第5話 人間に育てられたキツネの話 その1

 京都市伏見区。

 稲荷大社の周囲は土産物屋が広がるが、その一帯を超えると閑静な住宅街となる。

 その中に、ひときわ大きな家があった。古い木造の和風建築で、昔からこの地域に住んでいる一族のものとわかる。

 表札は『小徳付』と掲げられていた。

 しょうとくつき、と読むその家系は、古来より神に仕えるキツネの一族だった。

 家の一室に、少女の声が響く。

「ちょっと、どういうことやねん! なんで私はいったらあかんの!」

 少女は小学校高学年くらい。上質な生地でつくられたとわかる和服を着ている。

 彼女の名前はノノといった。

「あ、あの、ですから、奥様がノノ様は鍛錬と勉学に努める時期なので、大社のお役目には参加させるなと……」

 ノノの正面に立つ女性は気圧され、尻すぼみになりながらいった。若い女性で、和服にエプロンという姿だ。こちらの女性はミチヨといった。

「そんな悠長なこといってたら、シロに追い越されちゃうじゃない!」

 ノノはさらに強い口調で,何度も床を蹴りながらいった。

「シロ……様というのは、ご学友の秦守はたもりシロ様ですか?」

 ミチヨは突然出てきた名前に首を傾げる。

「ご学友? そんなんちゃうわ! あんないけ好かないヤツ!」

 ノノはここまでで一番大きな声で叫んだ。

「し、しかし、ノノ様。私、シロ様とは一度お会いしましたが真面目で礼儀正しくて努力家で気配りができる、お友達として申し分ない方ではないですか」

 ミチヨがいうと、ノノは食い気味に怒鳴る。

「だから気に入らないのよ! 優等生ぶってさ」

 そのとき、ふすまが勢いよく開いた。

 ノノの母親がそこにいた。

「ノノさん。騒がしいですよ。一人前の神獣を目指すものがなんですか。はしたない」

 母は声を荒らげるないものの、怒りを隠さない口調だった。

 その鋭い目は、次にミチヨにむけられる。

「ミチヨさんも。働き始めたばかりだとはいえ、ノノの付き人として雇っているのですから、その自覚をもって、しっかりとノノをしつけていただかなければ困ります。こんなことが続くようであれば、故郷くにへ帰っていただきますからね!」

 ミチヨは涙目になりながら頭を下げる。

「申し訳、ございませんでした」

「まったく。もう少ししっかりしてくださいね」

 母はそういうと、部屋を出ていった。

「一人前になれ、いうんやったら、なんでお役目を与えてくれへんねん。めちゃくちゃゆうてるやん」

 ノノはふすまにむかってぼやくと、ミチヨに「なぁ」と同意を求める。

 しかし、ミチヨは返事をしなかった。いや、できなかった。泣いていたから。

 ノノは大きなため息をつく。

「お母様ももう少し、もののいい方を考えるべきやね。ミチヨ、大丈夫よ。あなたが解雇されることはないから」

 そういいながら、足元に落ちていた何かを拾い上げる。

「お嬢様……それ、なんですか?」

 ミチヨは鼻水をすすりながら尋ねた。

「お母様も案外間抜けやな。これを落としてった」

 ノノの手に握られていたのは、封の切られた封筒だった。あて名は『稲荷大社』になっている。

「そ、それ、奥様に返さないと……」

 ミチヨが慌てたようすでいうと、ノノは「なにいってんだこいつ」と表情で表し、ためらう様子無く中身を取り出す。

「いい? ミチヨ。これのあて先はこの家ではなく大社になってるでしょ? しかも、封がすでに切られている。つまりこれは、大社になにかの依頼が来て、お母様がその担当になったということなの」

 封筒に入っていたのは柄のない便箋だった。広げると、万年筆の丁寧な字が並ぶ。

「い、いけませんよ。お嬢様」

 ミチヨはそういいながらも、ノノの後ろから便箋を覗き込む。


『拝啓。

 突然お手紙を差し上げます失礼をお許しください。

 私は長尾優介と申します。鳥取県の若桜町という小さな町で妻と和食処を営んでおります。この度、どうしても稲荷大社様のお力をお借りしたいと思い、お手紙を差し上げました。

 私たち夫婦は長い間、子を授かることがなく、半ば諦めておりましたが十年前、店の前に一人の赤子が捨てられておりした。男の子でした。精一杯、この子の親を探しましたが、結局見つかることはなく、これもなにかの縁と、この子を私たちの子として育てることとしました。

 しかし、次第にこの子が人間ではないことに気づきました。どうも、化けキツネの子のようなのです。

 それでも、私たちの子に違いないと、人間と同じように育ててまいりました。

 七年前、再び店の前に赤子が捨てられておりました。今度は女の子でした。

 そしてやはり、この子の生みの親も見つけることができず、二人目の子として育てることとしました。

 兄妹として人間と同じように育て、その年になれば学校にも通わせました。

 しかし、次第に人間との違いに気付くようになり、二人とも戸惑っているようです。

 私も妻も人間ですので、なんと声をかければいいかわからず、ただ見守ることしかできません。また、私たちは高齢ですのでいつまでもこの子の傍にいてやることはできず、将来、兄妹二人だけで上手く暮らしていけるのか非常に不安です。

 稲荷大社には多くの御狐様がいらっしゃるという言い伝えを信じてどうかお願いいたします。私の子供たちに、人間の中で生きる術をご教示いただけないでしょうか。

 相応のお礼の用意もしております。

 どうか、何卒、この兄妹をお救いください。お願いいたします。

                                   敬具。』

 読み終わると、ノノは丁寧に便箋をたたむと封筒に戻した。

「ミチヨ。明日の朝、出発すから。準備しなさい」

 そういいながら、ノノが勉強机の引き出しを開ける。そこには大量のポチ袋が入っていた。

「お年玉、貯めておいてよかった」

 ミチヨは慌ててノノの肩を掴む。

「お嬢様、いくらなんでも無茶です。こんなの私たちの手に負える願いではありません」

 ノノはゆっくりとミチヨに顔をむける。

「だからいいんやん。上手いこと解決したら、お母様も私たちのことちょっとは見直すはずやで。大丈夫。私がどうやって生きてきたかをこの兄妹に話せばいいだけやろ? 簡単やん」

 ノノは笑顔を浮かべた。一方、ミチヨは不安げだった。

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