第3話 神の休息の話 前編

 一月七日。

 年も明けて七日目。

 コンは一人、『和食処 若桜』の店内にいた。

 昨日は雪が降っていたが、今日は薄水色の青空が広がっている。

 お客さんも来ず、店内はコンの鼻歌と、食器を洗う音、それからたまに、溶けた雪が屋根から滑り落ちる音が聞こえていた。

 今年も良い年になるといいな、なんて考えて、口元に笑みを浮かべたそのときだ。


 ドカンっ!


 突然、爆発したのかと思うような乱暴さで入り口のドアが開いた。

「い、いらっしゃい、ませ」

 コンは驚きつつも、とりあえずそういった。

 入口の所にいたのは、高校生くらいの少女だった。

 まさにカラスの濡れ羽色と表現するにふさわしい見事な黒髪と、染みやそばかすの一切ない美しい肌を持つ少女だが、それ以上に目を引くのはその格好だった。

 麻製と思われる白い衣に、同じ素材らしいを履いている。教科書や博物館でしか見たことがない、古墳時代の恰好のようだった。

 さらにその少女はそれなりに地位ある立場なのか、金の冠をつけ、首からは玉や金のついた首飾りをぶら下げている。

「コンちゃーん、疲れたぁ。なんか美味しいものつくってぇー」

 少女は叫ぶようにいいながらカウンター席に座ると頭を伏せる。

「あ、あの、私のこと知ってはるみたいですけど、どこかでお会いしましたっけ?」

「コンちゃんヒドイ。今まで何度も会ってるのに。私、頑張ったのに……。コンちゃん、誉めて、慰めて」

 少女は頭を伏せたまま涙声でいった。

「ええっと……」

 コンは困惑しながら、この少女の正体について考える。

 なにかヒントがないか、少女の声を脳内で数回繰り返し、気づいた。この声は。

「もしかして、ウカさん?」

 コンが尋ねると少女は頭を上げる。

「やっと気づいてくれたの? そうだよ。ウカだよ」

 ウカことウカノミタマノカミ。

 多くの神社や祠に祭られていて、多くのキツネを従えていることで有名。一般的にはお稲荷さんとか、稲荷伸とか呼ばれることが多い豊作と商売繁盛の神。

「で、でもどうしはったんですか? その恰好」

 コンは戸惑いながら尋ねる。

 ウカの普段の容姿といえば、染めた金髪で、手足合わせて二十本の爪は全てネイルアートが施され、白い肌と整った体型を見せつけるかのような露出の多い、ヒラヒラの服を着ている。まあつまりはギャルっぽい。

 なのに目の前の子の少女は、まるで壁画に描かれた神話の神のような恰好をしている。

「京都育ちのコンちゃんに問題です」

 ウカは伏せた姿勢から、顔だけ上げる。

「世界で一番、初詣の参拝者数が多い神社はどこでしょう?」

 そういわれて、コンは気が付いた。

「そっか、伏見稲荷って、世界一でしたっけ?」

 ウカは小さくうなずく。

「そう。だからお正月って大変なのよ。そもそも、私って伏見稲荷だけで祀られてるわけでもないし。伏見稲荷他、全国の稲荷社のお願い事を叶えなきゃいけないわけ」

「全部叶えているんですか?」

 コンも生前は初詣にいって、あれこれお願いごとをしていた。それらが神がかりな力によって叶ったかといえば疑問だ。

「全部じゃないわよ。例えば、そのぐらい自力でなんとかしなさーい、ってこととか、逆に神の力をもってしてもどうにもならにこと、叶えれば人間の秩序がめちゃくちゃになってしまうような願いは、叶えないわ」

 ウカは体を起こすとのびをした。

「それでも、やっぱりこの時期って大変なのよ。できるだけ多くの願いをかなえたいとは思うしね。こんな格好してるのも、ヒトの前に姿を現すことが多くなるからなのよ。私が神様だって信じてもらうところから話を進めてたら、時間がかかってしょうがない」

「大変なんですね」

「ま、私は神だから。信仰されなければ神は神でないし、ヒトの願いを叶えなきゃ信仰は集まらない。私が私であるために、これも必要なことなのよ。とはいっても……」

 ウカは再びカウンターテーブルに伏せる。

「やっぱり疲れるものは疲れる。安息日よ。神の休息よ」

「なんか甘いお菓子つくりますね。和菓子か洋菓子、どっちが好きですか?」

「洋菓子。お砂糖一杯入れてね」

 コンは笑顔で調理器具を用意し始める。

「そういえば、サナちゃんは?」

 ウカは顔を上げ、周囲を見回す。

「セリカちゃんとイマちゃんと一緒に、宿題やるんやって」

 セリカとイマ。ともにサナの一つ年上の六年生の女の子で、サナの友達だ。。

 ウカは意地悪な笑顔を浮かべた。

「ねえ、コンちゃん。私がここに来たこと、誰にもいわないでおいてくれる? ちょっと面白いこと思いついた。あと、香水あったら貸してほしいんだけど」

 コンは不思議そうな表情を浮かべつつ、うなずいた。


 サナとセリカは、山中へと続く坂道を登っていく。

「そういえばイマちゃん、家族旅行っていってたね」

 セリカは残念そうにいった。

 二人はイマの家にいったのだが、留守だったのだ。

「まあ、二人で宿題やっつけよう」

 サナがいうと、セリカはキョトンとした表情を浮かべる。

「私、宿題終わったよ。サナちゃんがまだだっていうから、私とイマちゃんと、二人で手伝おうってことなんだよ。あとどのくらい?」

「……半分くらい」

「頑張ろうねっ」

 セリカは笑顔を浮かべた。

 そのときだ、前からやってくるヒトが見えた。

 サナたちと同い年くらいの、おとなしそうな女の子だ。

 女の子はスマートフォンを見ながら、困ったような表情で歩いてくる。

「あのヒト、見たことある?」

 セリカは小さめの声で尋ねた。サナは首を横に振る。

「きゃっ!」

 そのときだ、女の子は道端の凍った雪を踏んで滑って尻もちをつく。

「大丈夫?」

 セリカは慌てて駆け寄る。サナもその後をついていく。

「イテテ。素でこけちゃったよ」

 女の子はそういいながら立ち上がり、お尻をさする。

「あの、大丈夫ですか?」

 セリカは心配そうに尋ねる。

「あ、ありがとう。大丈夫。でも、道に迷っちゃって……」

 女の子は不安げにうつむく。

「どこにいくんだ?」

 サナが尋ねた。

「えっと、バス停にいきたいんです」

 サナとセリカは顔を見合わせた。

「あの、バス停はは反対方向だよ」

 セリカが伝えると、女の子は「えー」と声を上げ、スマートフォンの画面を見る。

「私、方向音痴ですぐに迷子になっちゃって……」

「じゃあ、私たちが連れてってやるよ。いいだろ、セリカ」

 サナが視線をむけると、セリカはうなずいた。

「ありがとうございます。私、秦神トーカっていいます」

 そういって、トーカは笑った。


 バス停にむかって歩きながら、それぞれ自己紹介をした。

「へー、私、五年生だからサナちゃんと同い年だ」

 トーカがいうと、サナは尋ねる。

「でも、見ない顔だな。引っ越してきたのか?」

「ううん。冬休みにお祖母ちゃんの家に遊びに来たんですけど、砂丘を見にいって帰りの電車間違えちゃって。駅員さんに聞いたらバスで引き返す方がはやいっていわれたから」

 ふと、風が吹く。

「なあ、トーカ。なんか香水でもつけてるのか? いい匂いするな」

 おもむろにサナがいった。

「へ、サナちゃんよくわかったね。そうなんだ。お気に入りのヤツで、いい匂いでしょ?」

 セリカは「ちょっとごめんね」といってトーカに鼻を近づける。

「ホントだ、いい匂いだね。どんな香水?」

「これだよ。いい匂いでしょ。小学生でも使えるやつなんだって」

 トーカがスマートフォンに香水の詳細を表示すると、セリカは覗き込む。

「いいな。私も今度つかってみようかな」

 セリカはつぶやいた。

「でも、どこかで嗅いだことある匂いだな。誰が使ってたんだろ……」

 サナは首を傾げ考えるが、結局こたえはわからず、あきらめたようだった。


 山道を下り、田畑が広がる場所に出る。

 雪が積もり、全て真っ白な平原に見える。

 歩いていくとほどなくして若桜神社の鳥居が見えてくる。

 それと同時に、一人の女の子も見えた。

 女の子はサナたちより少し年下、三年生か四年生くらいで、そして、何度も何度も、神社の鳥居を蹴っていた。

「どうしたんだ?」

 サナは近寄り、声をかける。

「神様のバカぁー!」

 女の子は、叫んだ。


 サナたちはひとまず、女の子を落ち着かせ、神社の石段の中腹に座った。

「どうしたの?」

 セリカが優しい口調で尋ねる。

「あのね。昨日、イヌキチが死んじゃったの」

 女の子は、うつむいてそういった。

「イヌキチってことは、イヌか?」

 サナが尋ねると、女の子は小さくうなずいた。

「イヌキチは私が生まれたときにおうちに来て、それからずっと一緒だったの。でも、冬になったくらいからぐったりしてることが多くなってね、私、神社でお願いしたの。イヌキチを元気にしてくださいって」

「でも、死んじゃったんだ」

 セリカがいうと、女の子は小さくうなずく。

「私、神様にお願いしたのに。なのに、神様叶えてくれなかった。イヌキチ、朝になったら動かなくなってて、お母さんが、死んじゃったねって……」

 女の子は、徐々に涙声になりながらも、続ける。

「いっぱいお願いしたのに、イヌキチを助けてくださいって、お願いしたのに、神様にお願いしたのにっ!」

 女の子が叫ぶと、あたりはシンと静まりかえる。

 その静寂を破ったのは、トーカだった。

「『うつくしき汝兄なせみこと、かくしたまはば、いましの国の人草ひとくさ一日ひとひ千頭ちかしらくびり殺さむ』つまりは死は生きとし生けるものの定めよ」

 女の子はキョトンとした表情でトーカを見る。

「まぁ、説教くさいことをいいたかったわけでもないんだけどね、神に願っても、生き物の生死はどうにもならないってこと」

 トーカは「でもね」といいながら立ち上がる。

「ちょっとした奇跡なら、あり得るかもよ」

 そのとき、石段の下から犬の鳴き声が聞こえた。

「イヌキチ、イヌキチだー」

 女の子は立ち上がると、石段を駆け降りる。

「トーカってもしかして……」

 見つめてくるサナに対して、トーカは微笑みかける。

「私たちもいきましょう」

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