第30話 光と剛剣

 部屋を飛び出したアニスを、エミリーは止めることができなかった。


「アニスちゃ……!!」


 言い終わる前に、アニスの姿は見えなくなってしまった。足音もすぐに遠くなる。


 エミリーは唇を強く結んだ。

 後悔と不安が体を巡り、嫌な想像ばかりが脳裏に浮かぶ。


 今すぐにアニスを追い掛けたいと心は思う。アニスの手助けをするべきだと感情が言っている。

 だが……エミリーはそれらを全て振り払った。


 速まる心臓を落ち着かせるように深く呼吸をする。


 しっかりと目を開き、前を向けば、精気のない白い顔をしたフィリダがいる。


 今、自分がするべきことはなにか。


 エミリーは非力だ。魔力は人並みでしかなく、戦いの心得は一切ない。どこにでもいる普通の人間だ。

 できないことは数多い。それでも、できることはいくつかある。


 何も考えずにアニスを追うのは“楽な”選択だ。心を抑える必要がなくなり、走り出した瞬間はきっと不安から解放される。


 ――だけど、それは駄目です。


 非力だからこそエミリーは知っている。世界には絶対的に“できること”と“できないこと”の境目がある。


 悔しくても認めることが必要だ。――エミリーがアニスを追い掛けたところで、邪魔にしかならない。

 アニス一人ならカルヴィンが守り切れるかもしれない。だが、2人を同時に守れるかは分からない。


 だからエミリーは、『行動しないこと』を決断した。


 不安に身が焦がれそうでも、アニスの後は追わない。カルヴィンとアニスを信じて待つ。


 待つのは得意だ。いつだって狩りに出るルヴィを送り出すのはエミリーの役割だったのだから。

 慣れた森であっても絶対に安全だということはない。ルヴィの帰りが遅いときにはいつだって心配で不安になる。

 それでもルヴィの無事を信じて、自分ができることをするのがエミリーの日常だ。


 エミリーに戦う力はないが、仲間を信じ抜く強さは持っている。


 静かな決意な胸に抱き、エミリーは今にも動き出しそうなシエラに話しかける。


「シエラさん、私たちはこちらに集中しましょう」


「ですが……」


「大丈夫です。アニスちゃんは、ずっとハウエルさんと魔術の練習を頑張っていましたから」


 話す話題などそう多くはない村の中だ。アニスの修行の成果はよく知っている。信頼できる理由はある。


 それに……今のフィリダを放置するのは無理だった。出産時には母親の魔力消費が激しい。外部からの魔力譲渡も必要となるが、その場合一人だけでは手が足りなくなる。

 この場には最低でもシエラとエミリーの2人が必要だった。


 アニスもシエラとエミリーに「ここは頼む」と言ったのだ。エミリーは自分ができることを全うする。

 そのために、まずは柔らかな笑みを作った。


「フィリダさんも安心してください。カルヴィンさんなら、アニスちゃんのこともしっかりと守ってくれるはずです」


 エミリーの芯の通った笑顔に、フィリダはゆっくりと身体から力を抜いた。


「ああ……そうだね……。うちの人なら、それくらい笑ってやるさ……」


 辛そうな顔だったが、それでもフィリダは小さく笑った。



 ◇ ◆ ◇ ◆ 



 アニスはふらつきながら何とか走る。


「重いっすー!!」


 魔物と戦うための大剣は非常に重い。だが、ただ運ぶだけなら問題なかった。魔力で肉体を強化すれば重すぎるという程ではない。


 もちろん、カルヴィンのように軽々と振り回すのは無理だが。


 問題は……、


「ちょっと、魔術が使えないっすね……」


 アニスとて無策で飛び出してきたわけではない。ハウエルが開発した『透明化』の魔術を使えば、襲撃者に見つかることなく大剣を届けられると判断したのだ。


 誤算があったとすれば、大剣が思った以上に重く、魔術に回せる魔力が足りないということだ。


 そもそも身体強化と魔術の併用は難易度が高く、大剣を背負った状態では継続的な魔術は使えそうになかった。

 使えるとすれば、魔力的にも集中力的にも、小規模な魔術が一度だけ。アニスはそう判断する。


「どうするっすかねー」


 呟いて立ち止まる。

 小さな村のため、カルヴィンが戦っている場所はもうすぐそこだ。


 幸いなことに、アニスの姿は見つかっていない。ハウエルが張った魔術のおかげだ。


 ハウエルの魔術により村中の光は複雑に屈折しており、アニスは捻じ曲がった光に隠れながら走ってきた。


 ただ、カルヴィンが戦っている周囲には光の魔術が作用していない。


「う~ん、カルヴィンさんの戦いの邪魔をしないように、たぶん師匠がわざと範囲外にしてるっす」


 ハウエルとカルヴィンは戦闘で連携をしたことがないため、誤ってカルヴィン側に隙ができないように、と判断したのだろう。


 それはいい。問題は、カルヴィンに近付くとアニスの隠れる場所がなくなるということだ。


「ん~……」


 カルヴィンの戦いぶりを観察する。


 凶悪な両腕は攻防一体の鎧だった。カルヴィンは両腕の頑丈さを上手く使い、嵐のように暴れている。

 並みの魔物であれば、腕の一振りで決着がついてしまいそうな迫力だ。


 だが、相手は知恵ある人だった。


「なんか、性格が悪い戦いかたっす……」


 少なくともアニスにはそう見えた。

 無理に攻めず、カルヴィンを少しずつ疲れさせるような動きだ。ただ連携は非常に上手く、敵の5人は一つの生き物のように見える。


 カルヴィンは攻めきれていない。フィリダの言葉が確かなら、いずれ魔力が尽きるはずだ。


「やっぱり、この剣が必要っすか……」


 ならば届けるしかない。


 使える魔術は一度きり。ハウエルの教えを思い出し、アニスは再び走り出す。


 成長途中の身体でも、魔力で強化していればハウエルの魔術圏内を抜けるのに数秒とかからない。


 アニスは勢いよく戦場へと躍り出た。場に満ちた殺気に、ぶるりと背筋が震える。


 すぐに襲撃者の一人と目が合った。急に現れたアニスに驚いた表情を浮かべる。が、一瞬で目つきは鋭いものへと変わった。

 アニスが背負った大剣に視線が走る。


「武器を運んで来たぞ! 一人行け!」


 5人の中から一人がアニスに向かってくる。手に持った剣が冷たく輝いた。


「アニス!!」


 カルヴィンも走り出すが、襲撃者の方がアニスに近い。


 迫る襲撃者を前に、アニスは悲鳴を漏らす余裕もない。声も思考も、ただ一つの魔術のために使った。


「――、――――『精霊よ、ともしびをここに!!』」


 アニスと襲撃者を隔てるように、10を超える眩い光球が出現した。


 襲撃者は光の強さに目を覆い――しかし止まることなく足を踏み出す。


「ただの目眩ましなど!!」


 光球は物理的な障害とはなり得ない。襲撃者は構わず剣を振り上げながら光球の群れへと突撃し――、


「熱っ……!?」


 予想外の熱量に思わず体を捻った。


「し、師匠直伝! 光と火の複合魔術っす! 触ると火傷するっすよ!!」


 恐怖に声が震えていたが、アニスは精一杯の笑みで虚勢を張った。


 アニスが使ったのはただの光の魔術ではなく、火の魔術と複合させた『熱い光球』だ。

 ……だが、アニスの力量では火傷するほどの威力はない。


 襲撃者が熱に驚いたのは、全く熱さを想定していなかったからこそだ。冷静に確かめられたら、すぐに障害とならないことが分かるだろう。


 だがそれでいい。数秒だけ敵を欺ければ構わない。それだけ時間があれば……、


「おおおおッ!! どきやがれーッ!!」


 カルヴィンの手が届く。


 襲撃者たちを無理やりに弾き飛ばし、カルヴィンがアニスの前まで到達した。


「カルヴィンさん! お届け物っす!」


 アニスは魔力を振り絞って大剣を持ち上げた。


「おう! ありがとよアニス!! 助かったぜ!!」


 ボロボロと腕の鎧を崩し、カルヴィンは愛剣の柄を握った。軽々と一振りし、豪快に笑う。


「やっぱり戦うときにはコイツ・・・だな!」


 アニスを背後に守り、カルヴィンは襲撃者たちを睨みつける。


「行くぜ。今からは止められるなんて思うなよ」


 不敵に笑うカルヴィンに、襲撃者たちは警戒するように構える。


「ちっ、たかが剣が増えただけだ! むしろ小娘が増えただけ弱点は増えている! このまま仕留めるぞ!」


「やってみな」


 カルヴィンの魔力が燃え上がる。流された大量の魔力で、大剣は淡く光の尾を引き始めた。


 肉体と武器の全力強化。ただ速く、ただ硬く。カルヴィンは爆発したように突撃する。


「っらあ!!」


 襲撃者の言葉通り、カルヴィンにはただ剣が増えただけだ。しかし、それだけの事実が襲撃者たちを圧倒した。


 斧や土の鎧から大幅に攻撃範囲が広がり、大剣の先端速度は先程までの攻撃とは比べ物にもならない。


 そして何より、


「なっ、剣が折れ……がっ!!」


 圧倒的な重量を振り回すカルヴィンは、一合たりとも打ち合うことを許さない。


 襲撃者たちが持つ剣は高価だが、人を斬るための細身の剣だ。血管を裂き、内臓に傷をつければそれだけでいいという、速さと鋭さを求めた剣。


 対してカルヴィンの大剣は魔物を狩るための剣だ。重量を以って厚い皮と肉を切り裂き、太い骨を砕くための大剣。


 一度勢いのついた大剣とカルヴィンは、生半可な力では止められない。


「くそっ、娘を人質に……!!」


 走り出そうとした襲撃者の視界が不自然に歪む。


「な……!?」


「やらせるかよぉ!!」


 カルヴィンの大剣が立ち止まった襲撃者を両断した。


 血を舞い上げながらカルヴィンは暴れ回る。襲撃者が全て沈黙するまでには、そう時間はかからなかった。


 喧騒が止んだ村の中で、カルヴィンは大剣から血を振り払う。


「終わったな……」


 魔力を鎮める。さすがに5人を相手にしただけあって消耗は激しい。魔力不足で頭痛がした。


「ふうぅー、うし。アニス、助かったぜ……って、どうしたそれ?」


 振り返ると、アニスの目元が黒い霧のようなもので覆われていた。


「師匠の『目隠し』っすねー。なんにも見えないっす。……いつまで経っても師匠は過保護っす」


「あいつも器用な奴だな……気持ちは分かるが」


 カルヴィンは背後の惨状を振り返ってそう言った。



  ◇ ◆ ◇ ◆ 



「まったくアニスめ、剣を届けたならさっさと戻るべきだろうに。そこは減点だぞ」


 ハウエルは額の汗を拭った。


「しかしまあ、全体的には師として及第点をやろう。悪くない発想と魔術だった」


 魔道具で守られた家から飛び出して来たときはどうしようかと思ったが、結果的には無事に襲撃者を倒すことができた。


 ルヴィがもうすぐ到着するため、アニスの助力がなくとも戦況は改善したはずだが……ハウエルも弟子の行動を咎めることはしない。


 自分で得た情報をもとに、アニスは自分なりに動いたのだ。小言はいくつかあるが、後で褒めるつもりだった。


「さて、これで残りは私が迷わせている者たちと……ロイが追い掛けた者か……」


 ロイがどこまで行ったのかはハウエルの魔術でも見えない。多くを語らない仲間ロイが無事かどうか、ハウエルには心配だった。


「しかし、ロイの心配ばかりもしていられなないな」


 ハウエルが幻惑の魔術に閉じ込めた襲撃者たちが、自暴自棄に魔術を使い始めている。

 これが森の中なら困ることもないが、襲撃者たちがいるのは村の敷地内だ。せっかく建てたばかりの家を燃やされては困る


 ロイも、帰って来て家がなくなっていては頭を抱えるだろう。


「まずは村長とカルヴィンに連絡を取るか……」


 声を届けるために、ハウエルは風の魔術の用意を始めた。

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