第31話 剣よ在れ

 ハウエルの『遠見』ですら覗けない森の奥で、ロイは必死に逃げ回っていた。


「く、そっ! 老い先短い爺がはしゃぎ過ぎだろ!!」


 木の幹を蹴って無理やりに体を捻る。


 次の瞬間、礫混じりの小さな竜巻が異音を立てて樹皮を削った。


「ほっほ、残り少ない命なればこそ、成したいことに挑むべきだと思わんか? 誰であろうと、死しては身一つで地に還るが世の理。であれば……力も財も、好きに使い尽くすのが正しいだろうて」


「そのために大義もなく帝に剣を向けるかスルズフォード!! ――つうかテメエ! 俺とアイツがどんだけ苦労して、民に血を流させずに代替わりしたと思ってやがる! ふざけんなよ!!」


 国を守るため、民を守るために兄弟で血縁にさえも手にかけた。やりたかった訳ではない。自分たちに流れる血の責務を果たすべきだと思ったからだ。

 矜持と命を懸けて行動し、怨嗟の声を浴びながらようやく国を安定させた。


 だが、未だ国内には火種が燻っている。スルズフォードが反逆を始めれば、それらは燃え上がることになるだろう。

 そのときに一番被害を受けるのは無辜の民だ。


「ふむ……主らが民に拘る理由が儂には理解できぬな。民草など家畜と変わらぬ。利用するために生かしておるに過ぎん。血で劣り、知恵で劣り、礼節で劣り――そして魔力で劣る。我らの庇護なくば魔物に食われるだけの生き物よ」


「……っ生憎、半端な俺に優しくしてくれたのは、テメエが見下す平民だけだったもんでなあ!」


 怒りの叫びを返し、ロイは連なった竜巻を躱した。公に認められていない帝の子。一人の人間として接してくれたのは、弟と乳母とその娘以外、城の外の人間だけだ。


「そこまで守りたいのであれば、力づくで儂を止めるがよい。無様に逃げてばかりでは、その血に流れる魔力も泣いておるぞ」


 そう挑発の言葉を投げかけつつ、スルズフォードはロイを観察する。


 風さえ躱してみせる肉体の強さ。それは有り余る魔力によって成されるものだ。

 妾腹とはいえ、ロイは皇族の血を引く人間。その身に宿す魔力は並みの貴族を優に上回る。


 しかし……ロイの魔術適性を知る者はいない。


 膨大な魔力を持ちながら、ロイは城の中で決して大規模な魔術を使わなかった。

 スルズフォードが知る限り、地水火風の四大属性を人並みに扱う程度だ。「影の皇子は精霊に見放されたのだ」と噂する貴族さえいた。


「主が秘しているのは牙か弱みか。さあ、どちらかのう?」


 愉快そうに問うと同時に、スルズフォードは手加減なく魔力を放出した。


 注ぎ込まれた大量の魔力により風は凶器に変わり、周囲の木々を容赦なく薙ぎ倒していく。

 生木が折れる破砕音が森の空へと響き渡った。


 あらゆる物を押し倒し、ようやく風が沈黙する。


「ふむ」


 見晴らしのよくなった景色の中心で、スルズフォードは目を細めた。


「上手く逃げ切った、が……“それ”はどういうつもりかの」


 視線は、破壊を免れた森の奥から現れたロイの手に注がれる。


「さっきまでは良い得物が見当たらなくてな。助かったぜ」


 思考の読めない笑みを張り付け、ロイは右手に持った“木の枝”を掲げてみせた。振り回すのに手頃な大きさである以外は何の変哲もない、たった今折れたばかりの枝だ。


「ほう、そんなものを探しておったのか。ならば初めから剣でも貸してやったものを」


 スルズフォードは心にもない言葉を吐きながらロイの挙動を観察する。


 剣に己の魔力を籠める武器強化の心得はロイにもあるだろう。しかし、いくら魔力を流そうと枝は枝でしかない。

 大本の樹木すら薙ぎ倒す風の前で、いったい何の役に立つと言うのか。


「ふむ、囮か何かか――まあ、散らせば分かるじゃろう。『風の精霊よ』」


 スルズフォードの前で風が巻く。小さなつむじ風は瞬く間に荒れ狂う竜巻へと成長した。


「行け」


 地面に転がる何もかもを巻き上げ、竜巻がロイへと迫る。


 対して――ロイは木の棒を両手で握り、天を突くように高く構えた。

 暴風を浴びながらも揺るがず、力強く一歩を踏み出す。


 そして――


「『――』」


 天から地へ、白い光が走った。


 スルズフォードは己の風が“切られる”のを見た。竜巻が両断され、ほどけて消えていく。

 それを成したロイと、白い光を散らす木の枝を瞳に映し、スルズフォードは目を見開いた。


 ロイは残身から再び構え、静かに話し出す。


「俺たちの祖、伝説にうたわれる剣士は、龍を殺すためにある精霊と契約を結んだ」


 それはかつて、人の業により生まれた精霊。


「万物を切り裂く“斬の精霊”。……ちまたじゃ無手で扱う冒険者がいるらしいが、これ・・が本来の使い方だ」


 ロイが握る木の枝は、今や断てぬ物のない魔剣へと変貌した。斬属性の魔術による物体への“つるぎ”という概念の付与。白の光が冷たく走る。


「“我が手にあるは全て刃なり”。形のない風だろうが断ち切るぞ」


「……ほっ、なるほどのう。それが主の隠した牙か。惜しい話じゃ。伝説にうたわれる剣士の再来だと名乗り上げれば、帝位に就くことも夢ではなかっただろうに」


「うるせえ。誰が欲に塗れた馬鹿どもの駒になんかなるか」


 吐き捨てるロイを見て、スルズフォードは喉を震わせて笑った。


「欲のない人間には国など維持できぬよ。これまで国を守り、広げてきたのは我等の祖先の欲望に違いあるまい」


「ああ、そうだろうな。だが、同時に国を蝕んで来たのも際限のない欲望だ」


 ロイの視線が鋭く光る。


「くく、良い眼じゃのう。これで我等には互いに互いを殺す理由を持った。儂は行く手を阻む主を排さねばならず、主は秘密を守るために儂を殺すしかあるまい」


「……ああ、これは殺すつもりで使った。剣は斬るときにだけ抜くもんだ」


 “剣”を構え、ロイは踏み込むために前傾姿勢を取る。


「民のため、国のため、弟のため……そして俺自身のために、スルズフォード、貴様をここで斬る!」


「く、かっかっか! ならば儂は己自身のためだけに、影の皇子よ、主を圧し殺そうぞ!」


 2人は同時に動き出した。


 走り出すロイに対し、スルズフォードは幾重もの竜巻を放った。ロイを圧し潰そうと、全周囲から風が襲い掛かる。


「さっき言ったぜ。風だろうが切り裂くってなあ!!」


 剣を薙ぐ。竜巻を輪切りにするように白の光が通った。

 風が崩れる。魔術という概念すら切断された竜巻が、力を失い溶けるように消えていく。


「かか!! ならば面で攻めるのみ!! 『風よ――!!』」


 豪風が吹く。地を這うように走った風が、土、石、木の破片、全てをさらってロイに迫る。

 風の魔術が切られたところで、勢いのついた物体は止まらない。


 ロイの目前を、雨天の雨粒のように礫が覆う。防具もない身では受け切ることは不可能。加速した石は肉を削るだろう。


「――なあ、知ってるか? 剣士が伝説になったのは、生涯無敗だったからだぜ」


 あらゆる困難を打ち倒し、多くの民を救った伝説の剣士。斬の魔術はその剣士が戦闘で使い続けたもの。


 死角はない。


「『剣よ、切り裂け!』」


 ロイは自身の持つ膨大な魔力を剣に籠めた。


 応じるように、剣の輝きが増す。白の光が零れ、集まり線になり、剣の周囲を舞うように渦となった。


「おおっ!!」


 剣を倒し、突きの構えでロイは駆ける。渦巻く斬線が、抉るように礫の壁を貫いた。

 進む。身体に宿る膨大な魔力を燃やし、空気すら切り裂いて加速する。


「ぬ――!?」


 スルズフォードが次の魔術を編むより速く、ロイは彼我の距離をゼロにした。


「終わりだ!!」


 駆け抜けた勢いのまま、ロイは腕を前へと突き出した。深々と、剣がスルズフォードの胴を貫く。


「ぐ、ほぁっ……!!」


 剣は背中まで突き抜け、枯れ木のような老体から血が溢れ出る。

 体を貫いた衝撃に、スルズフォードは手足を震わせた。


「ごふ、ふ、ふっふっふ……負けてしまったようじゃのう……」


 血だらけで笑みを浮かべるスルズフォードから、ロイは躊躇なく剣を引き抜いた。空いた穴から大量の血液が零れ出す。

 死ぬまで幾ばくも無い姿に見えた。


 それでも警戒しながら、ロイは死にかけの老人を見つめた。


「言い残す言葉があれば聞いてやるぜ」


「……ほ、ありがたい、のう……そうじゃな……」


 穴の空いた腹を抱え、足を震わせながら、スルズフォードは穏やかに笑った。


「――次からはすぐに首を刎ねることじゃな」


 瞬間、ロイの両足が地面に埋まった・・・・・・・・・・


「な、んだと!?」


 まるで流砂に変わったように、地面がロイを飲み込み始める。


 沈むロイの下半身とは反対に、別の人間の上半身が地面から浮かび上がった。

 ――スルズフォードの護衛だ。


 戦闘が始まってから姿を消していたため、ロイは邪魔にならないように森の奥へと避難したのだと思っていた。


 が、違う。ずっと近くにいたのだ。地面の下・・・・に。


「ごほっ、こやつは儂とは違い地の魔術が得意での。戦いではあまり役に立たぬが、墓を掘り返すために連れて来たのじゃ。ほれ、封印を割るのは手間じゃろう?」


 護衛を殺そうとロイは剣を振り被るが……、


「おっと、斬るならこっちじゃ」


 スルズフォードが風の魔術を発動したために、そちらに剣を向けることとなる。

 その間に土の術者は再び地面へと姿を消した。


 スルズフォードは動けないロイに向かって連続で魔術を放ち、同時に風で自分の身を舞い上げた。


 飛び散った血がロイの頬を濡らす。


「筋は良いが、まだまだ青いのう。実戦が足りぬ。城に籠り、力量を隠し続けた結果じゃの。教えてやろう。膨大な魔力を宿す貴族は、相応の生命力と回復力を持つものだ。――簡単に死ぬ平民とは存在の強さが違う」


 ロイを見下すように空に昇り、スルズフォードは魔力を練り上げる。


「とはいえ、この傷では放置すれば死ぬがの。お主を殺して治療するとしよう。……全てを切り裂けると言っても、生き埋めにすれば死ぬじゃろう?」


 動けないロイの頭上で風が渦を巻く。


「……はあ、やっちまった。爪が甘かったぜ。やっぱ実戦経験ってのは大事だな」


 ガリガリと後ろ髪を掻いて、ロイは頭上を睨みつける。


「だがまあ、ここで死ぬ訳にはいかねえんだ。シエラに怒られちまうからな」


 ぎ、と剣を握り込む。


「伝説の剣士は“空”すら切ったらしい。前例があるなら――まあ、死ぬ気でやればいけるだろ」


 地面に飲まれた下半身を意識から外し、ロイは握り締めた“剣”へと大量の魔力を送り始めた。

 白の光は眩さを増し、周囲を一色に塗り潰す。


 有数の魔力を持つ2人。先に準備を終えたのはスルズフォードだった。


「土砂の雨を降らせてやろう。『風の精霊よ、悉くを浚え』」


 意思を持ったように大気が動く。ロイを中心に風が渦を巻き、土砂の混じった土色の竜巻が姿を現す。


 耳鳴りがする空間の中で、ロイはじっと時を持った。狙うは一閃。スルズフォードが土砂を叩きつけようとした瞬間に、土の雨ごと空にいるスルズフォードを斬る。


 悲鳴のような風音を発しながら、ロイの直上に舞い上げられた土砂が集まり始めた。風に支えられ、徐々に巨大な球体へと成長していく。


 目に見える重量に、ロイの頬を汗が伝う。


「仕舞いじゃ」


 限りなく場の緊張が高まる。一瞬を見逃すまいとロイは目を見開き――、



 轟ッ、と空が青く・・燃え上がるのを見た。



 空の青さよりも凶悪な青がスルズフォードの風を飲み込んだ。宙を舞っていた枝葉は燃える暇もなく灰となる。


 燃焼という概念を具現化した魔炎。空一帯が灼熱の地獄へと変わる。焼かれた風が断末魔の叫びを上げた。


「貴様が手負いとは、実に私に都合の良い状況だ」


 灰の降る森の中から男が現れる。青い髪の壮年。眉間には消えることのない深い皺が刻まれている。


 と、男が踏む地面が液状に変化した。


「ふん、くだらん」


 燃える。地面が燃え上がり、急激に熱を持っていく。赤々と、炉に入れた硝子のように地面が半ば溶けた。


 微かに地面の中から悲鳴が届く。しかし、それもすぐに消えた。


 男は焼け焦げた地面から靴を引き抜いて再び歩き出す。


 男の名はバートレスト。極限の適性を宿す火の精霊使い。

 数多くの貴族を捕え、あるいは葬ってきた皇帝の剣だ。


 扱う青い魔炎の中では生命など存在し得ない。だが、


「っち、腐っても大貴族か」


 バートレストは自分の炎が押される感触を得た。


 燃える空の中で、スルズフォードは限界を超えて魔力を汲み出した。魔核が不気味に軋みを上げる。


「お、おお……!」


 風を“生み出す”。魔術による物質の生成。風を食わせることで炎を引き剥がし、肺が焼けぬように魔術で呼吸を制御する。


「まだ、だ……」


 肌は黒く焦げ、手足の感覚は消えた。それでもスルズフォードは眼を光らせる。


「まだ、儂は死んでおらんぞぉ……!!」


 風の守りが炎の檻をこじ開ける。


 飽くなき欲望。積もり積もった自己愛だけを頼りに、スルズフォードは幽鬼のように空に浮かぶ。


「――いいや、終わりだぜ」


 スルズフォードの真下で、ロイは“剣”を構える。


 地の術者が死んだことで束縛は消えた。2本の足で大地を踏みしめ、空を睨む。

 手に持つ“剣”の光は収斂し、今や美しい弧を描く“白刀”へと変わっていた。


 一瞬の脱力の後、ロイは全力で大地を踏んだ。


 体内を駆け巡る力に魔力を重ね、全てを切先へと載せる。


「『斬』」


 光が走る。刹那、何もかもが沈黙し――空が割れた。


 両断。スルズフォードは体を突き抜ける冷たい力を感じた。


「――か、かっかっか……これもまた一興よ……」


 ずるり、と肉が滑る。血を噴き上げながら、魂を失った肉体は墜落を始める。


 焦げて裂かれた顔の中で、唇は確かに笑みの形となっていた。

 欲望に全力で生きた老貴族は、ただ一人で死に、地へと堕ちた。

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