第二十六話 彼と彼女

 文貴は気後れしながら高級ホテルに入る。

 伊織の霊感によると、雪野と幽霊はここにいるらしい。そんな馬鹿なと一笑に付すだけの余裕は文貴になかった。

 1泊だけなのか、暫くここにいるつもりなのかは分からない。宿泊料金がえらいことになりそうだけれど、雪野の会社は優良だから、割安で泊まれる福利厚生があるのだと、伊織は言っていた。

 大丈夫。堂々としていれば分からない。

 飛鳥の言葉を思い出す。

 本当はよろしくないことをしているから、内心ドキドキするも、チェックインをせず、宿泊者フロアに進もうと試みる。

 大体の階層は判明しているのだ。しかし、宿泊者用のカードキーがないと、エレベーターは指定の階まで動かないシステムのようだった。これではまずい。他の宿泊者がエレベーターに乗り込まないうちに、何食わぬ顔を装って降りる。まばらに人気のあるロビーのソファに腰を下ろした。

 文貴は雪野のスマホを鳴らしてみる。緊急用とのことで交換し、今まで一度も使わなかった電話番号。

 コール音は鳴る。電源は切られていないようだ。

 間髪入れず、ショートメッセージを送信する。

 既読になるか、ならないかは賭けだ。そして、読まれても彼女がどう行動するかだって、分からない。それでもせずにはいられなかった。

 送信後、1時間が経ち、2時間が経った。シャンデリアは変わらずまばゆい輝きを放っている。ロビーで談笑していた最後の1組が、立ち上がる。

 メッセージは既読になっている。雪野は来ない。

「ーー帰るか」

 1人呟いて立ち上がった時。

「ーーーーーー」

 死んだ魚のような目に、射抜かれた。

 文貴は怯まずに、真っ直ぐに見つめ返す。

「まだ、いたんだ」

 雪野の口調からは、いくつか伝わってくるものがある。根負け、呆れ、そして期待。

「俺は雪野さんと話すまで、帰りませんよ」

 雪野は息を吐くと、背を向けた。

 追いかけようとするも、彼女はフロントへ向かい、何事か話している。

 戻ってきた時には、カードキーを1枚手にしていた。

「部屋で話そっか。こそこそしなくていいよ、宿泊手続きはしてきたから」

 雪野は素っ気なく要件だけ伝えると、すたすたとエレベーターへ向かう。

「ちょっと、雪野さん」

 文句を言おうとして、口を閉じる。

 流れに身を任せた方がいいかもしれない。

 エレベーターに乗り込んだのは文貴たち2人だけで、雪野が押した階まで、誰も乗り込んで来なかった。その間は無言。静かに、それでいて素早く箱は上がっていく。

 騒々しさを抑えたエレガントな到着音。するりと開く扉へ迷わず1歩、雪野は進む。文貴は前を歩く彼女についていく。廊下はしんとしていた。

 ーーカードキーが部屋のロックを解除する音がした。

「あがってよ」

 先に部屋に入った雪野が、低いテンションでそうすすめる。

 文貴は黙って部屋へ足を踏み入れた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る