第二十七話 あの人の話

 ベッドが2つ、書斎机と椅子がひとつ。ゆっくりできそうなL字型ソファがひとつ。ソファの前にはローテーブル。バスローブが見えている引き出しの金具は金。重厚な木製の家具は艶があり、細かいところに装飾が施されている。さすがは高級ホテルと思わせる調度の上品さ。部屋は充分すぎるほど広かった。

 雪野はベットに腰掛けて、立ち尽くしたままの文貴を見上げた。

「どこか座ったら?立ってないと話ができないわけでもないでしょう」

 文貴は弾かれたようにあたりを見回し、ソファに腰を落ち着けた。ベッドに腰掛けた雪野と向かい合って話せる位置だった。

 ただ、雪野は文貴が座ったのを見届けると、ミニバーコーナーのほうへ向かい、コーヒーと紅茶を淹れ始めた。

 文貴にだってわかるくらい、今の雪野はとげとげしている。

「紅茶でいいよね?砂糖はなしで、ミルクもつけとく」

「あ、はい。お願いします」

 コーヒーの香り。こちらは恐らく雪野用だ。

「それで?どうしたの?」

 何の軽口も言われず、名前も言われない問いかけ。

 触れられたくない部分があることくらい、誰にだってわかる。

 けれども、話さなければいけなかった。

「ーー俺の兄であり、雪野さんの、付き合ってた人の、話です」

 雪野は黙ったままだった。湯沸かしポットが沸騰を告げた。

 テレビは無言で、ロビーでかかっていたクラシックの気配も全くない。

 核心に至るときは、いつだって怖い。

「俺は、雪野さんに謝らなくちゃいけないんです」

 動悸がする。逃げるなら今のうちだと悪魔が囁く。

「あの日、雪野さんと、兄を覗いたのは俺だから

 」

「だからあの人を殺したのは自分だと、そう言いたいの?」

 遮るように。かちゃりと、ローテーブルに紅茶がセットされる。

 雪野はぐびっとコーヒーを流し込み始めた。

「だってそうでしょう。俺があんなことしなきゃ、あいつは今頃」

「わかんないよ、そんなの」

 空になったカップを、雪野が置いた。

 ずんずんとベッドに向かい、ぼすんと座る。

 ため息。コーヒーの香り混じりの吐息。

「だって私は、嫌だった」

 自嘲じみた声。視線は合わない。

「私は身体を預ける準備ができていなかった。だから貴方があのとき来なくても、私は部屋を飛び出していた。貴方が気に病む必要はないの。だって」

 目が合った。瞳が潤んでいた。

「あの人は、私が死なせた」

 文貴は理解した。

 この人は兄に囚われている。自分がそうであるように、自らの行いが原因で人を死に追いやったのだと責め続けている。

「ーーーー雪野さん、もう、やめましょう」

 呼びかけは口をついて出た。

 本能的なものだった。

「俺はもう、雪野さんに苦しんで欲しくないです」

 雪野はゆっくりと口角を上げた。

「それは私が文ちゃんに言うセリフだよ」

 年上の義務とでもいうように。

 彼女は立ち上がり、文貴のほうに近づいてきた。

「雪野さん……?」

「成仏して、ほしいよね」

 雪野は文貴を抱きしめた。文貴は、されるがまま。

 雪野の温かさを感じるとともに、背中に氷が当てられたような感触がある。

「…………しよっか」

 耳元で囁かれた声に、心臓が跳ねる。

 その後がつんとした衝撃。

「ごめんね、文ちゃん」

 意識を手放す前、文貴は確かに、謝罪の言葉を聞いた。


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