第29話 守るもの

 カルヴィンの振り抜いた斧が、背筋の凍るような音を立てて空気を裂いた。


「ふんっ!!」


 重量のある斧を小枝のように振り回し、襲撃者を狙う。

 しかし、カルヴィンの鋭い攻撃は敵を倒すに至らない。


「攻め急ぐな。常に囲み、背後を取れ」


 カルヴィンが相対する5人のうちの一人、業物の剣を持った男が正確に指示を出しているせいだ。


 一人を斬ろうとすれば、その隙に背後から剣がくる。

 絶妙な距離で囲まれているせいで、敵を刈るのに必要なあと一歩が届かない。


 カルヴィンは斧を振り回しながら内心で舌打ちした。


 この戦い方には覚えがある。これは魔物を狩るための戦法だ。

 誰かが魔物の注意を引けば別な者が傷を付け、注意が移れば役割を変える。そうして確実に魔物を弱らせていく戦い方だ。

 冒険者だったカルヴィンはよく知っている。


 今、カルヴィンは一頭の魔物に見立てられていた。


 一対一なら誰と戦っても勝てるだろうが、人の檻に閉じ込められては自慢の怪力も思うように発揮できない。


 ――囲いを破る手段はある、が……、


 カルヴィンは意識だけを背後に向けた。


 この包囲を抜ける方法はある。カルヴィンなら簡単だ。自分の身を守りながら、力尽くで輪から出てしまえばいい。

 攻撃するから隙が生まれるのだ。移動に専念すれば、カルヴィンは止められない。


 一度囲いから抜けたなら、後は走り回り、地形を利用しながら戦うだけだ。存分に広さを使えるのなら、カルヴィンに負けはなかった。


 ……だが、その手は取れない。


 カルヴィンが戦っている場は村の入り口だ。まだ建物がいくつもない村のこと、カルヴィンのすぐ後ろには家が建っている。


 身重の、妻のフィリダがいる家が。


 襲撃者は村の人間を全て殺すと言っていた。カルヴィンがこの場から移動しては、フィリダを守る者がいなくなる。


 襲撃者がどれだけいるか分からない以上、例え不利な状況であっても、カルヴィンはここから離れることができなかった。


 冷静にカルヴィンを観察していた襲撃者が、小さく鼻を鳴らす。


「ふん、なるほどな。野蛮な辺境の民にも家族の情はあるらしい」


 指示が飛ぶ。


「相手はこの場から動けん。まずは斧を狙え。武器を破壊しろ」


「ちっ!」


 カルヴィンは今度こそ声に出して舌打ちした。カルヴィンが持つ斧は本来武器ではない。あくまで伐採のための道具だ。


 剣と打ち合うことは想定されておらず、指を守るための鍔も当然ない。守りには不向きだった。


 襲撃者たちの動きが激しさを増す。


 密度を増やす斬撃にカルヴィンも斧を振り返すが、手数の差は明らかだ。身を守るほどに、代わりに斧が傷付いていく。


 せめて愛用の大剣があればとカルヴィンは思う。

 だが、無理な話だった。剣は家の中にあり、取りに行くような余裕はない。誰かに持ってきてもらうにしても、それは仲間を危険に晒すことになる。


 今は自力で戦うしかない。


「へっ」


 思わずカルヴィンは笑った。思い返せば、一人で戦うというのは実に久しぶりなことだ。


 いつだってカルヴィンの隣にはフィリダがいた。フィリダが戦える状態で今肩を並べていたならば、相手が5人いたところで真正面から打ち勝てただろう。


 長年の連れ合いがいない大きな喪失を、カルヴィンは改めて実感する。


「だが仕方ねえよなあ。子供ができちまったんだ」


 削れていく斧を見て、カルヴィンはそれでも不敵に笑った。


 長い間、互いに互いを守ってきた。それが日常だった。

 だが、この村に落ち着き、ようやく子を授かった。


 カルヴィンは深く理解する。


 フィリダが一番に守る相手は、もうカルヴィンではなくなったのだ。フィリダが何より守るのは、産まれてくる我が子だ。


 そして父たるカルヴィンは、2人を同時に守らなくてはならない。


「それが男の甲斐性ってもんだよなあッ!!」


 限界を超えた柄が折れ、刃は遠く飛んでいく。


 カルヴィンの手にあるのは、短くなった木の棒だけだった。


 襲撃者の刃が迫る。


あめえッ!!」


 カルヴィンは前へと踏み込んだ。襲撃者に生じた気の緩み、武器を破壊した安堵に身を差し込む。


 動揺が現れる剣筋を残った柄で弾き、一人の腕を握り込んだ。


 同時に、爆発的に魔力を燃やした。


「おお――」圧倒的な膂力をもって襲撃者を地面から引き抜き、


「――らあ!!」


 力任せに他の襲撃者に向かって投げ付けた。


 仲間を避けるかどうか迷った敵の一人は結局動けず、衝突し、ただ2人で地面を転がっていく。


 包囲の一角が崩れた。カルヴィンは残る3人から距離を取り、魔術の詠唱を口ずさむ。


「――――」


「奴を止めろ!」


 3人が距離を詰めるより速く、カルヴィンの詠唱が終わった。


「『地の精霊よ、我が腕に鎧を』」


 カルヴィンがドンッ、と地面に両拳をついた。その瞬間に地面が動き出す。土が意思を持ったように、カルヴィンの腕を高速で這い上がった。


「死ね!」


 迫る剣へと、カルヴィンは自らの腕を差し出した。


 生身の腕など容易に切断する業物は、しかし土に覆われた腕に弾かれる。


 ギイン、と硬質な音が響き渡った。


 カルヴィンの両腕、肘から先を覆う土は、今や磨かれた石のような質感に変化していた。

 ただでさえ太いカルヴィンの腕がさらに一回り太くなり、竜種の前腕のように狂暴な姿を晒している。


 警戒する襲撃者たちの前で、カルヴィンはどっしりと地面を踏みしめ、両腕を構えた。


「地装・頭蓋潰ずがいつぶし。潰されてえ奴から前に出な」


 力を籠めた指が、ギシリと軋みの音を立てた。





「カルヴィンさん、なんかすごいっすよ!」


 フィリダに向かって、アニスは興奮した声でカルヴィンの様子を伝えた。


 場所は変わらずカルヴィンとフィリダの家の中だが、アニスは『遠見』の魔術で光を屈折させ、カルヴィンが戦う姿を右目に映していた。


「そう、かい……。無事ならいいんだけどね……。でもあんまり、いい状況じゃあ、ないね……」


 フィリダは陣痛に息を乱しながら辛そうに口を動かす。アニスはフィリダの額から流れた汗を慌てて拭いた。


「いい状況じゃない、って……カルヴィンさん、押してるっすよ? 腕が強そうっす」


「押してはいるだろうけどね……その・・魔術は、はあ、消費が激しいんだよ……。力は出るけど、本当は大物相手に使うような、もの……守りながら使うもんじゃないんだ」


 荒く息を吐きながら、フィリダは痛みに顔を歪めた。潤んだ目を壁に向ける。


「せめて、剣があればね……」


 壁にはカルヴィンの大剣が立て掛けられている。主の手から離れた剣は、ただ沈黙するのみだった。


 フィリダは思う。自分が今立ち上がって、剣を届けられたらと。


 カルヴィンが最も得意とする得物は使い慣れた大剣だ。魔術で作る鎧は、結局は武器を失ったときの代替手段でしかない。

 あれは見かけほど強くはないのだ。


 アニスが教えてくれるカルヴィンの姿は勇ましいが、長い時間を共にしたフィリダには、瘦せ我慢をしている様子が目に浮かぶようだった。


 だから思わずにはいられない。……せめて剣を届けられたら、と。


「……」


 アニスは苦しい顔をするフィリダをじっと見つめた。


 健闘しているように見えるカルヴィンは、実はそれほど有利ではないらしい。アニスには分からないが、フィリダが言うならそうなのだろう。

 そして、カルヴィンが実力を発揮するには剣が必要だと。


 アニスは考える。


 まずフィリダはどう考えても動けない。顔色は悪く、非常に辛そうだ。

 シエラとエミリーも無理だろう。2人は出産の準備で慌ただしく動いている。それに、アニスから見て、2人は自衛ができるほど強そうではなかった。


 それでは残り1人……自分自身はどうだろうか。


「アタシは……」


 アニスは自問して――答えを出した。


「剣は、アタシが届けるっす」


 この場で最も余裕のある、言い換えれば負担が軽いのはアニスだった。未熟な小娘に過ぎないアニスには、今ここにいても簡単な手伝いしかできない。


 だから、少しでも役に立ちたいと思った。


「シエラさん、エミリーさん、ここは頼んだっす!」


「アニス、待ちな……っ」


 今のフィリダの手は、走り出したアニスには届かなかった。


「う、重っ……よいしょー!!」


 大人一人分は重量のある大剣を、アニスは魔力で身体を強化して無理やりに持ち上げる。


「――いってきます!!」


 決意に目を光らせて、アニスは部屋を飛び出した。

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