第24話 夏の建築

 青々と茂る葉の隙間から空を見上げ、ルヴィは額の汗を拭った。照り付ける太陽の光は木々が遮ってくれるが、それでも夏の森は暑い。


 草木が生きる濃い青の匂いと、肌を圧してくるような重い湿り気が、森を歩くルヴィの体を包んでいた。


 革袋から水を一口飲み、ルヴィは目的地である薬草の群生地を目指す。


 夏は植物たちの季節だ。この時期には薬草も大きく葉を伸ばす。ルヴィにとっては今が稼ぎ時だった。

 最近は大きな出費により村の資金が減ってしまったので、ルヴィは採りすぎないことを心掛けつつも、気合を入れて採取に励んでいた。




 採取物で背負った籠を満杯にし、ついでに見かけた若い牡鹿を仕留め、ルヴィは村へと戻って来た。


 夏の強い日差しに照らされた村はガヤガヤと騒がしい。


 村では多くの人間が動いていた。村人ではなく、町から呼んだ大工たちだ。槌と木がぶつかる音と野太い声が村の中に響いている。


 ルヴィの姿を見つけたエミリーが小走りに寄って来た。


「ルヴィさん、お帰りなさい!」


「エミリー。ただいま」


「わあ! 鹿も獲れたんですか。薬草もいっぱいですね。今日もお疲れ様でした!」


 夏らしい眩い笑みで手を伸ばしてくるエミリーへと、ルヴィは薬草が入った籠を預けた。


「薬草は今日のうちに干しますね」


「頼んだ。アニスと協力してやってくれ。俺はコイツを解体して、肉をシエラに渡してくる」


「お肉があると職人さんたちも喜びますね」


 エミリーが嬉しそうに微笑む。


 大工たちの食事は村で用意している。それは仕事の条件でもあったが、シエラの腕のおかげで大工たちは食事を楽しみにしているようだ。


 大人数用の巨大な鍋だけは大工たちが持って来たので、シエラの手伝いをするフィリダが大鍋をかき混ぜる姿が村の日常風景となっている。


 ルヴィがエミリーと並んで村の中を進んでいると、大工の怒鳴り声が聞こえた。


「おいカルヴィン! 力入れ過ぎだっつってるだろうが! 柱ごと叩き割るつもりか! 加減しろ!」


「おう! すまねえ棟梁! 気を付ける!」


 明るいカルヴィンの声が届く。声の方向には骨組み状態の家があった。見れば、カルヴィンは真新しい柱を前に、真剣な表情で両手持ちの木槌を振り上げている。

 柱と梁を組み合わせる最中のようだ。他の大工が「しっかりやれよ」と梁を支えている。


 今建てているのはカルヴィンとフィリダの家だ。カルヴィンは大工仕事を覚えるために職人と共に働いていた。

 豪快なカルヴィンは荒っぽい大工たちとも相性が良かったようで、棟梁からも目をかけてもらっている。


「カルヴィンさんは今日も張り切っていますね」


「張り切り過ぎている気もするけどな。初めての子供と住む家だから、気合が入り過ぎるのも分かるが」


「ふふ、家族3人の家ですもんね」


 ルヴィはエミリーと話しながら歩き、村の中央で別れる。


「それじゃあ、エミリー、薬草は頼んだ」


「はい。ルヴィさんも解体よろしくお願いします」


 ルヴィが牡鹿を担いで村の端へ歩くと、途中でロイの姿を見つけた。野菜が山盛りになった籠を持っている。


「お、ルヴィ村長。もう森から帰ったのか。どうだった?」


「十分に採れたよ。天気に恵まれたおかげだ」


「そりゃ良かった。こっちの畑も太陽のおかげで良い伸びだぜ。ただ、同じくらい雑草も伸びてるけどな」


 引き抜くのが大変だ、とロイは日に焼けた顔で笑った。


「この時期は雑草との戦いだな。牡鹿が獲れたから、今日はこれで力を付けてくれ」


 ルヴィが掲げた牡鹿を、ロイは嬉しそうに観察する。


「さすが村長。いい腕だな。ただ俺としては、鹿の肉は何日か寝かせた方が好みなんだが……」


「夏場は止めておけ。この暑い日に生肉を置いておくと腹を壊す」


「だよなあ。もうちょい人手と魔力に余裕があったら、肉の管理も自分でやるんだけどなあ……。仕方ねえ。今日は新鮮な臓物を食ってよしとするか。焼いて食おうぜ」


「今なら炙った内臓が身に染みそうだな。そうするか。シエラに野菜を持っていくなら、ついでに料理の方法も伝えておいてくれ」


「おう。伝えとく。今日は俺も酒を出すかな。そんじゃあな、村長。解体は頼んだぜ」


「ああ、またな」


 軽い足取りで去るロイを見送り、ルヴィは村の端で牡鹿を木に吊るした。さっそく愛用のナイフで解体を始める。


 肉は食べ、皮は鞣して服や敷物に使い、骨は焼き砕いて畑の肥料として利用する。


 暮らしを支えてくれる森の恵みに感謝しながら、ルヴィは手を血に染めてナイフを操った。




 解体した鹿の肉と内臓を皮でくるみ、ルヴィはシエラとフィリダの下へ向かう。


 村の中心から少し外れた位置に現在の調理場がある。大工たちが持ってきた大鍋は巨大すぎるため屋外だ。

 調理台の上だけに、申し訳程度の粗末な屋根がついている。


 シエラとフィリダは丸太の椅子に座って野菜を切っていた。並んで楽しそうに喋りながら手を動かしている。


 ルヴィの接近にフィリダが気付いた。


「ルヴィ、お疲れさま。ロイから今日はいい鹿が獲れたって聞いたよ。ありがとうね」


 微笑むフィリダは以前より穏やかな雰囲気になっている。


「ルヴィさん、お疲れ様です」


「ああ、2人もお疲れさま。肉は今日の食事に使ってくれ」


 ルヴィは日陰になっている調理台の横に皮ごと肉を置いた。


「ルヴィさん、ありがとうございます。皆さん暑さで疲れが溜まり始めているようなので、精のつく物にしますね」


「そうだねえ。うちの人も頑張ってるみたいだから、美味しい物を作ろうか。……といっても最近は、わたしの方が食べるんだけどねえ。ごめんね。お腹が空いちゃって」


 フィリダは膨らみが目立ち始めた腹を、汚れていない腕の内側で優しく撫でた。


「2人分食べなきゃならないんだ。食欲があるのはいいことだろう」


「うん、ありがとう、ルヴィ。でも食べる分は働かなくちゃあね。頑張って美味しい物を作るよ」


「期待してる。シエラも頼んだ」


「はい。もちろんです。皆さんに満足していただけるように頑張ります」


 シエラもにこやかに頷く。


「2人とも任せた。俺は解体の後始末をしてくる」


「ルヴィさん、その前にお茶はいかがですか? 良く冷やしてありますよ」


 シエラの言葉でルヴィは体の渇きを自覚した。冷えた茶を想像して喉が動く。


「そうだな。一杯もらおう」


「はい。少々お待ちください」


 ルヴィはシエラに注いでもらったお茶を口にする。暑い日差しの中で、冷たい心地よさが体に染み込むようだった。





 夏の長い陽が暮れ、大工たちも仕事を終えた。賑やかな食事の時間となる。


 ルヴィも自ら配膳を手伝い、大工たちに明日も頼むと伝えて歩く。ロイが酒も出したおかげか、大工たちは機嫌よく頷いていた。


 シエラとフィリダが作った食事を美味そうに食べる大工たちへと、カルヴィンが酒と肴を手に突撃していく。

 肴は鹿の首から削ぎ落した肉を叩いた肉団子だ。香草を混ぜてじっくりと焼いている。汗をかいた体のために塩は少しきつめに振られており、酒の肴にはぴったりだった。


「棟梁! 今日もお疲れさん!」


「耳元で叫ぶなカルヴィン! うるせえ! てめえは加減ってもんを覚えやがれ!」


 気の置けないやり取りに、大工たちの間からは笑い声が上がる。


 大工たちはよく食べよく飲み、すぐに就寝する。そうして朝は日が昇ると同時に動き始めるのだ。


 盛り上がる大工たちとカルヴィンの近くから、ハウエルがそろそろと気配を消して退避してきた。


「……あれに付き合わされては倒れてしまう」


「師匠はお酒ダメっすもんね」


「駄目ではない。少し苦手なだけだ」


 数日前に大工に注がれた酒を飲んで潰れてから、ハウエルはなるべく食事のときには大工たちに近付かないようにしている。

 大工たちが好む酒は濃いのだ。


 ハウエルはスープの器を持ってアニスの隣に座る。そして、何かに気付いたようにアニスの顔を見つめた。


「どうしたっすか?」


「ふむ……アニス、日に焼けたな」


「ここ何日かは特に天気が良かったっすからねー。外にいたら日焼けもするっすよ。でもシエラさんにもらった塗り薬のおかげで酷くないっす」


 アニスは薄く日に焼けた自分の腕を見て、周囲を見渡した。シエラとエミリーは元が白いせいか肌が少し赤くなっているだけだが、畑で働くロイなどはかなり焼けている。


「って、あれ? 師匠は全然焼けてないっすね」


「む? ああ、日中は魔術で強い光を弾いているのでな」


「ええ!? 師匠そんなことしてたんすか!? ずるいっす! 教えてもらってないっす!」


「そう言われてもな。魔術を扱いながら働くのだから、呼吸をするように意識せず術を維持できなくては使えんぞ? アニスはまだこの段階ではないだろう」


「ぐ、むむむ、無駄に高度なことしてるっす……」


「長く畑にいるのだ。光を弱め、熱を下げるのは大切なことだろう」


 ロイが酒を片手に会話に入る。


「暑さで汗をかけば疲れるからな。動きの鈍らないハウエルには助かってるぜ」


「すまぬな、ロイ。他人にも使えれば良いのだが。さすがに距離が離れると意識せずには使えん」


「気にすんなよ。お前の働きだけで十分過ぎる。ああ、酒飲むか?」


「……いらん」


 仏頂面のハウエルを見てフィリダが笑う。


「それじゃあハウエル。こっちの料理はどうだい? 今日は上手くできたんだ」


「ほお、フィリダがそうまで言うとは。それは楽しみだ。もらおう」


「ルヴィもスープのお代わりはいらないかい?」


「そうだな。もう一杯もらう」


 ルヴィが椀を手に立ち上がったところで、フィリダがピクリと手を止めた。視線が真下を向く。


「……おや? もしかして今動いたかい?」


 膨らんだ腹を撫でながら、フィリダは驚いた顔をした。ルヴィの知る限り、フィリダの子が分かるように動いたのは初めてのことだ。


「ホントっすか!? 触ってもいいっすか!?」


「ああ、いいよ」


 フィリダが慈愛に満ちた表情で微笑む。


「あの、私もいいですか……?」


 エミリーがゆっくり手を挙げると、フィリダは頷いた。エミリーとアニスは並んでフィリダの腹に手を当てる。


「む、むむむ~?」


 アニスは難しい顔で唸り、直接耳を付けて音を聞き始める。エミリーは隣で目を閉じて意識を集中していた。


「わ! トン、って鳴ったっすよ!」


「はい! 元気に動いているみたいです!」


「そうだねえ。ちゃんと育ってるみたいで安心したよ」


 喜ぶ3人を見ながら、ルヴィは再び腰を下ろす。復興が進む村と、順調に育っている新しい命。様々な幸福に、ルヴィはゆっくりとロイが注いでくれた酒を飲む。

 身と心に染みる味がした。


 その後、フィリダの様子を聞きつけたカルヴィンが喜びを爆発させ、大工たちも祝福に声を上げ、騒ぎすぎて逆にフィリダに叱られることになった。


 躍進の夏が過ぎていく。

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