーツには似合わない紅い液体が流れる。彼の目の前には地に付し、全身を紅く染め上げ地に伏せる仲間達。闘いはクリーチャーの勝利だった。いや、闘いと言うには余りにも一方的過ぎた。武器の無い自分達にあの鎧を打ち砕く術は無い。この状況がその事実を真っ直ぐに顕していた。


 唯一意識があるのは雨森のみ。けれども時間が経つに連れて意識は遠退いていく。最後に彼は呟いた、今逃げているであろう佐々木に対して。


「逃げて佐々木ちゃん……」


◆◆◆◆◆


「隊長……隊長?」

「どうかしたんですか?」


 クリーチャーの元を離れたヒュウト達はシェルターに向かって歩いている途中だ。ヒュウトの怪我は佐々木の持っていた簡易医療キットで一応の応急処置は済ませ、今彼の左半身は包帯が巻かれている。歩ける様にもなった。

 現在、シェルターまでの道中佐々木が雨森に連絡していた。しかし雨森からの返答は無い。その事が佐々木を焦らせる。


「バスター隊長が通信に出ない。さっきの場に居た皆にもか……。相当不味いな。シェルターまで行くのにまだ時間が掛かるし他の隊員は避難誘導を行っているだろうしね」

『…………』


 どうやら相当不味い状況らしいとエーちゃんは佐々木の言葉から察した。頼みの綱であったGPM、しかも隊長がやられてしまった。更に言えば現代兵器が通用しないと言う事だ。どうするべきかと考えていた所、その場に居た全員に衝撃が走った。

『イャオ………』


 雨森達の壁を容易く突破したであろうクリーチャーがビルの間から高速で駆け抜けて来た。その双眸は唯一直線にヒュウトへ向けられていた。鎧であっても獰猛な、獲物は逃さないと言わんばかりに凶器を構える。

 考えうる上で最悪の状況になってしまった。佐々木は雨森に連絡がつかない時点で薄々察してはいたが打つ手が無い。この子が標的かと気づきどうにか状況を脱出しようと考える。


「君、一人でにげれるかい?」

「はい…ってそれは!?」


 自分を囮にしてヒュウトを逃す。それが佐々木の出した答えだった。正直に言って無謀に等しい。明らかにクリーチャーはヒュウトを狙っていた。ならば彼を置いて佐々木は逃げるべきだったのだ。

 ヒュウトはそれを最善手だと考え置いていかれるのを承知で言葉を返したつもりだった。しかし佐々木は最悪の選択を選んでしまった。


「何言ってるんですか!?早く俺を置いて逃げて下さい」


 ヒュウトを離してクリーチャーの方へと向き変える佐々木。

 ヒュウトはクリーチャーの強大さを認識していた。幾ら現代兵器が有ってもあの正真正銘の『怪物』には勝てないと。

 彼の心からの叫び。命の恩人でもあるGPMの人達の一人である佐々木に死んで欲しくは無かった。自分が死ぬのは確かに嫌だ。けれどもそれでは二人共死ぬだけ。


「…………」


 彼の意思は変わらずヒュウトの言葉に返答する事なく勝てる筈の無い化け物に対して拳を握る。それを見た彼に出せる言葉はこれ以上無かった。


 現実は時として非常。

 何かをできる事は無く逃げ切れるかどうかも分からない。ヒュウトは唯眼の前にいる男の背中を見ている事しか出来無いのだ。そしてに彼は言った。


「これはGPMとしてもだけど僕個人としてであるんだ」


「僕は僕のやりたい事を貫き通す」


 その言葉がヒュウトの脳にある記憶を呼び覚ました。化け物を初めて見た時と同じでモザイク塗れで上手く形取る事が出来ない。何時、何処で、誰が言ったかは分からないがヒュウトの脳裏に深く焼き付けられた言葉が再生された。


────俺は俺のやりたい事をやる。それが俺だ。


「うっ………」

『逃げて下さいヒュウト君!』


 その言葉を機に両手から盾であるエナジーシールドを展開して突撃していく。

 エーちゃんの言葉を耳に入れ、力の限りを振り絞って走り出す。名前も知らない人の思いを、願いを無下にしない為に。

 息が絶え、痛みがまた強く成っても走り続ける。視界がブレようとも、背後から聞こえる全ての音を認識しない様に。


 何度も走っている内に建物の間を抜け一本道から一つの見知らぬ場所へ出て来た。しかし何処も瓦礫だらけである事から既にクリーチャーの襲撃を受けていたのだろう。

 辺りには日常生活では見慣れない大量の死体が転がっている。佐々木はヒュウトに対して近くにシェルターがあると話していた。そこへ逃げ込む為にマップを開きながら向かう、が。


「ハァハァ…さす、がに疲れ、た」

『全力疾走でしたからね』


 傷付いた体に鞭を打って走ったせいで今担ってヒュウトに反動が返って来た。汗は服や包帯に滲み顔は興奮して紅くなっている。彼の体力はもう限界に到達している。

 足は棒になりプルプルと震えている。けれども此処で悠長している暇は無い。佐々木が救ってくれた命を無駄にはしないとシェルターに向かうべく立ち上った。


「それにしてもあの人のやりたい事って人を守る事だったのかな?」

『私もそう思いますね。他人の為に命を投げ出せる人間はそれを望んでいる人間にしか出来ません』


 彼は自身の命を投げ出しのだ。会って間も無い、マトモに話した事も無い人間の為に。家族でも友人でも何でも無いヒュウトを助ける為に。

 それがヒュウトには理解し難い物だった。休息も兼ねて歩きつつ一度頭をクリアにして考えてみる。ヒュウトにとって他人なんて物は生きていようと死んでいようがどうでもいいのだ。


「あの人は俺なんかを助けても良い事なんて何一つ無かったのに」

『彼に損得、と言う言葉は無いと思いますね。誰であっても彼は困っている、若しくは死にかけている誰かの為にその身を動かし続ける。ああ言う人を一般ではヒーローと呼ばれるのでしょう。


────少なくとも私は彼に感謝こそすれどヒュウト君が生きていてくれて良かったです』


 エーちゃんの言葉は嬉しいが何とも言えない気持ちに成ってしまうヒュウト。

 あの時二人共も助かると言う手段は無かった。もしも、と言う有りもしない事を考えても意味は無いと言うのに。

 兎に角シェルターに急がなければならない。答えは出ずとも後でも出来る。



「此処がシェルター……か」

『入りましょう』


 鈍い銀色をした頑丈そうな四角い施設の前にやって来たヒュウト。シェルターの周辺すら死体で溢れ、使われた形跡等は見られない。

 この中は日本で一番安全と言われているのだが入れなければ意味は無い。シェルターに取手は無く一般のデバイスを使って認証され始めて開く。通常時はあけられないがこう言った緊急時にはデバイスさえ有れば誰でも入れる。


『Shelter code:G2yu8n0n…………Error』


「っ!?」


 デバイスを赤くLOCKと書かれている解除パネルに翳してみるも一向に開けられる様子は無い。何度やっても扉は開かず中には入れなかった。

 緊急時と認識されていないのか?と考えたが既にニュースと成って避難指示も勧告されている。今日に限って故障かよと内心舌打ちをするがここに居る理由はもう無い。

 不幸中の幸いと言うべきか新光町は広く先端の町と言う事もあってシェルターは数多く設置されている。それを当てにこの場を離れる。


「うっ……」

『大丈夫ですかヒュウト君?』


 むせ返るくらい死の匂いに充満されたこの場に横たわる死体を避けながら歩いていく。シェルターの周りであるからか逃げて来て殺された人間が多かったのだろう。

 どこを見ても一面死体だらけ、視覚も臭覚もこの有様の中に晒すとなると頭が可笑しくなってくる。吐き気は止まらず腹の中の物が出そうになってしまう。口を手で抑えながらも別のシェルターを求めて地獄を踏み歩く。


『周囲に一つだけ生命反応が有りますね』

「まさかっ!?」

『いえ先程の化け物では無いと思われます。反応は一箇所に留まっておりあの瓦礫の中に有ります。奇跡的に上手い具合で瓦礫が重なったのでしょう』

「って事は生存者」

『そう思って宜しいかと』


 エーちゃんのカメラが映した瓦礫へ向かっていくと、啜り泣く少女の声が聞こえた。彼女の言う通り奇跡的に生き残った生存者の様だった。

 一歩一歩血生臭い匂いに脳を壊されない様に瓦礫の元へ歩く。


「ぐすっ……ひぐっ」

「大丈夫…です、か?」


 鳴き声の源に声を掛けるも返答は無い。声帯や瓦礫の大きさからして子供なのだろう。

 瓦礫の中に閉じ込められた、そんな状況ならばパニックに陥ってしまっても仕方無い。どの道少女を助けるには瓦礫を退かすしか方法は無いのでヒュウトは手を掛ける。


『……その子を救けるよりも、速く逃げる事を推奨、します』


 そんな彼に完璧なAIは待ったを掛けた。自分でも何してんだろと思いながら、ヒュウトは上の瓦礫を転がしていく。頭脳明晰な彼女の言う通りにした方がよっぽど良いのだろう。

 けれども、助けてくれたあの人の背中を思い出すとどうしても見捨てる事は出来ない。

 エーちゃんは決して見捨てるとも、正しく無いとは言わなかった。彼女はどんなAIよりも優しいAIだ。少女の命が失われると思うと痛ましい気持ちに成る。でも、主人の命には変えられなかった。

 しかしその主人がそれを望むのであれば彼女もまた、肯定する。

 ……分かりました。唯そう言ってヒュウトが死なないようにと願うばかりだ。


「ふんっ……!」


 全身に力を入れて瓦礫を退かし続けると中に居た子供が見つかった。小学4、5年生位のピンクのワンピースを着た紺色の髪でツインテールの少女。

 しかし怪我を負っているらしく靴下は紅く滲んでいた。これでは彼女の一人では出られないので中へと足を入れていく。

 ヒュウトの気配に気付いたのか少女は涙を流しながら目の前の赤いパーカーを見た。


「ぐすっ……ぐす……だ、誰?お父さん?お母さん?」

「誰でもないよ。俺は…えっーと名前は結種ヒュウトで立場的には逃げ遅れた人……かな?」

「?」


 少女の問に初対面、しかも小学生に自分の正しい紹介の仕方が分からず適当に答える。脚を怪我して立てないであろう少女を担ぎ上げ瓦礫の中を脱出する。

 自分を抱き上げるヒュウトを見て少女は泣き止んだ。自分以外の人間が居たからか、若しくは人肌に触れたからか、何方にしても彼女にとって安心出来る事に変わりは無かった。涙を拭っていた手はもう無くなり離さないようにとヒュウトの背中へと回す。

 外は、お父さんとお母さんは何処にいるんだろうと気になって辺りをキョロキョロと見ようとするも、それはヒュウトの手によって防がれた。


「何するんですかヒュウトさん?」

「んー。今は安心して目を瞑って眠った方が良いぞ」


 ヒュウト達の周辺は小学生の少女にはとても見せられない肉塊の数々が所構わず転がっている。それに少女は「お父さん?お母さん?」と両親とは逸れているのかもしれない。

 瓦礫の一部とその下は紅い液体で染まっていたし、もしかしたら周りにある死体の中に、彼女の両親が居るかもしれない。逃げている、確かにその可能性はあっても低過ぎる。


 何れにせよ、彼女は辛い現実を知る事になるだろう。だけど今だけは、安全な所に行くまでは何としてでも避けなければならない。そうヒュウトは考えて自分のゴーグル型デバイスを抱き抱えた少女の頭に巻き付ける。


「良いか?それは絶対に外しちゃ駄目だからね」

「?…はい分かりました」

『……ヒュウト君』


 エーちゃんはヒュウトの意図を理解したのか少女の視界に映る死体を見えない様に処理を施した。今の彼女の視界には瓦礫と壊れた街並みしか映っておらず人っ子一人居ない。

 不自然に思われるが皆避難したんじゃ無いと言って誤魔化す。


「お父さんとお母さんは何処?」

「………お兄さんには分からないや」

「そう、ですか」


 今はこうして濁す事しか出来ない自分に少しの罪悪感を覚えつつ次のシェルターへと向う。

 肉塊を避け、靴を血で汚しながらも生き抜く為にエーちゃんの指示を受けながら必死に建物の間を抜けていく。そうして走っていると少女が徐ろに口を開いた。


「そう言えばまだ私の名前を言って無かったですね」

「別に良いよ。見知らぬ人に名前何か話すべきじゃないし。家族でも友達でも何でも無い赤の他人に」

「でもヒュウトさんは見知らぬ私に話してくれました」


 そう言われたらヒュウトは言い返せない。彼自身少女の名前なんてこれっぽっちも気にしていなかった。話し掛けてくる少女はちょっと気分が可笑しく成って助けただけなのだから。ヒュウトは別に困った人の為に手を差し伸べる様な人間だとは思えていない。何時も彼だったら見向きもせずに通り過ぎていただろう。

 しかし現にヒュウトは少女を助けてしまった。


「私の名前は真奈、柊真奈です」

「そ、良い名前なんじゃない?」

『ヒュウト君!』

「えへへ、そうですか?お父さんとお母さんが着けてくれた名前何ですよ」

「…………。」


 彼女の名前を聞いても適当に返したヒュウトにエーちゃんは怒るが少女、真奈は嬉しそうに顔を緩ませた。それに対してヒュウトは真奈の言葉を聞いて表情を暗くする。真奈はそんな様子に?を頭に浮かべた。


「────────本当に不幸、だな」

「何がですか?」

「いや、何でも無いよ」


 真奈は正真正銘唯の一般人だ。何処にでも居る、今日偶々事件に巻き込まれてしまっただけの子供だった。今日は両親と遊びに来たのだろう。意気揚々と両親と逸れる前の事を話してくる。

 それを聞く度にヒュウトは真奈に両親の事をどう話せば良いのだろうと分からなくなってきた。彼女の両親が死んだと決まった訳では無い。しかしあの惨状を見てしまうと希望的観測など出来ない。


 家族を、大切な誰かを失う事は悲しい。それはヒュウトだけじゃなくて真奈だって同じだ。きっと真奈は両親の死を知ってしまったらその花の様な笑顔は砕け散るのだろう。

 ヒュウトは真奈も、他人も自分と同じ気持ちを抱くと実感してしまった。


「─────はぁはぁ、着いたぞ」

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないです……」


 情けなくも息が切れて壁に背を垂れる。彼らは先程見た物と全く同じ外見のシェルター抱きかかえた真奈を降ろし周辺にクリーチャーが居ないか様子を窺う。気味の悪い声は何処からも聞こえず真奈に着いているエーちゃんも周辺に反応は無いとのこと。

 ホッとした様子で座り込みシェルターの扉に近付きエーちゃんがロックの解除に試みる。しかし結果は同じだった。赤いパネルの姿は何をやっても変わらない。突き付けられた事実は彼を絶望させるには十分すぎる。怒りを露わにし扉に拳を叩き付ける。


「いってぇ!!!」

「ヒュウトさん……」


 余りの硬さに悶絶するヒュウト。右手の指は赤くなり痛みが襲い掛かる。痛みを抑えながらどうすれば良いんだ、と毒づく。ここから次のシェルターまでに掛かる時間はエーちゃんの予測だと20分以上。何時クリーチャーがヒュウトの場所に辿り着くか分からない。仮にシェルターに着いたとしても『また開かなかったら』と疑心暗鬼が彼の心を蝕む。


『仕方が有りません。シェルターに向かう以外に手が……』


 表情を暗くさせながら再び真奈を抱き上げ宛ての無い逃走に出る。小さな足取りで、とぼとぼと靴を汚していく。顔を俯かせただ赤い紅い肉塊を見つめる。

 そんなときだった。今日一番の不幸が降り立ってしまったのは。

 なぜ黒猫が通り過ぎたり、鴉が漆黒の翼をはためかせ不吉を、不幸を運ぶのだろうか。黒い物にはそんな呪いが付きまとうのだろうか。

 くぐもった声を漏らす者はこんなにも死を、不幸を押し付けてくる。何事も無かった様に琥珀色の瞳を向けてくる。宝石の様に煌めいている筈なのにどうしても、濁っているみたいで仕方なかった。


 開いた口が塞がらない。刺すように漂う匂いも、必死に叫ぶ誰かの声も入っては来なかった。体に吹き付ける風と内側から流れる恐怖だけがヒュウトの中を埋め尽くす。


『イャオォ…………』


「嫌、誰か助けて!」

『ヒュウト君!』


 呆然と立ち尽くすヒュウトに呼び掛ける二人。その声は彼の耳には聞こえない。完全に生気を失った顔をしている。何時かの様に瞳から光は失われ壊れた様に呼吸だけを繰り返していた。最早抵抗する思考すら失ってしまうヒュウト。

 クリーチャーは立ったままのヒュウトへと襲い掛かる。一瞬にして両者との距離は無くなり、何人もの首を葬って来た爪が漸く標的に振るわれた。クリーチャーはその鎧の下に獰猛な笑みを浮かべているだろう。

 やっと殺した、と。しかしそれは間違いだ。クリーチャーとヒュウトの間に白い何かが割り込んでくる。突然現れた何かはヒュウトを自身の身体毎吹き飛ばす。


「きゃあ!」

『今度は一体何が……!?』

「………。」


 横から物体が勢い良くぶつかった事でヒュウトと真奈がバラバラに成ってしまう。ヒュウトは白い人型と共に瓦礫の上を転がり、真奈は離れた場所に押し退けられる。それでも尚ヒュウトは立ち上がる事なく空を見上げていた。そんな彼に突撃した何かは姿を露わにする。

 エーちゃんはいち早く謎の襲撃者を視界に映すと驚愕した。


「ご無事ですか?ヒュウト様」

「…クロ、ノ?」


 視界に映り込んだ者は見慣れた顔をした変わった服装の黒髪の少女。

 ヒュウトの危機を救けたのは、彼のこの世で一番大切な家族だった。この場に現れた彼女を見た事で彼の表情は光を取り戻す。しかしそれは困惑と合わさって帰って来た。


「その姿、は?」


 クロノは何時もの黒い服では無く、それとは正反対の白いドレスを着ていた。右手には見た事が無い白く輝く剣。左手には銀色のトランクケースが握られている。


 彼女の美しい黒髪と呼応する様に黒のラインが引かれた純白のドレスは風に揺られてそのスカートを棚引かせる。ドレスの上に取り付けられていた金属の軽鎧が合わさってさながら女騎士を思わせた。


「本当にクロノ、何だよな…」

「それ以外に誰が居るのですかヒュウト様?」


 家族の出会って初めて見る姿に頭がこんがらがってしまうヒュウト。そんな彼にクロノは何を言っているんだと疑問を抱く。彼女は服装とは別に今までと全く違うのだから。何故なら、


「いやだって、」


 彼女の表情が日常で見る様な明るい顔では無くて、機械の様に冷徹な顔なのだから。

 口調も堅いような、他人行儀と言うか、距離がぽっかりと空いてしまったみたいで何処か虚しい。ヒュウトはそんなクロノに微かな既視感を覚えた。まだ幼い頃会ったばかりの、何の感情も持っていない機械人形の様な。それではまるで決められた事と言われた事しか出来ない昔の彼女だ。


「ヒュウト様今すぐこの場所を脱出します。私の背中に捕まって下さい」


 戸惑っているヒュウトを置いて無機質な瞳で言うクロノ。しかし彼女の言葉をヒュウトは納得出来かねていた。無論クロノの言っている言葉は真奈とエーちゃんを見捨てる事と同義だった。


「ちょっと待ってくれ」

「待てません。このままではヒュウトの命が危険です」

「いいから聞いてくれ!」

「…!?」

「うわっ!」


 ヒュウトがクロノの肩を掴んで説得をしようと試みると彼女の持っていたトランクケース毎押されてしまう。再び尻餅をついた彼の耳に重い金属音が鳴り響く。

 瞼を開けてみればクリーチャーの黒い爪とクロノの白く輝く剣がぶつかり合っていた。キリキリと火花を散らしながら拮抗する。互いに全身へと力を込め武器が揺れ合う。

 歯を食い縛りながらも全身に力を込めてクリーチャーの爪を跳ね返す。


「ハァッ!」


 削れ合う音を宙に散らしながら、クリーチャーの爪を弾きながら一歩一歩前へと身を進めるクロノ。弾かれようと幾度と無く襲い掛かる爪を剣で捌きながら攻防一体の刃を振るい、クリーチャーの鎧へと一閃を斬りつける。


 空気も震撼する剣戟に思わず恐怖も驚愕も忘れて息を飲むヒュウト。目で追えてはいるものの何が起こっているか分からない。


 放たれた刃は光速で振るわれる彼女の剣技によって何重にも重なり、残像すらも見える白い閃光を生み出しクリーチャーを押し退けた。

 相手に反撃の隙すら与えずに見事にクリーチャーに打ち勝ったクロノ。しかし彼女の額に一筋の汗が流れる。


『イャォ……』


 流石に危険だと判断したのか後退して距離を取るクリーチャー。クロノは剣のきっさきを敵目掛けて構える。しかし彼女はクリーチャーに致命傷は与えられていない。精々掠り傷程度、と敵を見て察する。このままではジリ貧で全員死ぬかと思ったのか後ろに居るヒュウトに話し掛ける。


「もう一度聞きます。私と二人で逃げましょう」

「悪いけど、それは出来ない!」

「…………ヒュウト様、貴方は其処の少女と人工知能を助けたいのですか?」

「ああ…!」


 クロノの問に打って変わって戸惑い無く答えるヒュウト。そんな彼の反応にクロノは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。だがそれは笑みに変わった。やっぱりヒュウト様はヒュウト様だ、と誰にも聴こえないように小さく呟いた。


「そうであるならば、そのトランクケースを開けて下さい」

「わ、分かった」


 側にあるトランクケースを開けて中を見てるとそこには真紅の剣と一対の掌に収まるくらいの赤いアンプルがあった。一本一本色は同じでも見た目が違い、片方は赤い猫の影絵とCatと刻まれた文字、もう片方は同じ赤い犬の影絵とDogと刻まれている。


 ヒュウトはそれを手に取って何処かで見覚えのある形だと感じた。アンプルを手に取ると同時に右腕に嵌っている腕輪が紅く輝きだしレバーが引っ込み透明なカバーが動き二つの空洞を露わにする。


『Gene Union Reactor SET UP!』

「何だ何だ!?」

『It's been a long time, my master. Have you forgotten about me since ten years?』


 突然輝き出し喋り始めたリアクターに驚くヒュウト。その様子を横目で見ていたクロノがヒュウトに告げる。


「それの使い方はもう分かっている筈です。リアクターもアンプルも元々貴方の物です。それをどう使うかはヒュウト様次第です。私に決める権利は有りません。ですのでヒュウト様のお好きなように御使い下さい」

「使い方なんて俺は何にも……っ!?」


 リアクターに手を触れると頭痛が起こってしまう。ジンジンと響く残響に頭を抑えるが、直ぐにその手は落ちた。ダランと両手がぶら下がり死んだ様に俯いた後決意が固まった様に真っ直ぐと唯一直線にクリーチャーの方へと向き変える。

 何かを思い出した様に彼の雰囲気は一変する。穏やかだった彼の目から凍てつく様に鋭い目に成り、今にも殺さんとばかりにクリーチャーへと睨み付けた。


「──────」

『ヒュウト、君……』

「ヒュウトさん?」


 無言のまま一歩一歩クリーチャーとの距離を詰めて行くヒュウト。左腕の包帯は外れ、怪我が何も無い死人のように白い肌を晒す。豹変した彼の様子にエーちゃん達は驚き、出せる言葉も出せなかった。

 クロノは自身の横を通り過ぎていくヒュウトを見て小さな笑みを浮かべている。その顔の下にあるのは安心か、期待通りの答えを示したからか。どちらにしても彼女の感情は歓喜に満ち溢れている。


『イヤォ!』

「や、やぁ、た、助けてぇ!」


 それとは対照にクリーチャーは一歩、また一歩と真奈に迫っていた。足を怪我している彼女は動くことも不可能。少女の小さな叫び声と、助けを求める声が木霊する。

 そしてそれは同時に起こった。

 

 彼は両手にあるアンプルをスイッチを押したのは。


『Cat!』『Dog!』


 刻まれた文字を、描かれている絶滅動物の名前を叫ぶアンプル。それと同時にアンプルは赤く輝き始めヒュウトの左右に光が放出される。赤い煌めきは二重螺旋を描き出し、根のように絡み合い形を成していく。人一人の大きさになったそれは四肢を光の中から突き出した。

 右側には紅い毛を逆立て爪を見せる真紅の猫。左側には牙を剥き出しにしじっと紅い瞳を向ける深紅の犬。両者、ジーンモデル達は共にヒュウトを守る様に囲み、クリーチャーへとただならぬ敵意を向けている。


「行くぞ……オマエラ」

『ニャアァァァ!』『ワァァァァン!』


 ヒュウトの呼び掛けに呼応する様に天高々と咆哮する二匹。歓喜の声を上げ己の主人の周りを駆け回る。

 それと同時にヒュウトの瞳も髪の色も紅く染まっていく。血に塗られた様に染め上がった姿は着ている服も相まって恐怖の感情を真奈達に抱かせる。

 瞳の瞳孔は獣の如き縦長と成り本能を剥き出しにしてクリーチャーを睨み付けた。

 握っていたアンプルをリアクターの空洞に2本とも叩き入れ構える。


『Cat Gene!』『Dog Gene!』

『Union Drive!!!!』


「結合……!」


 静かに、それでも力強く呟く。自身の姿を、運命を、全てを変える呪文のろいを。

 左手のリアクターを正面に構え、レバーを思い切り引き下げる。勢い良く掲げられたリアクターはその光でヒュウトを照らし上げ、絡み付くように二重螺旋は包み上げた。駆ける二匹も纏わりつく様に一体化していく。


「…………。」


 光が止んだ時そこに居たのは唯の少年では無く刺々しい真紅のパーカーを身に纏った怪物だった。肌の見えていた所は赤い毛皮が包まれ、一本の剣が納刀されている腰からは毛に覆われた長い尻尾。両肩には流線型の猫と犬の顔がある。

 茶色い髪は紅に変わり、猫の様で犬の様な耳の様に尖った髪型をしていた。顔は何も変わっていないものの印象が大きく変わっている。

 何より目を惹くのは牙のように尖った爪だ。クリーチャー程では無いにしても大きい刃。それを確かめる様に掌を見つめる。


 新たなる生命の誕生を祝福する様にリアクターは軽快な音と共に声を上げ。


『THE Gene Uinon NEAR ONE!! 』


 彼の名はジュニオン。二つの遺伝子を結合させて誕生した新たな生物。人類の叡智と欲望が織りなした人間に次ぐ化物。


『あ、あれは一体……』

「ヒュウトさん、なの?」

「さぁ其処の少女はデバイスを此方に渡して下さい。変わり此方を渡しますので」

「は、はい…」

「ヒュウト様!」

『投げないで下さいクロノ様!』

「……………」


 クリーチャーがヒュウト、いやジュニオンに魅入られている間にクロノは真奈の元にデバイスを渡す様に呼び掛ける。代わりのデバイスを渡しエーちゃんをジュニオンに投げ飛ばす。

 彼女がその行動に嘆くが誰もその声を耳に入れる気は無かった。


 無言のままゴーグルを受け取り装着するジュニオン。エーちゃんはヒュウトに呼び掛けるも彼はそれを無視してゴーグルでクリーチャーの様子を観察する、が。


『ヒュウト君どうし、どうした…どうし、tattttttt』

「…………」

『Mode Gene Uinon.を開始します』


 ジュニオンがゴーグルを装着した数秒後何やらエーちゃんの様子が可笑しくなる。発させられる音声にはノイズが走り様子が変わった。ブルブルとその身を震わせ形を歪ませる。

 ガチャガチャと騒がしく金属音を鳴らしゴーグルの形を変形させ、変形したデバイスは再分化され顔の輪郭に合わせた物と成る。


『結種ヒュウト、戦い方は分かっていますね?』

「いや、忘れた」

『………………今すぐ基本戦闘術をインプットしますので一秒以内に理解しろ』

「理解します………!」


 流れて来た情報を一瞬で理解しクリーチャーを倒すべくその驚異的な身体能力を振るう。

 今までのクリーチャーと同じ様に地を踏み上げ宙を跳ぶ。放物線を描く紅い流星は目の前の敵に蹴りを顔面に御見舞いする。


『イャオッ!』


 突然襲って来た標的の一撃を避けれず蹴りを頭部に当てられ後ろへ倒されてしまう。

 しかしそれだけでは止まらない。蹴った直後に着地したジュニオンはもう片方の足で蹴りつける。弧を描いた蹴りは再びクリーチャーの顔へ勢い良く貼り付いた。


「まるで自分の身体じゃ無いみたいだ……!」


 クリーチャーは距離を離され瓦礫の中へと転がっていく。土煙が辺りを包みダメージがあるかどうか確認出来ない。

 そんな中ジュニオンは自分の異常な身体能力に対して驚く。両手を覗いて確かめる様に開いて閉じてを繰り返す。ついさっきまでは息を切らしていた身体はすっかり元通りになり全身に力が漲ってくる。


 言葉通りに自分の身体では無くなってしまった様な感覚が刷り込まれる。しかし今はそんな事を気にしては居られない。砂煙を爪で切り払ったクリーチャーがジュニオン目掛けて走り出す。


「行くぞぉ!!!」

『イャオッッッッ!!!』


 先程まで機械の様に行動していたクリーチャーは初めてその感情を剥き出しにした。ジュニオンの言葉を理解したかどうか最中では無いが声を上げて威嚇し爪を向けて突撃してくる。それに対してジュニオンも同じく爪を構える。

 空いた距離は一瞬にして消え去り重い衝撃が槍となってジュニオンを震わせる。カタカタと互いの爪は震え、刻み込もうと弾くも弾き返される。


 流星の如く襲い掛かる爪の形をした刃。クリーチャーは今まで通りの殺し方で首を切り裂こうと迫る襲い掛かる凶爪を避け、一閃を斬り込むも鎧によって掠り傷程度にしか成っていない。体を回転させ腕を振りつつクリーチャーの背中に回り込む。すかさずに背中にもう一撃を入れる。二発の衝撃に体を前に倒れかけるも仕返しとばかりに回し蹴りがジュニオンにヒットする。

 肺から空気が押し出され身体が飛ばせる。瓦礫の山にほおりこまれ岩石の破片が食い込む。皮膚をえぐりドボドボと血が溢れ出る。


「カハッ!!!」


───クソッ!しくった!


 背中から全身に流れこんでくる痛みを抑えながらも体を起こし正面を見やる。


『イャォ!!!』


 目の前には両腕を構えて突進してくるクリーチャー。鎧の下から見える琥珀色の瞳はジュニオンの首を見据えていた。このままじゃ殺される、ジュニオンの生存本能が傷付いた体を動かした。

 咄嗟に左に避け、飛び掛かってきたクリーチャーの攻撃をかわす。


『少々厄介、と言うより打つ手無しと言った方が正しい』

「対処ッ、法は無い、のか!」


 敵の攻撃に掠り、血が流れつつも再び攻撃を仕掛ける。しかしどうしてもクリーチャーの鎧によって攻撃は阻まれる。中に居るであろう本体を叩き殺すには鎧を壊さなければ成らない。

 エーちゃんが必死に小さな結果から2千にも及ぶ演算をするもそれの結末は全て失敗に終わる。


 止まらぬ斬撃を避け、弾き小さな隙に一閃を叩き込む。小さな衝撃は出るものの同じ爪を以てしても破壊は困難。

 身体の軸を一撃毎に変え捻らせて動くも岩を相手にしているようでまるで意味を為さない。


 徹底的に殺そうと言う殺意のぶつけ合い。常人には目で追えぬ殺し合い。高速で打ち放たれる攻撃が交差し肉薄する。有無を言わさぬ刃はじりじりと彼の精神を削る。

 何度も何度も己が凶器を振り回し続け体が圧迫する感覚に陥る。


「いつまでこんな、事をっ繰り返せば、良いんだ!」


 動かぬ状況に苛立ちギリギリと歯を食い縛るジュニオン。そもそもこの姿について余り知らないのであれば折角の力も意味が無い。

 ただ乱雑に腕を振るっても全力は出せない。この姿の時の何時かの記憶が頭に浮かび上がり、そうだと伝えてくる。もっと己の武器を生かせと体が叫んでくる。NEAR ONEの形態はこんな泥臭い闘い方ではなくクリーチャーをも凌ぐ素早さと柔軟さ、何よりも爪でもある牙で斬り裂く。それがこの姿の最大の闘い方だと映像が証明した。

 その光景が何かは分からないが途端に自然と体が馴染んで来る。エーちゃんがその思考を理解し演算を書き換えた。結果の全てがジュニオンに伝わりクリーチャーの攻撃パターンが読まれる。同時に彼の瞳孔は見開き、視界はスローモーションの様に時を歪めた。

 結ばれた遺伝子はヒュウトの肉体、思考すらも塗りつぶしその本能は闘争へと掻き立てられる。


『……!!!』


 クリーチャーも同じくこの状況に痺れを切らしジュニオンを殺すべく今までで一番速い斬撃が振るわれた。

 瞬間、彼の体の動きが変わった。ただ弾いて避けるしか無かった赤の怪物はクリーチャーの股下を素早く抜け出る。体を捻らせ瞬足がクリーチャーの足を襲い、体のバランスを崩させた。目の前にいた敵が消え去りクリーチャーは前へと倒れかけてるも持ち前の身体能力ので跳ねて防ぐ。


「ニャワァァァァァァァァァァ!!」


 しかしその隙を獣が逃す筈も無く。腕を交差し大地を蹴り上げ紅い彗星となりクリーチャーへと激突する。両腕の刃を放つもの決定打には成らない。ならばと再び地を跳ね何度でも斬り付ける。

 クリーチャーが距離を取れば四足で瓦礫の上を駆け回る。壁を疾風の如く走り視界の中心に居る敵に向かう。


 ジュニオンは動く度に加速しその姿を時の中に置き去りにしていく。繰り出される斬撃は振るわれる度に光を帯び徐々に鎧へ傷を刻む。

 彼の猛攻は止まらず、クリーチャーは為す術もなくその黒き鎧を宙に浮かせていく。

 爪に宿る紅い光は際限無く輝き、溢れんばかりの刃を作り出す。その刃に全身の力を込め敵を討滅さんとしクリーチャーへ必殺の一撃が振るわれる。


「ワァァァァン!!!!」

Pain Edge Terminatペインエッジターミネイト!!!!!!』


 リアクターの掛け声と共に解き放たれた十の紅刃は光の尾を引きクリーチャーの頭部に叩き込まれる。ジュニオンの刃が黒い鎧に罅が入れた。漸くマトモに鎧へダメージが入る。この勢いを止める理由は無く、とにかく牙で打ち砕く。

 先程以上の豪速で駆け回る爪はクリーチャーのありとあらゆる部位が引き裂かれる。腕、脚、胴体、止まる事なく襲い掛かった刃は黒の鎧を完膚無きまでに叩き壊した。罅割れていた鎧はボロボロと引き剥がされていく。中の姿は逆光によって見えないがここまで来たら関係無い!

 止めの一撃を決める為天へと高く飛び上がる。


「お前の終末は、俺が結ぶ!」


 そう叫び、四肢をぶら下げ宙に浮くクリーチャーの胸部に必殺の拳を突き刺す。紅く輝く拳は胴体にヒット。クリーチャーは肺を圧迫され建物の麓に飛ばされていく。


「やったぜ……っうわわっぁぁぁ!」


 達成感に打ち震え小さく笑みを浮かべるも彼の居る場所は空中。どんなに時代が変わろうとも彼が住む星は変わらず、当然落下する。


「いやぁぁぁ股関がヒュッてしたよぉぉ!」

『うるさいですね。勝利の余韻にも浸れないのですか?』

「その前に落下死だよ!?」


「ヒュウト様!」

「おおっ!」

「あっ」


 空中で乱回転するも地上で待ち構えていたであろうクロノがジュニオンをお姫様抱っこの形でキャッチする、が高速で落下する人一人を綺麗に収まる筈も無くクロノ毎地に身体を着けてしまう。


「い、痛い」

「す、すいませんヒュウト様。でも速く、退いてく、ださい」

「ゴメン」

『締まりませんね』


 目が周り頭がズシンズシンと揺れるも何とか立ち上がりクロノに肩を貸す。互いにフラフラに成りながらも飛ばされていったクリーチャーの方へ目を向ける。

 そう、鎧を砕いたからと言ってクリーチャー自体を殺した訳では無いのだ。外側である鎧があんなにも強いのなら中身もきっと強力な筈。


「ん?何だコレ?」


 取り敢えず体制を立て直す為にこの場を離れようとするも空中から長方形の黒い物体が落ちてくる。何か機械的なデザインがありガジェットの様な物だと推測する。しかし戦闘で遣うような武器の様相はしておらず明らかに違う物体。

 ジュニオンはそれを拾って調べよう、そう思って歩こうとするが真奈やエーちゃん、この場に居る誰のでも無い別の声が響いた。


「ハハハハ。《黒騎士の災厄ブラックアームドディザスター》を砕くとは。まさか不安定ながらもこれ程とは思わなかったぜ。でもまぁこれも予測通りだったのかな?」

「次から次へと今度は何だよ」

「気を付けてくださいヒュウト様。相手人間では有りますがこの危険地帯に乗り込み、あのクリーチャーの事も知っているようです十分に注意を」

「……分かった」


 ジュニオン達の眼の前に現れた人間は黒ずくめの服装をした男だった。顔はピエロの仮面で隠し姿を現さない。明らかにクリーチャーに関する事を知っている正体不明の人物。

 紅い怪物に向けてクリーチャーの鎧を破壊した事を拍手する謎男。その様子を見て鋭い獣の目つきになるジュニオン。


「まぁそんなに睨むなよ『ジュニオン』」

「ジュニオン?」

「オイオイオイ。自分の事も知らずにそんな姿になってたのかよ?本能のままに暴れるその様、何も変わっちゃいないな。相も変わらず硝子みたいな奴だぜ」

「?意味が良く分からん。1から10まで全て話してくれ」

「ヒュウト様あんな不審者が話す訳……」

「あれを壊した褒美に教えてやるよ」

「………………」

「じゃあ先ず、光ヶ丘事件を起こしたのはそこの化物か?」

「ああ、あれとは違うが十年前にこの地を地獄に変えたのは間違い無く『クリーチャー』さ」

「クリーチャー……。それと今の俺、『ジュニオン』って言うのは何だ?」

「ジュニオン、異種遺伝子結合生命体。要は二つの生物の遺伝子を結合させて人間をベースに作られた生物って訳さ」

「それは本当の事なのか?」

「当然。誰の得にも成らない唯の基礎情報で嘘をついてどうする?」

「フムフム異種遺伝子結合生命体………だから猫と犬なのか」

「そう。そしてジュニオンとはあの……」

「ちょっとそこまではアウトだよ。黒ずくめのオッサンさん」

「何者だ?と言うかお前も黒ずくめだろ」


 クロノが黙り込みジュニオンが質問をし謎男が答えているとそれを遮る様に新たな謎の人物が瓦礫の上に座っている女性の声が耳に入いる。此方は黒いパーカーに黒いスカートと謎男と同じく黒ずくめで顔はフードに隠れて良く見えない。ただ背中には夜空の様な色をした煌めく弓を背負っていた。

 謎男が知らない辺り彼とは何の関係も無いのだろう。


「名乗る訳無いじゃんオッサンさん。仮に名乗るとしたって名無しネームレスが妥当でしょ?」

「チッ。計画外の面倒臭い輩が出たな。やっぱり現実は上手く行かないってこった」


 やれやれと首を振って黒の女性を見て呆れる謎男。ジュニオン達もまた変なのが出たと気を緩めずにジュニオンは爪を構え、クロノは白剣を左手に持つ。そんな態度の彼女は両手を慌てて振って待ったを掛けた。


「待って待って!今日私は貴方達と殺し合いに来た訳じゃ無いからね!」

「じゃあこの場を茶化しに来たってんのかネームレス?」

「そうだよ。オッサンさんが変な事喋りかけたから殺っちゃおっかなって」

「コイツ……雰囲気の割に言動が一々物騒だな」

「逃げよ………」

「そうですね……」


 二人で勝手に会話を繰り広げているので建物に隠れて居るであろう真奈を回収してこの場を離れようと背を向けず後ろ足で退散するも黒の女性がジュニオンを引き止める。

 そんな彼女に目を細めて立ち止まるジュニオン達。エーちゃんはただ黙って黒ずくめ達を観察していた。


「私はね今日……………をじゃ無くて、赤い人。貴方を誘いに来たの!」

「誘い?」

「いや別に食って掛かろうって訳じゃ無くて一緒にきてほしいって言うか……」

「信用出来る訳ないだろ」

「怪しすぎますよ」

「仕方無いじゃんこんな状況で顔なんか出したら今の時代ちょっと頑張れば簡単に特定出来ちゃうし。でも赤い人が来てくれるって言うなら貴方だけに見せて上げるけど」

「なら断る。知らん奴の顔と自分の身を比べれば考えるまでも無いだろ」


 きっぱりと彼女の誘いに断るヒュウト。当然、情報も何も無い相手に着いていく事なんて出来ない。何より彼女はずっとジュニオンとクリーチャーの殺し合いを見ていたのだろう。そして人智を超えた力を、ジュニオンを簡単に倒せる力を持っている2違いない。でなければ一人で付いて来いなんてそんな余裕は見せもしない筈だ。

 そして彼女はヒュウトに対して甘い誘惑を掛けた。


「じゃあさ、十年前の『光ケ丘事件』の真相、もっと言えば貴方の過去を教えるって言ったらどう?」

「………………!」

「私は知ってるよ。十年前のあの日なにか起こったのか。まぁそんな事は貴方にとっては『どうでもいい』事か」

「何が………言いたい」

「だから、貴方がどんな人間だったのか、何をしたのか。そしてその腕輪、何故貴方がそんな怪物に成れるのか。全部全部覚えてる。そしてそれを私が教えて上げるって言ってるの」

「乗ってはいけませんヒュウト様!」

「分かってる…………っ!」


 悪魔の囁きは時として天使の言葉にも聞こえる。けれどもその結末は何時だって悲惨な物だ。魂を引き換えにする程の価値は無い。

 だけど、知りたい。

 十年掛けても知る事の無かった過去の自分。更に彼女はこの腕輪、もっと言えばジュニオンの事も教えてくれると言う。本当に知っているのか確証は無い。だけど彼女はヒュウトが記憶を失っている事を知っていた。

 彼が幼少期の事を忘れているの話したのは家族と北見のみ。だが北見とは身長や体格が違う。よって彼女は何らかの形で本人の知らぬ間に関わっていた。その事実が彼を動揺させる。


「それで、どうするの?」

「……………………」


 足をリズム良く振り回し余裕の態度を取る彼女に下を俯き顔を顰めるヒュウト。それを横でじっと冷えた目で見つめるクロノ。隣に居る彼女を見て決意を固める。


「十年前の俺を、知ってるって言ったよね……」

「そうだよ〜!私の元に来る?来る!?」

「着いていくのは俺だけか?」

「そうそう!貴方以外は何にも要らないの!そこのヒューマノイドや人工知能、そのジュニオンも!」

「要するに過去か、家族かって事?」

「うん!」

「じゃあ答えは決まってた」


 ヒュウトの言葉を聞いて嬉しそうに脚をばたつかせる彼女を彼は前を向いて己の意思を告げる。


「俺は自分の過去より家族と一緒に居たい。離れるなんて真っ平御免だ」

「ヒュウト君……」

『───────。』


「ハハハハハ!どうやらお嬢さんの告白は見事にフラれちまったみたいだな!」


「……………………」


 黒の少女はばたつかせていた足を止め天を見上げる。そんな彼女の様子に謎男はゲラゲラと笑う、がそれも直ぐに止んでしまった。フードで顔は見えないがその表情の想像は容易につく。


 訪れたのは静寂。ジュニオンはただ少女を見ているだけだった。掛ける言葉も無ければ、もう話す事も無いのだから。

 けど一つ気掛かりなのは背に背負っている一張の巨大な弓。恐らくただの弓では無く現代兵器。GPM以外の所持は禁止されているのだから持っているのは可笑しい。あれを使われたら勝ち目が無くなる可能性の方が高い。


「あーあ白けちまったぜ。ジュニオン、俺はアレを回収して帰らせてもらうぜ」

「待てっ!!………っ」

「いけませんヒュウト様!」



 気を張っている内に謎男はクリーチャーが飛ばされた方へ姿を消していった。その後を追おうとするもクロノに止められてしまう。

 顔を顰め、去っていた場所を見つめる。が、視界が歪み意識がグラつく。見える物が正常に映らず平衡感覚が消え去る。

 その彼の様子を見て帰りましょうとクロノが言い、互いに肩を貸しながらその場を後にする。

 そんな彼等を怨めしそう見つめる、紅い瞳に気付かずに。


「───────。」


 何処を見ても酷い惨状だ。転がる物全ては形を無くし、元に戻る事は無い。辺り一面に広がる死体を気にせず彼女は口元を三日月に歪ませる。どうでもいいやと己が恋焦がれて止まない存在を脳裏に焼き付ける。

 無言だった少女は変わった様に身体を揺らす。最後にこんな言葉を残して。


「────絶対に」


────逃さないからね■■■■■。


 ヒュウトは意識が遠くなる中、そんな言葉だけが通り過ぎていった。


◆◆◆◆◆


 日本のとある街、光ヶ丘。地上の星空の様に輝く夜景、その中心部分には天を貫く様に聳え立つ塔があった。恐らく光ヶ丘で一番目に付く建物だろう。何処より美しく汚れ一つ無い煌びやかな塔。夜にもなればその全身はライトアップされ一層輝きは増す。

 その塔はある一つの目的で建造された。名前は『光ヶ丘GPM本部』。国家組織であるGPMの本拠地であった。


「ニョルちゃん大丈夫かい?」

「……………………ニョ」


 塔の中にある一室。真っ白なベッドや様々な医療器具が置いてある如何にも病室の中といった様子の部屋。そこで一人の男性と女性が会話をしていた。一人はベッドの横で椅子に座る白衣を着たツインテールの女性、もう一人は包帯を巻いてベッドに横たわる髪の毛にピンクのリボンを着けた大柄な男。言うまでもなく戦闘部隊隊長のバスター、雨森だ。その体躯に反して顔の表情は暗い。


 理由は勿論、彼が引き連れていた部下の事だった。初めてのクリーチャーとの戦闘。強力な生物兵器と聞いてはいたがあそこまでとは思わなかった。現代兵器を以てしてもクリーチャーの圧倒的な力には手も足も出ず惨敗。

 意気消沈した雨森に彼らが辿ったその末路を女性は口に出す。


「死傷者6名、内5人は死亡。死体、装備共に回収済み。君のニョルニールはオーバーヒートを起こし、故障の整備、改良は必須」

「ごめんニョ」

「貴方の謝る事じゃないわ。クリーチャーの実力を把握出来ずしっかりと武具を調整出来なかった私の責任」

「博士…………」


 博士と呼ばれた女性は二つに別れた輝く金髪を揺らして資料を見つめる。表示されている字面を悔し気に読みながら声に出す。そんな彼女の顔を見て雨森は俯く。

 彼女の名前は金澤 友奈。GPMが誇る最高の技術者だ。GPMが所持する兵器は設計から制作まで全て彼女が編み出している。類稀な頭脳で幾つもの発明を生み出し、今回彼等が使用した武器やスーツも彼女が考えた物。

 しかし今日出現したクリーチャーによって完膚無きまでに敗北させられた。その後クリーチャーは姿を消したらしいが現代兵器によっての撃退では無い。

 だからこそ悔しいのだ自分の作った装備では足りずに仲間を戦死させてしまった事が。


「そう言えばあの子、助かったのかニョ……」


 友奈が沈んでいると雨森が先程の事を思い出す。


「…あの子って?」

「佐々木ちゃんが保護して逃げっていった高校生位の子ニョ。全身赤い服を着てたニョ」

「佐々木君はシェルターの方向へ行った後クリーチャーの方へ引き返してた」

「だけど其処で佐々木ちゃんは死んでしまったニョ」


 悔しそうに呟く雨森は包帯を巻いている拳を握り締めた。血が滲む程握るも仲間が死んでしまった痛みに比べれば何でもない。相手を甘く見ていた体調である自分の失態。そのせいで仲間は死んだ。ただその死という事実が彼を苦しめる。

 友奈は掛ける声も無いまま雨森を見つめた。彼女の予想では佐々木がシェルターに向かわせたであろうが直ぐにクリーチャーが元の場所に戻っているのが確認されたので死は確実。生きていれば奇跡だ。普通の人間ならば。


「多分その子も助かっていないと思う。あの移動スピードでは一般人は逃げ切れない」

「分かってるニョ…………」


 暗い顔をしている彼に友奈は切り替えて真っ直ぐに視線を向ける。


「悔しんでも何も生まれないよ。どれだけ無力感に打ちひしがれようとも生まれた結果は、皆の死は変わらない」

「……………」

「冷たい事を言うようだけど私達はこの組織で入った時点で死ぬ覚悟なんて出来てる。そして今日、死んだ。当然の事なの。全てを救おうなんて初めから無理。必ず何処かでこぼれ落ちちゃう。それが仲間であっても。それは何時の時代であっても変わらないの」


「─────────。」


「だからこそ、それを無駄にしちゃいけない。どれだけの人が死んでも私達は生きている人を助けるの。自分の命を賭けても。ニョルちゃんだってその気で此処に入ったんでしょ?」


 彼女の紡ぐ言葉に雨森は顔を上げる。友奈の瞳は悲壮感漂う物ではなく決意に満ちていた瞳。何処までも真っ直ぐな翡翠の瞳が彼を射抜いた。

 仲間の死は変わらない。だけど諦め切れない。どれだけ不条理が、理不尽が襲ってこようとも誰かの死なんて認められない。彼は元々困っている誰かを助ける為にこの組織に入った。

 けれど彼女はそれを踏み越えるしか無いと言った。自分さえも、誰かの命を救う代わりに死ぬのだと。


「………ニョ」


 雨森は友奈の言葉をただ受け止める事しか出来なかった。そんな彼に友奈は空気を変える様にパンっと手を叩いた。


「話を変えるけど次回以降クリーチャーが発生した場合、新人を出すからね」

「新人って………博士が保護した子、だったニョ?」

「そう。本人がどうしてもって言うからね。私は止めとけって言ってるのに。まぁあんな殺意見せられちゃったらなぁ」

「その新人ちゃん、例の特殊兵装使える子ニョ?」

「そう。善雄英生が作った十三本の星の名を冠する剣。持った者の身すら滅ぼす封印された禁忌の兵器───星光のステラーソード

「その中の一本を新人ちゃんは使えるニョね?」


 星の名を冠する禁忌の兵装──星光の剣。善雄英生が作った全部で十三本ある剣。十年前、GPMが作られたと同時に作製された物。エナジーシリーズと同じくディスラプションエネルギーを使用する。だが、星光の剣は友奈が制作したエナジーシリーズよりも遥かに多い量が使われていた。エナジーシリーズは元々ディスラプションエネルギーを人間が安全に使えるようにと開発された物であり、その原因となった星光の剣はスーツを通り抜けて装備した者の肉体を再生出来ぬ程に破壊される。過去にそれを装備した者は例外なく死亡した。

 エナジーシリーズの何倍ものディスラプションエネルギーは橙色に変色し持った者に生地獄を味わせる。強大な力と引き換えに身を滅ぼす姿は正しく禁忌の剣。よって封印は余儀なくされ、製作者本人の手によって持ちうるべき者以外は触れることすらできない様にとロックが掛かり今も厳重に保管されている。何故処分されなかったのは、姿を消した製作者が『何時か、星光の剣が必要になる時と力を欲しこの剣に相応しい者が現れる』と言葉を残し、封印という破壊不可能の仕様がなされたことによる。

 事実、現状は人間に合わせたエナジーシリーズはクリーチャーに通用せず星光の剣のみが通用する兵器となったしまい、それを手に出来る人間も現れた。


「ていうことは」

「そう、その子は単独行動を余儀なくされるよ」

「武器がピーキー過ぎるニョ……」

「しょうがないよ」

「因みにその子はどんな子かニョ?今度配属される新人は博士が引き連れた子としか聞いてないニョ」

「言ってなかったっけ?」

「言ってないニョ」

「そうだね。新人は『七星 橙乃』って高校生位の女の子で…………」

「お、女の子だったニョか!?男の子が良かったニョ…………」


 友奈の言葉を聞いて落ち込んでいた自分を騙す様にしょんぼりとする。雨森の態度に友奈は苦笑し七星 橙乃の顔が映ったホログラムを彼に見せる様に表示した。映り込んだ顔に雨森は驚く。


「可愛いニョ。でも怖い顔してるニョ」

「でしょでしょ。本人のももっと柔らかくしろって言ってるのに聞いてくれなくて」


 二人がそう語る表示された少女の顔は人形の様な整えられた顔をしていた。十人居たら十人は振り返るであろう容姿。夜空の様に暗くも美しい大きな瞳、肩までかかった白いようで黄金に輝く髪の毛。とてもGPMに入る様な娘とは思えないほどの美少女だった。画面越しでも分かる様な殺意を帯びていなければ。

 少女は無表情の様な顔に見えて何処か何かに対して怒りを抱いているようだった。そう談笑していると友奈の後ろに一つの影が刺した。


「友奈、誰の顔が怖いと?」


「ヒィッ!!!!橙乃!?何時からそこに!?」

「あなた達が私の話題を話し始めた時位です。友奈、そんな私の容姿なんてどうでもいいですから速く私の特訓に付き合って下さい」

「こ、この子があの禁忌の剣を…………」


 件の少女について話していると部屋に御本人が現れた。自分の顔を隠すように深く被った黒い帽子に前を開いた空色の長袖パーカー。黒いスカートとタイツの間には死人の様にまっさらな肌。表示されたホログラム以上の美しい容姿とぶっきらぼうな態度を出して。本部に初めて姿を見せた橙乃に驚きを隠せない雨森。彼女は禁忌の剣を振るえるとはとても思えないほど華奢な女の子だった。ポケットに手を入れて堂々と立つ姿は帽子の鍔も相俟って彼女の遥かに大人である雨森を震撼させた。


「と、特訓って何ニョ?」

「ん?あぁ特訓って言うのは私が造った戦闘マシーン30体相手に鉄剣一本で戦ってるの」

「博士の造ったあの凶悪な機械でかニョ!?」


 GPM内において最高峰の頭脳を持つ友奈の訓練用戦闘マシーンは悪名高くその名を隊員に轟かせている。その戦闘マシーンとは人間より一回り大きく全身に刃物を取り付けている。巨体の癖に機動力が異様に高く並の隊員ではあっという間に追いつかれ、鋼鉄の巨体がチェーンソーや鋸が一斉に襲ってくるというトラウマを植え付ける物だ。自信満々に挑んだ者は瞬く間にその心を折られ漏れなく初心い帰って鍛錬に励んだそうな。

 そんな代物を自分の目の前に立つ少女は何でもない鉄の剣で大群を相手にしたというのだ。雨森ですら一体撃破するのがやっとだと言うのに、彼は驚きを隠せない。それに橙乃の特権である星光の剣は使っていないのだ。


「あんな玩具では到底化け物には勝てる様な力は得られません!もっと歯応えのある、殺すか殺される生死の感覚が味わえるものでなければ、あの家畜以下のゴミ共を抹殺出来ない……………………」


 そうクリーチャーに対して憎悪を抱く様に隠し切れない殺意を曝け出す。年端もいかない少女が出せるとは思えない殺意を浴びせられ背筋が凍り付く二人。特に友奈は白衣の襟首を捕まれ引きずられてしまう。今の彼女の姿は歳に反して鬼に引きずられる子供だ。

 雨森は目に映る高校生に圧倒される女性を見て呆れてしまう。彼に構うことなく去っていく橙乃を見て何があったのか気になってしまう。彼女の言葉と表情からはクリーチャーを余程憎んでいるのが分かった。だがそれは野暮なのだろう。彼女の問題は彼女の問題だ。橙乃本人が自分の事を話すような人間とは思えない。


「ニョ」


 疲れた体を癒す為に来たというのに今度精神的に疲れた感覚に襲われてしまう。次は今回の様にはしないと誓って瞼を閉じた。





「子供みたいに泣きわめいているのなら自分で歩いてください」

「歩かせてくれないのは橙乃ちゃんのせいでしょ!」

「こうした方が速いからですよ。貴方がトボトボ歩くより私が引っ張った方が速い。とにかく友奈、貴方の、人間の鳴き声は耳に響いて不快ですので黙ってください」

「ひ、酷い…………」


 医務室を出た後橙乃h地下にある友奈の私室に向かう。誰も使わない友奈の実験室は私室の隣にありそこで彼女は訓練を行っていた。普段は友奈の自室に住み込みひたすら剣を振るい引きこもっていたのだが今日現れたクリーチャーによってそうはいかなくなった。久しぶりの地上だが関係なく自身の目的のために友奈を引きずる。

 戦死者が出たことにより本部内の空気は暗い。廊下に立つ隊員は俯きショックを隠せないでいた。中にはピリピリしている者もおり皆一様に雰囲気は最悪だった。

 そんな内部を堂々と歩く橙乃。隊員は初めて見る顔に違和感を覚え、あんな奴居たか?と橙乃をそっと見るも直ぐに視界から外してしまう。


「……………………ヒッ!!」

「?」

「ほらそんな怖い顔してるから…………」


 自分を隊員の様子を見て疑問符を浮かべる。友奈ははぁと溜息をついて橙乃の顔を見てみる、が本人は何食わぬ顔をして歩く。周りの奇怪な様子に興味すら覚えず自身のやらなければならない事の為にまた一歩踏み出す。


「今日現れたクリーチャーについては外見以外何も分からなかったのでしょう?」

「え、うん。雨森ちゃん曰く黒い鎧みたいで長い爪があるって」

「黒い鎧、ですか」

「橙乃ちゃんが探してるクリーチャーじゃなかった?」

「ええ、私が探しているのは紅い化け物です」

「………………」

「前から思っていたのですが……。友奈は何も聞かないのですね」

「聞いて全部言ってくれる?」

「……………………。誰にも言いたくは無いです」

「でしょ?だから今は聞かないの」


 橙乃の詳しい事情は引き取った友奈も良く分かっていない。親が居ない事と『紅い化物』に執着している。本人が何も話さないので友奈からは特に言える事は無い。無理に聞いた所で今の関係に溝が出来るだけ。

 十年前の事件で起こったクリーチャーの大量虐殺の被害者、と言う訳で無いらしい。義雄が入手したデータによればクリーチャーの体色は茶色。彼女が訳あって追っている紅い化物とは違う。


「どうにかしてカメラに写してデータが取れればなぁ。何でか機能しなかったらしいし。仮に撮れたとしても無理にすればこちらが殺られる。かと言って《星光の剣》の最大出力を出せば相手は木端微塵…………になるかもしれないし。十年前のクリーチャーのデータは善雄が摂って今の武装があるけど」


 友奈はその後のクリーチャーの姿は確認されなかったしと付け加える。雨森に呼ばれた応援が駆け付けた頃には既にクリーチャーは居らず、あったのは人間の死体のみ。初めてのGPMとしてと真の活動で何も得られず終いであった。それを重く見たGPMの隊長は友奈にクリーチャーの記録を優先的にとるよう言われている。


「それをどうにかするのが技術者である貴方の仕事でしょう?木端微塵については出来る様に私がやります、絶対に。出て来る化け物を追いさえすれば目的の奴に辿り着ける。その為に私はこの力を、剣を手にしたのだから」

「…………そうだったね。橙乃ちゃんも目的があって戦う覚悟を決めたんだったね。ううわっ」


 橙乃のは廊下を抜けて階段の前に出る。流石に友奈を階段の上で引きずるわけにもいかないので橙乃は友奈を担ぎ上げる。脅威の身体能力を持つ彼女にとって友奈という重りも階段の段差も意味をなさない。

 地面を蹴り上げ宙を飛ぶ。それを数回繰り返し階段をすっ飛ばす。



「さぁ着きましたよ友奈。とっとと始めましょう」


 何時の間にか友奈の私室を通り過ぎ実験室の前に辿り着いていた。少し喋っていただけなのにもう地下に居た。医務室は地上6階にありエレベーターでもこんな速くには着かない。改めて彼女の身体能力に驚愕しつつもガチャガチャと戦闘マシーンを配置する。実験室はかなり広くどれだけ巨大なロボットが何体居ようとも収まりそうだ。

 そこに橙乃は立ち、彼女の周辺には数十体のロボットがそのみを光らせ佇む。今にも襲わんと武器を構えた。それに対し彼女は珍しく星光の剣を持ち様子を伺う。人に仇なす化け物を滅ぼす絶対の刃。それを彼女は完全に操る。


「いつでもいいですよ友奈」

『心配は要らないと思うけど気を付けてねー』


 友奈はマシーンとディスラプションエネルギーの影響が無い安全なところで起動スイッチを押した。


『ターゲットを確認。対象を排除する』


 耳障りな警報音を鳴らしながら重機が鋼の体で迫り、自身よりも小さい少女に武器を向ける。駆動音を轟かせ数十本のチェーンソーが橙乃に襲い掛かる。

 橙乃は被っている青い帽子の鍔に指を掛け、跳んだ。

 豪速で迫りくる刃を潜り抜けマシーンの頭部に立つ。そこからは彼女の独占状態であった。幾ら来ようとも開放すらしていない《星光の剣》を羽根を振り回す様に一閃を放ち、原型を留められない程戦闘マシーンを切り刻んだ。

 弧を描くように動く刃は的確に関節部分を穿つ。それによってマシーンは動かなくなる。一つ、また一つと蹂躙劇は繰り出される。


『相変わらず綺麗な剣技だねぇ』


 カメラ越しに舞う橙乃を見ながらそう友奈は感心する。彼女が橙乃を保護したのは三年半前、年齢的に彼女が小学6年生、若しくは中学1年生の頃。その時から彼女は有り得ない程の身体能力を振るっていた。

 初めて見た時は大きく驚いた。だがそれと同時に疑問もあった。何故橙乃がそれだけの力を持っていたのか、クリーチャーを恨んでいるのか。彼女は友奈に自身の名前とクリーチャーを憎んでいる事しか教えてはくれなかった。よくもまあそんな子供に《星光の剣》を握らせてしまったのだと過去の自分に文句を垂らす。

 だがなってしまったものは仕方がない。《星光の剣》、クリーチャーに対抗出来る手段を手にするのはそういう事なのだから。


「────────!」


 何食わぬ顔で自分が造った物を簡単に壊されるのは納得がいかないが、彼女の華麗なる剣舞を見ているとそうもいかない。何が彼女をあそこまで駆り立て、何を以て星光の剣の一柱は彼女を認めその身を預けたのか。それはゆっくり考えればいい。

 いずれにせよ真実は知れる日は来る。そのためのGPMであり、此処に居るのだから。



「友奈、数を増やしても意味がありません。もっと速く、より攻撃的にしなければ化け物は殺せません。太陽剣もそう言っています」

「好き勝手言ってくれるぁー。私が丹精込めて作ったのにぃ。それに太陽剣は何も言ってないよ~」

「?友奈には聞こえないのですか太陽剣の声が」

「聞こえないよー。前にもそんな事言ってたけど」

「ええ、この太陽剣アポロセイバーはいつも私に囁きますが」


────────焼き尽くせ、燃やし尽くせ、消し焦がせ、殺せと。


 橙乃はそう言って手に持つ剣の刀身をそっと撫でた。橙乃の中にあるのはいつだって憎悪の炎だ。倒すべきべき敵を殺せと、太陽の様に殺意は膨れ上がる。

 彼女が殺し合いの場に立ち、運命が訪れる日は、近い。


◆◆◆◆◆


 何も見えない。何も感じない。それがヒュウトの何時もの夢の中だった。そう、音も、匂いも、何も無くて全てがどうでも良く成ってしまう。

 だけどそれがヒュウトにとっては穏やかな世界。何も考える必要も無ければする事も無い。

 人は眠ると夢を見ると言うが彼はそれを一度たりとも見たことが無い。起きてしまえさえすれば何も残らず、無という事すらも忘れてしまう。


 けれど今日は何故か違った。

 違う光景が見えた、否見えてしまった。


 地を転がる肉が一つ、また一つと増えていく。それを自分は踏み上げ身体その色に染めていた。


 酷く、身が焼ける様に紅い液体が絡み付いてくる。どんなに離れようとしても追って、追って、最後には飲み込まれてしまう。

 何か触れる感触はグチョグチョと気持ち悪く、吐き気を催す。何処を歩いてもその感触は消えず、牢獄の様にヒュウトを縛り付ける。

 身体の隅から隅へと入り込み中から壊そうと紅い何かが暴れ回る。どれだけ抵抗しようと、抑えようとも身体の疼きは止まず溶けそうに成る。


 壊れかけた所で夢は途切れた。





「……!…ハァハァ………っ!」


 自分の意識を覚醒させ寝ていた身体を起こさせる。汗が今まで以上に流れ最悪の寝起きを迎えた。力が入らずどっと疲れが全身に流れ込む。

 目に見えるのは何時もと変わらぬ部屋。机、本棚、クローゼット、何一つ違う箇所は無く紛う事無くヒュウトの自室だった。

 ふと枕の隣を見てみるとそこに愛用のデバイスは無く、アラーム様の時計が置いてある。指している時間は七時二十八分、日が堕ちている時間帯だ。先程の戦闘から一時間しか経っていない。


「俺は何してたんだっけ?」


 家に帰ってきてからここ数時間の記憶が無くなっている。スッポリと穴が空いたように綺麗に頭から切り取られ、思い出せない。

 ヒュウトは頭を抑え重い身体を起こして一階に居るであろうクロノの元へ向う。


「クロノ……?」

「ヒュウト君どうかしたんですか?」


 扉を開くといつも通りソファーに座って紅茶を啜る黒い服を着たクロノが居た。しかしその姿にヒュウトは違和感を感じてしまう。


「クロノってそんな格好だったっけ?」

「?毎日同じ服を着ていますが。それにヒュウト君だって少し様子が可笑しいですよ。そんな汗びっしょりで……。珍しく腰に変なキーホルダー着けてますね」

「キーホルダー……?」


 クロノに指摘されて腰を見てみると見覚えの無いものがズボンに引っ掛かっていた。紅く十個の窪みが縦に5本ずつあり内2本はアンプルの様な物が刺さっていた。

 それを取り出すとヒュウトに突然頭痛が走った。閃光の様に流れたのは、足に怪我をした紺色の髪の少女、白い剣を振るうクロノ、人を殺す黒い鎧、そして……自身が成った『ジュニオン』と言う存在。


「ジュ、ニオン?」

「?」

「いや、今はそんな事どうでもいい柊さんは何処!?」

「柊さん、あぁ真奈ちゃんの事ですか。足に怪我を負っていたので今は二階で寝てもらってます」

「そっか……」


 クロノの言葉に安心するヒュウト。しかしそれは同時に不安を宿らせる事でもあった。彼女の両親についてだった。死亡したかどうかは現状確認する方法が無い。

 彼女の対応の仕方を考えているとクロノがテレビを見て下さいと指を指した。


『現在新光町の一部では巨大規模の破壊活動が行われた形跡があり辺り一面には死体が転がっており────』


 今流れているニュースは先程ヒュウト達が居た場所の中継が行われていた。テレビに写っているのは変わらず破壊された町並みだった。報道によればGPMの活躍によって人命の被害は最小限に抑えられたらしい。ネット上では『第二次光ケ丘事件』と呼称され多くの人間がこれを話題にしていた。だがクリーチャーについては何も情報が無く、当時の衛星でも謎の電磁波が放たれておりその映像を撮れなかったらしい。だが彼等に助けられた人々のインタビューではGPMの活躍を涙ながら語っていた。これを機にGPMはその名を広めるだろう。

 だがヒュウトが気にしているのはそんな事では無い。被害地域の確認だった。丁度その場所について書かれていたのでそれを目に焼き付ける。


「生存者……0」

「ど、どうしたんですかヒュウト君!?」


 バタリとテレビの前に倒れ込むヒュウト。表情は絶望に染まり瞳の焦点が合わなく成っていた。突然床に手を着いた彼に慌てて駆け寄るクロノ。ヒュウトは彼女に縋る様に呟く。


「ねぇクロノ……」

「何でしょうかヒュウト君?」

「柊さんに俺は何て言えば良いんだ……?」

「?。別に何も言う事なんて無いですよ」

「何でって柊さんをあの死体の町で助けたのは俺達だぞ!?生存者はゼロ、それはあの娘の両親が死んでるって事だ……」

「可笑しいですよヒュウト君。今日は外に買い物に行った後怪我をした真奈ちゃんを連れて家に帰って来たじゃないですか。新光町になんて一歩も踏み入れて無いですよ」

「……へ?」


 彼女の言葉に耳を疑うヒュウト。驚く彼にクロノは何ともないように首を傾げた。あれだけの事が有ったのにも関わらず彼女は覚えていなかった。自身が剣を持ってあの怪物と戦った。そしてヒュウトがジュニオンと成ってクリーチャーとの一部始終を見ていたのだ。忘れている筈が無い。

 何より今ヒュウトが持っているアンプルは彼女が渡したものだ。


「このアンプルはクロノが渡してくれた物なんだぞ」


 震えた手で彼女の掌にアンプルの一本を渡す。それを不思議そうに受け取ったクロノは目を細めた。じっと観察して何なのか確かめる。けれどその目には未知の物に対する反応であり、知っている物の反応は無かった。


「キャット、ですか。変なアンプルですね。こんな物をヒュウト君に渡した覚えは無いのですが…………」

「!?ならエーちゃんは!エーちゃんは何処だ!?」


 返ってきたクロノの言葉に気を荒くするヒュウト。エーちゃんなら全てを覚えている筈、そう思って机に置いてあるゴーグルを手に取り、彼女へ呼び掛ける。


「エーちゃん!起きてエーちゃん!」

『ど、どうしたんですかそんな顔をして』

「ねぇ俺達はさっきまであの場所、新光町に居たよな!」

『?申し訳有りませんがその様な記録は一切有りませんが……』

「嘘、だろ」


 エーちゃんに縋った先にあったのは無かった事にされた事実。エーちゃんの記録は今日新光町に入る前からの記録が彼女の言うとおり全くと言っていいほど綺麗サッパリ無くなっていた。

 その事実に再び表情を暗くさせるヒュウト。すると二階から誰かが降りてくる。今は結種家以外に居るのは勿論一人しかいない。


「あっヒュウトさん無事だったんですね!」

「えっ……あ、うん……。柊さんも怪我は大丈夫みたいだね………」

「柊さんなんて余所余所しいです!真奈で良いですよ!」


 笑顔でそう言ってくる彼女に苦い顔を浮かべる事しか出来ないヒュウト。真奈は名前を呼ぶ様に言うも彼はそれどころでは無かった。


「気分が優れないんですか?」

「えっ……嫌別に何でも無いよ!」

「そうですか安心しました!」


 ヒュウトの態度に疑問を覚えるも本人が何ともないと言うので気にしない真奈。近くのカウンターに置いてあったテレビのリモコンをで慌てて電源を消す。その様子に首を傾げる二人。


「真奈ちゃんさっきからヒュウト君可笑しいんですよ」

「やっぱりあの紅い変なのになったからですか?」

「紅い変なの?」

「えっ………覚えてるの柊さん?」

「忘れる訳ないじゃないですか!」

「だ、だよな」


 そう普通の人間なら忘れる訳が無い筈だ。だが当事者であるヒュウトは少しして思い出し、他の二人に至っては完全に忘れている。もう一度二人に確認してみるも結果は変わらない。何処か、皆が可笑しい。クロノの持っていた道具、赤い化け物に姿を変えることが出来たヒュウト、十年前と同じく現れたクリーチャー。

 運命の歯車は彼らの知らない所で回り始めていた。現状分からない事だらけだ。

 そんな中真奈はもじもじしながら口を開く。


「ヒュウトさん、今お父さん達に連絡も取れないしこんな状況なので…その、この家に泊めさせてくれませんか?」

「あぁ、勿論泊まってもらっていいよ」

「!…………ありがとうございます!」


 彼女の泊めさせて欲しいという言葉に断る理由は無かった。ヒュウトの返答に花の様な笑顔を浮かべる真奈。彼女の言う通り今はもう夜。今日は瓦礫の中に閉じ込められ怪我を負った挙句両親とも会えない。今日ヒュウトが真奈に起こった事を並べると幼い少女には酷だろう。

 それにクリーチャーも殺した訳ではない、これからもう一度出ないとは限らない。恐怖に怯えてあるか分からない自分の家に帰れと言える畜生では無い。


「ささお腹も空いただろうしご飯にしようぜ!」

「本当ですか!」


───彼女にはもう帰る居場所は無い。


 そんな現実を誤魔化す様にヒュウトは食事にしようと提案する。彼はどうしても彼女から真実を遠ざけようと必死だ。今日はどうにも何時もの調子とはいかなかった。顔も知らない彼に助けられて感化したからか、それとも心の中で真奈に同情しているのか。

 ヒュウトは自分の両親に会ったことが無ければ顔も、声も、何も知らない。おかしな話だ。そんな彼が真奈に同情するのは。

 真奈には何れにせよバレてしまう。それでも少女の顔が曇るのは見たくなかった。


「ヒュウト君も疲れているみたいですし私が代わりにやりましょうか?」

「いや手伝ってくれるだけで良いよ」


 二人でキッチンに向かう姿に真奈は違和感を覚えた。何時もと違う感じ、自分の家じゃ無いからというのもあるが自分の母以外が食事を作ると想像すると引っ掛かりは感じてしまう。そして引っ掛かりを無くす為に辺りを見回して問い掛けた。


「そう言えばヒュウトさんにご両親は居ないんですか?」

『はい。ヒュウト君に両親は居らずこうして私とクロノ様と生活しています。ああやって二人で小さい頃から家事をやっています』

「凄いですね。私は手伝いしか出来ないので……」

『人にはそれぞれのペースが有りますから』


 エーちゃんが真奈にヒュウトの事を教えている間にキッチンでは今日の献立について話されていた。彼の手には人参、じゃがいも、玉葱。そして置いてあるのはカレーのルー。ここまで言ってしまえばもう分かるだろう。今晩はカレーライスだ。


「今晩はカレーにするか………」

「またですか。三日前に食べましたけど」

「いいじゃん。味変えるからさ〜」

「ホント飽きませんね」


 ヒュウトの言葉と置いてある具材に苦言を呈すクロノ。彼女が文句を言うのも仕方が無い。ヒュウトはカレーが大の好物であり、彼が夕食を作る時のカレーの頻度は多い。量も量なので2日は三食カレーに成ってしまう。一週間に二、三度あるので彼等の胃にの大半はカレーで埋められる。


 ヒュウトは今日に限って空腹が凄い。起きてからキィキィと胃が叫び、何でも良いからと食べ物を欲している。謎男の言っていたジュニオンとやらの副作用なのかは分からないが食べない事に変わり無い。


『まぁヒュウトの作るのは大半がカレーですけどね』

「ははは……」


「よいしょ、っとと」

「大丈夫ですか!」


 鍋を上の棚から取り出そうとすると体がぐらついた。鍋の重さに引っ張られる様に脚が挫け、危うく転びそうに成ってしまう。

 殺し合いの疲れからか体の軸が定まら無い。右へ左とフラつく。床に手を着けることは無かった物の何処か調子が悪い。


「ヒュウトさんやっぱりさっきので」

『?何かあったのですか』

「えっ…覚えてないの?」


「はぁ、何かダメだ今日」


 色々と有りすぎて脳の許容量をオーバーしている。そうでなければこんな事はそうそう起こらない。

 浮かび上がるのはアンプルをリアクターに装填した時に変わった体の感覚。今は実感が無いが確実に彼の体には何らかの異変が起こっていた。


「取り敢えず作ろ」


◆◆◆◆◆◆


 鍋の中でコトコトと煮たカレーが程良くスパイスの匂いが部屋の中に漂う。

 手に持ったお玉でゆっくりと掻き混ぜていく。具がグルグルと渦を作りその形を崩していく。角張っていた具材は何時しか丸くなり奥底へと沈む。


 それを唯ヒュウトは軀の様な目で見ていた。何時もは何でも無い筈の光景なのに彼の見える物は何処か違っていた。

 プツリと一瞬だけカレーが紅く染まるのだ。鮮やかな黄土色の液体はドロリと煮え滾った血肉となって何度も何度も、まわる。


「ヒュウト君もうそろそろ、ヒュウト君?」


 じっと掻き混ぜ続けるヒュウトの様子を見てクロノは呼び掛ける。しかし返答は来ずまるで彼女の声が聴こえていない様だった。

 焦点の合っていない目で鍋の中を見つめている。クロノの見た事が無い姿に彼女は困惑する。長年付き合ってきたクロノでもヒュウトの今の心情は理解出来ない。


「ヒュウト君!」

「えっ何?何かあったの?」


 肩を揺らして漸く隣で呼び掛ける彼女に気が付く。何事も無かった様に話すヒュウト。あっもう出来てるじゃんと言って鍋を机に持っていく。

 クロノはそんな彼の様子をおかしく思いながらも人数分の皿とスプーンを取り出した。


「柊さ〜ん。出来たよ〜」


「わ〜美味しそうですね!」 


 眼の前に置かれた鍋の中身を除く真奈。キラキラとした瞳で体を揺らす姿は食べたいという思いが伝わってくる。ヒュウトは苦笑しながらも座って座ってと諭し白米が乗った皿にカレーをかける。


「頂きます!」


 エーちゃんを側に置いて席に着く真奈。カレーを美味しそうに食べる彼女を見てヒュウト達も食べ始めた、のはいいのだが…………


「ハム、はむ」

「ヒュウト君もっとよくゆっくり噛んで食べてください!」

「ひゅっくいはべへるお」

「食べながら言われても説得力が有りません」


 ヒュウトが頬を膨らませるぐらいほおりこんでいた。超スピードで飲み込まれるカレーの様は彼の中にブラックホールがあるとしか考えられない。瞬く間に鍋の中身は減っていく。幸いカレーが好きなのはヒュウトだけであり、クロノに至っては飽きている。だが幾ら好きだからといって普段はここまでではない。

 そんな彼を見て真奈は益々ヒュウトの事が心配になった。そんな時だった。ヒュウトの持っていた皿が粉々に割れ、スプーンが砕けはじけ飛んだのは。


■■■■■■


 私を助けてくれたお兄さんはちょっと可笑しな所がある人だ。町で歩いている人たちが着ているような同じ服ではなくて全身真っ赤な服だ。パーカーの下のシャツも同じで果てには靴や靴下も赤色。でも、赤色と言っても少々差異があってズボンは朱色でシャツは紅色。

 それに口調だってあやふやだ。私だって先生の時くらいは変える。だけどヒュウトさんは私でもクロノさんでも両方とも口調が変わる。丁寧だったり荒かったりで色々とあやふやだ。


 何よりさっきの黒い変なのに襲われたときに変身した、あの紅い猫の様な犬の様な怪物の姿。尻尾を振りながら戦っていたのはクラスの男の子が見たらカッコイイって言ってそう。


 兎に角ヒュウトさんは不思議な人。私と話すときは何故か会った時よりソワソワしていたし、現にお皿を割って、スプーンを飛ばしている。

 そしてクロノさんに怒られている。私よりずっと大きいのに何だか子供みたい。


 だけどヒュウトさんがあの暗い瓦礫の中から助け出してくれた。何があったのか分からなくて、怖くて、不安で。お父さんもお母さんもいなくて足も怪我して、何も出来ない私に手を差し伸べてくれた。助けてくれた。

 多分、ううん私は一生このことを忘れないと思う。


「全くヒュウト君は…」

「ご、ごめんなさい」

「ふふふ」


 クロノさんに叱られているヒュウトさんを見てつい笑ってしまう。それだけ私は安心していた。初めて他の人の家にお邪魔させてもらった。結種家の皆暖かくて、心地良い。

 お父さん達に再会したら会わせて上げたいな。


「御馳走様でした!」

「お粗末様でした」


「それでは真奈ちゃん私と一緒にお風呂に入りましょう」

「はい!」


 ヒュウトさんの声を聞いて食器を片付けてクロノさんの元へ向かう。他の人とお風呂に入るのは初めてで少しだけ緊張するけど、同時にワクワクもある。


 ヒュウトさんがソファーに寝転がっているのを横目で見ながら風呂場に向かう。ヒュウトさん食べた後に寝たから牛になっちゃうよ。まぁ成ったのは牛じゃ無かったけど。




「お、大っきい………」

「? この家の風呂場はそこまでだと思うのですが」

「い、いやそうでは無くてですね……あわわわわ」

「さ、入りましょうか」

「は、はい」


 勝手に気圧されるも下を向きながらも入っていく。

 黒い服から露わに成った肢体を改めて見てみる。その黒い髪とは対照的に白く潤っている。汚れ一つ無い綺麗な肌。こんなに綺麗な人があんな剣を持って黒い何かと戦ったと言われても信じられない。


 それからは母の様に体を洗ってくれた。ヒュウトさんと同じ歳の筈なのには何処か母性を感じる。お母さんみたい、とクロノさんに言ってみると「元々私はそう言うヒューマノイドですから」と返ってきた。


 すっかり忘れていたけどクロノさんはヒュウトさんの教育型ヒューマノイド?なんだっけ。ならちょっと私と同じ位のヒュウトさんを知りたい。湯船に肩まで浸かってクロノさんに聞いてみる。


「小学生の頃のヒュウト君ですか……今とそんなに変わらないと思いますよ。中身をそのままに大きくしたみたいな。いやでも今日みたいな大食いではありませんでしたね」

「ふーん。クロノさんクロノさん。ヒュウトさんって何であんなに赤色の服が好きなんですか?」


 あそこまで赤色を見せられたらなんでそんなに執着しているのか気になって仕方が無い。あの変な怪物になった時だって赤色だったし。あの様子だとパンツまで赤色だ。


 クロノさんから返ってきた言葉は至極単純で、ヒュウト君が赤色が好きだから、との事。幾ら何でも全身赤なのは不思議だ。せめて黒色位は入れるだろうし、他の人の目が気にならないのだろうか?


「ヒュウトさんは何かやっていた事はあるんですか?」

「うーんヒュウト君は運動は最悪ですが勉強はそこそこ出来ましたね。あっヒュウト君は絶滅した生物について調べたいって言ってました!」


 絶滅した生物を調べたい……。クラスの男子が恐竜について語っていたのを盗み聞きした事があるがそんなに憧れる事なのだろうか?


「他には、その、交友、関係とかは……」

「ヒュウト君は昔から他人に対しては無関心でしたからね。どうでもいい、どうでもいいって言って周りの視線なんて一切気にしてないですしそれは今も変わりません」

「凄いですね。私なんて周りの目ばっかり気にしちゃう」

「そうでも無いですよ。他人の様子を伺ってしまうのは仕方ない事ですし、大事な事でも有りますよ」

「そうなんですか?」

「はい。ヒュウト君はそのせいで友達なんて一人も出来ませんでしたしね。多少学校での会話はあった様ですが少しで途切れ途切れ。この家のお客様なんて真奈ちゃんが初めてなんですよ」


 ヒュウトさんも友達居なかったんだ…。あんな性格だからもっと友達いそうな人だと思ってたけど。まだ友達が居ない私と同じなんだ。そう思うと何処か親近感が湧いてきた。


「本人は全く気にしていませんがこの先思いやられます。流石に同年代で交友関係位持たなければ…」

「は、はい……」


 クロノさんはヒュウトさんに言っているつもりなのだろうけどガッツリ私の胸にもその言葉が刺さる。お父さん達にも言われたけど友達作らなきゃ駄目かなぁ。

 今になってはもう慣れてしまったし、話し掛けるタイミングが分からない。クロノさんの話から聞くに多分ヒュウトさんは適当に返してある程度は出来るみたいだけど……。


「う、うぅ……」

「どうしたんですか真奈ちゃん」

「ク、クロノさん。わ、私まだ友達とか居なくて」

「小学生の内なら別に居なくてもいいと思いますけど」

「ほ、本当ですか!?」

「但し、中学校で作れた場合ですが」

「と、とほほ……」

「でも真奈ちゃんは人見知りという訳でも話すのが苦手と言う訳では無いでしょう」

「いや、その、他の人の話題とか、分からなくて」

「ふむふむならば─────」


 ヒュウトさんの昔話を聞くつもりが何時の間にか私の事について話していた。しかしクロノさんは相談をちゃんと聞いてくれたし案も色々出してくれる。

 きちんとこうして誰かに相談した事も無かったのでいい機会になったと思う。で、でもそれを活かせるかは分からないけど………。




「ヒュウト君どうぞ」

「おーう」

 

 お風呂から上がってクロノさんがぐーすかと寝ているヒュウトさんに呼び掛ける。怠そうに起きて欠伸を欠いている。あの黒い何かと戦って疲れているみたいだし、クロノさん達も忘れていた。

 本人でも何が起きているのか良く分かっていないのだろう。現に私も良く分からない。


 赤い怪物に成ってから何処か調子が悪そうだ。スプーンを刎ね飛ばすのを普通に見ていたが今思えば可笑しい。食欲だって幾ら何でも凄すぎる。


「ふぁ〜〜」


 大丈夫だろうか?


■■■■■


 湯気が漂う中一人静かにシャワーを浴びる。ザーザーと勢い良く出る水が肌に吹き付けた。全身に透明な雫が流れ、心を落ち着かせる。温かい水の流れ熱くなっていた体を覚まし、思考が働く。

 シャワーを止め彼は鏡に写る自分を見つめた。何時もと、何も変わらない結種ヒュウトの姿。外に出ていないせいで焼ける事の無い白い肌、色素の薄い茶色の髪。

 そう、変わらない、ずっと変わらない筈だ。


「──────」


 だけど何処かオカシイのだ。確かに今日は色々な事があった。訳も分からず怪物に襲われ、誰かも知らない人に助けられ、真実をその眼に映す事の無い少女。

 少々当たりが強くなった人工知能、機械の様に冷徹になった大切な家族、では無く騎士。

 あの化物について知っているらしい元凶と思わしき謎の男、己の知る由も無い事を憶えていると言った黒服の少女。


──何より怪物になった自分。


 その時から身体の調子が悪い。空腹に突然襲われれば、皿を打ち壊し、スプーンを叩き壊した。

 自分は運動能力が一切無い。そんなのは本人が一番身に染みている。だからこそ見えない内に何か変わっているのだ。握力が大してない彼に鉄のスプーンなんか折れない。プラスチック製ならまだしも金属を折るだけの力はヒュウトは持ち得なかった。


 ふと左の掌をじっと見てみる。見た目に変化は無い。だけど知らず内に、自分の身体は自分のでは無いような気がして仕方が無かった。

 クロノも、エーちゃんも何も無かったと言った。そう何も無かった、どれだけ否定しようとも両腕のリアクターが非日常を証明する。


「考えても仕方が無いか……」


 兎に角今彼に出来る事は何も無い。ジュニオンも過去の自分もリアクターも、知る手段は自ら切り捨てた。その選択に後悔なんて無い。少女の事を思うと尚更だ。彼はかけがえの無い家族へ手を伸ばした。正しいとか間違えとかじゃ無くて、それが良かったんだ。


「ハァ…………。これからどうすれば良いんだろう」


 湯船に浸かり天井を見上げる。今こうしている間にもあのクリーチャーとやらは襲ってくるかもしれない。そうなればまた、今日の地獄が再現される。

 飛び交う頭部、弾け飛ぶ血、死体がぞろぞろと横たわる光景が。

 思い出すだけで吐き気が込み上げてくる。殺された人は気の毒だ、ヒュウトはそう思っただけだ。死にたく無い、死にたく無い、そんな悲痛な言葉を聞いても所詮は他人。

 とっくに関心と言う文字が消え失せたヒュウトにとってはどうでも良い。別に彼を助けてくれた男の様にヒーローに成りたい訳でもないし、ヒュウトだって唯の高校生。


「そもそも何でこんなリアクターは俺に着けられているだよ。誰がこんな物……どうして俺はこれでジュニオンに成れたんだ?」


 幾ら疑問を呟こうとも答えは返ってくる筈も無かった。ヒュウトの気分とは裏腹に窓から見える月は淡い光を放っていた。





 風呂から出た後クロノから疲れているみたいだから寝ろと言われたので素直に言う事を聞いて自分の部屋に戻る。ベッドの上に横たわり布団を体に掛けた。すっと瞳を閉じ明日からどうするか考える。


 まだ今日は金曜日で明日は土曜日、休日だった。たった数時間でも今日起こったあの殺し合いは濃密で長く感じた。実感は無くても記憶がそうだと言い張る。


 そんな事を考えているとあっと何かを思い出した。


「病院、行かなきゃ……」


 すっかり抜けていた目的を思い出し、バッと布団を退けて起き上がる。今日帰りに寄り道したのは病院に行って大石に話を聞かなければ成らない、のだが。


「今日あんな事有ったのに病院に行ける訳ねーだろ」


 流石に幾ら離れた場所であんな事が起きれば行く気も失せる。そう思ったヒュウトは直ぐに倒れ込む。溜息を吐いて瞼を閉じて睡魔に身を任せる。


 暫くすぅすぅと穏やかに寝ていると閉じていた扉が開いた。デバイスに表示されている時間は既に十二時を回っている。こんな時間にクロノが起きてくる筈も無いだろうし、幽霊に至っては存在しない。


「誰ぇ……?」

「ご、ごめんないヒュウトさん起こしてしまって」

「何だ柊さんか。ふぁ〜〜。どーしたのこんな時間に?」


 部屋に入ってきたのは真奈だった。着ているピンクのパジャマはクロノのお下がりだろう。枕を握り締めて不安そうにヒュウトを見つめる。


「その、眠れなくて」

「あっそうすっか。おやすみ」

「えっ、えっ今のは布団に入れてくれる展開では」

「もう眠いから入るなら勝手に入って〜」


 いつも通り適当に答えると細々と真奈がスペースを開けたヒュウトの横に入った。すぅすぅと寝息をたてている彼に彼女はそっと背中に手を宛てる。その熱を確かめる様に頭を添え、口を開いた。


「少しだけ寂しかったんです」


 誰に聞かれる訳でも無く勝手に呟く真奈。そんな彼女にヒュウトは目を覚ました。


「……ならクロノの元に行けば良い」

「クロノさんよりヒュウトさんの方が安心するから、です」


 後ろにある彼女の顔は俯いているのだろう。両親の居ない今最も頼れるのはヒュウトだった。彼女の言葉に黙ったヒュウトに真奈は絶えず言葉を紡ぐ。


「明日お父さんとお母さんを探しに行こうと思います」

「─────」


 出された言葉に目を瞑るヒュウト。今は危険な外に彼女を出す位ならいっその事真実を伝えた方が良いのでは?と疑念が出る。

 冷や汗がヒュウトの背中に流れた。


「柊さん………君の両親は」

「?」


 もう伝えた方が、言ってしまった方が、吐いてしまった方が楽なのだと訴える。それに従ったヒュウトは止まれない。口を震わせながら、彼女にとっての絶望真実を、意を決して伝える。


「もう死んでるよ」

「じょ、冗談ですよね」

「俺も君の両親の死を確認した訳じゃ無い。でも君の直ぐ隣に瓦礫に潰された二つの死体があったんだ」

「………」

「其処で一つ聞かせて欲しい。君は両親と逸れる前、もっと言えば瓦礫に埋まる前、誰と一緒に居た?」

「私、は、お父さんと、お母さん、と一緒に、手を、繋いで………」


「───────」


 全てを理解してしまった彼女からはもう声は発されなかった。

 一瞬にして部屋は静寂に染まる。真奈からは泣き声も、何も聞こえない。

 口を閉じた彼女の表情をヒュウトは見れなかった。絶望に浸かった小さな少女の方へ振り向く事が出来ない。


「────────それでも」


「探しに行きます─────」


 数分続いた静寂は作った本人に破られた。真奈は言った、いなくなった両親を探しに行くと。それをどういう事かは本人が一番理解している筈だ。

 死者は蘇る事は無い。いくら時代が流れ周りが変わろうとも、その事実だけは変わらない。


「それ、は──」


 ヒュウトは絶句し、死者を追い求める真奈に顔を向けた。


「──────────」


 其処に感情は無かった。悲しみも無ければ、絶望も無くただ無が広がっている。瞳に光は一切無く、骸の様な目をしていた。何処までも何処までも暗く、明かりが無い。光が通らない薄暗い夜の部屋でもそれが分かる。


「そこまで言うのなら、分かった。俺も行くよ」


 そんな彼女をどうしてか、ヒュウトはほっとけなかった。どうでもいい事の筈なのに。彼女に同情、しているからか。自分を思い見つめた後、考えるのを止めた。こんな悲しい顔をされてしまっては行かざるを得ない。

 大切な人が居なくなるのはヒュウトにだって悲しい事なのだから。


◆◆◆◆◆


 翌日、7月7日──七夕の日。


「……………」


 リビングのソファーに俯いて座る真奈。昨日まで明るかった彼女の顔は一晩にして暗くなっていた。髪型はツインテールからロングヘアーに変わり、髪を纏めていたリボンを大事そうに握っている。そんな真奈にクロノは疑問符を浮かべ、ヒュウトは黙って朝食を作るだけだった。

 幾らエーちゃんが問い詰めようともヒュウトは返事をせず顔に影を下ろすのみ。


「───今日、俺と柊さん外に出るから昼は適当に摂っておいてね」


 ただそう言って人数分のトーストと目玉焼きを皿に乗せ食卓の上に出した。それを見てこれ以上口に出す者は居なかった。


「いただきます」


 こうして静かな食事が始まった。そこに会話は無く、食器のカチャカチャとした音が鳴るのみ。


「ヒュウトさん行きましょう」

「分かった。じゃ、二人共留守番は頼んだぞ」


 食事を終えた後、身支度を整え真奈と共に玄関を出ようとするヒュウト。終始訳の分からないまま見送ることになったクロノたち。全部終わったら説明すると言ってヒュウトたちは行ってしまった。





 朝早く、昨日は殺人事件が起こったばかりだからか人通りは少ない。あまり人が居ない建物に挟まれながら目的地へと歩を進める。感情のこもっていない顔の真奈を横に一部壊滅した新光町へと向かう。自転車を失ったせいで歩きでいかなくなったものの自然とヒュウトの体力は湧き上がっていた。

 結構歩いたはずだが体が疲れた様子は見れない。本人も不思議に思いながらも真奈を視界に映すと驚く気分では無かった。


「……………………」

「……………………」


 食事と同様、両者の間に言葉はなく、会話がなされることはなかった。


「着いたよ」

「………………………………」


 数十分も歩くと次第に見えるものはボロボロに崩れたビルへと変わっていた。死体は全て回収されているらしく街に肉塊は見られなかった。けれど瓦礫に付着した血までは処理出来なかったらしく赤色は相変わらずだった。ニュースによれば今日の深夜に修復作業が行われるらしい。目安としては三日とのこと。現在も技術力は上がっており案外もっと速く終わるかもとネットでは噂されている。

 光町を復興して以来善雄英生は一切姿を現していないがやはり彼も関わっているのだろうか。


「……………………」


 真奈は黙って中へと入ろうとするも立入禁止と表示されたトラ柄のホログラムに邪魔される。


「ヒュウトさん、これ退かせませんか?」

「無茶なお願いをしてくれんな。無理に決まっているでしょう柊さん」

「昨日のあの紅いので何とかしてください」


  当然のこと一般人のヒュウト達が入れる訳も無く見る事しかできない。ヒュウトもあわよくば愛用の自転車を回収出来ないかと思っていたが予想通り無理だった。だが昨日と今日と言うのに警備員が誰一人として居ない事が妙に引っ掛かる。


 少し考えていると真奈はこの中に何としてでも行かせろと言う。しかしそれも無理な話、ヒュウトはジュニオンになる気は毛頭無かった。昨日は何か能動的に動かされた感じだったが今度は何が起こるかは分からない。道具は一通り持って来たはいい物の、顔に出していないがもしかしたら昨日の鎧の化け物になるかもしれないという不安に駆られていた。


「…………」


 取り敢えず真奈が飽きるまで待とうとするヒュウト。真奈は一向に動く気配は無く立ち止まってもう既に無い物を探していた。

 そんな彼女達に近づく影が一つだけあった。


「そんなに行きたいなら俺が行かせてやろうか?」

「…………!!!」


 ヒュウト達の前に現れたのは昨日と同じ、黒づくめの恰好をしピエロの仮面を着けた男だった。その男が右腕で掴んでいる警備員らしき人間を見た瞬間に庇う様に真奈の前に立つヒュウト。突然現れた男を警戒して腰にあるアンプルに手を掛ける。


「案外警備員っていうのも意味がないな。十数人に居ても尚この様だ。これが叡智に頼り切った人間の姿だと思うと涙が出るぜ」

「あ、あぁ…………。た、たす────────」



 仮面の男は平然とヒュウト達に呟く。まだ生きているであろう警備員の首をより強く握りしめる。メキメキと音を鳴らし警備員の口から息が消えていき、絶命した。

 そして謎の男は見せしめとして頭部を、破壊した。死んだ人間は糸が切れたように地に落ちた。血がドロドロと散らかりまた色を変える。

 グシャリと、いとも容易く一つの死は形保つ事なく壊れたのだ。彼の言葉通りなら何人もこうやって殺されたのだろう。


「へ、?」


 視界にそれが映り込んだ瞬間、驚きと恐怖がグチャグチャに混ざって呆けた声が出る。


 人が人を殺したという事実に身が、震えた。


 この男は何をしたのだろうか。


 クリーチャーなら、化け物なら、怪物ならまだ分かった。


 脳が、理解するのを拒んだ。


 状況が変わった。このままでは否が応でもジュニオンにならざらを得なくなる。自分の身体がどうなろうとも構えるヒュウトに謎の男はやれやれと首を振った。


「ハァ…………ハァ」

「どうしてお前は血気盛んなんだ」

「どういうつもりだ!何をしにここに来た?」

「だからそこのお嬢ちゃんの願いを叶えてやろうってんだ」

「!…………本当ですか!?」


 謎の男の言葉に反応し傍に行こうとする。人が目の前の男によって殺されたというのに表情を変えずに居た。ヒュウトは疑問に思いつつも真奈を抑え、謎の男に疑問を投げかけた。


「そんなことしてお前に何の得があるんですか?」

「ぶっ壊れてるお前に一つ教えてやる。人は損得感情がじゃなくて自己満足で生を味わう生物だ。ここには俺が満足出来る様な物があるってこった」

「昨日のクリーチャーは回収したんじゃないのか?」

「あーあれか。お前のお陰で『グチャグチャ』だぜ。ま、俺達にも必要な物があるんだよ」

「いいから速く中にいれてください!」


 めんどくさそうに説明する男に真奈は速く連れていけと急かす。分かったよ、と言って立入禁止のホログラムをいとも簡単にかき消した。最新鋭の装置がたった一人に突破された事に驚く。本当に何者だと思いながらも瓦礫と血が蔓延る街へと足を進めた。後ろを付いてくる誰かに気付かず。


「おい、これだと衛星からバレバレだぞ」

「ハハハ、俺の身に纏っているローブはありとあらゆる電波、カメラの監視を妨害する。俺から離れなければお前らも見つかる事は無いさ」


 そう言って黒いローブを見せつける様に棚引かせた。信用は出来ないものの、ここまで堂々としているのだから本当なのだろう。それにヒュウトはローブとリアクターのレバーを引いた時に発せられた『何か』と同じ物と感じていた。


「お父さん、お母さん!」

「ま、待って柊!」

「─────────」


 屍の跡、血の臭いが色濃く残る中真奈は颯爽と駆けていく。昨日自分がいたであろう場所を探す。幾ら成長期といえどよくもまぁあんな瓦礫の上を走っていけるなと感心しながら後を追うヒュウト。謎の男はじっとヒュウトを黙って観察していた。視線を何となく感じながらも真奈を最優先に歩を進める。


「……………………ここ」

「見つかった、みたいだな」


 昨日ヒュウトが真奈に出会った場所に到着する。

 見つかった、と言うがあるのは赤く染みた瓦礫だけだった。彼が言ったように彼女の両親は死体も残らず既に死んでいる。現実を受け入れられない真奈はそれでも、と必死に瓦礫を退かし始めた。


「何処?何処?」


 視界を涙で歪めながらも亡き者を探そうと指を血で滲ませる。彼女も本当は気付いていたのだろう。これが現実逃避なのか、戒めなのかは本人しか分からない。そんな哀れな真奈を二人は呆然と眺めるだけだった。

 だが突然ヒュウトの視界に白銀が映り込む。雪の様に煌めいた髪の毛。こんな髪をしているのは記憶の内に一人しか居ない。


「漸く、漸く見つけたわよ!」

「し、白瀬さん!?」


 現れたのは雪華だった。怒りの表情で何処かに視線を向ける。その方向に居たのはヒュウトではなく、謎の男。


「あん?」


 ヒュウトは此処に雪華が居るのに驚く。が、当の本人は構わず謎の男を睨み付ける。しかし視線を向けられている男は雪華の事を知らないと言った様子だった。


「その銀髪、何処かで見覚えが……………………いやお前は知らないな」

「あんたが覚えて無くても私は憶えてるのよ!」


「うるさいですね。静かにしてください」

「子供は黙ってて」


 男は雪華の事を知らないようだが雪華はそんな彼に声を荒げた。過去に何かあったのだろうか。雪華は奴らやGPMに関わる人間では無く、少なくとも昨日の殺し合いの場にも彼女は居なかった。だからヒュウトは雪華と男の接点が分からない。

 雪華の憎々し気な表情を見てヒュウトも再び男を警戒する、が今度は真奈が声を上げる。


「オイオイ、俺がお前さんに何したってんだよ?」

「忘れたとは言わせない!十年前のあの日!『光ヶ丘事件』であんたは私の妹を奪っていった!」

「?」


 彼女は妹を奪われたと言ったが男は首を傾げるのみだった。雪華の言葉を聞けば光ヶ丘事件で男に妹を奪われた、生存者が数名しか居なかった世紀の大災害の中でだ。つまり彼女はその数少ない生存者ということになる。

 ヒュウトはまたしても十年前と顔を顰めるも、雪華の妹は兎も角光ヶ丘事件の中で謎の男が居たというのなら尚更警戒を高める他ならない。


「あー、あの時拾った被検体の一人だったか」

「この十年、私の妹…………雪奈セツナを何処にやった!」

「…………ハハハ!さぁな?いちいち赤の他人なんて憶えていない」


「この人の皮を被った怪物が…………」


 この場に広がる男の高らかな笑い。恐らく謎の男は知っている。雪華の妹、白瀬雪奈の行方を。

 ふざけた言葉にギリギリと歯を食いしばる雪華。それだけ妹が大切なのだろう。彼女が光ヶ丘事件の生存者というのなら生きている肉親はまだ可能性のある妹だけなのだろう。光ヶ丘事件の発端はクリーチャー。詰まる所、彼女も真奈と同じ両親を失ったということだ。

 だから肉親の居ない彼女はあそこまで光ヶ丘事件について拘ったのだろう。クリーチャーという都市伝説について知りたいという名目で。


「…………おい被検体ってどういうことだ?」


 男はこう言った。『拾った被検体の一人』と。現状考えられるのはクリーチャーは何かしらに人を使っているということ。ヒュウトの問いに男はすんなりと応えた。彼が考えられる最悪の場合を。


「あぁ、クリーチャーの正体は勿論人間さ。実験出来る様な生物はもう人間位だからなぁ。それに人体っていうのは完成されてるから中々に便利だぜ」

「…………!」


 クリーチャーの正体は人間。そのことは何となく予想の候補には挙げていた。人間以外の生物は既に死滅している。ロボットでも無い限り、ああいった生物兵器の材料は限られてくる。

 だが、人間がクリーチャーになっているのなどヒュウトは考えたく無かった。だってクリーチャーが人間なら、ジュニオン、怪物となった


────自分は、人を殺したクリーチャーと何も変わらない。


 そう考えると呼吸が自然と荒くなる。速くなる鼓動を抑えて男に問う。


「じゃあ俺が昨日吹っ飛ばしたクリーチャーはどうなった!『グチャグチャ』って言ってたけど。それは死んだって意味なのか」

「さぁ?あぁ今言った事は冗談だぜ。クリーチャーの正体が人間かどうか、本当はエイリアンだったりしてな?信用するかしないかはお前次第だけどな」

「コイツッ!!!」


「ちょっと待ってよ。クリーチャーって何?結種何か知ってるの?」

「あぁお嬢ちゃんは知らないんだっけか。なら教えてやるよ」


「柊さん、下がって!」


 男はパチンと指を弾く。男の行動に対してヒュウトは前に出て雪華と真奈を背にアンプルを構えた。雪華、他人に正体を明かすのは不味いが状況が状況なだけに考えている暇は無い。GPMに報告されて殺処分、良くて実験対象。この場を切り抜けられたらの話だが。

 今この場で教えるというのならただ話せばいいだけだ。にも拘らず男は口を開く気は無さそうに見える。冷や汗を掻きつつも様子を伺う。

 しかし幾ら待っても何も起きない。男は指を弾いたままでヒュウトの顔を見つめたままだ。お互いの視線が交差し動けないままでいた。


────俺がジュニオンになるのを待っているのか?


 恐らく男はクリーチャーを呼ぶ筈だ。それが昨日のクリーチャーかどうかは分からないが何かを呼び寄せようとしている事は確か。その予感を、気配をヒュウトの本能が感じていた。明らかにヒュウトが何かをするのを待っている。それは必然的にジュニオンになれという暗示。

 謎の男このままでは埒が明かないと睨みを聞かせるのにも飽きてたところだ。それに光ヶ丘事件に関わっている上に首謀者の可能性すらもあるのだ。自分の居た孤児院をぶち壊した。理由としては十分だ。ここで四肢をもぎ取って全部吐かせて叩き潰す。

 そんな残虐な思考がヒュウトを突き動かした。


「さぁ、行くぞ。オマエタチ」


『Cat!』『Dog!』


『ニャァァァァァ!!!』

『ワァァァァァン!!!』


 アンプルを起動し、動物達を出現させリアクターのレバーを引っ張ろうとするも、


『Hay Master!……ああ日本語の方が良かったね。残念だけどジュニオンになるには24時間のインターバルが必要だ』


「……………………!!」


 リアクターが起動する事は無かった。リアクターによると二十四時間のインターバルが必要だと言う。あれだけの力を人間の肉体を媒体にして何の代償も無く使役出来るのだから、再使用には時間を要する。本来リアクターの役割とはアンプル内の遺伝子を読み取り、別々の物を結合することだ。

 それはつまり、新たな生物、キメラの遺伝子が生み出される。人間に直接その遺伝子が注入されて始めて『ジュニオン』という生体兵器は完成する。それだけの事をしたのだからオーバーヒートも起こる。


「やっぱり計画通りだったみたいだな。さぁ来い《《白銀の虎》《シルバー・タイガノイド》》!」


 ヒュウトがリアクターをいじくっている間に謎の男は『何か』を呼び寄せた。この場に響いた男の声が自然とヒュウトの瞳を引き寄せる。

 太陽の光を背に何かは空高く舞い降りた。《白銀の虎》と呼ばれたそれは逆光を以てしても尚輝いていた。

 陽光を浴びたその姿は以前現れた《黒騎士の災厄》の鎧と大きさは同じでも比べ物にならない輝きを放つ。シルバー、白銀の名に相応しく銀色の体毛を纏い、線対称に黒いラインが縞模様を作るようになっている。腕には長大な爪が取り着けられている


「見たところ虎、いやホワイトタイガーのクリーチャーか!」

「さぁどうかな?やれ《白銀の虎》よ!」

「ルルァルァァァガ!!!!」


 白銀の虎は全員纏めて殺すべく飛びかかった。


────柊さんが逃げるのは間に合わねぇ!!


「キャット、ドッグ!!」

『Cross Caliber』

『ニャン!!!』

『ワァン!!!』


「………………」

「な、何々!どういうこと!?」


 ヒュウトは腰に帯刀していた剣を抜刀し両手で構える。鞘から抜き出たのは長大な赤色に輝く刀身。身の丈に合わない剣の先をクリーチャーに向けてこちらも突撃する。困惑する雪華達を守る様にヒュウトが呼んだ半透明の獣が立ち塞ぎ、威嚇をする。


「ルァガ!!!!」

「ッ!!!!!」


 黒い鎧を纏ったクリーチャーと同じく心の準備を許す間も無く、身に持つ跳躍力を遺憾なく発揮した。ヒュウトはジュニオンになれないという焦燥感と恐怖を抑え、風を切り裂く爪を受け止める。振るわれた片腕から繰り出された一撃は多少上がったヒュウトの筋力を軽く凌ぐ。赤の剣はいとも簡単に手に持った者事弾き飛ばした。


「うぉっ!!」


 ただの人間では化け物と戦える筈も無かった。力を得られず、碌に握った覚えの無い獲物。頼れる存在もいない彼に勝機は何一つ無かった。昨日と同じく何も出来ず地に伏せる。だがそれでもと、どうにか自分だけでも生き残らなければならないと立ち上がろうと全身に力を込める。

 そんなヒュウトに《白銀の虎》は先程の勢いが噓のように無くなり、ゆっくりと歩み寄る。簡単にヒュウトをあしらえたからか、彼を警戒するに値しない存在と捉えた。獲物をじっくりと追い詰めるが如く金色の瞳を輝かせ、残虐な笑みを浮かべる。

 必死に立ち上がろうとするヒュウトの足をクリーチャーが踏み付け彼の顔は歪む。その様にクリーチャーはゲラゲラと笑う。


「ハハハ。追い詰めろ追い詰めろ。でなければのアイツは目覚めないからな。さぁてこっちもこっちでやるか。柊真奈、お前には少しだけ用がある。俺と一緒に来てもらうぜ」


 じゃれ合う化け物達を尻目に謎の男はヒュウトが呼び出した獣の後ろに立つ少女の元に向かう。真っ直ぐと真奈達に歩いてくる謎の男にキャットとドッグは威嚇した。


『ニャァ!』

『ワン!』


「これはこれは御主人様思いの良いペットじゃないか」


 だが、と彼は付け足して指をさした。腹をクリーチャーの爪で刺され苦しみを声に上げる少年の姿に向けて。クリーチャーはヒュウトを弄ぶかのように爪で腹の中を抉り、かき回す。辺りには昨日の地獄が再現とでもいうべきか、ヒュウトの紅い血が彼の服に、クリーチャーの爪に、地面に飛び散った。

 どくどくと夥しい量の血が流れ、ヒュウトはその体を痛みに染め上げた。そんな有り様を二匹と二人に見せつける。雪華はその光景に口元に手を抑えて震え、真奈は昨日見ることの無かった紅い鮮血と死にゆく姿に呆然としていた。


「酷い…………」

「ヒュウトさん…………」

『ニャァ…………』

『ワン…………』


「そんな所に居ていいのか?お前らの御主人様が死んじまうぜ!」


 男は笑う。自身の主人の命令を忠実に守るか、それとも死にゆく主人を救うために命令を破るかを迷う二匹の獣と震えている少女達を。

 二匹にとって二手に分かれるという選択肢は存在していなかった。どちらか片方がヒュウトを助けに行ったとしてもクリーチャーには勝てず、目の前の敵が真奈を攫うのを許してしまう。彼らは二匹居て初めて意味をなすのだから。


 良くも悪くも彼らアンプルから出現した獣、ジーンモデルは結合した人間の気質を取り込んでしまった。ヒュウトは絶対に自分を曲げたくない人間だ。詰まる所、真奈を守りたいと思ってしまった以上彼らの思考はヒュウトの意思に従わざるを得ない。


「フーーーン。飽くまでも御主人様の意思のままにってか。まぁ関係ないな。ジーンモデル二匹程度じゃ相手にならん」


 そう言った瞬間男はジーンモデル達の視界から消えた。敵の動きに反応する暇も無く何時の間にか消えたのだ。瞬間移動とでもいうべきだろうか。さっきまで男が居た場所には何もなく、替わりに真奈の後ろに男は立っていた。

 よっ、という間抜けな声でジーンモデル達は漸く後ろに振り向く。そこに映っていたのは顔を捕まれナイフを首に充てられている真奈の姿。

 要するに近づくなと言う意味だろう。一歩でも動けば柊真奈を殺すと。男が何の為にこんな事をしているかは分からない。だが、明確なのはこちら側が不利と言う事。

 ヒュウトはクリーチャーに殺されかけ、真奈にはもう手出しが出来ない。状況は誰が見ても絶望的だった。


「おい、ジュニオン。こっちを見てみろ」

「グッ!ひい、らぎ」

「お前の存在はまだ必要だからな。今死んでもらっては困るからな。ま、代わりにこの子は貰っていくぜ」

「ッ!」

「さっ《白銀の虎》戻れ」


「ゴフッ…………」


 謎の男の言葉に白銀の虎は素直に従いヒュウトに刺していた爪を引き抜き一瞬で男の下に戻った。男は一目倒れている赤色がやけに目立つ少年を見た後、小さな笑い声共に仮面越しからでも分かるであろう笑みを浮かべた。

 しかしそれもほんの一瞬であり、クリーチャーを連れて真奈を捕まえたまま壊れた新光町へと消え去っていった。


「あ、あぁ…………」

「コイツはオマケさ」


 男が服の内側から何か奇怪を投げ、クリーチャーと共にこの場を去っていく最中、地に伏せたヒュウトは意識が遠のいていくのを感じていた。見える物全てはぼやけ、形が歪む。何を考えていたかも分からなくなり、雪華の声も聞こえる事は無かった。


 それもその筈。銀色の爪で埋められ、傷は明確には見れなかったが爪が引き抜かれた事で赤く染まったヒュウトの腹部の傷口が露わになる。白銀の虎が彼にしたのは普段過ごしていればどんな事が有ってもできないような傷だった。鋸で斬られたような食い荒らされ、ドボドボとさっきよりも多くの血を流している。恐らくは内蔵も傷ついているだろう。

 幾ら時代が進めど簡単にその場で止血を可能にしたり、傷口を完全に塞ぐ物は世に出ていない。実際に有るのは大型病院の室内にでかでかと置いてある機械、善雄英生が造った筈であろう小型の物だが、GPMが保持している。


「だ、大丈夫なの結種!?」


 どうすることもできない雪華はヒュウトの下にすぐさま駆けつけるも傷の酷い有様に狼狽えしまう。医療知識や技術があっても道具と経験が無ければ意味を為さない。


「……………………」

「ちょっとしっかりしなさいよ!!死なないわよね!?死なないわよね!?」


 ヒトのこじ開けられた中身を見たことがない雪華はパニックに陥りどうしよう、どうしようと頬を両手で抑え慌てる。


「取り敢えず病院!?でもでも下手にやったら結種の体が大変な事になっちゃう!?GPMに電話?というかここ今は禁止区域だからあの変な化け物について話すよりも私たちが捕まるわ!!」


 よくよく考えてみれば彼等は現在入ってはいけない場所に居る。それをバレてしまえば二人仲良く収容所行き。その上何処に居ても衛星が監視されているので今GPM達が駆けつけても可笑しくはない。だが事実としてGPMは此処には来ず彼等は新光町に居た。

 衛星を妨害していた謎の男は消え去ったが起動させたリアクターのお陰でもある。とはいえ雪華だけでは手詰まりな事に変わりはない。


「ヒュウト様…………!」


 あたふたしていた雪華に凛々しくも焦った様な声が耳に入る。声色からして女性のもの、誰!?と驚く前にはヒュウトの傍に声の主が居た。白いドレスの様な鎧を纏った艶やかな黒髪の少女、クロノだった。


「大丈夫ですかヒュウト君!?今手当を!」

「えっと、貴方は…………」

「今は少し時間が有りませんお話ならばヒュウト様と一緒に聞きますので」


 突然現れたヒュウトの関係者らしき現代では考えられない変な服装のヒューマノイドに話しかけるも後でと一刀両断される。

 クロノは背負っていたバッグの中から簡易的な医療器具を取り出し応急処置わ完了させる。雪華も驚く程の速さで終わらせヒュウトを背負うも、危険な状態に変わりありませんと次の行動に移す。

 何時の間にか嵌められた、真奈が使っていたデバイスからヒュウトの状態を確認し、雪華に付いてくるよう促す。


「は、はい!」


 それ以外の選択権は彼女には無く、黙って歩みだすクロノと共にこの町を出る。クロノはちらりと先程までに居た敵を思い背後を確認する。強い嫌な予感を感じながらも。



「それで結局貴方は一体どちら様なのです…………か?」


 病院への道の中、雪華は空気感に耐えられずクロノに話し掛けていた。無言で彼女はヒュウトを背負っており、雪華は未だクロノがヒューマノイドという以外何なのかも分からない。何時の間にかクロノの服装白のドレスから私服に戻っている。あまりの早着替えに驚く彼女に遅れてクロノは自己紹介をした。


「私はヒュウト様の専属ヒューマノイド、結種クロノです。幼少期からヒュウト様の面倒を見ている、位ですね」

「へ、へぇ〜そーなんてすか!」

「そう言う貴方はヒュウト様の何ですか?」


 今度はクロノが雪華に声を掛ける。先程の遠くから見た様子から可能性的には低いが、もしやすれば目の前の銀髪の少女も敵かもしれないと警戒の意を含めて。


「わ、私の名前は白瀬雪華です。結種との関係は……うーん?知り合い……かしら」

「そうですか」

「?」


 雪華は現状何処まで行っても一般人。当然、返ってきた応えに特段敵意や殺意などといった含まれてはいない。自分が疑われていることを微塵も思っていない雪華はクロノの人間味の無い機械的な反応に違和感を感じるも気にせず質問する。


「所でクロノさんはさっきの事で何か知ってるんですか?」

「さっきの…………?」

「えっと…ピエロの仮面を着けた黒服の男と銀色の……結種曰く虎みたいな化物なんですけど」

「ピエロの仮面……」

「何か知ってるんですか!?」

「それはヒュウト様が目覚めてからの方が良さそうです」


 クロノは未だ目が覚めていないヒュウトにチラリと目を向ける。血の気の引いた、死人の様な白い肌の顔を愛おしそうに。大事な宝物を離すまいと彼を背負う腕に力を入れる。

 『私』がヒュウト様を放っておいた矢先にこれかと『別の自分』に失望を覚える。彼女は常に今のクロノに成れる訳ではなく四六時中ヒュウトの背を張れない。


 雪華の前だからこそ平静を装っているも内心気が気でない。

 ヒュウト様は生きているか、ヒュウト様は死なないか、ヒュウト様が死んだら私は何の為に生きればいい、ヒュウト様が死ぬ?違う、そんなことを考えるな。ヒュウト様は死なない、ずっと私の傍に居る。だから、死なない死なない死なない死なない死なない死なない。

 

 彼女の脳には怪我をしたヒュウトを見た時から同じ言葉が延々と回り続ける。呪いの如く浮かぶ言葉はヒュウトへの思いを如実に表していた。

 彼の着けられた腹の傷を見て思い出す度にクロノの鉄仮面は剥がれ、憎々しげに怒りを浮かべる。怒りを向けるのは考えるまでも無くピエロの仮面を着けた男とクリーチャー。


「ク、クロノさん」

「何ですか?」

「な、何に怒ってるんですか?」

「ええ、ヒュウト様を傷付けた奴等に怒っていますとも」


 雪華に指摘され怒りが顔出ていた事に気づき開き直る。

 雪華はクロノの様子に畏怖しつつも背負われているヒュウトを心配した。







「危ない所でしたよ。でももう安心して下さい。結種君は大丈夫です。三十分もすれば腹部の傷も完治とまでは行かずともある程度は治ります」

「そうですか」


 眼の前の医師から聞かされるヒュウトの容態を知り淡々と返しながらもホッと息をつく。隣に座っていた雪華も安心して胸に手を宛てた。


 彼女達がいる場所は新光町で破壊を免れた地域にある病院。其処にクロノは怪我を負ったヒュウトを運び急いで駆け込んだ。どうやらギリギリだったらしくヒュウトは集中治療室で治療を受け、それも無事に終わり今はグッスリとベッドの中だ。


 しかし安心した二人に対して医師は驚いた様にヒュウトの怪我の具合を話し出した。


「にしてもあんな食い千切られた様な怪我は珍しいですよ。今のご時勢では普通あんな怪我には成らない筈ですが……」

「そ、そうですね。私達が見ない間に結種君がそうなって居たので良く分からないですけど……」

「それでは私はこれで。有難う御座いました先生」


 医師の当然の反応にクロノは何も言わず対して雪華は冷や汗を欠きながら明後日の方向を見る。化物に襲われてヒュウトが怪我しました等口が裂けても言えない。言ったところで信じられるかは別だが。

 とにかくヒュウトは一命を取り留め無事であると同時に何時襲われても可笑しくは無い状況だ。雪華からクロノが聞いた所、ピエロ仮面の男は何処からか現れ、また消え去ったと言う。それが正しければヒュウトを一人にさせる訳にもいかない。こうして医師の話を聞くのにも時間が惜しい。そう思ってクロノが部屋から出ようとすると医師が慌てて引き留める。


「あっ!待って下さい!」

「何でしょうか?」

「ヒュウト君の面倒を見ていたクロノさん、ヒューマノイドである貴方に一つだけ聞いて置きたかった事があるんです」

「?」


 聞きたい事?これ以上何を私に聞く事があるのかと扉に掛けていたを止め後ろを振り返る。


「ヒュウト君の身体を見ていただけど…………彼の身体、時間が経つごとに再生しているんだ。途切れた部分は勝手に繋ぎ合わさり、足りない箇所は増殖し元の形に戻ろうとする。何より再生するまでの時間が速過ぎる。人間の自然治癒力を遥かに超えているんだ。ヒュウトの肉体は明らかに『オカシイ』…………」

「ゆ、結種の身体ってそんな風になってたの!?」


 医師の口から出された言葉に雪華は驚き、クロノは黙ったままだ。

 

「君は何か知っているのかい!?」

「いいえ、私は何も分かりません」

「ちょっと、クロノさん!?」


 クロノは何も分からないと言ったきり部屋を出ていった。急に雰囲気が暗くなった彼女の後を雪華は追う。


 部屋に残ったのは医師唯一人となった。出ていってしまった二人を目尻に彼は座り込み、『ユイクサ ヒュウト』と書かれた診察結果を見て思わず溜息を吐き出す。その資料に貼り出されているヒュウトを見て思わず見上げてしまう医師。


 人間を優に超えている自然治癒力。どうすればこんな人間に仕上がるのか。彼は不思議で不思議で仕方が無かった。光ヶ丘事件から十年、規模は前回より小さくとも再び光ヶ丘事件が起こった。最近可笑しな事が良く起こるものだと愚痴る。

 何より医師がヒュウトを目にして思った事はたった一つだった。


「先輩、今何やってんすか」


 返事は返ってこない。彼がそんな事を呟くのはヒュウトが医師の先輩と顔が疑う程似ていたからだった。




「ヒュウト様、大丈夫ですか?」


 眠っているヒュウトの手を握るクロノ。包帯が巻かれている腹をそっと撫でる。彼女の脳には今もヒュウトの腹部から溢れ出す血が浮かぶ。その事を思い出すとヒュウトを握る手が震えた。


「これは私の失態…………。こんな事はもう2度と起こせない」


 言葉にしてそう誓う。いつだって変わることのない誓い。目の前で眠る少年は知らないかもしれない、忘れているかもしれない。彼女は片時も忘れたことは無い。

 ああ、なんて悲しいか。それを彼が知ることは出来ない。今いる『クロノ』はずっと一緒ではないのだから。


「どうして私は貴方に『力』を渡してしまったのでしょうか…………」


 自分でも分かっていた筈だ。知っていた筈だ。こうやって大切な人が傷つくのは。でも、どうして。とってもとても嫌なのに、身体が、思考がそうするように強制する。

 ジュニオンの力をヒュウトに渡してしまった。戦いの渦中へと背中を押してしまった。分からない、こんな事をするなんて。彼に地獄の中を踏み歩かせるつもりなんて無い。

 けれど実際に事は起こり現実として目の前に結末は訪れたのだ。知識の無い彼に知り得る限りの全ては教える事は出来なかった。だからヒュウトはジュニオンに成れなずクリーチャーに一方的に嬲られ、倒れた。


「そして、ヒュウト様は受け入れてしまった」


 彼は当然のように手を出した。仕組まれた運命に沿うが如く、人の身を紅蓮に染め上げ、獣へとその姿を変え、戦った。

 きっと彼はただ助けたかっただけなのだろう。『殺されかけた少女』を絶対に助けるために人間を超える。のように、何も変わらず。


「どうしてヒュウト様は、居ても居なくても変わらない人間をいつも助けてしまうんですか?『居ても居なくてもどうでもいい』って言ったのはヒュウト様なのに」


「クロノさーん…………?」


 俯きヒュウトの手を顔にあてていると病室の扉が開いた。ヒュウトの病室に入ってくるのはクロノ以外の人間は当然、雪華だけだ。

 そっと雪華が顔を出すと振り返って涙を流しているクロノの顔が目に映る。彼女が泣いているとは思ってもみず部屋を出ようとする。が、涙を拭いたクロノに引き留められた。


「取り敢えず、座ってください」

「は、はい」


 言われて雪華は用意されていた椅子に座る。こじんまりと座りちらりとクロノを横目に見やる。依然としてヒュウトに向ける視線は変わらず、何を話せばいいのか分からず、目をグルグルと回し困惑していた。


(な、何を話せばいいの!?世間話を出来る様な状況でもないし、クロノさんさっき泣いてたし!あわわわわわ!)


 クロノは自分が言った通りヒュウトが目覚めてから粗方の事を話すつもりなので黙っているだけなのだが、クロノの涙が印象に残り過ぎてそんな事はすっかり忘れていた。雪華はお世辞にもヒュウトと同じく友達が多い、と声を大にして言える程では無かった。詰まる所雪華が勝手に雰囲気を勘違いしただけである。


「と、取り敢えず結草が無事で良かったですね?」

「えぇ」

(はわわわわわわわわ)


 焦って変な声で話し始める雪華。疑問形になっている事を気にせず淡泊に返すクロノ。その返しも相俟って余計動揺する。


(ああー!早く起きてよ結種ぁ!)


 空気に耐えられず重症者に無理を言う雪華。これを本人が聞いたら何と言うだろうか。

 そんな涙目の彼女に天使は舞い降りた。


「………んぁ?く…ろの?」


「ヒュウト様!?」


 雪華の願いが通じたのかヒュウトは目を覚まし触れていたクロノの手を握り返し、視線を声のした方向に移す。そこにあったのは一面真っ白の何かであった。


「………うわっ……!?」


 突然来た衝撃に思わず声が出てしまう。別に彼が視覚に障害が出来てしまった訳では無い。クロノが喜びのあまりヒュウトに飛び込み抱き締めたから他ならない。

 当然彼の視界はクロノの服に飲み込まれ、状況がよく分かっていないヒュウトを気にせずクロノは彼の頭に手を回す。


 クロノはもう何処にもヒュウトが何処にもいかない様にと強く、強く抱き締める。怪我を負って既に貧弱な肉体に戻っていたヒュウトではこれを引き剥がせる力も無ければ、心配をしているとだけ分かって咎める気力も一切無かった。


「あ!すいませんヒュウト様、つい体が……」

「気にしないでクロノ、後白瀬さん。って此処は病院?あぁ二人共助けてくてありがと。それと心配かけてゴメンね」

「オマケみたいに言わないでちょうだい」


 包帯が巻かれている背中をそっと撫でつつ感謝と謝罪を述べるヒュウト。それを聞いて自分の扱いに対して不満があるらしく頬を赤らめてそっぽを向く雪華。感謝の言葉を言われるのは慣れていないのかそっぽを向きつつも満更でもないようで口元はニヤついてた。

 対してクロノは……


「『私』がしっかりヒュウト様を観ていれば貴方様が怪我を追う事も無く、危険に晒す事も無かった筈なのに……。あそこまでしても尚駄目だったと言うのでしょうか?そもそも今の私には制限が掛かっているせいでヒューマノイドという利点が枷になっている。これでは何もかも無駄になってしまう。ヒュウト様にリアクターを渡し、あの忌わしき鉄屑を破壊しなかった過去の自分が憎くて憎くて仕方が無い。もうすでに事態は手遅れ、屑共にヒュウト様がジュニオンになってしまった事はバレている。今更やろうとしても此処には無いから……」


 黙って俯きぶつぶつと訳の分からない事を言い始め、終いには頭を抑えて瞳の焦点が合わなくなる。

 そんな彼女にヒュウトは肩に手を乗せて大丈夫かと揺らす。ヒュウトに触れられて漸く口は閉じ平静を取り戻したのかさっきまでの冷えた鉄の様なクロノに戻る。


「クロノ?」

「いえ何でも有りませんヒュウト様。それよりもお身体の調子は大丈夫ですか?」


「えっ……?おう、背中の痛みはすっかり無くなってるぜ……って俺確か奥まで刺された筈なんだけど」

「嘘っ……あんな怪物がグチャグチャにしてたのに?」

「そうだよな。俺はクリーチャーに刺されて倒れて……それで……柊さんは何処行った?」

「柊さん……ってあの子供?ならピエロ仮面の男に連れて行かれちゃったわよ…………」


「あぁ…………そうか」

「……?」


 一転して気の毒そうに言う雪華。ヒュウトはそれを聞いて一瞬呆けるも直ぐにそうかと興味の色が薄れた。そんな彼の様子を見て雪華が違和感を覚える。普通だったら何かしら反応をする筈だ。無関心、という意味では反応しているが慌てたり、飛び出したりと雪華が想像していた物とは正反対だった。

 つい先程襲われ怪我をしたからか、若しくは余程のショックだったのだろうと補強して納得した。


「どうするかなぁ……」


 体を倒し窓の向こうに広がる青空を見て呟く。どうする、とは無論柊真奈を助けるか助けないかだ。そもそも何故真奈を誘拐したのか分からない。恐らくジュニオンとなった自分を釣る為の餌とヒュウトは考えていた。でなければあの場で自分を殺さなかった理由が分からない。他にもクリーチャーの実験体のサンプルとして攫われた可能性もあった。

 しかしだ。ピエロ仮面の男と共に来たのは彼に忠実なクリーチャーだった。あれが初めて造られたクリーチャーとは到底考えられない。ああ言った生体兵器、もっと言えば実験は回数を熟し、繰り返して繰り返して漸く完成するものだ。ましてや人体を使った実験なら尚更。

 ピエロ仮面の男の背後に何があるかは分からないが奴の言葉を信用する限り其処から導き出せるのは腐らせる程の実験台となった人間が大勢居ること。それをもっと追究すれば十年前の……と一旦ヒュウトは考えをカットする。


「兎も角柊がクリーチャーの実験台として連れ去られた線は薄いな。それなら白瀬さんも連れて行っても可笑しくないし。かといって可能性が無い訳ではないが……。駄目だ情報と言えるべき情報が無さすぎるよ」


「ねぇねぇ結種。くりーちゃー、って結局何なの?結種を指した変な怪物の名称って事は何と無く分かるけど結種はどういう関係?」


「丁度良かったですね」

「?」

「ヒュウト様が目を覚ましたら3人で話し合おう、と白瀬雪華に言いましたので」


 確かに、とヒュウトは改めて二人に向き変える。色々と知っていそうな今のクロノよりもいきなり現れた雪華の方が驚きだ。ピエロ仮面の男と彼女が対峙した時気になる事を言っていた。クリーチャーに対して理解が無くともあの男とは何やら因縁?があるみたいだ。


「じゃあクリーチャーについて説明……と行きたいんだがなぁ」

「分からないの?」

「そらそうだよ。俺が確認出来ているのは今朝現れた……」


 己が知っている事について口を開こうとするがヒュウトはそれを言葉にはせず、雪華に向けて別の事を話し出す。


「な、何よ?」

「いいか?もう顔はバレているがこれから話す事を知っちゃったら死ぬ可能性が出て来るんだぞ。それを覚悟して聞くっていうんなら教える。個人的には聞かずそのまま帰る事を勧める」


 ヒュウトの言葉を聞いて雪華は目をパチクリとさせ、こいつこんな他人を心配する事出来たんだと真奈の時の無関心っぽさとは反対の態度に驚く。

 しかし一転して彼の言葉を受けて自身について考える。十秒程おいて


「聞かせて」

「本当にいいのか?」

「うん。さっきちょっぴり聞いたかもしれないけど私は居なくなっちゃった妹を探してるの。あの男は何か知ってそうだし」


「…………分かった。クリーチャーって言うのは昔の生物をモデルにして創られた怪物の事だ。俺が知っているのは今朝現れたシルバー・タイガノイド……化物と昨日の事件を起こした張本人、黒ずくめの男の言葉を信じるのなら十年前の『光ケ丘事件』を起こした別のクリーチャー。そして今朝現れたクリーチャーは今はもうとっくに絶滅しちゃった虎という生物にそっくり、と言う訳さ」

「ふーん。まだ情報不足って訳なのね」


 頭の中で整理しようと一息吐こうとするが引っ掛ける単語が幾つもあった。それを耳にして冷静で居られるほど雪華は大人しくない。


「って昨日起きた事故はあの化物の仕業だったの!?何人も人間を殺したのも!?」

「うわっ!」


 昨日の事故の顛末を知る由が無い彼女にとってクリーチャーが起こしたというのは衝撃だったのだろう。GPMは情報公開をしておらず大規模の事故として扱われており一般人はクリーチャーについて知ることが出来ない。

 その上昨日現れたクリーチャーはシルバー・タイガノイドとは別物らしく黒い鎧を纏い、隙間からは機械を故障させる瘴気の様な煙によってネット上に姿が出る事も無い。


「テレビじゃ何も言ってなかったのに」

「そら言える訳無いでしょ」

「そっか。でもその怪物GPMが倒してもういないんでしょ?」

「うん。俺が倒した」

「倒した、ふーん………へ?」


「倒したぁ!?アンタが!」


 病室に響き渡る二度目の声。それはそうだろう。眼の前にいる怪我人が何人も殺し街を破壊した化物を倒したと宣うのだ。これを驚かずしてどうする。今朝の惨たらしい様を鑑みるに何かしら裏があるだろうと雪華は踏んだ。


「どうやって倒したのよ?さっきのを見る限り結種が倒したっていのは説得力が無いんだけど」

「この腕輪にクロノから貰ったアンプルを指して何か変なのになって倒した」

「意味が分からないわ」

「俺も分からん」

「はぁ?」


 ヒュウトは籠の中に服と共に入っていたアンプルが3本入った縦長のホルダーを手にした。つられて雪華も見やるが紅い何かとしか分からず?を頭に浮かべている。

 これをヒュウトに渡したのは紛れも無くクロノだ。クリーチャーと戦った時のクロノはまるで別人に変わっていて、家に帰った後には元の彼女に戻りクリーチャーとの記憶も無いように見えた。

 だが今はその記憶が、クリーチャーと戦っていた時のクロノ。それを分かってヒュウトは彼女を見やる。


「なぁクロノは何処からこれらを持って来たんだ?俺の腕輪にもピッタリハマって『ジュニオン』とやらになっちゃったし」


 ヒュウトの持つジュニオンリアクターは彼の記憶に限れば幼い頃、最低でも十年前から存在し表立った社会には一切情報が無い。にも関わらず彼女の持って来たアンプルはリアクターの、ジュニオンの為にあるかのような物。

 ヒュウトは心の底から彼女を信頼している。彼だって疑いたくはない。しかし事が事である為知らなければならない。

 彼はそれに、と付け加え…………


「あの時クロノ何だかいつもと違ってた。俺の呼び方も性格も全然違うし、あんな剣なんて家じゃ見たこともないよ。何年も住んでるのにな。あんな剣、買える様な代物じゃないんだ」


「────────」


 ヒュウトの問いにクロノは黙ったままだった。けれど、その表情は、普段の彼女からは考えられない物だった。


「────っ」


 クロノの顔を見て思わずヒュウトは思わず顔を顰める。


 それは酷く、懐かしむような、悲しむような。どちらをとっても悲壮的。


 言葉が、出ない。喉に出かかった声は消え去っていた。


 もうヒュウトに持ち得る言葉は無かった。


「そう、ですね」


 クロノが一息おいて、口を開いた。


「残念ですが私にも分からないのですヒュウト様」


「分からない、というよりも脳内、データベースにそれらのものに関する記録も、私自身の記憶に無いのです。有体に言ってしまえば認識出来ないんですヒュウト様」


 その答えにヒュウトは驚きを隠せなかった。通常ヒューマノイドは視認した光景を全て記録し何時でも見られるようになっていた。そして記録はその持ち主に限り消去する事が出来る。ヒューマノイド自身には出来ない。それはクロノだって例外ではない。

 だからだヒュウトがその言葉に動揺しているのは。

 その記録が無いというのは何かしらのツールを使ったか、もしくはかだ。


 彼女が噓だと言う可能性は無かった。何故なら今からでもデータベースを探ればわかるからだ。にも関わらずそんな事を言うのは他でもない真実だから。




 この時クロノは自身の身体の利便さと不都合さを────呪った。




「────ヒュウト様、性格が違う、と言いましたね。今まで黙っていましたが」


 この瞬間、彼女は迷った。言うべきか戸惑った。


「私、二重人格なんです」


────そして、結局どうしようもない…………


「そうだったんだ」


 予想外にヒュウトは驚かなかった。あっけなく、簡単にその声を受け入れた。これ以上クロノに聞く事は無かった。


「じゃあ白瀬さんはなしてもらえるかな?」

「クロノさんの事はいいの?」

「うん」


 気を改めて雪華から話を聞こうとする。先程の二人の会話を聞いて自分が居ていいのか疑問に思いつつもヒュウトから了解を得て話し始める。

 憂鬱そうに銀色に輝く髪を弄りながら。


「十年前、丁度光ヶ丘事件が起こった時でね。当時まだ生きていた父さんと母さん、そして雪奈と買い物に外を歩いていたの」

「生きていた、というのは白瀬雪華の父と母はクリーチャーに殺されたのですか?」

「ううん。事故も起きてないし、あんな化け物がが出てたら私も雪奈も生きてはいないわよ。まぁ雪奈は分からないけど」

「と言う事は」

「死因は別。それも殺人よ」

「殺人?」


 ヒュウトが目を細めて思考を再起動させる。光ヶ丘事件の時というのだから当時彼女、白瀬一家は光ヶ丘におりクリーチャーが出現した。しかし聞いていれば事件付近には居なかった。町一つを壊滅させたが、これまでのクリーチャーの肉体を考えると一瞬でとは考えられない。


「そう、私達の居た場所にはクリーチャーが来なかった、代わりに」




────黒ずくめの大人達がやって来た。




「黒、ずくめ」

「五人位。一人はピエロの仮面を着けてた。他はフードを深く被って分からなかったわ」

「ピエロ…………ヒュウト様をクリーチャーと共に襲っていたという」

「今でも思い出すわ。私と雪奈を庇ってあいつらに殺された時のこと。私はただ地面に転がって、妹の雪奈が攫われるのを黙って見ているしかなかったのよ」


 そこにあるのは後悔だけだった。無力な自分に無性に腹が立つ。理不尽に全てを奪っていった奴らが許せない。何故あんな事になったのか考えても考えても分からない。


「じゃあ今朝あの場に現れたのは?」

「昨日起こった事が光ヶ丘事件と似てたから今朝様子を見に行ったら結草達と」

「あのピエロ男が居た、か」


 彼女もまた運が悪い。十年前の柵に囚われ、またその因果が降りかかってきた。両親を目の前で殺され、妹を奪われた。その因縁の相手が十年という月日を掛けてやって来た。


「それで白瀬雪華は何がしたいのですか?」

「私は妹を取り返したい。あの男を私家族を壊した分、後悔させたい。黒ずくめの奴らを叩き潰したい!」


 怒号が走る。怒りが籠った叫び。どうしようもない怒りを抱いて彼女は叫んだ。


「復讐?」

「そう、なんでしょうね。あの時、あの仮面を見るだけで殺したくて殺したくて仕方が無かったわ」

「そうか」


 白瀬雪華はこの十年、その思いを内に押し殺して生きてきた。そして漸く見つかったのだ。憎き憎き最悪のクソ野郎が。

 これを絶好のチャンスと言わずして何というのだ。だがクロノが口を挟む。


「率直に言わせてもらいまうが不可能です」

「分かってるわよ…………」

「なら今日の事も、十年前の事も忘れて普通に生きていくべきです。だから今すぐに私達から離れて即刻この病院を出ていった方がいい」

「…………!」


 クロノが口にしたのは全うな正論だった。残念ながら白瀬雪華は結草ヒュウトと違って何の力も持っていない。彼女は所詮一般人でしかないのだ。そんな彼女が得体の知れない人間と化け物にどう対抗できるというのか。どう復讐する?


「じゃあ私何もかも忘れて、雪奈の事も諦めて、父さんや母さんの無念も捨てろっていうの?」

「はい」

「この十年間の気持ちも無駄にする?」

「はい」

「じゃあどうしろっていうのよ!」


 簡単な結論なんて彼女自身が一番分かっている。自分ではあんな怪物の前では直ぐに殺されるのは百も承知だ。

 だが、冗談じゃない、諦めたくない、嫌だ!

 積もりに積もった感情は彼女の安泰など許しはしない。


 立ち上がった雪華は怒りに身を任せクロノの胸倉を掴んだ。流石にそれは看過出来ずヒュウトが彼女を腕を抑えるが直ぐに振りほどかれる。

 クロノはただ真っ直ぐに雪華の眼を見ていた。


「だから言っているでしょう。きれいさっぱり忘れて気持ちよく人生を『やり直す』んですよ」

「やり直す?冗談じゃない…………冗談じゃないわよ!!そんなあっさり過去を切り捨てるなんてできないわよ…………。アンタに何が分かるっていうのよ!」


 そう言う彼女の頬に涙が伝う。けれどクロノは口に止めない。


「えぇ。痛いほど分かりますとも。過去はそう簡単には捨てることなんて出来ない。諦めろという方が間違っているのかもしれません」

「なら…………!」

「ですがそれ以上に、過去に囚われるという事ほど愚かな事は無い」

「…………!?」


 クロノの胸倉を掴んでいた手が離れる。


「考えれば考えるほど、思い出せば出すほど後悔は募っていく。だからその度に縛られる。謂わば呪いの様なものですよ」

「呪、い…………」


 雪華は察した。察してしまった。目の前にいる黒髪の少女は自分以上の愚か者だと。何をしようとも付き纏い決して離れることのない鎖が彼女には見えた。

 理解した彼女は自然とクロノから離れ病室のドアに向かった。


「……………………」

「…………いきなり大声出して済まなかったわね。結草、クロノさん。それじゃあ」


 さっきとは正反対に気の抜けた声が耳に入る。


「結草、お大事に」

「…………おう」


 そう言って雪華は病室を出ていった。

 病室に残った二人は沈黙の渦に居た。一人は遠くを見つめ、一人はただ、言葉の意味を考えていた。




「なぁクロノ」

「何でしょうかヒュウト様?」

「白瀬の事あれで良かったのか?」

「えぇ下手に振り回されるより振り切った方がいいのです」

「ふーん」


 雪華が病室を去った後、ヒュウトは物足りない病院食にありつけていた。クロノはモグモグと菓子パンを食べている。お互いに物思い耽ながら今後の事に頭を回していた。

 仮に真奈を助ける事を考えても、彼女はピエロ仮面の男に連れ去られ何処に居るか分からない。ヒュウトもジュニオンになるまでのインターバルである二十四時間がまだ経っておらず、対面したとしても勝筋は何処へ、だ。


「これからどうしようか…………」

「どうもせず安静にして家に引きこもりましょう。柊真奈の事はどうでもいいですから」

「なんか前と言ってる事違くない?」

「とにかくヒュウト様は何もしなくて良いんです!」


 妙に圧があるクロノに押され引いてしまうヒュウト。前まではちゃんと外に出て運動してくださいと言っていたのにと心の中で呟く。傷口は閉じ外傷は一切無く、痛みも感じない。何時でも退院OKという状態だ。


「怪我はすっかり治ってるのに」

「治ってもダメなものはダメなのですヒュウト様」

「なんかヤケに過保護になっちゃってるよ」

「私はただヒュウト様の事が心配なだけです!」


 プリプリと頬を膨らませ怒るクロノ。口は利かないと言わんばかりに菓子パンをもぐもぐと放り込む。何時もは見れないクロノの様子にヒュウトは笑みを浮かべる。

 笑う彼にチラチラと見てくる彼女がまた愛らしい。クロノが二重人格であれ何であれ大切な家族だから。


『私、は、お父さんと、お母さん、と一緒に、手を、繋いで………』


 クロノを見ているとヒュウトは思いだした。唯一無二の家族を失った少女の事を。


『イャオ……』


 何もかもが崩れていく光景を。化物が全てを壊していく姿を。昨日の事が忘れられない。忘れようと思っても忘れられない現実と化した悪夢。


「あーあ。光ヶ丘事件から十年経ったら何か碌な事がないや」

「……………………」


 思考を切り替える様に言いながらパタリとベッドに倒れ込む。

 全ては十年前、光ヶ丘事件をクリーチャーが起こしたのが発端だ。十年経った後、仕組まれたかのようにクリーチャーは同じ場所に現れた。

 彼がこう言うのも仕方ないだろう。それを聞いたクロノは申し訳なそうな顔をする。


「ヒュウト様は、後悔していますか?」

「何を?」

「ジュニオン…………人では無くなってしまった事を」

「今は後悔してない。でも、これから後悔するかもしれない」


 ヒュウトに対してクロノは遠い目で告げる。彼女がこれから自分がどうなるのか知っているような気がした。確証なんてない。でも感覚が悟る。何処かで道が開き袂を分かつ事を。

 今でも自分が何なのか良く分からない。昨日と今日、十年前に多くの別れ道があった。それを彼は迷わず選び進み続け、その結果が今のヒュウト。


「ならヒュウト様はきっと後悔するでしょう」

「そう、か」


 確信めいた声だった。クロノは今までずっとヒュウトを見続け、そう言った。その奥深くに何を意味しているのかは今は分からなくても、これから識ってしまうのだろう。

 根拠も何も無い。だが聡明な彼女の言葉をヒュウトは真っ直ぐに受け止める。

 どんな選択だって選んでしまえば後悔する。ああすれば、こうすれば、そんな言葉が湧いて出てくる。

 誰だって自然とそうなる物だ。それはヒュウトだって、クロノだって変わらない。


「ヒュウト様は…………どうしたいのですか?」


「え……?」


 彼女が聞いてきて、ふと思い出す。


『じゃあ、クロノはどうしたいの?』


 いつかの自分が彼女に向けて言った言葉。何をしたい?どうしたい?



────酷く、懐かしい。



 クロノがそんな事を言うとは微塵も思っていなかったヒュウトは呆けてしまう。どうしたい?と言われてもあの時の彼女と同じように答えててしまいそうだ。

 でもなぜかそれを嫌がってしまう。何故だろうか。柊真奈がどうなろうともどうでもいいと思っている。彼女が死のうと生きようともクロノの言うとおり何の関係も無い。


『それ、は──』


 あの時の彼女の表情がこびり着いて離れない。冷め切った、死んだ様な顔。

 両親が死んでしまったと伝えた時の彼女が受けた悲しみはどんな物だったのだろうか。大切な物を失った事が無いヒュウトには理解出来なかった。彼女の味わった絶望は計り知れない。


 ただ遊びに来ただけなのに、怪物の暴走に巻き込まれ人生最悪の日を迎えた。父と母と遊園地で楽しい思い出を作る筈が、何を間違えたかズタズタに引き裂かれたのだ。


 そんな彼女を見て、彼は何をその時思ったのだろうか。


 可哀想?苦しい?辛い?悲しい?


 どれも違う。


『僕は僕のやりたい事を貫き通す』


 助けてくれた男の言葉が浮かび上がった。


 今、自分のしたい事は何だろう。


 手にした力で何が出来るのだろう。


 根底にある気持ちは何だろう。


「俺は────」


────助けたい。そう、あの時柊真奈を見て思った。


「────柊を助けたい」


「ヒュウト様がそう望むのなら、私も望みましょう」


 ヒュウトの言葉に、クロノは頷いた。


◆◆◆◆◆


「まぁ助けると言っても場所が分からないんじゃどうしようもないぞ」


 赤い半袖パーカーのチャックを締めながら病室を出ていく。柊真奈を助けると決めた以上行動を取らなければ何も始まらない。

 何の案も浮かばなかったヒュウトは自信有りげな雰囲気のクロノに尋ねる。


「そんな事は分かっています。ですがあの男は必ず今夜、ジュニオンとなったヒュウト様を目的にやってきます」

「何で分かるの?」

「…………ヒューマノイドの勘ですよヒュウト様」


 きっぱりと言うクロノを信用しない理由は無く、堂々と歩を進める彼女の後を追う。歩いていく内に病院を出て外の景色が見えてきた。そこには当然、崩れ去った街の姿も。

 クロノ曰く、結種家に向かわなければならないと行った。態々言う必要性がある程の事かとヒュウトは思ったがアンプルや剣の事を考えると自然に納得する。


 恐らく家の中に自分の想像を超える物があるのだろうとヒュウトは考える。が、ジュニオンを知ってしまった以上、他に必要な物があるのかと疑問符を浮かべてしまう。


「そう言えばエーちゃんは?」

「エーちゃん…………?」

「忘れたのか?俺のデバイスだよ。ほら、ゴーグルの形した」

「あぁあの鉄屑ですか。あれはヒュウト様が持つべき物じゃ有りませんよ」


 エーちゃんについて聞くと目に見えて態度を変えるクロノ。言葉の節々には恨みというか怒りの様な物が垣間見えた。何故そんなにも嫌っているのか見当もつかないヒュウトはそんな事言うなと否定する。


「何でそんなエーちゃんに対して辛辣なのさ?」

「あんな物に温情を見せるなんて死んでも嫌です」

「第一エーちゃんが居なかったら俺は昨日為す術もなく殺されてたかもしれないんだぞ」


 ジュニオンがまとも戦えたのは一重にデバイスがあったからだ。当然ヒュウトは戦いの素人だ。相手がどう動くか、自分がどう動くかなんて分かりはしない。エーちゃんから情報が来なければジュニオンはどう動けば良いか分からず殺されている。


「それが一番不味いんですよヒュウト様」

「えっ?」

「いえ、良いです。確かに今はあのデバイスが必要ですね。優先すべき事は他にありますから」


 何が『不味い』のか分からず立ち止まるヒュウト。振り返ったと思えばクロノはエーちゃんが必要と掌を返し始める。増々今のクロノがエーちゃんに対してどう思っているのか困惑してしまう。


「ヒュウト様を傷付けたクリーチャーはどんな姿でしたか?」

「確か見た目は銀色で人型の虎っぽくて手には昨日のクリーチャーと似たような長い爪があった」

「虎、ですか」

「何か分かるか?」

「いえ、詳細は分かりませんが恐らくジュニオンと成ったヒュウト様よりパワーは高いです」

「やっぱりそうだよな…………」

「ですから何とかクロスカリバーを最低限使える様になって下さい」

「マジかよ…………」

「でなければ死、良くて相討ちです。ヒュウト様は柊真奈を助けたいのでしょう。なら死なない程度に強くなって下さい」

「分かった!どうにか成ってやる!」


 完膚無きまで打ちのめされ玩具の如く弄ばれた記憶が蘇りあんな事では駄目だと実感する。兎に角道具を扱えるアドバンテージを活かす様、クロノに言われ気を張り直す。

 現状ジュニオンに使えるアンプルは二本、猫と犬。残り一本は空だ。相対するクリーチャーの遺伝子元は間違い無く虎。ヒュウトの知る限り猫と犬では逆立ちしても勝てやしない強大な相手。寧ろ良く昨日現れたクリーチャーに勝てたと今でも思っている。

 クロノが他にも必要な装備があると話を聞いている内に家に着く。


「クロノ。家に必要な物があるって言うけどあからさまな武器みたいな物は見当たらなかったけど何処に有るんだよ?」

「取り敢えず着いてきてください」


 クロノは玄関を開け、直ぐ横にあった倉庫の中へと入っていく。倉庫は緊急時に必要な物や工具等が置かれている棚。自転車に点検に使う道具と明らかにクロノの言う必要な物は見当たらない。その様子にヒュウトは倉庫に何て何も無かったけどと思いつつ入る。


「ヨイショっと」

「…………!?」


 クロノが徐ろに一番奥にあった棚を動かすとその下には四角く区切られた扉の様な物があった。一瞬枠が光ると扉はスライドし中からは階段が見える。こんな物が家にあるとは思いもよらなかったヒュウトは立ち止まってしまう。薄暗い階段にクロノが足が踏み入れると、それに合わせ水色に光り白いアスファルトが露出した。

 何年も生きて来てこんな隠し通路があるとは知らなかったヒュウトは口をポカンと開ける。


「さぁヒュウト様こっちに来て下さい」

「お、おう」


 何がどうなっているのか理解が追い付かないが埒が明かないのでクロノの後を追うヒュウト。階段を歩くその先には彼にさらなる驚きが待っていた。


「何だ……此処。どうなってんだ」


 眼の前に広がる広大な空間。大凡一般家庭にあるとは思えない程の地下室だった。円形に広がり壁には多くの本が収納されている棚が並び、一面中に設置されていた。思わず地下室を歩き出してしまうヒュウト。手当り次第に近くに置いてあった黒く分厚い本を広げて見る。


「ヒュウト様!」


 クロノの制止も聞かずペラペラと本を捲るが其処には理解出来ない様な物が綴られていた。


「『魔法の理論について』?中二病のノートかよ……。舐めてんのか」


 一頁一頁ギッシリと文字やら数式、絵などが詰まっているが明らかに現実味が無いものばかりだった。無から氷や炎を生み出すだの、液体を自由自在に操る方法、星の力を人の身で振るう武具。それに対応した道具の作成に必要な部品等、科学技術が発達している現代では到底考えられない様な物ばかりが書かれていた。こんな本や部屋が家の真下にあるのも驚きだが余りにも非現実的な事が真面目に記され、再現出来ると言う事実の方が驚きだ。

 隣に置いてある本を開き、読む。また次の本を開き、読む。五冊程の一通りを見てみるがどれも同じく『魔法』に関する物であった。


「こんな大量の中二病ノートを描いたのは誰だ?」


 気になって最初に手にとった本を隅々まで調べるが、誰が書いたか等は一切無かった。一旦本を閉じて棚に戻し、改めて壁一面に広がる本棚を見渡す。此処にある本が全て同じ様な物だとしたら世に出ていない理由が分からない。世間に受け止められなくともある程度は受け入れられる筈。


「ヒュウト様が見るのはそんな物じゃ無くて、コッチです!」

「おおっ!」


 クロノに肩を掴まれて無理矢理反対方向を向かせられるヒュウト。しかしコッチと言われても有ったのは変わらず本棚ばかりだった。すると何やら床が円を描いて光りだした。同時に上へと動き始めガラスが貼り付いた円柱が現れる。円柱の中には何やら道着、鎖、二輪車等用途が良く分からない物が詰まっていた。


「いや何あれカッコイイ」

「さぁ早く来て下さい!」


 クロノが円柱に着いているガラスを横に移動させると直様赤い道着とスーツの様な服を手渡して来た。大きさからして体にピッタリ張り付くタイプの様だ。まさかとは思ったヒュウトだがクロノからは予想通りの声が渡される。


「戦うならそれを着てください」

「えっマジで?」

「本気です」

「わ、分かったよ」


「ほい」

「………………」


 着たくない理由なんてちっぽけな物なので素直にパンツ一丁となってピッチリスーツを着始めるヒュウト。クロノは顔を真っ赤にして横を向いているがチラチラと時折視線を着替えているヒュウトに向けていた。そんな彼女を尻目に彼は着終わったスーツを彼女に見せつける様に回る。

 手首から足首までぴっちりと締まっている赤い布。普段は決してしないような格好に違和感と変な感触を覚えながら道着を羽織り込む。

 ヒュウトの好みに合わせているのか分からないが帯やら何まで真っ赤である。また、その上からパーカーも着るので不自然な格好へとなってしまう。普段から赤い服を着ている彼はコレもコレで悪くないかと満足する。

 パーカーの前手にあるチャックは閉めず装いを正す為パーカーを棚引かせた。すると何やらスーツに風を斬るような音が走り光の線が青く浮かび上がる。


「うおぉ……」


「はぁ……」


 服を捲くって内側から見える光の流れを見て興奮するヒュウト。驚きと喜びの声を出しながら構えたりと遊び始める。服装等昔から同じ物しか着ていない彼にとって今着ているスーツと道着とパーカーと言う可笑しな格好に新鮮味を感じていた。それを当然見ていたクロノは頭に手を付け溜息を吐く。


 さながらはしゃいでいる子供に呆れている母親の様だ。


「ほらヒュウト様。変に動いていないでこれを着けて訓練しますよ」

「何これ」

「チェインアンカーです。ほら背負って背負って」


 手渡されたのは名前通りアンカーが取り付けられた赤色の鎖だった。長い鎖を目で追っていくとクロノが持っているヨーヨーの様に巻かれていた円盤がある。丁度背中に担げる位の大きさであり見ただけでは鎖の全長は計り知れない。


「うぉ……重いなこれ」


 言われた通りにチェインアンカーを背負い、その重さに肩を下ろす。鎖が何重にも束ねられているだけあって結構な重量だ。筋力が枝並のヒュウトは直ぐに根を上げてしまう。プラプラとアンカーが揺れ、床を掠る。それを手にとったクロノは左腕装着し始めた。


「おいこのアンカー?はどうすんの?」

「こうして左腕に取り付けてリアクターと合体させます」


 鎖に着いているバンドを肘に巻き付けアタッチメントパーツらしき物をカチャカチャとリアクターに取り付ける。クロノはリアクターを何やら弄くるとギュインと金属が擦れる音を鳴らしながら引っ張られる。グリップにもパーツが嵌り手首の横にはアンカーが現れた。


「使い方は?ただ鎖を引っ張るだけじゃ無いでしょクロノ」

「勿論ですヒュウト様。今から使い方を教えますので少々お待ちを」


 クロノが目を閉じると首輪が光り始め何やら部屋全体が振動する。何事かと動揺するヒュウトの眼の前から円柱は無くなり次々と無数の本棚が消えていく。否、消えているのでは無い。銀色の鉄板にこの地下室の壁全体が覆われているのだ。次第に本だらけの世界は変わり、鋼の世界へと変貌した。

 一面鉄となった壁には鏡の様に光りを反射しヒュウトとクロノだけを写していた。摩訶不思議な光景に辺りを見回すヒュウトにクロノは持っていたクロスカリバーとエーちゃんを渡す。剣を右手にゴーグルを被るヒュウトは改めてクロノを見る。


「エーちゃん?」

『今からチェーンアンカーを扱った戦闘訓練に入る。準備は当然出来ているな?』

「いや待て待て。クロノ、アンカーを使うにはグリップを操作するんだ?」

「簡単です。グリップにあるヒュウト様から見て左にあるスイッチを押します。押すと変形しますので気をつけて下さい。もう一度押すと元に戻ります」

「おう」


 言われた通りスイッチを押すと反対側にあるアンカーは勢い良く四方に展開した。爪の様に尖った武器に変貌したアンカーに冷や汗を掻きながらもう一度押すと元の形に戻った。


「右のスイッチは?」

「右のスイッチは押す鎖が振動に反応する、若しくは伸び切るまで発射されます。要は何かに刺さるまで止まりません。こちらも同様、もう一度押せば鎖は引っ張られ元に戻ります。二度押すと途中で鎖は止まります。勢いが凄いので気をつけて下さい。アンカーと合わせて相手を捕まえるなり武器として刺すなり移動手段等の使い方が有ります。では試しにどこでも良いのでやってみて下さい」

「分かった」


 すぅ……と息を吐き心を落ち着かせる。左のスイッチを押してアンカーを展開させ、真後ろに向かって槍を投げるかの如く鎖を飛ばす。

 鎖が火花を散らし、一秒も待たずしてアンカーの鉤爪は鉄板に突き刺さった。同時にスイッチを押すとヒュウトの体は一気に引っ張られる。一瞬にして鉄との距離は縮まり眼の前は自分の顔が写り込む。咄嗟にスイッチを押すと鎖の勢いは止まり体は鉄板に打ち付けられる。剣を握っていた力は緩まりカランコロンと床に転がった。


「痛……くない?」

「大丈夫ですかーヒュウト様ー!」

「お、おう。てかこの『チェーンアンカー』危な過ぎでしょ!」

「そうですが扱い方さえ上達すれば強力な武器に成りますよ!」

「そうだけど……うわっ!」


 アンカーの形が元に戻りヒュウトはぶら下がっていた状態から落下してしまう。慌ててやって来たクロノがヒュウトに肩を貸して立ち上がる。


「まさかずっとこれ使ってクロスカリバーを振り回すって言うじゃ無いんだろうな…………」

「いえチェーンアンカーは補助でしかありません。クロスカリバーによる剣術の指導が最も優先すべき事です」

「指導って……まさか」

「えぇまさかです」


 クロノは少し離れる着ていた服のスカートに指を掛ける。腕を振り上げていた途端、白い服は一瞬にして純白のドレスに変わっていた。何処か高貴さを思わせるドレスを翻られ、両手は昨日と同じく光り輝く剣がある。


「私が今からヒュウト様に剣術を出来る限り叩き込みます」


 白く発光する剣を構え刃をヒュウトに向ける彼女の顔は不敵に笑っていた。



◆◆◆◆◆



 光ケ丘にあるとあるマンションの一室。高価な家具が並びたち、橙色の光が部屋をほんのりと照らす。大きなモニターが壁に張り付き、その前には蔦の柄の白いソファーが置いてある。周りにはファイルが詰まった棚に観賞用の植物が幾つか置いてあった。窓からは光ケ丘の街が上から見渡せる。今は昼なのか真上から太陽が光を振りまいていた。


 そんな一室に少女────柊真奈は居た。


 椅子に座り、ただ俯く彼女。生気の無い光が消えた瞳からは小学生だと言う事を忘れさせる。ポツリと一人座っているが、このマンションは少女の住んでいる家ではない。彼女は元々、両親と一軒家に住んでいた。なら、何故彼女が知りもしない場所に居るのか、


「そんな暗い顔するなよ。お兄さん泣いちゃうぜ?」


 その張本人が何かを持ってやって来た。目に付くピエロの仮面、その色以外見当たらない黒ずくめの服。少女、柊真奈を誘拐した男以外他ならなかった。

 ピエロ仮面の男は彼女の前にある机にコトリと、皿を置く。少女が見ると其処には目玉焼きとパンがあるだけだった。

 どういうつもりだと真奈が顔を向けると男は笑って答えた。


「ははは、そんなの今が昼餉の時間だから決まっているだろうお嬢ちゃん」


 そう言うと彼も皿をもう一つ置き、自分の席に着いた。座ったきりただ男は睨む真奈を見つめる。そんな男の様子に彼女は笑われた気がした。


「お嬢ちゃん、目玉焼きには何をかけるかい?醤油?塩?中濃ソース?ゴマ?因みに俺は何もかけない派だ」

「…………。」


 嗤うように喋り始めた男は眼の前の少女の内心も知らず口を開き続ける。彼の問に真奈は黙ったままだった。誘拐して何をしたいのか理解出来ない彼女はただ唇を結ぶのみ。

 そんな彼女に呆れ、男は教えてくれなきゃ分からないじゃ無いか、それとも俺と同じく掛けない派?と小馬鹿にしたように真奈に喋りかける。それでも沈黙を決め込んだ彼女に対して男は独りでに仮面の下に入れて食べ始めた。


「ほら安心しろ、毒なんて何にも無いからささっと食べな」

「……んで」


 見せるようにパンを指の上で回すを男に真奈は口を開き始める。


「何で私をさらったんですか!?」


 少女は男にマンションへと連れられた時、どんな酷い事をされるのだろうと思えば、其処に有ったのは余りにもくだらない食事だった。未だに眼の前の大人が何を考え、何をしようとしているのか検討を着かない彼女は机に手を叩きつけて叫ぶ。

 真奈を尻目に男はほぐほぐと食事を終えた。詰まったのか胸を手で叩き水で流し込むと一息ついて真奈に向かって真剣に話し始める。


「何故ただの小学生である少女、柊真奈は何処とも無く怪物を連れて現れた俺に攫われたか、か?」

「…………」


 男の問に今度は返答として口を結ぶ真奈。


「そんな物単純さ。柊真奈、お前が餌だからだ」

「え、さ?」

「そう、結種ヒュウト。即ちジュニオン、あの怪物を釣る為の餌がお前だ」

「ヒュウトさんを釣るって…………」

「兎に角俺はアイツで、怪物同士で戦わせたいのさ」


 ただの小学生のお嬢ちゃんにはこれが一番分かりやすいだろうと呟いて、懐疑的な目で見る真奈に顔を近づけた。


「別に何時だってアイツの所に行けるさ。だから別にお前なんて此処にいる意味は無い」

「なら、何でこんな……!?」

「そんなの単純さ、怪物同士で戦わせる以外に俺は結種ヒュウトがどうなっているの知りたい。其処でお前は絶好の餌なんだよ!」


 男は狂ったように立ち上がり腕を上げて回り始める。生まれて初めて見た人間の狂気に真奈は押し黙ってしまう。男は鳴り止む事なく喋り続ける。


「何処が絶好な餌だって?ああ!ああ!そうさ!街の人々が皆死んでいく中、唯一人両親を失って生き残った少女。両親が死んだ事も知らずして逃げ惑う可哀想な可哀想な娘。だが少女は自信の両親が死んだ事を知り哀しみに暮れ、心は死んでいく。こんな物を同情しなくて何だと言うのだろうな?きっと今頃結種ヒュウトはお前を連れ戻す為に何かしらしているだろうよ」

「ヒュウトさんが、私を?」

「それはそうだろう両親を失ったと聞いた時の顔が忘れられなくて仕方が無いのだろうなぁ!」

「何で、そんな事まで……」

「俺は人間をある程度は理解していからな。根本的な事は何一つ理解出来んが子供の気持ち位は想像がつく」


 真奈の目に映る男は仮面を着けているのにも拘わらず酷く歪んだ様に笑っているふうに見えた。男はそれほどまでに歓喜の声を上げる。


「そうだ」


 男は思いついた様に呟く。見上げていた顔は真奈の方に向けられた。酔ったのか体を揺らしながらゆっくりと少女に近づく。その様に真奈は恐怖し一歩づつ後退る。


「お嬢ちゃんに一つ良いことを教えてやろう」

「良いこと……?」


 何が良いことだと吐き捨てたくなるが、抵抗手段を何も持たない彼女は唯黙っている事しか出来ない。真奈の眼の前にバッとピエロの仮面が飛び出た。


「結種ヒュウトの事だ。もっと言えば何故『お嬢ちゃんの両親』は死んだかだ」

「何が……言いたいんですか!」

「簡単さ。君のお父さんとお母さんは死にお嬢ちゃん一人だけが生きているの事を見れば分かるだろう?なんたって相手はあのクリーチャーなんだからよ」

「…………?」


 どれだけ言葉を交えようが眼の前の男の言っていることは何一つとして真奈には理解できなかった。だが自分の両親が何故死んだか。そんなのはあの化物が殺したからだ。其処まで知っている筈なのに、男は結論づいている事を掘り返す。


「まぁそれはアイツに来てもらった方が速いし分かりやすいさ。おいで~!」


 男は振り向くと誰かを呼ぶ。そしてその声を聞いて人が一人やって来る。来たのは一人の女性だった。なんてこと無い事だがその女の顔を見た瞬間真奈は酷く、表情を歪めた。



◆◆◆◆◆


 鋼に包まれた空間。その中で無数の光刃が舞う。赤と白の剣がぶつかり合い、剣戟の軌道が互いの間を埋め尽くす。

 眼の前に閃光が迫れば身を動かし、剣を振り翳す。刀身からは震えという形で叫び声が響く。振るえば振るう程、腕が小さく音を鳴らす。


 片や絶大なる剣技を振る舞い、片や己の執念を叩き込む。赤色の身体はとうに限界へと近づいている。しかし目は冴えていた。自身に襲い掛かる刃は速くも手に握る剣が火花を散らす。


 飛んでくる斬撃を宙を舞って避け、渾身の一撃を送るが、当たらない。代わりに刺突が首に当たる、筈だった。


「もう充分でしょう」

「はぁ……はぁ……」


 カランコロン、と赤い剣が手から床へと転げ落ちる。その剣の持ち主、ヒュウトは吸い込まれる様に倒れ、呼吸はより一層荒くなった。

 白い剣の剣先が宙を切り裂き持ち主の少女、クロノの懐へと仕舞われる。着ていたドレスは何時の間にか私服に変わり、仰向けに倒れたヒュウトに視線を合わせた。


「大分慣れてきたのでは無いでしょうか?」

「はぁ……はぁ……そう、かな?」

「ほら壁を見て下さい」


 クロノが指差した方向に視界がグラつきながらも目をやる。彼女の指差す鉄の壁には何かが突き刺さった様な跡が幾つも見受けられた。当然、それを作ったのは紛れも無くヒュウトの左腕にあるチェーンアンカーだった。これが意味するのは詰まる所、彼がこれを使いこなしたという事だ。この事実をクロノは喜んでいる。しかしそれに反してヒュウトの表情はあまりよろしくは無かった。


「でも、クロノに全く当てられなかった」

「ふふふ当たり前です。なんたって私はヒュウト様の教育型ヒューマノイドなのですから当然なのですよ!」


 胸に手を宛てて言い張る彼女にヒュウトは苦笑する。確かにと何をするにしてもクロノに教えてもらった事を思い出す。今回だってそれは変わらない。彼女があれ程にまで剣術が上手いとは思わなかったが見事に完敗し、叩き込まれた。


「ねぇ、本当にこれで大丈夫?」

「えぇ基礎自体は出来ていますし、余程の事が無ければ負けません」

「あの男、何時頃に来るのかな?」

「夜でしょうね」

「夜かぁ」


 消えていく鋼の壁を見ながら生死の掛かった戦いに勝てるか不安になってしまう。そして再び身体が変わり、自分が自分で無くなる様な感覚をもう一度味わうと思うとどうにも手が震えた。恐怖なのか、疲れからなのか、本人も分からない。


「やはりジュニオンに、怪物に成るのは怖いですか?」

「怪物……か。俺は怪物に……無ったつもりは無いんだけどな」

「はい。世間一般からすればジュニオンとなったヒュウト様は間違い無くクリーチャーと同様の扱いをされます」

「……俺は、ジュニオンはクリーチャーと同じ」

「やっぱり怖いですか?」


 クロノが心配した声で聞いてくる。彼女がリアクターを渡した、だがそれを決めたのは紛れも無くヒュウト自身。でも、彼は分からないと答えた。けれど、でもと付けて。


「ジュニオンがクリーチャーと同じ物だとしてもそんな事どうだったって良い。俺は俺のしたい事をするだけだ」


 そんな答えにクロノはポカンと目を見開くと次第にそれは笑みに変わっていく。そうですよねそうですよねと頷き、ヒュウトに手を伸ばす。膝をカクつかせながらも立ち上がる。


「後は身体を休めるだけですね」

「うん」


  引っ張られる形で地下室を出て行きリビングへと入っていく。ソファーにヒュウトは寝そべり天井を見上げていた。そう言えば昼ご飯食べてなかったっけと思いながら時計に目を見やる。短針は3を指しておりかなりの時間が過ぎた事を感じさせた。ゆっくりと瞼を閉じようとするヒュウトに不意に声が掛かる。


『眠いのですか?ヒュウト君お疲れの様ですが』

「うん……おやす…………エーちゃん?」


 ふと机の方を向いてみると何時も自分が着けているゴーグルが置いてあった。経った時間は短くとも濃密なだけにエーちゃんを見たのが久しぶりの様に感じる。ヒュウトは眠気なんて物はすっ飛ばし手に取った。


「今までクロノ様と何をしていたのですか?」

「ん、まぁ色々と」

『そうですか』


 エーちゃんも何故か記録が無くなっているので話したところで意味はない。クロノ曰く『その時』にならなければ思い出さないとの事。彼女含めて未だに謎が多過ぎる、が今は目の前の事に集中しなければならない。


「あー何か考えてるとまた眠くなってきた…………」

『なら睡眠はとった方がいいでしょう』

「それもそうか。なら、お休み」

『はいおやすみなさいヒュウト君』


 ヒュウトは眠る。来たるべき殺し合いに向けて。


 彼が眠りに着くとバタンとリビングのドアが小さく音を立てて閉じられる。入ってきたのは勿論白い服を着たクロノだ。彼女は忌々しくヒュウトが付けているゴーグルを見つめた。彼女の様子に不思議に思ったのか呼び掛ける。


『どうしたのですかクロノ様?』


「…………」


 しかし彼女は無視を決め込み、座ってコーヒーを飲んでいた。ヒュウトが目を覚まさなければクロノは辛辣な態度を取り続ける。そんな何時もと違う彼女を見てエーちゃんは話しかけない事に決めた。何故クロノがこのデバイスを敵視するのかは本人以外分からない。








 ヒュウトはまた地獄の中に立っていた。壊れたビデオテープを再生するように崩れた視界が何度も繰り返される。当たり前の様に世界は燃え、紙屑の様に全ては崩れていく。一歩足を踏み入れ様とすれば何かが邪魔で前に進めない。

 此処最近自分でも変な夢を見ているのは自覚している。こんなにも、言い方は変だがハッキリとした夢は今まで見たことがない。何時からだろうか。こんなにも世界を見るのが嫌になったのは。

 いきなり真っ黒な何かが、何も無い自分が首を掴んでくる。そして問い掛けた。


『■■■■■■■■■■■■■?』


 何を言っているのか分からなくなってきた。記憶が剝がれ落ちているような気がして仕方が無い。ヒュウトにはその問いには答えられない。また首が締まる。


「なんなんだよ」


 口を開いても何も答えてはくれなかった。体に炎が燃え移る。だがヒュウトは不思議とそれを熱いとは思わなかった。むしろ冷たい、だけど暖かい。変な気分に思考が犯される。皮膚は焼け落ち、白い肌は黒く灰へと変わった。時間が経つに連れて視界が焼き付く。


「…………さい」


「…………てください」


「ヒュウト様起きてください」


「はっ!」


 クロノに声を掛けられ夢から覚めるヒュウト。はぁはぁっと息を荒げ、起き上がる。既に日は落ち外は既に空は暗闇に染まっていた。クロノが起こした事、夜に成っていたことを考えるともう直ぐ来るという事。


「クロノ」

「はい、もう直ぐ奴がやって来ます」

「いよいよか…………」

『何の話をしているのですか?』

「貴方は黙っていて下さい」

『…………』

「クロノ」


 エーちゃんが口を挟もうとするとクロノが打ち消し、そんな彼女をヒュウトが咎める。溜息をつきながらもチェーンアンカーを背負い、ゴーグルを装着する。エーちゃんが小さく私、何かしましたか?聞いてきたのでヒュウトは乾いた笑いでしか答えれなかった。


「では行きましょう」


 玄関を出ると地下室に置いてあった紅い二輪車が置いてあった。まさかと思い、聞いてみると。


「ええ、徒歩で何か行きませんよ」

「これバイクじゃないよね?」


 二輪車は紅い外装で覆われており見てくれは完全にバイクそのものであった。この時代のバイクは人工知能が運転を補助、というか完全にオートになっている。しかし免許証が必要だ。因みにヒュウトは持っていない。クロノは運転方法は知っていても免許証までは持っていない。下手すれば監視に捕まってしまうと心配する彼にクロノは安心してくださいと胸を張る。


「見た目はこんなですがれっきとした電動自転車です。但しそのスピードはバイクを優に超えます!

「アウトです」


「ささ、細かい事は気にせず乗って下さい。ステルス機能でこの二輪車は見えませんから」

「はぁ…………」


 言われた通りにヒュウトとクロノは二輪車に乗り込みペダルを漕ぎ始めると驚くべきスピードで走りだす。二輪車自体ヒュウト達を含めて周りの景色に溶け込んでいき、傍目からは見えなくなる。暗闇の街を駆け抜け、吹き付ける風を身に受ける。表示された道順を辿りクロノが設定した場所へと向かう。目的地は赤火町にある駅の近くになっていた。まだ警報なり音沙汰が無いので現れてはいないのだろうが。


「着いたよ。まだ何も起こってないけど」

「えぇですがもうすぐ来ます。貴方の観察と世間にクリーチャーを知らしめる為に」


 通行人の邪魔に成らない様な場所に止まり駅の周辺全体を見渡す。ピエロ仮面の男、クリーチャーは全く見当たらない。クロノはただ一点、広場の中心を見つめている。それに倣って観ていると、奴は現れた。

 銀色と黒が交わる毛皮、長大な腕に着いた爪、殺意に満ちた琥珀の瞳。獰猛に息を荒らす化物がどこからともなく降り立った。

 

「…………ッ!!!」


「ヒュウト様!?」


 クリーチャーとの目が合った瞬間、ヒュウトの本能は反射的に動いた。二輪車を飛び出し、何も見えない筈の空間から赤いパーカーを着た少年がゴーグルを着けて現れる。

 クロノの静止を聞かずクリーチャーを殺すべくアンカーを展開し、投げ出す。腕から放たれた鎖は広場の街灯に向かって飛びアンカーが灯りを掴む。パリンど音を立てて照明は割れ白銀の虎を灯していた光は消え去る。


「結合!」


 アンカーに引っ張られ宙に身を投げだすヒュウト。しかしその手には既にアンプルが二本握られていた。ヒュウトの横には赤い猫と犬をデフォルメした物が威嚇する。

 街灯に近づくなりアンカーを離し勢いのままクリーチャーへと飛び掛かる。アンプルを装填しレバーを二度動かす。


 ヒュウトの周辺に幾本もの二重螺旋が球を描き、囲む。

 ゴーグルは変形し仮面の様に顔を覆い、髪色は真紅へと変わる。隣に居たジーンモデルはヒュウトを覆う形で纏わり付きその姿を変える。猫と犬は毛皮の如き鎧へと変貌を遂げる。以前にも増して刺々しい様はとても人間とは思えない。

 デバイスから脳に何かが書き込まれる様な感覚を覚えながらも、出された予測に従って体を動かした。


『|THE Gene Uinon NEAR ONE!! 《ジュニオン ニャーワン》』


『Pain EdgeTerminat!!!!!!』


 クリーチャーへと左手の紅に染まった鉤爪が振り翳される。突然降ってきたジュニオンにクリーチャーは対応出来ず両腕を交差して防ごうとする。が、今のジュニオン単体の最高火力の前には意味を為さない。両腕そのものを振り払われ、もう片方の鉤爪が振るう。此方も同様紅の軌道を描きクリーチャーの胸部へと炸裂する。

 刃を振るうが如く鉤爪は五つの線を描き、クリーチャーに傷が焼き付けられた。傷口からは当然、鮮血が吹き出し銀色だった毛皮はジュニオンと同じく真紅に染まる。


「グラァ…………!?」



「キャァァァァァ!!!!」


 途端、いきなり現れた化物二匹の存在に周りを屯っていた人間は気付き悲鳴をあげる。その声を筆頭に何だ何だと周りの人間がざわめきだす。多くの人間は颯爽とシェルターへと向かっていく。

 監視用の鳥型ロボットが二匹の怪物の周りを飛翔しだした。同時に駅全体に警報が鳴り響き、人々は半ばパニック状態に陥る。


「デャァァァァァ!!!」


 ジュニオンが雄叫びをあげた。


 襲い掛かってきた衝撃に白銀の虎は思わず後退ってしまう。ジュニオンはその隙を逃さず、間髪入れずに身体を回転させ踵蹴りを噛ます。直後白銀の虎の頭部に叩き込まれ、更に態勢を歪ませる。

 遂には立っていられなくなり地に伏せようとしていたがジュニオンがそれを許さない。


『Chain Anker!』


 直様チェーンアンカーを起動させ、アンカーが白銀の虎に向かって放たれた。大勢が崩れ、アンカーの飛び出す速度も相まって簡単に捕らえた。アンカーはものの見事に白銀の虎の首を掴む。首を締め付ける様にアンカーは強く閉じようとする。白銀の虎は呼吸困難に陥りながらも震える腕で外そうと試みる。が、ジュニオンが鎖を引き寄せ今度は白銀の虎が近づく。


『Cross Caliber!』


クロスカリバーを抜刀し、紅刃が牙を剥く。振るわれた剣は的確に白銀の虎を捉えた。しかしその刀身が白銀の虎に触れることは無かった。ジュニオンが斬るよりも速く白銀の虎が刀身を握っていた。掌は止めどなく血が流れている。

 ジュニオンは苦虫を嚙み潰したように顔を顰めた。剣を握られたことでは無い。クロスカリバーが白銀の虎によって返されているからだ。ギリギリと音を立て化け物に向かって振るわれた筈の剣は持ち主の元へと刃を向けた。


『マスターおはよう!じゃ無くてこんばんわかな?無事にジュニオンになれて良かったよ!』


 ジュニオンの勢いは何時の間にか消え去り、何時目の前の化け物に反撃されても可笑しくない状況に転換しかけている中、ジュニオンの左腕から軽快な声が耳に入る。しかし白銀の虎の自分を上回る力で、リアクターから流れる言葉に耳も傾けられない。クロノが宣告した通り力勝負では虎には勝てない。

 白銀の虎を見るなり本能のままに従った過去の自分に対して心の中で舌打ちをする。


『おや、話せる状況ではないようだねマスター?』

『ならヒュウトに代わって私が答えよう。お前は黙っていろ。貴様の声は耳障りだ』


 戦闘中のジュニオンに代わり戦闘状態に切り替えたエーちゃんがリアクターに応える。しかしその返事は辛辣な物だ。ジュニオンは目の前のクリーチャーを相手に踏ん張り、エーちゃんは演算を高速で行っている。そんな中リアクターの下らない軽口に構っている時間が惜しい。


『はははこれまた手厳しいなお嬢』

『誰がお嬢だ』

『だが軽口を叩かざるを得なくてね。マスターは梃子摺っている上にクロノ殿は絶賛』

「一人で突っ込まないで下さい!」


 白銀の虎がアンカーを取り外そうとし、ジュニオンの手はより赤く染まり震えあがり限界に近付いていた。そこへ閃光の如く仮面を着けたクロノが白く輝く剣を握って現れた。クリーチャーの元へ肉薄し光の刃を下から振り上げる。両手が既に防がれているクリーチャーはその一閃を受ける。斬られた痛みに声を上げるがそれと同時にアンカーは白銀の虎の首を離れ、銀に煌めく鉤爪が迫っていた。が、容赦なくクロノの蹴りに吹き飛ばされる。


『マスターにしか眼中に向けられている』

『何が言いたい?』

『あぁ、何、単純な事さ。GPMが直ぐ側に迫ってきている』

『…………!?』

『しかも今回は大掛かりな人数じゃないようだ。昨日の惨状を知っておいて尚少数というのなら余程の秘密兵器みたいだな。下手したら最悪の状況になるぞ』

「秘密兵器…………!?」

「どういうこと?」


 クリーチャーと距離が離れ、話す余裕が出来たヒュウトは構えつつも驚愕しているクロノの顔に不安を覚える。秘密兵器と言われるがヒュウトには想像も着かない。今の現代兵器がどれ程の物なのかは知る由もないのだ。聞いてみるに昨日の様な大勢で来るのではなく少数。ならばそれだけ被害が出るかもしれない兵器と言う事。

 吹き飛ばされたクリーチャーが立ち上がるのを尻目に星空を見上げる。そこにはただの星々だけでなく、ジェット機の様なもの、それに。


 一人の人間だった。


 ジュニオン達よりも遥か上空。前を開いた青いパーカー、その中で青く光るラインが目立つ服装をした人間が墜ちる。手には灰色の刀身に金色に装飾装飾された柄の剣が握られている。

 パーカーが風に煽られ、棚引く。深く被られた帽子の下から見えた表情に怯えは見えない。それどころか探していた物を見つけたように笑みを浮かべる。背後に浮かぶ星空の様に澄んだ瞳はただ一点真下にいる紅い怪物に向けられていた。


『太陽剣────新星』


 黒い帽子の鍔に触れ、誰にも聞こえる事も無く、呟いた。呪文の様に、その言葉機に、宙に浮かぶ少女────七星 橙乃は燃え揺らめく。

 ボゥと音を立て、炎が燈るように輝き始めた。灰色だった刀身は炎の如く橙色に。そこから伝って溢れ出た炎は全身を包み込む。青色だった服装は揺らめく炎に姿を変える。橙色の線が迸り、髪色はより黄金色に近づく。


 宛ら太陽の様に天へと現れ、地上を照らした。


「なんだありゃ…………」

「よりによって『星光の剣ステラーソード』ですか…………」

『逃げる事をオススメするよマスター』

「なんで?」

『一言で言うなら破壊の星剣、ジュニオンとクリーチャーの天敵だ』



 クリーチャーも含めこの場に居る全員が昼かと見間違える程、空は輝いていた。光の中心となっている人間を見上げ、ヒュウトは向けられた視線に疑念を抱く。

 そして第一の標的が自分である事を察する。興奮し、威嚇しているクリーチャーを見やるがこの化け物も同時に相手をしなければならない。今回のヒュウトの目的は真奈を助ける事だ。だがこの場に現れたのはクリーチャーのみ。クロノはこの場にピエロ仮面の男も現れると言った。しかし何処にも姿は見られない。ならクロノが言った事は嘘なのか。それも違う。今現れた人間に驚く、想定外と言うべきか。


「なぁそのステラーソードが天敵っていうのは」

「近づいたら死にます」

「そんなに!?」

『そんなにさマスター。君があんなとまともにやり合うのならタダでは済まない』


「久しぶりだな紅いクリーチャー…………」


(久しぶり?)


 その人間が持つ武装について聞き、心臓の鼓動を加速させるヒュウト。しかしそれよりも速く、太陽の剣を持つ少女が降り立った。降ってきた人間が自分と同じ年位という事実に驚きながらも爪わ構える。ゴウゴウと音を立てて燃え盛る剣を携えて、目の前の化け物を恐れることなく彼女は懐かしむように呟いた。白銀の虎にも目もくれずただ一点ジュニオンに殺意を向けながら。

 だがその視線の先に映るジュニオンは彼女が言った言葉に理解が追いついて居なかった。相対している少女に会った記憶など彼には無かった。紅いクリーチャー、と彼女は言った。なら益々可笑しい。ヒュウトがジュニオンになったのは昨日の事だ。久しぶりと言える程の時間も経っていない。


『ルガァ!!!!』


 自分を無視するなと言わんばかりに白銀の虎が襲い掛かる。ジュニオンを上回る力と強大な爪を以て。しかし目の前の橙色の少女は気にすること無く右手に握っていた剣を振りかざした。

 振るわれた剣に合わせて流れる星の輝き、炎の奔流。視界にそれを入れることなく化け物を殺そうとする傲慢さ。どれを採ってもジュニオンにとっては驚きだった。


「────邪魔だ」


 たった一言。ただ一言。それだけで白銀の虎の表情に焦りが生まれる。それは死への恐怖か、自分が本当に勝てるのかどうかか。どちらにしてもクリーチャーはいとも容易く切り裂いた。

 炎を纏った一閃は確実に白銀の虎を斬ったのだ。さらに追撃と言わんばかりに刀身の焔は放たれる。爆発と見間違える程、使い手自身も飲み込んだ。ヒュウト達の目から両者は消え去る。かと思えば爆風は切り裂かれ、橙色の少女が突っ込んで来た。


「クロノ!?」


 視界の端に映った炎に身を焼かれながら転げまわるクリーチャーを頭の片隅置きながら突っ込む。間違いなくあれを食らえばクロノは間違いなく焼死すると判断した彼は火の粉を浴びた爪を向ける。

 クロノが手を伸ばすもジュニオンと星光の剣が衝撃を起こす。腕から体に押し込まれる力に歯を食い縛りながらも耐える。ジリジリと全身が破裂しそうな感覚を感じながらも。


「グッ!?」

「どうしたクリーチャー!?あの時颯爽と私の全てを奪った時の威勢はどうした!」


 ジュニオンの爪は簡単に弾かれ一閃、また一閃と襲い掛かる。何とか躱しながらクロスカリバーを引き抜く。掠るたびに肌が焼け落ちるように痛みが走る。星光の剣から出ている炎が原因ではない。あの剣が放つ、見えない何か別のもの。だがそれを確認している暇はない。


「私に相手に剣か!」


 紅い刀身で受け止める度に広がる重い衝撃。腕が痺れんと言わんばかりに防ぐことしか出来ない。しかし転機が無い訳ではない。クロノから受けた斬撃と同じく、剣の軌道が見える。剣を振るった時の隙は見ていた。一撃一撃が重いというのならそれを往なせばいい。


「ラァ!」


 火花を散り立てる刃を交わし、全力の一撃をお見舞いする。しかし避けられた。常人ならば避けれる筈のない一撃。相手が常人ならば、の話だが。滑り落ちる様に橙乃はジュニオンの一閃を避ける。瞬間、腹部から鈍器をぶつけられた様な衝撃が走った。視界がブレ、一瞬宙に体が上がる。

 常人離れした身体能力を見せた少女は一心にジュニオンに剣を向けた。逃がさないと覆うほどに燃え上がる炎を見せて。


星光殲滅スターライトノヴァ


 刀身が爆破する。橙色から一瞬にして白色に変わり、炎は放たれた。咄嗟に右腕で顔を守るが、皮膚が焼けるのすら通り越し、吹き飛ばされる。

 熱い熱い熱い熱い。

 その言葉だけがヒュウトの思考を支配した。肉が焦げる様な臭い。炎に焼かれ剝がれ落ちていく服。紅い自身の手は燃え焼ける。


「────────!!!!!」


 言葉にならない悲鳴。燃え上がる全身を抑えながら暴れ回る。どうしようもない痛みに体もまた悲鳴を上げた。しかし体は何故か軽い。そして不思議と違和感を覚える。いつもは感じるはずの重さと感覚が消えていた。何かが体の中からこぼれ落ちる。

 いざ瞼を開けるとそこに右腕が消え去り、剣と腕輪が転がっていた。代わりにどくどくと夥しい量の血が流れ出す。


「逃げてください!」


「!?…………貴様どういうつもりだ!」


「駄、目だ…………ロノ…………」


『Chain Anchor!』


 左腕にあった腕輪を加えリアクターが勝手にアンカーをビルの方へ突き刺さった。引きずられる様にジュニオンはビルへと飛ばされる。ジュニオンの逃走を許すかと跳躍しようとする橙乃。がそれを阻止しようとクロノが縦横無尽に剣を振るう。

 流石に人間には手は出せないのか、防戦一方だ。


「どういうことですか友奈!」

『分かんないよ!通報には怪物が二体居たとは聞いたけど人間が襲って来るなんて!?取り敢えず最優先事項はクリーチャーの撃破。

だから!先に銀色のクリーチャーを討って!』


「くっ、邪魔だ!」


 太陽剣の一閃をクロノは見事に避けるが爆風によって吹き飛ばされる。ジュニオンよりは軽傷だが所々か血が流れ出す。橙乃は白銀の虎に向かって駆ける。だがまたしても邪魔が入る。


「おっと乱暴に扱ってくれるなよ選ばれし者!」

「次から次へと!」


 死ぬかもしれないというのに余裕綽々と言った様子で話すピエロ仮面。牙を剝く太陽剣を掴み取り橙乃の足は止められる。言わずもがな真奈を攫ったピエロ仮面の男だ。男は相変わらずの黒ずくめ。しかし一部は違っていた。怪物を簡単に退けた太陽剣。それを受け止めるというのならそれだけの武装が必要だ。

 男の右腕は鋼色に輝く鉄拳を纏っていた。金属の擦れる重い音を鳴らしながら炎は自然と消えていく。


「ディスラプションエネルギーは本当に面倒だ。お前にアレを倒されるのは困るんだよ」

「何故ディスラプションエネルギーの事を!」


 二人がせめぎ合う姿を見てクロノはビルの中に逃げたであろうヒュウトの元へと向かう。

 二輪車からヒュウトが背負う物が射出された。予め用意していたが戦闘では重りなってしまうチェインアンカーを手に取る。


「はぁ……はぁ……く、そ」


『右腕そのものが焼却されてしまった。再生には数分掛かる』


 逃げ込んだビルのある一室でヒュウトは横たわっていた。突き破った窓硝子の破片を見ながらじわじわと来る痛みに耐える。あの時、右腕で庇ってい無ければないぞうが転げ落ちていた事だろう。それに比べれば右腕が消えるのは安いものだった。

 形を変えていく右腕の断面を見ながらデバイスに問う。


「治るの、か?」

『ああ』


 自分と同じ赤色の液体は止まる事無く床に血溜まりを作っていた。掌にべっとりと着いた自身の鮮血を眺める。

 姿がどれだけ変わっても身体に流れる痛みと血は変わらない。化物に近づこうとも自分は人間だと言い聞かせる。斬れた右腕に力を込め、焼け焦げた身体に鞭を打つ。


「大丈夫ですか!?今治療を……」


「あぁ……まだ殺れるぜ」


 飛び込んで来たクロノは心配そうに仮面越しに声を掛ける。右腕が完全に無くなり断面を見せる彼に絶句し、表情が悲しみに包まれた。

 治療しようと寄るがヒュウトに止められてしまう。エーちゃんは完治には数分かかると言ったが、ヒュウト右腕は急激な速度で元の形に戻っていく。断面から爪先まで根が這うように再生する。

 広がる皮膚は赤い毛皮に包まれ、糸の様に細い毛皮は固まり鎧と化す。爪はより鋭利にその形を成し、牙の様に尖る。完全に再生すると同時に外れていた腕輪がガッチリと引っ付く。


「さぁ、行こう」

「……良いんですね?」

「うん」


 腕輪はどうしようもないと悟りつつもヒュウトはクロノに手を伸ばす。彼女は手を取らず俯き、再三確認する。それだけクロノがヒュウトの事を心配していた。クリーチャーだけなら兎も角として相手には天敵と言うべき剣、ピエロ仮面の男。状況はいいとは言えない。今は右腕だけで済んだが次に相対した時には命を落とすかもしれないのだ。けれどヒュウトはそれを加味しても行こうと言うのだ。ならばそれについていくのが彼のヒューマノイドである自分がやりたい事。

 一息入れ彼女は離さぬようにと握る。彼女の手の温もりを感じながら抱き寄せ、再びクロスカリバーを手に取り飛び出した。


『マスター、一ついい事を教えてあげるよ。クロスカリバーについてさ。その剣はただ威力強くて丈夫なだけじゃない』

「何でもっと速く言わないんだよリアクター…………」

『マスターが突っ走るからじゃないか』

「いいから速く教えてくれよ」

『聞くより見てやった方がいい』

「?」


 クロスカリバーに眼を向けると蒸気を吹き出しながら刀身の根本、鍔部分が開き丸い空洞部分が生まれる。その空洞は何度も見たことがあるものだった。教えた本人にもあるジーンアンプルを装填する為の窪み。詰まる所、クロスカリバーにもアンプルが使えると言う事。


『装填して使えば強力な一撃を叩きこめる。だけどアンプル一つにつき使えるのは一回。一度使えば二十四時間使えない。だからここぞという時にやるんだ』

「必殺技って事か。なら使えるのはキャットとドッグで二回か…………」


 それなりの階数に跳んだが降りてくるというのなら一瞬だ。再び戦場に戻って来たジュニオンに視線が集まる。


「消した筈の右腕が再生している!?」

「やっと主役が舞い戻ってきたか」


 橙乃は驚きの声を上げ、対して彼女をあしらっていたピエロ仮面の男は歓喜の声を上げる。ジュニオンにさっさとクリーチャーを倒せと言わんばかりに橙乃を押しのける。その声を聞いたジュニオンは癪と感じながらもクリーチャーに顔を向ける。


「クロノ見ていてくれ。俺、頑張るよ」


 クロノは何も答えない。親身にヒュウトを見ていた。


「お前の終末は…………俺が結ぶ!」


 白銀の虎に対して声を投げかけ、四足で走り出す。電光石火の如く、猛スピードで襲い掛かるジュニオン。砂煙が舞い散り、大地を駆け抜ける。飢えた獣が餌を見つけた様に咆哮が空気を震撼させた。白銀の虎は未だ太陽剣の傷が癒えずに立つのがやっとという様子だ。

 ジュニオンが肉薄する中、両腕に握られたクロスカリバーが白銀の虎へと襲い掛かる。紅の一振りは一撃では止まらず、何度も肉を切り裂く。


「グラァァァァ!!」


 受けた斬撃に叫び声を上げる白銀の虎。感じる痛みをぶつけようと我武者羅に両腕の爪を振り回す。だが近くに居たジュニオンにとっては馬鹿にならない話だ。四方八方から迫りくる剛力の爪という刃をクロスカリバーで防ぎ、弾く。


 呼吸を荒立て少し離れた白銀の虎はジュニオンを睨み付け、単調に駆ける。再度降りかかる力の剛腕。ガコンッと大きな音を立てお返しとばかりにその強大な力が襲う。大振り、そして知能が無いゆえに生ずる隙。ジュニオンがそれを逃すほどの怪物では、もう無かった。


『Gene Cancel』


 自動で蒸気と共に排出される紅いアンプル。即座にクロスカリバーへと叩き込まれた。


『Gene Ampoule Load』


『Cat!』


 剣から鳴り響く、白銀の虎に対する宣告の声。紅い剣はより赤く、紅く、朱く、そして赫いたかがやいた。猫の名を叫ぶと同時に無数の引っ搔き傷の形エネルギーが収束する。蠢く刃は敵を斬り殺さんと白銀の虎の懐に太刀を浴びせた。一瞬ごとに動く数多の紅の刃が進む度に剣で斬ったと思えない傷が出来上がる。

 その一太刀に白銀の虎は声にならない叫びが響き渡る。切り抜くと同時に背後に回る。排出されたアンプルを手に取り際限なく再び犬が描かれたもう一本のアンプルがクロスカリバーに装填される。


『Dog!』


 今度は紅い犬のあぎとが形成される。大きく真上に向かって開かれた口は並んだ牙を見せ、白銀の虎へと放たれた。

 強大な顎はクリーチャーの身体を嚙み砕く。美しく、銀色だった毛皮は見違えるほどに血が流れる。

 戦いが終わり、クロノが透明になっている二輪車を引き連れてやって来た。


 一斉に噴き出す鮮血、だらりと墜ちる両腕、一匹の獣はジュニオンによって倒された。

 だが僅かに呼吸が見えた。これだけの攻撃をしても尚、生きている。それにはジュニオンも流石に驚いた。今度こそ息の根を止めようと白銀の虎の首にクロスカリバーの刃を添える。



────クリーチャーの正体が人間かどうか、本当はエイリアンだったりしてな?信用するかしないかはお前次第だけどな。



 脳裏に過るよぎるピエロ仮面の男の言葉。もしかすれば今目の前に倒れているクリーチャーの正体は、自分と同じ人間。それも恐らく人生を壊された人間。


 いや、そんな事関係ないと切り捨て、クロスカリバーを振り上げた。そして紅の刃は白銀の虎の首を刎ねる、筈だった。

 唐突に剣が手の内から離れたのだ。左腕にあるリアクターが一人でに動きだしジュニオンの身体は引っ張られる。なんだ!とヒュウトが叫ぶとリアクターの下から注射器の様なものが出て来た。そこにもまたアンプルを嵌める為の空洞があった。


「どういうことだよ!」

『マスター、詳細な説明は後だ。ホルダーにある空のアンプルを入れてくれ』


 左腕の制御が利かなくなり、その場を動く事が出来なる為、仕方なしに言う事を聞く。何も表示されていないアンプルを手に取り装填する。

 入れた途端にリアクターは白銀の虎の方に動く。そして、注射器の様なものは白銀の虎の身体に突き刺さった。


『Purify Ampoules』


『Tiger!』


  数秒後、リアクターが離れ、空だった筈のアンプルが排出された。排出されたものに眼を通すと今までと同じ赤色、だが流線型の虎が描かれたアンプルだった。


「ハハハこれで今回の目的は達成された!」


 アンプルを手に取ると同時に橙乃をあしらっていたピエロ仮面の男の笑いがこの場に響き渡った。


「礼にアイツの居場所を教えてやるよ」

「!?」


 するとデバイスにメッセージが届く。


『アイツが居るのにすぐ近くにあるマンション、その屋上に居る。マップは送ってある。安心しろ、お嬢さんには何もしてない。少し話しただけさ。だから速く迎えに行ってやりな、王子様♡』


「何が王子様だ!」


 メールを見て、男がいた方を見るもそこには居らず、息を切らしている橙乃のみだった。


「ヒュウト様、今は逃げましょう!」

「…………ッ!」 


 もうこの場に居る理由は無くなった。ならば後はここから離れるのみ。乗り込んだクロノの後ろに座る。クロノがハンドルを握ったその時だった。ヒュウトが彼女を止めたのは


「クロノ、ちょっと待ってくれ」

「?」


 さっきまでクリーチャーがいた筈の場所に白銀の虎は居なかった。代わりに、くすんだ白色の髪をした少女が横たわっている。血の着いた白い肌にボロボロの服。何時の間にあの少女は此処居た?普通は戦いに巻き込まれて死んでいる筈だ。ならどうして少女が此処に居るのか、それは紛れもなく彼女が白銀の虎だったという事だ。


 仕方なくヒュウトはくすんだ白髪の少女を担ぎ上げる。この娘なら何か知っているかもしれない。このまま放置していれば、GPMに回収されて手掛かりが消えてしまう。


「…………では出ますね」

「頼む」


 クロノは気を失っている少女に目もくれず発進させる。ヒュウトは魘されているような少女に目を細め、振り返った。剣を杖にして立つ彼女にも同じく、疲弊の色が見えた。やはりと言うべきか彼女もあれだけの剣を使えば消耗するらしい。


「…………何処に行った!」

『完全に消えたみたい。多分ステルス機能だよ』

「…………」


 必死になって彼女を気の毒だと思いつつも、如何にか無事に終わった事を安堵するヒュウト。同時に感触を確かめる為、右腕の掌を開いたり握ったりを繰り返す。漏れなく右腕が消え去ったものの一応は再生という形で帰って来た。

 あの時は無意識に再生させた右腕。自分の身体がどうなっているか、更に謎が増えたが今は考えない事にした。


「本当に行くんですか?」

「まぁ、その為に来たんだし」

「…………罠かもしれませんよ」

「そん時はそん時だよ」


 ヒュウトの返答に溜息を吐きつつも、ちゃんと連れて行ってくれて辺り彼女の優しさが垣間見える。


「ぁ、戻るの忘れてた」


 気付いて二本のアンプルをリアクターから引き抜いた。すると、剝がれ落ちるように服と皮膚の上から赤い光がヒュウトから消えていく。鎧が消え去り元の赤い服装に戻った。髪や瞳から赤は抜け落ち、普段通りのヒュウトだ。

 だが一部分は違っていた。彼の手、もっと言えば袖の中の腕全体が腫れたように赤く、産毛も同じ色に成っている。


「…………」


 右腕を見ると人の肌とは思えない、以前の白の肌とは正反対の肌色を露出させる。その様にヒュウトは冷や汗を掻く。

 言葉が出ない。何時もある筈の腕。確かに此処に存在した。だが、今だけは自分の腕では無い気がして仕方が、無かった。



◆◆◆◆◆



 目的地のマンションの前に佇むヒュウト。その後ろでは意識が戻らない少女を背負っているクロノがじっと彼を見つめていた。涼やかな風が吹いても尚、体の熱は冷めることは無い。あのピエロ仮面の男が何故こんなマンションに少女を連れ行ったのか。何もかもが不可解。

 けれどあの夜の、少女の顔が、脳に焼き付いて離れない。

 初めて自分が『どうでもいい』と思わなかった人間。同情かもしれない。憐れみかもしれない。


「…………すぅ」


 そっと、息を吐いた。


────だとしても俺は彼女を助けたい。


 覚束ない足取りでマンションの中に入りエレベーターを使って一気に屋上へと登る。エレベーターが体を揺らす。階が上がっていくのを身で感じながら真奈にどんな顔をして会えば良いか分からない。しかし、そんな事を考えるのも束の間。エレベーターはあっという間に屋上に辿り着く。ドアは開き、夜の街並み、天上の星空が映り込む。


 そして、少女は居た。此方に背を向け、ただ光ヶ丘を見下ろしている。此処に誰かが来たと分かっているにも拘わらず声に出すことも目を向けることも無かった。


 ゆっくりと、それでいて大きく足を踏み込む。それでも尚、少女はヒュウトの方へ顔を向けることは無い。だからと言って彼は歩を止めない。


 直ぐ近く、彼女の背後にヒュウトは立つ。静寂だけが二人を包み込む。両者の間に言葉は挟まれず言葉にし難い何かが流れだす。


「あの人から、話を聴きました」


 少女が口を開いた。未だに表情は見えない。ヒュウトは真奈の言葉に耳を傾ける。


「何を?」

「色々と…………」


 何をとは話さない。そして彼もまた聞くことは無かった。


「でも一つ分かったことがありました」


 私のお父さんとお母さんが死んだことです、と少女は端的に言う。


 なんてことの無い事実。彼女が口に出したのは既に分かり切っていたことだった。あの日の夜、ヒュウトが彼女に伝えた事。分かり切っても尚、今日の朝、いる筈の無い両親を探しに行った。そして連れ去られ、少女は此処に立っている。

 きっと彼女の顔はあの日の夜と何も変わっていないのだろうとヒュウトは理解した。


「それだけか…………?」

「いいえ、他にもありました。何で私の両親が死んでしまったのかも」


 クルリとスカートをはためかせ、漸く少女は振り返る。光の無い、死んでいる瞳。何一つとして変わることは無かった。本当に、何かをされた様子にはとても見えない。けれどヒュウトは自分の心が冷めた鉄になったのを感じた。少女を助けたいと思っていた熱に満ちたモノは何時の間にか変わっていた、冷たく硬いモノに。


「バケモノ」


 その言葉を皮切りにヒュウトの身体は前方に引き寄せられる。高校生である彼がいとも簡単に手を引っ張られるだけでバランスを崩した。元々力も無ければジュニオンに成り、残った力は歩けてやっとの状態。前のめりに突っ込み柵に捕まる。

 少女の言葉の真意はヒュウトには理解出来ない。ただ一つ分かることは彼女は容易にこの手をを掴んではくれないという事だ。


「バケモノバケモノバケモノバケモノ」


 何度もバケモノと呟き続けるその様は正しく呪詛を唄うかの様。ふらつきながら少女は振り返ったヒュウトの目の前に立つ。今彼女がヒュウトを手で押してしまえば確実にこの屋上から落とせるだろう。

 潤んだ瞳がヒュウトを射抜く。そして憐れむ様に笑った。渇いた笑い声だけが彼の耳に響いた。


「何を…………?」


 目の前に居る少女が何をしようとしているのかを、脳が理解するのを拒む。そんな事をして何になるというのだ。自分が彼女に何かをした覚えは無い。両親の死という事実を伝えようが伝えまいがどちらにしろ彼女は真実を知っていただろう。


「一緒に地獄を歩きましょう?私は先に待ってますから」


「は?」


 踏んでいた筈の地面の感触は失われ、目に見える物は一面夜空に変わる。ほんの一瞬だけ浮遊感に襲われると後は落ちていくだけだ。

 重力に従って何もない空間では地にぶつかるまで止まる事は無い。そしてぶつかってしまえばその末路は容易に想像出来た。


「────!」


 自分が今置かれている状況に対して言葉が出ない。既に少女の顔はもう見えない。それだけの距離が空いていると言う事は、マンションの高さから見てもう間近なのだろう。知らず知らずのうちにヒュウトは悟る。自分は死んでしまうかもしれないと。幾ら右腕が再生してもこの高さから落ちれば、確実に体は崩れてしまう。全身の身体が再生するという保証は無い。そして下手をすれば脳が砕ける。仮に脳が再生したとしても『結種ヒュウト自身の記憶』が無事だとは限らない。


「…………!ゥ」


 それだけは何としても防がなければならない。まだ何も分からないまま死ぬなんて、冗談じゃない。真実なんて何一つとして知っちゃいないんだから。

 必死の抵抗、最後の足搔きとして両腕で力一杯に頭を包み込む。この勢いの前ではそんなもの髪一枚にも満たない。


「────────ぁ」


 そして、時はやって来た。


 どちゃり。字に起こせば余りにも可愛らしい音だ。可愛らしい、だけならどれだけ良かったのか。

 グサリと何かが心臓を貫く。息も出来ない様な衝撃が全身に駆け巡る。口の端からは滝の様に血は流れていた。肉は散り、骨は砕け感覚という感覚は必死になって殺しに来る。視界は揺れ歪み、焦点は合わない。


 避けようとしても避けられない地獄の一歩。その地獄に彼は踏み入ってしまったのだ。


 痺れたように体は当然動かない。全身に走る痛みと自身が助けたいと思っていた少女が落としたという事実に彼は打ちひしがれていた。


 ヒュウトの大きさ以上の血の池が出来上がる。今も絶えることなく赤色の液体は溢れ、心臓部分は尖った鉄の資材が貫いていた。死んでいるとしか思えない光景。しかし意識が朦朧としていながらも生きている。全身が衝撃に打ちのめされた上、確実に心臓は貫かれ、その機能を停止している筈だ。


「……………………」


 如何にか此処から動こうとするも力も残っておらず、刺さっている鉄が邪魔をして動けない。高々と聳える自身を貫いている鉄を見やる。あからさまに用意されているとしか思えない鉄の槍。少なくともヒュウトにはこれが偶然と思えなかった。


────どちゃり。


 可笑しい。ヒュウトが視線を鉄に向けていると聞こえる筈の、あり得る筈の無い無い音が響いた。彼と同じく、人間の体が崩れた音。今屋上に居た人間はたった一人。なら彼女以外であそこから落ちる人間はいない。

 ヒュウトは自身の真横、音のした方を見た。


「────────」


 詰まる所、少女が自分で屋上から落ちて、死んだという事。


 少女の全身から血が流れ出し、もう一つの血の池が造られた。形容しがたい余りにも凄惨な光景。今さっきまで喋っていた少女が死体と成って転がっている。その様にヒュウトは言葉が出なかった。絶句して、身の内から溢れ出す吐き気を必死に抑える。


 唐突にめらめらと少女の死体が燃え始めた。している表情を隠そうと彼女に身体は炎に包まれる。ごうごう音を立てて服は灰と化していく。少女の形を成していた物がただの灰となるのにそう時間はかからなかった。

 少女を燃やしていた火がヒュウトのだらりと広げられた手に燃え移る。もう彼にはその腕を動かせる程の体力も気力も無くなってしまった。赤色、橙色、黄色が交差する炎がヒュウトの掌に何かを載せる。しかし彼にとってはもう些事でしかない。

 そうして何時の間にか炎も少女の死体も消え去った。


 少女の死体は笑っていた、何かを嘲笑う様に。それはヒュウトに対してか。それとも彼女自身に対してか。

 何を思って彼女は落ちたのだろうか。それはきっと当人しか分からない。


 一から十、真実を話す事無く少女は死んでしまった。残ったものは彼の真横にある人間だった黒ずんだ何かと彼女が遺したと言うべきか────


────炎の様に彩られた、グラデーションが輝くプレパラートの様な物だけだった。




◆◆◆◆◆


 クリーチャーが現れた翌日、世間は大きくどよめいた。当然であろう。自分達が平和に暮らして街にいきなり二匹の化け物が現れ、戦闘を始めたのだから。幸い、死傷者は0。被害は建物ののみであり、奇跡としか言いようがなかった。

 これを機にGPMは正式に『クリーチャー』という未確認生命体という存在を世間に公表し、同時に十年前の『光ヶ丘事件』及び前日に起きた事件の原因はクリーチャーの破壊行動だと発表した。


 今まで都市伝説とされてきた、光ヶ丘事件は怪物が引き起こしたという事が真実だったのだから。インターネットでは今もクリーチャー、光ヶ丘事件のニュースで埋め尽くされていた。


 この事実と人々の不安に対しGPMは名の通り、彼等を助け、守護しクリーチャーという怪物の討伐を誓ったのだった。


「結種、なのかしら?」


 そして、このニュースを当然とある少女は見ていた。雪の様に輝く銀色の髪、サファイアの様な青い瞳、言わずもがな白瀬雪華だ。

 ふぅと息を吐き出し、付けていたデバイスを取り外す。用意していた紅茶を飲み、見上げた。彼女が考えているのは今話題をかっさらっているクリーチャー、もっと言えばヒュウトの事だった。


「あの紅いのって間違えなく結種よね?本人がそう言っていたんだし」


 本当にそうだったんだ、と彼女は瞼を閉じる。脳裏にちらつくのは病院での事とピエロ仮面の男だった。思い出すだけではらわたが煮えかえるあの男。つい力が入ってティーカップがわなわなと揺れる。


 公開された映像にピエロ仮面の男は居なかった。所々カットされている辺りGPMによって編集されているのだろう。そして間違いなくあのピエロ仮面の男はいた筈だと雪華は予想する。大体銀色のクリーチャーはあれが引き連れた物。なら居ない筈が無い。ピエロ仮面の男が映像に居なかったのは────


「人類に敵が居る事を知らせない為?」


 町一つ破壊した怪物に味方する、付き従えているという事を公表すれば民衆の不安を煽る事になる。クリーチャーというだけで人々は震えているというのにさらに追い打ちかける行為だ。


「けど私が考えることじゃないわね」


 その事実をどう使うかは政府である人工知能とGPM次第。彼女が見たことを言っても誰も信じてはくれないだろう。


「私が考えるべきはどうやって雪奈を取り返すこととアイツに復讐する事だけ」


 その為に彼女は今まで生きてきた。少しでも近づこうと『特殊現象調査部』、なんて自分でもふざけてると思った部活を作ったのだ。だが結局のところ彼女にはどうしようもなかった。何より雪華と彼等は立っている次元が違いすぎる。

 片や人間、片はそれを超える怪物。傍から見ても明らか。けれど彼女は諦められない。やっと見つけた手掛かり、この機を逃す理由は無かった。


「でもどうすればいいの?GPMに入る?いやそもそも一介の高校生が入れる訳ないし、まともにあの男と戦える技術も無い。あぁもう!」


 変わることのないの事実に彼女は声を上げる。雪華が対抗するには絶対的な『力』が必要だ。しかしそんなものが簡単に手に入っては人類はとっくに死滅している。けれども遅かれ早かれ、ある意味それは近づいていた。


「取り敢えず勉強と運動。先ずはこれからよ!何をするにしたって必要なんだから!結種、いや善雄英生に勝てるぐらいにはならないと!」


 そう息づいて早速勉強机に向かう。雪華は今自分にとって必要な事とするべきことを考える。そうしなければ自分は到底、あのピエロ仮面の男には復讐出来ない。だからこそ知識と技術を彼女は求める。

 

『丁度良いのが居たウサニャン』


 リビングから姿が消え去った雪華に対して何かが呟いた。窓の奥から黒い何かが覗いている。黒色の猫型、のようでいて兎の如く長い耳を生やしたロボット。浮遊機能でもあるのか手慣れたように宙を舞う。

 手に持った白色に輝くプレパラートの様なものをちらつかせて。


『これでアイツも含めれば二人目。順調に行けば魔生界も如何にか出来るウサニャン』


 それが喋る言葉の内容は誰も理解出来ない。しかし必ずそれを知る時がやって来る。果たしてその時がまだ世界が終末になっていなければの話だが。


 そして白瀬雪華、彼女は近いうちに求めて止まない力を手に入れる。それを彼女は知る由も無い。そして手に入れた力によってどんな結末を迎えるのかもまた分からない。


 ただ確実に言える事はただ一つ。今の時期は太陽が燦燦と光差す夏、だが雪が降る事だろう。

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異種結合のジュニオン @evolutionrevolution

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