第8話 人間に育てられたキツネの話 その4
ミウの足は速い。
ノノは必死に追いかける。
いつの間にか、ミチヨがいなくなっていた。はぐれてしまったようだ。
「ミチヨ……、六番目に降格よ」
ノノは悪態をつくと、ミウを追いかけることを優先した。
ミウを追いかけて山に入り、草木をかき分けながら進むとやがて木製の古びた倉庫が見えてきた。林業用の倉庫のようだ。
「あれだ。あの中から、声が聞こえる」
ミウがいった。
ノノの耳にも、声が聞こえた。
『なんで……なんでこんなひどいことを……』
それは、泣きそうな、絞り出すような、サクの声だった。
「サク、助けにきたぞ!」
ミウが叫んだその途端、突然倉庫が吹き飛んだ。爆発したのだった。
粉々になった破片が舞い落ちる中、そいつがいた。
大型犬ほどの大きさのキツネ。
金色の毛に、金色の眼。四肢からは炎が噴き出し、地面や周囲の草木を焦がしていた。
そして、そのキツネの姿に恐れおののく、小学校高学年くらいの三人の男の子。それぞれ、丸刈り、くせ毛、野球帽と外見に特徴がある。
三人とも「あ、ああ」と言葉になっていない言葉を発しながらその場に座り込む。
「なにがあったの?」
ノノは丸刈りに駆け寄り、尋ねた。
「キツネを捕まえたんだ。それでからかおうと思って、サクをここに連れてきて、目の前でキツネを痛めつけて、その怪我を治してみろっていったんだ。そしたら、サクが怒って、あんなふうになって……バケモノ……バケモノだ!」
丸刈りの声は、恐怖で裏返っていた。
ノノは巨大なキツネ――サクに目をむけた。
サクの足元に、島のように一ヶ所、焦げていない場所があった。
そこに、傷だらけのキツネが横たわっていた。
サクは愛おしそうに、そのキツネの匂いをかぐと、男の子たちに目をむけた。
そして、咆哮。その声は、地震かと錯覚させるほどだった。
「ノノ……あれ、なんなんだよ」
ミウは、唖然とした表情でサクを見る。
「私たちは普段、無意識に“力”抑えてる。その
ノノは、静かにいった。
サクは大きくジャンプ。次の瞬間には丸刈りを押し倒し、のしかかっていた。
「熱い! 熱いよぉ!」
サクの四肢の炎が、丸刈りの服を焦がす。
「サク、やめて!」
ノノの声は、サクには届いていない。
そのとき、石が飛んできてサクの頭に当たる。赤い血が流れ出る。
「は、離れろバケモノ!」
投げたのはくせ毛と野球帽だった。
「離れろ! どっかいけ!」
そういいながら、二人は次々と石を投げる。
「おい、やめろ!」
ミウが二人を止めようとしたときだ、サクは再び跳躍。くせ毛の前に着地した。それと同時に、くせ毛の顔面に引っ掻き傷ができ、血がにじむ。
くせ毛は呻き声をあげ、うずくまる。
続いてサクは野球帽に飛び掛かる。
野球帽は倒れながら、咄嗟に前に出した腕。そこにサクはかみつく。
ギリギリと牙を突き立てるサク。野球帽は悲鳴をあげる。
「もうやめなさい!」
ノノはサク飛びつくと、無理やり野球帽から引き離し、体重をかけて抑え込む。
「サク、これ以上の
ノノはまっすぐにサクを見つめる。ノノの頭からは、三角形の耳が出ていた。
「……ノノさん」
「うん。私のこと、わかる? 大丈夫。落ち着いて。こんなこと、あなたには似合わへんのちゃう?」
「……助けて、あげなきゃ。私のせいで、キツネさんが痛いしてて……」
サクは力なくいいながら、人間の姿へと変化していく。
「サクは優しいんやね」
ノノは優しくどういいながら、サクを地面に寝かせ、三角形の耳を引っ込める。
「お、俺知らねぇから」
三人の男の子はそれぞれ、手で傷を抑えながらヨロヨロと去っていく。
「あいつら!」
ミウはそれを追いかけようとするが、
「ミウ、ほっとき!」
ノノが制止した。
サクの額に傷があり、血が流れ出ていた。さっき石をぶつけられたときの傷だ。
そこに、一匹のキツネがやってくる。男の子たちが捕まえ、傷を与えたというあのキツネだった。キツネはサクの傷をなめる。
「よかった。無事だったんですね」
サクは嬉しそうにそういうと、意識を失った。
「なあ、ノノ。このキツネって……」
ミウがいうと、ノノは無言でうなずく。
キツネの傷だらけの体は、さっきと変わらない場所にあった。
サクの傷をなめているキツネは、幽霊だった。
「もう、体と魂のつながりが切れてる。どうにもならん」
ノノは静かにいうと、その辺に転がっていたスコップを拾った。さっきの倉庫の爆発で飛んできたものらしい。
「あなた、ヨモツクニへの逝き方はわかる?」
ノノが尋ねると、キツネの幽霊はうなずく。
「体は、埋めておいていい?」
ノノは、スコップで穴を掘り始めた。
キツネの幽霊は、光りの粒になって、天に昇っていった。
「お嬢様ぁー」
そのとき、ミチヨが息を切らせながら走ってきた。
「ミチヨ、丁度よかった。穴掘り手伝って」
ノノはスコップを投げて渡した。
山林の中に、雪が降り積もっていった。
四人は『和食処 若櫻』に戻ってきた。
意識を失ったサクは、ミチヨが背負った。
驚く両親に大まかな事情を説明してから、店の二階、住居スペースにある子供部屋に布団を敷いてサクを寝かせた。
ミウは「一人にしてくれ」といって、どこかへいった。
「傷が残らないとよいのですが」
ミチヨは手際よくサクの頭に包帯を巻いた。
「ミチヨ、手が空いたら京都の家に連絡しておいてくれへん?」
ノノは、迷うように視線を動かしながらいった。
「よろしいのですか? お嬢様」
ミチヨは手を止めないでいった。
「うん。ことが大きくなっちゃったから」
ミチヨは笑みを浮かべながらうなずく。
「お嬢様がどれほど活躍されたか、どれほどこの町に来る必要があったか、精一杯説明させていただきますね。すっぽんを月に帰るくらいに」
「ええ。たのむわ。上手くすっぽんが月になったら、あなたを二番目の付き人に認定したげる」
「頑張りますね」
ミチヨは冗談っぽくそういった。
包帯を巻き終わると、ミチヨは電話を借りるため子供部屋を出ていった。それと入れ替わるように、ミウがやってきた。
「サクの様子、どうだ?」
ミウはサクの枕元に座る。
「ゆっくり寝てる。力を一気に使ったから、ちょっと疲れちゃっただけやね」
ノノはそういいながら、ミウの横に座った。
「ごめんな。俺、お前のこと守れなかった」
ミウはサクの前髪を撫でながら、ゆっくりと尋ねる。
「なぁ、ノノ。俺も、あんなおっきなキツネに変身できるのか?」
ノノはミウの隣に座る。
「なりたいん? なりたくないん?」
「俺さ、サクがキツネになって、アイツらを襲いはじめたとき、びっくりした。正直、恐かった。それで、なんにもできなかった。でも、もし、俺があんな風になって、サクを守れるなら、俺はそうしたい」
「サクちゃんは、それを望んでへんと思うで」
「わかってる。でも、サクを守らなきゃ、いけないんだ」
ミウは膝の上でこぶしを固く握る。
「俺、これからどうしたらいいのかな? きっとあいつら、今頃サクがバケモノだって手あたり次第にいいふらしてる。あんな怪我してたら、倉庫が爆発してるのを見たら、それを全部サクがやったって知ったら……。なぁ、教えてくれよ、ノノは神様の使いんなんだろ!」
ミウはノノの肩を掴み、顔を近づける。
ノノは思わず目をそらした。
「ねぇ、ミウ。私な、本当は神様の使いとしてここに来たわけちゃうねん」
ノノは、そっと口を開く。
「ミウのお父さんから、助けて、って手紙が来たんはホンマ。そやけどね、その願いを引き受けたのは、私じゃなくて私の母やった。私はみんなに、母に、認めてほしかったから勝手にここに来てん。上手く願いを叶えられれば、みんな、私を見直すと思ったから。ごめんな。アナタたちのことを思って、ここに来たわけちゃうねん」
ミウは「そんな」といって、ノノの肩から手を離すと座り込む。
ノノは「でもな」と言葉を繋ぐ。
「今は、ミウとサクに幸せになってほしいと思ってる。本気で思ってる」
ノノはまっすぐにミウを見た。
「だから、ミウ。サクと一緒に京都に来うへん? 力の使い方、キツネとしての生き方を勉強するのが、一番いいと思う。ヒトの噂も七十五日。またこの町に戻ってきて暮らせる日がくるから」
ミウは驚きの表情を浮かべる。
「それが、最善なのか?」
「私の家に空き部屋がある。私が、お母様に頼む。お父様にも頼む。誰にでも頼む。それが、今の私に考え付く最善で、今の私にできる精一杯」
ミウは一度サクを見ると、再びノノに顔をむける。
「ノノ……俺たちを、救ってくれよ」
ミウは、とても情けない表情をしていた。
ノノは一度うなずくと、階段を駆け下り、店になっている部分に駆け込む。
店のすきっこに電話が置かれている。ミチヨがなにか必死な様子で話していた。
「ミチヨ、その電話、お母様でしょ? 代わって」
ノノは叫ぶようにいうと、受話器をひったくった。
「――っていうことがあって、そのミウが今の旦那」
『和食処 若櫻』の店内。
カウンター席に座った長尾ノノ――サナの母はちょっと照れたようにはにかむ。
「すごい馴れ初め……っていうか、おばさん、京都のヒトやったんですね。それから、どうなったんですか?」
カウンターの内側の厨房に立つのは、左頬に火傷の痕のある少女の幽霊、コンだ。
「ウカ様が味方になってくれてね、ミウとサクちゃんは、私の実家で一緒に暮らすことになったの。まぁ、私とミチヨさんはめちゃくちゃ怒られたけど」
カウンターテーブルの上には、一枚の写真が置かれていた。
フィルムカメラで撮られた写真。
この店内で撮られたその写真には、三人の小学生が写っていた。ミウと、サクと、それからノノ。
「京都にいく直前にミウのお父さんが撮ったものね。いつもそ傍にはいられなくなるからって。懐かしいわ。見つけてくれてありがとう。コンちゃん」
「いえ。二階の部屋を整理していたら、偶然出てきて。これが、サクさんですよね」
コンは写真のサクを指差すと、こう続けた。
「サナちゃんのちっちゃいときかと思いました」
母は一瞬目を伏せたが、すぐにコンに笑顔をむけた。
「サナは叔母さん似だからね。私も時々、サナの中にサクちゃんが見える」
母は写真を丁寧にポケットに入れると、立ち上がる。
「じゃあ、そろそろ家に帰るわ。この写真は家のアルバムに入れとくわ。本当に見つけてくれてありがとね」
母はそういながら歩き、出口の扉に手をかけたところで思い出したようにいった。
「そうだ。今度、家族写真、撮りましょ。ここで撮ったらコンちゃんも写れるから」
コンは驚きの表情を浮かべる。
「私も、いいんですか?」
「もちろんよ」
母は笑顔でそういって店を出ていった。
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