追加エピソード ベンの過去⑤ そして物語は始まる 第7話後
「おい、ベン! 何やってる。さっさと料理を運べ!」
「今、行きます」
「要領の悪いガキだな」
皿洗いを中断すると、カウンターに置かれた料理を客に運んだ。再び、キッチンに戻ろうとすると、別の客に注文を取るように呼び止められた。注文を聞き、キッチンに戻ると、店長に睨まれる。
「お前、帰ってくるのが遅かったな」
「客の注文を取っていて、それで遅くなりました」
注文のメモを見せながら、店長に説明する。すると、店長はこちらに近づいてきて、思いっきり俺の顔を殴った。倒れそうになるのをあと少しで踏ん張る。
「お前のせいで皿が足りなくなりそうなんだ。言い訳せずにさっさとしろ!」
そう言うと、店長はまた、料理を始める。
俺が働いているのはとあるダイナーだった。この街に来て、一ヵ月もしないうちに俺は無一文になった。俺は急いで仕事を探した。だが、身元が分からない俺を雇ってくれるような職場はなかった。食料も尽きて、公園のベンチで茫然と座っていると、男に声をかけられた。ここの店長である。彼は俺がこのあたりで仕事を探していると聞き、訊ねてきたようだ。彼は「俺のところで働かないか」と誘ってきた。さらに住み込みで働けると言うのだ。俺はすぐにただ「はい」と答えた。俺が働くことが決まると、その日は夕飯をご馳走になった。
だが、それは罠だった。俺は毎日、寝る以外は店の手伝いをさせらた。給料はアルバイトの時給の半分以下だった。他にも何人かスタッフがいたが、皆俺と同じように何かトラブルを抱えている人間だった。話に聞くと、どうやら店長は俺たちみたいな連中を安くこき使い、使えなくなったら捨てるそうだ。俺が誘われた前日も一人倒れて捨てられたらしい。そうした実情を知って、俺は逃げ出すことができなかった。ここ以外で生きていくことはできないから。俺が犯した過ちのミスだと、俺は自分に言い聞かせて、毎日を耐え忍んだ。
・・・
そんな毎日を過ごしていたある日だった。俺は店長に皿を割った罰として閉店後の掃除をするように言われた。掃除をしようとホールに向かうと、閉店時間だというのに一人の男が窓際の席で外を眺めていた。黒いスーツに赤いワイシャツ、金色のアクセサリーを身に付けており、すぐにそういった組織の人間だと分かった。だが、話しかけないわけにもいかず、恐る恐る声をかける。
「もう閉店の時間です」
そう言うと、男は今頃こちらに気づいたかのように少し驚いてこちらを見た。
「ああ、悪かった。もう帰るよ」
そう言うと、男は立ち上がり、横の席に置いてあった黒いトレンチコートに腕を通した。
「お会計を頼む」
「わかりました。伝票を貰いますね」
そう言って、男のいたテーブルの伝票を取った。お会計の間、男はこちらをじっと観察していた。
「それじゃ、お釣りをどうぞ」
と言ってお釣りを渡そうとした時だった。
「いい、それはチップ代わりだ」
とその男は言ってきた。男に感謝の言葉を口にすると、それをポケットに入れる。
「君はここで働いてどれくらいになるんだい」
「まだ、数ヵ月ですよ」
「そうか。かなり大変そうな職場なのに結構長く勤めているんだな」
「ここ以外に働く場所が見つからなくて」
「そうなのか。もしよかったら、私が仕事を紹介してやろうか?」
突然の言葉に俺は驚いて男の顔を見つめる。
「何、簡単な仕事さ。ここより楽だし、ずっと稼げる。やってみないか」
この男は明らかに反社会的な組織の人間だ。紹介される仕事も何か想像がついた。そのとき、俺はケリーのことを思い出した。あいつもこの男が所属するような組織に雇われていたのだ。俺は奴みたいにはなりたくなかった。
「悪いけど、お断りするよ」
「本当にいいのか?」
「ああ、結構だ。帰ってくれ」
俺の声には少し怒気がこもっていた。
「残念だ。でも、もし気が変わったら声をかけてくれ。ここにはまた来る。おっと、名乗るのが遅かったね。俺はドリュヒューだ。それじゃあまた」
こちらの不機嫌な態度も気にせず、そのドリュヒューという男は店を出て行った。
・・・
そんな出来事から、さらに数ヵ月がたった。その頃には働き始めた頃の同僚はもう周りにはいなかった。そして、俺の体もすでに限界を迎えていた。手元がおぼつかず、ナイフで何度も指を切り、怪我が日に日に増えていった。頭もうまく働かず、メニューを聞き間違えては客や店長に怒鳴られた。そうした状態でも、俺は生きるために必死で働いた。
それは起きているのか寝ているのか自分でも意識がはっきりしない日だった。一日に客の注文を二度も間違え、俺は店長に何度も顔を殴られた。
「仕事が前から遅いと思っていたが、言葉すら理解できなかったとは! とんだマヌケを雇ってしまったみたいだな」
俺は暴言を吐かれても、ただ店長に対して謝罪の言葉を並べる。まわりの同僚が俺に憐みの視線を向けるのが伝わってくる。
「お前みたいなクズガキはな、いくらでも変わりがいるんだ。嫌なら出て行ってもらって構わんぞ!」
そう言うと、店長は間違えて注文を取り余った料理を俺の頭の上から落とした。ドロッとしたソースが頬を伝う。
「ふん、床に落ちた料理をちゃんと掃除しておけ、次にミスをしたら、もう許さんからな」
そう言うと、店長は休憩室に向かおうとする。俺の精神状態はその時に限界を迎えた。ここは食いしばるところだ、と心ではわかっていた。だが、疲労とストレスで思考がうまくまとまらない。俺はここでしか生きられない。本当だろうか? 警察に捕まって刑務所で過ごした方がよほど、楽だったのではないか? そうした考えが思考を支配し始める。ふと、そのときシンクで洗おうとしていたナイフが目に入る。いけない考えだと分かっていても、俺の手が勝手に動いた。
「おい、待てよ」
「何だ」
そう言うと、店長はこちらに振り返った。すると、俺の手にナイフが握られていることに気づいたのか、少し驚いた表情をする。
「よくも、散々馬鹿にしてくれたな!」
そう言ってナイフを店長の方に向けた。だが、店長はこちらを睨むと大きな声でこちらにい返す。
「それで、どうするつもりだ? お前はここ以外では生きていけないんだぞ。俺を殺してみろ。お前も終わりだ!」
そう言いながら、店長はこちらに少しずつ近づいてきた。
「ほら、刺してみろよ。俺は逃げんぞ! ほら!」
店長は挑発してくる。ナイフを握る力が少しずつ強くなっていく。
「お前は所詮その程度の人間なんだ! この根性なしが!」
今まさに、ナイフを上に振りかぶろうとした時だった。ケリーを殺した日のことを思い出す。あのときも俺は衝動的に物事を決断した。そのせいで俺はそこにあるはずだった未来を失った。また俺は失うのか? ふとそうした疑問が頭に浮かんだ。俺はもう間違えたくない。もうあんな思いをするのはごめんだ。
俺はナイフを壁に投げつけると、叫びながら店の裏口から飛び出した。近くの壁にもたれながら、座り込み俺は泣き叫んだ。大人の男の情けない叫び声だった。泣き止むとしばらく俺はその場にうずくまった。外はすでに暗くなっており、肌寒かった。
「そんなところで何をしているんだい?」
急に男の声がして、その方を見る。すると、そこには前に話をしたドリュヒューがいた。
「あんたこそ、どうしてここにいるんだ」
と目の涙を腕で拭きながら言った。
「いや、すごい声が裏手から聞こえてきたもんだから気になってね」
「あんたには関係ないよ。どこかへ行ってくれ」
そう言うと、ドリュヒューはニヤッと笑った。
「どうせ、店長と喧嘩したんだろ。クビになったんじゃないのか?」
「クビにはまだなってない」
とドリュヒューを睨みつけながら言い返す。
「『まだ』ね。君の顔も前に見た時よりやつれてるように見えるよ。はっきり言おう。君はもうすぐ死ぬよ。仕事が無くて餓死するか、働きすぎで過労死するか。俺にはわからんがね」
「何が言いたいんだ」
「だからね。どうせ死ぬんだったら、この前の俺の誘いに乗らないかって言ってんだよ。悪いようにはしない」
そう言われて俺はしばらく考え込んだ。確かにこの男の言う通り、俺はもうすぐ死んでしまうだろう。それに生き残るために犯罪をするくらいなら、この男の誘いに乗ってもいいのではないか? そう考えた。少し前なら、ケリーのことを思い出して断っていただろう。だが、今の俺は生存本能がプライドに勝ってしまう状況だった。それにどうせ死ぬのならやることをやって死にたかった。
「ああ、あんたの誘いに乗るよ」
「それはよかった」
そう言うと、ドリュヒューは笑顔をこちらに向けながら、右手を差し出してきた。俺はその手を掴んで立ち上がった。
・・・
その後、ドリュヒューと共に俺はタクシーに乗って向かったのは街の中心から少し離れた所にある古い雑居ビルだった。エレベーターで三階に上がると、そこは事務所になっていた。事務所にいた男がドリュヒューを見つけると、声をかけてきた。
「ドリュヒューさん。どうしたんですかこんな遅くに」
「いやちょっと、マルコムさんに会わせたい子がいてね」
そう言うと、その事務所の男は俺の方を見る。
「こんなやつれた青年をどうするつもりです?」
「まあまあ、それを決めるためにマルコムさんに会いたいんだよ」
「そうですか。マルコムさんなら、書斎にいますよ」
ドリュヒューは「ありがとう」と言うと、事務所の奥に向かって歩き始める。俺もそれに付いていった。奥に進むとそこに扉があった。その扉をドリュヒューはノックする。
「誰だ?」
と扉の向こうから男の声がする。
「ドリュヒューです」
そう言うと、「入れ」とまた中から声が聞こえてきた。ドリュヒューはドアノブを握ってドアを開ける。俺を先に通すと、ドリュヒューも部屋の中に入った。部屋の左右にはたくさんの彫刻や絵画が並べられていた。そして、扉のすぐ近くの所に応接用のソファとテーブルが、奥にはデスクが置いてある。声の主はそのデスクにいた。50くらいの小太りした男で、頭は少し剥げ始めている。老眼鏡をかけながら何かの資料に目を通していた。
「マルコムさん。こんな時間に急に来てすみません」
「前置きは言い。要件を言え」
そう言いながら、彼はまだ書類から目を離さない。
「この前、人が足りないって言ってましたよね? それで、ちょうど役に立ちそうなのを見つけてきたので、どうかと思いまして」
「その役に立ちそうなやつと言うのがお前か?
そこで、マルコムはようやく書類から目を離し、俺の方を見た。
「お前、名前は何だ?」
「ベン、ベン・タイラーです」
「どうして、ここに来た?」
そう言われて、ドリュヒューの方を見た。今回ここに来たのは彼に誘われたからだった。だが、ドリュヒューは目線をそらして俺を無視した。そんな様子を見て、マルコムは質問を変えた。
「お前はここで何をするかわかっているのか?」
「多少は分かっているつもりです」
「言っておくが、危険な仕事ばかりだぞ。覚悟はできているのか?」
「前の職場に比べれば、そんなことは問題ではありません」
そこまで聞いて、マルコムはしばらく考えるように黙り込んだ。そして、何かを決心すると口を開いた。
「最後の質問だ。人を殺したことはあるのか」
そう言われて、俺の表情は一瞬凍り付いた。ケリーのことを思い出す。動悸が激しくなるのを感じながら、絞り出すように答える。
「一人殺しました」
それを聞くと、マルコムは「そうか」と言った。そして、またしばらく黙り込むと急にドリュヒューの方を見て、指示を出した。
「ウィッツはまだ事務所にいたか?」
「ええ、居ましたよ」
とドリュヒューは答える。
「なら、奴に近くで食べ物を買ってくるように言ってこい」
「わかりました」
そう言うと、ドリュヒューは部屋から出て行った。部屋に俺とマルコムだけになる。マルコムは俺の顔をしっかりと見据えて話を始める。
「ちょうどパートナーを探している奴がいてな。そいつと仕事をしてもらう」
その言葉を聞いて、ここで働くことが決まったのだとわかる。
「しばらく、隣の部屋を貸してやる。それと、仕事をまだやらせるつもりはない。お前はやつれすぎだ。しばらく安静にしていろ」
「ありがとうございます。ありがとうございます」
何度も何度も感謝の言葉を口にする。思わず、目から涙があふれてきそうだった。また、前の店長のように使い捨てられるのかと思っていたからだ。だが、そうではなかった。俺は久しぶりの人の善意がうれしくて仕方なかった。
・・・
それから、一週間は買い出しを頼まれるくらいで大した仕事はなかった。そのおかげで前の職場で消耗した体を十分に癒すことができた。その後もしばらくは事務所の掃除や書類の整理など簡単な仕事をするだけだった。一ヵ月もすると、体は完全に回復し、運動しようとまで思うようになった。少しずつ給料をもらうようになり、アパートを探すように言われた。ちょどその頃だった。マルコムから、銃を渡され、ある男と仕事をするように言われた。
そう、ブライアンと……
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