第7話 人間に育てられたキツネの話 その3
「見せてください。治します」
少女はノノの横に立つと、「失礼します」といって、ノノの服の袖をめくる。
手首は、先ほど以上に青く腫れていた。
「痛かったでしょう……」
そういって少女が手をかざすと、腫れはみるみる退いていき、やがて、はじめから何もなかったかのようになった。
「終わりました」
少女は笑顔を浮かべる。
「こんな強い力……伏見にもなかなかいいひん」
ノノは驚きの表情を浮かべながら、確かめるように右手首を動かす。痛みは感じなかった。
「両親には、隠すようにいわれているんです。恐がられるか、いいように利用されるだけだから、って。でも、やっぱり辛そうなヒトを助けてあげたくて……」
ノノはうなずく。
「ありがとう。じゃあ、今回のことは秘密にしとくな」
少女は嬉しそうにうなずいた。
そのとき、扉が開いた。
一組の老夫婦がそこにいた。
「お父さん、お母さん、おかえり」
サクが嬉しそうにいった。この老夫婦がサクの両親のようだ。
「おや、お客さんでしたか申し訳ない。少し所用があって、出かけておりましたので。注文はお決まりですか? すぐにおつくりします」
父親が慌ててカウンターの内側の厨房に入る。
「あの……」
ノノが立ち上がろうとすると、ミチヨが手でそれを制し、立ち上がる。
「あの、このお手紙の長尾様というのは、あなたのことでお間違えないですか?」
ミチヨは封筒を取り出して、尋ねた。
「その手紙……確かに私が書いたものです。ということは、あなた方は……」
父親は驚いたような表情を浮かべる。
「はい。こちらが神に仕える神獣のキツネ、小徳付ノノ様です。私はその付き人で、同じくキツネの栗駒ミチヨと申します。よろしくお願いいたします」
ミチヨは深々と頭をさげ、ノノもそれに続いた。
「まさか、本当に来てくださるとは……申し遅れました。私、ここの店主の長尾ユウスケと申します。そしてこちらが、妻のハナ」
母親は父親の横へ立ち、軽く頭を下げた。
「長尾サクです。よろしくお願いします」
最後に、少女――サクが頭を下げた。
「うん、よろしく」
そこに、サナが鼻を近づけてくる。
「ノノさん、お兄ちゃんみたいないい匂いがする」
「こら、サク。失礼ですよ」
母親がたしなめ、サクはしぶしぶという感じで、顔を離す。
「別にええで。キツネの匂いや。覚えておいて、損はないはずや。あと、ノノって呼び捨てでええで」
その様子をみて、ミチヨはそっと微笑む。
「お嬢様……めずらしい」
そのときだ、入り口の扉が激しく開いた。
そこにいたのは、ノノと同い年くらいの男の子だった。学校帰りのようで、ランドセルを背負っている。その顔には、青あざ細かい傷がたくさんあり、そこから微かに血がにじんでいた。
「……ただいま」
男の子はぶっきらぼうにそういった。
「お帰り、ミウ。随分とはやかったのね」
母親が声をかける。男の子はミウという名前のようだった。
「大雪警報。帰れるうちに帰れって。明日も休みになった」
ノノがふと窓に目をむけると、いつの間にか雪が降りはじめていた。
ミウはそのまま厨房の奥を通って、二階への階段を上がっていった。
「その怪我、どうしたの?」
母親が大きな声で尋ねると
「こけた」
と声だけがかえってきた。
「アレが、もう一人の?」
ノノが尋ねると、サクはうなずく。
「うん。私のお兄ちゃんのミウ。ごめんね。お兄ちゃん、いっつもあんな感じで。ちょっと見てくる」
サクは申し訳なさそうにそういうと、ミウを追いかけていった。
サクの姿が見えなくなると、ミチヨが慎重に尋ねる。
「サクちゃん、学校にいっていないみたいですけど、なにかあったんですか?」
両親は顔を見合わせる。
そして、ゆっくりと口を開いたのは父親の方だった。
「二学期の終わりの頃なんですが、学校で怪我をした子がいて、サクは“力”を使って治療したんです。あの子は優しいから」
話を聞きながら、ノノは自分の右手首を見た。
父親の話は続く。
「でも、その様子が六年生に見られていて、不思議な力を持ったバケモノと忌み嫌われるようになってしまった。この子はキツネだから理解してくれ、と相手に説明するわけにはいかず、私たちにできるのは、学校を休んでもいい、といってやることだけでした。それでは根本的な解決にならないことはわかっているのですが、他にどうしていいか……」
「サク、七歳ですか?」
ノノが尋ねると、母親がうなずいた。
「生い立ちが生い立ちなので正確な年はわからないんですが、私たちのところに来たのがちょうど七年前で、その日を誕生日ということにしています」
「七歳なら一年生。それで六年生に目をつけられるというのは、相当怖かったやろなぁ」
ノノは独り言のようにいった。
そのときだ、二階から大きな声がした。
「サクはなにも気にしなくていいって、いってんだろ!」
それから、バタバタという乱暴な足音とともに、ミウが現れた。
「どうしたの? また喧嘩?」
母親が尋ねると、ミウは一瞬迷うように視線を泳がせたあと、「なんでもない」といって乱暴な仕草で店を出ていった。
「すみません。ミウもミウで最近ずっとあんな調子で。学校でなにかあったようなんですが、なにも話してくれなくて」
母親が申し訳なさそうにいった。
そのとき、サクが泣きじゃくりながらやってきた。
サクは母親に抱き着く。
「どうしたの? サク」
「お兄ちゃんが、お兄ちゃんね、私の為に六年生の人たちと喧嘩したんだって」
ノノは立ち上がると、サクに近寄り、その頭を撫でた。
「ちょっと、ミウと話してくる。いくで、ミチヨ」
「ノノ……」
サクは涙目でノノを見る。
「任せなさい。ちょっとあの男の子と話つけてくるから」
そういって、店を後にした。
吹雪の中の町を歩く。
「
ノノは震えながらそういった。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
ミチヨは自分の上着を脱ごうとする。
「いいわ。あなたが風邪を引いたら、帰れへんから」
「にしても、少し驚きました。ずいぶんサク様のことを気に入られているようで」
ノノは右手首を確かめるように動かす。
「恩は返す。それに、私たちの“力”はヒトを救う為にある。ヒトはヒトであって、人間じゃない。人間も、幽霊も、キツネもみんなヒト。だから、自分の“力”で苦しむことなんてあったらあかん」
ノノは最後に「そう思う」と付け足した。
ミウはバス停のベンチに座っていた。
屋根がなく、雪はミウの頭に、体に、降り積もる。
「傷、無くなってる。サクに治してもらったん?」
ノノはベンチに積もった雪を手で払うと、ミウの横に座った。スカートに水がしみてきて冷たい。
ミチヨはベンチの横に立つ。
「お前たちは店にいた……見ない顔だな。この町のヤツじゃないのか」
ミウはチラリとノノを見ていった。
「あなたのお父さんに頼まれて、この町に来てん」
「親父に? どういうこと」
ノノは膝の上で手のひらを空にむける。
ミウが不思議そうな表情を浮かべていると、突然、その手の中に炎が現れた。
「こ、これって……」
「狐火や」
炎はノノの手の中でゆらゆらと揺れる。
しかし、ノノは熱を感じなかった。雪も、溶けることなくすり抜ける。
「じゃァ、お前も……」
「うん。アンタと同じ、キツネ。私は伏見稲荷で神に成り代わりヒトの願いを叶える神獣や。キツネの子を拾った、っていう手紙が大社に来て、それで私たちは来た」
ノノが手を振ると、炎は消えた。
ミウは顔を近づけた。
「神の使いなら、なんか、こう、凄い技とか知ってるんだろ。教えてくれよ」
ノノは手でミウの顔を遠ざける。
「さっきの怪我、サクの仇討したん?」
「仇討じゃねえよ。アイツらを懲らしめれば、サクに手出しできないようにすれば、そしたらまたサクが学校に来られると思って」
「で、負けたんや」
すかさずノノがいいかえすと、ミウはうつむく。
「俺たちはどこから来たのかもわかんないし、本当の親が誰なのかもわからない。サクだって、本当は俺の妹じゃないかもしれない」
いつの間にか、ミウの頭に三角形のキツネの耳が生えていた。
「でもさ、サクには俺しかいないんだ。俺たち二人だけがキツネで、人間にはない力を持ってる。だから、俺が守ってやらないと」
ノノはミウの耳に手を置いた。
「耳を隠せないのはまともに力を制御できてない証拠。そんなんでサクを守りたいから術を教えろなんて思いあがったお子様やね」
その瞬間、ミウはノノをにらみつけた。
「なんだよ。お子様って、俺とそんなに年変わらないだろ!」
「私、五年生やし。もうすぐ六年生」
すかさずノノがいい返すと、
「やっぱり、一つしか変わらないじゃねか!」
「一つでも私の方が年上やもん!」
ノノとミウはにらみ合う。
二人の頭に、雪が降り積もる。
そして。
笑いあった。二人とも笑っていた。
「わかった。手を貸したげる。その前に、その耳、引っ込め」
一通り笑い終わると、ノノはいった。
そのときだ、ミウの耳がピクリと動く。
「どうしたん?」
ノノが尋ねると、ミウは「しっ」と自分の口に指をあてる。
「声だ……声が聞こえる……サクっ!」
ノノは首を傾げ、ミチヨを見る。ミチヨも「聞こえない」という風に首を横に振る。
「助けて……サク、助けてっていってる!」
ミウは立ち上がると、はじかれたように走り出す。
「待って」
ノノ、そしてミチヨも走り出した。
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