第27話 その先へ

 俺は下水道の中に逃げ込むと、追っ手を振り払うためになるべく下水道の奥へ奥へと逃げた。懐中電灯がなかったので、真っ暗だったが徐々に目が慣れ始めた。


 一時間ほど歩いた時だった。何かが足元で割れる音がして、手を伸ばす。これは何だ、と手に取ると、それは鏡の破片だった。鏡のかけらは手のひらより大きく、三角形に尖っていて、結構な重量感があった。すると、指が熱くなるのを感じた。指を見ると血が流れている。どうやら、手に取ったときに指を破片の角で切ったようだ。


 血が流れる指を抑えながら、その近くに座り込んだ。一日に二回もこんなところに来るとは思わなかった。この下水道も、ブライアンと爆弾を仕掛けた下水道と同じく鼻が曲がるほど臭かった。


 今後、どうすればいいのか何度も考えようとするが、その度に先ほどのブライアンの死に際を思い出してしまって、胸が締め付けられる。そして、マディソンの顔を思い出す。あいつがいなければ、ブライアンは死なずに済んだのだ。だが、俺がもっとしっかりしていれば救えたかもしれない。そんなことばかり考えて、怒りと自責の念が心の中を循環する。


 そうして繰り返し考えていると、今日の疲れのせいか、俺は徐々に睡魔に襲われ始めた。普通なら、こんな状況で寝ることはしないだろう。だが、今の俺は精神的に追い詰められ、自暴自棄になっていた。そして、睡魔の誘いに応じるように俺は眠ってしまった。



 ・・・



 俺はイタリアンレストランでブライアンと食事をしていた。ブライアンはワインの注がれたグラスに口をつけている。俺は口一杯にピッツァを頬張ると、ワインで喉に流し込んだ。そして、前から疑問に思っていたことを口にする。


「ブライアン、何で二人で食事をするときにイタリアンの店ばかりなんだ?」


 ブライアンは目線をこちらに向けると、口元を緩めてこう答えた。


「前にロッソと組んでただろ。あいつはイタリア系だったからな。よくイタリア料理に付き合わされたんだ。そのせいでこの街でうまいイタリアンの店はやたら詳しいのに、他の料理の店はさっぱり分からないんだ」


 そして、グラスにもう一度口をつけると、話を続ける。


「だから、誰かと飯に行くときはこういう店に偏るのさ。もし、お前のお気に入りの店があったら教えてくれ」


「わかったよ。また探しておく。世界にイタリア料理以外の料理が存在することを教えるよ」


 と軽くからかいながら答えた。


「楽しみにしてるよ。ただし、まずかったらお前の驕りだからな!」


 とブライアンは冗談気味に言い返してきた。俺は口元を緩めながら、「デートの時みたいに、細心の注意を払って店を選ぶよ」と冗談で返した。そんな会話をしていると、ブライアンは腕時計を確認して、


「そろそろ時間だな。店を出よう」


 と言ってきた。「そうしよう」と俺も残っていたグラスのワインを一気に喉に流し込んで席を立った。ブライアンは席を立つと、コートのポケットから財布を出しながら、「今日は俺が出す」と会計に向かっていった。俺は「ありがとう」と言うと、ブライアンの後を付いていく。


 ブライアンがレジで会計をしている間、俺は彼の後ろで待っていた。すると彼は振り返ってこう言った。


「先に外で待っていろ」


 そう言われて店の扉に向かう。扉を開けて外に踏み出すと何か大きな違和感を感じた。なぜか急にもうブライアンに会えなくなるのではないか、という気がしたのだ。いつもの光景なのに、それがまるで別のもののように感じ始めた。怖くなってブライアンの方に振り返った。そして、


「ブライアン、行こう」


 と声をかけた。声をかけられてブライアンはこちらを向いたが、動こうとしなかった。


「行こう」


 もう一度、不安に駆られて声をかける。すると、ブライアンはこちらの方を見つめたまま、


「ベン、お前は行くんだ」


 と言った。その言葉を聞いて不安な気持ちが高まっていく。


「お前は行くんだ」


「そんなことはできない」


 俺はそう言うと、ブライアンの方に踏み出そうとする。だが、足が重くてうまく歩けなかった。何とかして歩こうと必死に足を動かそうとするがうまくいかない。そんなことをしていると、背後から急に闇が迫ってきた。そして、ブライアンのいる場所がどんどんと遠ざかっていく。


「早くこっちへ来てくれ!」


 と必死に叫ぶが、ブライアンはさらに遠ざかり、最後は一つの点になって消えてしまった。そして、闇が空間のすべてを包み込んだ。


「ブライアン……俺は……」


 そうつぶやいた次の瞬間、真っ暗になった空間が崩れ落ちた。



 ・・・



 人の足音で目が覚める。こんなところに来る奴は限られている。左を向くと、奥の曲がり角からこちらに明かりが近づいてくる。まずいと思って、ズボンに挟んでいた、銃を取る。そして、通路を右に向かって移動しようとした。だが、そのとき今度は右からも明かりが徐々に近づいてくることに気付いた。このままでは挟み撃ちにあってしまう。


 少し眠ることができたせいか、先ほどと違ってまだ冷静に状況を判断することができた。寝る前の精神状態では、きっとすぐにやられていただろう。このまま、ここにいても両方から撃たれるだけだ。どうすれば、と考えながら暗闇の中の水面を見つめた。



 ・・・


「なんだ! トッドか!」


 と右からやってきた男は左から来た男に向かって言った。


「おい、ショーン。脅かすなよ! 危うくチビっちまう所だった!」


 と左から来た男は答える。


「それにしても、臭いところだ。早く上に戻って、一杯やりたいよ」


 とトッドは言った。


「ああ、ほんとだ。それにここは暗い。なんか不気味だぜ……」


 と、ショーンがそれに対して返す。


「こんなところに逃げ込みやがって!ネズミみたいな奴だ。あんな奴、一人残ってもどうにもならんのだから、放っておけばいいのに、マディソンの奴……」


 とトッドは愚痴をこぼす。


「まあ、仕方ないぜ。この奥がまだなんだ。一緒に行こうぜ!」


 とショーンが後ろを指さしながら言った時だった。俺は下水の中から飛び出し、通路に立っているショーンの左足に先ほどのガラス片を突き刺した。ショーンは大きな悲鳴を上げながら、アサルトライフルの銃口をこちらに向けてくる。だが、俺はその銃口を掴むとそのまま引っ張って、ショーンを水の中に引きずり込む。そして、ガラス片を今度はショーンの目に突き刺した。脳にまで達したのかショーンは少し痙攣すると、動かなくなる。


 今度はトッドがこちらにライトを向けながら、アサルトライフルの銃弾を浴びせてきたが、ショーンの死体を盾にして防いだ。そして、ショーンのアサルトライフルを奪うと、ライトの方向に向かって無差別に撃ちまくった。


 すると、「うっ!」と言うトッドの声がした後、ライトの光が上向き、地面に倒れる音がした。


 驚くほど簡単に二人の殺し屋を始末できた。どうやら突然の戦闘は俺の中の生存本能を再び呼び覚ましたようだ。彼のためにもこんなところで死ぬわけにはいかない、と体が勝手に動いたようでもあった。


 下水の中から上がると、俺は急いで二人から武器になりそうなものを探す。そして、ショーンからアサルトライフルを、トッドからライトと替えのマガジンを奪うとその場を後にする。まだ、仲間がいるなら今の音を聞いてすぐに駆け付けるはずだ。


 梯子を登って上に出てもよいと考えたが、あいにく地上までの梯子は長く、登っている最中に下から撃たれればどうしようもない。ここは、一旦さらに奥へ逃げて、そこから地上に出ようと考えた。そして、再び覚悟を決めて暗闇の中を進み始めた。



 ・・・



 そこからさらに暗くて汚い下水道を歩いた。鼻が慣れてしまって既に臭いは気にならなくなっていた。それに肉体的にも精神的にも限界が来ていて満身創痍の体を、ただ生き延びるという意志が無理やり動かしている、というそんな状態だった。


 通路の横には膝下ほどの深さの汚水が流れていた。水は濁っていて、そこはよく見えない。前方をライトで照らすが、ここには出口は無いようだ。そうして、ただ茫然と無限に続くとも思われる通路を見ていた時だった。少し奥の方で何かの明かりが見えたような気がした。よく目を凝らしてそれを見ようとする。だが、何かわからない。ライトでもそこまで遠くは照らせなかった。


 何かの間違いかと再び歩き始める。だが、違和感を感じて、もう一度奥を照らそうとした時だった。発射光が見えて、複数の銃弾がこちらに飛んでくる。思わずアサルトライフルを掲げながら、汚水に飛び込んで、身を屈める。銃弾は下水道の壁と、持っていたライトに命中した。ライトは壊れて明かりが点かなくなった。何とかアサルトライフルで応戦しようと、引き金を引くが、銃弾は出なかった。よく見ると、マガジンやボルトキャリアーの辺りに銃弾が当たって、破損していた。


 急いで、ズボンに挟んでいた銃で応戦しようとする。だが次の瞬間、親指の辺りを掠り、あまりの痛みに声を上げながら、銃を下水の中に落としてしまった。


 すると、銃声が止み、水をかき分けて歩いてくる音がした。その足音の正体はマディソンだった。


「ようやく見つけたぞ。このゴミクズが!」


 そう言いながら、銃口をこちらの体の中心に向ける。


「お前もブライアンも調子に乗りやがって! 使い捨てされた奴はな、組織のために素直に死ぬってのが筋ってもんだ。それが、車一台吹き飛ばして、俺の部下を殺してなあ!」


 マディソンはあふれんばかりの怒りを言葉にしてこちらにぶつけていた。俺はそれを右手を抑えながらただ聞き続ける。だが、目線は先ほど落ちた銃を探していた。だが、暗いうえに水が濁っていて目では見つけられない。


「ブライアンは中途半端だった。だから死んだんだ。そして、そんな中途半端なあいつに従うからお前もここで死ぬ」


 今にも、マディソンは引き金を引こうとしていた。もうダメなのかと思った時だった。マディソンは銃口を俺の左足の膝に向け、そのまま銃弾を放った。膝に激痛が走り、おもわず声を上げながら左膝を抑えて、右膝をついてしまう。水が傷口に当たってさらに痛みが体を駆け巡った。


「お前はただでは死なさねえ。十分にいたぶってやる」


 そう言うと、マディソンは持っていたアサルトライフルを通路の上に放り投げると俺に近づいきた。そして、思いきり俺の腹を右足で蹴り上げる。体ごと一瞬宙に浮き、その後、後ろに飛ばされながら水の中を転げ回る。あまりの衝撃に口から胃液を吐き出してしまう。そして、口や鼻から汚水が入ってきて、咳こんだ。息をしようと水中から顔を出す。


 だが、すぐに後頭部をマディソンに右腕で抑えられ、水中に顔を突っ込まれる。息ができない、ともがいて腕をどけようとするが、マディソンの腕はびくともしなかった。


 そのまま、意識がどんどん薄れていくのを感じた。そして、ブライアンやケイトとの出会いを思い出す。俺の人生はこんなことで終わるのか?そんな疑問が頭の中に浮かんでくる。確かに俺もブライアンも殺し屋だった。褒められたものではない。だからと言って、こんなクズにごみのように扱われて死ななければならないのか。だが、すぐに諦めが脳裏を巡る。そんなことを考えても、何も始まらない……俺はもう死ぬんだ……すまない……ブライアン……そして、意識が遠くなっていく。


 そんな時だった。水中なのに声がはっきりと聞こえてくる。


『おい、ベン。何ぼさっとしてるんだ!仕事を舐めるな!シャキッとしろ!』


 いつも、仕事の時に聞いていた彼の声だった。遠くに行こうとしていた意識がまた戻ってくる。そして気が付くと、右手にはいつの間にか、見つからなかった仕事道具がしっかりと握られていた。



 ・・・



 マディソンは俺の動きが鈍くなったところで、腕をどけた。その瞬間、水中から顔を出し、汚水を口から吐き出しながら精一杯息を吸った。そして、マディソンの方をにらめつける。


 マディソンは俺から1メートルほど離れると、「もう終わりだ」と腰のホルスターから銃を取り出した。そして銃口を俺の顔に向けて、今まさに引き金を引こうとする。


 その瞬間に俺は左腕を思いっきり振り上げ、汚水をマディソンに浴びせた。マディソンは左腕で顔を覆ってガードする。そしてその拍子に、右手で銃の引き金を引いてしまう。だが、目標をきちんと見ないまま放たれた銃弾は俺の左頬をかすっただけだった。


 そして、2発目を撃とうと左手をどけ、こちらを見据えたマディソンに向かって、俺は水中から右手に握った銃を出し、痛みをこらえながら、4発の銃弾を放った。思わぬカウンターに、マディソンは驚きの表情を隠せなかった。


 それらの銃弾は4発ともマディソンの胸部に命中した。だが、巨体の男は4発食らったにもかかわらず、後ろに倒れなかった。しかし、傷口からは大量の血が噴き出している。感覚がないのかマディソンの右手の銃が手から滑り落ちた。そして、目を大きく見開いたまま、口からヒューヒューと苦しそうな呼吸音を立てる。


 直立不動で動かないマディソンに俺は左足を引きずりながら近づいた。そして、眉間に銃口を当てると、


「チャンスは2度はやってこない。あんたは俺を殺せるときに殺すべきだった。」


 と言い、そのまま引き金を引いた。



 ・・・


 その後、痛みで気を失ってしまった。目が覚めると、奥に明かりが差し込んでいる。どうやら、外は朝のようだった。光の差し込んでいる方に、左足を引きずりながら向かうと、そこに出口はあった。


 外に出ると、そこは街のはずれだった。眼前に一面の黄金の麦畑が広がっている。太陽の光が眩しくて、薄目にしたまま、前に向かって歩く。ずっと、暗い下水道の中にいたからだろう。普段よりも太陽の光が眩しく感じる。そして、空を見上げると、昨日と変わらず快晴の空だった。


 そして俺はそんな空に向かって大声で叫んだ。彼の名前を。下水の水で喉が痛むが、それでも構わず、彼の名前を叫び続けた。そして、気がつくと頬に雫が流れていた。それを左手で拭うと、


「俺は行くよ……」


 と言って前に向かって歩き出した。


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