第4話 神の休息の話 後編

 石段を下りきった、鳥居のところで、女の子は立ちすくんでいた。その前には、一匹のパピヨン犬がいた。

「イヌキチ……イヌキチ!」

 女の子が指先の匂いをかがせると、パピヨン犬――イヌキチは嬉しそうに一声吠えた。

「おねえちゃん、イヌキチが生き返ったよ」

 トーカはゆっくりと首を横に振る。

「生き返ったんじゃないわ」

「へ? だって……」

 女の子がイヌキチを抱き上げようとした。しかし、その腕はイヌキチをすり抜け、空を切る。

「その子はもう死んでしまったの。魂だけの存在。簡単にいえば、幽霊よ」

 トーカがいった。

「イヌキチ、やっぱり死んじゃったの?」

 イヌキチは「その通り」というように一声鳴いた。

 トーカはゆっくりと口を開く。

「その子はね、最期にあなたとお散歩にいきたいんだって。その“想い”叶えてあげてくれる?」

 イヌキチは嬉しそうに再び鳴いた。

 トーカはポケットから首輪とリードを取り出すと、イヌキチにつないだ。

「じゃあ、いこっか」

 女の子はリードを受け取る。

 その様子を見ていたセリカは、サナに尋ねる。

「トーカちゃんって、何者なのかな?」

 セリカは気が付いた。

「はっきりとはわからないけど、なにかの神様……」

 そのとき、イヌキチが一声吠える。

 瞬間、サナはビクッと身を固くする、イヌキチから随分距離をとっている。

「そういえばサナちゃん、イヌ苦手やっけ」

 セリカがいうと、サナははっきりとうなずいた。


 女の子はイヌキチを連れて、山のふもとを歩く。

「イヌキチ、毎日、この道を散歩したね」

「ワンッ」

「何回かさ、イヌキチ、拾い食いして、獣医さんのお世話になったよね。ホントに死んじゃうかもって、ハラハラしたんだよ。くいしんぼ」

「クゥ~」

「ああ、ごめんね。別に怒ってるわけじゃないんだよ。拾い食いを止めなかった私が悪いんだから」

 女の子は足を止めた。

「お散歩、楽しい? イヌキチ」

「ワンっ」

「ごめんね。何度か、お散歩にいけないっていった日、あったでしょ? あれね、本当はね本当はいけないわけじゃなかったの。でも、なんだか面倒くさいなって思っちゃって。イヌキチは毎日楽しみにしてたのに、ごめんね」

 女の子は一度、息を吸いなおす。

「私、飼い主失格だよ。しっかりお世話するなんていってたのに、面倒くさいからってお散歩にいかなかったり、遊んであげなかったり。ごめんね」

 女の子はしゃがむと、イヌキチに手を伸ばす。

 イヌキチはその手の匂いを嗅ぐ。

「ねえ、トーカさん。これからイヌキチはどうなるの?」

 トーカは小さくうなずく。

「ヨモツクニという死者の国へ逝って、そこで暮らし続けるか、生まれ変わるか選ぶことになるわ」

 女の子はそれを聞くと、イヌキチを見る。

「イヌキチ。もしも生まれ変わるなら、今度はもっといい飼い主さんのところに生まれるんだよ」

 すると、イヌキチは一声「ワンっ!」と鳴いた。

「生まれ変わっても、またここに居たいって」

「……ありがとう、イヌキチ」

 女の子は、泣きそうな声でイヌキチの頭を撫でる。

「イヌキチの毛は、いつもフワフワ。感触がまだ、手に残ってるよ」

 トーカはポケットからビーフジャーキーを取り出し、女の子に渡す。

 女の子は一度うなずくと、それをイヌキチに差し出す。

「お腹壊さないように、ゆっくり食べるんだよ」

 イヌキチはビーフジャーキーをハグハグと食べる。

 その一口ごとに、イヌキチの体は薄く透けていく。

 そして、最後の一口を食べると、その姿は完全に見えなくなった。

「さよなら、イヌキチ」

 女の子の言葉は、白い息になって冬の冷たさに溶けていった。


『和食処 若櫻』の店内。

 コンが本を読んでいると、入り口の扉が開いた。

「ただいまー」

 入口にいたのはトーカだった。

「お帰り、どうでした?」

「人間のフリをしてサナちゃんと遊ぶつもりだったのに、普通にお仕事しちゃったわ」

 トーカはカウンター席にむかって歩く。その一歩ごとに姿が、トーカはウカノミタマノカミとなった。見慣れたいつものギャルっぽい少女の姿だ。

 ウカはカウンター席に座る。

「サナちゃんは?」

 コンが尋ねる。

「セリカちゃんの家で勉強するって。香水ありがとね」

 ウカの瞳に戸棚に置かれた香水の瓶がうつる。

「サナちゃん、鼻がいいから見た目を変えるだけじゃすぐにバレちゃうしね。いい匂いだった。コンちゃん、ナイスセンス」

 コンはちょっと照れたように笑う。

「欲しかったヤツで、サナちゃんのお母さんに頼んで、買ってきてもらったんです。滅多に使うことないんですけどね」

 そのときだ、入り口の扉が激しく開いた。

「ごめんください」

 やってきたのは、大人しそうな感じの、高校生くらいの少女だった。白い着物に赤い袴という、巫女のような恰好をしている。

「やっほー、ミヤ。迎えに来てくれたんだ」

「ウカさんのお知り合いですか?」

 コンが尋ねる。

「うん、紹介するね。こちらオオミヤヒメノオオカミちゃん。私と一緒に、稲荷大社に祭られている神よ」

 ウカに紹介されたミヤは丁寧な仕草で頭を下げた。

「はじめまして、コンさん。稲荷三座の一柱、オオミヤヒメノオオカミです。ミヤって呼んでください。接客業と、市場と、芸事の神をやらせてもらっていますので、御用の際はお気軽に、声をかけてくださいね」

「え、あ、はい。八重垣コンです。よろしくお願いします」

 コンも慌てて頭をさげた。

「さ、ウカ様。帰りますよ。お仕事いっぱいあるんですから」

「えー、まだコンちゃんのお菓子食べてないのにー」

 今日のお店は、少し賑やかだった。


 一方そのころ、サナはセリカの家へとやってきた。

「いらっしゃい、サナちゃん」

 セリカの母親、ヒトミが出迎える。

「お邪魔します」

 リビングの端っこにはベビーベッドが置かれていて、数か月前に生まれたセリカの妹、イクが穏やかな寝息をたてていた。

「あれ?」

 セリカは気が付いた。

 リビングの隣の部屋には両親の寝室がある。そこに置かれた鏡台の上に並ぶ化粧品の中に、香水があった。それは、トーカが使っていたあの香水だった。

「ヒトミさん、あれ……」

 セリカは母のことを「」と呼ぶ。

「ああ、あれ? 私が昔から使ってる香水なの。肌が荒れにくくていいのよ」

 それから少し考えて、こう続けた。

「よかったらセリカ使う? 私、最近はあんまり使わないから」

 ヒトミは香水を手に取ると、セリカに渡す。

 セリカは嬉しそうに「ありがとう」といった。

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