第23話 吉報と木こり

 春の日差しの下で麦が伸び始めた頃、村人たちは少し騒がしくなった。


 フィリダの妊娠が発覚したのだ。


「はっはっは。冬の間は暇だったからなあ」


 カルヴィンが珍しく照れたようにルヴィたちに言った。カルヴィンとフィリダは結婚してからそれなりに長いが、子供ができるのは初めてだ。


 浮かれたカルヴィンは落ち着きがなく、赤子のための布やら何やらを遠くの町まで走って買いに行ったりした。

 シエラにも色々と頼み込んだところを、フィリダに呆れ顔で叱られている。


「まったくアンタは。産まれるのはまだまだ先だよ。――みんな、大事な時期に悪いね。今までみたいには働けなくなっちまう」


 申し訳ない顔をするフィリダを責める者はいなかった。


「フィリダ。気にしなくていい。自分の体と子供を大事にしてくれ。俺はむしろ、この村で新しい命が産まれることが嬉しいよ」


 ルヴィは本心から言った。村が賑やかになることをルヴィが歓迎しない訳がない。


「はい! フィリダさん、おめでとうございます!」


「おめでとうっす!」


「うむ。喜ばしいことだ」


「みんな……ありがとうね」


 微笑むフィリダをカルヴィンが抱き寄せる。


「心配すんなよ、フィリダ。俺が2人分働きゃあいい話だろ。村長。俺になんでも言ってくれ。いくらでも働くぜ!」


「ああ。カルヴィンには頑張ってもらう。ただ、無理はしない範囲でな」


 ルヴィは釘を刺しておいた。仲間としても、村の貴重な働き手としても、カルヴィンに体を壊されては困る。

 元銀級の冒険者の体が頑丈だが、今の浮かれたカルヴィンには軽く限界を超えてしまいそうな危うさがあった。


「そういえばよ。この村に産婆の経験のある奴はいるのか?」


 幸せそうなカルヴィンとフィリダを少しぼうっと見ていたロイが、ふと思いついたように声を上げた。

 村人たちはお互いの顔を見る。


「俺は男で狩人だったからな。出産に立ち会ったことはない」


「私もありせんね……」


 ルヴィとエミリーは首を横に振った。


「む、私はないぞ」


「アタシもないっすよ」


 貴族のハウエルと最年少のアニスも当然のようにない。


「もちろん俺もない」


「私は……知識だけなら少し」


 ロイは軽く言い。シエラは珍しく自信のない表情で手を挙げた。


 カルヴィンが首を捻る。


「そもそも子供を産むのに、どんくらい手が必要なもんなんだ……?」


 カルヴィンは長年冒険者として戦い続け、一ヶ所に定住することもなかった。子供が産まれるときの用意などさっぱり分からない。

 魔物が産まれるときよりは大変なんだろう、くらいの認識だ。


 エミリーが困ったように言った。


「ええと、近くの村から産婆さんを呼ぶべきですよね。事前に話を通して……迎えはうちの村から馬車を出せばいいでしょうか?」


 言いながらエミリーはルヴィを見る。馬車を管理しているのはルヴィだ。たまに他の村と物々交換を行うために使用している。


「馬車くらいならいくらでも使っていいが……そもそも人の子はどれくらいで産まれるんだ?」


 狩人だったルヴィは魔物の出産時期なら分かるが、人については詳しくない。

 狩りや採取のために村にいる時間はあまり多くなかったし、かつての村の女性陣もルヴィに積極的に教えようとはしなかった。


 村で一番知識のあるシエラがルヴィに答える。


「フィリダさんの出産は秋の中頃になると思います」


 ロイが後ろ髪を掻きながら呟く。


「秋の中頃か……。向こうの村も収穫と冬の準備で忙しい時期だろ。まだまだ先だが、早めに調整しといた方がいいな」


「そうだな。時間があるときに相談しに行こう」


「なんだか大事にしちゃったみたいで申し訳ないねえ」


「フィリダさん、大事な体ですから。みんなで協力していきましょう。私も元気な赤ちゃんが見たいです」


「楽しみっすよね!」


「ふむ、男か女か、どちらだろうな」


「フィリダ、俺はどっちでもいいぞ!」


「だから気が早いよ、アンタ」


 村に笑い声が響く。2年目の春は賑やかに始まった。




 春の畑に種を蒔き、少しずつ伸びて来た麦の世話をする。同時に帝都へと売る薬の素材を集め、加工して、と村の中は忙しない。


 そんな村の中には、この春からカーン、カーンと規則正しい音が響くようになった。


 木こりの音だ。


 斧を振り、木を叩いているのはカルヴィン。自慢の腕力を存分に振るっている。

時折、バキバキバキッ、と倒れる木の音が村に届いた。


 アニスはルヴィが採った薬草を干しながら、一緒に作業を行うエミリーに話しかける。


「カルヴィンさん、今日も気合入ってるっすねー」


「そうですね。今日の朝も、家族で住む家のために頑張ると張り切ってました」


 カルヴィンが伐採に勤しんでいるのは、村に建てる新居のためだ。

 家の建築は一番近い町の大工に頼むことになったが、材料となる木材は村で準備して欲しいと言われたのだ。


 新皇帝の政策により国内の橋などの建造が増え、今は町でも建設用の木材が足りていないらしい。

 木材を村で準備すれば家の代金を値引きする。それどこか余分な木材があるなら買い取ると大工が言うほどだ。


 本来必要な乾燥は、大工の秘伝の魔術で行ってしまうそうだ。


 家が安くなる上に金が稼げる機会とあって、カルヴィンは非常にやる気を見せているのである。


「うーん、カルヴィンさんがお父さんになるんすもんねー。なんか不思議な感じっす」


「フィリダさんはお母さんですね。確かになんだか不思議で……嬉しいですね」


 エミリーは微笑んだ。ルヴィと一緒に初めから村に関わっているエミリーも、村が賑やかになることは非常に嬉しい。


「赤ちゃんすかー……。男の子だったらヤンチャそうっすね。たぶんすっごい元気っすよ」


「アニスちゃんは女の子の方がいいですか?」


「ん~、どっちでも? 自分より小っちゃい子ができるので嬉しいっす」


「私もどちらでも嬉しいです。お世話は手伝わないとですね」


「そうっすねー。エミリーさんは予行練習っすもんね。ルヴィさんとの子供の」


「なっ……!?」


 サラリと出たアニスの言葉にエミリーは顔を赤くする。パクパクと口を動かすエミリーに、むしろアニスの方が驚いた。


「え? あれ? 違うんすか? エミリーさん、村長の家が建っても一緒に住むんすよね?」


「え、と……それは、はい。私はルヴィさんの補佐役なので、一緒の家には住みますけど……それとこれとは少し話が別というか……」


「別なんすか……? アタシはてっきり、次はお二人の番だと思ってたっす」


 何の番ですか、とはエミリーは聞かなかった。代わりに言い訳のように呟く。


「村は今が大事な時期ですし……ルヴィさんは毎日とても忙しく働かれてますから……そういう話はまだ先かなー、と……」


「そういうもんすかー? むー?」


 じぃっと見つめてくるアニスから目を逸らし、エミリーは誤魔化すようにここにいない2人の名前を出した。


「そ、そういう話なら、ロイさんとシエラさんが先なんじゃないでしょうか! お二人もとても仲がいいですよね!」


「う~ん。あっちの2人も、なんか面倒そうな雰囲気があるっすけどねー」


 アニスはたまに影のあるロイと、秘密の多いシエラを思い浮かべる。


 春の穏やかな日差しの下で、2人の雑談は盛り上がっていった。

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