第6話 人間に育てられたキツネの話 その2
次の日の早朝。
ノノとミチヨは双方とも洋服すがたで、大きな荷物を持って、京都駅に来ていた。
「駅員さんに聞いてきた。この手紙のところにいくには、大阪から特急に乗って、鳥取で乗り換えやって。切符も買って(こうて)きた。まったく。誰が家出人やねん」
ノノが切符売り場に目をやりながら悪態をつく。
「お嬢様。やはりやめましょうよ。帰りましょうよ」
ミチヨがいうと、ノノは大きなため息をついた。
「ミチヨがそこまでいうなら、仕方ないなぁ」
あきらめたようにいうと、ミチヨの表情がパッと明るくなった。
「お嬢様、わかっていただけましたか」
ノノはポケットから古びた鍵を取り出し、ミチヨに渡す。
「お嬢様?」
「蔵の鍵や。ミチヨは精一杯、私を止めようとしたけど、呪術で蔵に閉じ込められた。そういうことにしとき。そしたら、ミチヨはそんなに怒られへんはずやから」
ミチヨは自分の手の中の鍵を見つめる。
そして、そっとそれをノノに差し出した。
「私もいきます。私は、ノノ様の付き人ですから。ノノ様がいくというので私もお供します。いきますよ。いけばいいんでしょ! 鳥取でも砂丘でもサハラ砂漠でも、お嬢様がいくというのであればいかせていただきますよっ!」
後半、ほとんどやけくその叫びだったが、ノノは嬉しそうに笑った。
「ありがと。あなた、私の付き人の中で七番目くらいに好きになれそうや」
「ちなみに私、何人目なんですか?」
「八人目やで。覚えてる限りで」
ノノは新幹線の改札へむかって歩く。ミチヨは慌ててその後を追いかけた。
新幹線で新大阪へ。一つ隣の大阪駅へ移動し、そこから鳥取いきの特急に乗った。
特急はディーゼルエンジンの音と振動を引き連れながら、山陽と山陰を壁のように隔てる山脈越えに挑む。
列車の進むに合わせて、車窓は徐々に雪に白く染められていく。
大阪から三時間半くらいで、鳥取駅に到着した。
列車を降りると、ひんやりとした空気が全身を包む。
「寒いな」
ノノがいうと、ミチヨはホームの時計を見た。
「乗り換えまで、時間がありますね。なにか温かいものを買ってきます」
ミチヨは小走りで離れていき、ノノはホームのベンチに座る。
ほどなくして、ミチヨが戻ってくる。
「お待たせしました」
ポリ茶瓶に入ったお茶を買ってきた。
「どうぞ」
ミチヨは蓋を外してノノに渡すと、そこにお茶を注ぐ。
「おおきに」
ノノは蓋をコップの代わりにし、一口飲む。まだ少し薄いが、温かい。
「ミチヨも飲みなよ」
蓋をミチヨに渡した。
「ありがとうございます」
ミチヨはノノの横に座ると、お茶を飲んだ。
「見られますか? 遠くの山に雪が積もってますよ」
駅前のビル群のむこう側に、白く染まった山々が見える。
「アンタ、東北の出身やっけ?」
「はい。小さな村でした。雪景色を見ると、ふるさとを思い出します」
「さっさと立派なキツネになって、家族のところに帰ってあげなさいな。でも、私もうしばらくは私のそばにいてな」
ミチヨは笑顔で「はい」とうなずいた。
そのとき、若桜いきの列車がやってきた。
「いくで。ミチヨ」
ノノは立ち上がった。
列車は再びディーゼルエンジンを響かせて走り出す。
ノノとミチヨはボックスシートに並んで座る。
ノノは大きなあくびをした。
「お嬢様、よろしければ、少しお休みになられては? 朝がはやかったですし」
ノノはそっと、ミチヨの肩に寄り掛かる。
「ミチヨ。喜びなさい。五番目に昇進や」
「へ?」
「好きになった付き人の順位。七番目やったけど、五番目にしたげる」
「ありがとうございます」
ほどなくして、ノノの寝息がきこえはじめた。
ノノは夢を見ていた。
真っ暗で、どこだかわからない場所だった。
足元には一本の光の道がまっすぐに伸びていて、ノノはただ進まなければという強い義務感を感じ、足を動かす。
周囲の景色が変わらないので本当に進んでいるのかわからない。でも、進んでいると信じて足を動かす。
そのとき、後ろから来ただれかが追い抜いていった。
それは、ノノの母親だった。
母親だけではなかった。父が、兄が、追い越していった。ノノの方をチラリとも見ることはなかった。
「待って、みんな待って!」
ノノは追いつこうと必死に足を動かすが、距離はどんどん離れていくばかりだ。
もしかしたら,ノノは進んでいないのかもしれない。そんな気がしてくる。
そのとき、ノノの横に並んだヒトがいた。
それは、幼馴染で同級生のキツネ、シロだった。
シロはチラリとノノを見ると、追い越していった。
「待ちなさい、待ってシロ!」
やがて、シロの背中は見えなくなる。
「待って。お願い。おいていかないで……」
ノノは、シロの背中に届かない手を伸ばした。
「……様、……お嬢様」
体を揺り動かされ、ノノは目を覚ました。
列車は駅に到着していた。
窓の外に『若桜』と書かれた駅名の看板が見える。
「到着しましたよ。ご気分はいかがですか?」
「すっきりした」
二人は列車を降りた。
駅の周囲はわずかににぎわっている。
ノノは無数の足跡がついた雪を踏みしめ駅前の道を歩く。
「お嬢様、雪が氷になってますから、転ばないように気をつけてくださいね」
そういった途端、ノノは足を滑らせ、こけた。
「きゃっ!」
「お嬢様!」
「いてて」
「大丈夫ですか? お嬢様」
ミチヨは駆け寄ると、手を差しのべる。
「ありがと」
ノノはその手を掴むが、瞬間、苦痛に表情をゆがめる。右手首が、青く腫れていた。
「こけたときに……」
ミチヨはノノを抱き起す。
「このくらい……なんともない」
ノノの額に、汗がにじむ。
「折れているかもしれません。お医者様に診てもらわないと」
「ミチヨ……大丈夫やから。それより、ここで間違いない?」
ノノは、左手で正面にある建物を指差した。
それは、よくいえば味がある、悪くいえばボロの木造建築だった。
『和食処 若桜』
そう書かれた簡素な看板が掲げられており、扉には『商い中』と書かれた札がかかっていた。
「……はい、ここです」
ミチヨは封筒を取り出し、書かれていた差出人の住所を見ながらこたえた。
「じゃあ、いこか」
そういって、ノノは左手で扉を開けた。
カラン。
扉につけられたベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
店内にいたのは、ノノより少し幼く見える少女だった。
「今、両親は出かけていまして、しばらくお待ちいただいてもよろしいですか?」
少女は申し訳なさそうにいった。
ノノとミチヨは、顔を見合わせたあとカウンター席に座った。
カウンターテーブルは最近新調されたようで、傷や汚れがほとんどない美しいものだった。
「あと十分もたたないうちに帰ってくると思いますので」
少女は二人に水を出す。
「ありがと」
ノノはなんの気なしに右手でグラスを掴み、痛みに顔をゆがめる。
「もしかして、お怪我をなさっているのですか?」
女の子はノノを心配そうに見つめる。
「ちょっと、転んだだけ。大丈夫や」
ノノは右手をかばう。
その仕草を見て、少女は迷うように視線を動かし、そして、いった。
「見せてください。治します」
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